ファルスの弱点

 震えが止まらない。

 生温かいクパンバーナーの体の下から起き上がって、なんとか立ち上がる。

 つい今朝、購入した小剣はもうダメだ。酷使しすぎて、刃先もボロボロになっている。多少の損傷はあるが、クパンバーナーの持っていた剣の方が、状態はいい。俺はそれを拾いあげる。


 ほとんど負けていた。最後はただの運だった。


『ほう……これは完全に予想外だな。勝てるとは思っていなかった。剣で殺すとは』


 また不愉快なグルービーの声が響く。


『しかし、さっきまでの手加減はどこにいったのかね? 余裕がなかったかな』

「ふざけるな」

『トカゲが相手では、思い遣りの出番もないというわけかね』


 もちろん、手を抜く余地などなかったからだが、もしそうでなくても、きっと斬っていただろう。


『いや、君がこいつを殺すだろうとは思っていたんだ。ただ、こういう形になるとはね』

「何が言いたい?」

『……いつものアレは使わないのかね』


 ゾッと悪寒が走った。

 ついにとうとう、そのことを口にした、か。


「そろそろ答えろ。いったい、どこまで知っている」

『そうだな。とりあえずは、そこの階段を登ると、シャッターを操作する装置がある。それと、この建物唯一の窓があるね』


 まだ答える気はない、か。

 構わない。こうなったら、何が何でも捕まえて、ピュリスに連行してやる。


 階段を登ると、確かに彼の言う通り、大きな金属の歯車がたくさんついた装置が目に付いた。レバーがあるが、これを引けば、シャッターが開くのだろう。

 つまり、これでやっと外に出られる。しかし……


『おっと、まだ慌てないで欲しいな』


 グルービーが俺を呼び止める。


『もちろん、帰るのは自由だが……窓の外を見たまえ』


 窓はすぐそこにあった。ご丁寧にも、鉄格子がきっちり嵌めこまれている。ちょっとやそっとでは引き剥がせないだろう。

 そこから首を伸ばしてみると……


「な、なんだ、あれは!」

『少しは褒めてくれてもいいと思うんだがね』


 いつの間にか、無数の群衆がこのビルを取り巻いていた。

 一見して、コラプトの一般市民とわかる。


「金でもばら撒いたのか」

『まさか。そんな幼稚なやり方は、昨日まででやめたよ』

「じゃあ、どうしてあんなに人が」

『君はもう、知っているんだろう?』


 甘かった。

 俺は、ここまでがグルービーとの戦いだと。奴の周囲を固める護衛を倒しきれば、あとは無防備な本人を捕らえるだけ。そう考えていた。

 だが、奴にとっては、ここからが俺との勝負なのだ。


『街の広い範囲に、精神操作魔術をかけた。今、ほとんどの市民にはろくに意識がない。全員が君、ファルス・リンガを狙っているのだよ』

「なっ、なんでそこまで」

『わしも少しは成長したからね……どうかね? 多少は楽しんでもらえたかね?』


 これは、つまり。

 シャッターを開けても、俺は外に出られない。強行突破は可能だが、その場合、市民を傷つけずには済まない。

 途中で鳥になる? だが、塔を取り巻く人の中には、弓を手にしているのもいる。


 想定外だ。

 こんな凄まじい威力で魔法を行使できるなんて。


「くっ」

『そこで提案がある。窓の向こう、そう左側を見て欲しい……ため池が見えるかね?』


 グルービーの言う通り、そこには貯水池があった。真冬の最中なのと、周囲に樹木が植えられていて日陰ができているせいで、表面には薄い氷が張っている。


『このわしの屋敷は、昔の豪族の砦を改築したものなのでね……戦の時に、逃げられるように秘密の通路が設けられていたのだよ。その出口が、あのため池なのだが……それを少し、手直しした』


 つまり、この建物から、その通路に行けるということか?

