夜明け前の繁華街にて

 東の空が白み始める。軒を連ねる家々の屋根に、うっすらと白い光の線がかかる。

 仮眠から目覚めて、俺は窓の外に目を向けた。夜明け、か。


 家の中は静まり返っていた。重い空気がズシリと腰を据えて、動かない。

 ここは王都でも指折りの高級娼婦の自宅兼仕事場だ。上品で古めかしい木の椅子とテーブル。きっと南方大陸からの輸入品であろう、エキゾチックな香炉。ちょっとかわいらしいあのティーカップは、自分用だろうか。

 ここもキースの拠点の一つなのだろう。前世でもそうだが、こちらの世界でも、強くて稼げる男は、モテる。彼のようにアグレッシブで、自分の優越性を信じて疑わない男は、女にとっては輝いて見えるものだ。しかし、ここの主と彼との関係は、どんなものなのだろうか?


 まず女のほう。実物を見たわけではないが、美人なだけでこの身分にはなれまい。貴族や大商人……そこまで行かなくても、客は富裕層だ。それなりに頭がまわる女に違いない。となればキースに対しても「凄い男に憧れる女の子」という姿を演じるだけの魔物かもしれない。

 キースも、相手がそんな女だと承知していて、あえて関係を持っている。多分だが、彼は彼で、これからの王都の情勢を読み解くために、彼女と過ごすつもりだったのだ。金には困っていないキースだが、無駄遣いが好きなはずはない。単に夜の相手が欲しいなら、それこそ前にもしていたように、適当な部屋に適当な女を連れ込めば済む。

 ただ、今のキースは、情報を追いかけるだけの立場でもない。一流の戦士として知られているのだ。当然、その高級娼婦を通じて、自分の情報が他所に垂れ流されることも意識している。


 なので今頃、その美女とイチャつきながら、頭脳戦を繰り広げているに違いない。


 俺のほうはというと、そこまで捗々しい成果が上がったわけでもない。


 近所の娼婦と、彼女らを買う傭兵達の頭の中なら、覗き見た。

 まず確認したのが、デルムの死亡情報だ。キースが俺にでまかせを言ったのだとしたら。そうでなくても、彼が勘違いしていた可能性もある。だから、近隣の人々の記憶を借りて、調べてみた。

 残念ながら、キースの言った通り。俺と出会うはずの、ほんの二、三時間ほど前に、死んでいた。


 そこからは自力での情勢調査だ。

 わかった範囲で、三つか四つほどの傭兵団が、わざわざ国境を越えて王都に集っている。それぞれの規模から判断すると、今、この街には全部で一千人ほどのならず者が結集している。


 だが、たった一千人だ。それに、心を透かしてみた限りでは、彼らの大半は浮かれきっている。緊張感など、まるでない。

 それも無理はない。彼らの大半は、既に聞いた通り、「お飾り」にするために集められたのだ。戴冠式の後のパレード。そこでは貴族達も自分に仕える騎士や兵士達を並べるのが通例だ。しかし、年金貴族どもには、そもそもお抱えの郎党なるものが存在しない。いても数人だ。だから、今だけ部下を水増ししたい。領地があれば農民から仕立ててもいいのだが、彼らは装備をろくに持っていない。支給するにも金がかかる。それで傭兵どもを抱え込んでいるらしいのだ。


 とはいえ、それだけ外部の人間がやってきて、果たして治安上の問題はないのか?

 王都に駐留する正規兵の数だけで一万四千程度。もし傭兵がすべて一人の雇い主に率いられて行動したとしても、さすがに数が違いすぎる。小さな暴力事件ならいざ知らず、国家転覆といった大事件を起こすには、少々頭数が足りない。

 他に武装した人間はいないのか? 普段から王都を拠点に活動している冒険者なら数百はいる。それから、貴族達が都入りする際に連れてきた私兵達。ただ、この私兵も、人数はそんなに多くない。フォンケーノ侯のような大貴族であっても、多くてせいぜい百人程度。他はもっと少ない。当たり前の話だが、雇い主の側からすれば王都での滞在費が嵩むし、貴族の私兵で王都がいっぱいになるなんて、そんな危なっかしい状況を、王家が許容しない。


