タンパット村の沈黙

「おーい! 誰か、いないか!」


 村の入り口で、ガッシュが叫ぶ。だが、応える声はない。

 今の時点では、生存者がいるのかいないのか、それすらはっきりしない。報告では、体から力が抜けて、動けなくなるという病気だとのこと。今も家の中で寝込んでいるのかもしれない。


「助けに来たぞ! 食料もある! 今から村に入るからな!」


 そう宣言する。だが、タンパット村は沈黙したままだ。

 振り返ったガッシュは、左右に首を振る。仕方がない。


「では、これを」


 俺は全員に手袋とマスクを配った。基本的に使い捨てだ。一日使ったら、廃棄して焼却処分。とはいえ、数に限りもあるし、救援活動がどこまで長引くかわからないから、村人の状態次第では、判断を変える。

 今の時点では、とにかく慎重にいきたい。なにしろ突然の見慣れない疫病だ。感染源はどこだろう? 飲み水か、動物か、はたまた魔法か?


 馬車の中では、何もすることがなかったから、とにかく今回の仕事について考えていた。

 だが、突き詰めていくと、どうにも不可解なのだ。


 疫病は、人から人へと感染し、犠牲者を増やしていく。だが、最初の一人がいなければ、何も始まらない。その一人は、どこから病原菌をもらったのか。

 これが例えば、ピュリスのような交易都市であれば、話はわかりやすい。その最初の一人が、ピュリスの外からやってくるだろうからだ。南方大陸からの訪問者が病気をばら撒くというような……ごくごく自然なシナリオが思い浮かぶ。

 ところが、ここはド田舎だ。海賊すら滅多に立ち寄らないような貧しい地域で、人口密度も低い。村落と村落の間の連絡も、密ではない。なのに、同時多発的に、複数の村から同一の疫病が広まっている。

 ということは、これは他の地域からの人間がもたらした疾病ではない。


 では、飲み水や動植物が原因ということはあり得るだろうか? 今の時点でないとは言い切れないが、これもしっくりこない。

 飲み水で問題を起こしたとすると、住民が水の利用方法を変えたか、水源自体に異変が起きていなければならない。つまり、例えばだが、旱魃が続いて、これまで飲まなかったような場所の水を使うようになった、というように。しかし、今のところ、そうした異常気象があったという話は聞いていない。

 動物は? これは少しは可能性がある。この地域では例年通りの天候だったとしても、たとえば海を挟んだサハリアでは、異変が起きているかもしれない。その場合、鳥類など長距離を移動できる種が、よりよい棲家を求めて一斉に北上した、というようなケースが考えられる。あとはここの住民がそれを捕らえて食べたりなどしたとすれば。

 だが、それなら同じく海に面したピュリスでも、なんらか変化が目に付いていていいはずなのだ。しかし、渡り鳥の大群がやってきた、というような噂は、何一つなかった。

 もちろん、もっと小さな動物が原因というケースも考えられる。例えば昆虫とか。しかし一般に、サイズの小さな動物は、移動距離も短い。サハリアやアルディニアから、ここまでやってくるのは、なかなかに大変だ。ならば地元の動植物で未開地域にいるもの、ということになるが、それにしたって、天候の変化で数の少なかった在来種が人里付近で増殖したとか、やはり何か目に見える原因がなければ、辻褄が合わない。

 乱開発でもしているような地域であれば、「密林の奥地で未知のウィルスに遭遇した」といったケースも考えられるのだが、それもなさそうだ。


 そうなると、これといって有意な原因がないことになる。

 ただ、この世界の出来事を、前世の科学的知識だけで解明しようとするのが、そもそも間違っているのかもしれない。なんといっても魔法が存在する世界なのだから。


「手順を確認します。まず、生存者の確認をしてください。水、食料を必要とする人には、最優先で与えること。ここでスープを作りますから、取りに来てください。患者に食べさせるのに使った食器は、選り分けておいてください。迂闊に触れると、私達も感染する可能性があります」


 この疫病は、どんな形で広まるのだろう? 接触感染か、飛沫感染か、それとも空気感染か。あまりに感染力が強いものだったら……


「他、発熱や出血など、目立つ症状を見つけたら、すぐ報告してください。患者の体液、排泄物には、なるべく触れないようにしてください」


 頭の中で、不吉な想像が止まらない。

 魔法とか、呪いとか……見ただけで感染するとか、そういう、何か常識を越えたとんでもないものでなければいいが。


「飲み水などの生活用水ですが、万一の可能性がありますので、この村の水源は利用しないでください。既に汲み置きした水を煮沸して使います。すぐに足りなくなると思いますので、馬車で往復することになりそうですが」


