或る女の怨恨と夢

 木々の間から彷徨い出ると、頭上の灰色の空が目に入った。

 王宮の西の一角。ウィーが捕まっていた地下牢は、やはり誰にも管理されていなかった。背後には城壁もあるし、その上には守備兵もいるが、彼らがこちらに注意を向けることはない。そもそも、彼らはこんなルートがあること自体知らないから、王宮の中にいる時点で、俺達を敵とは認識しにくいのだ。


「くっ……ち、畜生……」


 後ろでキースがよろめいている。コップ一杯分の水であれば、凍らせるのに苦労はなかった。だが、風呂桶一杯分以上、それも流れる水に対して、強引に魔術を行使したのだ。


「クハハハ……さっき私を散々笑っておいて、そのていたらくか」


 イフロースが皮肉を言う。

 ウィーの矢の軌道を魔術で操作して汗だくになっていた彼に、キースは何と言ったか。意趣返しというやつだ。


「あの、ここはまだ、周りに敵がいないからいいですけど」

「わぁってるよ。魔法で話をしろってんだろ」


 会話を聞かれて敵を招いたのでは、しゃれにならない。だから、『精神感応』でやり取りしようと打ち合わせておいたのだ。


「で、それより、奴はどこだ?」


 話を聞いているのか、いないのか。キースは言葉で会話を続ける。


「今、探しているところです」


 そう答えながら、ウィーの様子を見る。


「ウィー」

「えっ? な、なに?」

「大丈夫?」

「う、うん。平気だよ。早く片付けないと……おじさまのためにも、こんなの終わらせたほうがいいんだから、大丈夫」


 俺は余計に不安になったが。

 ルースレスを一刻も早く排除すべきなのは間違いないが、その後、どうやってウィーを足止めすればいいか。悩ましい。


「……反応、ありました」

「どこだ」

「これは……待ち合わせ? 謁見の間の燭台に、灯りを点してまわっている女が……」


 ただでさえ薄暗い天気で、しかもそろそろ夕方だ。いかに煌びやかな謁見の間とはいえ、照明もなしではくすんでしまう。


「はぁ? なんでそんな真似、する必要があるんだ?」

「わかりませんけど……」


 と言いながら、俺は詠唱を重ねる。

 この女は……


《……やっとあの人と結ばれる……ふふっ、こんなの王妃様でもなければ、味わえない贅沢だわ……》


「楽しんでいますね」

「は?」

「玉座の前で、愛の告白を受けるつもりらしいですよ」

「なんだそりゃ」

「ええと、つまり……ほら、あの王様を毒殺した女です」

「イータか」

「ドゥリアです! わざとでしょう」


 どうやら彼女には、戦況が見えていないらしい。ルースレスがこのまま、王国の覇者になってくれるものだと、そう信じている。そして自分は、そんな権力者の傍らに立つ唯一の女になれるのだと。


「奇妙だな」


 横からイフロースが呟いた。


「確かに、一度攻撃命令を下せば、指揮官の仕事など、さほどない。細かく管理しようにも、乱戦の中で命令を届けるなど、できはせんからな。できるのは、わかりやすい指示だけだ。攻めるか、やめるか……そんな程度だろう。だが、だからといってわざわざこの重要な局面で、女と逢引とは」


 そうなのだ。俺がルースレスでも、今、この状況で、自分が前線を離れるなんて、怖くてできない。今は少しでも兵士達を奮い立たせて、なんとしてもタンディラールを討たねばならないのに。


「とはいえ、これは千載一遇の機会だ」

「そうだね」


 ウィーも頷く。

 幕屋の奥に身を置く指揮官を捕らえるのは至難の業だ。なのに、わざわざ本人がそこから出てきて、一人ないし少数で女と会うのだ。


 ……何のために?


 疑問が頭をかすめる。

 勝てない戦と知って、最後に愛する女と……いや。あの男は、そんなロマンチストではない。何か合理的な目的があるはずなのだ。

 いずれにせよ、彼がちょうど本陣を離れてやってきてくれるという。それならば、俺達が狙わない手はない。


 せっかくの機会だ。遅れてはもったいない。

 俺達は早速、歩き出した。


 謁見の間の前には、幅広の階段がある。その目の前には、白い大理石の広場がある。

 ドゥーイが据えつけた『花』は、まだそこにあった。但し、少々しおれている。死体が水分を失ったり、腐ったりしたせいだ。それに、少し形が崩れている。


「うぇっ? ね、ねぇ、ファルス君」

「ウィー、あんまり見ないほうが」


 そういいながらも、俺はじっくり見てしまった。そして、形の変化の理由に気付いた。

 異物が真ん中に投げ込まれている。


「……ひどい」

「どうしたの?」

「あれ、寝台」

「え? ベッド?」

「王様の……玉座の前にあったはずなんだけど」


 よりによって、セニリタート王を載せた寝台が、『花』の真ん中に投げ込まれているのだ。さすがにいくらなんでも、これはやりすぎだろう。曲がりなりにも国王陛下のご遺体を、こんな風に扱うなんて。


