最後の対話

「ご主人様、お忙しいところ、申し訳ありません」


 耳に心地よい声。

 スィは相変わらず、グルービーの下でメイドの仕事をこなしていた。


 扉の向こうからは、小さなだみ声が返ってくる。だが、あまりよく聞き取れなかった。


「奴隷のノーラが、どうしても申し上げたいことがあるとのことで」


 広々とした通路。足元には上質な絨毯が敷かれ、その白い壁には、所狭しと女神達のレリーフが刻まれている。

 ラスプ・グルービーの周囲は、いつも富によって彩られているのだ。


 内側から、両開きの扉が引き開けられる。


 いつかの夜、二人で語り合った、あの部屋だ。

 赤いカーテンの下、隅には黒い置時計がある。部屋の突き当たりには大きなガラス張りの壁があって、そこから中庭がよく見える。見栄えのしないキノラータの木が、今日も影を落としていた。


 その窓際に、グルービーがいた。

 車椅子に腰掛けたまま、動こうとしない。


「ご苦労」


 声だけ返し、彼は相変わらず庭のほうを見つめている。

 隣に立つスィが、俺に促す。いったい、ご主人様に何の用があるのか、と。


 ややあって、グルービーが首だけこちらに向けた。


「今になって、いきなりどうしたね、ノー……」


 言いかけて、彼はやめた。


「スィ」

「はっ」

「それから、他の皆も。少し、部屋を出ていなさい」

「はっ?」

「そうだな、もう一度呼び鈴を押すまでは、何があろうとも、誰もこの部屋に立ち入ってはならん」


 いきなりの命令に、スィも、室内に立つ二人のメイドも、目を白黒させている。


「早くせい」

「は、はい」


 促されて、彼女らは慌しく部屋を出て行こうとする。

 それをグルービーは呼び止めた。


「あぁ、スィ」

「はい」

「……お前にも、長く勤めた他のメイド達にも、思えば世話になったな。礼を言っておくよ」

「は、はっ? 滅相も」

「いい。行きなさい」


 それで、バタバタとメイド達は出て行った。

 後に残されたのは、俺と、グルービーと、静寂だけだった。


「……くっ、くっくくく……はははは」


 その沈黙を、グルービーの笑い声が破った。

 彼ははっきりと顔をこちらに向け、言った。


「おめでとう、ファルス君」


 その顔を見て、ぎょっとした。

 体毛はほとんど抜け切っていた。皮膚の皺も増えた気がする。

 だが、それだけではない。右目が紫色になっている。あれは人間の目ではなく、何か義眼のようなものが嵌められているのだ。


「本物のノーラにしては、どうも心の声が聞こえないからね……となれば、君しかない」

「さすがに、気付いたか」


 取り繕う意味もない。

 この距離。もう俺はグルービーを認識している。この時点で、決着はついている。


「それはね。だが、どうにもおかしいな。たった十分前にも、あの牢屋に君がいるのを確認したのに……どれ」


 しばらく彼は集中して、何かに意識を向けていた。

 だが、すぐにそれとわかって、ニヤリとする。


「これは一本取られたね……先入観に凝り固まっていたのは、わしのほうだったよ」

「例の、魔法の道具、か?」

「そうだ。あれと、クレイゴーレムを使って、牢屋の中の君を監視していた。人間にやらせると、犠牲者が出かねないからな」

「ずっと見張っていればよかったのに」

「残念だが、それは難しい。この魔法道具は、浮かせたり、透明にしたりするだけで、相当に使用者の体力を消耗するのだよ。あれでこの前は随分無理をしたのだ」

「その目はどうした」

「これも、その道具の一部だよ。こうやって体に埋め込まないと、使えないらしい……今のわしの体だと、ちょっと使うだけでもどんどん寿命が縮まる代物だ」


 そのために、右目を抉り出したのか。

 だが、俺と戦うためにグルービーが犠牲にしたのは、右目だけではなかった。


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 ラスプ・グルービー (65)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク0、男性、87歳)

・アビリティ 高速成長

・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力

 (ランク8)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル シュライ語  4レベル

・スキル ハンファン語 4レベル

・スキル 商取引    6レベル

・スキル 房中術    7レベル

・スキル 薬調合    7レベル

・スキル 精神操作魔術 9レベル


 空き(54)

