あつかましい男

「やぁ、これはどうも」


 お茶を差し出されると、彼はいちいち頭を下げた。相手は貴族でもなければ騎士でもない。ただの使用人なのに。


「素晴らしい邸宅ですね、サフィス様」


 ずっと年下の相手に、ウェルモルドは笑顔でお世辞を口にした。


 一見して、地味な印象の男だ。決して美男子とはいえない。やや毛深く、頬が張っている。短めの髪の毛は限りなく黒に近いこげ茶色で、天然パーマかつ相当な剛毛だ。それがポマードでも塗りつけたかのように、頭に張り付いている。

 肌の色も、夏のビーチで日光浴でもしてきたかのような小麦色。フォレス人としては色黒といえる。だが、内勤が多い近衛兵団の軍団長だから、日焼けする機会が多いわけではない。

 これは彼の出自によっている。ウェルモルドの父親はフォレス人とサハリア人のハーフで、母親もサハリア系。生まれも育ちもエキセー地方だが、血筋だけなら、ほぼサハリア人なのだ。

 服装も、先の二人に比べると、地味だ。明るい茶色の、こういってはなんだが、あまり見栄えのしない外套を羽織っていた。中には、一応襟こそついているものの、ほぼただのシャツと言っていいような、つまらない上着を身につけている。


「貴殿も近衛兵団を率いる身の上ならば、貴族の壁の内側にお住まいだろう。違いはあるまい」


 サフィスは、あえて尊大な口調で接している。いきなりの訪問客の、この馴れ馴れしい態度。警戒しているのだ。


「いえいえ、私はこの通り、一人身ですから、壁の内側には部屋が一つきりですよ」


 クレーヴェと同じ、か。お金のない貴族は、週一回の参内のために、貴族の壁の内側にワンルームマンションを借りる。ウェルモルドは騎士であって貴族ではないが、王宮の警護を任される身分だ。壁の外で暮らすわけにはいかない。


「っと、失礼して……ああ、これもいいお茶です。上品な香りだ。それに、カップのご趣味もなかなか」

「ブルンディリ殿」


 相手が名前で呼びかけるのに対して、サフィスはあえて家名で呼びかけた。


「それで、このような時間に、どのようなご用件で」

「たいした用事ではございませんが」


 周囲を見回しながら、ウェルモルドは続けた。


「近頃の王都は、治安悪化が叫ばれておりまして。差し出がましくはありますが、より一層の注意喚起をと、貴顕の方々のお宅を回らせていただいている次第です」

「であれば、心配には及ばない。先ほど、ラショビエ殿がお見えになった」


 サフィスは、いちいち政敵の名を挙げた。

 こういうところは、やはりサフィスも貴族なのだと思う。彼からすれば、ウェルモルドと接触している状況自体が好ましくない。もし、この男の目的が、太子派への揺さぶりにあったとしたらどうか。タンディラールが自分に疑心を抱いたら?

 だから、一刻も早く追い返す。


 そんなサフィスの思惑を承知してか、彼の腰はなかなかに重かった。


「なるほど。ですがオヴェリング殿には、仕事がたくさんありまして。一人では、あちこち見て回るのにもご無理があるでしょう。幸い、近衛兵団には五つも軍団がありますからね。となれば、忙しい折には、私のような者でも、多少の役には立てるというものですよ」


 彼の狙いがどの辺りにあるのか。

 だが、ちゃんとした手続きなしに彼の心を読み取るのは、難しかった。


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 ウェルモルド・ブルンディリ (40)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、40歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル 指揮     6レベル

・スキル 管理     6レベル

・スキル 政治     5レベル

・スキル 剣術     5レベル

・スキル 弓術     4レベル

・スキル 格闘術    4レベル

・スキル 商取引    4レベル

・スキル 騎乗     3レベル

・スキル 料理     2レベル

・スキル 裁縫     1レベル


 空き(27)

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 能力が高すぎるのだ。武人としてはそこそこ、だが指揮官としては一流だ。

 そのため、すっと覗いてみた程度では、ほとんど何もわからない。断片的な意識が浮かんで消えるのが垣間見える程度だろう。


 もちろん、グルービーから奪った精神操作魔術の力は、その程度ではない。ちゃんと詠唱もして、ゴリ押しで無理やりいけば、彼の心の中を見通すことも、不可能ではあるまい。ただ、そこまでやってしまうと、ほぼ間違いなく、何をされたか知られてしまう。本末転倒だ。第一、俺は奴の目の前に立っている。


