森の静寂の中で
翌朝。
肌寒さで目が覚めた。薄い毛布をかぶっていたが、いつの間にか蹴飛ばしてしまっていたようだ。
目を開け、辺りを見回す。
森の中の家々が、朝靄に包まれていた。木漏れ日が枝の間から力強く差し込み、足元の落ち葉をくっきりと照らしていた。
遠くから野鳥の鳴き声が聞こえる。瑞々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「起きたか」
ガッシュが、眠そうにしている。
「おはようございます」
「おう、おはよう」
「夜の間に、何か変わったことはありましたか?」
「いや、それがな……」
周辺の警戒をウィーとアイビィが受け持ち、本部は男三人が交替で見張りに立つことになっていた。一番最後に起こされたガッシュは、今までこの本部テントの周辺を監視していたはずなのだ。
「済まん、俺としたことが」
「はい?」
「ちょっと、ちょっとだけだけどな、寝ちまった」
「は?」
おい。
ゴブリンどもがまたやってきていたら、どうするつもりだったんだ。それでもプロか。
「すまん! 情けねぇったらねぇな。昼間にいろいろ動いたもんで、どうも疲れちまったのか……ついうっかりだ」
「ガッシュさん、しっかりしてくださいよ。寝るなら寝るで、僕かハリさんを」
「ああ、気をつける。けど、アイビィさんに起こしてもらってな、それからは起きてる」
本当に申し訳なさそうにしている。
まぁ、昨日も力仕事の多くを彼に引き受けてもらったわけだし、疲労の原因がそこにあるなら、多少は大目に見るべきか。
「切り替えていきましょう。早速、今朝のスープを作ります。ドロルさんとユミさんはまだ戻ってきてないでしょうから、ハリさんとガッシュさんで、村人の様子を見てきてください。何もなければ、また昨日みたいに食べ物を配りましょう」
「そうだな。おっし、今日もやるか」
俺はすぐ火を熾し、大鍋を温める。目を覚ましたハリとガッシュが連れ立って、村の見回りに出かけていく。
「ファルス様」
昨日から、どことなく硬い表情のアイビィが、ここ最近では珍しく、俺に様付けで声をかけてきた。
「私は少し休みます。代わりにウィムさんをここに」
「あ、うん。無理しないでね」
アイビィも、いったいどうしたんだろう? このところ、どうにも表情が……
やっぱり、あれか。生まれ故郷に立ち寄った時から。でも、あの時は作り笑いもしたけど、泣いてもいたし。
なら、昨日のゴブリンとの戦闘? でも、戦う前でも、彼女はちゃんとリラックスする。前にクローマーの襲撃を受けた時も、直前までアホキャラだったし。
いろいろあって、今は余裕がないのかもしれない。これは、俺も気を配ったほうがよさそうだ。
「ふあぁ……おはよ、ファルス君」
俺が考え込んでいると、後ろからウィーがやってきた。
「おはようございます」
「料理の準備かぁ……何か手伝おうか?」
「いや、別の仕事をしてもらってるし、これは僕が」
「そっか」
そう言われて、彼女は近くの岩に腰を下ろした。
だが、じっとしていられないのがウィーだ。そのうちに足踏みをしたり、手にした弓を弄んだりし始めた。思わず苦笑してしまう。
「……少し、散歩してきたら?」
「う、うん。そうする、そうするよ。ついでに見回りもしてくるから」
「はいはい、いってらっしゃい」
さて、今朝の味付けはどうしようか。このところ寝たきりで、食事も昨日が久しぶりという患者だから、なるべく食欲がわくような、軽い感じのものがいいかな。となると、酸味を生かしたスープなんかが一番よさそうだ……
どんな料理が、今の村人にとって一番いいのか。それを考えながら調理をする。ふと、なんて有意義な時間なんだろう、と思い返す。
前世でも、仕事ならたくさんしてきた。飲食店のアルバイトもだが、死ぬ前の数年間は、ずっとシステム開発だった。
俺は最初、世の中の役に立つようなものをたくさん作り出したいと思っていた。だが、やればやるほど、俺の中ではスッキリしないものが溜まっていった。有用なものを、必要かつ充分な工数をかけて開発するならいいのだが、そうではないことが多すぎたのだ。
