玉座の戦い
「貴様の王国、だと?」
イフロースが訝しげに言う。
玉座の前に立つルースレスは、眉一つ動かさない。いつものように、能面のような、凍りついたままの微笑を浮かべている。
「そうとも。そして、改めて紹介しよう。ここに居並ぶのが」
彼の背後には、恐るべき戦士達が立ち並んでいた。
「私の愛すべき重臣達だ」
冗談じゃない。
こんな奴らに「重臣」なんて務まるものか。
マルカーズ連合国最悪の傭兵、『屍山』ドゥーイ。
その配下、せむし男のスナーキー。
切り揃えられた黒髪に、赤いマント。リンガ村、ティンティナブラム城、王都と……出会うのも、これが三度目か。西方大陸にその名も轟く兇賊、『首狩り』アネロス・ククバン。
見事に殺人狂ばかり。よくも集めたものだ。
「馬鹿な」
吐き捨てるイフロースに構わず、ルースレスは余裕の表情で、玉座に深々と腰掛けた。
「……なかなか悪くない座り心地だな」
「満足か」
言葉少なに、アネロスが問う。
「ああ、とてもいい気分だ。どうだ? アネロス、一度座ってみるか」
「興味ない」
「……あなたは」
二人のやり取りに、ウィーが割って入った。
「あなたには、あなたの理由があったのかもしれないけど」
「殺すか」
何か言いかけたウィーに、ドゥーイが獰猛な笑みを向ける。だが、ルースレスは片手を広げてそれを制した。
「いい。下々の言葉を聞くのも、王の務めだ。しまいまで言うがいい」
茶番もいいところだ。でなければ、性質の悪い冗談か。
ルースレスは、あえて鷹揚な態度を示してみせた。
「……ボクには信じられない。だって、理由があってこういうことをしたのかもしれないけど……その、ドゥリアって人、あなたの」
「感謝しているとも。彼女の助力がなければ、こうはいかなかった」
「じゃあ! っていうか、それだけだったの? だって、この人、あなたのことを」
「ああ、やっと解放されたよ。正直、せいせいした」
「なっ」
あまりの言いように、ウィーは絶句した。
「少し考えてもみてくれ。あの腐った年寄りが使いまわした、それはそれは汚い女だ。求められるから、しょうがなく何度か抱いてやったがな。正直、体がもげるかと思ったよ。ま、あの不潔な王にもすぐ飽きられたのか、私以外には相手がいなかったようだな。一応、そのおかげか、下の穴だけは、そこそこ具合はよかったが、それも最初のうちは湿り気も足りないし、まるで尻の穴にでも突っ込んでるような気分だったよ。結局、しまいには飽きてしまったんだがな。だが、とにかく何度湯浴みをしても、臭いが落ちない気がして、もう最悪だった」
「あ、あな……た……お前!」
「そのくせ、やたらと甘えたがって、もう面倒といったらなかった。あれだ、乙女というには汚すぎるし、娼婦というには拙すぎるし、本当に使い道のない、中途半端な女だった。だからお願いしたいのだが、せめて私の努力を褒めてくれないか。それと、日々の忍耐に同情して欲しい。有効活用できたのは、ひとえに自分の度量と才覚のおかげだと、再認識しているよ」
言うに事欠いて。
こんな不潔な言いざまは、生まれて初めて聞いた。
だが、激昂しているのはウィーだけだ。キースあたりは、むしろへらへらと笑い流している。
「で? そろそろ大物ぶるのはやめといたほうがいいんじゃねぇか?」
「ほう?」
「ごまかせると思ってんのかよ」
……さすがはキース。
見抜いていたか。
「俺にゃ、てめぇのキンタマ縮み上がってんのが、よっくわかんぜ?」
彼の意識からメッセージが伝わってくる。
《……ファルス、騙されるなよ! 絶対に逃がすな! こいつ、ケツまいて逃げる気だ》
キースはこれで冷静な男だ。というより、物事を「戦い」としてしか見ない。