「ブルンディリ殿、ここは王都の中心、貴族の壁の内側だ。王家の権威と力を信じる私達には、これ以上の保護は必要ない。それに、ここには私を守る者がちゃんといる」


 最後の一言は余計だった。


「おお! ……では!」


 喜色満面、ウェルモルドは立ち上がり、脇に立つイフロースに手を伸ばした。


「あなたがあの! サウアーブ・イフロース様ですか! いやぁ、光栄だ。かつての武勇伝の数々は、こんな私でも知らずにはおりません。是非、お近付きになりたいものと、前々から思っていたところです!」


 イフロースとしても、警戒する気持ちはあるのだが、こうも無防備に手を差し出されては、振り払うわけにもいかない。無言で手をつかまれ、そのまま握手までしてしまった。


「そういえば、サフィス様」


 この遠慮のない客には、まだ注文があるらしい。


「この前の、海賊どものピュリス襲撃の後、金貨三万枚を街の復興のため寄付した少年がいるとか。それは、どちらにいるのでしょうか?」


 こいつ……!

 こっちをチラ見してから言いやがった。


「そこのファルスのことか」

「おお! では、やはり君がそうだったのか!」


 すっと目の前でしゃがみこみ、俺の手を取る。


「若年ながら海賊どもに立ち向かったという……いやぁ、サフィス様、エンバイオ家は英傑揃いですね!」

「それはどうも」


 図々しくても、全て褒め言葉。無作法ではあっても、無礼ではない。ゆえに否定もできない。


 座り直し、ウェルモルドは一方的に話し続けた。


「しかし、何よりの逸材……いや、こんな表現では失礼極まりないのですが、やはり優秀な人材を抱えているというのは、当主が優れていればこそですよ」


 そう、優れた当主、つまり先代の力だ。

 イフロースに、カーンに、それからもういなくなったが、フリュミーも。


「つまり、一番の逸材は、サフィス様、あなたに相違ありません」

「買い被りですね」


 突き放すような冷たい声。お世辞に弱いサフィスといえど、さすがにそこまで馬鹿じゃない。

 この一言がタンディラールから出たものなら、彼も有頂天になるだろう。だが、明らかに身分も下、しかも政敵の口からの心にもない言葉となれば。


「それよりブルンディリ殿、これ以上お時間をかけては、何かと不都合もおありだろう。そろそろ」

「いやいや、問題ありません。ただ、サフィス様、お願いがあるのですが」

「なにか」

「そろそろいいお時間でもありますが、もしよろしければ、夕食にお招きいただけないでしょうか」


 まさかの申し出に、サフィスもイフロースも、目を白黒させる。


「あ、ああ、申し訳ないが、その」


 サフィスは言い訳に困って、イフロースのほうを見る。


「申し訳ございません、ブルンディリ様。これは私の不手際ですが、なにぶんにも今日は私どもも王都に到着したばかりで、お客様をお迎えする準備など、まるで整っていないのです」

「おお、それはそれは」


 と、それで引き下がるかと思えば、この男。


「ということは、今夜は他に面会の予定もおありでないと。いや、女神様がいい機会をくださったのですね」


 そういう解釈をするか。

 来客の予定があれば、さすがに彼もこんな不躾なお願いはできない。しかし、今回の王都滞在は短期でもあり、何より国王の死も近いとあっては、浮かれてパーティーというわけにもいかないのが普通だ。だからサフィスも予定を入れていなかったのだが、彼はそこに付け込んだのだ。


「い、いや、ブルンディリ殿」


 咳払いして、サフィスはもう一度言う。


「ご理解いただきたいのだが、いやしくもエンバイオ家は貴族だ。となれば、客を迎えるにもそれなりの華やぎがなくては、恥となる」

「なんと!」


 ガバッと立ち上がり、まるで道化役者のように足をガニ股に開いて体をピタッと硬直させ、ウェルモルドは笑顔で言った。


「どうやらサフィス様は、随分と欲張りでいらっしゃる!」

「な、なんのことだ」

「華やぎならば、既におありでしょうに」


 そう言いながら、彼は視線をこちらに向けてきた。


「サフィス様、形だけの歓待など必要ありません。今夜は、ぜひお抱えの豪傑の方々のお話を聞かせていただきながら、一杯といきたいものですね」

「い、いや、華やぎというのは……それなりの料理も出せないでは、とてもではないが」

「いやいやいやいや、サフィス様、それこそ見当違いというものです! やもめ暮らしの四十男、いつもは狭い狭い部屋の中で、パンとスープだけの侘しい食事を一人で済ませているのです。こう、ですね、無作法ですがご容赦くださいよ?」


