快癒の宴

 杖をついた老人が、膝をプルプルさせながら、俺に催促した。


「はよう、スープを出してくれんかのう」


 それを、しゃがんだままの格好で、俺達は口をあんぐり開けたまま、見つめていた。


 海賊との、戦闘ともいえない戦闘から、一夜明けて今。

 俺達はようやく目を覚まし、これから村民に提供する朝食を、と動き始めていたところだった。


「ガッシュさん」

「お、おう」

「このお爺さん、どこから」

「どこからも何も、そこの奥いったところにある家のジジィだ」


 じゃあ、ここまで歩いてきた?


「あの、お爺さん」

「ほむ」

「歩けるんですか?」

「なんか、今朝、目が覚めたら、楽になっとった。そんでもう、腹が減ってのう」


 なんということ。

 病気から回復しつつあるらしい。


「わ、わかりました。今すぐ用意します」


 俺は砂を払いつつ立ち上がり、ハリに目配せする。二人で大鍋を出して、さっさとスープを作るのだ。それと、この調子なら固形物も食べられるかもしれない。持ち込んできた大量のパンやビスケットが、無駄にならずに済みそうだ。


「ガッシュさん、ドロルさん、村の様子を」

「おう、見てくる!」


 一時間後、本部テント前の空き地は、青空食堂の様相を呈していた。

 村のあちこちから木のテーブルや、椅子が持ち込まれ、そこに老若男女が腰を下ろして、わいわいがやがや、楽しそうに話をしながら料理を食べている。俺とハリは、追加の品を作るのに手一杯だ。


「サラダが切れたぞ!」


 ガッシュが叫ぶ。


「野菜なんか、もうないですよ!」

「おお、裏の畑から勝手に取ってくれい」


 村人が、さも当たり前のようにそう言う。


「よしきた」


 元気になってきたとはいえ、まだ痺れの残る人が大半だ。歩けはしても、自由自在に動けるわけではないらしい。だから、ガッシュ達が代わりに野菜の収穫に出かけるわけだ。

 それにしても、この食いっぷり。


「なんなんでしょうね、これ……」


 ハリは口元をひくつかせながら、苦笑いする。


「元気になってよかったんじゃないですか?」


 俺も同感ながら、そう返す。


 結局、原因は不明なまま。村人は勝手に病気になって、勝手に回復した。だが、まだ安心はできない。またぶり返したりはしないか。前にもそういうことがあったらしいからだ。

 その意味では、俺達も心配ではある。ただ、その点はあまり深刻でもない。なぜなら俺達には、病原菌耐性スキルがある。そして、こうやって回復するのであれば、何か地下水に含まれる鉱毒のような……単純な毒素という線は薄い。やはり何かの病気であった可能性が高いのだ。ならば、俺達にはきっと感染していない。

 そういえば、実験用に準備したネズミにこの村の水を飲ませたが、今のところ、目立った変化はない。だからといって、水が安全だったという証拠にはならない。人間しか発症しない病気だって、いくらでもあるのだ。


 あと二、三日ほど様子を見て、村人の回復が順調であれば、俺達はこのまま、ピュリスに引き上げる。これで任務達成というわけだ。


「大変な仕事でしたけどね」

「いやぁ……そういえばファルス君、いいんですか?」

「何がです?」

「ほら、金貨」

「ああ」


 海賊船の調査を引き受けたアイビィは、船長の部屋から、宝箱を見つけた。

 残念ながらこいつは、ゾークほどの物持ちではなく、随分とシケていた。たった金貨五百枚。金目のものは、それくらいしかなかったそうだ。


「ちょうど五人で五百枚だから、百枚ずつですし」

「ファルス君とアイビィさんの取り分がありませんよ」

「それは、子爵とグルービーにでも請求しますよ」


 俺とアイビィは、どちらも雇われの身。一方、ガッシュ達は明日をも知れない冒険者だ。

 俺は幸い、キースからもらった剣もあるし、クレーヴェがくれた魔術書だってある。だから、金には不自由していない。アイビィだって、金を欲しがる人ではないから、これでいいのだ。