ドゥリアの殺害が、この戦争においてどういう意味を持つか? そこしか考えない。ノイズが混じらない。だからわかったのだ。
ルースレス・フィルシーは有能だが、無名の男だ。普段は伯爵の居城に留まり、貴族同士の付き合いにも顔を出したりはしない。お忍びで王都に来ることはあるが、身分を明かしてのことではない。
それはつまり、彼の顔をよく知る人間が少ないことを意味する。
この動乱が成功すればともかく、失敗した場合には、どうするか? 逃げるしかない。幸い、貴族達は彼の顔をほとんど知らない。
確かに伯爵の兵士達は顔を見知ってはいる。だが、そこはやはり距離がある関係性だし、何より死人に口なしだ。ここで総攻撃を浴びせて、ほとんど死なせてしまえばいい。
もちろん、それでも生き残りは出るだろう。しかし、その場合でも責任者は別に用意してある。伯爵その人だ。事実、兵士達は伯爵の兵として集められ、訓練を受けてきた。首謀者が捕まり、処刑されれば、その部下に過ぎなかったルースレスについては、沙汰止みになる可能性が十分にある。始末できなくても、王国の体面は失われないからだ。だからこそ、ルースレスはあえて彼を生かしたまま、閉じ込めておいた。
しかし、それもルースレスが伯爵配下の一部将に過ぎない場合に限っての話だ。セニリタート暗殺において、主要な役割を果たしたとなれば、話は違ってくる。
それゆえ、彼の暗躍を知る人物には、生きていてもらっては困る。特に、ドゥリアのような女には。
勝利を確信しているなら、こんな行動は取らない。もし本当に王者になれるのなら、それでなくてもフミールあたりを傀儡にしてしまえるなら。その後でいくらでも片付けられるからだ。今、この重要な局面で、わざわざ労力と時間を割いてまで、彼女を殺す必要なんかない。
その弱みを糊塗するために、彼は自信たっぷりに王者を演じてみせた。冷静な判断をさせないために、わざと不潔な言葉をぶちまけて、怒りを煽った。だが、それらはすべて虚勢でしかない。
だいたいからして、彼が王になれるはずもない。西方大陸全体を見渡してみるといい。王をいただいている国はどれもギシアン・チーレム、そして旧六大国の血筋を守っている。暗黒時代には、ピュリス王国みたいな新興国も生まれたが、すべて滅び去っている。権威とは、それほどまでに影響力を持ち得るものだ。
もはや貴族ですらない彼が、どうして王者になれるものか。そんなの誰も認めはしないだろう。
「ふむ、ではお前はこの、新たな王には従わない、と」
「アホかよ。どっちみち殺すつもりだろが、このハッタリ野郎」
「ふははは、違いない」
ルースレスは仮面を脱ぎ捨て、すっと立ち上がった。
「では、処刑せねばな。ドゥーイ、我々の友情を再確認する時がきたぞ? 確か君は、そこの男……キース・マイアスと縁があったらしいが」
「はっ……どうせ今日までの付き合いだ。なぁ、キース」
獣が唸ったような、碾き臼をこすり合わせたようなだみ声。
彼は渇いていた。血をすすりたくて仕方がないのだ。
「俺は恥ずかしいって思ってんだぜ? なぁ、ドゥーイ?」
「ほお、なにがだ」
「お前、結局、長子派も裏切ってんじゃねぇか。人のこと、散々追い回しておいてよぉ」
「なんとでもいえ。最後に勝つところに立ってさえいれば、俺の傭兵団は、更に大きくなる」
その横で、スナーキーが不快な笑い声をたてた。
「ヒィ、ヒィ……ボス、気にすることはねぇ。そこの白いのは、俺相手にとんだブザマをやらかしやがって……ヒィ!」
「そうか。じゃあ、あれはお前が片付けるか?」
「ヒィ! いいや、ボス、俺はあの女がいいな。生きたまま、皮膚を剥がしてみてぇ!」
じっとりと掌の中に、汗が滲んでいく。
この状況。もうすぐ戦闘になる。だが、どうすればいい?
