軍港の戦い

 奇襲しかない。短期決戦で、頭目を討ち取る。それが海賊どもに伝われば、連中は形勢不利と判断して、勝手に略奪をやめ、逃げ道を探すだろう。そうなれば、被害を最小限にできる。

 物陰から、遠目で軍港のほうを見やる。灰色の朝靄の中、そこには目を疑うような光景が繰り広げられていた。


 兵舎より、数人の男達が出たり入ったりを繰り返している。出てくる時には両手いっぱいに、何か細長いものをたくさん束にして、抱え持っている。それを桟橋近くの石造りの足場の上に放り出すと、ガシャンと金属音が響いた。

 海竜兵団の武器。それらが保管庫から取り出され、ここに山積みにされているのだ。しかし、なぜこんな真似をするのか? どうせ兵士達は動けないのに。

 少し考えて、合理的な理由がいくつも浮かんでくる。まず、武器を整理整頓された状態にしないこと。体力を取り戻した兵士が装備を奪い返しにきても、ここ、いつでも海に放り込めるこの場所にしかないとすれば。それと、国軍の武器だけあって、品質は一定以上のものばかりだ。海賊どもとしては、こちらの品物を使いたいのもあるだろう。ただ、今は同時並行で街中の略奪にも着手している。奪うお宝の価値次第によっては、これらは単に廃棄される。


 軍船のうち、西側に停泊しているものについては、すべて炎に包まれている。油をかけられて、燃やされているのだ。もう既に、半分近くが燃え尽きて、煙しか出していない。

 海賊にしてみれば、海竜兵団の軍船は、仇敵のようなものだ。放置しておけば、後日、自分達を討伐にやってくる。だから燃やすのは当然なのだが、東側の半分に火をつけていないのは……これらも鹵獲品の一つとみなしているからなのだろう。


 灯台のいくつかには、根元から火がくべられている。中にいる兵士をいぶりだし、或いは焼き殺すためだ。また、灯台自体を破壊すれば、今後の海竜兵団の活動を弱体化させるのにも役立つ。

 だが、中心にある一番立派な司令塔については、なぜかそのようにはしていない。海沿いの狭い足場に海賊達が張り付き、なんとか攻め落とそうと躍起になっている。

 戦闘が発生しているということは、中にいる兵士は、ある程度健全な状態にある、ということだ。つまり、あの病気にやられていない。恐らく、あの塔の中には水道が通っていないからだ。水道が汚染されたのが昨夜の夕食時だとして、あの塔の中の水は、その前に汲み置きされたものである可能性がある。だから、詰めていた兵士達は被害を免れた。


 そんな拠点を奪い取ろうとしている、ということは。海賊ども、可能ならここに居座るつもりか。しかし現実的に考えて、長期的には拠点を維持できるはずもない。だが、誰かが王都まで救援を求めにいくとして、大急ぎで三日ほどかかる。その後、足の速い軍団がここまでくるのに、一週間弱、か。

 合計十日程度、彼らには時間がある。この疫病はどれくらい効果を発揮し続けるのだろうか。その数日間のうちに、彼らはやれる限りのことをやってしまおうとしている。


「あの」


 俺は、横にしゃがみこみ、同じく敵の様子を窺うイフロースにそっと尋ねた。


「近くに頭目はいないと思うのですが」


 ピアシング・ハンドの力で、周囲にいる連中の情報を読み取ったのだが、そこにそれらしい人物は見当たらなかった。


「うむ」


 イフロースは頷きながら、小声で返事をする。


「だが、居場所がわかるのを待つわけにもいくまいな。もしかすると、あの塔の中かもしれんが」

「塔? あの、今戦っている?」

「タロンとかいう男は、大剣を武器にした大柄なルイン人だと聞いている。前に立って戦うタイプのリーダーかもしれん」


 兵士達の証言だ。かなりの腕の戦士だとか。


「いずれにせよ、グズグズしておれん。戦場で十分な情報に恵まれることなど、そうそうない。いちかばちかで突っ込むしかないか」

「いや、でも、そんなに急ぐことですか?」


 どうにも納得がいかない。

 サフィスだって、お人形さんではないのだ。敵が迫ってきたなら、さすがに逃げるなり何なりするだろうに。


「閣下だって子供じゃないんだから、もし何かあっても、さすがに自分なりになんとかしますよ」

「それができんのだ」

「どうしてまた」

「……今朝からピクリとも動けずにおるわ」

「それって」


 そういえば変だと思った。

 バルドがすぐ下まできていたのに、この非常事態に、なぜサフィスが顔を出さないのか。なんのことはない、本人が病気だからか。でも、なぜ? 子爵一家は丘の上、旧ピュリス王宮跡地に住んでいる。当然、敷地内の井戸が水源だ。となれば、水道の汚染による影響を受けないはずなのに。それとも、水道水を媒介しての感染という仮説自体が誤っていたのか?


