自由行動の時間

「そうじゃ……細かく刻まねばならん」

「はい、コプローファ様」

「教えたわけでもないのに、やけに手際がよいのう?」


 どういう風の吹き回しか。

 俺は今日、一人で王都の市街地に出かけている。


「それは貴重な材料じゃからの、丁寧に湯で溶かす。卵黄を……そうじゃ、なぜ知っておる?」


 そして今。

 俺はなぜか料理修業をさせられている。

 イフロースの指示ではない。なんと、カイ・セーンが、なんとしてもと、俺の日程に捻じ込んだらしい。


 この店、来るのは初めてだが、知らない場所でもなかった。

 王都を代表する菓子店、ダング。国一番のチョコレートケーキを出すところだ。

 そして、俺を指導しているのは、この店の長、コプローファ爺さんだ。真っ白になった髪に、ポツポツと生えている髭。だがその顔は、帽子とマスクでほとんど覆われてしまっている。まさに全身白一色。ただ、ごつごつした指だけが印象的だ。


 さて……卵黄も、卵白も、無駄にはしない。ただ、使う場所が違うので、分ける必要がある。

 塩を一振り、それに砂糖を入れてかき混ぜる。メレンゲの出来上がりだ。


「なんとなくですよ」

「ふむ? ……まぁよい。よく混ぜるのじゃ」


 前世の知識があるから、迷わず作業できているのだが、それに頼りっきりになるのもまずい。特に、この後の加熱。そこだけはコプローファ爺さんの指示をしっかり聞かないと。こちらの世界には電子レンジなどないのだから。

 それにしても、やっぱり不思議だ。どうしてこうまで前世そっくりの食材が揃っているんだろう? 人工物と違って、これは人間が考え出して作ったわけではないのだから。偶然の一致といっても、似過ぎている。


 しばらく後には、丸いチョコレートケーキが完成していた。


「なんとも教え甲斐がないというか、むしろあるというか……確かに変な子供じゃのう」


 問題なく出来上がったケーキを前に、彼は溜息をついた。


「ほとんど問題はない。ここで教えることもあまりなさそうじゃ……じゃが、火入れのところだけは、少し勉強していったほうがいいのう」

「はい」

「どれ、一応、少し味見をしてみるとするかの」


 丸いケーキから一切れずつ取り分け、口に運んでみる。

 久しぶりのカカオだ。この世界、砂糖も貴重だが、カカオはそれ以上の贅沢品だったりする。南方大陸からの輸入品だから、滅多に口にできない。前世ではチョコなんか、どこでも買えたのになぁ……


「悪くはない。もうあと数回しかないが、しっかり練習していくんじゃな」

「はい。ありがとうございます」


 そういえば、収容所で一緒だったみんなは、どうしているだろうか。ディーは貴族の家に貰われていった。ウィストも確かそうだった。コヴォルは、大商人の従者だったっけ。そしてタマリアは……

 あの時の、きれいなお花畑でのケーキ。彼らがもう一度、これを味わう日はくるのだろうか。


 あまったケーキを紙箱に入れ、更にそれをリュックに詰めた。背中の体温でチョコが溶けないよう、隙間は空けておく。俺は頭を下げて店を辞去した。

 この後の予定は……実は、何も命じられていない。


 今頃、お嬢様はナギアと一緒にお勉強中だ。王都にいるからといって、いつもの学習がすべて免除されるわけではない。数年後には、帝都の学園に通わねばならないのだ。その時、おバカな娘に育ってしまっていては、子爵家が大恥をかく。まぁ、そうはいってもアホ貴族が大勢いるらしいので、そこまで目立たないとは思うのだが。

 一方の俺は、この後は自由行動を許されている。もちろん、好きに観光せよという意味ではない。後でお嬢様を連れて都内を歩き回る際に困らないよう、下見をしておく必要があるためだ。


 というわけで、改めて王都の大通りに立つ。

 ちょうど今は、一年でも一番美しい季節だ。それだけに、街中の様子も一際素晴らしい。


 市民の壁の内側。そこには多数の民家が立ち並んでいる。整備された大通り以外は、曲がりくねった道ばかり。そのどれもが、不揃いな石で舗装されているのだが、それゆえにかえっていい味が出ているように思われる。