 だが、なぜそれを教える? 俺をそこに誘導したいからだ。


『この六階、まあ、最上階だが、その脇の扉を開けると、下り階段がある。わしには無理だが、君なら楽々駆け降りることができるよ』

「どうせ罠が張ってあるんだろう?」

『今更じゃないかね? それに、君がトドメを刺さなかったから、そろそろ下の階の連中が目を覚ますのではないかな』


 選択肢など与えない、か。

 どちらにせよ、シャッターを開ければ、一般市民が雪崩れこんでくる。そうなったら、何の罪もない人を大勢傷つけることに……


「逃げられると思うな、グルービー」


 腹を決めた。


「いくらお前でも、手駒が無限にいるわけじゃない。これだけ片付けたんだ。お前を守れる人間が、あとどれだけいる?」

『正直に言うが、ファルス君、今、わしの傍には、護衛は一人もいないよ。普段は女部屋の監視はモライカが、すぐ傍での護衛はカンプスが、屋敷全体の見回りはマルテロがさっきの男達を率いてこなしてきたんだ。その上、タロンは死んだし、アイビィもここにはいない……』


 なら、こいつのこの余裕は、どこからきている?

 さっきのリザードマンみたいなのが、何十匹もいるというのなら、確かに俺もお手上げなのだが。


『魔物も、まあ、いくらかは手元に用意してあるが、さっきのリザードマンより手強いのは、いないね』

「どうだか」


 グルービーとて、勝算があるから戦っているのだ。こいつの目的が俺の能力なら。俺を支配下において、それこそ精神操作魔術で完全に洗脳するとかすれば、こいつはもう、なんでもできる。金や手駒なんか、どれほど注ぎ込んだって惜しくない。

 まあ、いい。俺の目的は変わらない。行けるところまで行って、グルービーを捕まえる。見つけられなければ、逃げる。あくまで最悪の場合には、さっきのシャッターも開ける。俺を捕まえようとする一般市民を蹴散らせば死傷者が出るかもしれないが、さすがに自分の命を犠牲にはできない。


『さて、しばらくはただ歩くだけだから、さっきの話の続きをしようか』

「これ以上、何を話すことがある」

『君の弱点の話だよ』


 またそれか。


『ノーラを買った時、わしは久々に当たりを引いたと思ったよ』


 今から二年半ほども前のこと。奴隷オークションか。

 あの時は、グルービーが、強欲な変態だとしか思えなかった。


『ところが、その後にもう一人黒髪の美少年が……纏めて購入できるだけのお金を用意しておけばよかったと、後悔したものだ』

「買われずに済んで、本当に良かった」

『なにしろ、あの頃はひどく退屈していてね。女は散々味わったから、次は少年も、とちょっと考えていたんだよ』


 冗談じゃない。

 やっぱり欲情してやがったのか。吐き気がする。


『ところがどうだ。せっかく連れ帰った美少女の頑固なこと。一目で気に入ったから、もういっそ、大人になるのを待たずに味わおうかと思ったくらいなのに……指一本触れたら、死んでやるとすごい剣幕でね』


 いかにもノーラらしい。

 こうと決めたら、絶対に変えないのが彼女だった。


『無論、懐柔しようとしたとも。おいしいお菓子、かわいいぬいぐるみ、きれいな服……だが、何を差し出しても、目もくれない。脅しもしたよ。打たれたいのか、死にたいのか、とね。ああ、実際にはそんなもったいない真似はしないよ。せっかくの美貌に傷でもついたら、たまらないからね』


 この野郎。

 まだ六歳の少女に、よくもそんなことができるものだ。


 暗い階段を慎重に降りながら、俺は内心で毒づいた。


『でも、なんとしても言うことをきかないから……ついね。心の中を覗いてやることにしたんだ。そしたら、君が出てきたよ』

「魔法で心の中を見たのか」

『見たとも。びっくりしたね。真っ黒な鳥が、いきなり目の前の小川に飛び込んだかと思うと、裸の少年になって出てくるんだから』


 あの日だ。

 オークション前の、あのピクニック。

 やっぱりしっかり見られていたのか。


『昔の魔術には、動物に変身するのもあったらしいが、こんなに鮮やかにできるものかどうか。どっちにしろ、六歳かそこらの子供にやれる芸当じゃない。俄然、興味が出てきたよ』

