獄中の邂逅
「えっと、これ、です」
イータがガチャガチャと鍵束をいじくりまわして、やっと目的の一本を選び取った。
貴族の壁の内側は、高級住宅地だ。だから、まさかそんな場所に牢獄があるなんて、誰も思わない。俺も知らなかったし、誰も教えてくれなかった。だが、よくよく考えれば、必要性ならあったはずだ。
王宮には多くの人が出入りする。近衛兵、表の管理を請け負う宮廷人、裏を取り仕切る後宮の女官。大勢の人間が立ち働くところだ。トラブルが起きないはずがない。ましてや王宮は利権の巣窟だ。諍いや不祥事は、むしろ常に発生していると考えるべきだ。
そんな時、ルール違反を犯した者を、どこに置いておけばいいか? 軽微なものならいいが、重大な問題が起きたら? だから王宮の横にこういう空間を作ったのだ。
「入るだけなら、王宮の中からも行けるみたいなんですけどね」
「だったらそうすりゃよかったろが」
「ただ、出口がないらしいんです」
「はぁ?」
結局、キースは俺達についてきた。とりあえず外に出るまでは、一切の事情を脇に置くと決めたらしい。俺としても好都合だ。
「これ、宮廷でお勤めする人の間では、たまーに噂になるんですけど……」
分厚い鉄の扉の向こうにまた、鉄格子。これも別の鍵で開ける。
「王宮側の入口は、這い上がれないくらい高い場所にあって、罪人だけ、上から放り込むらしいんですよ。怖いから見に行ったことはなかったんですけど」
「そんなの、できるのかよ? 落ちたら怪我するか、死ぬんじゃねぇか?」
「いえ、水の中に落ちるんです」
「水?」
中に看守でもいたら大変だ。もっともそうなれば、キースが全部始末してくれるだろうが。
それでも不安で、思わず左右にカンテラを向ける。
「……ほら、うっすら聞こえるでしょ?」
「水、音か?」
「はい」
どうやら、ほぼ無人らしい。
衛兵も看守もいない。ただ、彼らの詰所はある。思うに、今回の動乱に巻き込まれるのを恐れて、どこかに逃げ出したのだろう。それでも、あまり時間は経っていない。
なぜわかるのか? デスクの上のコップの中に、まだお茶らしき液体が残されているからだ。時間が経てば、水分が抜けてお茶の成分だけがコップの内側にへばりついていく。まだ夏の終わり、秋の初め。気温は高いのだから。
「これ、囚人の食料とか」
「それも本来は、王宮側から投げ入れるものらしいですよ」
なら、詰所はいらないんじゃないか。
でも、ここから囚人を連れ出す場合とか、こっそり処刑する場合とか、いろいろあるかも知れないか。
「じゃあ、この詰所は何のためにあるんですか」
「一応、見張りのためだそうで。あと、表? 裏? さっきの入口からくる人もいるらしいです。これはもう、本当に噂でしか聞いたことないんですけど、中にいるのって、宮廷の人だけじゃないって」
「え? じゃあ、どういう人が入るんですか?」
「わけありの人が連れ込まれるらしいですけど、こう、特別待遇が必要な囚人さんとか? でも、詳しいことは」
水音が大きくなる。ようやく目の前に牢屋らしい空間が見えてきた。
牢獄はすべて横一列に並んでいた。鉄格子が嵌められており、その一部が扉になっている。
着目すべきはその構造だ。床には当然、石が敷き詰められているのだが、向かって突き当たりが、さっきイータが言った通り、水場になっている。幅からすれば、ちょっとした風呂桶か。水は左右にでなく、床の下を通っている印象だ。ここからでははっきり見えないが、壁側からこちら側に向かって、水面下に開けられた穴から水が流れている。
奥の壁の上のほうにまた鉄格子がある。ざっと目測で、五、六メートルほどの高さか。罪人を放り込む際には、ここを開けるのだろう。それと、壁際の水場から少し離れた床には、四角く小さな穴が開いている。これはきっと……トイレだ。
よく考えたものだ。なかなか機能的だと思う。
本来、牢獄の重要な機能には、被疑者を痛めつけ、汚し、追い込むというものがあるのだが、ここに放り込まれるのは、それなりに身分のある人達だ。あまり不潔にするわけにはいかない。常に水が供給されていれば、飲むこともできるし、体を洗うこともできる。ただ、冬場はきっと寒いだろうが……幸い、頭上の鉄格子は東向き。朝日がしっかり入るだろう。
とりあえず、目の前の牢獄は無人だった。もともと利用率は低いのかもしれない。
左右に同じような部屋が連なっている。このどこかにモールがいる。
「こっちから見ましょうか」
朝日が入るので、さっきの入口付近とか、詰所ほどには薄暗くない。右手はすぐ突き当たりだ。とりあえず左に折れて、奥へと歩いていく。
そこで動く影を見た。
「あっ……え?」
牢獄の中の人物と、目が合う。
「えええ!? ファルス君!?」
「ウィー!? なっ、なんでここに」
数ヶ月ぶりに見た彼女は……意外と元気そうだった。
服装は粗末な上着にボロボロのスカートだけ。靴も履いていない。ただ、髪の毛はしっかり伸びている。少し乱れているが、しっかり女の子といえる髪型だ。
そんな彼女が口元を押さえ、驚きを露にしている。
「いやー、一ヶ月くらい前に捕まっちゃって」
すぐに気を取り直したらしい。
頭をかきながら、軽い調子で言う。
だが、見るからに元気がない。声色からもわかるが、相当に疲弊している。
いや、何かおかしい。そもそも、どうしてこんな場所に?
