子供が貴族の家で育つと、こうなる
「さて」
タンディラールは、ゆったりとした仕草で、自然に椅子から立ち上がった。
「そろそろ、うちの家族を紹介といこうか。まぁ、どうせ君にも、夫人にとっても、目新しくはないんだがな」
なるほど。
確かに、サフィスは太子一家との付き合いがある。詳しく知っているわけではないが、王子が結婚した時などにも、駆けつけたりしているはずだ。逆にサフィスの結婚にしても、王子が立ち会ったのかもしれない。
そうなると、人物の紹介を要するのは、俺のような目下の人間ばかり。少しばかり後回しにしたって問題ない。
サフィスがやや慌てて立ち上がる。何しろ、奥から王子の妃が出てくるのだ。それに、互いの家族を紹介するとなれば、まず身分の低いほうから名乗るのが通例だ。スムーズに俺達を並べるためにも、のんびり座ってなどいられない。
「ソルニオーネ、サフィスが来てくれたよ」
「まあ……! ようこそお越しくださいました」
「お招きいただき、感謝に堪えません」
サフィスが跪き、深々と頭を下げる。
「まぁまぁ、そのような、おやめになって」
そう声を掛ける彼女は、見た限りの印象で言うと、育ちのいい清楚なお嬢様、といった風情だった。カチューシャにまとめられたロングヘア、中肉中背……これといって目立つ特徴はない。強いて言えば、身に纏った薄紅色のドレスがよく似合っている、といった程度か。あとは声色がかわいらしい。とはいえ、やはり未来のお后様、それなりの美貌の持ち主でもある。
「あなた様のお越しで、我が家が明るくなりました。どうぞ、楽になさって」
「はっ、では失礼して」
サフィスが立ち上がると、奥から次々人が出てきた。それが途切れるのを見計らって、彼は一歩前に踏み出し、微笑を浮かべ、軽く会釈しながら、注意深く声をかけた。
「それでは、よろしければ、私の家族と供の者どもを紹介させていただきたく」
「ああ、頼むよ」
そう言いながら、タンディラールは一瞬、視線を斜め後ろに向けた。そこには子供達が何人も立っている。王子にとって、この挨拶は、彼らのためのものなのだ。
「まず、こちらがエレイアラ、私の妻です」
名前を呼ばれて、エレイアラは進み出て、会釈する。今回、彼女はまるで黒子のようだ。夫から、余計な口出しをするなと言われているのかもしれない。虚栄心の強いサフィスとしては、その自尊心の源泉たる王子との付き合いにまで、嘴を突っ込まれては我慢ならないのだろう。
「娘のリリアーナと、こちら、ウィムです……こちらは初対面になりますね」
「ほう、跡取りだな」
眉を浮かせて、タンディラールは気さくな感じでそう笑った。
「それからこちら、執事のイフロースです」
イフロースは、無表情なまま、すっと頭を下げた。特に何をしたわけでもないが、一瞬、その場に白刃を突きつけたような緊張が走る。
虚ろな沈黙を埋めようとするかのごとくに、サフィスは続けた。
「こちらが乳母のラン、それからリリアーナの供を務めるナギア、フェ……ファルスです」
おっと、危ない。フェイじゃないぞ、ファルスに改名したんだからな。
「おや、珍しいな」
「はい?」
「黒髪じゃないか」
「え、ええ、そうなんです」
どう説明しようか? 一瞬戸惑いながらも、サフィスはそれだけで済ませた。
「じゃあ、私のほうも紹介しないとな」
サフィスというより、俺達のほうに向き直りながら、彼は説明を始めた。
「こちらがソルニオーネ、私の妻だ」
名前を呼ばれて彼女は、会釈ともいえない程度に身を折った、いや、そう見える仕草をした。
事前に学習した限りでは、彼女は宮廷貴族の娘だ。父親は侯爵らしい。そして今は王子の妃で、ロイヤルファミリーの一員ということだから、俺は勿論、サフィスなどよりずっと上の身分といえる。頭など下げられまい。
「それから子供達だ。長男のグラーブ、長女のリシュニア、次女の……」
そこでタンディラールは言いよどむ。
真面目そうな、十歳程度の少年に、同じくらいの年齢の、優しそうな雰囲気の少女。しかし、次女は?