「それで、金貨三万枚か」

『もっと金を積んでもよかった。所有する不動産を一つか二つ、売り飛ばして、あの十倍を用立てても全然惜しくはなかったんだが、あれ以上出すと言うと、今度は足元を見られるし、それに理由を疑われるからね……あくまで金持ちの変態趣味の一環ということにしておきたかったのさ』


 やはりそうだったのか。

 あの時から、完全に俺を付け狙っていた。


『収容所での君は、子供とは到底思えないほどの知性を発揮していた。あれはどう見ても、大人のそれ……しかも、ものの考え方が、この世界のどこにもないような……このわしがね、気付いたら仕事も女もそっちのけだ。だからアイビィやカンプスに命じて、君の周囲を探らせ続けた。すると、君がコラプトに来るというじゃないか』


 接遇担当を外されて、カーンと一緒にこの街に来た時の話か。


『わしはアイビィに厳命したよ。なんでもいいから、絶対にフェイから目を離すな、とね。するとどうだ……野良犬の群れを見ていた君が宿屋に引き返すと、今度はボロを纏って出てきた。それが物陰に入ると……そこから犬が出てきた!』


 見られていた。

 あの時からもう、完全に監視されていたのか。


『犬の後にはもう、何も出てこなかった。君が去った後、アイビィはあそこで待つことにしたんだ。そしたら……夜遅くになって戻ってきたね』

「全部、知っていた……のか」

『この程度のことを全部というのならね』


 だから、アイビィを俺の監視にまわした。

 共同生活をさせて、なんとか決定的な瞬間を捉えようと。


『観察をしたら、次は仮説を立てる番だ。まず、君は動物を一瞬で殺せる。しかも、その肉体を奪って、それそのものになりすますこともできる』


 これは、ノーラの記憶からでは判断できない部分だ。俺を尾行していたアイビィが、犬になりきった俺を観察していたからこそ。


『これだけでも凄いことだ。けれども、どうもそれ以外の部分が引っかかる。なぜというに、君はやたらと有能だったからね。高品質な薬剤を製造する技術は、いったいどこから学んだのか? だから、わしの最初の仮説はこうだ。つまり、君は少年の肉体を強奪した大魔法使いなのだ』


 確かに、それで説明はつく。ミルークも最初は、そんな風に考えたのかもしれない。


『だがね、わしはすぐ、その考えを打ち消した』

「なに?」

『だってそうじゃないか。そんな真似ができるなら、どうしてわざわざ奴隷少年なんかになるんだい? わしがそいつなら、なんとか貴族の息子になりすますさ』


 じわじわと胸の奥から、言い知れない不安が滲み出てくる。

 俺が能天気に暮らしている間、ずっとこいつは、俺のことを調べ、考え抜いてきたのだ。


『ということは、そのファルス少年の体は、君そのものだ。きっと別人にもなれるのだが、あえてそれをしない。なぜか? さあ、そこで君の一つ目の弱点だ』


 不必要な殺人を避けたいから。

 いや、それだけではない。


『君は、殺人を嫌う。恐れていると言ってもいいかもしれないね』

「見ての通りだろう」

『そう……今も君は、無関係な人を傷つけまいと、確実に脱出できるルートを捨てて、わしの罠にはまりつつある』

「違うな。お前を捕まえるために、今、そっちに向かっているんだ」

『はっはは……じゃ、そういうことにしておこう。で、続きだが』


 長い下り階段だ。それもそうか。地上六階から地下まで。ずっと下り続けているのだ。


『だが、殺せないだけではない、とも考えた……何しろ、君の人柄について、まだ確信がなかったから、いろいろ検討してみたのだよ』

「というと」

『他人になりすますのが、単に難しいから、ではないか? その人そのものになりきるには、体だけでは不十分だ。となると、もしかして、肉体を奪うことはできても、記憶は引き継げないのではないか、と』


 こいつ……!

