弱い者いじめの結果
中庭の主人席と、夫人席、子供席の間の芝生が、舞台に選ばれた。メイド達が、邪魔なものを横によけて、広さを確保する。
そうこうするうち、黒服を着込んだ男達がやってきて、木剣をいくつか持ち込んだ。
「サウアーブ・イフロースの弟子か。楽しみだな、サフィス」
椅子にゆったりと腰掛け、タンディラールはさも楽しげにそう言った。
「は、はい」
一方のサフィスは、目が泳いでいる。俺がイフロースから剣術の指導を受けているなんて、初耳なのだろう。そもそもこの試合、どういう結果になればいいのか。予想外すぎて、打つ手が見つからない、といった様子だ。
しかし、戸惑っているのは彼だけではない。
「お好きなものをお使いください」
王子の召使が、テーブルの上の木剣を指し示す。
「君が先に選びたまえ」
後ろから、ベルノストの声。
俺が振り返ると、彼は小声で言った。
「……さっきは失礼した。それでも君の立ち入りを許すべきとは思えなかったが……ただ、先々まで考えが及ばなかった」
ふむ。
わかっているなら、いい。俺も、少なくとも彼に対しては、根に持ったりはすまい。
「だが。仮にも剣を手にする以上、手加減はできない。君も全力を出したまえ」
俺は一礼して、また前を向く。そして適当な一振りを拾い上げて、場所を譲る。
振り返ると、長椅子に子供達が座っている。その表情は、立場によって色々だった。
「しっかりやるのよ、しっかり、ね」
まず、有頂天になっているのが、アナーニアだ。どうやら、ベルノストが俺を徹底的にぶちのめしてくれると信じて疑っていない。
それに比べると、グラーブは落ち着いている。まっすぐ背筋を立てて座って、じっとこちらを見ている。王家の従者には、その身分に恥じない戦いを期待する。そう言わんばかりの態度だ。
リシュニアは、ただただ心配そうに、オロオロしながら俺とベルノストとを見比べている。だが、こうなってはもはや割って入っても意味はない。できることなどないとわかっている。ティミデッサは? 影の薄い子だ。一番後ろ、メイドのスカートの影でビクビクしながらこちらを見つめている。
一方、ナギアは……真っ青になっている。何を恐れているのだろう? 少なくとも、俺が怪我をするかもしれないとか、そんなことを気にしているのではないはずだ。それより、この揉め事でリリアーナが王家の子供達と仲違いする、その状況を心配しているのだ。
だが、当のリリアーナはというと、あっさりとした表情で、チョコンと椅子に腰掛けている。まぁ、そうか。これはただの「試合」だ。だが、彼女は俺の「実戦」を目の当たりにしている。命懸けの戦いに比べれば、こんなのは子供のお遊戯だ。ついでにいうと、俺の勝利も疑っていないのだろう。
……さて。
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ベルノスト・ムイラ・ムトゥミース (10)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク7、男性、10歳)
・スキル フォレス語 5レベル
・スキル サハリア語 2レベル
・スキル ルイン語 2レベル
・スキル 指揮 1レベル
・スキル 管理 2レベル
・スキル 剣術 3レベル
・スキル 弓術 1レベル
・スキル 格闘術 2レベル
空き(2)
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まだ子供だというのに、随分な詰め込み教育だ。頭もいいようだし、体もできている。王子の従者に選ばれるくらいだし、優秀なのだろう。
それにさっき、イフロースが彼の身分を「従士」だと言っていた。なら、既に小姓の腕輪を授かっている。まだ正式に騎士としての叙勲を受けてはいないが、だとしてもこれは少々、早すぎる。通常、貴族の子女が従士となるのは、帝都パドマへの留学直前だ。その前ということは、彼の能力と努力が認められたからなのだろう。
しかし。
残念ながら、これでは俺に届かない。全力を出せば、あっという間にケリがついてしまう。
ただ、問題はそこではない。
俺はチラッと観客席を見やる。
この勝負、俺はどうすればいい?