すぐにバタバタとメイドが奥へと引っ込み、慌てて子供を引きずってくる。その手の中で、不満そうにむくれているのが……
「ああ……ハハハ、すまない。次女のアナーニア、それと、そこでスカートの後ろに隠れているのが、三女のティミデッサだ」
言われて気付いた。メイドの後ろに張り付く少女がもう一人。
アナーニアのほうは、見るからに勝気そうな顔立ちをしていた。なによ、こんなことでいちいち呼ばないでよ……そんな気持ちを、全身から発散している。
それに比べ、メイドのスカートの後ろに縮こまっているティミデッサは、やたらと臆病そうに見えた。父親の美男子っぷりに似合わず、あまり美貌に恵まれてはいない。
彼らについても、既に調査済みだ。長男のグラーブと次女のアナーニアはソルニオーネの子供だが、あとの二人の娘は、妾腹だったりする。その辺りの関係性が、性格にも滲み出ているのかもしれない。
「それと……こちら」
一番後ろからヌッと出てきた少年。グラーブよりやや体が大きい。しかし、目立つ。黒髪で天然パーマ、しかも長い。前髪が一房、見事に垂れ下がっている。どこのキザ男だ?
「グラーブの従者を務めるベルノスト・ムイラ・ムトゥミース」
王子はフルネームで紹介した。つまり、彼のことは、サフィスも含め誰も知らないだろうと判断したのだ。
二つ目の家名がついている以上、貴族だ。でも、ムトゥミース……どこだったっけな、確か、宮廷伯の誰かだ。
「それと、リシュニアの従者、フラウ・ワニィタ・テマンだ」
今度は活発そうな少女が、ピンクのスカートの端をつまんで、かわいらしくお辞儀した。
こちらも宮廷貴族の家柄だったはず。親族には、特に重要な立場にある人物はいなかったと記憶している。
「ということで、サフィス」
ニヤニヤしながら、彼は続けた。
「面倒な儀式は終わったから、さっさとワインを飲もう、ハッハハハ」
そう言いながら、彼は歩み寄り、子爵の肩を叩いた。
これが合図となり、俺達はゾロゾロとテーブルのほうへと向かう。家長の相手は家長が、夫人の相手は夫人が、子供達の相手は子供達が務める。無論、それとは別に、来客や主人に茶菓子を届けたり、不要な食器を提げたりするために、メイド達が出入りするのだが。
「リシュニアちゃん、お久しぶりー」
リリアーナがいつもの調子で、遠慮なく話しかける。
「まあ、リリアーナさん、大きくなりましたね。二年振りでしょうか」
「そうだねー」
相手は王族なのに、しかも丁寧語を使ってるのに、この態度、この言葉遣い。もっとも、話しかけられた側のリシュニアの表情に、不快の色はない。
なんというか、大人びている。子供らしい興奮が、ふんわりとした笑顔の中に包まれてしまっているような印象だ。顔立ちも当たり前のように整っているし、いかにも優等生なタイプだ。
それこそ「初恋の人」コンテストでもあったら、少なくとも入賞はできそうなキャラなのだが、俺は少し、醒めた目で見ていた。
「お会いしたかったです。でも、ピュリスは遠いものですから」
「たった五日だよー」
「そうですね」
苦笑しながら相槌を打つ彼女。確かに普通は、たった五日で移動できる距離を「遠い」とは言わないだろう。ただ、王族という立場を考えれば、自由に遊びになんていけないのも当然だ。でも「自由がないから」とは言えない。それを理由にすれば、続いて「お父様が時間をくださらないから」「いっそどうしてあなたが王都にいらっしゃらないの?」という感じに話が繋がってしまう。