「イカレてやがんなぁ、ドゥーイの野郎」


 キースが鼻で笑う。

 しかし、これは「広告」では済まないのではないか。さすがにこんな無法をやらかすとなると、どこの王国も彼を雇おうとは思わなくなるだろう。「どんな我儘でも通せる強者」というのは魅力だが、「実際にどんな我儘も通す」となると、ただ迷惑なだけだ。


「どうする、ファルス」

「このまま、正面からでも……中にはまだ、女が一人だけです」

「騒がれる前に確保するか」

「或いは、できそうなら支配しておいて、というのもありですね」


 ルースレスが来る前に、精神支配を完了させておけば。俺達が不意討ちを浴びせる機会を作れるかもしれない。


 以前見たのと変わりなく、謁見の間は光り輝いていた。違うのは、一定間隔ごとに銀の燭台が置かれていることだけだ。俺達は、足元の絨毯を踏みしめながら、玉座へと向かう。


「……あら?」


 玉座のすぐ脇に、すらりとした立ち姿の女がいた。美しい髪は肩より下、腰の辺りにまで届こうとしている。身につけているのは、薄紅色のドレスだった。今日この時のために、わざわざ用意した品だろうか。ただ、正直、あまり似合っていないような気がした。普段着用していたであろう灰色の制服は、確かに華やかさとはかけ離れてはいるが、むしろその地味な装いこそが、彼女をより魅力的に見せていた気がする。


「どなた?」


 俺はそっと詠唱を開始する。

 が、少し難しいかもしれない。彼女は若いし、医術の能力も低くはない。能力に優れる人物ほど、精神操作魔術に対して強い抵抗力を示す。表層意識を読み取る程度ならいざ知らず。触媒と時間を費やして、様々な術を重ねがけできればいいのだが……


「冷やかしにきたのさ」


 キースが軽口を叩く。


「彼氏待ちか? こんな場所でデートたぁよ」

「あら、今日はデートではないのよ」


 ドゥリアは得意げだった。


「そうね、愛が成就する日、とでも言えばいいのかしら」

「そいつはめでてぇな」

「そうでしょう? 今日この日をどれだけ心待ちにしてきたか……」


 そこでウィーが口を開いた。


「もしかして」

「なぁに?」

「あなたですか? 陛下のご遺体を」

「ああ」


 どうやら、彼女の直感は正しかったらしい。


「だって、仕方ないでしょう? せっかく彼とここで愛を誓い合うのに、あんなものがあったら、台無しじゃない」

「あんな、って……あなたは、だって、国王陛下の侍医の助手だったのでは」

「ええ、そうよ」


 そう言うと、ドゥリアは居住まいを正して、言い足した。


「あの不潔な老人の世話をさせられていたのよ」

「ふ、不潔?」

「ええ。あなた、ご存知ない? あの老人、不潔な変態は、身の回りに処女の若い娘ばかり置いておくのよ。特に、垢抜けてないのが好みだったらしいわ。それで、気が向いたら無理やり襲って楽しんでいたの。そんなことしなくても、せっかくそれ専用の女達もいるっていうのにね。でも、誰も逆らえないでしょう? だけど、悲惨なのはその先なのよ」


 ドゥリアの声には、積もり積もった恨みが滲み出ていた。


「知ってる? 一度でも陛下のお手付きになったら、もう宮廷の外には出られなくなるの。だってそうでしょう? 陛下の夜の生活を他所で喋り散らしたら、王家の名誉も何もなくなってしまうんですもの」


 それが宮廷の女の運命だ。

 イータみたいにきれいごとばかり口にできるのは、まだ彼女がそういう目に遭っていないからだろう。


「だけど、普通ならそれでもまだ、釣り合いは取れているの。だって、陛下のお手付きなんですからね。ちゃんときれいなお部屋を割り当ててもらって、たくさんの召使に傅かれて暮らせるものなのよ。だけど」


 美しい顔が、その似合わない化粧の濃さもあって、一瞬、悪鬼のように歪んで見えた。


「私の場合は違ったわ。中途半端に手に職があるせいで、相変わらず侍医の助手のまま。婦長にはしてもらったけど、それだけ。しかも、陛下はご高齢だったでしょう? あのまま、陛下が亡くなったらどうなるか……宮廷人なら知ってるわ。前の陛下のお手付きは、子供を産めなかったら、みんなレーシア湖の北にある、山間の小さな公爵領に送り込まれるの。そこで死ぬまで暮らさなきゃいけないのよ? もちろん、贅沢もできなければ、結婚すらできないまま」