 念のため。

 受けた報告は「疫病」だが、鉱毒のようなものが原因でないとも限らない。地下水に何か変化があって、有毒な物質が溶け込んでいたとしたら。煮沸では効果がない可能性もあるから、ここの水は飲まないほうがいい。


「また、近くで似た症状を示す動物などがいた場合など、気になることがあったら、それも報告してください。……では、お願いします」


 ガッシュとドロル、アイビィとユミがそれぞれ一組になって、村の中へと踏み込んでいく。それぞれ、男性と女性の患者に対応させるためだ。場合によっては衣服を脱がす必要も出てくるかもしれないから……ろくに動けないということは、当然その場で排泄しているだろうし……その辺に配慮した。

 村の入口に設置した本部では、俺とハリが治療担当だ。そして、ウィーが警備を担当する。まさかとは思うが、さっきのゴブリンの残党が攻め寄せてきたら。最初に牽制の矢を放ち、俺達が臨戦態勢を整えるまでの時間を稼ぐ。


 俺とハリは、仮設テントの下、早速大鍋で簡単なスープを作り始める。

 役立つかわからないが、数種類の薬も用意した。消毒剤、解熱剤、消炎剤、下痢止め、鎮痛剤……


 すぐにガッシュが戻ってきた。


「どうでした?」

「いた。まだ生きてる」

「状態は……いや、まず食べ物ですね」

「ああ、これに」


 患者の家にあったお椀を差し出してくる。俺はそこに、そっとスープを注いだ。


「おし。すぐ戻る」


 よかった。生存者がいた。それだけでも。


 これを皮切りに、家と本部との往復が繰り返された。大量に作ったスープだったが、すぐになくなった。一方、並べておいた薬には、ほとんど出番がなかった。

 状況はシンプルだった。村人達は、ほぼ二日前に、完全に動けなくなったらしい。全員、同時期に発症した。そこからはどうしても力が入らない。だが、問題はといえばそれだけで、体のどこかが痛むとか、熱がひどく出るといったことはなかった。ただ、動けないので、自力で食事を摂ることもできなかったし、トイレにもいけなかった。口元はなんとか動くらしく、ちゃんと抱えてもらって、スープを流し込んでもらえれば、食べることはできた。

 最初にこの症状が見られたのは、二週間ほど前だった。その時はもっと軽微で、村の半数が一日から二日ほど、寝込む事態になったらしい。それで彼らは、最寄のセリパス教会に救援を頼んだ。ところが割とすぐに回復したので、もう問題ないかと考え始めていた矢先だった。


「さって、もう夕方だな」


 テントの中で、消毒液に浸したタオルで全身を拭きながら、ガッシュが誰にともなく言う。

 とにかく、徹底した防疫体制、これが生命線だ。原因がわからないことほど怖いものはない。最初、ガッシュは屋外でそのまま上着を脱ぎ捨てようとしたが、俺は慌ててそれを止めた。この病気の原因が、もしこの辺りの森に生息する蚊だったら?


「言っておきますけど、夜になっても、あんまり休めませんからね」


 俺も、誰にともなく言う。みんなに聞こえているはずだ。


 現状では、この病気についての情報が不足しすぎている。いったん動けなくなった人々だが、回復する可能性はあるのだろうか? ガッシュ達はそこまで深刻に考えていないようだが、俺は最悪のケースも想定している。

 村人達は、一度軽微な症状を体験し、今、重症化している。これは「二度」感染したからこうなったのか、それとも「一度」の感染で、二回に分けて発症したのか。最初の発症の後に、彼らは「回復」したのか。それともただ一時的に症状が改善しただけで、実は何もよくなってはいなかったのか。或いは、二度目の感染では、より重症化するのか。

 そして何より……この病気に、完全回復はあり得るのか。一度やられたら、生涯にわたって発症を繰り返す、というようなことはないのか。

 一度病気で死に掛けているだけに、俺は怖くて仕方がない。


 だが、そこまでは説明していない。

 彼らにとっての病気とは、要するに「風邪」のようなものだ。熱が出たり、下痢をしたり、頭が痛くなったりして、何日か寝込んでいると回復する。症状の程度はどうあれ、そういった類のものだと認識している。

 しかし、前世から多様な病気の知識を持ち込んできている俺は、そんな甘いものではないとわかっている。とはいえ、それを口にしたところで、彼らをただ、闇雲に恐れさせるだけ。