「僕はいつでもいい。気持ちの準備ができたら、開始位置についてくれ」
逡巡する俺の横を、ベルノストがさっと通り過ぎていく。
どういう結末が一番望ましいだろう。俺が勝った場合、負けた場合、引き分けた場合。その時、サフィスは、リリアーナは、イフロースは、王子達は、どう思うか? ……ダメだ。この短時間に考え抜くのは無理だ。
「ほら、見て。やっぱりそうなのよ。いざとなったらビビッちゃって動けないのね」
「アナーニア、よさないか」
グラーブも本心では俺のことを見下している。だが、だからといって、いちいちからかったりはしない。俺のためではなく、自分の気高さが損なわれると思っているからだ。
しかし、困り果てているのは事実だ。どうすれば丸く収まる?
いったいどうすれば……あっ。
『人生で一番大事なことは、自分が何をしたいかだ』
不意にグルービーの言葉を思い出した。
『そして、一番くだらないことは、他人がそれをどう思うかだよ!』
まったくもって正論だ。
それに、周囲がどう思うかをいちいち考えていたら、後手に回る。それこそ戦いの本道から逸れることだ。
どうしたいか?
もし、どんな我儘でも通るのなら。まず、アナーニアを摘み上げて、お尻ペンペンだ。教育的指導だ。この際、体罰も止むを得まい。
でも、そんなの現実的じゃない。
ならば、優先順位をつける? どれかを取って、他を捨てる。
そもそも、どうしてこうなった。ベルノストが……いや、違う。
イフロースだ。
「ファルス!」
動こうとしない俺に、イフロースが声をあげた。
振り返ると、彼は、周囲に聞こえるように、はっきりこう言った。
「手加減せよ」
この一言に、周囲がざわつく。
爺さん、なんてことを。
特にベルノストあたりが、顔色を変えているぞ? こんな奴隷まがいの子供より、自分のが弱いとでもいうのか、と。
……そういうこと、か。
腑に落ちた。と同時に、腹も決まった。
「お待たせしました」
開始位置に立ち、ベルノストと向かい合う。
王子が面白がって、隣に座るサフィスに話しかける。
「ほら、どうだね。君のところのファルス君は。元軍人の君から見て、有望かね?」
「いやぁ……どうでしょうね」
正直なところ、俺の能力など、彼は把握さえしていない。だから、その質問には答えられない。
だいたい元軍人と言ったって、サフィスがまともに実戦を経験したとも思えない。確か、帝都の学校を卒業後、割とすぐ、岳峰兵団の部隊長になったのだとか。そのまま出世し、最終的にはトーキア特別統治領で、副団長にまでなった。
だが、勤務先が岳峰兵団だ。あそこは投石器や破城槌など、戦闘用の大型機械を取り扱う、拠点攻撃、拠点防衛を主任務とする軍団だ。つまり、山賊退治や魔物の討伐に駆り出される事もない。そしてこのところ大規模な戦争など起きていない。彼がトーキアに赴任したのも、あのネッキャメル氏族の報復攻撃の後だ。
要するに、彼はずっと事務室で、書類仕事をしていたのだろう。投石器の何号機の革紐が老朽化したから交換しろとか、きっとそんな感じのことばかりやっていたのだ。
「両者とも、正々堂々と戦い、悔いを残さぬよう」
王子に仕える執事らしき男性が、そう言った。
「では、はじめ!」
その一声と同時に、ベルノストが突進する。だが、遅い。つい四ヶ月ほど前に見たアネロスの剣と比べたら、あくびが出る。
俺が木剣の切っ先で受け止め、少し根元に滑らせてからずらすと、その重心はあっさり横に流れた。
低い姿勢を保ちつつ、俺はベルノストの右側に体を捌き、そこで膝の裏に一撃。避けることもままならず、かといって立っていることもできず。その場に彼は倒れ伏す。
「くっ!」
即座に起き上がろうとする。だが、その鼻先には既に、俺の木剣の切っ先が向けられていた。
「勝負あり!」
手加減せよ、とは、要するにこういう意味だ。
