客また客

 車輪がカラカラと、ただせわしなく回り続ける。灰色の路面の上を滑るように走る。

 見上げれば、空も灰色だった。夏の終わりの雨をもたらす黒雲が垂れ込めて、頭上を隙間なく埋めている。そのくせ降り出す様子もなく、遠雷の声が聞こえるばかり。


 誰も何も言わない。俺から離れて、馬車の反対側に座るナギアも、無言のまま、外をぼんやりと眺めている。

 茶色の家が、暗い緑色の木々の中に、ポツポツと見え始める。もうすぐ王都だ。


 流民の壁を越え、市民の壁を越えて、彩られた市街地に入る。だが、どこか街はひっそりとしていた。一年ちょっと前に訪れた時に見た、あのどこか浮ついた空気が、今は掻き消えてしまった。色とりどりの屋根も、美しい漆喰の壁も、以前と何の違いもないのに、ただ空気だけが別物になっていた。


 馬車が止まる。

 足元の石畳に飛び降りる。靴の音ばかりが耳につく。それと、馬の息遣いだけが。


 早速、イフロースが短く指示を出す。男達が荷物に取りつき、手早く別邸の中に運び込む。

 俺も手伝おうと動き出すが、その前にイフロースが手招きした。


「ファルス、ナギア」


 俺達が駆け寄ると、イフロースは低い声で言った。


「あとで詳しく指示を出す。今は閣下とご家族から目を離すな」


 隣でナギアが息を飲む。

 イフロースの声には、殺気がこもっていた。


 別邸三階の中庭。淡いオレンジ色の壁に囲まれ、中央に芝生と噴水のある居心地のいい空間だが、今は頭上がご覧の有様で、ここもなんとなく、くすんで見える。

 召使達が万事を整えるまで、子爵一家はここで座って待っている。その横で、俺とナギアは、ただ突っ立っている。イフロースはこの場にいられない。邸内のチェックに回っているのだ。

 なぜそんな手間をかけるのか。理由がわかるだけに、俺は気を引き締める。


 俺が考えている以上に、イフロースは情勢を厳しく捉えている。どこに間諜が潜んでいるか、わからない。食べ物にも毒が入っているかもしれない。ベッドのクッションの中に、目立たないよう毒針が仕込んであるかもしれない。それを恐れているから、すべての部屋を細かく確認しているのだ。

 その調査には手を抜けないので、彼自身が出向く。だからといってその間、子爵一家への警護を甘くするわけにもいかない。だが、俺がいる。


 俺は、目立たないように、そっと精神操作魔術を行使する。『意識探知』だ。

 まず近くにサフィスやリリアーナ、エレイアラにウィム。それとナギア。これはどうでもいい。

 中庭の外、離れた場所で活発に動いている気配。あれはセーン料理長だ。それと助手。緊張感が伝わってくる。イフロースから、食器や調理器具の安全性を厳しくチェックするよう、強く言われているようだ。