 そう明るい声で言うと、彼は片手でスプーンを掴むふりをして、もう片方で何かを抑えるしぐさをした。


「あんまり寂しいもので、パンをかじったりスープを飲んだりするのに左手、右手はというと、本を読みながらですよ! こう、家族団欒の物語を読みながらとかですね……ははっ、寂しい食卓がもっと寂しくなる!」


 どれだけピエロなんだ? 本職は軍人じゃなくて、芸人か乞食じゃないのか?

 なりふり構わない、というのは、まさにこいつのためにある言葉だ。


「というわけで、サフィス様」


 両手をがっちりと組んで、お願いのポーズをとる。


「どうか哀れなウェルモルドに、恵みの手を」


 ここまで露骨に懇願されてしまっては、拒絶するのも体裁が悪い。一度の食事を求める客をすげなく追い払う。食うに困らない貴族が、そんなみっともない真似などできない。

 溜息をつきながら、サフィスは首を振った。


「女神がお決めになったことだ」

「おお! ありがとうございます!」


 突然の来客とはいえ、セーン料理長の仕事に抜かりはなかった。俺の手を借りるまでもなく、手早く人数分の食事を用意したのだ。そう、子爵一家に加え、あと三人分。

 ウェルモルドが是非に是非にとやかましく喚きたてたせいで、俺とイフロースは、あろうことか、主人の一家と食事をともにする破目になったのだ。


「うっわ、味が違う、味が……っと、失礼しました、あんまりおいしいもので、つい」


 いちいちリアクションが大袈裟な男だ。

 しかし、この小者じみた振舞いに騙されてはいけない。ピアシング・ハンドは、この男が一流の人物であると伝えてきている。となれば、この道化っぷりにも、なんらか目的があるはずだ。


「い、いや……我が家のように寛いでいただけているなら、それが何より」


 顔をひくつかせながら、サフィスが微妙な笑顔でそう応じる。

 他には、誰も話そうとしない。エレイアラは何も言わずに静かに座っているし、今回はリリアーナも、ウィムも、ただ食べているだけだ。そして、客の両脇を固める俺とイフロースは、とにかく居心地が悪くて肩が凝るばかり。


 この狭い王都の屋敷には、これだけの人数が一度に飲み食いできるパーティー用のスペースがない。唯一、広い空間がこの中庭だ。だから、大きな丸テーブルを用意して、無理やり席を設けた。だから頭上は真っ黒な夜空だ。今夜は星明かりさえ見えない。

 そんな空間で、活発に話すでもなく、ただ食卓を囲む。晩夏の夜、汗ばむ背中を、ふと冷ややかな風が撫でていく。


「いやぁ、自分でも料理はするんですけどね、こんな味は出ません」

「なるほど、ブルンディリ殿は軍人ですからな……しかし、そういう雑務は配下の者にさせれば済むのでは」

「遠征中などはそうですが、どうしても王都にいると、一人暮らしなもので、つい」


 ウェルモルドは独身らしい。しかし、だからといって自分で料理を作るか?

 身分に相応しくない。だいたい、彼がそこまで貧乏なはずはない。


 ……身分、という言葉が意味するものは、場面によって様々だ。

 ここがエスタ=フォレスティア王国である以上、頂点に立つのは国王に他ならない。それに続くのが王太子を初めとした王族、そして貴族達だ。

 しかし、国家を運営するシステムという視点で考えると、そうした身分制度だけでは表現できないものがある。即ち、職権だ。


 権威においても、権力においても、頂点に立つのは国王だ。そして、それに次ぐ権威を誇っているのが王族であり、四大貴族に代表されるような世襲貴族達だ。

 だが、王国における「権力」という点について考えると、そう簡単には片付かない。


 例えばフォンケーノ侯は国内最大の貴族で、圧倒的な権威を身に纏っているが、王国官僚としての職務を何一つ得ていない。息子達にしてもそうだ。跡取りのエルゲンナーム、そのスペアのグディオには、意図的に官位を授からないようにしているし、恐らくドメイドは能力的な問題で、やはり官職を得ていない。末子のシシュタルヴィンに至っては、まだ学生だ。

