挨拶回り、空回り
「お待ちしていましたよ」
朝一番。
執務室で、ザリナは俺とノーラを迎えてくれた。後ろには付き添いのハリがいる。
「ハリから聞いています。なんでもわざわざ、コラプトからピュリスまでいらしたのだとか」
「はい」
二日前とは打って変わって小奇麗になったノーラが、一歩踏み出して、きちんとお辞儀をした。
「ノーラと申します。宜しくお願い致します」
「おや、しっかりなさっておいでなのですね。こちらこそ、宜しくお願いします」
あの夜、帰宅後にあれこれ考えた。
俺の傍に、人を置いておいてはいけない。確かに、グルービーとの戦いでは、ノーラなしでは生還などあり得なかった。だが、そもそもの危機を招いたのも、ノーラの記憶だ。もちろん、彼女に感謝こそすれ、恨む気持ちなどない。
ただ、大きな力は、近くにいる人を巻き添えにする。また逆に、そうした人々が少し手を添えるだけで、とんでもない方向に影響が及んでしまう。だから、俺は人の世界にいてはいけない。俺の秘密を知りつつあるノーラも、リリアーナも、これ以上、近付けてはならない。
そこでまず、ノーラだ。
確かに彼女が帰りたくないというのも、よくわかる。これももう少し、ちゃんと考えておくのだった。
ヌガ村の実家の事情も、俺は知っている。彼女を売り飛ばした家。そして病気になった彼女の母を見殺しにした家。孤児同然の彼女を虐待した継母のいる家だ。確かに、あそこに帰るくらいなら、ピュリスで独立したほうがいい。
だから神殿にノーラの養育を任せる。大人になる頃には外に出されるが、まあ、問題はない。数年間、技能の習得に努めさせ、その後は、まともな就職先を見つけるなり、縁談を持ち込むなりしてくれれば、万事解決だ。
「ファルスさん、九歳の子供となりますと、職業訓練は」
「裁縫を少々、それから棒術をかじっているようですね」
「わかりました。部屋はありますから、住み込みで、まずは講師の下で簡単な作業から」
「待って、ください」
声をあげた彼女に、ザリナが振り返る。
「どうなさいました?」
「通いではいけませんか」
「構いませんが、住むところはありますか? 残念ながら、ここのお仕事は、自立を促すための訓練ですから、あまりお金にはならないのです。神殿の外で、となりますと、生活費もかかりますよ」
「私は、ファルスと暮らしたいです」
するとザリナは、ちゃんとノーラと話し合っていないのか、と訝しげな表情を浮かべた。
「ファルスさん?」
「いえ、ノーラはこう言っていますが、将来のことを考えると、早めにしっかりと独立して欲しいです」
「将来、とか、独立、とか……前から存じ上げてはいますけど、もうすぐ九歳の子供の言うことではないですね……」
俺の言葉にいちいち呆れながら、ザリナは顎に手をおいて溜息をついた。
「とにかく、神殿が申し出を拒むことはありません。特にファルスさんには、以前からお力添えをいただいていますから。ただ、どのように受け入れればいいのか、よく相談してきてください」
「はい」
ごく短い時間の話し合いの末、俺達は神殿を出た。
仕方がない。昨日の今日だ。ノーラにはノーラなりの考えがあるのだろう。彼女の頑固さは、俺もよくわかっている。だから、うまいところで着地点を見つけなくては。
「いいお話だったのに」
「だって、そうしたら、ほぼ神殿の中で暮らすんでしょ」
「ノーラ、子供が親元を離れて一人で暮らそうっていうんだから、不自由なのは当たり前だよ」
「私はファルスと暮らすの」
こうなると、上手に納得させないと、押し問答になる。
「いい? 何をどうするかは、もちろんノーラが決めていい。でも、そのためには自分でも責任を取らなきゃいけないんだ」
「うん」
「僕は、子爵家から多少の給料をもらってる。だから、ノーラを養うことはできるよ。でも、ノーラは僕に頼って生きていきたいの?」
「ううん」
「じゃあ、自分の仕事を見つけないとね」
彼女の「俺と暮らしたい」とは「俺に依存したい」という意味なのか、と問いかければ、もちろん違うと言う。
ちゃんと独立しなければいけない。筋が通れば、説得ができる。
俺と少し距離を置いて、社会の中で生きてくれれば、それでいい。あと一年経たないうちに、俺は自由を買えるのだから。そうしたら……
「僕が紹介できる仕事先は、そんなに多くないよ?」
「うん。次はどこ?」
「お屋敷。子爵家だ」
官邸の東門から、北東にある秘書課の棟に足を踏み入れる。
ソファに座って待たされることしばらく、俺とノーラは、イフロースの執務室に通された。
