大いなる災厄の影

 朝。神殿に出かけていくノーラを見送ると、俺は居間の窓から外を見下ろし、溜息をついた。

 ノーラがやってきて、およそ一ヶ月。今は橄欖石の月だ。


 結局、彼女は二つの仕事を掛け持ちすることになった。

 午前中は神殿に出かけて、裁縫を習う。昼下がりにマオのところに出かけていって棒術を習い、一休みして、夕方からは酒場でお手伝いだ。

 妥当なところだとは思う。裁縫と料理という、この世界の女性に必須な技術を学べるし、武術についても、グルービーの屋敷でせっかく習ったのを無駄にしないで済む。ただ、彼女がここで暮らすのは、確定になってしまった。


 エンバイオ薬品店の閉店セールが、来月に決まった。何しろ今日までずっと休業状態だ。残った在庫を一気に吐いて、それで終わりとなる。

 では、俺の立場はどうなる? 近々、また接遇担当に戻されるらしい。一応、週に二日は休みをくれることになっている。それに、毎日来客があるのでもないから、そういう場合には早めに帰宅するのも可能だ。一方、重要なイベントがある場合には、休日返上で働かなければいけない。

 今は宙ぶらりんのいい身分だ。たまに酒場のアルバイトをするくらいで、あとは自由時間。但し、こまごまとした用事なら、いろいろとある。


 まず、これだ。

 拳くらいの大きさがある巨大な種子を、俺は手の中でもてあそんだ。


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 (自分自身) (9)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク6)

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク8)

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、8歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 精神操作魔術 9レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 剣術     7レベル

・スキル 薬調合    8レベル


 空き(0)

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 我ながら、いよいよバケモノじみてきた。

 ただ、力に慢心することはない。あってはならない。これほどの力をもってしても、なお敗れることがある。


 とにかく、魂の年齢が足りない。奪い取った能力や肉体は多数あるのに、それを自分の中にとどめておけない。

 だから今までは、屋上の植木に貯めておくしかなかった。しかし、それでは携帯性も悪いし、何かの拍子に植物が枯れてしまったら、取り返しがつかないことになる。


 そこで、これだ。


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 <バクシア> (11)


・マテリアル プラント・フォーム

 (ランク6、無性、67歳・アクティブ)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳)

・アビリティ マナ・コア・火の魔力

 (ランク4)

・スキル 商取引    7レベル

・スキル 房中術    7レベル

・スキル 病原菌耐性  5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル シュライ語  4レベル

・スキル ハンファン語 4レベル


 空き(2)

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 南方大陸の乾燥地帯周辺に分布する、バクシアの種。表面は黄土色、割と大きな種で、掌にようやく収まるほどのサイズだ。これはとても珍しいもので、なんと火災をきっかけに発芽する。

 前世にも、そういう植物なら存在した。実は自然発火というものはそう珍しくもなく、条件さえ整えば、意外と簡単に山火事が発生する。そして、そういう火災の熱に耐える強固な外殻を備えた種子がこれだ。

 どうしてわざわざそんなタイミングに芽を出すのか? メリットが少なくないからだ。何しろ日光を遮る他の樹木がいない。その上、足元の土は栄養豊富な灰でいっぱいだ。だから、丈夫で長持ちする種を作って、チャンスを待つというのは、それなりに合理的な戦略であるといえる。


 で、そういう種だからこそ、俺の目的に合致する。

 ピアシング・ハンドのクールタイムその他の条件は、どうやら変えられない。しかし、奪った能力をプールしておく場所があれば? ただ、それはある程度、安全な手段でなければならない。大事な能力を預けるのだから、うっかりなくしてしまうようなものでは困る。

 この種なら、サイズが大きいので、まずなくさないし、発芽するまでの間、長い時間を生き延びるので、保存性も悪くない。当然、水遣りも不要だ。しかも、一部の園芸マニア以外にとっては、何の値打ちもない。つまり、盗まれにくい。