「奥様やお嬢様は」

「無論、無事だとも」

「ってことは、街に出た?」

「……私の不明だ」


 苦々しげに彼は呟いた。


「いくら美人で頭の良い妻でも、器の小さい男を満足させるには不向きだった。そのことをよく考えなかった。それだけだ」


 それ以上、彼は説明しなかった。

 だが、意味は通じている。要するにサフィスは。街中に愛人を抱えていた。それも、イフロースや妻達には内緒で。


 エレイアラは美人で、頭もいい。その上、人当たりもよく、柔軟かつ堅実ですらある。だが、サフィスに側妾を持つことだけは、固く禁じていた。しかし、これを彼の側からみると、どう感じられるか?

 妻は貴族の娘だから、サフィスの身分に敬意を払わない。彼より頭もいいから、いつもやんわりと言い負かされる。彼より度胸があるから、いざという時、恥ずかしい思いをさせられる。普通の貴族なら、妾くらい、誰でも抱えているというのに……彼は狭い家庭内で、自尊心を保てずに悶えていた。

 だが、一歩、外に出てみればどうか? 貴公子の愛人になれるなんて! そこらの町娘なら、それだけで舞い上がってしまってもおかしくあるまい。それがまた、彼にとってもオアシスのように感じられたのだろう。


 だが、今回はそれが最悪の結果をもたらした。この非常時に、指揮者不在の混乱を付け加えてしまったのだから。さっきのバルドとのやり取りだって、隣にサフィスが立っているだけで、どんなにスムーズだったか。


 ざっと見たところ、海賊どもは実に数十人。もっといるかもしれない。ただ、あちこちでバラバラになって作業に従事しているので、反応は遅そうだ。

 一方、こちらは……


 ガッシュ達に俺、イフロース、マオ、そこにバルドと海竜兵団の兵士が三名。合計十二人しかいない。個々の能力では敵を圧倒できるが、時間が経てば経つほど、数の暴力に押されてしまう。

 ならば、計略は? 悲しいことに、戦術というものは、そこまで万能な道具ではない。ここにいる、十二人ぽっちの戦力。何か下手な策を弄して、更に頭数を分割するような真似は、よっぽどの勝算がない限り、しないほうがいい。つまるところ、勝利とは、相手より大きな戦力を用意し、それを敵の弱い部分にぶつけることで得られるものなのだ。

 その理屈でいくと、一番いいのは、とにかく敵の手薄なところをスポット的に襲撃して、活動を妨害し、被害を重ねていく……つまりゲリラ戦術という結論になる。少数が地の利を生かして戦うという点で、それが最良なのだが、今回はこの作戦を採用できない。一つには、市民の病気がタイムリミットになるため。もう一つには、サフィスという脆弱な駒……戦うどころか、逃げることさえできない人物が、今回の対局の王将を務めているからだ。

 必然、こちらの最大戦力でもって、敵の中枢を一撃で粉砕するという奇襲にしか、活路を見出せなくなってしまっている。


 さて、改めて状況を見直してみよう。

 俺達は今、軍港の外れ、陸側の倉庫に張り付いている。軍港は東西に長く、南北には短い。ここは陸地だが、少し進むと、石造りの足場に変わる。この足場、場所によって幅が変わるが、最大でも荷車が一台通れる程度だ。それが、ちょうど漢字の「王」の字みたいな形で広がっている。陸地と足場の海面からの高さは、およそ二メートルほど。

 その足場の向こうに、灯台と監視塔がある。もともと岩礁でもあったのだろう。そこを造成して作った足場で、合計四つの灯台の真ん中に塔が聳えている。灯台はヒョロッとしていて頼りないが、塔だけは分厚い石の壁を備えていて、丈夫そうだ。

 その他、特に西側を中心に、兵舎や倉庫が多数立ち並んでいる。あの中で、多くの兵士が身動きできずに転がっているわけだ。


 で、肝心の頭目、タロンとやらは、どこにいるのだろう?


「ったくよぉ」


 戦斧を手に、バルドが低い声で苛立ちをあらわにする。


「軟弱な奴らが、海竜兵団なんかに来んじゃねぇよ。だから今、こんなことになってんだ」


 聞きつけたマオが、そっと言う。


「病気では、仕方なかろう」

「はっ! 水なんざ飲むからだ! 俺ぁな、寝る前にゃ絶対に酒しか飲まねぇ。だからこうやって戦えるんだ」

「……話にもならんわい」


 どうやら、第四軍団のボスは、アル中らしい。そして恐らく、配下の兵士達にも飲酒を強要していた。だから、彼と一緒に酔っ払った連中は、二日酔いながらも動き回れた。


「それより」


 マオに促され、イフロースは頷く。


「射手はここで援護を。ガッシュ、といったか。それと、ハリ。二人はここで、射手を守って欲しい」


 指示を受けて、二人と、ウィー、ユミはおとなしく頷いた。

 一年前、年末のお祭りで見たあの田舎紳士が、噂の迷惑ボケ老人、イフロースだったとは。しかしこうしてみると、話に聞いているのと実物では、まるで違う。だが、その件については、ひとまず脇においている。


「ドロルは全員から離れて、状況の確認を。最悪の場合は、一人で官邸に引き上げるように」


 見届け役、だ。最悪の場合は一人で逃げて、子爵一家を逃がす。もちろん、俺達が気付けないところで敵の罠にかからないかどうか、警戒する役目もある。


 それにしてもだ。マオ以外の冒険者は、全員サポートにまわした。これはイフロースなりの配慮かもしれない。まず、一番リスクを負わねばならないのは、海竜兵団の兵士達だ。その次に覚悟を決めるべきなのは、きっと子爵家の人間。貴族の下僕である以上、半分は公人なのだから。一方、完全な私人である冒険者には、そこまでの責任がないと考えたに違いない。合理的な配置でもあるが、こんなところにも彼のある種の公平さが見て取れる。


「残り七人で突撃だ」

「ちょっと待て」

「なにか、バルド殿」

「こんなガキまで連れて行くのかよ」

「心配はいらん。下手な大人よりはやる」

「はっ、マジかよ」


 それきり、誰も口を開かなかった。あとはイフロースの合図を待つだけだ。

 左右を見回し、彼はすっと立ち上がって、左手を水平にする。それが、さっと前方に突き出される。同時に七人が無言で駆け出した。


 塔に取り付く海賊達。見えているのは十人ほど。だが、足音に反応して振り返ったのは、三人ほどだった。その彼らの目に、矢が突き立つ。呻き声さえあげられず、そいつは石の壁に体を滑らせて倒れこむ。

 やっと気付いた残りの連中がこちらを向く。その瞬間。


「うぉおりやぁぁっ!」


 力任せの斧の一撃で、頭蓋骨ごと、頭を真っ二つ。そのままよろめいて、すぐ近くの海にドボンと落ちる。

 イフロースの動きには、もっと無駄がない。ピンポイントで、喉に細身の剣を突き刺す。それで終わりだ。


 瞬く間に、その場の数人は排除できた。

 だが、塔の内側から数人の男が、大きな盾を突き出して、出入り口に立つ。あの盾は、海竜兵団の備品だ。ほぼ全身が隠せる幅広のもの。そんなものを持って、しかも石の壁の内側にいる。もちろん、槍を手に身構えているのもいる。

 チッ、とイフロースが舌打ちした。意外に迅速な対応だ。ということは。


「しまった! 気をつけ……!」

「やれっ!」


 ドロルの警告と同時に響いた、男の声。

 ヒュン、と風を切る音。

 無数の矢が山なりの軌道を描いて降り注ぐ。


「伏せろっ」


 イフロースの怒鳴り声。

 咄嗟にしゃがみこむが、その矢の狙いはなぜか、俺の居場所に集中していた。


「くっ」


 その瞬間、矢がいずれもそっぽを向いて、散り散りになった。それと気付いて振り返る。イフロースは、風の懐剣を抜き放っていた。

 周囲を見回す。マオやバルドはかろうじて無傷だったが、海竜兵団の兵士のうち、一人は胸と頭に矢が刺さって昏倒していたし、あと二人も、それぞれ腕と足とに矢を受けていた。これでは十分には戦えまい。