 要するに、王家直属の軍以外では、せいぜい一個軍団に相当する程度の兵力しか、ここには存在しないわけだ。これでは、たとえ武装蜂起しても、タンディラールが近衛兵を派遣すれば終わりだ。自分に忠実な第一軍を派遣する必要はない。正当な治安維持のためだから、誰に命じてもいい。ウェルモルドでもいいし、アルタールにやらせたっていいのだ。

 仮に長子派が牙をむいたら? ウェルモルドが自分の軍団を掌握していて、王宮を襲ったら。最初の奇襲がうまくいって、段取りよく太子以下重要人物を皆殺しにできれば別だが、さもなければ、ラショビエが盾になる。

 外部からの傭兵どもはアルタールが、長子派の反乱軍はラショビエが。とりあえず抑える事ができる。戦局が膠着するとどうなるか。時間が経てば経つほど、大義名分を持たない側が弱くなる。聖林兵団のゼルコバも戻ってきて鎮圧に協力するだろうし、近衛兵団には第四軍、第五軍もある。周辺の貴族も、王家を守るために動く。スード伯はもちろん、普段から独立勢力たることを誇りとするフォンケーノ侯でさえ、手を貸さないわけにはいかなくなる。

 ティンティナブラム伯の軍が来たら? タイミングがよっぽど噛み合えば別だが、さもなければ連合軍に踏み潰されて終わりだろう。それに何かあれば、疾風兵団から各地に救援依頼が飛ぶ。これが決定的だ。


 政権交代に伴う武力紛争なんて、それこそどこの世界でも起きてきた、ありきたりの出来事でしかない。だからこそ、それに対する備えもまた、誰もが考える。タンディラールだって馬鹿じゃない。無傷で戴冠する道筋を、ちゃんと描いている。

 だから何も起きそうにない。いや、起こせない。キースの言葉がなければ、そう報告していただろう。娼婦達を通してみた傭兵どもの姿は、まるで戦いに赴く覚悟を感じさせなかった。


「……帰るか」


 少し眠い。三時間くらいしか寝ていない。

 傭兵どもはこれから昼前まで寝るからいいが、俺はこれから帰って、屋敷で報告しなければいけない。その後も必要があれば動き続けることになる。

 もともとそんなに簡単に情勢をつかめるはずもない。イフロースにしても、あてにしていたデルムが死んだ以上、この程度の結果でも許してくれるだろう。


 扉を開ける。朝のひんやりした空気が心地よい。パタンと閉じる木の扉、その響きもまた軽やかで小気味良い。

 静まり返った朝の街を一人歩く。人気がなく、空気も澄んでいる。


 だが、少し先に進むと、途端にぶち壊しになった。

 夜明けまで飲み続けたバカな傭兵どもが、路傍で吐いている。半裸で寝転がっているのもいる。路上でジョッキを持ったまま、ごちゃごちゃと騒ぎながら飲み続ける連中も目に付いた。

 キースの言う通り、バカのやる仕事、か。いつもいつも日雇いで、収入は努力や信用、蓄積より、その時の運に左右される。少なくとも、そういうものだと感じている。だから、自分の健康や生活習慣を省みない。ましてや態度や品位となれば、尚更のこと。


 怒号が聞こえた。

 ふと見上げるが、どうってことはない。酔っ払い同士の喧嘩だ。


「あんだとてめぇ」

「ばーか、金で股開く女に何熱くなってんだよ、カス」

「うっせぇよ、この」

「俺が相手でもヒィヒィ鳴いてたっつっただけだろ? 覚えたての元童貞君が、調子づいてんじゃ」


 いきなりパンチだ。


「うおっとぉ」

「歳食っただけのフニャチン野郎が! よけんじゃねぇ」

「いい度胸してんなぁ、おい?」


 次の瞬間、二人がガツンとぶつかり、途端に取っ組み合いを始める。


「へはっ、始めやがった」

「バカだな、おい」

「賭けるか? 賭けようぜ?」

「よっし、やれ! やれ! 金玉蹴り上げろぉ!」


 揉め事は揉め事を呼ぶ。周りで囃し立てる傭兵どもだが、どっちが勝つかで賭けまで始めた。だが、これでどっちかが勝って、誰かが損をすると、それでまた喧嘩を始めるのだろう。

 見苦しい。巻き込まれないよう、さっさと立ち去ろう。


 その時。


「おい……そこのガキィ! 何見てんだオラァ!」


 目は逸らしたのに。

 喧嘩するなら勝手にやってくれ。俺は関係ないし、関係しないから。


「なーんかいいとこの坊ちゃん? いい服着てんじゃねぇか」


 俺の前を塞ぐように、上半身裸の男が二人。酒臭い。


「こいつ、なんかムカつく顔してね?」

「おう、なんかそんな感じするなァ」


 この酔っ払いが。

 排除するのは難しくないが、そのせいで余計にクズどもが寄ってくるのは避けたい。

 激痛……いや、眠ってもらったほうがいいか? ちょうどよく酔っ払いだし。


「通してください」


 一応、声はかける。


「ああ? 通行料、金貨百枚な」

「ギャハハ!」


 まったく。


 少し離れた場所では、さっきの二人が殴り合いをしている。若い方が馬乗りになって、相手の顔を殴打している。周囲の数人が、それを肴に酒瓶を一気飲み。

 なんといったらいいのか。娼館で観察した連中と違って……こいつら、妙に殺気立っている。


「どこ見てんだよ、ガキ」


 肩を掴まれた。

 しょうがない……


 ドガン! と轟音が響いた。


「てめぇら、うるせぇ」


 低く響くだみ声。それだけで言葉を発した本人の体格がわかるような。

 案の定だった。樽のような体格の男が姿を見せた。


 あの果物屋のオバちゃんの記憶にもあった男。頭に毛がまったくなく、首が太い胴体の中に埋まってしまっている。上半身にはシャツ一枚の上に、鋲を打った革ベルトのようなものがいくつも巻きつけられていた。そして成人男性の上半身がすっぽり収まるほどの巨大な斧を、軽々と携えている。

 こいつが、あの男……


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 ドゥーイ・デクール (38)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、38歳)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク7)

・マテリアル 神通力・高速治癒

 (ランク3)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル 指揮     2レベル

・スキル 管理     1レベル

・スキル 戦斧術    6レベル

・スキル 盾術     5レベル

・スキル 格闘術    6レベル


 空き(28)

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 ……『屍山』ドゥーイ、か。

 醜悪極まりない外見だが、その肉体の性能は優秀の一語に尽きる。怪力、そして高速治癒と、二つもの神通力に覚醒しているからだ。見た目もそうだが、まるでトロールみたいな奴だと思った。


 マオが教えてくれた限りでは、神通力とは、特定の行動を特定の条件、手順で行うことで、いきなり獲得され得るものだという。そして、その目覚め方には個人差がある。同じ儀式を行っても、うまくいく人といかない人がいるのだ。

 どう見てもフォレス人かルイン人にしか見えないドゥーイが、マオのような南方出身者の指導を受けたとは考えにくい。となれば、ジョイスみたいに偶然目覚めたと考えるのが自然か。

 或いはパッシャの関係者の力を借りた、という可能性もないでもないが、あの闇の秘密結社は、既に成功した人物と契約することはあっても、これから伸し上がっていこうとする傭兵に手を貸すとは、ちょっと思えない。つまり、ドゥーイが有名になれたのは怪力のおかげだろうが、その怪力に覚醒する前に出世していないと、パッシャに注目されないから、順序が噛み合わないのだ。


 ドゥーイの人生に何があったかはわからない。だが、とにもかくにも、彼は超人的な怪力を手に入れた。あのランクから推定するに、彼が有する身体能力は、俺が魔法薬を用いて得ていたそれを遥かに凌ぐものだろう。なるほど、キースが苦戦したというのも頷ける。


 しかも、高速治癒の能力まで併せ持っている。以前、キースは傷をつけてやったと言っていた。確かによくみると、ドゥーイの顔の右頬から首筋にかけて、何かの痕が残っている。だが、パッと見ただけでは、それが刀傷とは気付けない。あっさり治ってしまったのだろう。どうやらドゥーイは、並外れて打たれ強いようだ。


「俺様の許しもなく、勝手に暴れんじゃねぇ」

「へ、へぇっ」


 背は高くない。だが、横に広い。そのせいか、妙に迫力がある。


「そこのカスども。ガキ相手にコナかけてんじゃねぇ」

「はいっ、ボス!」


 彼らがドゥーイをどう思っているか、それがすぐに理解できる反応だ。

 キースが言った通りの人物なら……邪魔な部下は、敵と一緒にまとめて殺したりしていそうだ。


 とはいえ今回は、どうやら運よくこの男に助けられたようだ。

 ありがたく、ここは帰らせて……


「待て」


 誰に向けた言葉だ?

