ブルカンの浜辺にて
「ファルス? ファルス君? どこ?」
俺を呼ぶ声が聞こえる。だが、もうちょっとだ。
……いた! こいつが一番いい。
ピュリスの南西、ブルカンの村。訪問するのは二度目だ。
ここの唯一の食堂の裏で、俺は獲物を探していた。
日本語で、言葉の通じない相手に許しを願う。
『悪いけど、もらうよ……?』
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(自分自身) (9)
・アルティメットアビリティ
ピアシング・ハンド
・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク6)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク7、男性、8歳・アクティブ)
・マテリアル ラプター・フォーム
(ランク7、オス、14歳)
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル 薬調合 6レベル
・スキル 身体操作魔術 5レベル
・スキル 料理 6レベル
・スキル 剣術 5レベル
・スキル 病原菌耐性 8レベル
空き(0)
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幾度となく俺の命を救ってきた黒いダイヤモンド達。
今回もご加護を授かろうと、俺はイキがいいのを探していた。
これで四匹目。累計で、病原菌耐性が8レベルにもなった。そろそろ、周囲の人にこっそりスキルを配り始めてもいいかもしれない。
「あ、いた」
「お待たせしました」
後ろからウィーが声をかけてくる。
用事も済んだし、ちょうどいい。
「もう。ファルス君が言ったんでしょ? 途中に村があったら、そこで食事していこうって」
「はい」
「みんな待ってるよ。早く行かないと」
俺は出発前に、みんなにお願いをした。危険な場所に行く旅になるし、体力をつけないと命取りになるから、もし途中に人家を見つけたら、必ず立ち寄って食事をしていこう、保存食では体力を維持できないから……もちろん、こんなのは口実だ。
俺の狙いは、食堂の裏にいるゴキブリ。こいつらだけだ。
不潔な環境で生きる動物の中には、病原菌耐性スキルを持っているものが、チラホラいる。そして、俺達は疫病の流行地帯に突っ込むのだ。もちろん、手洗いうがいに消毒、マスクや手袋の着用は行うが、それだけでは健康を維持できない可能性がある。そこでゴキブリパワーだ。
能力の空き枠がなかったので、また商取引スキルを屋上の薬草に預けておいた。けど、あれが枯れたら大変なことになる。理想を言えば、滅多に死んだり枯れたりせず、環境の変化に強く、長寿で、それでいて携帯が容易な、手のかからない生き物がいてくれると、とても便利なのだが……
「おせーよ、ファルス」
「早く食べましょう」
海沿いに立てられた、藁葺き屋根と木の床だけの風通しのいい小屋。それがブルカン唯一の食堂だ。
簡素な長椅子の前、粗雑な造りのテーブルに、大きな土鍋がドンと置かれている。この村自慢の海鮮鍋だ。味付けは、特産品の塩だけ。
「済みません。でも、皆さんだけで召し上がっていただいていてもよかったのですが」
「バカ言ってんじゃねぇ」
ドロルが吐き捨てるように言う。
「病気っつったら、一番ヤバいのはお前だろが。しっかり食え」
「は、はい」
ガッシュも、腕組みしながら頷く。
「ったく、あのリンってアマァ、ろくでもねぇな。いくらなんでも、ガキまで動員するかぁ?」
「人手不足なのもあるのでしょう。女神神殿のほうでも、救援活動に動き始めているのですが、いかんせん、初動が遅すぎましたね」
結局、リンが声をかけた冒険者というのは、俺の顔馴染みだった。というより、複数のチームを作って、それぞれ別の村に送り込むことにしたのだが、たまたまガッシュ達も依頼を受けたので、俺と組ませることにしたらしい。
ということで、ここにいるのは、ガッシュにドロル、ハリにウィー、ユミ。これだけでも、充分強いパーティーだ。
しかもそれに加えて……
「うーっ、うまうま~」
一人だけ、ちゃっかり先に料理を取り分けて、食べ始めているアホ女がいる。
そう、アイビィまでついてきたのだ。店は……一応、サディスとジョイスに任せてあるが、心配でならない。
「皆さんも早く食べたほうがいいですよ! こういうのは、冷めると台無しなんです!」
視線が集まるのを感じて、アイビィは慌ててそう言った。
「食うか」