 離れた場所では、ガッシュ達に肉薄する男達の姿が見えた。ウィー達の援護も、これでは期待できない。

 ドロルが敵の伏兵に気付いたのは、ギリギリのタイミングだった。彼の叫び声があったから、一瞬早く対応できたのもあるだろう。だが、少し遅すぎた。


 だが、なぜこちらの動きに気付けた?


「ちっ……全部こっちに来やがんのか。あいつら、何やってたんだ、マオ・フーまで……」


 大剣を手にした筋骨隆々の男が、そう吐き捨てた。

 大柄なルイン人だ。白いマントに、最低限の革の鎧を身に纏っているだけだった。固そうな金髪が、曲がりもしなりもせずに、ほぼまっすぐ上に伸びている。あまり日焼けしていない真っ白な顔、青い目。そして、狂暴そうな表情。


「まあ、まずはこいつらを処分して……ってとこだな」


 最初の一斉射撃を凌ぎ切った俺達を、余裕たっぷりに睨め回しながら、その男はニヤリと笑った。

 その時間を、俺は無駄にしなかった。


------------------------------------------------------

 タロン・ゾルラッシュ (28)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、28歳)

・スキル ルイン語  5レベル

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル サハリア語 4レベル

・スキル 剣術    6レベル

・スキル 格闘術   4レベル

・スキル 指揮    4レベル

・スキル 医術    3レベル

・スキル 薬調合   1レベル

・スキル 料理    1レベル

・スキル 裁縫    1レベル

・スキル 商取引   1レベル

・スキル 房中術   2レベル


 空き(16)

------------------------------------------------------


 なかなかに多芸な男だ。しかし、注目すべきは、その優れた剣技か。指揮官としての能力もある。

 だが、この違和感はなんだ?


「矢が通じないとなると……厄介だな、どいつからやるか」


 厄介なのは、こちらも同じだ。もう少し近付かないと、身体操作魔術も届かない。もちろん、相手が見えている以上、ピアシング・ハンドならば行使できる。だが、ここで使ってしまっていいのか?


「ま、いいか。後ろでうずくまってる奴らから殺せ!」


 大雑把な命令だったが、効果的だった。再び、矢が降り注ぐ。イフロースは風の懐剣を構え、もう一度、矢除けの術を行使する。近くまで迫った矢は、不思議と軌道を逸れて、左右の海面へと飛び込んでいく。

 だが、これはいけない。いくら触媒があるとはいえ、魔術は無限に使えるものではない。俺が薬の効果で急激に力を高めた後に弱体化したり、キースが霊剣の力で氷の傘を出した後に息切れしたりしたように、イフロースも何らかの影響は受けるはずだ。負傷した兵士達を庇ううちに、反撃の力まで削がれてしまう。


「くっ……なんとかせねば」

「クソがぁっ、考えなしに突っ込ませやがって、この耄碌ジジィが!」

「黙っておれ」


 考えろ。どうすればあのタロンとかいう奴を討ち取れるか。

 ウィーやユミがいるなら、正確無比な射撃で奴を倒せるかもしれない。だが、ざっと位置関係を見渡して、それが不可能であるとわかった。というより、このタロン、ちゃんと考えている。彼女らの場所からでは、兵舎が射線を遮るため、正確な狙撃ができないのだ。