得られる給与も、必ずしも仕事の重要度や質、量とは比例していなかった。だいたい、独立系中小企業の案件は安くて忙しかった。反対に大企業の子会社あたりは、割とお金は簡単に出るのだが、業務内容はというと、馬鹿馬鹿しいのが多かったっけ。十年以上も前の技術を、何の改善もせずにそのまま使いまわしていたりとかいうのが、ザラだった。
当然、暮らしていくためには、とにかくお金の出る案件を選ぶしかなかった。特に、父が認知症になって、その面倒を俺がみるようになってからは、時間の余裕もとれそうな現場を探すようになった。その意味では、子会社案件にはかなりお世話になったのだが、仕事そのものには、まったく意味を感じられなかった。あってもなくてもいいものを、どうでもいい理由でこねくりまわしているような……それがずっと不快だった。
そして今、俺は異世界の片田舎、森の中のテントの近くで、スープを作っている。
このスープは、病気に苦しむ村人が口にするものだ。もしかすると、この一皿の出来のよしあしで、患者の健康状態が変わってくるかもしれない。そこまでいかなくても、今、彼らの命を繋ぐのは、紛れもなくこのスープなのだ。その重要性は、計り知れない。
料理は、元はといえば、押し付けられた仕事だった。
両親が飲食店を営んでいたから、俺は子供の頃から、バックヤードで手伝いばかりさせられていた。店が少し繁盛するようになると、父は妻や子供、アルバイトにすべてを任せて遊び呆けるようになった。すると母も、あてつけのように外で不倫に勤しむようになった。そのうちに上の兄が、下の兄が、順番に仕事を放棄するようになった。でも、俺には逃げ場がなかったから、必死でやるしかなかった。
だから、俺はどこか、料理を嫌っていたところがある。大人になってから、わざわざ別の仕事を選んだのも、それが理由だ。
だが、今、こうして鍋を前に火加減をみていると、そんな気持ちは忘れてしまう。
食べて元気になれるものを作ろう。それしか頭にない。
ふと、背後から足音。
振り返ると、ウィーだった。
「……どうしたの?」
「うん」
彼女の表情には、やや緊張の色が見えた。
「少し、変なことが」
「何が?」
「足跡があったんだ」
「足跡?」
そんなの、当たり前だ。ここは人里なんだし……いや。
「それ、僕らのでしょ?」
「多分、違う」
「どうしてわかるの?」
「村の出入口とか、ここのテントからの足跡ならわかるんだけど。なんかね、村をぐるっと回りこむような感じの場所にあったんだ」
回りこむ?
ああ、でも、それは。
「ゴブリン?」
「いや、人間だよ」
なら、村人……のはずがない。
「ここの住人は全員、病気で歩けない。で、僕らでも、ゴブリンでもない。ということは」
「誰かがこの村に侵入してる、かも」
「かも?」
「自信がないんだよ。それに、そんなことする理由がない」
確かにそうだ。
ゴブリンならいざ知らず、人間なら、こっそり村に忍び込む理由がない。普通に正面から入ればいい。
では、犯罪者なら? 泥棒とか、海賊とか。それなら隠れる意味はあるが、村民がまともに動けないとわかれば、そんな警戒も不要になる。いや、今は俺達がいるか。
だけど、この村を襲うメリットは薄い。なんといっても貧しい地域なのだ。略奪して得られるものがほとんどないのに、わざわざ手間をかけるだろうか?
「一応、警戒したほうがいいかもね。その足跡、新しい?」
「多分、昨日か、一昨日くらいだと思う」
俺達が来る前からあったのか、なかったのか。そこが気になるのだが、さすがにそれはわからないか。
「ちょっと明日の夜からは、もっとしっかり見張ったほうがいいかもね」
そうこうするうち、ガッシュとハリが戻ってきた。手には、食器を重ねた籠がある。
「おう、メシだメシ。さっさとよそってくれよ。配ってくる」
「はい」
そこで頭を切り替えた。
とりあえず、日中に何かがあるとは考えにくい。警戒すべきは、恐らく夜間だ。
村人の健康状態には、変化がなかった。
相変わらず、自力では動けない。抱きかかえてもらってやっと飲食ができる。会話もなんとかできるのでわかるのだが、これで通算三日もこの状態なのだとか。果たして、この先、回復する見込みはあるのだろうか?