「済みません、お待たせして」
それで俺達は、いそいそと席について、食べ始める。
「おいしい、です」
やはりユミは魚が大好物らしい。
他の食材には目もくれず、次から次へと魚ばかり、鍋から引っ張り出しては、自分の小皿に移している。そんなにそればっかり食べたら、他の人の分がなくなるだろうに。
「ただの旅行だったらよかったのになぁ」
ガッシュがポロリとそんな感想を漏らす。
「仕方ありませんよ。今回は先を急ぎますからね」
「屋根のあるところで寝られるのは、いつになるかねぇ」
人里に立ち寄ると、宿も取りたくなる。だが、そういうわけにはいかない。
食べ終わったら、すぐまた馬車に乗る。そうして少しでも旅程を消化しなければならない。
「それなんだけど」
ウィーが口を挟む。
「どうも馬が疲れてるみたい。暑さでへばってるから、もう少しだけ休んだほうがいいかも」
「おー、そうか。じゃ、しょうがねぇな」
移動手段が馬車なのは、大量の支援物資を積み込んでいるからだ。まずは食料。燃料や衣類も少々。効果がどれくらいあるかわからないが、様々な薬も積んである。それらの分量が結構多いので、二台に分けてある。前の馬車に男三人、後ろに女三人。いや、ウィムと女二人、というべきか。俺は、アイビィに引っ張りこまれて、後ろの馬車の荷物とされている。
「じゃ、ちょい休憩してから、また出発な。あんまノンビリしてると、意味なくなっちまう」
一時間後に出発と決め、俺達は鍋の残りを平らげにかかった。
ピュリスから眺める海も悪くないが、ここブルカンからの眺めも、捨てたものではない。
海辺には、ゴツゴツした岩が海面から顔を出している。よく、川の岩は水の流れに洗われて丸くなる、というが、ではどうして海の岩というのは、こうも角が立っているのだろう?
そこに白波がぶつかっては砕ける。そんな浅瀬の海水も、きれいに澄み渡っている。黒々とした水の底がよく見えるのだ。
陸のほうに目を向ければ、平坦な塩田が広がっている。最初に目にする前は、塩田というくらいだから、もっと真っ白かと思ったのだが、どうもそうではない。砂混じりの塩を、濾過した後、更に釜で炊くらしい。
視界を遮るものがあまりなく、風はいつも海側から吹き寄せて、本当に気持ちがいい。ピュリスの海は、街と自然、というようにきれいに切り分けられている感じがするのだが、ここでは海も村も、どこか交じり合っているように思われる。
ふと、ちょっとした高台の上、曲がった木の横に、一人佇むウィーの姿が見えた。
王都での彼女を思い出す。あの時はいろいろ慌しくて、訊けなかったことがたくさんあったっけ。
俺は足を向けた。
「あ、ファルス君」
俺が近付くと、彼女はすぐ振り返った。
「どうしたの?」
何か言いたいのだろうと察した彼女が、声をかけてくる。
「あ、うん」
なぜ冒険者を続けるのか。
クレーヴェの家で話した際には、力試しをしたいから、自立して生きていきたいから、という理由だった。だが、その意味ではもう、実力の証明もできたし、誰かに迷惑をかけずとも生きていけるようにもなった。
それならどうして、キースの求婚を断ったのだろう?
「えっと……あれから、あんまり話ができなかったから」
「うん」
キースとの決闘の後、俺は一度だけ、クレーヴェの屋敷に顔を出した。だが、既にウィーはピュリスに向けて発ったとのこと。火魔術の教本の写しをもらったのも、その時だ。
有利な条件で実力を出し切って、なお敗れた。彼女の気持ちはどうだったろうか。
「その、うんと、あの……悪くなかったかなって」
「えっ? 何が?」
「えっと、だから、その、キースなんか連れてきちゃって、ああなって」
「ああ」
俺がなんとか言うと、彼女は首を振って、口元だけで笑いを作った。
「いい出会いだったと思ってるよ」
ウィーはそう言った。
曲がった木に半ば体を預けて、肩の力を抜きながら。
「そう?」
「うん。反省した。自分ならそれなりに戦えるって思ってた。でも、やっぱり世の中、上には上がいるんだなぁって」
「いや、でも、あれは例外だよ。バケモノだから」
「ははっ、そうだね」
負けたことは、やっぱりそれなりにショックだったようだ。ただ、それだけで済んでよかったともいえる。
敗北をバネにして、とまではいかなくても、彼女はまだこうして冒険者を続けているし、反省材料を生かして、更に前に進もうとしている。
「あの、さ」
「うん?」
「これ、訊いていいのかな? どうしてキースの話、断ったの?」
「ん……」
そう言われて、彼女はちょっと複雑そうな表情を浮かべた。