「先にお話した通り。ドロルさん、ユミさんは、馬車で水の調達です。ウィムは引き続き周辺の警戒で、時間になったらアイビィが交替」


 俺はテントの外に座ったまま、前もって打ち合わせておいた作業内容を、改めて説明する。

 夕方。森の中の村はもう、薄暗くなり始めている。そろそろ夜に備えるべき時間だ。


「ハリさん、ガッシュさん、それに僕は、交替で本部待機。合間を見て、サンプルも集めます」


 現地の井戸水。患者達の衣類。食料にしていたもの。排泄物。その他、周辺に生息する動植物。

 どこに病気の原因があるか、わからない。だから、なるべくそれらをコレクションして、ピュリスに持ち帰る。その調査研究は、学者達にでも任せればいい。それこそ、セリパス教会に金でも出させて、それができる人員を集めさせるのだ。


「そこまでするもんなのか?」

「他のパーティーはしないかもしれません。でも、僕らはしましょう。原因がわかっていない以上、どれだけ気をつけても足りないくらいです」

「面倒臭ぇなぁ」


 まず、安全を確認しなければ。

 一番厄介なのは、やはり水。この村の井戸水が汚染されているかどうかの確認が、最優先だ。

 というわけで、前もって準備しておいたネズミに、ここの水を飲ませる。すぐには発症しないかもしれない。だから、発症しなければ大丈夫、という判断には使えない。逆に、体調の悪化が顕著に見られた場合には、水に何らかの毒素が含まれている可能性が高まる。


「面倒でも、安全確保しないとですから。ネズミに飲ませる水、汲んできます」


 俺は立ち上がった。

 すると横から、スッとアイビィが寄り添う。


「私も行きます」

「いいよ、休んでて。すぐそこだし」

「いいえ。万が一がありますから」


 さすがはアイビィ。油断がない。

 丁寧語で喋っている時は、頼りになるお仕事モードだ。

 まぁ、きっと何も起きないだろうが、ついてきて困ることもない。


「じゃ、行こう。暗くなる前に」


 ひっそりと静まり返る村の中。木々の合間から、弱々しい光が差し込む。谷間の夕暮れ時は、一足早くやってくるものだ。

 季節は初夏でも、森の中では一年中、落ち葉が見られる。そんな中を踏みしめつつ、小さな村の広場に辿り着いた。

 さっきまでずっと本部のテントにいたので、実は村の中をほとんど見ていない。初めて目にする風景は、素朴そのものだった。単純な木造の家々は、どこか前世日本の、学校行事の山の合宿を思い起こさせるような雰囲気がある。こんな状況でなければ、もっと楽しめただろうに。

 そんな中にポツンと、石に囲われた井戸がある。


「うん、あれだね」

「はい」


 近付いて、水を汲もうとする。もちろん、手袋はつけたままで。

 そうして井戸に歩み寄り……


「おや?」


 井戸のすぐ横に、何かが刺さっているのが見えた。

 それはナイフのように見えるものだった。但し、柄の部分がなく、代わりに輪っかになっている。その輪の部分に、紫色の布が結んである。

 ナイフ自体は青銅製なのか、きっちり青錆に覆われている。なのに、奇妙にも、布のほうは真新しい。


「なに、これ?」


 俺は指差す。

 だが、アイビィはそれをじっと見たまま、何も言わなかった。


 それもそうか。なに、と言われて、これはこういうものですよ、とすぐに答えが返ってくるわけがない。当たり前だ。俺も知らないが、彼女にだってわからないのだ。

 この辺りの風習なのかもしれない。


 俺は手を伸ばし、井戸の奥にぶら下がる桶を引っ張りあげようとして、その手をアイビィに掴まれた。


「私が」


 これも合理的な判断か。水が危険かもしれない。わかっていて汲み上げるのだから。ちゃんと大人の体格があって、安定して桶を持ち上げられる人に任せたほうがいい。俺だと、手が滑って、水を引っかぶったりしかねないしな。

 まず、ガラスの容器に水を詰める。これは、持ち帰るためのものだ。できれば王都あたりから高名な学者でも呼びつけて、調べさせたい。

 続いて、ネズミに飲ませる分。これは普通の茶碗に取る。


「さ、行こう」


 アイビィは返事もせず、俺の後ろについた。


 これから日が暮れる。不安の種はつきない。

 病原体はどこに潜んでいるのか。村人の症状は改善するのか。俺達にも感染するのではないか。村を狙う魔物は他にいないか。

 どこに脅威が潜んでいるか、わからない。


 俺はそっと振り返り、周囲を見回した。


 辺りは静まり返っていた。

 不気味なほどに。

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