 どこまで俺のことを。


『しかしそうなると、また矛盾が残る。君が子供の体に乗り移った魔法使いでないのなら、しかも記憶を引き継げないのだとしたら、どうしてあんなに薬剤の調合をうまくこなせるのか。学ぶ時間はなかったはずだ。この疑問は、しばらく残った』

「今は、解決できたのか」

『ああ、クローマーのおかげでね』


 密輸商人の群れに紛れて、あの海沿いの崖の上で戦った時のことか。

 そういえば、あの時にも隣にアイビィがいた。


「あれはお前の」

『違うとも。これは女神に誓ってもいい』


 確かに。

 クローマーは、タロンを誘惑したと言っていた。だが、グルービーが本当の意味でパッシャの協力者だったのなら、そんな必要はなかったはずだ。つまり、両者の間には、一時的な利害の一致はあったとしても、互いに信頼できるだけの協調関係はなかった。


『君は剣術に長けていたばかりか、魔法まで使いこなした。しかし、限られた技術しか使っていなかったね? 行動阻害と、身体強化だけ。しかも身体強化については、危険度の高い調合薬に頼りきりだ。だが、それができるなら、他の魔法だってあったはずだ。例えば、なぜ君は弱体化の魔法を使わなかった? 苦痛軽減の魔法も役立ちそうだが、それも使わなかったね?』


 それは、知らなかったからだ。グルービーには、その術についての知識がある。少なくとも、身体強化より簡単に使用できるものとして。だが、俺からすれば、それは初めて聞く名前の魔法だ。


『返事がないということは、そういうことだな。つまり君は、実に奇妙としか言いようがないが、他人の肉体だけでなく、経験や技能すら奪い取ることができる。しかし、知識や記憶については、それができないのだ』

「いろいろ思いつくんだな」

『しかし、そうなるとまた、更なる疑問がわいてきた』


 まだ、まだ何かあるのか?


『そんなに簡単に他人の能力を奪えるなら、どうしてクローマーの戦闘技術を奪わなかった? 或いは、体ごと消してもいい。なのに、君はそれをしなかった。なぜか?』

「秘密を守るためだろう?」

『体については、そうだな。だが、経験については辻褄が合わない。何しろ、目に見えないものなんだから、それにどうせクローマーは殺すべき相手なんだから、どれだけ横取りしたって、君に不都合はないはずなのに……そこでわしはまた考えた』


 階段を降りきった。薄暗い廊下に、ランタンが等間隔で吊るされている。

 澱んだ空気の石の床を、俺は一歩ずつ、足元を確かめながら先に進む。


『もしかして、何らかの使用制限があるのではないか……』


 息が止まりそうになる。

 ピアシング・ハンドという最強の能力の弱点。それはクールタイムだ。

 一度使えば、丸一日再使用できなくなる。


『確かめたくてね。この建物は、そのために整備し直した』


 そういうことか。配下を一人ずつぶつけてきたのは。


『ここでの戦いは、誰かに目撃されるようなものじゃない。まあ、わしが見ているのだが、どうせ殺すのだろう? だったら、秘密なんか守る必要はない。どんどん体ごと消すなり、敵の技術を奪うなりして、先に進めばいい。なのに、君はどちらもしていない』


 最初から。

 俺がどんな方法で敷地内に侵入しても、グルービーはここに誘い込むつもりだったのだ。


『ということは、その唯一無二の必殺技には、何らかの制限がある。例えば……一度使うと、すぐには機能しなくなるとか』


 掌にじっとりとした湿り気を感じる。

 これではもう、ほとんどすべてが知られてしまったようなものではないか。


『君は、切り札をなくすまいと気をつけているわけだ。だから、一度に多数の敵に囲まれると、実力で切り抜けるしかなくなる……さっきの傭兵どもは、なんとか排除できたようだがね』


 廊下の突き当たりに、扉がある。

 そっと押す。罠がないか、気をつけながら。


『だが、わしとしては君の、決定的な瞬間を』


 その続きは、聞こえなかった。


 視界を奪う白い光。思わず目元を覆う。そこに突然、低い風切り音。横長の大きな影が……危ない!

 なのに、足が。動かない。持ち上げられない。


 潰される!