 一家の寝室に、イフロースがいる。廊下をイーナ女史が見回っている。それと、ランも。


 ……とりあえず、この邸内、及びすぐ外の道路に、子爵家の関係者以外はいない。その誰にも、敵意のようなものはない。


 ほどなくして、イフロースが戻ってきた。


「閣下、お部屋の準備ができました」

「ご苦労」


 執事の顔を見もせず、サフィスは黙って立ち上がった。


「本日はゆっくりお休みください」

「イフロース」

「はっ」

「殿下との面会を申し込んでおけ」


 力ない、だが吐き捨てるような口調。

 一度は自分を捨てて去っていこうとした執事と妻、子供達。そんな連中に囲まれて過ごすくらいなら、殿下のすぐ傍にいたほうがマシということか。


「恐れながら」


 イフロースは首を振る。


「今は難しい時期です。今しばらく、お待ちいただいたほうがよろしいかと」

「先々のことを考えれば、今こそ殿下に自分を売り込んでおくべきではないか」

「そのために命を失っては、元も子もありません」


 その言葉に、サフィスは苛立ち、彼に詰め寄る。


「ここは王都だぞ? イフロース、海賊どもがここまで攻め寄せてくるとでも思うのか」

「不穏な動きがあるようです」


 まったく動じることなく、彼は答えた。


「腕利きの傭兵どもが多数、王都に向かっているとの情報を得ました。よからぬことを考える輩がいるやもしれません」


 それが、イフロースの警戒する理由か。

 貴族達の工作員と化した傭兵や冒険者が、王都のあちこちで暗躍し始めている。サフィスは大貴族ではないが、ピュリス総督だ。そのポストを狙うものがいれば。


 だが、彼の言葉にサフィスは破顔した。


「はっ……! 恒例の儀式だろう? 食い詰め者どもが乞食の真似事をするだけではないのか?」

「それであればいいのですが」

「ふん」


 今回は譲位、つまりタンディラールの戴冠式が召集の目的だ。式の後にはパレードがある。だから貴族達は自分の郎党を引き連れて王都を練り歩くことになる。

 その仮装行列のお飾りとして、臨時の雇用が発生する。宮廷貴族には自分の領地もない。武装した下僕達も、そんなには用意できないからだ。

 だから、傭兵達が王都に集まるのも、不思議ではない。……なんだか、前世の「お友達代行業者」みたいで、空しい見栄にしか思えないのだが。


 ちなみにサフィスは、少数の私兵もどきを引き連れて歩くことになっている。なぜ「もどき」かというと、本当の私兵はピュリスに置き去りだからだ。何しろ王都に人を置いておくだけで滞在費が嵩んでしまう。それに連れてこられるだけのスペースが、ここにはない。

 というわけで、実際には兵士でもなんでもないセーン料理長や、その他の成人男性に、武具だけ着せて、連れ歩くのだ。この辺は、子爵という家格の低さが幸いした。そこまでコストをかけずにすむので、傭兵を雇う予定はない。

 一方、聞いた限りでは、フォンケーノ侯のところは、百人近い私兵を連れて大通りを行進する予定なのだとか。但し、本人は参加しない。長男のエルゲンナームを名代として送り込むらしい。


「で? 目立つところで私を殺そうとする馬鹿者がいるということか」


 イフロースの懸念が現実のものだとして。

 だからといって、宮廷人の派遣する送迎の馬車の中にいるサフィスを、誰が殺せるだろう?


「とりあえず、ベッドやカーペットはすべて調べました。それに食器やタオルも」


 イフロースは緊張感を漲らせながらも、静かに言った。


「……何もなかったのだろう?」

「数日間の辛抱です。正式に殿下が陛下になられるまでの」

「そうなってからでは、私の価値を殿下に再認識していただく機会がないではないか」

「既に閣下の評価は、殿下の中では定まっていることでしょう。ここ数日で何かしたからといって、大きく変わることはないはずです。それに」


 イフロースは一歩、前に踏み出て、左右を見回した。


「いまや、どこで誰が見ているか、わかりません」

「ばかな。ここは私の屋敷の中だ」

「それでもです」


 俺にはイフロースが言わんとするところがよくわかる。たとえば、ランだ。王都在住の詩人、エマス・スブヤンシと文通を重ねていた。彼女自身には自覚がないにせよ、これでタンディラールは、子爵家の内部事情を把握しつつある。

 かなり前にリリアーナが誘拐された時もそうだったが、いくらイフロースが頑張っても、邸内のすべての人間の行動を制御するなんてできない。どこかで誰かが繋がっていて、それが小さな小さな穴になる。

 前世で聞きかじった話だが、知り合いの知り合いを辿っていけば、世界中の誰とも、意外と近くに繋がってしまっているという。この世界には飛行機もないし、物理的な距離の制約があるので、そう簡単ではないだろうが、少なくともピュリスと王都の間くらいであれば、十分成り立つ話だろう。

 こうしている今も、サフィスの……いや、俺についての情報も、誰かの目に触れ続けている。そう思うと、落ち着かない。


 イフロースは、周囲に振り返った。


「皆も気をつけるように。今回は、王都にいる知り合いにも、不用意に接近しないよう注意……」


 言いかけたところで、中庭の扉が開いた。駆け込んできたのは、イーナ女史だった。


「お客様がお見えです」


 イフロースは、うんざりしたとでもいうように首を振った。


「早速か」


 子爵家を最初に訪問したのは、近衛兵団第一軍の長、ラショビエだった。

 中肉中背、色の薄い髪。見栄えのする、赤い上着。服装の華やかさとは裏腹に、どことなく覇気のなさそうな中年の男だ。特に逞しいわけでもない。軍人ではあるものの、明らかに武威を誇れるような男ではない。

 それが騎士階級出身というのだから、何か相当な能力でもあるのかと思うのだが、どうもそうでもなさそうだ。ただ、顔つきには宮廷人特有の、何かどこか含むところがあるような、つかみどころのない表情が見て取れる。