 家々もまた、趣きがある。年月を経た焦げ茶色の木の柱。それに、斜交いに組まれた板も壁面に露出している。壁の表面は漆喰で塗り固められていて、白さが際立つ。その上に、色とりどりの瓦屋根。橙色に、緑色、黄色に黒と、様々だ。

 建物の高さは、だいたい三階から四階建てくらいのものが多い。限られた土地に人が密集して暮らしているので、平屋に住むなんて贅沢なのだ。しかし、一部を除いて、五階以上の高さの家はない。法律で制限されているのだろう。強度が保てなくなるからだ。

 これらの家には、たいていバルコニーがある。いや、ベランダというべきか。一応、申し訳程度の庇がある。そして、決まって鉢植えが飾られている。この時期ならではかもしれないが、ちょうど色とりどりの花々が咲き乱れている。

 大通りから一本内側に入ったあたりは、まだ表通りといえる。住民向けのいろいろな店が商売しているのだ。色とりどりの果物を木箱に詰め込んで売る女性。昼食を食っていけと声を張り上げる酒場の男。日常用の安価な服を売る少年。路上で串焼き肉を売る老婆。なんとも心躍る景色だ。


 さて、と。

 今日の外出は、もちろん許可を得てのものだが、俺には俺の予定がある。しかし、約束の時間まで、随分空いてしまっている。初めての街だし、少し探検するのもいいだろう。

 俺は、流民街のほうに向かって歩き出した。


 大通りに沿って南に進むうち、左側の区域が目に付いた。建物の丈が高いのだ。恐らく、市民の壁の内側でも、特に外から来た人間を受け入れるスペースとして、発展した区域に違いない。いわゆる繁華街というやつだ。多少の興味に、俺は左へと逸れた。

 これまで以上に狭苦しい通路ばかりになる。道の向かいの建物と建物が二階部分で連結されていたり、物が山積みになっていたり、そもそもそうでなくても、人がすれ違うのが精一杯の道幅だったり。これはこれでワクワクするが、こんな場所には、お嬢様は連れていくなどできっこない。

 はたと広い場所に出る。広いと言っても、丸くて小さな公園といった感じなのだが。切り出された丸太が、南側半分の外周に置かれている。では北半分はというと、全部が全部、こちらの広場に口を開けた建物ばかり。特に真北にあるのは四階建ての上に、大きな時計塔がくっついていて、大きい。

 それ以外の建物は、どうやらすべて、店舗のようだ。売られているのは武具や薬品、保存食、キャンプ用品など……ということは、この真ん中のは。

 大きな扉は開けっ放しになっている。遠慮なくどんどん踏み込んでいくと、そこには……


 武装した男達が、思い思いの場所でくつろいでいたり、貼り紙を見上げたり、受付嬢と話をしていたりする。奥のほうにはズラッと机が並べられており、そこで職員らしき人々が、ひたすら書類仕事をしている。

 やはりそうだ。ここが王都の冒険者ギルドなのだ。


 さすがにピュリスのものよりは規模が大きい。だが、実は王都周辺にはさほど仕事がない。強力な魔物はあらかた軍の手によって討伐済みだったりする。ここで請けられる仕事は、ほとんどが雑用か、商隊の護衛依頼だ。一応、エスタ=フォレスティア王国の本部はここだから、こんなに立派な建物を用意したのだろうが……難易度の高い依頼は、最低でもここから数日かかる場所にしかない。


 一通り、辺りを見回した。まあ、自分にとっては目新しいが、それだけだ。さあ、出ようと思ったところで、隅のほうのカウンターで、何やら言い争いのような声が聞こえてきた。


「だからよぉ、そんなにかけらんねぇっつってんだろ? パッといってパッと終わらせてやんぜ!」

「あの、ですが、どう考えても片道三日、往復で六日、更に巣穴を探して討伐となると……十日ほどはかかるものと」

「だぁーからよぉー、いいから俺に依頼しとけよ。適当に済ませてやっからよ」

「いえ、適当というわけには」


 窓口のオバちゃんは、顔から汗をダラダラ流しながら応対している。背中しか見えないが、その向かいに立っているのは合計四人ほどの男達。一番前に立っている男は、薄い金属板を重ねた、割合軽量そうな鎧を着けている。