 次の瞬間、俺は床にひっくり返っていた。

 なんてことだ。


 突然、巨大な木が、横ざまに投げつけられたのだ。

 回避しようとしたが、足が動かない。前にも後ろにも、横にも。足の裏が地面に貼り付いてしまった。

 避けきれないと悟って、俺は反射的に……


 その木を、取り込んでしまった。


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 (自分自身) (9)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク6)

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、8歳・アクティブ)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳)

・マテリアル レプタイルズ・フォーム

 (ランク5、オス、5歳)

・マテリアル プラント・フォーム

 (ランク4、無性、65歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 剣術     7レベル


 空き(0)

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『わっはははは! やってみるものだな、ファルス君!』


 実に楽しげにグルービーは笑っている。

 こんな手にかかるなんて。


 地下道の先にあったこの円形の広間は、地上から近い場所にあるらしい。外の光を取り込んで、ちょうどこの出入口を照らすように作ってある。天井も高く、足元も土で固められている。そればかりか、隅のほうには樹木さえ植えられている。


 足元の罠は、単純極まりないものだった。ただのとりもち。貼り付いたのは足ではなくて、靴だけだった。咄嗟に脱ぐなりなんなりできれば、避けられたかもしれない。

 だが、投げつけられた木は、何百キロあったかわからない。子供の体であんなものを受ければ、どうせ助からなかった。


「死んだらどうするつもりだったんだ……!」

『変なことを言うね? わしらは殺し合いをやっているのではなかったかな?』


 変なのはグルービーだ。

 俺を傷つけるのはいいとしても、殺したら、その能力を彼自身のために活用できないはずなのに?


『そんなことより』


 この木を投げつけてきた張本人。

 それが目の前にいる。


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 トライノー (36)


・マテリアル デミヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、18歳)

・マテリアル 神通力・怪力

 (ランク4)

・マテリアル 神通力・高速治癒

 (ランク3)

・アビリティ 高速成長

・スキル ルー語    3レベル

・スキル 拳闘術    2レベル


 空き(31)

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 醜悪な巨人。その一言に尽きる。

 目測で身長は三メートルちょっと。腰には辛うじて布らしきものを巻いてはいるが、あとは裸のまま。その皮膚の色が、何ともいえないほど気持ち悪い、くすんだ黄色。全身の皮膚にはおよそ体毛というものがなく、頭の形がやけに縦に細長い。眼球に黒目がなく、歯並びが悪い。


「……まだいるじゃないか」

『いないとは言っていないよ? ただ、こいつはとにかく使いにくくてね……あまり惜しくないから、片付けてくれないか』


 ふざけたことを。

 だが、どうせ襲いかかってくるのだ。


 俺は靴を脱いで飛び上がり、とりもちのない地面に着地する。

 離れたところに立っていた巨人は、それを見て、鈍重な足取りで近付いてくる。


 ここまで降りてくるのに、結構な時間を使ってしまった気がする。

 こいつとの戦いにまで、時間はかけたくない。


 俺と向き合うと、そいつは拳を握り締め、それを振り下ろしてくる。遅い。体の軸もぶれまくっている。

 だが、俺が飛び退いた後の地面を見ると、きっちり拳の形にへこんでいる。威力だけは相当なものだ。


 問題ない。

 こういうのは、的確に急所を狙えばいい。


 スッと構えを取り直し、横ざまに剣を構え、距離を測る。一歩、二歩……ここだ!

 トライノーの左足が揺らぐ。突然の痛みに、表情を変えて喘いだ。今だ。


 一足跳びにまっすぐ。

 斜め上に飛び出した俺の剣は、トライノーの口から、喉の奥まで刺し貫いていた。


 剣を引き抜き、着地する。

 まだ、前後に揺れていたトライノーだったが、突然、何かを思い出したように膝を突き、地響きを立てながら突っ伏した。


『お見事! トロールの劣化種で、日差しに強いのはいいのだが……とにかく、頭が悪くてね。今の、木を投げるという命令も、何度も繰り返して、やっとできるようになったのだよ』


 とりあえずは片付いた。

 だが、どうする?


 まさか、こんなくだらない使い方をさせられるとは思わなかった。切り札がないのでは。

 ただ、グルービー本人だけなら、ピアシング・ハンド自体、不要かもしれない。恐らく、精神操作魔術は、俺にはあまり効果がない。肉弾戦となれば、こんな剣さえなくていい。そこらの子供だって、グルービー相手に不覚を取ったりはしない。

 ここまできて、引き上げるのか? しかし、薬の残り時間は……あと三十分ほどだろうか? それとも、もっと少ない?