 実は、ずっと前から探していた。去年、王都に行く前に、わざわざ発注をかけたのだ。それが今頃になって届いた。

 手元にあるバクシアの種は五つ。そのうち一つは、中身の魂の年齢が進みすぎているので、なるべく使わないつもりだ。それでも、残り四つは能力の入れ物になる。


 ……ちなみに、アイビィの能力は、種に移し変えていない。


 そして、もう一つ。

 今、テーブルの上に広げているのは、グルービーから奪った精神操作魔術の教本だ。

 合計三冊あったが、うち一冊は、初級魔術以外、ほとんど間違った情報で埋め尽くされていた。だが、残り二冊の内容がよかった。


 片方は、上級魔術までカバーしていた。

 有用な魔術の、様々な利用方法が書かれていた。『認識阻害』『誘眠』『忘却』『幻覚』『精神感応』『読心』……何れも非常に有用で、使い方によっては素晴らしい効果をもたらすものばかりだ。呪文でもいいし、魔術文字を特殊なインクで書くのもいい。技術があれば、しかるべき材質の金属や宝石を用いて、それ専用の道具を作るのも可能だ。


 しかし、ものすごいのが最後の一冊だった。

 あの、ソウ大帝の印璽が押されたものだ。


 最上級魔術についてまで、すべて記載があり、かつ内容はより詳細で緻密だった。『強制使役』『憑依』といった、桁外れの威力を持つ魔法もあった。

 さすがにこれは眉唾物ではないかと疑って、俺は、通行人に窓の上からこれらの魔術をかけてみたことがある。そうしたら、とんでもないことになった。

 要するに、本物だったのだ。


 こうなると、歴史の真実性に疑問符がつく。ギシアン・チーレム出現前に死去した人物が、正確な魔術書を書き残した。女神の祝福によって石版が降り注いだ結果として広まったはずの魔法が、それ以前から存在したことになる。

 後の時代の人間が、わざわざソウ大帝の印璽だけを用いた? 印璽を手にするの自体は難しいものの、これは絶対に不可能というわけではない。だが、そんな真似をする意味がないではないか。彼の印璽は、書物の信頼性についての保証にはなり得ないのだから。


 ともあれ、今の俺は、もはや危険物といっていいレベルの魔術師だ。精神操作魔術も、ここまでの熟練度となると、ちょっとした触媒や簡易的な道具を用意するだけで詠唱を省略できたりする。しかも、最高品質の触媒を常時使用しているようなものだから、その気になれば、いつでもこれらの強力な魔法を発動できる。さすがに最上級魔術については多少の手続きが必要だし、触媒や道具がないと発動時の出力に問題があるが、それ以外はどうとでもなる。

 つまり、俺もジョイスと同じになったのだ。いや、それ以上か。いつでも人の心を覗き見ることができる。しかも、ある程度はそれを操るのも可能とくれば。


 ……だが、ここまでの力であるからこそ、俺は却って嫌悪感をおぼえている。

 他の魔術なら、まだいい。火魔術にせよ、水魔術にせよ、物理的な現象を引き起こすだけだ。しかし、この魔法は、人の意志に直接介入する。

 便利だからって、使ってしまっていいのだろうか?


 精神操作魔術の中には『魅了』という上級魔法もある。

 これを使えば、今の威力なら、大抵の人間はイチコロだ。俺を毛嫌いするナギアも、すぐメロメロになって、ベタ惚れするだろう。だが。


 グルービーはこの魔法を使わなかった。少なくとも、入れ替わった際に見た限りでは、使ったと思われる形跡がなかった。使おうと思えば使えたのだ。なのに、そうしなかった。俺には通用しないとしても、周囲の部下達やメイド達になら、きちんと順序を守って儀式を行えば、十分以上に効果があっただろう。タロンのように、信用できない配下も抱えていた。なのに。

 その理由なら、なんとなくわかる。

 彼は、自分の我儘を通した男だった。その彼の考えでは、人間にとって、自分の意志以上に大事なものはない。ならば、他人にとってもそうなのだ。どうしても必要であればともかく、さもなければ、極力こんな魔法は使いたくなかったのだろう。


 もう一つ。結果の不安定さも無視できない。

 身体操作魔術でも実感しているが、この手の魔法は行使しやすい一方、相手の能力によって効き目の度合いが大きく異なってくる。強い抵抗力を持った相手であれば、自分が何をされようとしていたのか、勘付いてしまう場合だってあるのだ。