「お前、いいのかよ?」

「な、何がでしょう」

「俺を怒らせると……」

「ま、前にも! お請けになった依頼を、一ヶ月も放置していたことがおありでしょう? それに、ランクもまだ、やっとガーネットなのですし」

「おい、黙れ、ババァ」


 ガラが悪いな……

 気分はよくないが、目立つわけにもいかないし、揉め事もまっぴらだ。なので、受付のオバちゃんには悪いけど、見ているだけ。


「ギルドの評価がなってねぇんだよ。実力で言やぁ、俺はとっくに上にいってんだよ」

「とにかく、規則ですので」

「ちっ、クソが」


 とうとう男は諦めて、こちらに振り返った。

 その顔には、見覚えがあった。


 レジネスだ。

 あの、ティンティナブラム伯の息子の。


 こんなところで冒険者の真似事か? まったく、フォレスティアの貴族どもはどうなってるんだ。ウィーも貴族の家の娘っぽいし、なんか冒険者になるのがステータスだったり、流行ってたりするのか?

 まぁ、ウィーについては実力が伴っているから、別に問題はない。でも、こいつは……うん、今、改めて確認したけど、剣術スキルが1レベルしかない。これでガーネット? ウソだろ? ランクが1しか違わないアクアマリンの冒険者を倒したことはあったけど、こいつより断然強かった。

 但し、こいつの取り巻きは、少しだけ強い。強いといっても、せいぜい2レベルとか、3レベル程度だ。ジョイスやベルノストくらいの腕前しかない。つまりは発展途上、一人前にはまだ遠い。たぶん、それくらいがガーネット相当の実力なのだろう。


「行くぞ、てめぇら」

「ほいよ」


 どうやら四人でパーティーを組んでいるらしい。しかも、リーダーはレジネスだ。一番弱い奴がボス。きっと身分のおかげだ。


「しょーがねぇ、今日も飲むか」

「だな」

「あんなシケた討伐依頼なんざ、雑魚にくれてやらぁ」


 そんなことを言いながら、彼らは出て行く。

 俺はさっと目を走らせる。オバちゃんが掲示板に戻そうとしている貼り紙。ゴブリンの集団の討伐らしい。もし、彼らがちゃんとこなせれば、アクアマリンどころかアメジストへの昇格も視野に入るものだ。だが、あれは簡単そうに見えて、意外と難易度が高い。特にゴブリンのリーダーは、しばしば魔法を使う。どんな種類のものかは個体によって異なるが、あのウィーでさえ、一撃では仕留め切れなかったのだ。

 たぶん、こいつらの実力では、返り討ちにあうのがオチだろう。


 どうしよう。一瞬考えて、俺もすっと外に出た。

 ここでレジネスと出くわすとは思わなかった。まったくの偶然だ。俺は彼に対して、何かしたいことがあるわけではない。だが、野次馬根性というか、せっかく彼の素顔を見てしまったのだから、もうちょっと見極めたいという気分になったのだ。


 彼らはずんずん歩いていく。子供の足で必死に追いかける。ほどなく彼らは市民の壁を越えて、流民街へと繰り出していく。景色が急に色褪せてしまった。茶色の壁ばかり、屋根も同様だ。足元も、少し道路が細くなると、舗装さえされていない。見るからに貧しそうな、雑然と荒れた住宅地。

 そんな中に、周囲の民家と同じ色合いだが、一軒の居酒屋があった。彼らはそのまま、木の扉を押して中に立ち入る。


「んじゃっ、今日もっ、カンパァイ!」

「おっしゃぁ」


 俺がそっと店内に立ち入ると、彼らはもう飲み始めていた。まだ昼間だというのに。


「けど、しまらねぇなぁ」

「んだよ、リーダー」

「そろそろビッとモンスターどもを片付けて、俺の凄さを見せ付けてやろうと思ってたのによ」

「まぁまぁ、次でいいんじゃね? アレだろ、なんか二、三日後に、また顔出さなきゃいけねぇんだったっけ」

「そう、それ」


 忌々しそうに、レジネスは木のジョッキをテーブルに叩きつけた。


「貴族同士の付き合いとかよ、俺には向いてねぇっての。こっちの世界のが、ずっとな」

「まぁ、なぁ」

「いいんじゃねぇの、そっちはそっちでうまくやりゃあ」


 そういうこと、か。

 彼は、父の名代ということで王都に駐在している。だが、官位も何もないので、基本的には毎日暇だ。一応、謁見式とか舞踏会には顔を出すが、それが彼にとっての最低限の仕事であり、お付き合い。