 その点では、スード伯もティンティナブラム伯も同様だ。前者にはそもそも跡取りすらいないし、オディウスには長男が一人きりで、それも官位に就かず、父の名代ということで、実質無職のまま。

 そして四大貴族の最後の一人、ファンディ侯だけは官僚でもあるが、財務副大臣だ。つまり、トップではない。


 では、各大臣の顔ぶれはというと、さすがに最高位の大臣にはそれなりの貴族が選ばれている。それに次ぐ副大臣もそうだ。その下のポスト、つまりサフィスのような地方長官や、中央の財務卿達など。これも通常、貴族がなるものだが、この辺りから、中小規模の家柄が目立つようになる。

 そのすぐ下、序列で言えば四番目のところに、各兵団の軍団長が位置している。騎士階級出身であれば、ここらがキャリアの終点だ。ちなみに、武官の出世はなかなか厳しくできていて、その上の校尉には定員五名のところ、現在二名しか就任していない。もちろん、どちらも貴族だ。更に副大臣相当の護国将軍、大臣にあたる大将軍に至っては、ここ十年以上、空席のままだ。


 上がいない以上、決定は国王か、現場が行うということだ。そして校尉の地位にある人物は、いずれも王都にはいない。ルアール・スーディアとトーキア特別統治領、この二つの重要拠点に張り付いたまま。マクトゥリア伯が言ったように、仕方なく各軍団の代表者が話し合って方針を決めている。要するに、軍団長の地位にあるウェルモルドは、軍部において大きな権力を握っているのだ。

 しかも、中央の武官だ。かつて財務卿だったフィルがピュリスの長官になったのを、サフィスは「都落ち」と認識しているが、同じ階級でも、中央と地方では全然違う。聖林兵団のゼルコバより、圧倒的に上位であるとみなせるのだ。


 そんな上級武官が独身で、ワンルームマンションに暮らし、自炊しながらなんとか食っている。だが、前世日本でいうならキャリア官僚みたいなものだ。いや、もっと上か。身分制社会なだけあって、公務員の給料は安くない。無論、貴族ほどの金もコネもないから、大金持ちとはいえないが。

 それでも、その気になれば、もう少し広い家にだって住めるし、専属の料理人も雇える。服だって、今日みたいにみすぼらしい格好でいる必要なんかないはずだ。それに四十歳という年齢でも、お見合い相手には困るまい。さすがに貴族の家柄からだと厳しいが、騎士階級か庶民が相手なら、若くてきれいなお嬢さんを狙えるだろう。


 なのにどうしてわざわざそんな惨めな生活を?


「貴殿のような身分の人物が、戦場でもないのに自分の手で料理などと……名誉ある軍団長の地位に相応しくない振る舞いだな」


 貴族らしい価値観で、サフィスはそう言った。いや、なじったのか。


「いやぁ、これがなかなか、自分でやってみると、楽しいものなのですよ! それに奥が深い……ねぇ、ファルス君?」


 げっ、こっちに話が飛んできた。


「は、はい」

「どうしたら、こんなにおいしいスープを作れるようになるのかな」

「そっ、それは……」


 俺のこともきっちり調べてから来たらしい。


「細かいことを言えばきりがありませんが、丁寧に作業する、ということに尽きます。スープなら、火加減が重要ですから、何より鍋から目を離さないこと。面倒がらずにアクを取り、決してぐつぐつと煮立たせてしまってはいけません」

「ふうん、なるほど。そのせいかな、私はいつも、時間がなくて適当に済ませてしまうんだ」


 男の一人暮らし、それも彼の身分を考えれば時間だってそんなにはないはず。料理にかまけている余裕などないだろうに。


「なんとも羨ましい限りです。サフィス様は、何もかもを持ち合わせていらっしゃる」

「貴殿にはそう見えるのかもな」

「私でなくてもそう思いますよ! 立派な邸宅、おいしい食事。お美しい奥方に、かわいらしいお子さん方。頼りになる下僕達。貴族の称号に領地、そして何より、王太子殿下のご信頼とご寵愛。光り輝いているではありませんか!」