簡単に言うと、敵のが強い。
それが問題だ。
まず、キースとアネロスは、ほぼ互角と見るべきだ。アネロスからは魔術を奪ったが、それはあまりハンデにはなるまい。昨日の時点でなぜか魔法が使えなくなったわけだが、さすがに一日経っても能力が回復しなければ、戦い方を修正しているはずだ。それに、彼の剣はアダマンタイト製……つまり、もともと魔法を弾きやすい武器を持っている。むしろキースが魔術に頼った戦い方を選んだら、かえって危険かもしれない。
続いてイフロースとドゥーイだ。本来なら、これも互角の駒として扱ってよかった。だが、イフロースは負傷している。それに、ドゥーイは異様に打たれ強く、しかも一発がある。反対にイフロースの風魔術は、決定打になり得ない。長引けば、それだけ相手に有利になるだろう。
最悪なのが、実はスナーキーだ。ウィーは確かに射手としては一流だが、接近戦となると二流以下でしかない。近付かれる前に倒しきってしまえばいいのだが、それができるような甘い相手ではない。彼女の手に弓があるのは見られているし、多少の距離がある以上、彼らもまず、それを警戒する。
しかも、ここは遮蔽物の多い室内だ。射線など簡単に塞がれてしまう。では、屋外で戦えば? しかし、距離が空いたら空いたで、やはりこいつは危険なのだ。スナーキーは接近戦もこなせるが、その本領は罠にある。キースすら翻弄するほどの狡猾さが武器なのだ。どちらかというとまっすぐな性格のウィーでは、対処しきれない。
そんな中、俺はルースレスを確保しなければいけない。
いや、殺すだけなら一瞬だ。ピアシング・ハンドで肉体を奪えば済む。しかしそれは、俺の能力使用の瞬間を見られることになる……
くそっ。
俺の弱点。
もうわかっているのに。どうしようもない。
《心を乱すな、ファルス》
イフロースの思念が、俺に届く。
《我々の勝利は、敵を殺すところにはない。私にとっては、閣下を救うために何ができるかだ》
彼もまた、完全に落ち着き払っていた。いや、とっくに覚悟などできていた。それだけだ。
《この状況では、お前がルースレスの精神を支配するなど、難しかろう。どうする? ならば討ち取るか》
それは駄目だ。
今、イフロースの中のイメージが見えた。俺が「そうする」と言ったら、彼は身を捨てて特攻をしかける。伯爵の甥である彼だからこそ、辛うじて軍を指揮できるのだ。残ったのがアネロスや傭兵達だけでは、ろくに戦争を継続できない。その意味では、イフロースとルースレスの駒落ちは、こちらのコスト勝ちではある。
だが、俺がいやなのだ。
《どうするの? ファルス君》
《こいつぁヤベぇな……あの赤いマントは俺が引き付けるが……》
覚悟を決めろ。
俺も、やるしかない。
「では、王者としての最初の戦いの火蓋を切ろう。皆、前へ」
ルースレスがすっと腕を前に突き出す。
それに従って、アネロス達は静かに剣を抜き放ち、近付いてきた。
《決めた》
ピアシング・ハンドを使う。だが、この場ではなく、だ。
目撃されたら、イフロースやウィー、キースはともかく、ドゥーイやスナーキー、アネロスは確実に消さなければいけなくなる。だが、ここにいる仲間で彼らを倒しきるのは難しい。
ならば。俺は、ルースレスの思惑に乗ってやる。
《キースさんはアネロスを。魔法は過信しないでください。あのドゥーイは》
《私だな》
《残るあの小男を、僕とウィーで。但しルースレスが逃げたら、僕が追います》
《わかった。その後はボクが相手すればいいんだね?》
《いいえ。相性が悪すぎるので、とにかく逃げてください。時間さえ稼げば、僕がすぐ戻りますから》
《だが、支配できるのか》
「……かかれ!」
思った通りだ。
命令だけして、ルースレス自身は向かってこない。状況次第では参戦してくるのだろうが、恐らくこいつは、理由をつけて立ち去る。そうしようとしている。
だから、そこに付け込む。
《……切り札を使います。戻ってくるまで、なんとか生き延びてください!》
虎を思わせる獰猛さ、そしてしなやかさで、アネロスはキースに飛びかかった。鋭い刺突がキースの首元をかすめる。だが、このレベルの戦いでは、そんなギリギリのやり取りが当たり前だ。すぐに剣先がきれいな円を二つ描いて交差する。互いの首を狩ろうとしたのだ。
それは傍目には、美しい舞のようでもあった。どちらも、この上なく洗練された剣技の持ち主。世界最高峰の技量を備えた二人が、完成された芸術のような、隙なく整った動きをみせている。
だが、やり取りは一瞬。そして二人とも、横ざまに剣を構えたまま、静止した。寸毫の過ちが即座に死に繋がる。彼らの空間は、波一つない水面と同じになった。
振り下ろされた斧が、足元の床を砕く。イフロースは軽く跳躍して、それを避けた。
