拍子抜け、のち虐殺
本部テントに持ち込んだ薬が初めて役に立った。
俺は今、毛布の上に寝かしつけられ、あちこちに薬を塗ってもらっている。特に顔面は、ひどく殴打されて、血が出ている。服を脱いだら、腹にも青痣ができていた。
鎮痛剤に消炎剤。まさか自分に使う破目になろうとは。まったく笑えない。
「一通り、処置はしました。骨折などはないと思います」
ハリが俺を横たえながら、そう告げる。
「済みません」
彼は、気にするな、というように手を振った。
まだ夜明け前。
今、ドロルとアイビィは、海賊船の居場所を探りに出かけている。ガッシュは、口数少なく「見回りにいってくる」と言ったまま、出かけていってしまった。この場には、俺の治療を受け持つハリと、難しい顔をして木箱の上に座り込むウィー、立ったまま弓を手にしたユミがいるだけだ。
「……ファルス君」
暗い表情でウィーがポツリと呟く。
「済みません、僕のせいで」
「ううん、それはないよ」
俯いたまま、彼女は悩ましげに言葉を搾り出す。
「やりすぎだよ、あれは」
「いえ」
そこにハリが口を挟んだ。
「確かに、一理はあります。一理は」
言葉の上では、アイビィの行為を庇っている。それに抗弁しようと、ウィーは口を開きかけて、すぐやめた。
ハリとて、含むところはあるのだ。だが、アイビィを責めることはしない。特に、本人がいない場では。
彼は自覚している。自分達は武器を持って、社会の監視の行き届かない場所にいるのだと。そんな状況で、仲間同士がいがみあうのが、どれほど悪いことか。だから、どういう形であれ、揉め事は避ける。
もし俺が、受けた暴行について非をならせば、彼は言葉の上では同意するだろう。だが、引き受けられるのは八つ当たりまで。慰めるだけだ。少なくとも、ピュリスに帰り着くまでは、事を荒立ててはいけないのだ。
「少し、おかしかった」
ユミが、遠くを見たまま、そう言う。
「えっ?」
「とにかく、殺そうとしていた」
言われてみれば、そうかもしれない。
確かに、俺のぬるい対応は問題外だったのかもしれないが、彼女も殺害を急ぎ過ぎていたような気がする。
「あの」
訊きづらいことだが、俺はあえて口にすることにした。
「もし、僕とアイビィがいなかったら、その……みんなは、あの海賊達を、殺してた?」
冒険者なら、そういうこともあるのだろうか。
俺の知らないところで、ウィーもハリも、抵抗力をなくした犯罪者を殺害していたりするのか。
なんだか暗い気持ちになる。
「それはしませんね」
だが、ハリは即座に否定した。
「厳重に縛り上げて、閉じ込めておきます。もちろん、逃げられそうになったり、こちらに危険が及べば別ですが……」
「そうだよ。あんなに簡単には殺さないよ」
俺はほっと息をつく。
さすがに、そこまでではなかったか。
「さっきの海賊も、ピュリスまで運ぶのは無理だけど、普通は地元の村人に引き渡したりするものなんだ」
「でも、今回は」
「それができないから、迷うところだけど」
それでも、違った対応もあり得た、か。
「そこまでにしましょう」
ハリが会話を中断した。
「起きてしまったことは仕方ありません」
微妙なわだかまり。だが、こういう仕事では、それが大きな問題となる。これ以上傷口を広げるわけにはいかない。
彼は、疲れた顔で首を振った。
夜が明けてしばらくすると、ドロルとアイビィが戻ってきた。
全員でテントの下に集まって、話し合いを始める。
「海賊船の規模からすると、残りは二十人前後とみられます」
アイビィは相変わらず、淡々と説明をする。
「一人は始末しました。ですが先に逃亡した二人には、追いつけませんでした。やはり私達のことは、伝わってしまったと考えるべきです」
「海賊が逃げる様子は」
「ありません。入り江に留まったままです」
「そうなると……もう一度、この村を」
もう一度、今度は本格的な襲撃があるかもしれない。
それも、間を空けずにくるはずだ。時間をかければかけただけ、彼らには不利になる。最寄の領主軍やピュリス、ルアール=スーディアなどからの増援がきたら、もうお手上げだ。あとは海竜兵団に追い回されて、船ごと焼かれて死ぬだけなのだから。
となれば、そうなる前に逃げるか……目撃者を皆殺しにするかしかない。彼らは恐らく、後者を選んだ。
「二十人か」
ガッシュが難しい顔で呻く。
ゴブリン三十匹とは、わけが違う。あれはあれで、リーダーを倒し損ねていたら壊滅的な結果になるのだが、基本、狂暴とはいえ臆病な連中だ。最初の一撃で頭を潰したおかげで、彼らは冷静な判断を下せなかった。
だが、今回はゴブリンよりは強いだろう海賊どもが二十人。頭目の強さは、ゴブリンのリーダーには及ばないだろうが、ずっと統制が取れている集団だろうし、装備も充実している。しかも、俺達がここにいることを知っている。昨夜は奇襲でもあり、一方的に四人を倒せたが、今度はちゃんと備えをしてくるだろう。
数だけでいえば、三倍だ。一人当たりの戦闘力ではこちらが勝っているとしても、この差は大きい。囲まれてしまえば、こちらの犠牲も避けられないだろう。
「なんでそこまですんだかね……さっさと行っちまえばいいのに」
ドロルが吐き捨てる。
俺も同感だ。こんな寒村、無理して攻め落としたって、稼ぎなどたかが知れているのだろうに。
食べるものがありさえすればいい……人間の死体もご馳走の一つとなるゴブリンどもとは、違うはずなのに。
「守りきれないと思う」
ウィーがそう呟く。
考えたくない事実だったが、ここに至って認識せざるを得なくなった。
二十人の海賊が、弓で武装して、遠くから攻撃してきたとする。俺達は、遮蔽物に身を隠すしかない。だが、その矢に火がついていたら?