「むう……」


 マオが周囲を見回しながら、呻き声を漏らす。


「やむを得ぬ。イフロース殿、それにファルス君、今しばらくは頼んだぞ」


 なにを、と思う間もなく。

 いきなり彼は身を翻すと、すぐ後ろの海に転げ落ちた。


「えっ?」

「クソジジィ! 逃げやがっただとぉ!?」


 まさか。ばかな。

 マオが自分だけ助かろうだなんて、そんな風に考えるはずもない。

 だいたい、逃げたところで何になる? 彼は名指しで狙われていたのに。


 すぐ頭上の塔の上では、今も物音がする。生き残りの海竜兵団の兵士達が戦っているのだ。


「ファルス!」

「はい!」

「こうなれば、無理やりでも仕方がない! 切り込むぞ!」


 矢の雨を避けるには、塔の中に入るしかない。もっとも、それがいい手段かどうかはわからないが。逃げ場をなくすことにもなるからだ。

 イフロースは相変わらず懐剣を掲げたまま、身動きが取れない。となると、もはや戦力は俺とバルドだけ。だが、彼の斧なら、盾も叩き割れる。俺がうまくカバーすれば……


 後ろから、タロンの声が飛ぶ。


「おい! そのガキに気をつけろ!」


 やはり。

 タロンは何か、情報を与えられて動いている。でなければ、俺みたいな子供をマークしろだなんて、言うはずがない。


 だが、塔の中の男達は、当然ながらまず、バルドに注意を向けた。

 左右の盾が俺達を押し出そうと突き出される。と同時に、左右からの槍が、バルドの胸を狙う。

 俺は飛び出していって、右側の槍の穂先を、剣で反らしつつ、左側の男に『行動阻害』を浴びせる。途端に槍を取り落とす。


「うらぁ!」


 バルドの一撃で盾の上半分が割れる。腕力だけはたいしたものだ。


「おああぁ!」

「ぐっ!」


 だが、完全に盾が割られる前に。そいつは必死でバルドを押し返そうとする。その腕に向かって、もう一度『行動阻害』。

 急に力が抜けたのを感じ取って、バルドは勢いよく戦斧を振り下ろす。重い刃の切っ先が、相手の肩口にめり込み、鈍い音をたてる。

 敵に立て直す時間を与えまいと、俺は横っ飛びに滑り込み、左側の槍を落とした男の腕を切り裂いた。横にいた、両手で盾を構えていた男は、それに目を丸くする。だが、次の瞬間、首から上が吹き飛ばされていた。


「よっし! 入ってこい!」


 生き残りの兵士二人がこの出入り口に飛び込んでくる。まだ息のあった残り一人の敵にも、容赦なく一撃が浴びせられる。味方が全員、塔の内側に入ったところで、イフロースも内側に転がり込んだ。


「ちっ! しぶてぇなぁ、おい」


 海の上に組み上げられた石の通路の上を、タロンは大股に歩いた。一定の距離をおいて足を止め、大剣を杖代わりにして背を反らす。


「しょうがねぇ、塔ごと焼いちまえ!」

「た、隊長! 一応、中には手下どもが」

「知るかよ。グズグズしてやがるのが悪ぃんだ」


 隊長、か。なるほどな。これでさっきの違和感が、確信に変わった。

 タロンの個人情報には、「操船」とか「水泳」といった、海賊らしいスキルが含まれていなかった。つまり、タロン自身は海賊ではない。傭兵だ。

 似たようなものかもしれないが、今回に限っては、まったく別の意味になる。誰かがタロンを雇って、食い詰め者の海賊どもの頭目に仕立て上げたのだ。そして、下っ端の海賊どもは、単に街を略奪しにいくと思っているのだが、タロンはというと、まったく別の目的を与えられている。


 今、戦況は複雑になりつつある。俺達は塔の中に逃げ込んだが、上の階には、タロンの手下どもがいる。そのまた上には、抵抗を続ける兵士達。サンドウィッチ状態だ。

 なお、タロンは前に出てきたが、ウィー達には、今は期待できない。数に押されたためか、ガッシュ達の姿が視界から消えている。


 敵が塔をひとつでも残しておきたいのには、理由がある。監視所が欲しいからだ。タロンは任務を果たしたら、なるべく早くここから脱出したい。船の大半は焼いておいたから、自分達が追われる心配はない。陸から逃れれば、あとは何とでもなる。その「逃げ時」を掴むため。

 石造りの塔とはいえ、中には木材で組まれた部分もある。火災には強いが、全体に火が回れば、骨組みが焼けてしまい、結局は倒壊することになる。だから、できれば焼きたくなかったのだ。

