陰謀の渦

 誰もが一瞬、目を疑った。

 アネロスの頭上で、小さな太陽のように燃え盛っていた火球が、いきなり掻き消えたのだ。


「ウィー! 今だ!」


 俺が叫ぶ。

 すぐ気を取り直し、彼女は慌てて矢を放つ。


 いきなりのことに、さすがのアネロスも対処が遅れた。自分の胸に届くはずだった矢を、誤って右腕で受けてしまったのだ。

 だが、それで正気に返ったのだろう。すぐに建物の影に引っ込んだ。


「な、何が起きた?」


 アネロスのいた場所を見上げたまま、ルースレスは呆けている。こっちも今だ。


「ぎゃあ!」

「なっ!?」


 俺は槍衾の中に身を躍らせた。一端距離を詰めてしまえば、こんなもの、意味をなさない。


「このっ……どうした! 早く片付けろ!」

「キースさん!」


 俺は叫ぶ。


「もう、火の球は飛んできません! こっちに!」

「お、おお……!」


 相当に消耗していたのだろう。だが、彼は戦士だ。

 よろよろと立ち上がって一呼吸、すぐに立ち直ってみせると、軽快な身のこなしで俺の後に続いた。


 前に立って戦うのは、俺とキースのたった二人。だが、決して広いとはいえない通路に、兵士達が密集しているのだ。そして、手にした槍は、間合いが近すぎて機能しない。盾も、俺はともかく、キースには意味がない。バッサリ鎧ごと断ち切られて、一秒に一人ずつ、地面に突っ伏していく。


「ひ、ひいい!」

「うわああ!」


 眼前の兵士達は、ちょっとした恐慌状態に陥っていた。後ろに下がって距離を取れるならいいが、今の状況では立て直しも難しい。しかも……


 ビーン、と低い音が響く。

 この短い距離で、彼女が外すなどあり得ない。盾や兜の隙間を縫って、当たり前のように矢が突き刺さっていく。


 ……ルースレスは?

 視界の隅に、彼はいた。ずっと遠く、兵士達を掻き分けて、通りの向こうに逃げ出していた。


「キースさん!」

「んだぁ!」

「指揮官が逃げました!」

「クソがぁっ!」


 いかにキースやウィーが強かろうとも、まともに戦い続ければ、数には勝てない。だが、今は状況が幸いしている。

 彼の判断は速かった。


「てめぇらのボスは逃げたぞ! ハッハァ! こうなりゃ皆殺しだぁ!」


 そう叫び、縦横無尽に剣を振り回す。

 小さな悲鳴が周囲にあがり、一度に何人かが負傷する。


 一見、華やかな剣技だが、これは明らかに雑な動きだ。敵を倒しきれない剣など、ただの曲芸でしかない。真の戦士たる彼だ。普通なら、こんな戦い方をしないだろう。ということは、つまり。


「に、逃げろ!」

「痛ぇ、痛ぇよぉ……」

「わっ、わああ!」


 敵の恐怖を煽るため。一時的に押し返すことを選択したのだ。


 折り重なるようにして、男達は背を向けた。その後ろから、キースは軽く斬りつける。死なない程度に。苦痛と恐怖で、彼らが味方を押すように。


「逃げんな、オラァ!」


 声だけは猛々しい。

 だが、敵兵が通りの向こうに消えると、すぐ彼は膝をついた。


「だ、大丈夫!?」


 イータがキースに駆け寄る。真っ白な陣羽織が、今はあちこち赤く染まっているからだ。


「こんなもん、全部返り血だ」


 息を切らしながら、彼はそう吐き捨てる。

 足元には、十数人の兵士達の死体。ようやく起き上がったモールは、看護婦達に支えられながら、難しい顔をして周囲を見回した。


「それよか、グズグズしてる暇はねぇ。どこでもいい。転がり込むぞ」

「えっ」

「動け、バカ女」


 そう言いながら、彼は立ち上がり、さっさと歩き出す。兵士達が去っていったのとは逆方向にだ。


 五分後、俺達はとある民家に上がりこんでいた。というより、踏み込んで占拠していた、というべきか。

 高い塀の中、俺達は丁寧に門扉を閉じて、息を殺していた。もっとも、本来の住民はというと、一階の居間の奥に身を縮めて、もっと息を殺していたのだが。


 この王都の騒乱は、彼ら市民にとっても大変な災難であるに違いない。権力者同士の殺し合いに巻き込まれるなんて、真っ平御免だ。だからこうやって自宅に引き篭もり、目をつけられないようにしていた。なのにそこへ、俺達が無理やり駆け込んできたのだ。迷惑どころではないが、追い出すのも怖い。