 精神操作魔術をかけられて嬉しい人などいないから、それと気付かれたら、相手との関係性は一気に最悪になる。

 彼はちゃんと使いどころを選んでいたのだ。


 さて。

 今日はジョイスを見舞う日だ。俺は立ち上がった。


 ジョイスは、あのマオの自宅の二階で寝転んでいた。まだ完治していないのだ。

 精神をかき回された影響もあるが、同じくらい、彼がそれに抵抗したのがまずかった。逆に自分の心をいじくろうとする相手の精神を読もうとして、意識をズタズタにされてしまったのだ。

 強力な神通力ではあるが、グルービーの魔力の方が遥かに大きかった。どんな能力も使い方次第なのだろうが、今回については、彼が無謀すぎたのだ。


 四畳半ほどの狭い部屋には、簡素なベッドと椅子、机があるきりだ。南向きの窓には、今は薄いカーテンがかけられている。

 古い建物の、古い部屋だ。足元の木の床も、薄い木の壁も、とっくに塗装が剥げている。隙間風が吹き込んできそうだ。


「ジョイスや」


 先に立つマオが、呼びかけた。


「気分はどうだ」

「お師匠様」


 すぐ身を起こして、ジョイスは返事をした。


「大丈夫です」

「そうか」


 完治していないといっても、日常生活にさほどの不自由はない。ただ、たまに意識が朦朧としたり、自分が誰なのか、わからなくなったりする。リンやマオの話を総合すると、時間と共に改善していくとのことなので、そこまで深刻ではないらしい。

 ただ、そんな状態なので、今は武術の練習も、のんびりしたものになっている。


「元気そうでよかった」

「ファルスか……」


 俺を見ると、ジョイスは俯いてしまう。


「ごめん」

「いきなり、どうした」

「俺が、しっかりしてなかったから」


 俺が来たのには、理由がある。あの日の状況をよく知りたかったのだ。

 なお、このために、俺はマオにはごく簡単に、あちこちごまかした上でだが、この件にグルービーが関わっていたらしいと告げてある。どうせジョイスをやったのはアイビィなのだし、その程度のことは知られてしまうからだ。


「仕方ないよ」

「いや! 俺が……」


 ジョイスの落ち込みっぷりが、かなりひどい。

 隣にマオがいるのは、いざという時のためだ。ジョイスが過剰なストレスに耐え切れなくなったと判断した場合には、面会は打ち切りとなる。


「なるべく、気持ちを軽くして欲しい。もう、みんな片付いたことなんだし」

「でも……」


 首を振りながら、ジョイスは言った。


「俺がちゃんと考えて、話しておけばよかったんだ」

「何を?」

「悪意が見えた。でも、自信がなくて」


 既にして、目には涙が溜まっていた。


「一年くらい前、お祭りがあったろ?」

「あったな」

「あの時、さ……あの、ウィムって名前の、女の人」


 うん?

 俺はアイビィとグルービーについて訊こうと思っていたのだが。


「一瞬だけ、あのリリアーナって子? 見た時に、こう……ぞわっときたんだ、でも」

「え? それって」

「自信がなかったんだ。そんなにしっかり見えたわけじゃなかった。それに」


 チラッと俺の顔を見る。


「その……『黙れ』って言われたから……い、いや! でも、俺がしっかりしてなかったから」


 ハッとした。

 なんてことだ。俺のせいだ。俺がジョイスを黙らせたんじゃないか。


 もちろん、彼自身、はっきりしたことがいえない程度のものしか、見えてなかった。それくらいウィーの能力が高かったためだ。だが、俺が無理やり黙らせなければ、或いは。

 改めて、自分の間抜けさが嫌になる。俺は一年前、ようやく人間らしい人間になれたと思っていた。間違いなく、浮かれていた。でも、見えないところで、問題は膨らみ続けていた。悪いことは何も起きない、これからはよくなると、勝手に思い込んでいた。