「ようこそ王都へ、閣下」

「早速のご訪問、痛み入ります」


 奥まった客間で、サフィスは腰を低くして彼を出迎えた。身分や官職で自分より下であっても、タンディラールのすぐ傍に立つ人物だと承知しているからだ。


「本日はどのような」

「なに、これといった用事はないのですが、まぁ、王都を守る立場もありまして、こうしてご挨拶をと」


 俺とイフロースは、脇に立って、二人のやり取りを見ている。

 今、ラショビエは「これといった用事はない」と言った。では、本当の目的はなんだろう? 都合よく、彼の視線はこちらに向けられていない。


《殿下からは、サフィスを安心させておけと言われた……変に動かれると……この多忙な時期に、わざわざ時間を取る余裕は……》


 なんとまぁ。サフィスのほうは大歓迎なのに、ラショビエの腹の中は。

 実害はないから、構わないのだが。

 それより、サフィスの動向を把握していることのほうが気になる。いや、サフィスだけではないだろう。タンディラールは今、王都中の貴族の動きを監視しているのではないだろうか。


「私は王都におりませんもので、詳しいことは存じ上げていないのですが、陛下は」

「そこまで知っているわけではありませんが、侍医のモールが、あと一月も持たないだろうと言ったとか」

「そんなに」


 サフィスは気の毒がるが、内心はホクホクものだ。早くタンディラールには即位して欲しい。そして自分を引き立ててくれれば。

 一方、ラショビエも宮廷人だ。よって、セニリタートの容態についても、他の誰より詳しいはず。だが、あくまで噂の範囲でしか話をしない。とりあえず、現国王の死期が迫っているというのは、サフィスにとってはグッドニュースだから、この程度ならば伝えても構わない。どうせセニリタートがもう寿命なのは、みんな知っているのだし。


「ですが、そんなお体では、三日後の譲位と戴冠式は」

「そこはもう、なんとかなさるに違いありません。可能なら、少しでも早くしたほうがとは思うのですが……」


 そこでラショビエは視線を落とした。


「……実は、投票権を持つ貴族が、出揃っておりませんもので」

「なんですって?」


 サフィスはこの情報に眉を寄せた。

 戴冠式から様々な儀礼を剥ぎ取り、中身だけ取り出すと、残るのは王領の継承と、貴族達による投票権の行使、これだけだ。その肝心の投票権を持つ貴族が、まだ王都に到着していない?


「それはどなたが」

「まず、ティンティナブラム伯ですな」

「ただ、そちらは確か代理が」

「ええ。ただ、連絡をいただいていないのが問題ですが……最悪はなんとかなるかと。ただ」


 王都には相変わらずレジネスが常駐している。事前に通告済みのフォンケーノ侯ならいざ知らず。王位継承という最重要イベントまで、あのオディウスは息子に任せっきりにするつもりだろうか。


「実は、スード伯も」

「なんと? スーディアはそこまで遠くもありません。なぜですか」

「ご病気ということで」


 ゴーファトが王都に到着していない。

 病気? あの頑健そうな体をした彼が? もし病気があるとすれば、それは奴の頭の中にしかないはずだ。少年と遊ぶのに夢中で……いや、いくらなんでも、それはないだろう。となれば、なんらか理由があるのだ。


「揃わないとなると、戴冠式の日程にも影響が出ますので」

「困りましたね、それは」

「ええ」


 ラショビエは首を振りながら言った。


「近頃は、王都の治安もあまりよくありません」

「なんと」

「近衛兵団が見回りを強化しておりますが、特に盛り場のほうなどでは、夜な夜な粗暴な振る舞いに出る連中が目立っておりまして」

「それはご苦労様です」

「貴族の壁の内側では滅多なことはないでしょうが、閣下もご注意ください」


 言葉では相手を気遣っているが、内心ではそうでもない。

 ラショビエは警戒している。よりによってこの時期に、大量の傭兵が王都にやってきた。ただのお飾りに使うだけならいいのだが、それにしては……いったい誰が雇い主なのか。

 当然、タンディラール側でないとすれば。しかも、ラショビエもサフィスを信用しているわけではない。


 しばらくして、ラショビエは帰っていった。

 ふう、と息をつく。王都に到着して、いきなりこれか。

 と思ったら。


「お客様です」


 ランが報告する。

 今度は誰だ?


