せめて恐怖を

 玉座の裏手には、いくつか控室がある。だが、付近には誰もいない。ルースレスは、裏口から林に出た。そのまま、自分の陣営に戻るつもりらしい。


 もともと予定があったのかもしれない。

 俺達の侵入は彼にとって想定外の事態だった。ドゥリアを殺す以外に、用事などなかったのだから。ただ、念のために護衛としてアネロスを連れていただけだ。そこにドゥーイ達がいたのは、何かのついでだったのだろう。

 そしてルースレスが立ち去ったことに、ドゥーイ達は何の異議も挟まなかった。当然すぎる理由だが、いまや反乱軍の総大将である彼には、もっと大事な仕事があるからだ。つまり、後宮への総攻撃の発令だ。


 それはさせてはいけない。

 これから夜になったら、細かな指揮系統は機能しなくなる。そうなったら、攻撃を中止させる手段がなくなる。


 裏口から出てみると、周囲はより薄暗くなり始めていた。

 もうすぐ夜だ。


 木々の立ち並ぶ中、離れた場所に人影がある。急いでいるようには見えない。

 肉眼ではっきりと識別できなくても、認識できさえすれば、俺はそれが誰だかわかる。ピアシング・ハンドは、それが倒すべき敵であることを告げていた。


「おや」


 ルースレスは、重い金属の鎧を取り外していた。それを木の根元に捨てて……なんだ?

 何かを掘り出そうとしていた。


「しつこいネズミが追ってきたか」


 どうする?

 精神操作魔術で支配するのは、この状況では難しい。となれば、肉体を奪うことになる。彼になりきって、本陣に駆け込み、攻撃中止。全軍に待機命令を出す。

 それはもう確定している。だが、こいつは今、何をしようとしていた? 情報を抜き取れるのは、今だけだ。といって、心を読むのも難しい。彼は俺にそういう力があるのを知っているからだ。ならば、喋らせるしかない。


「ルースレス」


 俺は剣を片手に、ゆっくりと歩み寄る。


「逃げられると思うな」


 その言葉を耳にして、彼は一瞬、呆けたような顔をした。

 だが、それはすぐに弾けるような笑いに取って代わられた。


「はっはははは! 何を言っている? 逃げる? この私が? 君から?」

「ごまかすな。これから総攻撃を命令しておいて……お前はどこかに逃げ出すつもりなんだろう」

「ふうん」


 彼だけが知っている情報があれば、少しでも引き出しておきたい。本当は急いでいる。だが、下手に慌てて大きなミスをするのだけは避けたいのだ。


「少し違うな」

「なに?」

「総攻撃なら、そろそろ始まる。事前に伝えておいたよ。日没と同時に、全員突撃」


 とすると、あと十分か二十分ほどで、始まってしまう。


「で、お前はその隙に、王宮から逃げ出すという計画か」

「その前にやることがあるがね」

「何をするつもりだ」

「知りたいか?」


 もちろん。

 答えろ、と身振りで示す。

 彼は肩をすくめて、おどけてみせた。


「殺すのさ。フミール王子をね」

「フミール? なぜ?」


 タンディラールを殺すのは理解できる。彼を倒さない限り、伯爵軍は逆賊になってしまうからだ。だが、フミールまで始末してしまったら。まさか、本気で自分が王になれるだなんて、思っているのでもなかろうに。


「君は不思議な質問をするんだな」

「お前のほうが理解不能だ。フミールまで殺したら、どう足掻いても反逆者なんだぞ。せっかく王宮を陥落させても、無駄になる」

「無駄じゃないとも」


 彼は落ち着き払っている。

 確かに、身体強化なしでは、俺の今の体で彼に勝つのは難しい。残り一粒の薬を使って、やっと互角か。前回、彼が引き下がったのは、まだ無理したくなかったのと、予想外の能力に驚いたからに過ぎない。

 万全の体制で迎え撃てば、十分勝てると思っているのだ。だから、俺を恐れていない。


「これでやっと……」


 感無量、といった様子で、彼は言った。


「王家を滅ぼすことができる」

「なに?」

「聞こえなかったか? 王家を滅ぼすといったのだ」

「な、何のために?」


 傀儡を置いて権力を手にするより、殺すことが優先? そういうことか?