 それでも、俺達を抹殺するほうが優先らしい。数人の部下が、彼の周囲を離れて、兵団の倉庫のほうへと走り出した。


 その時だった。


 タロンの背後。ザバッと水の中から白い影が飛び出てきた。


「お頭!」

「隊長!?」


 一瞬の攻防だったが、マオの鋭い打突に、タロンはぎりぎりのところで対応した。素早く転がって後ろに下がる。それでも、肩を強打され、なんとか大剣を拾い上げるのが精一杯のようだ。


「てめぇ……」

「惜しいのう、仕留め損なったわい」


 そう言いながら、マオは薄汚れた真っ白なカンフースーツの袖を広げて、さも残念そうに首を振ってみせた。


「叩き斬れ!」


 タロンの号令に、後ろに控えていた海賊達が殺到する。だが、マオ・フーには『壁歩き』の神通力、そして並外れた身軽さがある。どうやら、足場のちょっとした溝や傾き、それらすべてが重力そのものの向きを変えるらしい。

 ここの石の土台は、目測で海面から二メートルほど離れて、『壁』を作っている。その壁すべてがマオの足場だ。のみならず、どうも彼は「どちらに向かって落下するか」を選べるようだ。斜めの壁でも、それが足をつける場所であれば、そちらに向かって着地できる。そのため、空中で落下方向が小刻みに変わる。そんな中で、変幻自在の棒が猛威を振るうのだ。

 群がる海賊どもがどれほど武器を突き出そうとも、マオの服に引っかけることさえできなかった。


「くそがっ、面倒な奴だ!」


 こういう局面に持ち込まれたくなかったからこそ。タロンは先に刺客を放ったのかもしれない。できればマオみたいな相手は、開けた場所で、神通力が用をなさない状況で、遠巻きにして射殺するのがよかった。少なくとも、こんな凸凹のある場所で戦うべきではなかった。

 彼の腹積もりとしては、ピュリス市内の残存戦力を、各個に分断して始末する予定だったのではないか。まずバルド、続いてイフロース、最後にマオ・フー。だが、案に相違して、全部が全部、一度に襲いかかってきた。


 なんにせよ、今だ。


 上の階から、また海賊どもが降りてくる。いや、傭兵かもしれないが。

 狭い階段の出口を、イフロースが押さえにかかっている。低いところから高所に陣取る相手と戦うのだ。不利ではあるが、やるしかない。


「ファルス! やれ! 捕らえろ!」


 バルドの二人の部下は、もう負傷もあり、あまりアテにはできない。マオは向こうで雑魚どもを引きつけてくれている。手が空いているのは俺とバルドだけ。タロンを倒せるのは、俺達だけだ。

 もう余裕はない。急がないと、ガッシュ達もどうなるか。俺は剣を手に、外へと走り出た。


 まともにやっても勝算は薄い。ただ、こちらは二人だ。バルドの立ち回り次第では、チャンスが出てくる。

 だが、タロンのほうでも、俺が出てくることは予期していたらしく、冷静に振り返った。


「きやがったか、化け物」


 俺のことをよく知っているらしい。


「僕のことをどこまで知っている?」

「言うと思うか?」


 バルドが進み出て、傲岸な態度で言い放った。


「今すぐ降伏しろ。何もかもを自白すれば、死刑にはせずに済ませてやる」

「はっ、冗談だろ?」


 隙がない。リーチのある大剣。それだけに、懐に入り込めばチャンスは出てくる。もっとも、そんなのはタロン自身もとっくに承知しているだろうし、対策だって考えてあるだろうが。しかしその前に、とにかく踏み込めない。

 ならば、体勢を崩す。俺が牽制して、バルドに攻撃させればいい。


「ぐあっ!?」


 タロンの巨体がグラリと揺れる。魔力を得て、更に威力の高まった『行動阻害』だ。さぞ効いただろう。

 それを見て、バルドが飛び出す。


「うおぉらぁっ!」

「……なんてな」


 痛がってみせたのも、演技か?

 彼がふっと身を翻すと、重量のある大剣が、まるで羽毛のように舞った。


「なあっ、がぶっ」


 大柄なバルドが、あっさり吹き飛ばされる。咄嗟に手にした斧で直撃は防いだものの、空中で一回転して、石の床に叩き落された。


 単純に強い。

 この体格、技量。それだけでも効きにくいのに。俺が身体操作魔術を行使することも、予備知識にあったようだ。

 これでは、つけこみようがない。


「さて、ファルスとか言ったか?」


 大剣を脇に構えたまま、タロンは言う。


「お前のことは、生かして捕らえるようにと言われているが……」


 凄みのある笑みを浮かべながら、続けた。


「殺せば報酬を出すとも言われていてな」


 なに!?

