早朝のパトロール

 市民の壁の外に出る。途端に景色が色褪せる。黄土色の家々が並ぶばかり。ここは富とは無縁な領域なのだ。

 そこに居並ぶ近衛兵。場違いな印象は拭えない。赤と金に彩られた彼らは、多くが貴族や騎士の関係者、そうでなくても富裕層の子弟だ。くすんだ風景に浮かび上がる彼らは、俺の目には、治安を守る正義の味方というよりは、恐るべき侵略者のようにさえ見える。


「こっちだよ、ファルス君」


 そんな中、俺は更に場違いだった。

 ウェルモルドは普段は馬上の人だが、今日に限っては地面を歩いている。俺と一緒にパトロールの続きをするためだ。


「しばらく前から、流民街の治安が悪くなってね」

「はい」

「この通り……一部は見事にスラムと化してしまった」


 王都の隅ともいえる領域だ。水道も通っておらず、井戸までの距離も遠い。その上、起伏のある土地なので、移動も大変だ。そこにあるのは古びた家々ばかり。

 だが、流れ着いた元ティンティナブリア領民が、空き家を見つけて勝手に住み着いた。最初は一家族で一軒といった程度の人口密度だったのだが、後から後から、続きがやってくる。結果、一部屋で一家族、それでも足りずに屋上にまた木造の小屋を拵えたり、狭い通路に木組みで個室を設えたりといった有様になってしまった。

 とにかく不便な場所に大勢がひしめき合っているのだ。当然、ゴミや汚水の処理もまともにされない。だから、近寄るだけで鼻をつく匂いがムッと漂う。


「君の事は、悪いけど、調べさせてもらったよ」


 歩きながら、ウェルモルドは静かに言った。


「ティンティナブリア出身の奴隷、チョコス。それがトヴィーティ子爵に買い取られて、フェイと呼ばれるようになった。一年半前に奴隷の身分から解放され、ファルスを名乗る……だが」


 足を止め、俺のほうに向き直る。


「そこに至るまでの経緯は、異常そのものだな」


 噂通りなら、と口にしようとして、やめた。

 無駄だ。こいつはもう、確信している。


「君に何があったのか、どうしてそれだけの能力を身につけることができたのか」

「さあ、なぜでしょうね」

「そもそも君の出自についても、怪しいものだな。ピュリスには君の兄姉ということになっている二人……ジョイスとサディスがいる。当然、君とも面識がある。なのに今の君の名前はファルス・リンガ。別の家名を名乗っている。それに、あの兄妹はどちらもルイン系の血筋だ。髪の毛も見事に金髪、なのに君は」


 次の瞬間、彼は表情を緩めた。


「ふふっ、安心してくれ。それを明らかにするのが僕の目的じゃない」

「では、何のために?」

「これを見てほしいんだ」


 彼が指差した先には、さっきのスラムが広がるばかりだ。

 住民の姿はない。いないわけではないのだ。ただ、彼らは関所を通らずに王領に入り込んだ、いわば密入国者だ。だから近衛兵の群れに出会うと、見つかるまいと身を潜めるのだろう。


「僕にとって重要なのは、君が将来有望な若者だという事実だけだよ」

「有望なことと、これと、何の関係が?」

「あるとも。大有りだ」


 彼はまた身を翻し、歩き始めた。俺もついていく。


 早朝の淡い光が、足元の小石に長い影を背負わせる。ボロボロになった泥の壁が橙色に染まっている。一歩踏み出すごとに、砂利を散らす音が耳につく。

 俺を見下ろしながら、ウェルモルドはすっと目を細めた。


「ふうん」

「どうしたんですか?」

「いや、大したことじゃない」


 遥か遠く、南の空を眺めながら、彼は言った。


「息子も欲しかったなぁ、と思っただけさ」

「息子? じゃあ、娘さんはいらっしゃるんですか? 独身なのに?」

「ああ、言わなかったっけな。いたよ。妻もね」


 それもそうか。この世界、結婚するのが当たり前だ。犯罪者だったり、よほど貧乏だったりすれば別だが、まともに働いている男であれば、最低限、どこかで妻を見つけるくらいならできる。ましてや彼ほど有能で地位も高ければ、なおのこと。


「君よりちょっとだけ年上の娘がいるよ。今はサハリアにいるから、会えないけどね」

「別居? ですか? ご実家とか?」

「はははっ、離婚だよ、離婚」


 またか。ナギアといい、リリアーナといい……娘を持つ父親は、家庭から追い出される宿命なのか?