埋めがたい実力差があるのだと思い知らせよ。できれば、これといった怪我も負わせずに。イフロースは、俺にそう要求した。
そして、俺はそれを了承した。
形の上では、俺の主人はサフィスだ。だが、彼には適切な判断能力がない。今も、落としどころを見つけられずにいる。しかも、彼の望み通りにしたところで、どうせ俺にはなんら利益になるまい。
その点、イフロースならば。報いてくれるのは、彼だ。それに、この試合を提案したのも彼だ。なら、俺もそのシナリオに乗っかればいい。なにせ「責任はすべて引き受ける」と言われているのだから。俺はただ、お嬢様のナイト役として、その名誉を守るために戦っただけなのだ。
「ばっ……ばかな!?」
グラーブが驚いて、腰を浮かしかける。
「ちょ、ちょっと! 何やってるのベルノスト! 遊んでないで、ちゃんとやりなさい!」
今の結果に、二人は納得がいっていないらしい。
だが、ベルノストはというと、表情をより引き締めている。彼だけは、力量差を正しく把握していた。
執事が王子のほうを見る。どうするか、判断を求めているのだ。
だが、タンディラールは素直に敗北を受け入れた。
「勝負はついたぞ」
「まだ一回だけじゃない! こんなのまぐれよ!」
アナーニアが喚きたてる。
話にもならない。剣の勝負というのは、一回こっきりなのだ。その一度に敗れれば、誰でも平等に死ぬ。まぐれでも不運でも関係ない。ここに至るまでの幾度かの戦いで、ただ一度でも不覚を取っていれば、俺はもうこの世にいない。それがわかっている分だけでも、俺はこいつらより強い。
「ふむぅ」
「あの」
サフィスが曖昧な笑みを浮かべながら、提案する。
「もしご希望であれば、再勝負をしていただいても」
「いいのか?」
すると王子は、執事に身振りで指示をする。
「それではもう一度」
「お待ちを」
そこへイフロースが横槍を入れた。
「ファルス、剣を捨てよ」
「はっ?」
「捨てよ、と言っておる」
なんだ、爺さん。無茶を言ってくれるな? それでも勝てってか? だけど、今まで格闘術の稽古はつけてもらったこともないんだぞ?
ええい、ままよ。俺は手から木剣を滑り落とした。
周囲は戸惑っている。特に、王子の執事はそうだ。
「イフロース殿? では、この勝負はなし、ということですかな?」
「いいえ、そのまま始めてください」
これでまた、ざわめきが増した。
見ると、目の前のベルノストが、悔しげに唇を噛んでいる。
かわいそうに。
剣なしでは、俺もあんまり手加減ができない。でもまぁ、揉め事の元を作ったのも彼だし、ちょっとだけ我慢してもらおう。
「いいのですか?」
「構いません」
だが、さすがにハンデが大きすぎる。王子もサフィスに向き直り、改めて尋ねる。
「いいのかね?」
「え、あ、はい」
どういうつもりだ、と顔に書いてある。
俺としてはやりづらいことこの上ないのだが、もう、こうなったら、なんとか勝つしかない。
「では……はじめ」
執事の声で、試合が始まる。
ああ、やりたくない。
今度は、ベルノストは慎重だった。切っ先を向けたまま、そろそろと円を描くように歩く。こちらの隙をうかがっているのだ。
なかなか悪くない。なるほど、ピアシング・ハンドの表示するレベルは3だが、武術の腕だけであれば、ジョイスより上だろう。多分、限りなく4レベルに近い3レベルなのだ。そう考えれば、彼も優秀だ。天才とまではいかなくても、少なくとも秀才ではある。
しかし、今回は運が悪かった。
「えぇいっ!」
気合とともに、意を決した彼が一歩を踏み出す。
その足が、変な方向に曲がった。
「はぐわっ!?」
使いたくなかったのに。『行動阻害』の呪文だ。武器が手にない以上、もうこれしかない。
単純に戦力強化ということで、ゴーファトから身体操作魔術の力を取り上げておいたのだが、こうなるとわかっていれば、格闘術でも奪っておけばよかった。