「待たせたな」
「いいえ、お忙しいところ、お時間をいただき、ありがとうございます」
いつものように、彼は日の当たる窓際に立っていた。
振り返りながら、言葉を継ぐ。
「それで、仕事の斡旋をということだが」
「はい、こちら、ノーラです」
「宜しくお願い致します」
彼の視線が、ノーラに向けられる。しばらく、無言だった。
「ファルス、彼女には何ができる」
「裁縫を少々と、あとは棒術をかじっています」
「子爵家の中には、既にそれなりの人間がいる。今更、他所の普通の子供を引き取る余地はない」
そうだろう。生え抜きの召使の子供達がいるのだ。そこをあえて捻じ込むとなれば、俺が味わったように、ノーラもあの手の苦労を一通り体験することになる。一応、紹介こそしたものの、子爵家は就職先としては、望み薄なのだ。
しかし、もし採用してもらえれば、神殿に通うより、ずっと未来は明るいものとなる。何しろ彼女は奴隷として買い取られるのではない。下働きのメイドとして、給与を貰って勤務する立場になるのだから。
「……だが、ふむ……ファルス、ときに、彼女の年齢は」
「九歳です。次の紫水晶の月で、十歳に」
「お嬢様より年上か。だが、まあ……これなら」
イフロースは、ノーラの爪先から頭の天辺まで、くまなく確認した。
「子爵家に尽くす覚悟があるのなら、将来は保証しよう」
「ありがとうござい」
「お待ちください」
またもやノーラは声をあげた。
「なにか?」
イフロースの鋭い視線がノーラに向けられる。
「申し訳ありませんが、そのような目的であれば、お断りさせていただきたく」
えっ? いきなり?
俺は慌てて、横に立つ彼女にまくしたてた。
「ノーラ!? いいかい、貴族の家の使用人というのは、本来、とてもいい仕事なんだ。身分は庶民でも」
「わかってる。……でも、お断りします」
なんだ? どういうことだ?
断固とした拒否に、イフロースは、口の端を歪めた。
「クッ……ククククッ、なるほど、なるほどな」
何かを察したように、イフロースは笑い出した。
「ノーラとやら」
「はい」
「もし、子爵家に奉公するというのなら、お前には特別な待遇を約束しよう」
「はい」
「銀の腕輪と奥の間の部屋を用意する。その上で、ご嫡男のお世話係を務めてもらおう。どうする?」
「お断りします」
「ハッハッハ!」
そういうことか。
俺は、イフロースを睨みつけた。
奥の間の部屋。騎士階級に属することを示す腕輪。そして嫡男ウィムの世話係、となれば、これはもう、側妾候補という意味だ。
子爵家には、たくさんの使用人がいる。今更、どこぞの馬の骨を受け入れる必要などない。だが、ノーラの美貌は魅力的だ。
今はもうすぐ五歳のウィムも、十年すれば十五歳。帝都の学園に送り出される。さて、そこで問題だ。親元を離れ、大金を自由にでき、周囲にいるのが命令に逆らえない召使ばかりの若い男が、果たしておとなしく勉学に励むだろうか? 愚問だ。
多くの場合、青年の関心は学問にではなく、専ら若い女性に向けられる。その努力はしばしば、不祥事という形を取る。では、これを予防するには、どんな薬が有用か?
遠くに獲物を求めずとも、すぐ目の前に上質な食事があれば、それで事足りる。ウィムは愛人の美貌により道を踏み外すことなく三年間をやり過ごし、無事、帰国して就職する。殊に彼の場合、人一倍、謀略には用心しなければならない。何しろ、ピュリス私物化計画の最終段階を担う立場なのだから。
ノーラは、自分が労働力としてではなく、未来の愛人として採用されるのだと理解した。だから、即座に拒否したのだ。
その拒絶の理由ゆえに、イフロースは俺にもよくわかるよう、改めて意志確認をし、その上で大笑いまでしてみせた。
「ファルス、残念だが、これはどうしようもない。もうしっかりと目の色まで染まっておるよ」
「目の、色?」
「お前が面倒をみるのだな」
そう言うと、彼はまた、笑みを残しつつ、窓の外に視線を向けてしまった。
弱った。
こうなると、次に紹介できる就職先は……あまり気が進まないのだが、あそこに行くしかないか。
「ごめんください」
観音開きの分厚い扉に、セリパス教を示す金属板が飾られている。その前で、俺は声を張り上げた。
かなり待たされてから、内側から足音が近付いてくる。
「遅……えわっ!?」
「まあ」
出てきたのは、リン……ではなかった。
「奥様!?」
「まぁまぁ、ファルス君じゃない」
なぜ教会なんかにエレイアラがいるのだろう?