『さすがは英雄ファルス、数多の困難を潜り抜けて、ついに最後の試練へ……』


 芝居がかった口調だ。

 いったいどれだけふざけているのだろう?


「最後? そんなの信用できるか」

『女神に誓ってもいいがね』

「そんなの、何の保証にもならない」

『だが、本当だ。この次の部屋に、わしの用意した最後の敵がいる』


 最後、か。

 どんなのが出てくるんだろうか?

 だが、さっきグルービーは、リザードマンより強いのはいない、と言った。

 とすると。


『ふふふ、君の考えていることはわかる。だが、違うよ』

「なに」

『彼女は今、コラプトにいないんだ』


 アイビィ、ではない。

 もちろん、そう言っておいて実は、という可能性もある。

 だが、グルービーが、そういうわかりやすい嘘を好むだろうか? 彼は狡猾な男だ。しかし、それだけに事実を捻じ曲げて人を騙すような真似はしないのではないかと思う。

 それにそもそも、アイビィがここにいるとしたら、かなり急がなければいけないはずだ。ピュリスの大混乱から、まだ四日ほどしか経っていないのだから。


 ということは。

 この最後の敵が、俺に勝つと、そう考えているのだ。

 でないと、この奥にいるであろうグルービーは、無防備な状態で俺と向き合うことになる。或いは、その場はうまく隠れたにせよ、手駒は既に全滅だ。身動きできない体で、俺の探索をかわし続けなければいけない。


 だが、さっきのリザードマンより弱いのが、俺に勝つのか?


『さ、進みたまえ』

「ふん」


 いいだろう。要は勝てばいい。


 扉を開けると、そこは通路だった。広めの廊下だが、左右に台があり、そこに塑像が置かれている。何かの鎧のような形をしていて、複雑な模様の描かれた、粘土作りの作品だ。それが左右に三体ずつ。

 ランタンが高い場所にいくつも灯されていて、十分に明るい。だが、油が残り少ないようだ。かなり前に点火したのだろう。

 奥にまた、鉄の扉がある。それを押した。


 広い部屋だった。ただ、ほぼ真っ暗だ。

 目が慣れるまでは、迂闊に踏み込めない。


 しばらくして、中には誰もいないように思われてきた。あまりに静かだからだ。

 周辺を警戒しながら、ゆっくりと前に進む。


 ややあって、目の前に四つの人影が見えた。

 いや、それは人ではなかった。さっきのと同じ、粘土作りの像。


 しかし、敵らしきものは、どこにもいない。


『わしなりに考えたのだよ』


 グルービーが静かに言う。


『それこそ、ムーアンかサハリアあたりから、黒竜か赤竜でも輸入しようかとね。それくらい強ければ、君もきっと満足するだろうと』

「とんでもないな」

『さっき使ってしまった切り札さえあれば、むしろご馳走じゃないかね? 君にとっては』


 その通りだ。

 どんなに強くても、ただの一個体であれば。俺がそれと決断すれば、一瞬でこの世界から消え去るのだから。


『だが、君の弱点をつこうと思うのなら……もっと地味で、平凡な解決方法があるのだよ……』


 グルービーがそう呟くと同時に、背後から足音が響いてきた。なんだ?

 振り返る。するとそこには……


 塑像が、動いている。

 これは。


『わしは常々、学問の発展に貢献してきた』

「どういうことだ」

『失われた古代の魔法技術の再現のために、大金を投じてきたのだよ……もちろん、わしが自分で研究したんじゃない、帝都の、しかるべき研究者に寄付金を与えてだが』


 振り返ると、正面からも。

 合計十体の粘土作りの像が、鈍重な動きで迫ってきている。いや、そのうち、それぞれ二体ずつは、元の出入り口を固めて動かない。


「これが、最後の試練だと?」

『そうとも。そして君は、こいつらには勝てない』


 馬鹿な。

 そんなことが……


 まずは、どれくらいの能力があるか、確認……できない!?