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「グルービー」

「なにかね」

「人間を、やめたのか」

「ちょっとはみだしただけさ」


 ふう、と溜息を漏らしながら、グルービーは背を伸ばした。


「まさか、ね。てっきり、わしは君の能力が、誰かから何かを奪うだけのものだと思い込んでいたが……自分の体ごと、ノーラにくれてやるとは」

「もし、そこまで気付かれていたら、どうしようもなかった」

「まったくだね。わしも詰めが甘い……はっはっは」


 彼は本当に楽しそうに笑った。


「笑っている場合か?」

「これを笑わないで、何を笑えばいいんだね?」

「お前はもう、助からない」

「同じことさ」


 笑いを収めて、彼は静かに言った。


「ちょっと背伸びした取引をしてね……見ての通りだ。老け込んだろう? たぶん、この肉体はあと一週間、もたないよ」

「どうしてそこまで」


 考えてみれば、変だ。

 俺の力で、肉体を交換してもらえるならば、彼の寿命は延びる。だが、グルービーは、俺が「奪う」しかできないと考えていた。つまり、延命目的で俺を狙ったのではない。むしろ、寿命を縮めてまで、戦う力を欲したことになる。


「理由は一つではないからね……説明できることもあれば、できないこともある」

「全部吐かせるつもりだぞ?」

「わしとしてもそうしたいのだがね……こればっかりは、どうにもならん」


 わけのわからないことを。

 だが、それならまずは、言えることから自白してもらおう。


「ピュリスを海賊達に襲撃させたのはなぜだ」

「一つには、依頼があったからだよ」

「それは誰から」

「あちこちからさ」

「あちこち!?」


 目を丸くした俺に、グルービーは満面の笑みで説明した。


「そう、あちこちさ。わかりやすく言おうか? 長子派、太子派から各一件。更に中立勢力の貴族からも一件」

「な、なんでそこまで」

「理由はそれぞれだよ。みんな目的があったのだ。わしはただ、お膳立てをしただけさ」

「パッシャとはどういう関係だ? クー・クローマーのことも知っているんだろう?」

「もちろんだとも。あれは長子派の依頼で動いていた。だからまぁ、わしにもやりたいことがあったから、どうせならみんなの夢を一度にかなえてあげようということで、一時的に手を結んだわけさ」


 ひどすぎる。

 この国の貴族どもの頭は、いったいどうなっているんだ。


「君にとってはあまり大事な情報ではないだろうが、その他についても簡単に述べておこう。中立貴族のお目当ては、なんとトヴィーティアの継承権だよ」

「ええ? あんなド田舎を?」

「びっくりだろう? わしならまず手を出さんのだがね……それと、太子派の依頼については……今、アイビィを報告に出向かせているんだが……こちらの仕事のためにわしから貸し出したのがタロンだ」

「具体的には、どんな命令を出していたんだ」

「いろいろあるが、一番重要だったのが、サウアーブ・イフロースの殺害だった」

「なに!?」

「ああ、そんな顔をせんでくれるかね。わしは頼まれただけだからな」


 太子派で、イフロースを煙たがる……なるほど、あくまで想像に過ぎないが、こちらはなんとなくわかった。


「じゃあ、ウィーのことは」

「ウィー? 誰だね、それは?」

「とぼけるな。ガッシュ達と行動を共にしていた、男装の射手だ」

「ふむ? ……ああ! ウィム・エナかね?」

「彼女が子爵を襲った」

「悪いが、それはまったくわしとは関係がないよ」


 それは仕方がないし、あり得ることか。

 では、グルービー自身のことも尋ねるとしよう。


「ピュリスを病原菌で攻撃したな」

「ああ、したとも」

「南西部の村々で実験もした」

「その通り」

「あれは、誰に教わったやり方なんだ?」


 この質問に、今度は彼が目を丸くした。


「君、冗談だろう?」

「なに?」

「君だよ、ファルス君」

「なんだって!?」


 馬鹿な。

 俺がいつ、そんなことを。


「前にうちに来た時、生物学の話を延々としてくれたじゃないか。あれは大いに参考になった」

「そんな、あれだけの情報で?」

「もともと、うちは薬品商だからね。南方大陸から報告があがってくる珍しい病気もたくさんある。俗にいう真珠の首飾り……あの海峡にはわしの支店もあるから、すぐに対応できたよ。それで、早速患者を探して、サンプルを取った」