つまりは、咄嗟に適当な理由をでっちあげただけ。誰も悪者にならなければ、それでいいのだ。
できすぎた振る舞い。それが俺の心に引っかかる。俺はジョイスではないから、彼女の本音はわからない。ただ、彼女のこの笑顔は、誰に対しても同じように向けられるのだろうな、とはわかった。
一方、隣に立つグラーブの表情は、やや強張っている。礼儀作法を気にかけないリリアーナの態度に、少し苛立っているのだろう。こちらはわかりやすい。真面目な堅物。これはこれで、優等生タイプといえる。
「リリアーナ、済まないが」
頭に手を当て、きれいに整えられた七三分けの髪を撫で付けつつ、グラーブは言った。
「改めて後ろの二人を紹介してくれないか? 先程、サフィス様が教えてくださったのは、名前だけだ」
「あっ、そうだね!」
リリアーナ、ちょっと相手をよく見たほうがいいぞ。リシュニアは多分、どれだけ馴れ馴れしく話しかけても、笑顔で許してくれる。仲良くさえしてくれるだろう。でもこいつ、グラーブはそうじゃない。不愉快なら不愉快とはっきり言う。もちろん、相手の立場や身分に応じてだろうが。
「えっと、こっちがナギア・フリュミー。ウィムの乳母をしてくれてる、そこのランの娘だよ。お父さんは騎士なんだ」
「お初にお目にかかります、殿下」
リリアーナの適当すぎる紹介を埋め合わせようとするが如くに、ナギアは折り目正しく頭を垂れた。
「うむ」
「よろしくね」
ここでも、子供達の反応はまちまちだった。グラーブは大仰に頷いてみせ、リシュニアは小首を傾げて愛嬌を振りまく。
ところが、アナーニアはというと、それこそ石ころでも見るかのように、興味なさそうにしている。ティミデッサに至っては、ナギアの頭を下げる動作に反応して、不安なのか、硬直さえしていた。極度の人見知りなのか?
従者の二人は? それぞれ主人をなぞるかのような挙動をしている。ただ、幾分、マイルドではあるが。ベルノストは一応、相手が女性であることも意識して、胸に手を当てて敬意を示していたし、フラウはリシュニアに追従するように、曖昧な笑みを浮かべている。
……なんか、気持ち悪いガキどもだな。
「んで、こっちがファルス……えっと、ファルス・リンガ」
俺の姓を忘れかけていたらしい。まぁ、普段、使わないからな。もともと奴隷で、家名をとってつけたのもたった三、四ヶ月前。むしろ、かなり前に一度か二度、聞いただけのものを、よく思い出せるものだとは思う。
だが、その不自然さに、ベルノストが反応した。
「うん? 済まないが……そこのファルス君というのは、君の……エンバイオ家に代々仕える家の者ではないのか?」
なかなか鋭い。
家中でも重要な位置を占める召使というのは、普通、何代にも渡って同じ主人に仕え続ける。ついでに、出世した一人にぶらさがって、親族が寄り集まってポストを押さえにかかるので、結果、貴族の家の中には同じ姓を名乗る下僕が増える。
そうなると、主人の側でも家名を把握しているのが普通だ。しかし、さっきもサフィスが名前を間違えかけたし、今もリリアーナが家名を言いよどんだ。この黒髪の少年、ベルノストは、それだけの情報でここまで気付いたのだ。
「うん! ファルスはすごいんだよ。まだ子供なのに、薬屋の店長もやってるし、料理も上手で、だから最近」
「お嬢様」
ナギアが焦って声をかける。その額には、既に冷や汗が浮かんでいる。
これはまずい。リリアーナにしては間抜けな発言をしたものだ。いつもは怖いくらいに空気を読めるのに、さっきから、いったい、どうした?