『気付いたかね。どうせ切り札を温存していても、ここでは使えなかった。なぜなら、クレイゴーレムは生き物ではないのだから』


 ならば。

 俺は手早く詠唱する。


『身体操作魔術も、ほぼ通用しない。彼らは痛みなど感じない』


 では、剣……

 すぐ目の前に、最初のゴーレムが迫ってきた。


「ふっ!」


 ガン! と弾き返される。

 当たり前だ。


『君の武器が、せめて棍棒であったらね……だが、それは剣だ』


 今の一撃が、ダメージを与えていないわけではない。多少は削れているし、ヒビも入っている。

 だが。こんな攻撃を繰り返すのか? か細い剣一本で?


『身体強化の効果は素晴らしい……だが、その能力に、ただの鋼鉄の剣が、どこまで耐えられるものかな』


 クレイゴーレムの動きは鈍い。少なくとも、今の俺であれば、簡単に避けることができる。

 だが、攻め手がない。


 であれば、逃走すればいい。だが、どこへ?

 今、入ってきた入り口には二体。反対側にも扉があるが、そこにも同じだけ。そして、扉はどちらも小さい。それ以前に、どちらもこちら側からだと、引き開けなければいけない。華麗に頭上を飛び越えて、というのは無理だ。しかも、扉の材質が金属製なので、今の強化された肉体を持ってしても、打ち破るというわけにはいかない。


「くそっ!」


 なら、やるしかない。要は倒せばいい。

 こんなガラクタ、ぶっ壊せば。


 近付いてきたゴーレムが、腕を振るう。軽々かわして、俺は剣を叩きつける。

 当てるのは簡単だ。だが、それだけ。

 少しずつ傷をつける。その分、剣も歪んでしまう。これではどこかでへし折れる。


『まとめると、こうなるな』


 グルービーは落ち着いた口調で言った。


『君……英雄のタマゴたるファルス・リンガには、次の弱点がある』


 狙うなら、そうだ、足だ。

 ゴーレムを完全破壊する必要はない。俺はこの部屋から脱出できればいいのだから。


『まず、経験と覚悟の欠如。能力だけあっても、それをどう使うか……適切な判断がなかなかできない』


 気合と共に、一撃を振り切る。

 ガシン、とゴーレムの体が揺らぐ。もう一撃だ。


『一撃必殺の能力はある。だが、それは何度も続けて使用できないがゆえに……多数の敵に囲まれると、途端に無力になる』


 他のゴーレムが追いついてきた。邪魔だ。

 回りこんで、もう一度。一体ずつ、片付ける。


『それから、能力の多様性の低さも挙げねばならないな。剣の扱いに熟達していれば、それで十分だと思ったのかね? だが、世の中には様々な種類の困難があり、敵がいる。それらに対して、たった一種類の対応策しか用意していないとなれば、どうなるか』


 思い切り振りぬく。

 焼き固められた分厚い粘土のブロック、その一部が割れた。


『まあ、そのあたりについても、君のその、謎の能力の制約の一つなのだろうな……そして、まだある』


 割れたところを集中的に。

 なかなか転んでくれない。


『まだ、体は子供というところだ。これは決定的だ。もし、大人になるまで育ちきっていたら……とてもではないが、わしに勝ち目などなかったろう』

「くそおっ!」


 どうしてこんなにしぶとい?

 こんなに手間取っていては……


 バカン、と音を立てて、やっと一体の片足が折れる。

 それでもゴーレムそのものが完全に壊れたわけではない。残る三本の手足で、前に進もうともがく。


『この状況、君の知り合いならどう捌くだろうね? マオ・フーやイフロースなら……棒術で対処すれば、この手のゴーレムなら、案外あっさり倒せたりする。風魔術にも、効果的な攻撃方法がある。キース・マイアスなら、水魔術で足元を凍結させて、行動を封じるだろう』


 刀身を見る。刃はもうボロボロだ。

 それに、度重なる打撃のせいで、少し歪み始めている。


『もっとランクを落とそうか。知り合いの冒険者に、ガッシュというのがいるね? 彼にとっても、こんな敵はどうってことない。大きな金属製の盾があれば、十分、攻撃をしのげるし、重いハンマーは、この手の相手にはもっとも効果的だ』