 なんてことだ。

 ちょっと情報や知識を与えただけで、こいつはすぐ実践に移す。

 前世の知識を教えるのも、よくよく考えながらでなければ……少なくとも、こんな危険人物に材料を与えたら、すぐ武器になってしまう。


「それで」

「次は何かな」

「頼まれただけじゃなく、自分のための理由もあるんだろう?」

「もちろんだとも」

「それは何のためだ」

「それも君だよ」


 俺?


「神の力を持つ超人に、挑んでみたかった」

「神? だって?」

「そうとも。まあ、それすら理由の一部だがね」

「そんなことをして、何の利益になるんだ」


 すると彼は、首を振って、微笑みながら言った。


「わしがどんな人生を歩んできたか、大雑把には知っているだろう。若い頃は貧しさに苦しみ、いちかばちかで大金を手に入れた。それからは、どんな汚い手でも躊躇せずに、ただただ成功を追い求めた」

「そうだな」

「だがね……そんなものは、わしの本当の望みなんかではなかったのだよ」


 彼は、窓の外の木に、視線を向けた。


「子供の頃、わしは英雄に憧れた」


 当たり前すぎる話だ。少年なら誰しも一度は、強く美しい英雄になる夢を見る。


「剣一本携えて、気心の知れた仲間と一緒に、荒野を、密林を、雪原を、そして迷宮を駆け巡る。笑い、泣き、怒り、悲しむ。毎日毎日を精一杯生きるのだ。たとえ志半ばで倒れるとしても、こんな素晴らしい生涯が他にあるだろうか」


 彼は、少年のようにそう語った。


「だが」


 表情に翳ができる。


「気付けば、わしはただの商人だった。金ならうなるほどある。美女も選り取り見取りだ。そして、会う人会う人みんなが、わしに頭を下げる。這いつくばって、媚を売る」


 首を振って、溜息をついた。


「こんなつまらない人生はない。そう思っていたのだよ」


 一年前の訪問の、二日目の朝の朝食を思い出す。

 将来の夢を訊かれた。確かにあの時、グルービーは俺の予定していた冒険を、羨んでいたが……


「その点、君との出会いは、実に衝撃的だった。この二年間ほど楽しかったことは、他にない。考えてみたまえ。部屋からろくに出ることさえおぼつかないこのわしが、ついに生涯最初で最後の大冒険に挑むのだ。それも相手は、貴族や王なんかじゃない。そんな雑魚どもじゃない……もっとずっと手強い存在だ……わくわくしなかったと言ったら、嘘だろう?」


 俺は、混乱していた。

 だが、すぐに立ち直って、詰問した。


「だったら、どうしてこんなことを。ピュリスにあれだけの被害が」

「申し訳ないとは思っているよ。だからせめてもの気持ちでね……間に合うようにと、女神教の巡礼団を送りつけておいたのだ」

「えっ? じゃあ、あれは」

「人が死なない病気をばら撒いたのも、一応、わしなりの配慮さ。もっとも、バカな連中が台無しにしてくれたようだがね」


 そんな。

 俺は、どう考えればいい?

 いや、でも、こいつは俺を殺そうと。


「だけど、ゲーム感覚で、俺を殺そうとした」

「ああ、あれかね」


 重い頭を支えきれず、彼は苦しそうに身悶えした。


「正直、迷ったよ。本当に君を殺してしまうべきかどうか」

「なんだって?」

「所詮、わしに殺される程度の人間であれば、今、死んでおいたほうがいい。だが、見事、生き延びてくれた」


 また混乱させるようなことを言う。

 俺を殺そうとしておきながら、殺すのに失敗したのを喜んでいる?