「私は先代のティンティナブラム伯の実子でね」

「知っている。オディウスが、王家と裏取引して、殺した」


 先回りして言うと、彼は少し驚いたような顔をした。


「そこまで知っていたのか」

「じゃあ、お前のこれは、父の仇討ちか」

「いやぁ」


 薄気味悪い微笑が浮かぶ。


「別に、父親のことには、それほどこだわってはいないな」

「なんだって?」

「とにかく、堅苦しくて厳しいだけのあんなつまらない男は、どうでもよかった。それより許せないことがあってね」


 復讐かと思ったら、そうでもない?


「本来なら、私のものになるはずだったものが奪われた。それが気に食わない」

「なに?」

「だから、全部壊してやろうと思ったのさ」


 いきなりわけがわからない。


「ま、待て。フミールを残しておけば、お前はオディウスに代わって伯爵になるのだって」

「そうだな」

「なら、どうして」

「言ったろう? 全部壊してやろうって」


 理解不能だ。

 伯爵になれなかった。貴族としての権利を横取りされた。それに怒りを感じるのは、まだわかる。

 だったら、取り返せばいい。今はその機会じゃないか。


「私は、そのままで自然に地位と富とを受け取るはずだったんだ。思い描いた通りの人生を生きるはずだった。それが壊された。だからもう、いらない」

「今、奪い返せるじゃないか」

「そんなのはいらない。いいかい? もう、『思い通り』ではない。だったら『いらない』んだ」


 俺が唖然としていると、彼は補足した。


「わからないか? この世界、『完璧』か、そうでないかのどちらかだ。私自身に属するものか、それ以外か。そして、私でないものは、何もかもが無価値だ」

「く、狂ってる」

「私からすると、君らの方がどこかおかしいようにしか見えないが」


 こいつを表現するのに適切な言葉はなんだろう? ナルシスト? サイコパス? 少なくとも、フォレス語に、それを意味する単語がないのは、間違いない。


「そういう意味では、みんな幸せだ。羨ましいくらいだよ。この私の道具になれるのだから」

「……そうやってドゥリアも、伯爵軍の兵士達も、使い潰すのか」

「一番好ましい未来を与えてやった、と言ってくれないか」


 こいつは……


「それで、王子を殺したら、どうするつもりだ。逃げ延びて、まだやることがあるのか」

「もちろんだとも」

「それは何を」

「そうだな。タンディラールを殺し損ねていたら、シモール=フォレスティアあたりに逃れるのもいいな。この国の機密情報も、いくらかは頭に入っている。きっと喜んで迎えてくれるだろう」

「それで、今度こそこの国を滅ぼしたら、今度はどうする」

「そうだな。まだ決めていないが、次はシモール=フォレスティアを滅ぼしてもいいな」

「その後は」

「いちいち考えていないな。どうでもいいだろう?」


 ……さっきのドゥリアへの暴言は、ただの演技ではなかった。こいつはある意味、本気でああいう考え方をしていたのだ。

 徹底した自己愛。他人を支配したり、操ったりするのは得意でも、決して心を通わせることはない。こいつにとって、世界には自分とそれ以外しかないのだ。


 もういい。

 わかった。


「最後に」

「なんだね」

「お前に罪悪感はあるか?」

「は?」


 彼は首をかしげた。


「お前が粗雑に扱って死んでいった兵士達。それから、さっきのドゥリアみたいな女も、一人じゃないんだろう。彼らに詫びる気持ちは、あるか?」

「ふっ」


 彼は鼻で笑った。


「聞いてどうする」

「少しでもその気持ちがあったなら、せめてその死を悼んで、弔ってやろうと思った……だが」

「いいとも。その剣で私を倒せると思うなら、好きにしたまえ」


 俺は、剣を抛った。こんなもの、使わないし、必要ない。だが、彼には、その行動の意味がわからない。危険が減ったのだと、そう思って動きが止まる。

 足元の落ち葉や小枝を踏みしだきながら、彼に歩み寄った。


「お前は死ぬ」

「はあ?」

「目的は果たせない。総攻撃は中止される。フミールを殺すのも、少なくともお前ではなくなる」

「何を言っている?」


 俺の能力を知らないのだから。

 ルースレスには、自分の未来がわからない。


「仮にここで君が私を殺したとしても、手遅れだよ。もう、攻撃は始まる。止められるのは私だけなのだからな」

「俺はな」


 知らず知らずのうちに、声が震える。


「……残念で仕方がないんだ!」

「何がだね」

「お前を、ただ殺すことしかできない。痛みを与えることができない! だからせめて、恐怖と絶望を味わわせてやる」


 何が起きる?