 次。次だ。

 もう一度足を。


 だが、一撃を浴びせたところで、他のゴーレムが追いついてきた。

 まずい。次第に壁際に寄せられつつある。


『更にもっと低いレベルで考えてみよう。戦闘技術をもたない一般人でも構わない。ただ単に、大勢の人間が棒切れを持って集まれば、こんな泥人形なんか、簡単に片付けられる。だが……』

「やああっ!」


 全力で叩きつける。

 ガイン、といやな音がした。

 と同時に、二体目のゴーレムが姿勢を崩し、その場にへたりこむ。


『……なかなか頑張るね。こんなに簡単に壊れるとは、想定外だよ。まったく、大金を寄付してきたのに、こんな安物を寄越すとは、ザールチェクめ……』


 もはや剣には完全に角度がついてしまった。はっきり曲がっているとわかる。

 しかし、残り四体。

 これを片付けて、出入口どちらかの二体を倒さないと。


『ちなみに、いいことを教えてあげようか』


 ガシャン! と音をたてて、三体目のゴーレムが倒れこむ。だが、俺は絶望した。

 剣が、折れた。


『私はそこにはいない』


 なんだって?

 だが、この声は?

 伝声管では……


『君ほど賢くても、先入観や、慣れというものには、弱いようだ』

「どういうことだ」

『つまりね、こういうことだよ』


 空間に、白い点が浮かぶ。いや、あれは宝石だ。拳大の、大粒な宝石が、宙に浮いている。


『音声と映像をやり取りできる、古の魔法道具だよ。さる筋から手に入れてね』

「なっ……!」

『わしなら、ずっと自室にいたよ。護衛全員、そちらに置いたままね。さっき言ったろう、傍に護衛はいない、と』

「なんでっ、じゃあ、ずっと無防備だったのか!?」

『忘れたのかね? わしが借金まみれの船で、紛争中のサハリアに傷薬を持ち込んだ男だったということを』


 守りを固めた、と思わせておいて。

 彼一流の大胆さで、俺を罠に嵌めた。


 どうしよう。

 避け続けることはできる。まだ手足は動く。だが、もう時間が。


『しかし、本当の意味での君の弱点とは、どこにあるのだろうね?』


 右に、左に。

 追ってくるゴーレムは、それでなんとかなる。だが、出入口を塞ぐ奴らは、どう挑発しても、ピクリともしない。なんとか、なんとかすり抜けないと。


『恐らくそれは……』


 ふと感じる違和感。

 膝から力が抜ける。

 まさか、まさか。もう!?


『……君の超能力、それそのものだ』


 嘘だ。

 嘘だ。

 目は開いている。耳も聞こえる。

 なのに、動けない。


『その秘密があるから、君は強くなった。だが、だからこそ、それを守ろうとする』


 鈍重なゴーレムが近付いてくる。なのに、俺は避けることはもちろん、振り払うことさえできない。

 不細工な三本指が、俺の腕をつまみあげる。左右から吊り上げられ……


「ごふっ!?」


 鳩尾に拳が突っ込まれる。


『秘密ゆえに、一人きりで戦い抜くしかない……これが君の、最大の弱点だ』


 もう一撃。

 だが、今の俺は、ただのサンドバッグだ。

 ゴーレムどもに持ち上げられ、壁際に押し付けられる。その三本指が、俺の首にかかる。


『どうやら、勝負あり、だね』

「ば、ばか、な……こんなの……うそ、だ」


 あり得ない。

 まさか、こんなところで。

 あれだけの死闘を潜り抜けてきたのに。

 キースやアネロスの剣をかいくぐってきたこの俺が、こんな泥人形なんかに。


 鳥になれば? 蛇になれば? 意味があるのか?

 この拘束を逃れても、部屋から外へは出られない。


「ぐはぁっ!?」


 一撃が、体の芯に響いた。

 全身を襲う倦怠感。視界が歪む。

 わかる。体力の限界に達したのだ。


「こんなこと、ある、わけ、が」


 混濁する意識の中で、俺は救いを求めてもがいた。指一本、動かせもしないままに。


『これが現実だ。受け入れたまえ』


 その声を最後に、俺の意識は途切れた。

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