「だいたい、ゴブリン退治に海賊討伐と、立て続けでしたしね。普通だったら、もっと稼げる仕事だったんじゃないですか?」

「そう言われればそうなんですけどね」


 彼らが海賊である明確な証拠は、得られなかった。まさか、生首をとって首実検するわけにもいかない。何しろ、疫病にやられた連中の死体だ。

 但し、状況はまさに、彼らが海賊だったことを示している。


 船内には、これといった積荷がなかった。あったのは食料と武器、それに金銭のみ。普通の商船であれば、なんらか商品を積載しているはずだ。また、漁具がないから、漁船でもない。

 更に肝心なものがもう一つ、欠けていた。各種の書類だ。

 まず、船の所有者を示す書類がなかった。この世界のこの地域の商船は、通商計画をたてた商人が、船を購入するか借り受けるかして、船乗りを集めることで成立する。ならば、船には持ち主がいて、持ち主には、所属する港湾都市がある。それを明記した書類がないということは、この船は、海賊船でなかったとしても、せいぜいのところ、密輸船だ。

 また、入港許可証もなかった。船長の身分証明書もだ。となれば、やはり遵法性の低い船舶だったと考えるしかない。


「それより……」

「ああ、ちょっと今回は珍しい、かな? 僕もどうしようかなって」


 お互い、名前を出さずにやり取りする。

 アイビィのことだ。


 仕事としては、完璧だった。

 ゴブリンを追い払い、海賊を始末した。村人には食料を提供し、回復を見届けた。笑顔でピュリスに凱旋できるはずなのだが。


 あれから、彼女は無口になった。つい最近まで、あんなに剽軽なキャラで通してきたのに、急に、だ。

 命がかかった状況で、非情になりきれなかった俺の甘さが悪いというのは、理屈としては納得できる。だが、その状況はもう終わったのだ。あの時、俺をぶん殴った件についても、自分としてはまったく怒っていない。それだけ必死だったのだろうから。

 だが、人を殴るというのは、自分も痛いものなのだ。今まで仲良しで通してきた人達の前で、寒気を催すほどの酷薄さを見せ付けてしまった。彼女としては、居場所がないように感じてしまっているのだろう。


「あれはですね」


 料理を作る手を休めず、俺は続ける。


「相手が海賊だったから、なんじゃないかなって」

「海賊? ですか?」

「うん……その、まぁ、僕も最近まで、また聞きだったんだけど、その、昔、海賊にひどい目に遭わされたらしくって」

「そうなんですか」


 なんといっても故郷の村を焼き討ちされ、親も夫も自分の子供も、皆殺しにされたのだから。海賊、というだけで、もう生理的嫌悪感があふれてきても、おかしくない。

 あの問答無用の行き過ぎた殺戮も、そう考えると理解できなくはない。「生かして法の裁きを」とか「犯罪奴隷に」だなんて、彼女からすれば、生温いにもほどがあるのだろう。実際、彼女の家族には、命乞いの機会すらなかったのだし。


「おうい、肉はもうないのかい?」


 若い村人が、そう呼びかけてくる。

 くそっ、そんなに元気なら、もういいだろうに。


 そう思いながらも、俺はテントに引き返し、保存用の肉を引っ張り出す。このままではおいしくないので、カリカリに焼いて、うまく味付けをして出すつもりだ。

 せっかくだから、少しでもおいしいものを食べて欲しい。


 別にここで頑張っても、俺に何か見返りがあるわけではない。

 だが、村人にとっては違う。彼らは、きっと今日という日を忘れない。苦しい病気から回復して、村人みんなで食卓を囲んだ、この日を。命があったことに改めて感謝して、一緒に楽しく食事をとる。彼らの人生においては、大事件なのだ。

 ならば、その食事がおいしくないのでは。せっかく俺がここにいるのだ。百人足らずが暮らすだけの小さな村。一生、この海岸地域で暮らす、貧しい人々。だが、今の俺は、彼らの生涯の一ページを彩ることができる。