 この少年にはどんな目算がある?

 だが、周囲に異変はない。他に伏兵がいるのでもない。彼は訝しげな顔をした。


「覚えているか、ルースレス」


 俺は、ゆっくりと歩み寄る。


「シトール・ダーマ」

「なに?」

「二年前のティンティナブラム城」

「何の話だ」


 俺は記憶を掘り起こす……


「ラスプ・グルービーの部下、イーパが連れていた貧農の少年、ジョイス。そいつに滅多打ちにされた小隊長」


 彼は眉を寄せた。


「翌日、お前は城の地下の訓練場で、二人の兵士を指名した」

「君は何を言って」

「一人目はコーザ・ハヤック。彼は剣を捨てたアネロスに首の骨を折られて死んだ」

「な……!」

「二人目が、シトール・ダーマだ。だが、そいつはアネロスと渡り合い、砂時計の砂が尽きるまでの、あの一分間を凌ぎ切った」


 俺はじろりと彼の顔をねめまわした。


「思い出したようだな」

「な、なんで、そんなことを、き、君が」

「その後、シトールは城内を勝手に歩き回り、お前に見咎められた。食堂で声をかけられ、昼食を中断して、お前についていった。そして地下の拷問部屋に連れ込まれた。だが、そいつはどういうわけか、拘束を外して裸のまま、逃げ出した……」

「そんな、そんな細かいことまで、なぜっ」


 ルースレスは忘れかけていたのかもしれないが、俺のほうでは決して忘れようもない。

 あれだけの痛みを味わったのだ。


「シトールは北東部の城郭の天辺まで登りきり、そこから身を投げた。その遺体は、翌日川底から発見された」

「なぜ知っている!」

「もう一度言うぞ」


 俺はわざと笑みを浮かべてやった。


「お前は死ぬ」


 今度は、彼は得体の知れないものを見るかのような目で、俺を見つめた。

 そうだ。怯えろ。苦しめ。絶望しろ。


「シトールは、既に死んでいた」

「なんだって?」

「考えてもみろ。ただの子供に負けるような男が、どうしてアネロスの剣を避けきれる? そんなことはあり得ない」

「それは、間諜だったから、わざと」

「違う。俺が殺して、体を乗っ取ったからだ。ジョイスに負けたのは死ぬ前のシトール、アネロスと戦って生き延びたのは……俺だ」


 彼は息を飲んだ。


「俺が死ぬと決めたら、そいつは死ぬ。それが誰であってもだ」

「う、嘘だ、そんな」

「一瞬で終わる。お前がどれほど強くても関係ない。どんな道具でも、魔法でも防げない。生きている限り、決して避けられない」


 はっきり浮かぶ、恐怖の表情。

 これを見たかった。


「これから、お前の肉体を奪い取る。そして本陣に駆け込み、命令を撤回する。それで終わりだ」

「ば、馬鹿な、そんなことが」

「死ね」


 あり得ない現実が迫ってきている。

 彼は肩を上下させながら、浅い呼吸を繰り返した。

 緊張が限界に達した時……


「う、うわぁぁあぁあっ!」


 絶叫しながら剣を振り上げ……

 次の瞬間、軽い金属音が地面に響いた。


 ルースレス・フィルシーは、この世界から消滅した。

 これでこの戦争も、決着に向かうだろう。


 俺は急がなければいけない。

 だが、その前に彼が掘り出しかけていたものを確認した。それは……


 身分証だった。

 ケルプ・アーツ。ガーネットの冒険者。ティンティナブリア出身。


 どこかで発行させておいたのだろう。ティンティナブリアは彼が統治していたようなものだったのだし、この程度は簡単に用意できた。だが、万が一にも発覚してはまずい。最初から逃げる準備をしていただなんて思われたくなかったので、手元に持っておくのは避けた。恐らく、ドゥリアあたりに頼んで、埋めておいてもらったのだ。

 どうしたものか。役立つかもしれない。一応、取っておく。


 さて、急いで着替えなくては。

 イフロース達も心配だが、まずは攻撃を止める。あとはそれからだ。

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