 捕らえろとか、殺せとか、それはいったい誰の命令だ?


「どっちでもいいが……面倒をかけるな、よっ!」


 すぐ目の前を暴風が通り過ぎる。

 なんとか後ろに下がって避けるも、そんなの長続きしそうにない。


 技量では相手のが上。体格でも。経験でもだ。

 それを埋める手段は、二つだけ。身体強化薬か、それともピアシング・ハンドか?


「ちょこまか動くな! 今、片付けてやる!」


 大剣が足元の石畳を叩き割り、破片が舞い散る。かすりでもしたら、あっという間に八つ裂きにされる威力だ。

 しかも、こちらは避けるしかない。こんな短めの剣で受け止めようものなら、一発でへし折られてしまう。


 身体強化……ダメだ!

 敵はまだ二箇所にいる。一時間後に倒れる魔法なんて、自殺行為だ。それも、俺のことをピンポイントで狙っている奴がいる状況では。

 かといって、切り札をここで……ええい!

 ならば、これだ!


 いちかばちか、俺は懐から球を取り出し、放り投げた。それがタロンの目の前に届いたところで、素早く切り裂いた。

 パァン! と音をたてて、炸裂する。


「うっ」


 目潰し用の火薬だ。

 これで懐に……


 下から斬り上げようとした瞬間、腹部に激痛が走る。


「ごっぼえぇえっ!?」


 やはり、通用しない……か。

 咄嗟に鳩尾を蹴飛ばされ、俺もバルドのように転がされた。


「危なっかしいガキだな」


 歩み寄ってくるタロン。だが、今すぐには、イフロースもマオも助けには来られまい。

 ならば、やるしかない。これ以上は、もう、選べない。


「か、かひゅっ、かはっ」


 息ができない。痛みで手足が痺れる。

 芋虫のように丸まって、それでも剣を手元に引き寄せて、俺は起き上がろうとする。

 その頭上に、影が差した。


「逃げられてもなんだしな」


 目の前には、大剣を振り上げたタロン。


「あっちでもいい子にしろよ?」


 その瞬間、俺は念じる。


 タロンの大剣が地面を打った。だが、その切っ先は、俺の頭から二十センチは離れていた。


「ぐあっ!?」


 ふくらはぎを切り裂かれて、タロンは前後に揺らいだ。


 重く巨大な武器であるからこそ。そのコントロールには高い技術を要する。力任せに振り回すだけでは、正しい位置を狙えない。

 動くのがやっとだったが、それでも俺は、ゆらめくように歩み、タロンの横を通り過ぎて、自然と剣を振り抜いた。


------------------------------------------------------

 (自分自身) (9)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク6)

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、8歳・アクティブ)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 商取引    5レベル

・スキル 薬調合    6レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 剣術     7レベル

・スキル 病原菌耐性  5レベル


 空き(0)

------------------------------------------------------


「て、てめ……がっ!」


 振り返ったタロンが剣を振り上げるより先に、今度は両手首。

 ついに大剣を取り落として、彼は石の床に膝をついた。その首元に、剣を突きつける。


 何もかも喋ってもらう。

 だが、そう宣言しようにも、鳩尾の痛みが凄まじく、実は声も出せない。


 いつの間にか、背後の騒音は止んでいた。肝心要のタロンが捕虜になったのだ。海賊達は、唖然として手を止めていた。


 切り札を使ってしまった。

 剣術のレベルは上がった。後の戦いに、この技量が役立つと期待するしかない。そして……たった一つの命綱を使ってしまってよかったのかどうか……後悔しないように、注意深く行動しなくては。


 その時、しゃがみこむタロンの背後に、影ができた。


「この野郎がぁっ!」

「待て、バルド!」


 イフロースの制止の声も、空しかった。

 タロンが振り返る暇もなく。

 その首は、宙に舞って、石造りの足場に転がった。


「はっはぁ! てめぇらのボスはこの俺、バルド・ケールが討ち取ったぁ!」


 なんてことを。

 俺は、噴きあがる怒りに歯噛みした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る