 確かにサフィスは、この世界では、生まれながらの勝ち組だ。とはいえ、ウェルモルドが褒め称えたものの実態はというと。

 一年に一度使うかどうかなのに、高い家賃を請求する王都の邸宅。エレイアラはどこに伴っても恥ずかしくない美人だが、いまや絶賛家庭内別居中。同席している下僕にしても、かたや口うるさい執事、もう一人も得体の知れない怪物。貴族の称号は子爵で、つまり分家に過ぎず、投票権もない。領地は、ほとんど収入に貢献しない王国北西部の鄙びた盆地。タンディラールはサフィスを信頼しているのではなく、本当は侮っている。だから適当にあしらっているだけ。

 すべて表面だけの幸せだ。少なくとも、俺にはそう見える。彼の賞賛に相応しいものは、この場に並べられたセーンの料理だけだ。


「ときにサフィス様」

「なにか」

「今更ではありますが、昨年末の事件はお気の毒でした」


 グルービーの手によるピュリス襲撃だ。


「あ、ああ」


 あれで家庭内不和も決定的になってしまった。面目も潰れた。思い出したくもない事件だ。


「ですが、伝え聞くところによると、海賊どもの討伐で一番活躍したのは、子爵家の豪の者達というではありませんか。閣下の指揮が冴え渡っていた証拠ですね!」


 一瞬、サフィスは硬直した。謙遜する余裕すらなかったようだ。


「ブルンディリ殿、あれはただの不幸に過ぎなかったのだ。その中でいくら武功をたてようと、空しいだけではないか」

「さすがはサフィス様! 確かに、おっしゃる通りです。街に大きな被害が出てしまったのですから。いけませんね、武人というものは……勝った負けた、それしか考えられませんもので」


 嫌なことを思い出させやがって……そんな心の声が聞こえてきそうな顔。サフィスは口を噤んだ。


「しかし、一軍人として言わせてもらえるなら、海竜兵団の醜態は、見られたものではありませんね。賊どもに基地を乗っ取られるなんて、赤っ恥ですよ」

「私の管理不行き届きだな?」


 皮肉っぽくサフィスが応える。


「いやいや、閣下はちゃんと取り返したではありませんか。なんでもこちらの」


 ウェルモルドは左右を見回しながら、夢中になって……いや、夢中そうな態度で続けた。


「海賊どもの頭目を、こちらのファルス少年が討ち取ったとか。まだこんな幼さでよくもやったものです」

「ブルンディリ殿、それは誤解だ。実際に首級を挙げたのは、バルド殿だ」

「おや? そうでしたか?」


 その通りだ。あのハゲ男は、やはりというか、基地奪還、首領討伐の功績を盛んにアピールした。あれが適切な判断だったかどうかは別として、実際にタロンの首を吹っ飛ばしたのは、バルドに違いない。


「ですが、聞いた話では、頭目を斬り伏せて膝をつかせたのは子供だったと」


 やたらと詳しい情報を持っている。情報屋でも雇ったのだろうか? 生き残った海竜兵団の兵士達は、俺が戦うところを見ているし、口止めするわけにもいかなかった。


「たまたま運よくそうなっただけです」


 俺はそっと言った。


「これはこれは! 謙虚なことですね、閣下」

「あ、ああ」

「でもですね、私は知ってるんですよ?」


 肩をすくめ、手元のナイフでステーキを切り分けつつ、ウェルモルドは悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「グラーブ王子の近侍を務める秀才、あのムトゥミース伯爵家のベルノスト・ムイラにも勝ったそうじゃないですか」


 よく調べてきている。

 こいつ、いったい何のために?


