道化の目的

「ご苦労」


 繁華街の隅に、古ぼけた木造の家屋がある。もともと無人の家だったのを改修して使っているらしい。今は所狭しと机が並べられ、書類が積み上げられている。それらを次から次へと確認して、ひっきりなしにサインしたり印章を押したりしている男が、ここの主だった。


「で、そちらが保護した少年か」


 ようやく彼は書類から顔をあげた。

 それでわかった。にやけている。


「ははっ、一昨日ぶり! 覚えてるかな、僕のことは」


 座ったまま赤いマントを翻し、上半身だけこちらに向ける。いかにも人懐っこそうな笑顔で、ウェルモルドはそう言った。

 屋敷を訪問した時には私服姿だったが、今は甲冑を身につけている。細かな金属片を繋ぎ合わせた鎧だ。構造は単純で、重量も軽め。肩から肘までは、何にも覆われていない。その先にも、革の手袋があるだけ。動きを阻害しないが、防御力に信を置けるものではない。


 近衛兵団は実戦的でない。影で言われる理由の一端は、ここにある。この鎧は、全世界的に技術が失われた諸国戦争後期から、デザインが変更されていない。当時はちゃんとしたものを作れるだけの職人がいなくなってしまっていたので、作成も修理も簡単なこういう鎧がよく使われた。

 だが今は時代が違う。一定の治安回復があり、復興も進んだ。それなりの腕と稼ぎがあればだが、冒険者だってもっと実用的な防具を購入できる。身近なところでは、ピュリスのガッシュが使用していた鎧の方が、遥かに防御力に優れている。もっともあれは、重量のせいで邪魔にもなるのだが。

 だが、伝統だからという理由で、近衛兵団の装備は昔から変わらない。この辺、どこかに癒着とか利権の問題でも絡んでいるのではないかと思うのだが、とにかくこれが彼らの制服なのだ。


 ただ、いい点もある。カッコいいのだ。

 子爵邸を訪問した際のウェルモルドは、どこか冴えない感じがしたものだが、こうして鎧に身を包んでいると、なるほど、さすがは指揮官殿だ。着慣れているのもあるのだろう。


「危ないところを、近衛兵団の皆様に助けていただきました。ありがとうございます」


 そう言いながら、俺は頭を下げた。


 さて。

 これはどういう状況だろう?

 偶然の出会い。そんなわけがない。


 いつからだ? ウェルモルドは、俺がうろつきまわっているのに気付いていた。どこかの段階でマークしていたのだ。

 とすると、情報屋に接触できなかったのは、むしろ幸運だったかもしれない。俺が出会った相手はキースだけ。それも見られてしまったかもしれないが、何を話したかについてなら、いくらでもごまかしがきく。

 ただ、俺が何のためにうろつきまわっていたかの理由は……どう言い訳しようか……


「はっはっは!」


 だが、何か問い詰められるのではと身を固くしている俺に、彼は盛大な笑い声で応じた。


「それが僕らの仕事だからね、ファルス君」

「え、はい」


 愛想よく振舞いつつ、ウェルモルドは軽く手を振った。


「君」


 声をかけられた近衛兵が駆け寄る。


「書類のほうは片付けておいた。あとは確認して届けておいてくれ。こう始末書が多いと、さすがにくたびれるな、はっはは」

「承知致しました」

「頼むよ」


 そう言いながら、ウェルモルドは立ち上がる。ポン、と兵士の肩を叩く。

 触れられた兵士の表情を見るだけでわかる。どうやらこの指揮官は、それなりに部下の信望を集めているらしい。


「さぁて」


 その視線は、俺に向けられた。


「ファルス君、朝食は済ませたかい?」

「いいえ」


 なんと、一切尋問なし?

 いや、油断はするな。うっかり何かを漏らすのを期待しているのかもしれないし。


「僕もなんだ。じゃ、この前のお返しってわけでもないけど、おごらせてくれないかな」


 まったくどいつもこいつも。ドゥーイもウェルモルドも、そんなに俺と飯を食いたいのか?


「せっかくですが、お屋敷のほうに早く戻りませんと」


 俺の拒絶に、ウェルモルドはすっと目を細めた。


「なるほど、確かにね……閣下もさぞ心配しているだろう」

「きっと叱られます、だから急いでいたのです」

「そうだろう。君は、お使いにでも出されたのかな」

「えっと、そうです」

「で、道に迷った」

「は、はい」

「夜遅くなって、身動きできなくなって……翌朝、明るくなって道がわかるようになったから、急いで帰ろうとしたら、傭兵どもに絡まれてしまった。そうだね?」

「え、ええ、はい」


 俺の返事に、彼はニヤリと笑う。


「じゃ、君」


 さっきの兵士にまた一声。


「もう一つ、仕事を追加だ。トヴィーティ子爵家に報告してくれ。迷子を保護したから、温かい朝食を食べさせてからお送りするとね。大至急」

「はっ」


 指示を受けて、彼は後ろを見もせず、小部屋を出て行ってしまった。


「これでのんびりできるよ。なに、ちょっとくらい遅くなっても、全部、僕のせいだ」


 そういって、彼はにかっと笑った。


 やられた。

 あんな早朝に出歩いていた理由。尋問されたら、ああやって答えるつもりだった。そんなのとっくにお見通しだったから、わざと先回りして、その「理由」を利用した。

 お使いの途中で一晩中、迷子になっていた子供。くたびれているだろう。なら食事くらい与えてから帰すのも当然。これで彼は、俺を引っ張りまわすことができる。


 これは気を引き締めないといけない。

 わかってはいたが、思った通り、このウェルモルドという男、油断ならない。

 真正面から問い詰める愚を避けて、俺を確保する手をとった。


「好きなものはあるかい?」

「……なんでも食べられます」

「本当に? 実はこだわりがあるんじゃないかい?」

「いいえ。本当に何でも食べますよ」


 ゴキブリスープだって食べきったくらいなのだから。

 あれに比べれば、なんだってご馳走だ。


「そうか、それはいい。でも、意外だな」

「意外、ですか?」

「そうさ」


 のんびりと歩き出しながら、ウェルモルドは言った。


「君は料理人でもあるんだろう? だったら、こう、できの悪いものは食べたくないとか、何かあるんじゃないかって思ってね」

「確かに雑な料理は好きではありませんけど」


 俺が動き出さないので、彼は出入口で足を止めた。


 料理人にとって、毎回の食事は勉強の機会でもある。だから、その重要性は理解しているつもりだ。

 ただ、単においしい料理と、よりよい料理とは、必ずしもイコールではない。


「丁寧に作られたものであれば、どんな皿であれ、ありがたくいただきます」

「丁寧、かい? 前にも言ってたね。どう違うのかな」

「料理は……言葉みたいなものですから。確かに上手に作られた、素材もいい、おいしいものはもちろん、食べて嬉しいですが」

「うんうん」

「ちゃんと大事に大事に作った皿は、料理人の顔が見えるものですから」

「なるほどね!」


 手招きしてくる。仕方ない。ついていくしか。


「さすがに朝早いから、期待には添えないかもしれないけど。一応、まだやってるところがあるんだ。そこに招待するよ」

「あ、あの、本当に」

「いいからいいから。僕のオゴリだよ」


 前世の東京でもないが、こことて都。夜明けまで店を開けているところもある。早朝まで営業して、昼からボチボチ、夜に本格営業するような酒場だ。

 いろんな店が雑居している建物の、地下室への下り階段。ウェルモルドについていく。


「へい、らっしゃ……こ、こりゃあ、旦那」

「やあ」


 顔見知りらしい。

 ウェルモルドの顔を一目見るなり、赤ら顔の店長は、ピタリと動かなくなった。


「朝食を頼みたいんだ。あと、くつろげる部屋も」

「へ、へい、奥のほう、空いてますんで」

「悪いね」


 決して広くはない店内だが、更に煉瓦の壁で区切られており、本当に通路には人一人分の幅しかない。四人掛けのテーブルと椅子が、いくつもある狭苦しいブースの中に納まっている。ウェルモルドは、その中の一つを選んで、腰を下ろした。


「悪いけど、大したものは出ないよ? 夜中の残り物と、あとは目玉焼きにパン、ミルクくらいだ」

「十分、ご馳走ですよ」


 席についてさほど経つでもないのに、もうさっきの店長がトレイを持って駆けつけてきた。


「はいよっ」

「いつも悪いね」

「い、いやぁ」


 フランクに話しかける彼に、店長は微妙な表情を見せる。

 無理もないか。身分の差がどれだけあるか。ウェルモルドは騎士だが、身に帯びた権威と行使できる権力は、そこらの下級貴族なんか相手にもならない。


 もしもだが、フミールが王位に就きでもしたら? 最低でも世襲なしの男爵にくらいはなれるだろう。そうなれば、軍における地位ももっと高まる。すぐに大将軍ということはなくても、うまくいけば護国将軍、悪くても校尉は確実だ。彼より上のポストに就く武官がいない以上、実質、大臣クラスの権力者になってしまう。

 では、このままタンディラールが国王になったら? わからない。昨年のパレードにて、ピアシング・ハンドで確認した限りにおいては、他の近衛兵団の軍団長達と比べても、ウェルモルドの指揮官としての能力は高い。もし彼が次期国王に膝を屈するなら、新王としても、これだけの人材をやすやすと捨て去るわけにはいくまい。


「食べようか」

「はい、いただきます」


 新鮮なミルク。チーズを挟んだパン。ドレッシングを浴びせたサラダ。目玉焼きに、軽く焼いたソーセージ。それとコーンスープまで。

 ……あの店長、手際のよさは評価できるな。そう思いながら、一口、食べてみた。


「どうかな?」


 ウェルモルドはせっついた。


「何がですか?」

「味だよ、味!」


 まさか俺に味見をさせるために連れてきたわけでもなかろうに。


「なかなか悪くはないです……が、少し」

「少し?」

「このソーセージだけは、昨夜の売れ残りですね? 少し塩辛さが勝っています。脂っこいですし。お酒といただく分にはいいかと思いますが……そういう品ですね、これは」

「ふうん、それで?」

「このスープは……うん、これはいいですね。でも、なんか違和感が」

「ほうほう」


 俺はスプーンを置いて、首を傾げた。

 塩味に落差がある。このコーンスープは、酒とは合うまい。もっと優しい味だ。


「もしかして、さっきの店長じゃなくて、別の方? 奥様とか」

「おおっ? 鋭いな、君、さすが!」


 俺の指摘に、彼は腰を浮かせて身を乗り出した。


 なんというか、味の表情が違う。

 こう、ふわっと甘い。

 酒場の料理というより、どちらかというと、前夜の深酒にやられた胃袋を慰めるような……となれば。


「そうなんだ。さっきのオヤジの奥さんがね、夜は早々に寝てしまうんだけど、朝から昼にかけて、店を仕切ってるんだ。で、酔っ払いどもにこういうのを出してくれるんだよ。柔らかいお粥とかもね」

「通ってらっしゃるんですか?」

「よく部下達と飲むんだよ、僕は。あちこちでね。でも、朝ならここがいい」


 同感だ。

 なかなか店のチョイスは悪くない。味に関しては、だが。


 場所については……この閉鎖空間、そして人気のなさ。

 少なくとも、リラックスするには向いてなさそうだ。


「いやぁ、すごいなぁ」

「すごいとは」

「君だよ、君!」


 たかが味見一つで……それとも、ホメ殺しがこいつの常套手段なのか?


「別に、子供の頃から厨房に立っていれば、誰でもわかることかと」

「そういうものかい? でも、君は薬屋の店長だったんだろう?」

「よくご存知ですね。ですが実は収容所にいた頃から、料理を仕込まれていたんですよ」


 これは作り話だ。ミルークの収容所では、ほとんど料理に携わることはなかった。ただ、そういう経歴をでっち上げておけば、多少は違和感がなくなるだろう。


「そいつは初耳だなぁ」

「どんな噂を聞いていたんですか?」

「それはもちろん」


 肩を広げ、壁に背中を預けつつ、明るい声で彼は言い切った。


「未来のギシアン・チーレムだよ、ファルス君。幼くして料理はもちろん、薬学にも通じていて、剣術にも秀でた天才児。しかも、何か魔法まで使えるらしいじゃないか」

「尾鰭がついていますね」


 ごまかせる気もしないが、一応、言い逃れをしてみようか。


「本物なのは料理だけですよ」

「ほう?」

「薬屋では、グルービーの店から仕入れた出来合いのものを売っていただけです。あとは子爵家が海上貿易で集めてきたサハリア産の薬ですね。おまけに、グルービー商会から派遣されてきた人がお仕事を仕切っていましたから。僕はお飾り同然、本当は小間使いでした」

「ふうん?」

「剣術のほうも、いろいろ噂になっているみたいですけど。自分で言うのもなんですが、所詮は子供の芸ですよ。実際、ピュリスで海賊を倒したのはバルド軍団長ですし。いろいろ言われている中で本当なのは、僕がベルノスト様に勝ったことだけです」


 その件だけは証人がいっぱいいるから、嘘は通らない。


「それだってなかなかじゃないか。二つも年上で、しかも彼はもう従士なんだしね」

「でも、これも裏があるんです」

「へぇ?」

「その日、どうもたまたまベルノスト様の体調がすこぶる悪く」

「うんうん」

「実はろくに戦える体調ではなかったのですよ。で、木剣をぶつけ合う間もなく、一人で転んでしまわれて。あれでは誰でも勝てますよ」

「じゃあ、君の魔法ってのは、なんだい? 触りもせずに倒したって聞いたけど」

「そりゃ触るまでもないですよ。勝手に頭痛でひっくり返ってしまったんですからね? でも、どうでも僕が何かすごいやり方で勝ったことにしないと、ベルノスト様の名前に傷がつくでしょう?」


 どうだ。見事に創作してやったぞ。


「ふうん」


 ニヤニヤしながらウェルモルドは聞いていた。


「でも不思議だなぁ」

「何がでしょう?」

「じゃあ、君はそんなに優秀な人間ではない、ということだ」

「はい、自分で言うのもなんですが……残念ですけど、ただの子供です」

「そのただの子供のために、どうして子爵家はそんな途方もない法螺話をくっつけたんだろうね?」

「それは」


 大丈夫。すぐ言い訳は思いつく。


「サフィス様は見栄っ張りですからね」

「ふむ」

「それに、イフロース様としても、自分の年齢を気にしているようでして」

「ほう?」

「自分がいなくても、エンバイオ家には将来有望な下僕がいるぞ、と触れ回りたいのです。いわゆる張子の虎ってやつですね」

「ははっ!」


 ウェルモルドは笑った。


「なるほどね。でも、君の言った事が全部本当なら、やっぱり君はなかなかに有望だよ」

「どうしてですか?」

「十歳になるかどうかの子供が、そんなにスラスラと説明できるものかな」

「貴族の下僕とは、そういうものですよ」


 実際、リリアーナなら、これくらいの切り返しは余裕でやれるだろうし。


 子供は愚かなわけではない。経験が不足しているだけだ。知識も少なく、限られた環境でしか生きていないから、結果として判断力が低くなる。

 考えてみればわかることだ。前世の先進国のエリートが、英語も通じない貧しい途上国に行けばどうなるか? 幼い少年の窃盗犯相手にキリキリ舞いさせられるだろう。少年はスラムに適応し、エリートにはその経験がない。限られた環境では、子供の能力は大人と遜色ない。

 生来利発な子供であればだが、ずっと貴族の横で生きてきたのなら、この程度の適応はできて当たり前だ。


「納得はできる。けど、君の話は嘘だ」

「なぜそう思うんです?」

「君が本当に貴族の下僕として振舞っているなら、僕にこんな話はしないよ。何しろ、僕は長子派の将軍なんだからね」


 敵対派閥の人間に情報を漏らすなんてあり得ない? いいや。


「そうは言っても、先日も邸宅にいらしたではないですか。あれはてっきり、太子派に鞍替えしたいのかと」

「ははっ」


 手元のフォークでソーセージを突き刺して、一口。頬張りながら、彼は言う。


「僕があの屋敷に顔を出したのはね」

「はい」

「たった一つしかないんだよ。目的は」

「はい?」


 彼は茶目っ気を感じさせる表情を浮かべて、俺にウィンクしてみせた。


「君だよ」

「は?」

「君。実物の君に会いたかったんだ」


 これは……

 まずい。肝が冷える思いだ。


 こいつは俺を付け狙っていた。それも、俺が考えるよりずっと前からだ。

 だが、何のために?


 一つ、はっきりしていることがある。

 ウェルモルドにとって、俺は無視できないほどの力を有した人物だ。近衛兵団の軍団長という重責を担い、忙しさに追い回されながら、なおも俺を捕まえようと待ち構えていた。

 中途半端なごまかしは、もう通用すまい。彼は確信しているのだ。


「君と話をしたかったんだ。一度、ゆっくりね」

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