 しかし、もともとこれといった能力もなく、夢や向上心もない。それでいて、承認欲求は人一倍ときた。となれば「下の世界」に楽しみを求めるのも、無理はない、か。

 そして確かに、下々の人々は、上からの「おこぼれ」をありがたがるものだ。


「まぁよぉ、なんかありゃあ、俺達がリーダーをテッペンまで押し上げるからよ」

「おう」

「へへっ、飲ませてもらってる分だけは、やることやっからよ」

「お? ま、またか、お前ら」

「悪ぃなぁ、リーダー」


 ……内心では、きっと彼らもレジネスを見下している。だって、弱いし。

 だけど、相手は貴族様だ。それに、彼らよりは金も持っている。だから、こういうチンピラが寄ってくる。なんのことはない、ひたすらおだてて、日々の飲食代をせびっているのだ。

 だけど、ティンティナブリアは貧しいし、レジネスの財布だって重くはないのだろう。だからか、いちいち流民街まで出て、飲み食いをするのは。あの夜会での、ひたすらに食い物にがっつく姿が心に浮かぶ。金は惜しいが、ちっぽけなプライドも惜しい。でも、頑張るつもりもない、と。


 よくわかった。オディウスもクソだったが、こいつもクズだ。

 でも、少し安心した。ティンティナブラムの雑兵どもを使って何かしようとしても、この男では、何の役にも立つまい。きっと父の計画も、ろくに知らされていないのではないか。要するに、締め上げても何の情報も得られないだろうが、こいつが危険をもたらすこともない。


 興味をなくして、俺はまた、そっと店の外に出た。

 その時だった。数本の腕が俺に絡みつく。まったくの不意をつかれた形だった。


「なっ……!?」


 どうする? 剣は持ってきていない。いや、あっても両腕が掴まれてしまっている。

 目の前で俺に手を伸ばしてきているのは、いかにも貧しげな身なりの男達だ。

 馬鹿な。裏通りとはいえ、真昼間の公道上で?


 とりあえず、激痛を与えて、追い払う……


「コラッ! 何をしてやがるっ!」


 後ろでバン! と音がして、木の扉が弾け飛ぶ。

 怒鳴りつけてくれたのは、恰幅のいい、太ったヒゲの男だ。腰に前掛けを下げている。この店の主人らしい。


 その声に、連中はパッと手を引く。

 そして這いずるように路地裏へとすっこんでいく。


「ボウズ、怪我はないか」

「はい、ありがとうございます」

「見たとこ、お上品な格好してやがるが、なんでこんなところにきやがったんだ?」

「えっと……道に迷ってしまって」


 確かに、今の俺の外見は浮いている。

 兵士の壁のすぐ近くにあったダングの店近辺ではこれが普通なのだが、どちらかというと、富裕層に見える服装だ。


「んん? 商人か貴族の召使ってところか? けど、この辺はうろうろしないほうがいいぞ」

「はい……あの」

「ん?」


 さっきの連中。

 一瞬しか顔を見ていないが、なんか妙な迫力があった。眼窩が落ち窪んでいて、頬がこけていて、薄汚れていて……


「あの人達は、どなたなんですか? いつも、ここはこんな感じなんですか?」

「いんや。ここ最近だなぁ……前はもうちょっと安全な街だったんだがなぁ」


 腕組みをして、彼は遠い目をした。


「最近、やたらと貧乏な連中が、王都に流れてくるようになってな……ここはもともと流民の街だったが、あいつらは本当の流民だな。食うものにも困ってるから、何を仕出かすかわからん。……そら、そこが大通りだ。さすがにそこまでは追ってこないから、さっさと行きな」

「はい、気をつけます。ありがとうございました」

「おう」


 俺は改めて一礼すると、大通りへと走った。

 この辺は治安も悪いようだし、さっさと退散したほうがよさそうだ。


 それに……そろそろ時間でもある。

 兵士の城壁の内側で待ち合わせだから、早めに引き返したほうがいい。


 さてはて。

 ウィーはどうして王都にいたのだろうか。

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