「どうしてこんなところに」
「あら? ご挨拶のためですよ」
「ご挨拶、ですか?」
「一月前の、あの騒ぎの時に、わざわざ官邸まで来て、怪我人の治療にあたってくださったのですから……主人も世話になりましたし、ご挨拶に伺うのは、当然ではなくて?」
なるほど。納得できる理由だ。
偶然、このタイミングで出くわしたのか。
「でも、それならどうして、奥様が?」
「ふふっ、リンさんが、忙しいから代わりに出てくださいって」
あの幼女狂め。
読めた。中にはリリアーナとナギアがいるに違いない。
「わかりました。急ぎましょう」
「え? ええ」
奥様の後について、客間に向かう。
部屋に立ち入ると同時に、リンの奇声が耳に届いた。
「ふぉぉぉ……ふぉぉぉ……」
「あ、あの、お嬢様、これは、やめさせたほうが」
「どうして?」
リリアーナにナギア、サディスに加えて、更にもう一人、幼女がいる。ナギアの妹、サーシャだ。そしてその四人を丸ごと腕の中に抱えて、無理やり頬擦りしている変態が、ここの司祭であるリンだ。
「あ、ファルスー」
「むっ、罪びとが」
「どっちが罪びとなんですか、どっちが」
やっぱり帰ろう、と思ったところで、僧衣の青い袖が俺の横をすり抜けた。
「ふぉぉぉっ、美少女追加っ!」
ググッとノーラを、少女と幼女の輪に引きずり込む。そしてさっきの続きだ。目の前には保護者もいるのに。
「あらあら」
だが、エレイアラは笑うばかりだ。ならば俺が止める。
「やめてください」
だが手を伸ばそうとすると、リンは後ろに飛びずさった。
「何をするのですか!」
「こっちのセリフです」
「聖女派のセリパス教徒、それも司祭となれば、男性に触れるなど、あってはならないというのに」
「この前、思いっきり触ってたじゃないですか」
「忘れました。ただただ臭かったという記憶しかありません」
こいつらしい。どうしようもないな。
「えっと、その、リンさん」
「なんですか、穢れたファルスよ」
「その、今日はノーラのことで、お話にきたのですが」
「ノーラ?」
「今、あなたが無理やり抱え込んでる、その黒髪の女の子のことです」
当のノーラは、キョトンとしたまま、ただ引っ張り込まれている。
「おお、ファルスよ、よくぞこの子を連れてきてくれました。だからもう、あなたは用済みです、さあ、回れ右」
「最後まで話を聞いてくださいっつか聞けこのロリコン変態喪女がってか少しは態度改めろこのボケ常識弁えろカス真面目な話をしにきてんだろうがってことでそのノーラの就職先を」
「わぁ」
「あら」
つい、イラッときて、久しぶりに早口になってしまった。それをお嬢様やナギア、奥様に聞かれるとは。
「……っと、ええと、仕事というか、引き取り先というか、ですね」
「ふむ、就職先、ですか」
だが、そこはリンだ。普通に返事をしてくる。
「ノーラはわけあって、故郷に戻れません。できればピュリスで仕事の見習いからできればと」
そう言われて、リンはじっとノーラを見た。
「もちろん、引き取れと言われれば、そのようにしますが」
ふざけた態度が鳴りを潜める。彼女はスッと立ち上がり、俺を見下ろした。
「ここで育つ以上、セリパス教の教育をすることになりますよ」
「ある程度は、それでも構いません」
「利発そうな少女ですね。よく学べばいい司祭に育つでしょう。ですが……」
黙って立つノーラを一瞥し、また俺に向き直る。
「彼女に必要でしょうか」
「はい?」
「私には、彼女が『保護』を必要としているようには見えないのですよ」
保護が不要? 何を言っているんだ、こいつは。
「ノーラはまだ九歳なんですよ? 必要に決まっているじゃないですか」
「あなたも、九歳まであと三ヶ月はかかりますね? でも、私や女神神殿の保護が必要ですか?」
「僕と一緒にしないでください」
「確かに、あなたとは違いますが」
リンはノーラの目を覗き込みながら、尋ねた。
「……ノーラさん、はじめまして」
「はじめまして、司祭様」
「あなたは正義の女神の庇護を望みますか?」
「私は、ピュリスで働けるようになりたいです。ファルスの傍で暮らします」
その回答を聞くと、リンは微笑を浮かべて、俺に振り返った。
「わかりましたか?」
俺の返事を待たず、彼女は身を翻して、エレイアラに声をかけた。
「そういえば、まだお茶もお出ししていません。奥へどうぞ……サディス、お客様をおもてなしなさい」