「だとしたら……悪いのは、僕だ」


 とにかく、ジョイスは安心させなくては。


「もう、黙れとか、あれこれ言わない。いざとなったらマオさんもいるし……自分でそうすべきと思ったら、好きにしたらいい」

「……ああ」


 そうは言っても、立ち直るのに時間がかかるのは、仕方ないか。


「それで、ジョイス」

「うん、なんだ」

「聞きたいことは、もう少しあるんだ。いいかな」

「ああ、平気だ」


 グルービーは、多少の謎を残した。だが、俺は彼に対する尋問を、中途半端なところで打ち切った。

 なぜ決着を急いだのか? 無意味に会話を引き伸ばされてはまずかった。そこに彼の部下達がやってきたら、俺が能力を使うところを目撃されてしまう。それでなくても、あそこは彼の城の中だった。もし俺がしくじれば、ノーラまで死ぬ。余裕がなかったのだ。

 ジョイスがある程度、グルービーの頭の中を覗いていただろうとは、推測していた。でなければ「ファルスに勝ちたい」「もうすぐ死ぬ」なんて言葉は出てこない。ならば、必要な情報は彼から拾えばいい。

 グルービーは、無視しがたい、いくつかの言葉を残していた。特に『使徒』とは、誰のことを指しているのか。それが俺でもグルービーでもないとしたら、そいつは誰で、いったいどんな目的で行動しているのか。今後、俺にとって脅威となり得るものか、判断しなければならない。


「あの日、どうして道端で倒れていた?」

「ああ、それは、道を一人で走ってるところで、ばったりアイビィさんに会ったんだ。でも、服装がいつもと違って」


 きっとあの紺色の装束に身を包んでいたのだろう。


「声をかけたんだけど、なんか、こう、うっすらと心が……なんか、氷の塊みたいだった。で、怖くなって逃げたんだ」

「それで」

「でも、逃げ切れなくて、後ろから頭をやられて。クラクラしてるところで、俺、道端に寝かされて」

「うん」

「頭に何か、敷かれて、そしたら、なんかこう、なんて言ったらいいんだろな……? まるで大勢の人の声みたいなのがワッと聞こえて」


 目をグリグリさせながら、ジョイスは語っている。だんだんと興奮してきたようだ。


「あ、これは何かされるな、って思ったんだ。でも、手も足も動かせなくて、なんかが頭の中に入ってくる感じがしたもんだから……そいつを見てやれって思ったんだ」


 それが、グルービーのいうところの「抵抗」だった。


「そしたら……いろいろ聞こえてきちまって」

「どんなものが?」

「まず、とにかくファルスに興味を持っててさ。なんとしても挑んでみたいって、いろいろ準備してるのが見えた」


 その準備の詳細を俺が知っていれば……いや、当時のジョイスに、説明する能力はなかった。


「他には、何かあった?」

「こう、その、よくわかんねぇんだけど、『使徒』ってのがいて、それを見たって」

「それは誰? 僕のこと? それとも、グルービー? その、太った男なんだけど」

「違う、ええと、見えたのは、ものすごくボンヤリとなんだけど、こう、なんか変わった服を着た、ヒゲのっ」


 そこまで喋った瞬間、ジョイスの動きが止まる。


「ヒゲ?」


 口をパクパクさせている? 声が出ない?

 マオが血相を変えた。


「いかん! ジョイス、喋るな! 忘れろ! それを言ってはならん!」


 なんだ?

 何が起きた?


 ジョイスは、息苦しそうにしている。胸を掻き毟るが、息を吸うことさえできずにいる。


「ええい!」


 マオは、乱暴に彼の頭を掴むと、後頭部に一撃を浴びせた。それでジョイスはあっけなく気絶した。


「なんという……」

「マオさん、今のは」

「恐らくは、何かの神通力、ないし魔法じゃろう。いやらしいことこの上ないわ」


 余程、驚いたのだろう。マオが肩で息をしている。


「前に一度だけ見たことがある。秘密を守るための魔術というやつでな。それを知っている人間が喋ろうとすると、呪いが降りかかる。意識に残っているだけでも、この通りじゃ」