ベルノストは、痛みにもかかわらず、なんとかまっすぐ立とうとする。だが、その合間にも、俺の詠唱は続く。
「ぷげぇっ!」
長い髪を振り乱しながら、彼はのけぞった。その場に膝をつく。鳩尾から膨れ上がる痛みは、さぞ苦しかろう。まだ十歳の子供なのに……申し訳ない。
だが、それでも戦意を失わないとは。木剣を杖に、彼は立ち上がろうともがく。そこへもう一度。
「ほわばっ!?」
手に走る激痛に、思わず剣を取り落とし、芝生の上に突っ伏してしまう。
だが、戦いというものは、トドメを刺すまで終わらない。
「んがぎぃっ!」
首から頭にかけて、ダメ押しの『行動阻害』だ。
この痛みに、彼は一度ビクンと大きく体を震わせて、動かなくなった。
どうやら、度重なる激痛に、意識を刈り取られたらしい。
これは、明らかに威力が増している。
シュガ村でナイススを気絶させた時には、剣の柄で何度も殴る必要があった。なのに今回は、痛みだけだ。それで意識が飛ぶとは。
ちゃんと考えて使えば、相当な結果を出せそうだ。
「こ、これは……」
勝負あり、などと宣言する余裕もなく、執事は口をパクパクさせている。
ガタッ、とタンディラールが立ち上がる。
「魔法……だと!?」
さっきまでの余裕の笑みは掻き消え、真剣な表情で俺とベルノストとを見比べている。
「調べよ!」
鋭い一声に、執事は我を取り戻す。そして俺に両手を上げるよう促した。俺は抵抗せず、体中を好きに検査させる。
なにせここは王宮内。事前の許可なしでの武器の携帯は禁止されている。当然ながら魔法の触媒も同じだ。もちろん、それでも王族を脅かす手段がなくなるわけではない。イフロースのような優れた体術の持ち主もいるし、触媒なしでもそれなりの魔法を使いこなすのもいる。それでも丸腰にしておけば、危険をいくらか小さくできるというものだ。
「何もありません」
「なっ……確かか」
「はい」
もはや表情を取り繕うこともせず、王子はじっと俺を見つめている。
驚くのも無理はない。まず、触媒なしに、ここまで魔法を使えるというのが、尋常ではない。5レベル相当の身体操作魔術、ということは、最低でも十五年相当の修業をしたことになる。だが、俺はまだ八歳だ。
しかも、問題はそこだけではない。俺は元奴隷だ。つまり、貧しかったはずなのだ。だが魔術の習得には、魔法書、触媒、教師……相当なコストがかかる。貴族ですら、二の足を踏むほどにだ。なのに、どうしてこんな真似ができるのか? 買い取ってから子爵家が大金をつぎ込んで鍛えたと考えても、とにかく上達速度が説明できない。
バタバタとメイド達が駆け寄り、その後ろを医者らしき老人が追いかける。倒れ伏すベルノストの様子を診て、それから王子のほうに振り返る。
「別状ございません。意識を失っているだけです。まもなく息を吹き返すでしょう」
「そうか」
その報告に、タンディラールは、ほっと息をついて、椅子に座り直した。
ついでに俺も一安心だ。こんな試合なんかで、子供の人生をぶっ壊したくなかったし。でも、どうせやるなら、この痛み、アナーニアに向けてやりたかった。というか、魔術のことがバレなければ。帰り際にこっそり一撃浴びせてやろうかと思っていたのに。
……だからか? イフロースがわざと武器を捨てさせたのは。初めて練習試合した時に、彼には『行動阻害』を使っているから、魔法のことは知られてしまっていたのだ。今思えば、失敗だった。なるべく自分の能力は秘匿しておきたかったのに。
「いかがでございましょう」
気がつくと、イフロースは、王子の前に跪いていた。
「エンバイオ家は、武の鍛錬を怠っておりません。いざとなれば、王家の剣となり、盾となりましょう」
声をかけられて、王子は徐々に正気に戻っていった。いつもの、あのいかにも余裕のありそうな笑みが、だんだんと戻ってくる。