それだけ言うと、彼女はエレイアラに目配せして、本当に奥の部屋に引っ込んでしまった。
なんなんだ、いったい。
俺がどうしたものかと頭を抱えていると、すっと横からリリアーナが近付いてきた。
「こんにちはー」
相手は俺ではなく、ノーラだ。
「はじめまして! 私、リリアーナ! よろしくね」
差し出された手を、じっと見つめるノーラが、ようやく動き出してその手を取る。
「はじめまして。ノーラです」
明るいリリアーナとは対照的に、ノーラは物静かだった。その生来低めの声色に加えて、見方によっては無愛想な態度。礼儀正しく振舞うことはできても、笑顔を振りまくという芸当はできそうにない。
思えば収容所でもそうだった。思うところはあっても、それを言葉にするのは得意ではない。頭は悪くない上、勤勉でもあるから、答えの決まった問題には正しく対応する。一方、感情を表現したり、それ以前に思いのままに行動したり、となると、途端に不器用さが顔を出す。なんというか、布袋の中の石ころのように、ゴツッとぶつかってしまうのだ。
人の顔色を窺って生きてきたリリアーナと、それを全部無視して突っ切ってきたノーラ。あまりに違いすぎる二人だ。
「あ、危ない!」
ナギアの悲鳴が耳を打つ。慌しい足音に続いて、陶器が触れ合う音。なんとかギリギリのところで、大惨事を免れたらしい。フラフラしながらトレーを持つサディスに駆け寄って、支えたのだ。
……サディスの不器用さに比べれば、ノーラのそれは正常範囲、か。お客様にお茶を出すだけで、これでは。
「ファルス、見てないで手伝いなさい」
いつものナギアだ。彼女は彼女で、個性にブレがない。キツい目付きにキツい口調。もう慣れた。
その足元で、チョコチョコと危なっかしく、サーシャが歩き回って纏わりついている。
サーシャもフリュミーさんに似たのか、整った顔立ちをしている。髪の毛の色も茶色だ。まだ四歳、かわいい盛りだ。そのふんわりした雰囲気は、ナギアとは似ても似つかない。
「こ、こら! サーシャ、危ないから、離れなさい!」
「ナギア、僕が持つ」
「そうして、早く」
やっとのことで、全員がソファに腰掛けた。
ふう、と息をつく。
「ねぇねぇ、ノーラちゃん」
「はい」
「ノーラちゃんって、どこから来たの?」
好奇心からか、リリアーナは笑顔で質問を繰り出した。
「コラプトからですが、生まれはヌガ村です」
相手が貴族の娘だから、ということもないのだろう。ノーラは折り目正しく返事をする。
「へー、ヌガ村……あれ? でも、ファルスは、違う村だったよね?」
「リンガ村です、お嬢様」
「そうそう! え? じゃあ、ノーラちゃんって、ファルスと姉弟じゃないの?」
「違います」
一瞬の間。
しかし、すぐにまた、リリアーナは笑顔に戻った。
「あ、でも、聞いたことある! ヌガ村って、ティンティナブリアの端っこだよね!」
「はい」
「じゃ、ファルスとは従姉弟とか? 黒髪、珍しいもんねぇ」
「いいえ」
ノーラの否定の言葉に、今度こそ、リリアーナから笑みが消えた。
「ん? ……じゃあ、どうして?」
「何がでしょう」
「さっき、一緒に暮らすとか言ってなかった?」
姉弟でもない、親戚でもない。
なら、どうして同居したがるのか。
「お嬢様、ノーラとは、奴隷収容所で知り合いました。ピュリスに来る前です」
「うん。でも、それだけでしょ?」
「ノーラ、説明してもいい?」
「いいけど」
ノーラには、村に帰らないだけの理由がある。
「お嬢様には想像もつかないかもしれませんが、子供の奴隷というのは、親に売り飛ばされてなるものなのです。ノーラの場合は特にひどくて、いつも継母にいじめられていたとのことで……だから、帰りたくないのも当然なのです」
「ふーん」
納得した、というように、彼女は何度も頷いた。
「わかった! それじゃあさ! うちにきなよ! 広いし、きれいなお部屋だってあるんだし」
そうきたか。でも。
「いや、お嬢様、実はさっき」
「なぁに?」
「ノーラの仕事先をと思って、もうお屋敷には……ですが」
「ええ!? まさか、じいやが断ったの?」
「えっと、あの」
説明しにくいな。弟の愛人候補としてなら、なんてさすがに言えない。
「いいよ! 私が言うから。きいてくれなかったら大騒ぎするから、ノーラちゃんはお屋敷においで」