およそ並の人間では持ち上げることすら叶わない、巨大な斧が二丁。ただ、幸いなのは、ドゥーイに膂力はあっても、そこまでの体重はないことだ。もちろん、普通の人間よりずっと重いのだが、彼の斧は更に重かった。どれほど腕力があろうとも、振り回すものより自分の体が軽ければ、動かされるのは自分自身だ。
だから、彼は実質、常に片腕で戦っているようなものだ。もう一方の腕は、重石になる他方の斧を持つために使われているからだ。但し、どちらの腕をメインにするかは、いつでもスイッチできる。
力みすらなく、彼は竜巻のように連続で腕を叩きつけてくる。かすりでもしたら、一瞬で挽き肉にされてしまうだろう。
そして、俺の目の前には……兎唇のせむし男が立っていた。
「ガキィ……どいてろ。俺ァ、女の方がいい、ヒィ!」
後ろにいるウィーを信じるしかない。とりあえずは、スナーキーは俺が抑える。もしルースレスが参戦しても、俺が妨害する。なるべくウィーをフリーにしなければ。
彼女の矢がどれほどの脅威かわかったら。ルースレスの選択肢は、二つに絞られる。どうでも邪魔をする俺を、なんとしてでも排除するか、もしくは……
「ヒッヒィ!」
黒光りする短刀がいきなり突き出された。
それを剣先で弾く。
俺の体も子供だが、スナーキーも小柄だ。ウィーが誤射を避け、確実に当てるのは難しいだろう。だが、こいつをここで倒しきる必要なんてないし、彼女が決まった相手と戦わなければいけない理由もない。
《ウィー、これでいい感じだ。せっかくだから、下がって、やりやすい相手からまずは》
《わかった!》
素早く引き下がると、彼女はまず、一矢を放った。
「むぐぉ!?」
体の大きいドゥーイこそ、いい的だ。
もちろん普段なら、矢など、ものともすまい。そもそも彼は、自分から切り込んでいく戦士だ。敵味方が入り乱れて戦う中では、弓など使えない。かてて加えて、彼の手にする巨大な斧は、飛び道具に対する遮蔽物の役割も果たす。だから中途半端な射撃では、彼をしとめることなどできはしない。
だが、斧は斧だ。盾ではない。防御のためにあるのではなく、あくまで攻撃のための道具だ。だから、どうしても隙間ができる。今は接近戦を繰り広げているとはいえ、数人が剣を交えているだけ。ウィーの技量なら、その狭間を縫って命中させることができる。
「小娘ぇ!」
そこへドッともう一矢。
ドゥーイの肩に、二本目の矢が突き刺さる。
「小賢しいわ!」
だが、彼の動きが鈍る様子はない。
《ウィー、ドゥーイには高速治癒の神通力がある! 致命傷でなければ、なかなか死なない》
《ウソ……トロールじゃあるまいし!》
「ボス!?」
だが、ウィーの射撃は無駄ではなかった。
スナーキーの注意が、一瞬、横に向いたのだ。
逆袈裟に切り上げる。
それを彼は、紙一重で避けた……
……剣を持つ指に、かすかな手応え。
切り裂いたのは、彼の着衣だけだった。彼の右胸近く、上着が避け、素肌が露になる。
傷はまったくつけられなかった。だが……
彼の右胸につけられた、何かの焼印が見えた。
丸い、何かのマークだが……?
「あっ……」
しかし、スナーキーの動きが一瞬、止まった。
「おっ、おっ、お前、お前お前お前……」
なんだ?
「み、みみみ、見たなぁ……」
その焼印をか?
それが何か、意味でもあるのだろうか?
「し、シシシ、死ねェ!」
今までの、どこか人を食ったような余裕ある態度が消し飛んだ。
猛然と前に出て、左右の手にある短刀を振るう。
《ファルス君!》
《大丈夫! それより、ルースレスを狙って!》
すぐ気を取り直したウィーは、素早く矢を番え、放った。
狙われたと気付いて、ルースレスは身をよじる。その矢は、彼の頭のすぐ横をかすめて、玉座の背後の壁に突き刺さった。
そのまま、彼は無言で身を翻す。
やっぱり。
《……奴が逃げるぞ、ファルス》
イフロースが警告する。
キースは? それどころではない。僅かでも均衡が破れれば、殺されてしまう。
《僕が追います。ウィーと一緒に、なんとか逃げ切ってください》
俺は剣を一振りすると、スナーキーの横を走り抜けた。それを追いかけようとする彼に、ウィーが一矢を放つ。
「お前の相手は、このボクだ!」
「ヒィ! この小娘が! 皮膚を引き千切ってやるぅ!」
あとは信じて任せるしかない。
ルースレスは、玉座の裏の控室のほうから出て行ったらしい。
そのすぐ外はちょっとした林になっている。その向こうはもう、後宮を包囲する彼の陣地だ。そこまで逃げられる前に、絶対に捕まえる。
俺は全力で駆け出した。
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