 俺は今、この上なく重要な仕事をしている。

 なんとありがたいことか。


 ここ数日間、スープしか食べられなかった村人達の健啖ぶりは凄まじく、結局この宴は、昼過ぎ遅くまで続いた。


 夕方。

 俺は街道に出た。


 街道といっても、この辺りの道が整備されたのはずっと昔のこと。かつては規則正しく並んでいたであろう石畳も、今は凸凹だらけになっている。道の一部は欠けていて、そのまま上を歩いたら、海に落ちてしまいそうになる。

 海から吹いてくる風は、ほどよく涼しかった。心の中のいろいろなものが洗い流されそうな、そんな爽快感があった。

 一日の労働に満足を感じながら、俺はふと、足元の海を見下ろした。


「……えっ!?」


 ごつごつした岩が転がる海岸に。

 アイビィがただ一人、立っていた。


「アイビィ!」


 俺は、降りていこうとして、足場を探した。だが、体重を預けられそうな場所が、あまりない。それでウロウロしながら、なんとか岩壁にしがみつきつつ、下を目指したところで、彼女がこちらに気付いた。

 さすがに身の軽い彼女のこと、すぐに近くまで迫ってくる。


「何をしてるんですか」

「それはこっちの台詞だよ」


 中途半端な場所にしがみついている俺を摘み上げて、彼女はさっと街道の上に降り立った。


「今日はどこ行ってたの? お昼ご飯も食べに来ないで」

「荷物の整頓をしていましたよ。明後日には出発するんでしょう?」

「順調ならね」


 やはり、どことなく、心ここにあらずといった様子だ。


「ねぇ」

「はい?」

「あの、そんな、言いにくいんだけど」

「はい」

「その……暗い顔、しなくても」


 他に言いようはないのか、と自分でも思う。

 アイビィの表情は、ここ二年で一度もみたことがないほど、荒んでいた。翳が差す、という言葉がしっくりくる。


「済みません」


 力ない作り笑いを浮かべ、風に吹かれる髪を撫で付けながら、彼女はそう応える。


「ああ、いや、そうじゃなくって」


 困った。

 思えば、彼女はある種、ムードメーカーなところがあった。いつでも陽気で、間が抜けているようでいながら実はしっかりしていて。そんな彼女が、ここまで弱っているところなんて、今まで見たことがなかった。だから、どうしてあげればいいのか、わからない。


「無理をして欲しいんじゃないんだよ。えっと、その」


 俺は言葉を探して、そこに行き着いた。


「ごめんなさい」

「えっ?」

「よく考えずに刃物を振り回して……ごめんなさい」


 突然の俺の謝罪に、彼女はオロオロして、左右を見回し、それから……

 顔を伏せ、唇を噛んだ。


「えっ、あっ」


 しまった。

 余計に追い詰めてないか、俺。


「あの、ちゃんとわかってるから、その」


 たどたどしいながらに、俺は必死で言葉を紡ぎだす。


「アイビィが何をしてきたか、どこから来たかなんて、みんな気にしてない。今は僕らを助けてくれていて、僕らと一緒に生きてるんだから。だから」


 俺がしまいまで言う前に、彼女はその場にしゃがみこみ、次の瞬間には、俺を抱き上げていた。


「えっと、ちょっと」


 だが、彼女はしっかりと俺をホールドしていた。俺は後ろを向くこともできず、固く抱きしめられ、持ち上げられたまま、村へと運ばれていく。

 どうしようかと思ったが、どうもしなくてもいいのかもしれないとも思った。どこまでいっても、彼女の問題は、彼女自身で解決するしかない。だけど、もし助けを求めるなら、手を伸ばしてくるなら、その時は、俺はそれこそ人形でも、ペットでも、息子でも、なんでもいいから、力になれる役割を果たせばいい。


 ……それから二日後。

 タンパット村の人々は、完全に回復した。

 俺達は再び馬車に乗り、人々に手を振りながら、村を後にした。

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