 ユーシス・ドゥダード。即ちマクトゥリア伯にして、疾風兵団第一軍の指揮官だ。

 天然パーマの長髪を後ろに束ね、萌黄色の外套を着こなすオシャレな男だ。年齢は三十代半ば、見た目はなかなか渋い。

 だが、彼の発散する雰囲気が、すべてを台無しにしていた。彼は余裕なく足踏みを繰り返し、作り笑いの一つもなく、鋭い視線をサフィスに向ける。


「ようこそ、おいでくださいました」


 どんな顔をしたらいいのか、若干戸惑いながら、サフィスは来客を席に招いた。


「突然の来訪にもかかわらず、歓迎いただき、痛み入る」


 口先だけでボソボソッ、と早口に。本当に形だけ、といった挨拶だ。


「時に閣下」

「はい、なんでしょう?」

「ああ……いえ、近頃のピュリスの治安はいかがでしょうか」

「えっ? はい、最近は大きな事件もなく、よく治まっているかと思いますが」

「そうではなく」


 ユーシスは、細い目をギロッと見開いて、言い直した。


「率直に申し上げる。海竜兵団第四軍は、健全に機能していますか」

「いきなり何をおっしゃる」

「これは重要なお話です」


 ソファに座ったまま両手を前に組み、背を折り曲げて顎をそこに乗せる。その間も、足が小刻みに踏み鳴らされる。

 精神操作魔術を行使するまでもない。彼は極度の緊張の中にいる。焦りと苛立ちが止まらないのだ。


「ドゥダード様、申し訳ありませんが、仮にも私はピュリスの長官です」

「ええ、いかにも」

「陛下からあの港湾都市の治安維持を任されているのですよ? それには、軍団兵の管理も含まれています。こういった非公式の場で、どうして他の軍団の方々に、内部情報をお伝えしなければならないのでしょう」


 これはサフィスが正しい。

 ユーシスは、疾風兵団を率いる立場にあるが、それだけだ。なぜ他の軍団の情報まで欲しがるのか。サフィスには、自分の管理下にある海竜兵団第四軍に対する責任がある。軍機は守らねばならない。


「それは道理です。但し、平時の考え方だ」

「妙なことを。今も平時ではありませんか」

「いいですか、閣下、よくよく現状を考えていただきたい。大将軍はもちろんのこと、各兵団をまとめる護国将軍も空席のままです。校尉も空席だらけで、どちらも王都にいません。だから、王都の防衛については、海竜兵団を除く四兵団の代表、つまり私を含めた第一軍の軍団長が合議の上で取り決めています」

「結構ではありませんか」


 サフィスの返事に、彼は短く溜息をついた。


「私の見たところ、今、まともに使えそうなのは、聖林兵団くらいなものです。あとはせいぜい、近衛兵団なら第三軍、アルタールならまだなんとかなる」

「はて? それはどういうことでしょう?」

「私が率いる疾風兵団は、直接には戦力になり得ない。数が少なすぎる」

「数というなら、近衛兵団全五軍が控えているではありませんか」


 この返答に、彼はまたもや首を振った。


「あれこそ、一番の害悪、デクの棒ですよ。いや、それ以下だ」

「ご冗談を」


 常識として、近衛兵団は王国最強の軍とされている。それをユーシスは、デクの棒とまで言ったのだ。


「一番有能な聖林兵団は、西側国境の警備に回らざるを得ない。ゼルコバ殿も不在になる。いざ、王都に異変があっても、これでは守りきれない」

「そんなことはないでしょう」


 サフィスの返事に、彼は顔をあげた。その目には、白熱した苛立ちが滲んでいる。


「あなたは王都の情勢をまるでわかっておられない。実質、今の我々は、裸で突っ立っているようなものだ。南西にはスード伯、北東にはフォンケーノ侯。西にはシモール=フォレスティア。それでも頭数だけなら、近衛軍団がいる。一応、スーディアを挟んで反対側には、海竜兵団もいる。だが、まだ足りない」

「これ以上、何を気にかけることがあるのですか」

「一年半ほど、東部拠点の中継地が失われたままです。はっきり言いましょう。ティンティナブラム伯に対する押さえがない」


 王家が賃借していたヌガ村の城砦のことだろう。騎士が死んで、後継者がいない。伯爵はあれ以来、あの場所を王家に与えていないのだ。


「考えすぎではないですか」


 だが、サフィスは首をかしげた。


「確かに、隣国に加えて、スード伯、フォンケーノ侯、加えてティンティナブラム伯までが一斉に牙をむけば、王家といえども安泰とはいえないかもしれません。ですが、今、この時代に、そんな無謀を誰がするというのでしょう?」


 サフィスが言うのも、わからなくはない。ここ百年以上、隣国はもちろん、周辺の大貴族相手にも、大きな戦争など起きたことがない。確かに王位継承という微妙なタイミングではあるが、だからといって周辺貴族すべてが王家に敵対するなんて、考えにくい。仮に誰かが軍を発しても、それ以外が王家に味方すれば、やはり王都は落とせない。

 あくまで常識の範囲での議論に過ぎないが。


「失礼ながら、閣下には軍における現場経験というものが、おありでない」

「何をおっしゃいますか。私も岳峰兵団で任務にあたっておりましたが」

「私は以前、ルアール・スーディアの最前線にいました。いいですか、王国は決して安泰ではない。そう見えるだけです」


 ティンティナブラム伯……あのオディウスは、兵士を掻き集めて訓練していた。しかも、ヌガ村の城砦はいまや無人だ。ユーシスがその状況を危惧するのも、無理のない話だ。

 ユーシスは、疾風兵団の代表だ。その主要な任務は、各地に散らばる各軍団の連携を図るというもの。何かあれば、即座に飛竜を送って対処を促す。仮にヌガ村の城砦を越えて伯爵の軍が街道を北上してくるのなら、その後ろをピュリスの常備兵が狙い打たねばならない。

 王都の異変に対して、もっとも素早く対応できるのはどこか? ピュリスの防衛隊だ。だが、その能力について、彼は懸念を抱いている。昨年末に、海賊の襲来を受けたからだ。外国の正規軍相手に負けたのならともかく、たかが海賊に後れを取るようでは……

 防備が足りなければ安全ではない。白か黒か。あらゆる可能性を検討する。あれが起きたら、対処できるか? できないならアウト。当たり前すぎる考え方だ。


「しかし、近衛兵団がいるではありませんか」

「わざとおっしゃっているのですか。いまや派閥争いの渦中にあるあの兵団なんか、なくなったほうがいい」

「い、いや、さすがにそれは」


 ユーシスの暴言に、サフィスは顔を顰めた。

 だが、見たところ、この軍団長はチャラそうな外見に似合わず、なかなかまっとうな軍人らしい。貴族出身とはいえ、身分だけでその地位にあるのではないのだろう。決して無能ではない。


 近衛軍団を害毒というのも、理解できる。

 さっき顔を出したラショビエは太子派。だが、長子派の率いる軍団もある。これが何を意味するか? 政治的な勢力に、暴力がくっついているのだ。


 地球の歴史を思い返す。たとえばローマ帝国もそうだった。

 前世の現代においても、多くの独裁国家では、首都をきっちり把握することが権力掌握の要だったが、それはローマ帝国でも変わらなかった。そのための装置が、皇帝直属の親衛隊だったのだ。だが、この親衛隊こそが、数々の政変の火種となったのも事実だ。

 しかも、彼らは前線に立った経験がない。だから、戦争の恐ろしさも、その結果の重大さもわかっていない。ただ、王都で独占的に武力を行使できる立場だけがある。


 現在、王都には五軍団もの近衛兵団が存在するが、ユーシスに言わせれば、彼らは張子の虎なのだ。それどころか、下手をすれば……


「それとも、閣下、まさかとは思いますが」

「なんでしょう?」

「ご令嬢との婚約のお話がありましたが、よもや」

「なんと」


 さすがにサフィスも顔色を変える。


「私の王家に対する忠誠をお疑いになるとは。ドゥダード様は、私を辱めるためにいらっしゃったのですか」

「それどころではない、と申し上げているのです、閣下」

「とにかく、そういうことであれば、申し上げることなど何もございません」


 サフィスはこの後、あっさりとユーシスを追い返した。

 確かに爵位では相手のほうが上だが、預かっている職務の階級では、サフィスが一つ上。相手は軍団長だが、サフィスは軍団長に命令する地方長官なのだ。それにマクトゥリア伯は、太子派の貴族でもない。ついでにいうと、領地すらない。無派閥の零細宮廷貴族、ただの官僚でしかないのだ。


「……ふう」


 無駄な時間を過ごした、と言わんばかりに、サフィスは溜息をついた。

 少し早いが、そろそろ夕食にすべき頃合だ。


「イフロース、今夜は」


 だが、言いかけたところで、客間にまたイーナが駆けつけてきた。


「申し訳ありません、またお客様が」

「またか……!」


 苛立ちを爆発させながらも、彼はすぐにそれを飲み込んだ。


「誰だ」

「それが、その」

「早く言え」

「……近衛兵団のウェルモルド・ブルンディリ様です」


 長子派の筆頭に名が挙がる男。

 サフィスにとって、はっきり敵といえる人物。それが、ここまで乗り込んできたのだ。

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