「まだどちらも子供に過ぎぬ。大騒ぎすることではない」

「はっはは、そうかもしれませんが、ベルノスト君はもう従士ですからね。あ、でも当然、ファルス君も、騎士の腕輪は授かっていますよね? 今のところは小姓ですか?」


 まだ、だ。

 返事に詰まったサフィスが、無表情を繕っている。すぐに察して、ウェルモルドは大声をあげた。


「えええっ、まだなんですか? 驚きましたよ!」

「……軽々しく授けるものでもないのでな」


 ウェルモルドを挟んで向こう側、イフロースは苦々しげに小さく首を振った。


「いや、さすがはエンバイオ家! その厳しさが、人材育成の秘密ですか!」


 なんでもかんでも褒め言葉。さすがにうざったい。

 完全にウェルモルドの一人舞台だ。他の人間は顰め面をしているか、無表情でいる。誰も明るく活発に話などしない。なのにこいつだけは、もう楽しくて仕方がないといった様子で、陽気に語り続けている。

 いったいどういう頭の中になっているのか。こういうのを鋼のメンタルというのだろうか。


「おや、もうデザートですか」


 ミントの香りが清々しい、小さなケーキが運ばれてくる。


「名残惜しいですね、いやもう本当に。もしできるなら、毎日でも閣下のお宅に伺いたいくらいですよ」

「気に入っていただけたのは嬉しいが」

「いやいや、さすがにわかっておりますよ、サフィス様もお忙しいでしょうからね!」


 そう言いながら、小さなフォークでケーキの一切れを口に放り込む。


「んんん! 最高ぉ!」


 確かにセーン料理長は、いい仕事をするようになった。しかし、さすがにこのリアクションは、いささかオーバーではないか。


「こんなの味わったら、もう家に帰りたくなくなります、ねぇ、サフィス様」

「そう申されても」

「ああ、わかってます、わかっておりますとも! たまに、よかったらでいいので、顔を出させていただけると……」


 されても全然嬉しくない、四十男の上目遣い。

 だが、サフィスはそこで急にふっと表情を緩めた。なぜだ?


 ……あ、そういうことか。


「貴殿が今から点数を稼ぐのは、なかなかに難しかろう」

「いやいや、私、こう見えて頑張ることだけはもう、人一倍ですので!」

「何れにせよ、今回の王都滞在では、殿下に面会を申し込むつもりはない。お忙しいだろうからな」


 さっき、屋敷に到着した直後は、すぐにでもタンディラールと会おうとしていたのに。


 つまり、こういうことだ。サフィスはウェルモルドの図々しい態度を、阿諛迎合と受け取ったのだ。

 このままでは、フミール王子が王位を得る可能性は低い。そうなると、長子派の主要人物だったウェルモルドも、地位が危うくなる。せっかくエリート中のエリート、近衛兵団の軍団長にまで登り詰めたのに。

 だが、タンディラールの『お気に入り』であるサフィスに取り入れば。多少のダメージはあるかもしれないが、なんとかどこか、地方の軍団長に留まるくらいはできるかもしれない。

 さっきまでの、あの不愉快なまでの褒め言葉の連発も、そう考えれば辻褄が合う。となれば、サフィスは今、この場で絶対的な優位にある。自分が取り次がなければ、この男に先はない。ならば、ぎりぎりまで焦らしてから、高く恩を売りつけよう。だから、殿下とは会う予定などない、と言い放ったのだ。


「いやぁ、もう、そんな大それたお話じゃなくてですね」

「よい、そなたの思い煩いならば承知している」

「いやー、困ったなぁー」


 頬をポリポリかきながら、ウェルモルドはにやけてみせた。


 それからしばらく。

 この遠慮知らずの客は、やっと去っていった。


 溜息をつきながら、サフィスは背を伸ばす。


「イフロース」

「はっ」

「この件を」

「ラショビエ様を経由して、お伝えします」

「ああ、任せた」


 一転してサフィスは上機嫌だった。長子派の首魁の一人が自分に泣きついて、保身を願った。その事実が好ましいのだろう。裏を返せば、自分が太子派の重要人物とみなされている、ということでもあるのだから。


「では」


 そう言って中庭を辞去しようとしたイフロースが、俺にそっと目配せした。それで俺も、自然なふうを装って、そっと廊下に出る。

 しばらく二人で無言のまま、暗い通路を足早に進む。玄関の前に立った時、イフロースは足を止めた。


「……警戒せよ」


 彼は短くそれだけ言った。


「……はい」


 俺も察している。

 サフィスの認識は、的外れだ。

 目的まではわからない。だが、ウェルモルドには、何かある。


 俺の返事に頷くと、イフロースは扉を開け、去っていった。

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