「そういえば、俺の秘密は、他に誰が知っている」

「安心したまえ。ここまで解明したのは、わしだけだ。他の部下達は、君と戦いはしたが、その秘密についてはほとんど何も知らせていない。だいたい、言えるわけがないだろう? うっかりすると、消されてしまうぞ、なんて……下手をすれば、わしが裏切られるよ」

「でも、観察は」

「ああ、カンプスにもさせたが、君の秘密を見たのは、アイビィだけだ」


 となると、その他の口封じは不要、か。


「そういえば、アイビィは、ジョイスを襲ったようだが……何をさせた?」

「手頃な少年がいたものでね。ちょっとばかり、利用させてもらったよ」

「だから、何をしたと言っている」

「複数の魔法をかけた。まず、精神を混乱させて……こちらはセリパス教の司祭が治療したようだが……それから、魔石を原材料にした触媒を通じて、わしの命令を実行させようとした。聞いてくれたかね、わしの伝言は」


 あの演出のために、随分と手間をかけたらしい。いくつもの魔法を重ねてかけるなんて。


「どうしてそんな面倒な真似を」

「知らんのかね? 魔術は重ねあわせることで、より効果を発揮する。低位の『認識阻害』から始まって、だんだん上位の術に切り替えていくわけだ……だが、君には効果がなかったからね」

「なに?」

「君を買い取りに、わざわざピュリスに行った時だよ。ひどい臭いだったろう? どうしても触媒を薬剤で補うと、ああなってしまってね。だが、この体型だし、体臭ということにさせてもらったよ」


 あの時点から、既にして、俺を操ろうとしていたのか。


「だが、なかなかしぶとかったな、あの子供は……完全に支配するつもりが、多少なりとも抵抗されてしまった。おまけに、神通力で、わしの意識の一部を読み取りさえするとはな。しかし、コラプトから魔法をかけたのだし、まあ、なかなかうまくはいかんものだ」


 だから、か。

 俺に「行くな」と言ったのは。


「……まだある。グルービー、『使徒』とは、誰のことだ?」

「ははあ、ついにそこを訊くのかね」

「答えろ」

「気をつけたまえ、ファルス君」


 笑みを取り戻し、彼は静かに言った。


「君はきっと、英雄になる。もちろん、その道程には、多くの困難が待ち受けている。だが、心を強く持つのだ。そうすればきっと本当の勝利を手にできる……そう、今回みたいにね」

「答えになってない」

「悪いが、どうしたってこれ以上、答えようがないのさ。ただ、覚えておきたまえ。君がどうやって敗れ、どうやって勝ったのかを」


 戸惑う俺に、グルービーは尋ねた。


「今度は、わしから質問してもいいかね?」

「何を知りたい」

「君と、君の能力についてさ。わしの推測は、どこまで当たっていたのか、確認したくてね」


 どうしよう?

 黙っていてもいい。どうせこいつは殺す。この世界から抹消しなければならない。

 だが……


「いいだろう。俺は、この能力を『ピアシング・ハンド』と呼んでいる」

「ふむ」

「二歳の時、生まれた村で殺されそうになった時に目覚めた力だ。これは、人の持つ肉体や能力を、何か一つだけ、奪うことができる」

「一つだけ、かね?」

「お前が考えた通り、この力には制約がある。一日に一度しか使えない」

「なるほどな」


 彼は興味津々という顔で、身を乗り出している。


「それに付随して、大雑把にだが、相手の能力を垣間見ることもできる。だから、お前が精神操作魔術を使えるのもわかっていた」

「ほほう」

「誰かから何かを奪うのは、一日に一回だけだが、与えるのには、特に制約はない。但し……」

「他にも何か条件があるのかね」

「どうやら、年齢が能力の数の上限になるらしい。ただ、それは肉体の年齢じゃない。魂の年齢だ」

「魂、かね」


 正直、その辺はあまり自信がない。

 なんとなく、で説明するしかない部分だが。


「自分の場合、肉体の年齢は八歳九ヶ月でも、魂の年齢は既に九歳になっている。ミルークの収容所にいた時、一週間だけ、虫になっていたせいで、急速に加齢した」

「ほほう! では、虫けらにもなれるのかね?」

「なれる。ただ、危険だから、もうやるつもりはない」

「それはどんな問題が?」

「何より奪い取った動物の知能に引き摺られる。だから、あんまり頭が悪い生き物に変身すると、元に戻れなくなる」

「それは怖いね」

「だから、今回も危なかった……ノーラに蛇になってもらって、壁の穴から牢屋に入ってもらったけど、とにかく知能の低下がひどくて、人間に戻っても、慣れてないと、しばらくは呆けたままになる」

「ふうん、面白い。面白いな」


 お前にとっては、面白いでは済まないが。


「それから、一度でも植物になると……多分、知能がまったくのゼロになると、二度と回復できなくなる」

「ほう」

「覚悟はいいな、グルービー」

「ふん?」

「ここに死体を残すわけにはいかない。ノーラが殺人犯にされてしまうから。だから、お前の肉体を奪うことになる。だが、それだけでは済まさない」

「ほう?」

「お前は、樹木に変えてやる。身につけた経験、能力……全部、俺のために使い切ってやる」

「はっはっは! そいつはいい考えだ!」


 食い尽くされると宣言されておきながら、彼は実に楽しげに笑った。


「で? 君の力については、以上かね?」

「そうだな」

「では、もう少しだけいいかな……君自身は、いったい何者なのかね?」


 すべてを語っても、問題はない。

 人払いはしてあるし、グルービーはもうすぐ木になる。


「ただの人間だ」

「真面目に言ってほしいのだがね」

「但し……この世界のではない」

「なんだって?」


 せめてもの情けだ。

 納得して死んでいけるなら。


「こことは違う世界……そこから生まれ変わった。ただ、どういうわけか、前世の記憶がある。大人の思考力があるというのも、それが理由だろう」

「なるほど! やっと納得できたよ」


 すると彼は、懐に手をやった。


「わしは見ての通りの悪人だがね……約束は守る主義なのだよ」


 そう言いながら、彼は何かを抛った。金属音が床に響く。

 それは、いつか見た鍵だった。


「どうせわしの体を奪ってなりすますのなら、全財産を君の物にできるわけだが……それはそれとして、宝物庫の鍵を差し上げよう」

「なっ」

「有効に使いたまえよ? 精神操作魔術の秘伝書も中にあるからな……それと、もう一つ約束した美女達だが、こちらは仕上がりまでまだ十年はかかる。待って欲しい」

「その頃には、お前はもういないぞ?」

「問題ない。後任者がうまくやってくれるさ」

「金はともかく、女はいらない。十年後なんて」

「いやでも受け取らせるとも。わしが誰だか忘れたのかね?」


 不敵な笑みを浮かべつつ、彼は肩をそびやかしながら、厳かに言った。


「ラスプ・グルービー。それがわしだ」


 その一言が、すべてを物語っている気がした。

 彼は彼だ。誰になんと言われようと、やりたいようにやる。無論、そこには責任も発生する。今回は、それを彼自身の命で支払わねばならない。納得ずくだ。

 それでも、誰も彼を止めるなんてできない。体の病気なら或いは治せるとしても、そのわがままだけは、誰にもどうしようもないのだ。


「しかし、あそこまで罠を仕掛けておいて、負けてしまうとはな」


 少しだけ悔しそうに、彼は苦笑しながら言った。


「いや、お前は勝っていた」

「ここに君が辿り着いたじゃないか」

「ノーラは、俺が呼んだわけじゃない。ただ、運がよかったんだ……多分。自分の力じゃない」

「それでも」


 車椅子からずり落ちそうになる体をなんとか引っ張り挙げて、グルービーは言った。


「そういうのも含めて、君の力さ。だから、これは君の勝ちでいい。そうではないかね?」


 そう語る彼は、不思議と満足そうに見えた。


「楽しみだね、実に楽しみだ」


 夢を見るかのような表情で、彼は言った。


「これから、君の冒険が始まるのだ。不幸にして、わしはそれを目にはできないが……どんな未来が待っているのだろうね? 世界の果てまで踏破する、そんな君の姿が、思い浮かぶよ」


 これから自分を殺す相手を、まるで祝福するかのように、彼はそう言った。


「グルービー」

「時間かね? 構わんよ。ああ、ただ」


 なんだ?


「……いや、これは未練だな。構わん。やりたまえ」


 ついに決着、か。

 惜しい気はする。

 これだけの知性が今、無となるのだ。

 それでも、生かしておくわけにはいかない。


「君の栄光を祈るよ、ファルス君」


 その言葉を最後に、グルービーは一本の大木に変じた。

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