「確かに、確かにな。その若さで見事なものだ。よくぞここまで鍛えたものだ。褒めて遣わす」
「はは」
戦ったのは俺でも、褒められるのはイフロースなんだなぁ……
ぼんやりとそんなことを考える。
ふと、観客席を見回してみる。
ナギアは、試合開始前と変わらず、青い顔のままだ。リリアーナも、さも当然といった様子で、自信ありげに微笑んでいる。
だが、王子の子供達はというと、まったく様相が違った。グラーブはいまだ驚愕から覚めず、リシュニアやフラウの顔には、恐怖すら見て取れる。アナーニアはというと、どこまでも怖いもの知らずらしい。不安より怒りが勝っているのだ。こんな勝負、無効だと言い出しかねないような表情をしている。だが、辛うじて沈黙を守っていた。
「サフィス、いい下僕を見つけたものだな」
「は、はい」
さ、これで余興は終わりだ、とばかり、王子は軽い口調で話しかけた。
「心強いよ。君には期待している。これからもよろしく頼むよ」
空がうっすらと橙色に染まり始める頃、俺達は屋敷へと引き返した。また、あの宮廷人どもの馬車の中で、粗相をしないようにおとなしく縮こまり、彼らが立ち去るまで、背筋を伸ばして見送る。
そうしてやっと、安堵の吐息をついた。これで終わった……
「どういうことだ、イフロース」
……と思ったのは、少し気が早かったか。
今、建物の前の庭先に立っているのは、俺達だけ。周囲に他の人の気配はない。
「どういうこと、と申しますと」
「全部だ! 全部! 何のためにファルスなんかを連れてきた!」
あー……またか。
「ご覧になられた通りかと」
「なにっ!?」
「ファルスは、お嬢様の護衛でございます」
そう言われて、サフィスは何かを言い出しそうになって、またすぐ口を噤む。こちらに振り返り、俺と目を合わせた。その表情にあるのは、もはや怒りだけではなかった。
またイフロースに向き直ると、やや声色を抑えて、だが詰問を続けた。
「どういうつもりだ。奴隷をこのように仕込むなど」
「ファルスは既に奴隷ではございません」
「書面上の話だ! それに、なんだ、あの魔法は! こんな危ない子供に仕立てて、何をしでかすつもりだった!」
サフィスが怒り出すのも、この点では理解できなくもない。その気になれば王子を暗殺できるような、怪しい少年だ。それも絶対の信頼関係があればともかく、奴隷上がりで身元も定かでなく、家族その他の足枷がない状態なのに……こんなに武術の腕を仕込んでは。何かの拍子に買収でもされたら、王家も子爵家も、ただでは済まないのだから。
「……教えてなどおりません」
「なに!」
イフロースは、黙って玄関の扉を開け、激昂する主人と、供回りの者達を、邸内へと招きいれた。確かに、家中の話を庭先で長々とするべきではない。それはわかるから、苛立ちながらもサフィスは玄関に入る。だが、扉が執事の手で閉じられると、すぐ振り返った。
「説明しろ!」
「魔術を教えてなどいないと言ったのです」
「馬鹿な!」
「本当です」
淡々と落ち着いて、イフロースは回答する。
そんな二人のやり取りを、横でエレイアラも、リリアーナも、ナギアも見ている。
「お前以外、家中の誰に、そんな真似ができる!」
「私にもできませんな。自分が学んだのは風魔術だけです。しかし、ファルスが用いたのは、恐らく身体操作魔術……まったく異なる系統の魔法で、専門的な知識が必要です」
「なっ……!」
あー、べらべらと。
イフロース、頼むからこれ以上、情報を漏らさないでくれ。
「では、誰が教えたというのだ! あの剣術も!」
「わかりません。剣術も、もともと一人前の腕はありました。そこに少しだけ、指導はしましたが」
「ふ、ふざけるな!」
半ば混乱したまま、サフィスは目の前に立ち、襟元を掴んで、俺を宙吊りにした。