村が燃やされても、俺達は何もできない。攻撃の質はともかく、密度が高いので、迂闊に動けないのだ。それでも、自分で自分の命を救うくらいなら、或いはできるかもしれない。だが、動けない村人を救出するとなると、これはもう、絶望的だ。
「同感だな」
ガッシュも、いやいやながらに同意する。
村を守り抜いて海賊を打倒する、というのが任務なら、これは確実に失敗する。
俺が切り札を使い切ればどうだろう?
身体強化薬を使って全力で戦えば、何人かは倒せる。こちらにはウィーもアイビィもいる。もちろん、ガッシュだって弱くはない。だが、そこまでだ。
俺の最大の武器たるピアシング・ハンドは、相手が一人だけなら、絶対的な威力を発揮する。秘密がバレることを厭わず行使すれば、どんな強敵でも確実に葬り去る。しかし、相手は二十人もいるのだ。
追い詰められた海賊が、なりふり構わず暴れて、村人を巻き添えにしたり、或いは人質にしたら……それを食い止める手段はない。
そこで、ユミが口を挟んだ。
「攻め込めばいい」
それも無謀だ。
相手はこちらの三倍。なのに、こちらから?
「悪くねぇかもな」
だが、ガッシュは、頷いた。
「ちょ、ちょっと待ってください」
俺は、思わず言った。
「相手は三倍近くいるんですよ? なのに、こちらから突っ込むんですか?」
「そうだけどよ」
頭をバリバリ掻きながら、彼は言葉を捜しながら一言ずつ、言った。
「どうせやるんだろ? だったら、こっちは何もいいとこねぇわけだ……場所も知られてるし、動けねぇ村人もいる。その上、戦うタイミングも、あっちが選ぶ。待ち構えてたって、なんもいいことなんかねぇ。そんなら、意表をついてこっちから攻めるってのも、まぁ、手だな」
この説明に、全員が表情を引き締めた。
そうだ。攻め込むのが嫌なら、むしろ村を捨てて逃げたほうがいい。
但しその場合、どうやって逃げるかが問題となる。行きと同じく、馬車だろうか? しかし、道は海沿いに作られている。船で先回りされないとも限らない。
ややあって、ドロルが、遠慮がちに言った。
「……やるか?」
返事はなかった。
ただ、空気が張り詰めるばかり。
「夜を待ちましょう」
アイビィが静かに言った。
「数が少ない以上、なるべく奇襲に持ち込むべきです。それに、辺りが暗いほうが、万一の場合、逃げ延びるのにも有利ですから」
これで決まった。
日が暮れてから、俺達は行動を開始した。日中に動かなかったのは、何らか監視されている可能性を考えてだ。
攻撃には、全員参加と決まった。村に残っていても、安全ではない。むしろ、海賊どもも同じことを計画していたら? だから、村が夜襲を受けた場合には、救う手立てはない。
なるべく発見されないためには、海岸沿いの道は使えない。森の中に分け入り、位置を見失わないために高所に登り、泥だらけになりながら這いずって、先に進む。
「見えた」
ユミが指差す。
西の空の残照も微かになり、空は概ね紫色に染まりつつあった。そんな中、狭い湾内に、ただ一隻。白波の立たない水の上に、小さな海賊船がぽつんと浮かんでいた。
ドロルは頷きながら言う。
「完全に暗くなるまでは、近付くだけだ。森から出ずにな」
暗がりで充分待ってから。目を慣らしてから、一気に踏み込む。
船を燃やす案も考えたが、それは結局、採用しなかった。一気に燃えてくれる保証もないし、そうなると火の光で海賊が襲撃に気付く。船から歩いて出てくるところを弓で狙い撃ちもできそうだが、それが通用するのも最初だけ。炙り出されているとわかったら、なんらか防御手段を用意してから、外に出てくる。
それならいっそ、船内という狭い場所で、少数対少数の白兵戦を繰り広げたほうがいい。ウィーの弓は生かしにくくなるが、ガッシュやアイビィが充分に戦える。ユミもそれなりに活躍できるだろう。
夜の帳が下りた。それを、山の麓、森の中から見届ける。
「灯りがついてねぇな」
不安そうに、ドロルがぼやく。
海賊船からは、照明の光が漏れていなかった。ということは、もう寝静まっている? それとも無人とか?