「そんな! だって、グルービーはもう」

「いや、それがよくわからんのじゃが……」


 彼も難しい顔をしている。


「ジョイスは、直接そんな魔法をかけられたのかのう?」

「いや、そんなはずは」


 グルービーは、そんな説明はしなかった。精神を混乱させ、伝言を残した。だが、他に魔法をかけたとは。


「南方大陸にいる時、そういう魔法を使われただろう人間を一人だけ見たが……どんなものかは、よくわからなかった」

「それは、たとえば、精神操作魔術、とか?」

「そうかもしれんがのう」


 グルービーが意図的に魔術を行使したのなら、こういう口止めも可能だろう。『強制使役』や『暗示』の応用で、対象の行動を束縛できる。

 しかし、どうもそんな感じがしない。こんな風にジョイスが魔術に抵抗したこと自体が、グルービーにとって予想外だったのだろうから。即座にそんな口止めをするなんて、できるだろうか?


「マオさん」

「ふむ?」

「こんなの、尋ねてもどうにもならないかもしれませんが、そういう魔法って、本人以外にかけることもできます?」

「本人以外、とな?」

「例えば、ですよ? 誰かが僕に、何かの秘密を話せないようにする魔法をかけたとします。で、その僕の心を、ジョイスが読み取る」

「うむ」

「僕が死んだり、動けなくなったとして。直接、魔法にかけられなかったジョイスがそれを話そうとした時にも呪いがかかるというのは……」

「ううむ!」


 マオは腕組みして、考え込んだ。


「わからんのう。じゃが、もしそれができるとなると、途方もない魔術師に違いないぞ? そんな力があるなど、聞いたこともない……」


 そうなのだ。

 精神操作魔術には、確かに、行動を束縛するものが数多くある。だから、俺が何か特定の事実を知られたくない場合、それについて誰かに沈黙を強いることはできる。また、表面上、忘れたかのように思い込ませるのも可能だ。

 しかし、本人の「記憶」や「行動」を制限することは可能でも、「事実」そのものに呪いをかける手段はない。つまり、その人は秘密を守るために行動していても、その心を誰かが精神操作魔術や神通力で読み取った場合、それが知られてしまうという結果が起こり得る。

 ところが、今のジョイスの挙動はどうだ? グルービーが咄嗟に口止めのために魔法を使ったのでないとすればだが……その誰かは、「事実」に対して呪いをかけた。つまり、グルービー自身に対する口止めだけではなく、そのグルービーから事実を知った別人がいても……それがどんな人物であろうと無差別に……その人もそれを口外できなくなる。

 当然ながら、そんな魔法は、俺が入手した魔術書にもない。


「……何か、途方もないことが起きておるのやもしれんな」


 横たえたジョイスに毛布をかけてやりながら、誰にともなく、マオがぼそっと言う。

 寝かされたジョイスは、今では普通に呼吸している。大事無いようだ。


「マオさん」


 俺は、懸念していることを口にした。


「グルービーは、パッシャとかかわりがあったようです」

「ふむ」

「ピュリスにクローマーが来ていたのもありますし……まさかとは思いますが、もしかすると」


 グルービーの言葉を思い出す。


『悪いが、どうしたってこれ以上、答えようがないのさ』


 あれは、この事実を指していたのか?


 グルービーは、およそ人間とは思えないほどの能力を有していた。だが、それはただの努力で得たものではなかった。人間が身につけるはずのない『アビリティ』によって、急速に成長したがゆえなのだ。

 では、それを得るために、彼は何を犠牲にした? どんな『取引』をした? その呪いは、取引の一部だった?

 彼は何かを知っていた。だが、口にしたくてもできなかったのだ。まさに今、ジョイスを襲った呪いの力によって。


「ファルス君」


 マオは重々しく言った。


「自ら災厄に飛び込んではならん」

「マオさん」

「恐れを忘れてはならん……どれほど強くとも、それだけは」


 百も承知だ。

 しかし。


「どうすればいいですか?」


 俺は言わずにはいられなかった。


「じっとしていれば、その災厄は、通り過ぎてくれるのですか? ついこの前だって、この街ごと襲われたのに……そんな途方もないものがいたとして、本当にそれで、逃げ切れるのですか?」


 俺の問いに、彼は答えることができなかった。


 薄暗い部屋の外で、庭の木に止まった鳥が、間抜けな鳴き声をあげた。

 ただただ虚ろな響きが、古びた木の床に、壁に沁み込むばかりだった。

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