 ふと、前世に読んだ似非科学書の中身を思い出す。妊娠・出産における男女比は、全体としてみればやや男が多いくらいで、どこの国でも一定だが、個別の女性が男女いずれを産むかは、父親となる男性との関係性に大きく左右されるのだとか。相対的に父親の地位が高いと男児を産み、逆に尻に敷かれている夫は娘を授かることが多いという。

 となると、ウェルモルドも恐妻家だったのだろうか? つい、そんな風に考えてしまった。


「どうしてまた、そんなことに」

「決まってるじゃないか。僕が頼りないから、捨てられちゃったのさ」

「頼りないって、いや、だって近衛兵団の軍団長ですよ? そんな身分の男性なんて、なかなか手に入るはずもないでしょうに」


 すると彼は肩をすくめてみせた。


「肩書きだけは立派でも、ね。女にとっての男の頼りがいってのは、そんなもんじゃないんだよ」


 眉毛をハの字型にしながら、彼は苦笑いした。


「それに、若い頃の僕は、別にお金持ちでもなければ、騎士でもなんでもなかったからね」

「昔は何を?」

「元冒険者だよ。エキセー地方の片田舎で、魔物や盗賊から街を守っていた」


 ボリボリと頭をかきながら、ウェルモルドは言った。


「うちは親父がだらしなくてね。サハリア人のくせに商売が下手で、全財産、スッちゃったんだ。んでもって、朝、起きたら天井からブラ下がっててね」

「えっ」

「はっはは、ひどいよね? ね?」

「ひどいどころじゃ」


 軽いノリでサラッと父親の自殺について語ると、彼は続きを口にした。


「僕もほぼ大人になりかけてたから、何かをして、食っていかなきゃいけなかった。で、手っ取り早く冒険者になったんだけど、そこからはツイてたな」

「実力があったんじゃないですか」

「運も大きかったよ。それに、人に助けられもした。気付いたら、あの辺の街の自警団のトップに祭り上げられてね」


 もともと統率力に優れた男だったのかもしれない。或いはその時期に培った資質なのだろうか。

 過酷な人生を必死に生きるというのは、密度の高い時間を過ごすことでもある。人一倍、努力しなければいけなかった。苦しまなければいけなかった。その境遇が、彼をここまで伸ばしたのかもしれない。それに頑張り続ける人を見れば、これは運もあるが、そのうちに周囲は期待し、信頼するようになる。


「ちょうどその時期に国王陛下の行幸があって。お目にとまって、騎士にしてもらった。僕の軍人生活は、聖林兵団の部隊長から始まったんだ」

「それはすごいですね」

「多少実績をあげたんだけど、ほら、もともと僕はただの庶民で、しかも移民の子だからね。そのままじゃ教養とか作法とか、いろいろ足りてないからってことで、いい年だったんだけど、帝都の学園に留学させてもらえることになったんだよ」

「へぇ」

「けど、もう二十三歳だったからなぁ……浮いてたよ」


 周囲は十代半ばから後半の少年少女ばかり。そこに実社会でやってきた大人の男が混じるのだ。やりづらかっただろう。


「でも、そこで出会ったんだ。妻とは」

「そうなんですね。どんな方だったんですか?」

「うーん」


 背を丸め、頭をポリポリかきながら、やや難しい顔で彼は答えた。


「一言で言うと、赤竜みたいな女?」

「は?」

「だから、赤い竜。知らない? サハリアとか、東方大陸の中央砂漠にいる……」

「い、いや、それは知ってます! 奥様って、そんなに怖い方だったんですか?」


 赤竜は、他の竜種と並んで、この世界でもっとも危険な魔物の一つとされている。砂漠の峡谷に集まって巣を作り、自在に空を飛んで、周辺を荒らしまわる。他三種の竜と比べて、体こそ一回り小さいものの、その移動速度と鋭い爪、尻尾の毒針、何より炎の吐息は、相当な脅威となっている。その上、知能も高く、群れをなすのだから、手に負えない。当然、強力な捕食者なだけあって、その気性は激しく、極めて好戦的だ。