ウィーは地方長官の暗殺を目論んだ犯罪者だ。となれば、普通の牢屋に送られて、普通に処刑される。それがなぜ王宮の牢獄に?
「それより、どうしてファルス君がこんなところにいるのさ」
「それは……」
「どけ」
だが、キースが会話を遮った。
「話は後だ」
確かに。ここでゆっくり世間話に花を咲かせている場合ではない。他にやるべきこともある。
キースは霊剣を抜き放った。
キン、ときれいな金属音が響いたかと思うと、鉄格子が切れていた。剣の品質もさりながら、見事な技だ。
そこから彼女は体を乗り出して、外に出る。
ウィーが駆け寄る。
すっとキースが腕を広げる。
「まさか出られるとは思わなかったよ! ありがとう!」
ガバッと抱きついた。俺に。
キースは無言で陣羽織の襟を正している。なんて声をかけたらいいか。
「あとは、モールとかっていうジジィか」
「あ、はい」
何事もなかったかのように、キースが尋ねる。
ウィーのほうをチラチラ見ながら、イータは答えた。
三つくらい先のブロックに、その人物はいた。
丸い頭。髪は残っていない。かなりの高齢なのだろう、顔には深い皺が刻まれている。丸く小さな眼鏡をかけていた。どちらかというと小柄な印象だが、背筋はピンと伸びていて、どこか品のよさを感じさせる。
そんな老人が、壁を背に、胡坐をかいたまま、静かに瞑想しているかのようだった。
「モール様!」
イータは鉄格子に飛びついて、揺らしながら呼びかけた。
それに対してモールは、静かに顔を向けた。
「……どうしてここに来たのかね。早く逃げなさい」
言葉を発すると、その品のよさが、よりはっきりした。落ち着きある口調。優しげな声色。だが何より、その内容だ。
詳しいことはわからない。だが、牢屋の外では混乱が起きているらしい。看守もいなくなった。そんな中、なぜかイータがやってきた。自分を助けにきたのだと、すぐ理解した。その上で、そんな危険を冒すなと言ったのだ。
「今、お助けします!」
「イータ、よしなさい。わしはもう、十分長生きした。未来ある若者に罪を負わせてまで生き長らえようなどとは思っておらん」
「いいえ! こんなのおかしいです! 私はモール様の無実を信じています! それに先生にはまだ、救うべき患者が大勢」
「うるせぇ。どけ、チビ」
頭陀袋でも投げ捨てるようにイータを脇に押しやると、キースはあっさり鉄格子を断ち切った。
「さっさと引きずり出せ。そいついなきゃ、出られねぇんだろが」
「えっと」
「遅ぇよ」
「ぬおっ!?」
じれったいのに我慢できず、キースは牢獄の中に手を突っ込み、強引にモールを引っ張り出した。
「ぐっ、おっ、ふはっ……」
「モール様!」
廊下に引きずり出されたモールに、イータが縋りつく。
だが、すぐにキッとキースを睨む。
「ちょっとあなた、乱暴すぎません?」
「ボケが。押し問答してる暇があったら、さっさとここ出んぞ、ブスが」
「なっ、なんですって?」
「おい、ジジィ」
キースは顔だけ振り返ってモールに言う。
「どの道手遅れだ。てめぇが逃げようが逃げまいが、こいつらぁもう、お尋ねもんだぜ?」
「……わかった」
それでモールは、たどたどしく歩き始めた。高齢のせいか、牢獄生活のせいか、その歩みは緩慢だったが。
ともあれ、目的の人物は発見できた。あとはイータのアジトに転がり込めば、一休みもできるし、壁の外への脱出も図れる。
だが、イータには先を急ぐキースの気持ちがわからないらしい。
「なによ」
先頭を歩くキースに、後ろから彼女が苛立ちをぶつける。
「何が国一番の剣士よ。ただの野蛮人じゃない」
そんな悪態など、慣れっこなのだろう。キースは構わずズンズン歩く。
「さっきなんか腕広げちゃってさ、ちょーっと美人さんが相手だとすーぐ態度変えるくせに」
あ、これダメだ。