昼間に見た時には、確かに人影があったはず。考えたくはないが、村への襲撃に出払っているとか? いや、それにしたって、見張りくらいは残すはずだ。
「どうあれ、やるしかねぇ。行くぞ」
ガッシュの号令で全員が動く。まず、先頭にガッシュとアイビィ。その後に全員がついていく。しんがりはユミとウィーだ。
陸に渡された板を踏んで、一気に乗り込む。足音はするが、今更だ。アイビィはともかく、ガッシュは重い金属製の鎧を着用しているのだし、隠密行動など、どだい不可能だからだ。今、海賊にとって想定外の時間帯こそ、最大のチャンスだ。
手近な扉を、ガッシュが蹴破る。重量のある一撃に、それは簡単に吹き飛んだ。
残念、最初の部屋は空き部屋だ。次。
またも扉を蹴破る。ランタンを向けると、よろめく男が、こちらに近付く。
「オラァッ!」
ガツンと一撃。ガッシュのハンマーが海賊の頭を吹き飛ばす。その場に崩れ落ちて、二度と動かない。
中には、大勢の男達が寝ている。
睡眠中? だが……
俺が考えをまとめる前に、アイビィは行動を起こしていた。相手が横になっていようといまいと、そんなのは関係ない。駆け寄り、首筋に短剣を刺しこむ。無駄のない動きだ。
さすがに俺も、口出しはしない。ここだけで十人はいる。数を減らせるなら、願ったり叶ったりだ。
しかし、違和感を覚えたのは、俺だけではなかったようだ。
「静か、すぎる?」
ユミが眉を寄せている。
そうだ。あまりに抵抗がなさすぎる。普通、これだけ暴れれば、いくら眠っていても、一人くらい起き上がって、逃げようとするくらいはあって当然だ。なのに、全員が全員、寝転んだまま、何もしようとしない。
「これは……いや、次!」
ガッシュは、船尾側の扉を蹴飛ばした。
中には、備え付けのテーブルと椅子があった。そして、そこに突っ伏したままの男が一人。
「お、おおうお……」
俺達に気付いたその男は、何やら声を漏らしながら、動き出そうとする。だが、椅子を揺らすのがせいぜいで、何もできずにいる。
そこにアイビィが歩み寄る。
「待っ」
「ゲ」
好機を逃すことほど愚かなことはない。彼女はそう考えているようだった。
迷わずナイフを突き立て、これまたあの世に送ってしまう。
いいのか? これ?
こいつら、本当に海賊か?
一瞬、そう思ってしまった。
それが顔に出たのだろう。
「彼らは海賊です。今から、私が証拠を探しますから、皆さんは外に出ていてください」
アイビィがそう言った。
よくよく考えると、無茶な理屈だ。証拠を得る前に皆殺しにしたわけだから……
「えっ」
「離れてください。どうやら、彼らは例の疫病に感染しているようです。戦闘を介して、私は彼らに触れてしまいましたから」
そういうことか。
タンパット村の人々と同じ症状、だから彼らは抵抗も逃走もしなかった。
「そうだね……僕らは撤収して……せめて、そこの海水で、体と装備を洗わないと」
「そうしてください」
こんなことになるくらいなら、消毒薬くらい、持ってくるんだった。
なんてことだ。
「えっと、あの」
後ろからウィーが……ああ、そうか。
真っ暗だからって、ここで服を脱ぐわけにはいかないからな。
「アイビィ、僕らはやっぱり、村に引き返す」
「はい」
「村に着き次第、全員装備を外して、消毒する。みんな、急ごう」
帰り道は、街道を歩いた。おかげでたいした時間もかからず、村に引き返すことができた。
それにしても、あれだけ危険と思われた海賊退治が、こんなにあっさり終わるとは。だが、それは疫病のおかげだ。
あとは、俺達が病気にやられさえしなければ……だが、疫病にやられた海賊達の船にまで入って、無事で済むだろうか?
念入りに消毒薬で体を拭いながら、俺は不安を頭から追い出せずにいた。
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