 つまり……


「いやぁ、最初はちょっとお転婆ってくらいの女の子だったんだけどねぇ、あはっはっは」

「うわぁ」


 怖い。

 ウェルモルドは武勲で成り上がった男だ。今は穏やかそうな人物に見えるが、当然、戦士としての顔もあるだろうに。その彼が逆らえないような……


「でも、よく僕を選んでくれたものだよ。彼女、もともとサハリアの豪族の娘なんだよね」

「そうだったんですか」

「それが留学で? 帝都に来ててね。不思議と気が合ったんだ」


 気が合う? そんな怖い女と?

 今の彼からでは想像もつかないが。


「こう、ほら? 西方大陸全般に言えるんだけどさ。やっぱり女性にとっては窮屈なところもあるわけだよ。なんだかんだいって男の方が偉い、女はこうあるべきだって縛られるところが。でも、帝都は違うんだ」

「と言いますと?」

「あちらでは男女同権が基本だ。それに王様がいないから、何でも話し合って決めるし、みんな自由に生きていいことになっている。こことはまったく違う空気が流れているんだよ」


 まるで前世の民主主義国家みたいなお話だ。


「ま、その王様のおかげで帝都に行けた僕が、そんなことを言うのも、変な話だけどね」

「えっと、ま、まぁ」

「で、彼女はそういう自由な空気が好きで。その点、僕なんかは貴族でもないし、もともとただの田舎者で冒険者だから、彼女からすれば自由の体現者に見えたわけさ」

「なるほどです」


 それにしても、一応パトロール中、つまり公務の途中なのに。

 この男はよく喋る。


「ファルス君、ここだけの話だけどさ」

「なんですか」


 ウェルモルドは身をかがめ、俺に耳打ちするかのように言う。その顔には、悪戯っ子のような笑みが浮かんでいた。


「女を選ぶなら、サハリア人が一番だ。僕はそう思うね」

「どうしてですか?」

「なぜって、そりゃあね。サハリア人は血縁者を大事にする。当然、夫もだ。ものすごく情が深いんだ」


 確かに言われてみれば。

 具体的には、犯罪奴隷のリーアがそうだった。幼馴染で婚約者だった人が殺された。その仇討ちのために、自分の人生を丸ごとなげうった。


「言われてみれば、身近にそういう人はいますけど」


 でも、裏を返せば……

 今は落ち着いているリーアだが、キレたら何をするかわからない、ということでもある。


「情が深い分、いざって時は」

「ああ! 怖いね! あれを相手取るくらいなら、本物の赤竜と一騎討ちしたほうがマシだね!」


 冗談じゃない。

 前世では結婚できなかった俺だが、今回の人生でもし結婚することがあるなら、その時は物静かでお淑やかな女性にしよう。そうしよう。


「で、留学を終えると同時に結婚。その三年後には娘も生まれた。その頃には僕も聖林兵団の軍団長から、近衛兵団に転籍になったっけなぁ」

「順調な人生だったんですね」

「ああ。一年後に、離婚するまではね」


 ……はて?

 そんなに情が深いなら、どうして離婚なんか?


「あの」

「何が言いたいかはわかるよ。要するに、僕にそれだけ問題があったんだ」


 いつの間にか、彼の顔から笑みが消えていた。


「でもね」


 前を向きながら、彼は続けた。


「僕は、ただ感情的になって武器を振り回せばいいなんて考えていない」


 不穏な言葉だ。

 これが離婚の件と繋がっているとすると。ウェルモルドの妻は、夫に『報復攻撃』を要求したのでは? だが、軍団長の重責を担う彼に、軽はずみな真似はできなかった。


「そうじゃなくて、悪いことは悪いことなりに、向き合っていくべきだと思うんだ」

「どういう意味ですか?」


 彼は俺に向き直り、はっきり言った。


「仕組みを変えるべきなんだ」


 仕組み?

 何をどう変えたいのだろう。


「ファルス君、人間にはいろんな顔がある。街を襲撃して何の罪もない市民を虐殺する悪党もいれば、君みたいに数万枚の金貨を街の復興に差し出す人もいる。では、どうして人は悪いことをする?」

「それは……いろいろじゃないですか? 欲とか、生きていくためとか、恨みとか」

「もちろん、個別の理由は様々だ。だけど、そこには共通点がある。何かの仕組みが、彼らにそうさせているんだ」


 そう言うと、彼は視線をスラムのゴミ山に向けた。


「あれを見て欲しい。汚物とゴミの固まりだ。汚いといわずにいられる人なんて、いない代物だ。だけど、あれを作ったのは人。人間なんだ」

「……はい」

「だけど、ここの人達だって、好きでああしているわけじゃない。他にどうしようもなくて、こういう結果になる。だから、仕組みを変えてあげれば、少し力の流れる方向を変えてあげれば、きっとみんな幸せに暮らせる」


 そう語る彼だが、すぐに顔を伏せ、歩き出す。


「……もっとも、僕では力不足だ。大したことはできなかったよ」


 彼がピュリスの復興のために、軍団から募金を集めたことを思い出す。世の中をよりよくしたいという志ゆえ、か?


「これからがあるじゃないですか」

「いや、そうはならない」


 首を振る。


「このまま行けば、タンディラール王子が次の国王になるだろう。そうなれば、僕もクビになるからね」

「でも、それこそ今からでも泣きつけば」

「地位は守れるかもしれないな。でも、僕がやりたいのは、そんなことじゃない」


 では?

 別の人物が国王になれば……


「フミール殿下は」

「ああ」


 蔑むような笑みが漏れた。


「正直にいうと、まったくお話にならない。少なくとも、何かお仕事をしていただくには、これっぽっちも向いていないな」


 能力的に役立たずとの判断か。

 もっともそれでも、お飾りにするという手はあるが。


「周りの貴族達も、似たり寄ったりさ。人々の将来を本気で考えているようなのは、滅多にいない」

「そんなものじゃないですか、世の中」

「ああ、でもね」


 輝く太陽に目を細めながら、彼は言った。


「勝手な言い分だけど、君には諦めてほしくない」

「えっ?」

「僕はもう、いい歳だ。それに多分、もうすぐ仕事もなくす。多分、世の中を変える機会なんてない。もしあれば頑張りたいけどね……だけど、君には未来がある」


 そう言いながら、彼は俺に視線を向けた。


「この世界は、若者達のためにあるんだ。既得権益にしがみつく年寄り達のためなんかじゃない」


 ……少し耳が痛くはある。中身の年齢を通算すると、俺も若者とは言えないから。


「今の君は、貴族の下僕だ。自分を守るためには我慢も妥協も必要だろう。でも、それだけに染まって欲しくない。君の主人と、そのまた主人は、そのうちに僕を王国から叩き出すだろう。そうなれば、君は僕の敵ということになる。それで構わない」

「では、何を期待しているんですか? 僕に、この世の中をなんとかしろと? どうやって?」

「難しいことを言っているのはわかっている」


 彼の目は、真剣そのものだった。


「人はもっと幸せに生きられる。そのはずなんだ。だから……君は君で、答えを探して欲しい。それを伝えたかった」


 なんとも、なんとも純粋な。そして青臭い。

 汚いものくらい、いやというほど見てきたであろう男が。俺に何かを尋ねるでもなく、誘惑するでも脅迫するでもなく。

 ただ、有望な少年に未来を託したかった。それだけのために追い掛け回していたのか?


「さ、そろそろ散歩の時間は終わりだな」


 流民街の一角を回り終え、元の詰所に戻ってきていた。


「付き合わせて悪かった。疲れているだろう。帰って休むといい」


 俺は一礼し、彼は手をひらひらと振る。

 二人ほどの兵士が俺につき、俺を馬車に乗せる。そのまま貴族の壁に向かってまっすぐ走り出した。

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