「ちっくしょー……」


 ようやく休めるとあって、キースは庭の地面に横たわったまま、苦しげに息をしていた。


「これから、どうするかですが……」


 俺はおずおずと口を開く。

 混乱はしていたが、状況の悪さなら、しっかり認識している。


「と、とりあえず、あの、私、行ってきます!」


 肩を強張らせたまま、イータが裏返った声で叫ぶ。


「どこにだよ?」

「ドゥリアお姉様に、つ、次の隠れ家っ、用意してもらえないかって」

「……タァコ」


 怒鳴りつける元気もないキースが、呆れ果ててそう呟く。


「行ったら死ぬぞ、バカが」

「そ、そりゃお外は危ないですけど、その」

「ド天然、まだわかんねぇのか」


 俺はさっと視線を落とす。


「な、な、なにが」

「お前ら、ハメられたんだよ」

「はっ!?」

「ドゥリアっつったか? じゃなきゃさっきのベレハン男爵か、下手すりゃ両方にな」

「どういうことですか!」


 俺が説明を引き取った。


「イータさん、それにキースさんも……僕が見た限りでは、多分、あれは長子派の仲間です。男爵は関係ないかと」

「なんでわかるんですか」


 彼らは知らないが、俺だけは彼からウィーの父親の話を聞かされている。俺を信用させるための策略という可能性は捨てきれないが、これから殺す相手に、そんな手間をかける必要など、あるだろうか?


「あの指揮官、僕が戦ったのは、ティンティナブラム伯の騎士です。それに」


 一呼吸おいて、続きを言った。


「あの火魔術を用いて僕らを殺そうとしたのは、彼らに匿われていた、あの兇賊……アネロス・ククバンです」

「えぇ?」

「わかりますか? イータさん、僕らは長子派につてを作ったドゥリアさんの手引きで、あの家に向かいました。そこには油や火薬が山積みされていて、しかも、立ち入った瞬間に火魔術で攻撃されました」

「そ、そんなの、偶然かもしれないじゃない!」


 理解できない、というより、信じられない、考えたくないというほうが大きいのだろう。

 横からウィーが彼女の肩を叩いた。


「落ち着いて。大声は」

「あ、う、うん」


 そして、これは更なる事実を示す情報でもある。


「モールさんは、もう理解できていらっしゃるかと思いますが……」

「うむ……」


 彼は暗い表情で俯いた。


「信じたくはない……信じたくはないが、婦長を任せていたドゥリアであれば、わしの目を欺くこともできた」

「そんな! モール様!」

「無論、わしは無実……だが、罪を背負わせつつ、余計な証言をさせたくないとなると……」


 セニリタート毒殺の犯人。

 それが長子派に通じていたドゥリアだとすれば。


「……これだったんだ」

「これ?」


 俺の呟きに、ウィーが首を傾げる。


「僕はさっきまで、王宮にいた。ウェルモルドの兵士達が、後宮を包囲していたんだよ。でも、時間が経てば、あちこちからタンディラールを助けにくるのがいる。そんなには待てないはずなんだ、彼は」

「うん」

「ということは、さっさと後宮を攻め落として決着をつける手段とか、タンディラールへの援軍を食い止めるだけの戦力のあてがあったんだ。それが」

「ティンティナブラム伯の兵士達ってわけか」


 俺の言葉を、キースが引き取った。


「そうです」

「ちっ……あんな雑兵どもを頼りにするたぁな。全然なってなかったぜ? ハハッ」


 とはいえ、頭数だけなら、相当いるはずなのだ。

 ティンティナブラム伯も、四大貴族の一人だ。経済的に困窮しているとはいえ、住居を失った大量の貧民を兵士に仕立てた。一万か、二万か。質こそ低くても、相当に水増ししているのだ。それくらいはいてもおかしくない。

 対するに、もしピュリスと西部国境からそれぞれ軍団兵が駆けつけても、あわせて四千。いくらなんでも、まったく足りない。


 では、スード伯は?

 これも怪しい。病気で王都に来なかったのだ。これを偶然とするのは、あまりに間抜けな考えだ。実は本拠に留まって、ルアール・スーディアの軍勢を足止めしようとしているのだとすれば。


 まだ、王都の近くにはフォンケーノ侯の勢力がある。

 だが、フォルンノルドなら、どうするか。タンディラールのもとに嫡男がいるが……


 最悪の可能性を考えた場合、彼は息子を見捨てるかもしれない。国許にはグディオが残っているのだ。そして、彼には貴重な長男が生まれている。

 王家に頼る愚を冒したエルゲンナームを切り捨て、この争乱の勝者と手を結ぶ。十分にあり得るシナリオだ。


 いや、待て。

 じゃあ、なんだ? あのドメイドの意味不明な行動は? 彼にはどんな目算があって、あんなことを?

 グディオは、エルゲンナームを始末して、次代のフォンケーノ侯になる。そして、自分は……


 サフィスを殺して、次代のトヴィーティ子爵になる。


 では、では。

 今もエレイアラ達は。

 ドメイドの私兵が、彼女らを付け狙っている。見つけ次第、母子ともども皆殺しだ。でないと、継承権が手に入らないからだ。

 ただ、リリアーナだけは拉致されるかもしれない。分家が全滅したからといって、自動的にドメイドが後継者になれる保証はないためだ。しかし、婚姻を結んでしまえば。男系の子孫が全滅していれば、継承権は女当主に移る。そして、結婚と同時にその権利は夫のものとなる。


「……なんてことだ」


 どっちを向いても陰謀だらけ。王都には殺意が充満している。

 どうすればいい? サフィスはまだ後宮にいる。エレイアラ達はスラムだ。ここからであれば、近いのは後者だが……


「ははっ、こいつは大損だな」


 キースが軽い口調でそう笑う。


「おとなしく長子派に雇われておきゃ、今頃はウハウハだったのによぉ」


 彼からすれば、俺の味方をする理由などなかった。巻き込まれた結果、こんなところにまで追い詰められてしまったのだから。


「けどまぁ、面白いもん見れたし、いいとするか」

「面白い?」

「お前、どうやってアレ、消したんだよ?」

「ああー……」


 必死すぎて、じっくり考えられなかった。


「運がよかったですよね、急に魔法が消えてくれて」

「ごまかすなよ。お前がやったんだろ?」

「なんでそう思うんですか」

「俺ぁ忘れっぽくねぇんだよ。なんで火の球が飛んでこないなんて、言い切れんだよ? え?」


 そもそもアネロスごと消せば話は早かったのに、とにかく火球が飛んでくるのが怖くて、思わず火魔術のスキルを奪い取ってしまった。

 結果的には敵を撃退できたし、能力の本質をそのまま曝け出すことにもならずに済んだし、よかったのだが……


「秘密です」

「秘密かよ」

「僕の切り札ですから」

「あんな真似、できるんだったら、俺と戦った時にもなんかやりゃあよかっただろ。なんで使わなかったんだよ」

「使いたくないからです」

「わけわかんねぇ」


 説明はしない。

 もう、とにかくスルーしよう。


 それよりこの状況、どう見るべきか。

 タンディラールの勝利は、ほぼ絶望的、なのだろうか。しかし、それも違うような気がする。


 やはり矛盾するのだ。

 彼は敵の襲来を予期して、後宮を要塞化していた。だが、もしそうした予測に基づいて行動していたのなら、他の情報にも意識を向けていたはずだ。


 例えば、疾風兵団のユーシスだ。彼は、ティンティナブラム伯の派兵を想定していた。ヌガ城砦の守備隊が維持されていないことに強い懸念を抱いていたのだ。そしてタンディラールは摂政だったのだから、筋合いからして、彼はまず王子に相談したに違いない。

 だが恐らく、その返事は色よいものではなかった。もしタンディラールが「対策する」と返事をしていたなら、わざわざユーシスは、サフィスの邸宅まで来て、ピュリスの海竜兵団について、尋ねたりなんかしない。


 では、タンディラールは、ティンティナブラム伯の「反逆」まで織り込んでいた?

 そういうことだとすると、話はまた違ってくる。そもそも、この混乱を惹き起こしたのは、彼自身の手による王冠の隠匿だったのだ。


 わからない。

 タンディラールはどこまで知っていて、どうしてこういう選択をしたのか。

 いろんな人物のいろんな思惑が重なり合って、真相が見えにくくなってきている。


 こういう時は、どうすればいい?

 自分のしたいことをする。それに優先順位をつける。


 一番大事なのは、自分が死なないこと。

 次にやりたいことは……


「ウィー」

「うん」

「見ての通りだ。キースさんは、もう動けない」

「ボケ、俺様がなんだって?」


 悪態をつく気力ならあるようだが、さっきの強引な魔法の行使で、きっと限界に達している。


「ウィーは、ここまで連れてきてもらった立場なんだ。わかるよね」

「言いたいことはわかってる。ボクが守るよ」

「念のために言っておくけど」

「それもわかる。相手もわからないのなら、復讐は棚上げだ。今は……逃げなきゃ」

「ありがとう」


 今度はモールとイータだ。


「今朝、お会いしたばかりでこんなお願いもなんですが」

「な、なに?」

「できれば……モール様を連れ出すついでに、ウィーも」

「そんな、どうして!」

「イータ」


 モールは首を振った。


「わしらの仕事は、人命を救うこと。この娘を助ければ、本人はもとより、その敵の命もなくさずに済む……不本意ではあろうがな。のう、医薬だけがわしらの道具でもあるまい」


 イータもウィーも、不承不承ながら、頷くしかなかった。

 これで、この場はもう大丈夫だ。というより、これ以上どうしようもない。


「ファルス君はどうするの?」

「僕は……」


 身体強化の効果時間が迫ってきている。あと半分くらいで、完全に脱力してしまう。

 危険地帯と化した王都を突っ切り、エレイアラ達の無事を確認するとなれば、もうのんびりはしていられない……


「行けよ」


 足元でキースが言う。


「俺も自由、お前も自由だ。周りの人間に死なれたくねぇんだろ」

「……はい」

「遠慮すんなよ。俺からすりゃ、バカの極みだけどよ……」


 皮肉な笑みを浮かべ、彼は言った。


「嫌いじゃねぇぜ、そういうのもな」

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