リリアーナが口添えすれば、イフロースは……いや。
彼はそんなに甘くない。ノーラの採用は許すだろうが、目的までは変えまい。
「ありがとうございます」
ノーラは座ったまま、軽く頭を下げた。
「いいのいいの! それくらいね! 絶対に大丈夫! 私がちゃーんとお願いするから」
「でも、せっかくですが、お断りします」
また空気がブツッと断ち切られた感じがした。部屋の温度が下がった気さえする。
「……どうして?」
今度こそ、不思議でたまらない、といった顔で、彼女は首を傾げる。
「私は、ファルスを助けたくてピュリスに残るの。家に帰りたくないからじゃないから」
低めの声が、場の空気を更に重く、冷たいものにした。
が、すぐにリリアーナが笑いながら言った。
「あー、ははっ、ノーラちゃん、でもさ、それはないんじゃないかなー?」
「なぜですか?」
「知らないの? ファルスはもんのすごく強いんだから! なんでもできちゃうし、頭もいいし!」
「……強い人が、いつでもどこでも強いとは限らない」
この言葉に、またもやリリアーナの笑みが消える。
なんだ、この表情。
「ふーん……」
なんだかわからないが、ちょっと怖い。
目の色が変わった。これは何か企んでる時の顔だ。
「ま、気が変わったら、声かけてよ。あと、いつでもうちに遊びにおいで。待ってるから」
「はい。ありがとうございます」
その時、ガシャン、と音がした。
「ああ! サーシャ、何をしてるの!?」
誰もが二人の会話に気を取られているうちに、サーシャは一人、お茶を飲もうとして、カップを床に落としてしまったのだ。
「あ、大変! 片付けないと」
リリアーナもノーラも腰を浮かしかけるが、ナギアはそれを止めた。
「私が片付けます。それより、お茶が冷えちゃいますよ?」
「そうだね」
一緒に出されたクッキーを口に放り込みながら、リリアーナは言った。
「食べよ? おいしいよ!」
……セリパス教会を出る頃には、日差しに橙色が混じりつつあった。
あれから一時間ほど、ひたすら俺は、ガールズトークを見ているだけだった。といっても、そのほとんどは、リリアーナからノーラへの質問攻めだったのだが。
それにしても、俺はいったい何しにここに来たのだろう?
まったく目的を果たせていない。
不思議なことに、ノーラを見ると、イフロースもリンも、すぐに引き取るのを諦めた。特にセリパス教会では、ノーラ自身からの拒絶の言葉すらなかったのに。
恐らく、彼女の強い意志を感じ取ったがゆえなのだろうが。
「ねぇ、ノーラ」
「なぁに?」
「どうするの?」
「大丈夫! ちゃんと働いて、ファルスに楽をさせるから」
「そんなのはいいんだけど」
少女の稼ぎをあてにする理由がない。むしろ同居人がいると、地下室の財宝を拝みにいくタイミングに困るので、かえって金銭的に不自由しそうだ。
とりあえず、疲れた。
遅めの昼食をとったら、いったん家に引き揚げよう。自分で料理をすると時間も手間もかかる。外で簡単に済ませてしまおう。
いつもの酒場の扉を押した。
鈴の音と同時に、怒鳴り声が聞こえてきた。
「なんでだよ!」
ドロルが必死な顔で、そう喚きたてる。いったい何が?
視線の先を追うと、ユミがいた。
「ごめんなさい」
相変わらず、訛りの残るフォレス語で、彼女は返事をした。
「今、お前にまで抜けられたら、昇格が更に遠のくんだぞ」
「落ち着け、ドロル」
後ろから肩を叩いて、ガッシュが落ち着かせる。
「ユミ、そう急がなくていいだろう。明日の午後まで、まだ時間はある。ゆっくり考えてくれ」
「はい」
返事をすると、彼女は俺に会釈して、階段のほうに去っていった。
「どうしたんですか?」
「ああ」
ガッシュは首を振りながら答えてくれた。
「俺達のパーティーから抜けたいんだとよ」
「ええ!?」
「それだけならともかく、もうそのつもりで、明日の昼に出る船のチケットまで、買ったっていうんだ」
「なんでまた、そんな急に」
「さあな……」
知っていることはそれがすべて、ということらしい。
彼はどっかと腰を下ろして、俯いてしまった。
そんな彼を見て、ふと予感めいたものを感じてしまった。
何かが移り変わろうとしている。そんな何かを。
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