こうなっては、俺達はここを離れられない。彼らがまったく回復しなかった場合、俺達が立ち去ることは、死を意味する。かといって、彼らを馬車に積んでピュリスに戻るわけにもいかない。村人の数を考えればそんなのは現実的ではないし、もしできたとしても、原因不明の疫病にやられている人々を、大勢の市民が密集して暮らしている大都市に連れ帰るなんて、許されない。
しかし、この調子でいくと、一週間もしないうちに、俺達の物資が尽きる。そうなったら、とてもではないが、村人達に食べさせていくなんて無理だ。
ドロル達が戻ってきたら、どこかで追加の救援を要請する件について、相談したほうがいいかもしれない。
頭の中でそう結論づけた。
日中は、何も起きなかった。せいぜい、気温がぐんぐん上がって、朝の肌寒さが嘘のように暑苦しくなったことくらいだ。
午前中は、村内の様々なものを採取して、瓶詰めする作業があったが、午後になると、それも片付いてしまった。こうなると、あとは村人に食事を摂らせるくらいしか、仕事がない。
自然、けだるく緊張感のない空気になってくる。
そんな中、カポカポと馬車がやってくる。ドロル達だ。
「よぉ」
「おかえり」
「おら、水だ」
「よしきた」
これで全員揃った。水も補給できたし、あと丸二日は大丈夫。なんだか順調すぎる。
やることがなくなった。
「暇……」
ユミがポツリともらす。
全員、同意らしい。ガッシュあたりは眠そうに、目蓋をしばたいている。
ドロルが首を振る。
「暇潰しなんかねぇぞ」
それはそうだ。むしろ、健全だ、といったほうがいいか。
冒険者には、退屈な瞬間がたくさんある。何かの見張りとか、護衛とか……しかし、何も起きないに越したことはないし、また事件が発生するにせよ、襲撃犯が姿を見せるのは、ほんの一瞬だ。
そうなると、それまでの間が暇で暇で仕方なくなる。こういう時、緊張の糸が切れるのはまだ仕方ない。だが、自分から積極的に注意力を削ぐような真似はすべきではない。
具体的には、飲酒とか、カード賭博とか……よくそういうものを持ち込む冒険者がいるのだが、はっきりいってそんな連中は二流もいいところだ。依頼を完了して宿に戻ってからやる分には問題ない。危険に曝される可能性のある場所で暇潰しをするのが馬鹿なのだ。
ガッシュ達は、あえて何も持ち込まなかったのだ。
そして、それは正しいと言える。ゴブリンの残党がやってくる可能性は低いが、ゼロではない。それに今朝、出所不明の足跡が見つかりもしたのだし。
ハリが提案する。
「交替で仮眠を取りましょう」
「そうすっか。先に寝ていいか?」
「どうぞ」
俺はそっとウィーに目配せする。彼女が顔を寄せてくる。
「なに?」
「僕らも早めに寝よう。この村、まだ何かある気がする。いざとなったら」
俺はなぜか、アイビィにではなく、ウィーにそう告げた。
正体不明の足跡。それが気になる。
そして昨夜は、ガッシュが居眠りをした。その時間、起きていたのはアイビィだけだ。
では、彼女の足跡だろうか?
村を回りこむようについていた、というが、彼女が周辺を警戒しようと思ったら、自然と村を囲む斜面に足を踏み入れざるを得ない。ならば、何の問題もないのだが、そうでなかったとしたら。
つまり、外部の侵入者がいて、しかもアイビィもガッシュも気付けなかった……?
今、アイビィはどうにも調子がよくない気がする。彼女らしくもなく、妙な緊張感が持続してしまっているというか。
こういう時は、俺が気をつけないと。
俺は改めて、村の入口から周囲を見回した。
そこには、ただただ気だるい、穏やかな森の風景が広がるばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます