壁の外へ
「こんな雑なやり方で本当に通れるのかよ」
「静かに!」
荷台の上に麻袋をかぶせただけ。俺とウィーとキース、それにモールが、分厚い毛布の下に隠れているのだ。
外では、イータ達看護婦が歩いて轡を取っている。馬に曳かれて、なんとか貴族の壁の門は通過できた。
「あと少しの辛抱なんですから」
「わぁってるよ」
俺は、ボロい荷車の板の隙間から、外の様子を窺う。
もうまもなく、兵士の壁だ。
「止まれ!」
近衛兵達の検問だ。
さすがに不安になる。いきなり槍とかで上から刺してきたら、避けようがない。
「お前達は何者だ! 名前と身分、用件を述べよ」
「あ、あの、私達は、王宮の医療助手です」
「ふん、後宮の女官か。それがどうしてこんなところにいる」
「ええと、薬を運ぶようにと」
「それは誰の命令」
「私がお願いしました」
イータ達を問い詰める兵士達の後ろから、ゆらりと一人の女が姿を現した。
あいつだ。
服装はイータ達と変わらない。黒い肩掛けに灰色のワンピース。いかにも理知的な印象を与える眼鏡に、深い色の髪。美しいといえる容姿の女性だ。
「これはドゥリア殿、どうしてここに」
「間違いがあってはと思いまして……分隊長、こちらは軍団長の許可もいただいている案件です」
「では、この者達は」
「全員、見知っています。私が保証しますわ」
「む……」
ドゥリアは深々と頭を下げる。
だが、分隊長と呼ばれた兵士は、少し躊躇するような素振りを見せた。
「ただ、一応、命令なので、中を検めたいと」
「必要ありませんわ」
「しかし」
「こちら、ベラード様からの直々のお願いで運んでいるものですから、急ぎませんと……あとで私もあなたも責任を問われることに」
「とはいっても」
「説明させていただきますと」
ドゥリアは荷台に近寄り、さっと上の包みを引き剥がした。当然、そこには毛布の束が積まれている。
「なんだ、これは……ドゥリア殿、ただの毛布では」
「ご存知ありませんの? 薬の中には、温度変化や日光を嫌うものが少なからずありますわ。ですからこうやって厳重に包んでありますの。もし、中身を確認しようと封を開けたら、あっというまに変質してしまうんですから」
「む、そ、そうか」
「イータ、急いで頂戴。今日も日差しが強いから、すぐに中身が駄目になってしまうわ」
「はい、お姉様」
やむなし、といった感じで、分隊長は頭を振る。
荷車は動き出し、門を越えた。
「一安心だね」
離れたところから、ウィーがそう呟く。
「ふぉっ、ふぉっ……日差しが強いと中身が駄目になる、か……確かにそうじゃな」
俺と反対の場所に押し込められたモールが、冗談交じりにそう言う。確かに、今日は気温も低くない。分厚い毛布に押し潰されていては、そのうち暑さでやられてしまう。
「……どうしたんですか、キースさん?」
「いや」
しかし、すぐ隣でキースは難しい顔をしていた。
「うまくいきすぎじゃねぇか?」
「そんなものでしょう。なんにせよ、素早く抜けられてよかったですよ」
エレイアラ達をあのボロアパートに放置したのが昨日の夕方だ。急いで戻らないと。
今はもう、午前九時くらいだから、かなり待たせてしまっている。本来の予定なら、とっくに彼らをエルゲンナームの兵で保護していたはずなのだから。
「……そうだ」
「なんだ」
「キースさん、今ならどうです?」
「どうって、何がだ」
「雇われてみませんか? どうせ長子派からは狙われてるんでしょう?」
手ぶらで帰るという手はない。
カリャのところに押しかけて、『強制使役』するというシナリオはなくなったが、代わりにキースという最高の傭兵が護衛になる。まあ、それにしたってイフロースの不在を補うだけかもしれないが、ドメイドの乱心を思えば、これでも上々とすべきだ。
ただ、そうなるとウィーをどうするか……
「やなこった」
「な、なんでですか」
「ん? 理由なんざねぇよ。ムカついたから」
「そんな! 無茶苦茶な」