 まさか。


 ドゥーイは俺を見ていた。


「そこのガキ、お前だ」

「えっ? は、はい」


 目立ちたくはない。ドゥーイも、仮に何か悪意があっても、実際に俺に手出しはしないだろうとは思うが。キースの言う通り「本気」なのであれば、こんなところで小さなトラブルは起こさないはずだからだ。


「お前、誰だ」

「僕は、貴族の下僕をしています」

「こんな時間に、なんでこんなところ、ほっつき歩いてるんだ」

「お使いを命じられたのですが、夜、暗かったのもあって、道に迷っていました。明るくなったので、今、お屋敷に帰るところです」


 スラスラと言い訳を述べた。


「お前ら」


 俺の目をじっと見てから、ドゥーイは周囲に言った。


「このガキ、普通じゃねぇぞ」


 な、に?


「おい、ガキ、名前は」


 どうしよう? 名前?

 嘘を……いや、ファルスなんて名前は、別に珍しくもない。名乗ってしまおう。姓さえ言わなければ。


「ファルスと申します」

「よし、帽子を取れ」

「え?」

「取れっつってんだ」


 こいつ……俺の情報を持っている?

 誰から? どこから?

 黒髪を確認しようとしているのは間違いない。


 どうする? 逃げるか? 何のために?

 それとも、魅力的な神通力を奪う? だが、軽はずみにはできない。


 ドゥーイの人生を思いやってのことではない。まだ、彼を呼びつけた貴族がどちら側の人間なのか、わかっていないからだ。もし、長子派が武力に訴える準備を積み重ねていて、それに対する抑止力として太子派が呼んだのだとすれば、俺は自分で戦力を削っていることになる。

 何より、こいつは俺のことを知っている可能性がある。それが「俺と出会った直後に弱体化」なんて。自分で秘密を垂れ流しているようなものだ。


 では……


 俺は素直に帽子を取った。


「……ふうん」


 ドゥーイは俺をじっと見た。品定めするように。


 見られたからって、どうということはない。どうせいざとなったら俺に隠れる場所などない。いつもサフィスやリリアーナの近くにいるから、「あの子供が」とすぐ正体を見抜かれる。


「おめぇら、どけ」


 その一言で、傭兵達はすっと左右に分かれた。その真ん中を、ノッシノッシと歩く。


「きれいなツラのガキじゃねぇか」

「どうもありがとうございます」


 どういうつもりだろう? いくら荒くれ者の傭兵だからといって、ここでいきなり俺を殺すなんて、できるはずもないのだが。


「お前」

「はい」

「飯、食ったか?」

「はい?」

「朝飯済ませたかって言ってんだ」


 まさか俺とお友達になりたいんじゃなかろうな? まさか。


「いいえ」

「じゃあ、食ってけ」

「いえ、結構です」


 俺の拒絶に、周囲の男達がざわめいた。


「……いい度胸してんじゃねぇか」


 え?

 口元は笑っている。だが、目元が激怒している?

 断っただけで、これ?

 どれだけ気が短いんだ!?


「お屋敷に早く戻らないと、主人に叱られますので……どうかあしからず」

「関係ねぇよ」


 きた。ならず者の定番だ。

 お前の都合なんか関係ない。俺の言う通りにしろ。……こういうゴリ押しが一番困る。理屈で説き伏せることができないからだ。


「いいから来いや」


 そう言いながら、ドゥーイは手を伸ばす。

 まずい。あれに捕まったら。

 怪物並みの腕力だ。絶対に逃げられない。


 その時、トーンと太鼓の音が聞こえた。

 続いて無数の足音。


 街角から、二十人ほどの兵士が姿を現した。

 金ピカの鎧に兜、その合間に覗く赤い着衣。近衛兵団だ。


「チッ」


 ドゥーイが手を引いた。


「何をしている!」


 先頭に立つ兵士が、凛々しい声を響かせる。


「……何もしちゃいねぇよ」


 今度こそ不機嫌そうに、ドゥーイは背を向けた。

 そして、近衛兵団の兵士達は俺を見た。


 いかにもいいところの坊ちゃん。でなければ貴族の下僕。そんな子供が、どうしてこんな早朝に繁華街をうろついているのか?

 兵士達の目が、そう言っている。


「少し話を聞かせてもらおうか」


 相手がならず者の傭兵ならいざ知らず。

 これには逆らうことなどできなかった。

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