エスカレートすると危ない。本気でキースがキレたら。
「イータさん」
そっと止めようとするが……
自分がチビチビ言われた件については許せても、尊敬する恩師への無礼は我慢ならないのだろう。
「だいたい、なによ。強い強いって、暴力ふるって弱い者いじめするだけじゃない」
「おい」
ピタッとキースが立ち止まる。
「……それが悪いってか?」
「悪いっていうかね、下劣なのよ。自分では勇者か何かのつもり? でも、本当に勇気ある人はそんなことしないわ。人を傷つけるより、生かすほうがずっと大変なんだから」
こんなところで喧嘩している場合では。
さすがに俺も、ウィーも、モールも顔を見合わせた。
だが、その言葉に、キースは……
怒りより、失笑が先にきたらしい。
「ぷはっ……違ぇねぇな。いっぺん頭を医者に診てもらえ。ちょうどそこにいるみたいだしな」
「なによ!」
「あーあー、お前の言う通りだぜ。剣ってなぁよ、弱い者イジメの道具だ」
そのまま、また前に向き直る。そして少し脱力気味に歩き出した。
「邪魔なもん全部とっぱらって言やぁ、要するに生きるってのは、ただそれだけのことだ」
「全然違うわ。何言ってるの?」
「イータ」
さすがに見かねたモールが、嗜めた。
「よしなさい。この方は、わし達を助けてくださっているのだ」
「……はい」
結局、牢獄の中は安全そのものだった。他に囚人の姿もなく、俺達は何の問題もなく地上に出た。
……いっそ、この内紛の間は、ここで過ごせばいいのかもしれない。ただ、出るタイミングを間違えると、えらいことになりそうだが。
「こっち」
ここからはイータの先導で先に進む。
そんなに遠くなかった。貴族の壁の内側の、とある建物の前で、彼女は足を止めた。
家と家の境目など、明確に存在しないこの区域では、どこに誰が住んでいるかは、知識に頼るしかない。言ってみれば巨大なマンションが内部であちこちくっついていたり、途切れていたりするようなものなので、開けた扉がワンルームマンションなのか、豪邸の一部なのかは、区別がつかないのだ。
「こちらの貴族の方が、協力してくださるとのことで」
「ちっ、まずかぁねぇか?」
「何がですか」
キースは、真面目な顔で言う。
「俺の顔も名前も知られまくってるんだ。変に足がついたりしたら……」
「どうせモール様を逃がした時点で同罪です。知られたらおしまいなのは一緒ですから」
それで彼も納得はしたらしい。
周囲を見回しつつ。慌しく家の中に入る。
屋敷の中の一室に滑り込む。そこはリビングだった。
但し、ベッドが一つ、運び込まれている。そこに女性が一人、寝かされていた。その横に、二人の女性が立っている。
「イータ!」
「無事だった? その方達は?」
「モール様、よくぞご無事で」
二人はこちらに駆け寄り、ベッドの上の女性も、首だけ起こそうとしている。
「おおぉ」
怪我人とみるや、モールはせかせかと駆け寄り、様子を見ようとする。
「平気です、モール様、少し怪我をしただけですから」
「なんという無茶を」
そこで奥の扉が開いた。人のよさそうな初老の貴族が姿を現す。
「うまくいったようで何より……モール様、ヴァリネマットです。覚えておいでですか」
「これは……ベレハン男爵、どうやらお世話になってしまったようで」
「とんでもございません。私のわがままですよ。命の恩人を見殺しにするなど、とても我慢できるものではないのですから」
彼らの関係性は、おおよそ想像がつく。
モールがかつて救った患者が、このベレハン男爵なる人物なのだろう。
「積もるお話もございますが、まずはお休みとお食事を」
想定外の人物が三人。
彼は俺達にも視線を向けつつ、静かに言った。
「ご安心ください。ここは安全です」
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