 いつの間にか、ドゥリアは拳を握り締めていた。


「我慢できる? 冗談じゃないわ。私の未来は奪われたの。奪われたのよ! 毎晩のように泣き暮らしたわ」


 セニリタートにとっては、よくある出来事の一つでしかなかった。自分は王で、周囲はそれに仕えるものなのだから。それに、秘密保持のために自由を奪われるとしても、それは同時に、生活の保証をするということでもある。彼の中では「問題ない」としていい件だった。

 俺のような一般人からすれば信じがたいのだが、セニリタートには、そういう想像力がなかった。立場が違う、というのは、こういうことを言うのだ。彼は毎日、幾万もの民の行く末を掌中にして、よりよい選択を迫られ続けてきた。そんな中、一人を殺しても、どうということはない。ましてや国王の寵愛だ。受け入れられて当然だと思っていた。


 しかし……


「そんな私に、希望を与えてくれたの。あの人は……」


 ドゥリアはうっとりとした表情を浮かべた。


「他の人にはできないことを、私だけができた。私だけが、モール様の目を欺いて、毒を盛ることができたのよ。毎日毎日、少しずつ……一度食べたくらいでは、誰も病気にならない程度に加減して。毒見役も、あれでは気付けない。今まで学んだことが、一番役立った瞬間だったわ」

「そんな……医学を学んで、一番役立ったのが、人殺しだなんて……」

「そうさせたのは誰? あの汚物じゃない!」


 ドゥリアは、ありったけの憎悪をこめて、そう叫んだ。

 その怒りのあまりの凄まじさに、ウィーは何も言えなくなった。


「あなたにはわからないんでしょうね? 何もかもをぶち壊しにされた恨みなんて! 殺さなきゃ済まない、殺しても収まらない!」

「……ボクは」


 いいや。

 ウィーは知っている。

 知っているからこそ、それが止めようもないものだとわかってしまう。


「……すみません、時間切れです」


 俺は、詠唱を止めた。

 会話が続いているうちになんとか彼女を支配したかったが、間に合わなかった。


 玉座の後ろ、舞台裏から、数人の足音が響いてくる。

 残念なことに、やはりというか、ルースレスは一人では来なかった。


「あら」


 今までの熱がなくなったかのように、ドゥリアは表情を切り替えた。


「待ってたのよ? でも、一人できてくれると思ったのに」


 ルースレスは、玉座の前に居並ぶ俺達を真顔で見下ろしてから、また何事もなかったかのように、彼女に微笑み返した。


「立会人くらい、いたっていいだろう?」

「じゃあ、この人達は? この人達も?」

「ああ、気にしなくていい」

「もう……あなたがそうしたいのなら、いいわ」


 ドゥリアは、玉座の前に立つルースレスにしな垂れかかり、胸に頬擦りした。よほどいとおしくてならないのか。自分達以外、この世界に存在していないかのように、何もかもが目に入らなくなった。おもむろに彼の首に腕を回すと、そのまま彼の唇に自分の唇を重ねた。


「ああ、愛してる、ルースレス」


 ルースレスは、左腕で彼女の細い腰を抱きかかえた。ドゥリアは身をよじらせ、彼に応える。

 これが女だ。女の顔だ。彼に求められる。彼に所有される。進んで身を捧げ、委ねる。そこに喜びを見出した女ゆえの艶かしさが、溢れていた。

 熱情を抑えられなくなったのか、彼女はもう一度、絡みつくような長いキスを浴びせた。


「ドゥリア」

「なぁに?」

「これ、君にもらったハンカチなんだけど」

「嬉しい。大事にしてくれているのね」

「……今、使っていいかな」


 奇妙な質問に、彼女は小首を傾げた。


「いいわよ?」

「よかった」


 言い終わりもしないうちに、短い金属音が小さく響いた。


「ぐっ!?」


 一瞬のうちに、彼は腰の剣を抜き放ち、それを彼女の鳩尾から背中まで、刺し貫いていたのだ。


「ぎっ、ど、な……」


 ルースレスが乱暴に腕を振るうと、ドゥリアの体は力なくずり落ちた。軽い一押しで、後ろによろけて、そのまま玉座の前の短い階段に転がった。


 唖然とする俺達の前で、ルースレスはさっきのハンカチを取り出した。それで口元を丁寧に拭ってから、血に濡れた剣を拭いた。また元通り、剣を鞘に納めると、汚れたハンカチを抛った。それは空気に押されて不規則に舞い上がり、やがて仰向けに転がるドゥリアの顔の横に落ちた。


 ことが済むと、彼はいつも通りの冷たい微笑を浮かべて、向き直った。


「ようこそ、諸君。私の王国へ」

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