「結婚、ね……うーん」
言いにくそうにしばらく言葉を捜してから、やっと続けた。
「そもそも自分で決めるものだと思ってなかった、っていうか」
「うん」
「できるとも思ってなかった、っていうほうがいいのかな」
「えっ? でも、ウィーって美人なのに」
「シッ」
慌てて彼女は周囲を見回す。問題ない。誰もいない。
「ふう……そんな、こんな男の子みたいなの、普通の人は欲しがらないと思うよ」
「そうかな? でも、それなら、尚更どうして」
「だって」
ウィーは苦笑しながら、明快な答えを返した。
「さすがにあれは。あんなに乱暴な人の奥さんは、ねぇ?」
「ハハハ、確かに」
哀れキース、どう足掻いてもフラレていたか。
「じゃ、どんな人ならよかったの? 参考までに」
「んー、そうだね。結婚はもちろん、お付き合いもしたことないから、よくわかんないんだけど」
普段通りの明るい表情を浮かべて、彼女は遠い海の彼方を見た。
「なんていうか、深みのある人がいいかな」
「深み?」
「うん。ほら、ボクってこんな風に、やりたい放題で生きてるし、思いついたら動いてるって性格だから。多分、家の中でじっとしているような、いい奥さんにはなれないんじゃないかなって思うんだ。だから、こう『俺についてこい』って感じの人より、物事を深く考えてて、落ち着いてて、しかも一緒に歩いてくれそうな人、みたいな」
なるほど。
確かに、クレーヴェの家にいた彼女は、女の子らしくしようとして、無理に縮こまっているような印象があった。たぶん、生来活発な彼女には、あんな暮らしはできそうにないだろう。その意味では、冒険者の生活こそ、彼女に向いているのかもしれない。
その一方で、思慮深く、懐の広い男が好みでもある。それって、クレーヴェとキャラがかぶる気もする。今更、か。多分、ウィーはファザコンだ。
「高望みすぎるよね」
そういって苦笑する。
俺はそうとも思わないのだが。
「でも、結婚できるなんて思ってないから」
「どうして? そりゃ、相手を選んでたら難しいかもしれないけど、そんなに無理かな」
「うーん、そうじゃなくって」
少し困ったように眉を寄せて、彼女は言う。
「はっきり言っちゃうとね。子供、産んでいいのかなって思っちゃうんだ」
「へっ?」
「だって、ほら、これ」
彼女は、肩にかけていた弓を手に取る。
「これって、殺す道具なんだよ」
「え、うん」
「もちろん、罪もない人を撃ったことはないし、面白半分で動物を狩ったりしたこともない。仕留めた獲物は、できる限り全部ちゃんと食べるようにしてきたよ」
至極まっとうだ。
たまたま彼女が手にした生活の道具が、武器だった。それだけだ。でもウィーは、力に溺れてはいない。
「でもね」
少し寂しそうな顔で、彼女は言った。
「狩りでもなんでも、それって殺すってことだから。どんな理由でも、それは怖いし、痛いし、狙われた相手は、何もかもをなくすんだよ」
「それは、まぁ」
あれだけ多くの獲物を容赦なく狩ってきたのに。
とっくに気持ちの整理なんて、済んでいると思っていた。
「割り切れてると思ってた」
「割り切ってはいるよ。でも、ただで済ませようとも思ってない。責任は、ずっとついてまわる。逃げられないし、逃げようとも思わない」
そう語る彼女の微笑は儚げで、薄いガラスか氷のように、脆そうに見えた。
「誰も、何も傷つけなければいいのにね。でも、そうはいかないから、弓を取る。ボクは殺す。弓を取る以上、なんとしても殺すんだ。だから、ボクも殺されても仕方ないし、そうなるのが当たり前だと思ってる。こういうのは、繰り返しなんだ。世界のどこかで誰かが殺される。殺したほうも、また殺される。だけど」
言葉もない。
まだ十代半ばの若さなのに。
この悲壮な覚悟の奥には、何があるのだろう?
「できたら、世界のどこかでは。私には無理かもしれないけど……穢れのない人と人とが結ばれて、その人達からきれいな未来が生まれたらいいのに、っていう風には思う」
まるで彼女自身には、結婚も出産も、する資格がないみたいな言い方だ。きれいな世界を作るのは自分ではない。他人事なのだ。
せっかくまだ若いのに、容姿にも才能にも恵まれているのに、なんともったいないことだろう。
「ま、ボクがそう思うってだけだよ」
木の幹を蹴って、彼女は身を起こす。
いつの間にか、形ばかりの笑みさえ忘れた俺を促して、歩き始めた。
「そろそろ行こう。あんまりゆっくりなんて、していられないからね」
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