「俺ぁな、まだ信用したわけじゃねぇんだぞ。体張って俺を騙そうとした奴だって、一人や二人じゃねぇんだ」
「あのですね……」
でも確かに、キース視点で考えると、そうなるのか。
俺自身は別に子爵家に忠誠心を感じているわけではない。ただ、身の回りの人に傷ついて欲しくないだけだ。だが、俺とキースの接点だけ切り取ってみると、そこには「忠臣ファルス」の姿しかない。
リリアーナを奪還するため、たった一人で山塞に乗り込んだり。また彼女の安全を確認するために、武闘大会の後でキースに接触したり。イフロースの命令で情報屋と接触しようとしたり。勤勉この上ない。
そういえば。
「あ、それと、気になるものを見つけたんですが」
「なんだよ」
「ギム・イグェリーを覚えていますか?」
「あん? ……なぁ!? あん時の」
「そう、誘拐事件の時の、彼ですけど……つい昨日、見かけましたよ、スラムで」
「ふん……まだ逃げ隠れしてやがんのか」
だが、さほどの関心はなさそうだった。
「その様子だと、ご存じなかったみたいですね」
「当たり前だろ? 俺ん中じゃ、とっくに終わった話だ」
雑談しているうちに、荷車が止まった。
「はいはい、降りて降りてー、お客様ー」
イータが粗雑な口調でそう呼びかける。頭上の毛布が持ち上げられた。一気に涼しい風が吹き込んでくる。
「……ここは?」
周囲を見回す。
平屋の住宅が多い。少し離れた場所には、石造りの高層建築もあるが、目の前のそれは、古い木造の家、いや、廃屋といってもいいくらいの掘っ立て小屋だった。
市民の壁の内側の、外れのほうといったところか。街の西側っぽいから、スラムからはそれなりに離れている。
「ドゥリアお姉様が用意してくれた隠れ家よ。ここで数日過ごして、様子を探りながら、王都から逃げるってわけ」
「なるほどね」
身を起こしながら、ウィーが頷く。
服装が変わっている。さっきベレハン男爵の邸宅を出る前に、彼が息子の使っていた装備を譲ってくれたのだ。少し体に合わないが、革の胸当てにナイフ、弓まである。
「それで……あなた達はどうするの?」
やや不安げにイータが尋ねる。
「ボクは……」
「ウィー、この隙に、王都から逃げるべきだよ」
「えっ」
「今なら、ピュリスに総督もいないし、海竜兵団もこちらに向かってくるはずだから、手薄になってる。ムスタムに逃げるなら、今が一番だ」
「そう、だね」
「アルディニアでもいい。ここからだと、レーシア湖を越えて森を迂回してフォンケニアからティンティナブリアに出るか、ピュリスを通るかになっちゃうから……船に乗らなくていいから、その意味では有利だけど」
「う、うん」
もはや相手すら明確にできないのに。
復讐の誘惑、いや呪縛は、なおも彼女を支配している。
だが……
「それと、キースさん、ちょっと」
「なんだよ」
「いいからこっちへ」
俺は彼を強引に物陰に引っ張った。
「本当に、うちの護衛を引き受けてくれませんか」
「しつけぇな」
「もしそれが嫌なら、ウィーのことを見てあげて欲しいんです」
「あん?」
「あのままだと、何を仕出かすか」
「知るかよ」
俺の手を、彼は乱暴に振り払う。
これは少し意外だった。とはいえ、あり得る反応だとも思っていたが。
「キースさん、ウィーのことが好きなんじゃないんですか」
「それとこれとは話が別だ」
彼はキッと俺を見据えて言った。
「ガキじゃあねぇんだ。特にあいつは、きっちり自分ってもんがありやがる。そのあいつが、自分で考えて、自分で決めて、何するかを選ぶってぇんだ。じゃあ、何か? 恨みを忘れて我慢して生きてくれってか? 俺のために? ふざけんなよ、んなこと誰が言えるってんだ」
反論できない。
キースは教養もなく、粗暴でもあるが、決して愚かではない。そして、放埓に見えて、実は類稀な自制心まで備えている。
自分が彼女をどう思うかと、彼女がどう生きたいかは、はっきり別の問題なのだ。この点、彼は他人を個人として尊重する精神を備えている。自分も他人も、自由だ。そして、自己責任で生きているのだと。
そういえば、今朝方、俺と出くわした時だって、そうだった。一個の人間として出会い、また一個の人間として別れるからこそ、迷わず剣を取る。その際、彼にとって、互いの生き死には些事なのだ。
「僕は……」
言いかけて止める。
彼がどう反論するかが目に見えていたからだ。
僕がウィーの無事を望んでいるのだと。なら、彼はこう答えるだろう。お前が守ればいい。僕はスラムに戻ってサフィスの家族を守らないと。それはお前の問題だ。どっちを優先するかはお前が決めろ。
言葉をなくして立ち尽くしている間にも、イータ達は家の中に荷物を持ち込んでいる。
「ちょっとー! 手伝いなさいよ!」
「ちっ、あのクソチビ」
キースは振り返り、行ってしまう。
仕方がない。なら、駄目でもともと、イータに相談しよう。モールを国外に出すなら、そのついでにウィーも連れて行って欲しい。
この混乱が収まる前であれば。彼女にも、第二の人生を始める機会が残される。
それが済んだら、俺は急いで戻らないと。
一人でこの街中を駆け抜けて、一家を守らなければいけない。傍にイフロースでもいてくれれば安心だったが、今は……
------------------------------------------------------
(自分自身) (10)
・アルティメットアビリティ
ピアシング・ハンド
・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク6)
・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力
(ランク8)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク7、男性、9歳・アクティブ)
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル 身体操作魔術 5レベル
・スキル 精神操作魔術 9レベル
・スキル 料理 6レベル
・スキル 剣術 7レベル
・スキル 薬調合 8レベル
空き(1)
------------------------------------------------------
念のため、枠は一つだけ、空けておいた。いつピアシング・ハンドを使うかわからない。逆に、一つ以上空けておいても、一日に一度しか使えない以上、意味がない。
身体強化薬も首から提げている。バクシアの種も、肌身離さず持っている。
ついでに、後宮でもらったパンも。でも、もうきっととっくに押し潰されて、ひどいことになっているだろうが。
「はいはい運んで」
「なんで俺様が」
「いいじゃない、これくらい」
男手が他にないので、キースが重い荷物を抱えている。なんだか似合わない。
とりあえず、俺も手伝おう。
そう思って、薄暗い家の中に踏み込む。
すぐ前に立つキースが、足を止めている。
……なんだ? この臭い……
やたらと油臭いというか……
「……やべぇ」
手にした荷物を放り出しつつ、キースが小声で呟く。
「ちょっと! 何落としてるのよ! これはねぇ」
俺は周囲に視線を走らせる。
薄暗くてわかりにくいが、確かにここはおかしい。部屋の隅には真新しい木箱が置かれている。あの中身はなんだろう? それに、この臭い。どこか一箇所ではない。家中から漂ってくる。まるで油まみれにされたかのようだ。
まさか……
「てめぇら、出ろ! ここはやべぇ!」
「はっ? 何言ってるの?」
「早く!」
手早く詠唱した。遠くに明滅する意識。ぼやけてはいても、はっきりわかる。これは、殺意……
もう遅い。
「きます!」
反射的に叫ぶ。
キースは……
「ちっ……! 伏せろ!」
即座に反応して、霊剣を抜き放つ。そして印を結ぶ……
次の瞬間、小屋は轟音に包まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます