冒険者ファルスの初仕事

「ガッシュ、では、頼んだぞ」

「はい」


 冒険者ギルドのすぐ外、路上でマオは、ガッシュ達に俺を預けた。その表情は、いかにも気が進まないと言わんばかりの、暗いものだった。


 橄欖石の月も半ば。もう春の初めだが、まだ屋外には寒さが残る。頭上には灰色の雲が垂れ込めていて、風も冷たい。正直、出歩きたい天気ではない。だが、いまや時間は貴重なものとなった。


 来月から、俺は官邸で接遇担当に戻される。そうなれば自由時間が大幅に削られる。だから、今のうちにやるべきことをやっておきたい。

 その一つがこれ……冒険者登録だ。


 これからどう生きていくべきか。それはまだ、整理できていない。ただ、もし、この街を出て遠くに行くのなら、役立つ身分証明が欲しい。騎士の腕輪でもあればいいのだが、簡単にもらえるものでもない。ならば、当面は冒険者になっておくのがいい。

 通常は、十五歳、つまり一応成人とみなされる年齢にならなければ、登録などできない。しかし、俺はそこをあえて捻じ込んだ。能力がある場合は、特例を認めるとされているからだ。


 マオには、迷惑だったと思う。

 彼の今の立場は、非常に好ましくないものになっている。ウィーの偽名での冒険者登録を受け入れたために、結果として総督を襲撃する機会を与えてしまった。ユミの件も、逃亡者に足場を与えたことになる。その上、十歳にもならない子供に冒険者登録を許すとなれば。


 ただ、彼がこういう顔をしているのは、また別の理由による。

 単純に、俺が暴力の世界に身を置くのを、好ましく思っていないからだ。


 せっかく貴族の使用人として生きていくことができ、また料理人として平和に暮らす道もあるのに、わざわざ剣を取る。登録を申請した際に、マオは俺に言った。強さなど、誇るに値しないものだ、と。磨きぬかれた剣技より、丁寧に作られた一皿の方がずっと素晴らしいのだと、力説した。

 だが、俺としても譲れない。俺が、俺の求める自由を手にするには、それを探し当てる他ないのだから。


「ファルス」

「はい」


 歩きながら、ガッシュは俺に必要なことを伝える。


「これから実地試験だ。といっても、お前の場合、いわゆる信用面の確認はない。だから、いきなり外での仕事になる」


 冒険者にもランクがある。一番下が橄欖石……ペリドットだ。しかしこれは、いわば仮登録状態と言える。仕事を引き受けて、それをいい加減に投げ出したりしないか。結果より、勤務態度が重要だ。この最初のランクは、いわゆる試用期間中であることを意味している。

 その次の段階が碧玉、ジャスパーだ。本格的な仕事を与えられるのは、ここからとなる。といっても、この段階では大きな危険を引き受ける必要はない。村の外に狼の群れを見つけたからと言って、それを排除するような任務は割り当てられない。ただ調査して、それをちゃんと報告すれば、十分とされる立場だ。

 危険と隣り合わせになるのは、その上のランクからとなる。


「ピュリス郊外のペデサン村で、家畜に被害が出ているとの報告があった。今回の仕事は、その原因の調査だ。ただ、問題を解決できなくても構わない。原因を明らかにできれば十分だし、そうでなくても、ある程度の証拠を掴んだ時点で危険があると判断されれば、そこまでで報告してくれればいい。それで試験は終わりで、あとは俺達が引き継ぐ」


 駆け出し冒険者候補の俺が、一人で大きな危険に出くわしたら? だから、後ろには熟練の冒険者である三人組がつく。

 手厚すぎる気もするが、少なくとも、そういう構図でなければいけない。もし俺が間違って死んだりしたら、本当にマオの立場がなくなってしまう。


 北門を出て、しばらく歩く。北西と北東方向に分岐する道のところで、右に寄って、更に先に進む。

 しばらく行ったところで、脇道があった。


「ここだ」


 森の中の道をしばらく進むと、急に周囲がひらけてきた。

 周囲を森林に囲まれた、なだらかな丘の上の、小さな村。家が十軒ちょっとあるだけで、あとはポツポツと家畜小屋がある。のどかな風景だ。ただ、季節が残念ではある。抜けるような青空と、みずみずしい緑の麦畑が広がっていれば、どんなによかったか。


 一番大きな家の前で、ハリが扉を叩く。出てきたのは、痩せた初老の男だった。


「……おお、もしや、ピュリスの」

「ギルドから来ました」


 ハリの返事に安堵の表情を浮かべた彼だったが、足元の俺を見て、首を傾げる。


「この子は?」

「調査に同行させます」


 一気に険しい表情を見せた。無理もないか。

 とにもかくにも、彼は前に立って歩き始めた。ややあって、近くの家畜小屋を指し示す。


「見てくだせぇな、これ」

「ああ、これはひどい」


 家畜小屋の柱が一本、へし折られている。仕切り板が一枚、弾き飛ばされでもしたのか、足元に転がっている。当然、中にいたであろう牛についても、影すら残っていない。


「泥棒なのか、なんなのか、よくわかんねぇけど」

「やり方が荒っぽいですね」


 後ろでガッシュとドロルは周囲を調べている。こういう時、被害者の相手を務めるのはハリらしい。灰色の神官服が、社会的信用を高めるのもあるのだろう。

 だが、俺も漫然と立っているわけにはいかない。これは試験でもあるのだ。とはいえ、冒険者としての経験なんかない俺が、ただ足元を調べたって、何がわかるということもない。ならば……


 こういう時のための精神操作魔術だ。


 まず、俺は目の前の初老の男の記憶をまさぐる。家畜がいなくなった日の夜……大きな物音で、跳ね起きた。

 上着を羽織って外に転がり出たが、その時、既に牛はいなくなっていた。


 では……

 俺は周囲を見回す。


 夜遅かったようだから、外で様子を見ていた人間はいない。だが、屋外にいた家畜達なら?


 手近な家畜小屋に近寄っていく。

 中にはやはり、牛がいる。


 最近の記憶は……


 あった。

 恐怖の感情が残っている。


 ただ、目に見えるものはない。真っ暗だからだ。それに、家畜小屋の仕切り板のせいで、どうせ視界はないも同然だ。

 しかし、匂いがする。人間にとってはかすかなそれも、動物の嗅覚からすれば、強烈な体臭だ。それが、激しい不安の原因になっている。

 それに物音が聞こえる。重く大きな足音。これは……


 俺はすっとしゃがみこみ、足元を調べた。


 地面を見ても、何もわからない。では、家畜小屋の中は?

 柱が折れているということは、物理的な接触があったらしいということ。となれば、そいつが残した痕跡があってもおかしくない。


「ガッシュさん、これを」


 折れた柱を、俺は指し示す。


「この、折れた場所の少し上、これは、手形じゃないですか?」

「なに?」

「ただ、人間のものにしては、大きすぎます」


 ドロルが駆け寄って確認する。


「こいつは……」


 大きな足音が、どっちに向かって去っていったのかは、なんとなくわかる。牛の記憶に従えば、それは北のほうだ。


「多分、こちらです」


 俺の指し示す方向が正しいかどうか、ドロルはしゃがみこんで、何かの痕跡を探す。


「そうっぽいな」

「なんだと思う」

「はっきりとはわからねぇが、こいつはまずいな。巨人種だ」


 三人の顔に緊張が走る。

 人間より大きな体格、そして発達した筋肉を具える巨人種は、いずれも危険なモンスターだ。少なくとも、新人の試験に出てきていいようなものではない。


「ファルス、こいつぁ途中まででいいぞ」

「調査だけ、ということですか」

「危険を感じたら中止。あとは俺達が引き受ける」


 ……危険を感じたら、か。

 俺はあまり不安を感じていない。だが、無理は避けるべきというのもわかる。

 とにかく、後を追わなければ始まらない。


「行きましょう」


 俺が先に立って、三人がついてくる。


 村の外れで、目に見える痕跡が見つかった。森の入口に、高いところの枝がへし折られたのが見つかったのだ。それに、下生えもみんな潰されている。よく見ると、かすかに黒い血痕も残っている。


 俺はもう一度、精神操作魔術を用いる。痕跡から情報を読み取るわけではない。

 難しいことはしない。『意識探知』で、近くにある意識を探す。グルービーも、この魔法を使うことで、敷地内に俺が入り込んだのに気付いたのかもしれない。ただ、だとしたら、俺を捕捉するには、かなりの準備が必要だったはずだが。


 驚くほど周辺には何もない。ただ、ちょっといった先に、大きく三つ。なんとなく、威圧感のある……今は静かでも、すぐにでも動き出しそうな攻撃性を伴う意識が見つかった。


「こちらです」

「おい」


 ドロルが声をあげる。


「そんなに不用心に進むのは」

「確実にこっちにいます。問題ありません」


 罠などはないようだ。そういう記憶が見えなかった。

 見つけた意識の記憶を追う。目に映るのは、うっすらと黄色い、体毛のない肌。こいつらは。


「皆さん」


 歩きながら俺は言う。


「恐らく、トロールの劣化種です」

「なに!?」


 ガッシュが声をあげる。

 だとすると、新人冒険者が戦うような相手ではない。確かに、リーダーに率いられたゴブリンの集団ほどの危険はないが、単体での脅威は、かなりのものだ。

 但し、俺にとってはそうでもない。


「ここの斜面を越えた先の窪地に固まっていますね」

「お前、なんでそんなことが」

「相手は三匹です」


 オス、メス、それに子供、か。

 近くにいてくれてよかった。

 さっさと始末しよう。


 暗い緑色の森の中に、爛れたような濁った黄色い皮膚が浮かび上がって見える。俺達は、それを高所から見下ろしている。

 近くには、腹部を半ば引き裂かれた牛の死骸がある。これで確定だ。


 対象、確認。

 俺はハンドサインで、後ろに立つガッシュ達に伝える。以前、タンパット村の付近にいたゴブリン達と戦う際に、彼らが使っていた合図だ。なぜ今日、冒険者になったばかりの俺が、そんなことを知っているのかと、彼らは目を丸くした。何のことはない。心の中が見えるから、真似させてもらっただけだ。


 了解、報告を確認。


 その合図を待っていた。確認しました、というだけのハンドサイン。つまり、これで俺は合格だ。


「じゃ、片付けてきます」

「は?」


 せっかく声が聞こえないようにと、無言でコミュニケーションをとっていたのに、いきなりこれだ。だが、俺にとっては小さな問題でしかない。


「おい、待て」


 ガッシュ達からすれば、なし崩し的に戦闘が始まるのを避けたい気持ちがあるのだろう。相手は鈍重だが、一発がある。だから、罠を仕掛けたり、休む瞬間を狙ったりと、有利な条件を整えて挑みたい。

 ただ、それは「時間の無駄」だ。


 俺が意識を集中すると、まず、四メートル近い巨体が、揺らめきながら地面に突っ伏した。すぐ近くに座っていた、もう少し小さいのも、そのまま横倒しになる。一メートル半程度の子供の個体も、仰向けになった。

 最高水準の技量と触媒で行使される『誘眠』の威力の凄まじいこと。詠唱もなしでこれだ。


「寝ています」


 俺は短く言った。

 こんな変なことがあるか、ついさっきまで起きていたのに……彼らは顔を見合わせる。


 とりあえず、一番手強そうなのから片付ける。うつ伏せになっている巨体、その首筋に、グッと剣を突き入れる。

 ブシャッ、と薄い黄緑色の体液が噴き出て、それが剣を汚す。


「グ! ……ブッ、ギィィ!」


 少し声が漏れた。

 そうだった。劣化種とはいえ、トロールは生命力が強い。《高速治癒》の神通力もある。これを奪っておかないと、小さな傷では、なかなか死なない。


 見上げると、他の二体が目を覚ましつつある。もう一度眠らせる……いや、どうせすぐ片付く。


 残った大人のトロールは立ち上がると同時に、膝に激痛を感じて尻餅をつく。そこに俺は飛び込み、顔を蹴って仰向けにする。


「ファルス、危ない!」


 後ろでガッシュの声がする。

 問題ない。


 左右から、太く大きい黄色い腕が迫る。だが、俺は『暗示』をかけた。


《動くな》


 ビクッとして、そいつは動きを止めた。

 そのまま、俺は剣先をそいつの口の中に差し込み、剣の鍔に足を載せて体重をかける。

 俺につかみかかろうとした両腕が、そのまま力なく草の上に転がる。


 あとは子供だ。

 目の前で両親とおぼしき個体がやられたのだ。力量差は一目瞭然。すぐさま背を向けて、走り去ろうとする。その足が、いきなりの激痛にもつれる。

 追いついた俺がふくらはぎに刃を走らせると、簡単にそいつは転んだ。ざっくり切れている。もう立ち上がれさえしない。


 あとは殺すだけ。

 そう思った時だった。


 その個体は、腹這いになったまま、こちらを向いた。


 逃げるのではないのか? どうしてこちらへ?

 匍匐前進でもするかのように、必死に這いずってくる。馬鹿な奴だ。こうなってはもう、一矢報いる余地だって残ってはいないのに。

 だが、油断も容赦もしない。トドメは刺す。


 改めて剣を振り上げた時、俺は気付いた。

 そいつの視線は、こちらに向いていなかった。戦う気がない?


 それでわかった。

 俺に殺された両親。その遺体を見つめていたのだ。

 もう逃げ切れない。助からない。それならせめて、少しでもそちらに近付こうと。


「……こいつ……!」


 わけもわからず、衝動的に、ただ無性に苛立ちが湧き上がってきた。

 剣を持ち替える。効率的に「斬る」ためではなく、「叩く」ために。


 ダン! ダン! と打撃音が響く。

 刃の先を叩きつける。切っ先が肉に食い込む。そのたびに、濁った黄緑色の体液が噴き出る。

 だが、急所を貫きはしない。ただ、痛みを与えるだけ。


「死ね! 死ね! 死ね!」


 俺がどれだけ打撃を加えても、そいつは防ぐ仕草を見せなかった。

 とにかく、少しでも前へ。


 ふざけるな。

 こんな汚い畜生にも、あるものが。


 俺にはない。


「ファルス! もう、いい!」


 ガッシュの声に、我に返る。

 気付くと、目の前のトロールの子供は、グチャグチャに潰されていた。


 ふう、と息をつく。


「これで、片付きましたね」


 なるべく平静を装って、俺はそう言う。

 だが、彼らは目を伏せた。


「ファルス、お前……」


 さっと風が吹いた。

 乾ききった冬の風。


 辺りには、暗い、沈んだ色合いの緑ばかり。足元には不潔な黄緑色。

 見上げる空は、どこまでいっても灰色だった。

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