「答えろ! ファルス! 貴様っ、いったい何者だ! どこでっ、その魔術はっ」
「独学です」
「うっ……嘘をつくな! そうか、そうだな、元の……奴隷商人の、確か、ミルーク・ネッキャメルとかいう奴か! サハリアの豪族……貴様っ、そうか、貴様はサハリアの密偵だな? そうに違いない!」
面倒な方向に話が進んでいる。どうしたものか。
「ミルークは、魔法なんか使えませんよ?」
「うっ……ならば、一族の誰かが」
「警備兵と、教師達しかいませんね、あそこは」
「ええい! ごまかそうとするなっ!」
やり取りを見ていたイフロースだったが、そっとサフィスの後ろから近付き、その肩に手を触れた。
「お怒りになるのもお疑いになるのもご自由ですが」
凄みのある眼光を向けながら、彼は続けた。
「今、この瞬間にも……ファルスがその気になれば、お命はありませんぞ」
その一言で、サフィスは指の力を緩めた。いや、俺を拘束するのを忘れた。その場に落とされる。
まぁ、事実ではある。俺がサフィスを消すのに必要とするのは、ただそうしようという意志だけなのだから。
それにしても、うーん……イフロースはどこまで把握しているのか。俺が魔法を使えるのも、剣術がうまいのも、もちろん知っている。お嬢様を誘拐犯から奪還したらしいこともだ。しかし、それらは所詮、俺の能力全体からすると、周辺的な事象でしかない。
だから、それらの事象の中核に位置する、謎の能力があると感じ始めている。だが、具体的に何かまではわかるまい。リリアーナが余計なことを言っていなければ。いや、もし全部話してしまっていたとしても、それだけですべてを知るのは不可能だろうが。
「……イフ、ロース……?」
青ざめながら、サフィスは向き直る。
「どういうつもりだ。どうしてこんな子供を、わざわざ引き取った」
「では、よろしいのですか? 手放しても?」
お。
手放してくれ。ぜひともそうしてくれ。借金は棒引きで。
自由に動けるようになったら……そうだな、どこに行こう。とりあえず海を渡って、ネッキャメル氏族のティズにでも会いに行こうか。
「なんだと」
「この若さにして、大人顔負けどころか、一端の戦士にも引けを取らない強さを身に備え、高品質の薬剤を製造し、店舗を経営できるだけの商才もある。ついでに料理の腕前も一人前ですな。そんな人材を、子爵家はみすみす捨ててしまうべきだと?」
サフィスはようやく、俺という存在の異様さに思い至ったらしい。というより、今まで召使というものを直視したことがなかったのだ。
おずおずと俺のほうに振り返り、気味悪そうに見下ろす。それからまた、イフロースに言った。
「能力だけあって、何になる。家中に利益をもたらす人材でなければ、そんなものは無意味だ」
「既に利益なら得られているではありませんか。今日もそうです」
今日、と言われて、また怒りを取り戻したらしい。忙しいことだ。
「冗談ではない! いつもそうだ! こいつは揉め事ばかり起こす!」
「結果として、お嬢様の名誉を守ったではありませんか」
「なっ」
「有能な家臣を持てば、それだけ閣下も殿下の信頼と尊敬を得られるというもの。そうではありませんか?」
「くっ」
理解の限度に達したのか、サフィスは身を翻した。
「も、もういい! イフロース! そいつの教育はお前が責任を持て!」
「御意」
そのままサフィスは、乱暴に足音をたてつつ、廊下の向こうへと消えた。
それを見届けると、エレイアラは俺に微笑み、イフロースに目配せしてから、リリアーナの手を引いて夫の後を追った。
そうなると、ウィムを連れたランも、ついていかざるを得ない。最後に取り残されたナギアが、俺の顔を見て、一言だけ呟いた。
「今日は心臓止まるかと思ったわ」
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