ベルノストの質問の真意は、俺が代々エンバイオ家に仕えてきた人間かどうか、という一点に集約される。当然ながら、昔から貴族に仕える召使の方が信用がおけるし、格も高いと考えるわけだ。逆に新参者はというと「卑しい成り上がり者」といった目で見られかねない。ましてやここは、王城の敷地内なのだ。そんなところに、ポッと出の少年を出入りさせたのか、ということになる。
本来、ここには貴族達、それに国王の許可を得た騎士や近衛兵しか入れない。庶民の立ち入りなど、許されようもないのだ。ただ、ナギアやランは騎士の家族でもあり、代々エンバイオ家に仕える一族の人間だから、お目こぼしされているのだ。だが、俺は……
そして、この黒髪の少年は、やたらと勘がいい。どうやら、結論に至ったようだ。
「まさかとは思うが、リリアーナ殿、彼が解放奴隷ということは……」
この一言に、グラーブの顔が引き攣る。同時にリシュニアの表情にも、一瞬、緊張の色が浮かんだ。その向こうから、アナーニアがあからさまな侮蔑の視線を浴びせてくる。
主人に家名を覚えてもらえない新参者。しかもそれが子供となれば。
新参者でも、それこそ騎士に取り立てられるような有能な大人の家来の、そのまた子供として連れてこられたのであれば、家名を忘れられるなんてことはあり得ない。ということは、エンバイオ家は、子供の奴隷を買って解放し、それをリリアーナのお供につけたのだ。
それだけなら珍しいことではない。だが、場所が問題だ。もちろん、奴隷出身だからといって、王城に入る資格がないとまでは言えない。そんな法律や取り決めなどないのだから。だが通常は、少なくとも何か実績を積み上げ、能力が認められた上で、そうした身分になるものだ。
だが、俺は? 元奴隷、そしてまだ子供。実績も能力もへったくれもない。自力で平民に戻ったなどとは誰も思わない。今、奴隷でないのは、ただただエンバイオ家の恩情によるものとみなされる。実際にどうだったかはともかく、だ。
ということは、彼らにとっての俺は、いまだ奴隷同然、序列で言えば底辺も底辺だ。では、そんな卑しい人間を、この神聖な王城に連れ込んだエンバイオ家は? 王家の名誉を軽んじた……そういう解釈も成り立ってしまう。
グラーブが目を閉じ、声を押し殺して言う。
「……リリアーナ」
「なぁに」
「済まないが、彼には一足先に帰ってもらってはどうか」
「どうして?」
俺からすれば随分だが、これでもグラーブなりに、譲歩した物言いなのだろう。
高貴な者なら、卑しい人物と同席すべきでない。王族に生まれた彼にとって、それは自然な考え方だ。
「王家あっての貴族、そして貴族達の協力あっての王家だ。わかるな?」
「ううん、よくわかんない」
「数百年にわたる王家と貴族達との信頼関係が、今の王国の繁栄の基となったのだ。王宮の壁は、ただの壁ではない……」
キョトンとするリリアーナに説明しても無駄、と思ったのだろう。グラーブは言葉を切って、俺に向き直った。
「君。主君に対する恩義と忠誠心を感じているのなら、迷惑をかけないようにすべきだ。今、馬車を呼ばせる」
「兄様」
即刻俺を追い出そうとするグラーブの手を、リシュニアが取った。
「まあ、お待ちになってくださいまし。見た限りでは真面目そうな少年ではありませんか。ここにいたからといって、どんな害があるというのでしょう」
「そういう問題ではない。いいから、僕の寛容さの限度を越えないうちに」
「ファルスが帰るなら、私も帰る」
グラーブの発言を遮って、リリアーナがはっきりとそう言い切った。
「お嬢様!」
もはや脂汗をだくだくと流しながら、ナギアが声をあげる。そして俺には目配せする。なんでもいいから、とっとと謝って、ここから逃げ出せ、と。
今回ばかりは、ナギアが正しいかもしれない。別に王家の連中なんか、どうでもいいし。こんな理由で一人、追い返されるのは気分がよくないが、無理に居座って迷惑をかけるのもなんだし。
それで俺が腰を折って、辞去する意を述べようとした時、頭上から声が飛んできた。
「ダメよ、帰しちゃ」
そう主張したのは、アナーニアだった。
「奴隷の分際で、ここまで来たのよ? なのに、何の罰も与えないで帰らせるの?」
「アナーニアさん、そんな」
「ベルノスト、やっちゃいなさい。身の程を思い知らせてあげなさい」
姉の抗議もなんのその。彼女は居丈高にそう命令した。
「いや、殿下、さすがにそれは」
「あなた、兄様の従者でしょ? 何をグズグズしてるの? これ以上、主人に恥をかかせるつもり?」
乱暴な意見に、ベルノストはその場で足踏みをした。奴隷同然の俺を見下す気持ちはあるのかもしれない。だからといって、ここでいきなりぶちのめすのが正しいかといえば、そうとも思えない。聡い彼のこと、人としての最低限の良識くらいは持ち合わせているのだろう。彼が俺の身分に気付いて、それを見咎めたのは、あくまで主人たる王家の名誉のためなのだ。
ついに意を決して、彼は一歩、俺のほうに踏み出した。そのまま俺の片腕を掴む。
「ついてこい」
いきなり殴りかかってくることもなく、俺を力ずくで引っ張り出そうとする。俺も逆らうつもりはない。彼から敵意が感じられないからだ。
子供にしては察しのいい彼だが、どうやら少々、才気走り過ぎる傾向があるようだ。優れた洞察力は認めよう。ただ、それを口にした結果にまで考えが及んでいなかった。そのことを今、彼は悔いている。
だが。
背後から、またもやアナーニアの声が飛んだ。
「何をやっているの?」
何を、って。お前がギャアギャアうるさいから、今、ベルノストが俺を追い出そうとしている。それの何がいけないんだ? 自分のリクエストだろうに。
「私は罰を与えなさいと言ったのよ?」
「殿下、ただちにこの者を追い返しますので」
「追い出すだけではダメだと言わなかった?」
ベルノストは、唇を噛んで、それから返事をした。
「承知致しました。後ほどしっかりと懲罰を下しておきますゆえ」
「今、ここでしなさい」
「そのような……今日の席を汚すわけには参りません」
なるほど。
この次女、アナーニアって奴は、よっぽど我儘放題に育っているのだろう。それも自然だ。跡取りは兄。姉はいるが妾腹だから、彼女のが上。そんな状況だから、権威はあっても責任が伴わない。
「いいから早くやりなさい」
だが、そこへリリアーナが割って入る。
「待って。ファルスを連れてきたのは私だから。打つなら、私にしてよ」
「お嬢様! いけません!」
くそっ。ややこしい。ホント、ややこしいガキどもだ。
子供のうちから、いちいちこんなことやってて、人生楽しいか? 馬鹿臭い。
しょうがない。もう土下座でもなんでもして、さっさと退去しよう。
「お騒がせして申し訳ありません。お嬢様、気になさらず。一足先に、屋敷に戻りますので」
「奴隷のくせに、誰が口をきいていいって言ったの?」
よっぽど弱いものイジメが好きらしい。アナーニアは俺の低姿勢にもかかわらず、攻撃の手を緩めようとしなかった。
「罪が一つ増えたわ。ベルノスト。何のために日々、剣の腕を磨いているの? さっさと片付けて」
「殿下。騎士の剣は、弱者を踏みにじるためにあるのではございません」
正論だ。それに子供の受け答えにしては立派なものだ。とはいえ、もう十歳なんだし、育った環境もあるから、これくらいは言えるか。
もっとも、俺がその「弱者」にあたるかどうかは、微妙なところだが。
「悪を裁くためにあるんでしょ? なら、裁いてよ」
「アナーニア」
グラーブがようやく声を発した。
「もういい。ベルノスト、いいから馬車を呼べ。アナーニア、王者が弱いものいじめなどするべきではない」
……ふう。
なんか、こいつらの発言がいちいち引っかかるが、とにかくこれで一段落、か。
やっぱり無理だったんだよ。急ごしらえの自由民の身分なんか、通用しない。イフロースの思惑も外れたか? まぁ、お嬢様が街中に出かける時は、俺が護衛するから……
「弱くないよ」
リリアーナが突っかかる。
その一言で、ベルノストが歩みを止める。
おい、やめろ。
せっかく話がまとまりかけていたのに。
「……なに?」
「ファルスは弱くない、って言ったの」
「お嬢様! おやめください!」
泣きそうな顔で、ナギアがリリアーナに飛びつく。だが、彼女は動じなかった。じっとグラーブ達を見回しながら、言葉を継いだ。
「言ったでしょ。ファルスが帰るなら、私も帰る」
おいおい。
ことを荒立ててどうするんだ。
仮にも相手は王族なのに。そして、父親の後援者なのに。
「君は、もう少し立場と身分を弁えるべきだな」
グラーブが、非難がましい口調でそう吐き捨てる。
「それに、そこの……フェルス? フォルス? だかなんだかが、強いって? 女の子よりは強いんだろうな」
そう言いながら、今度は鼻で笑う。
「悪いことは言わない。主人は下僕を選び抜くべきだよ。優秀な下僕は役立つが、無能なそれは、却って足を引っ張り、恥をかかせる」
「ふうん」
「現に今、その卑しさがこうして問題になっているじゃないか。だが、僕は見逃してやろうと言っているんだ。もう、この件は忘れよう」
「待ってよ」
ところが、そこで満面の笑みを浮かべたアナーニアが割り込んできた。
「強いんでしょ? なら、見せてよ」
「アナーニアさん、やめてください」
「姉さん、邪魔しないで。ねぇ、リリアーナ? 随分、その奴隷が気に入ってるのね?」
……もしかして。
やっと思い至ったが、もしかして、もともとリリアーナは、こいつらが嫌いだった?
そうだ。最初に声をかけた相手がリシュニアだった。妾腹の第一王女だ。序列で言えば三番目なのに。
二年振り、とか言っていた。その時に、何かあったのかもしれない。
「でも、よく見ると確かにお似合いだわ。ねぇ、リリアーナ?」
ただ、いくらガキとはいえ、ここまでネチネチやられると、俺も気分が悪い。こちらに石が飛んでくる間は我慢できるが、リリアーナにまでとなると。
しかし、だ。
俺はあえてその場に跪いた。
中身の年齢を考えろ。ここでリリアーナを庇わないとか、さすがにあり得ない。我慢だ。
「殿下、卑しい身ながら、失礼致します。私はこの場から直ちに退去致しますので」
「そうだ! ねぇ、ベルノスト、ちょうどいいわ。久しぶりに試合を見たくなったの。ねぇ」
しかし、不快感を噛み殺しての訴えは完全に無視された。
「殿下」
「ねぇ、いいでしょ?」
ねとつく声に、俺はもう我慢ならなくなった。どうやって黙らせようか、と思ったその一瞬、目の前でナギアが両膝をついた。
「姫様! もうおやめください!」
彼女は大声で叫んだ。
俺とリリアーナを庇うかのように、両手を広げる。
それを、アナーニアは、不思議なものを見るかのような目で、じっと見つめた。
次の瞬間。
パンッ、という音が響いた。
「邪魔」
俺は目を疑った。
アナーニアは、ナギアの頬を打っていた。
ナギアは動かない。そこへもう一発。
……とはいかなかった。
その手を、リリアーナがしっかりと掴んでいたからだ。
「なによ」
「やめて」
「離しなさいよ!」
さすがに、ここまで話がこじれると、周りの大人も気付き始める。
「どうした」
眉を寄せたタンディラールが、大股に歩み寄ってくる。その後ろで、もっと深刻そうな顔をしたサフィスが。
ランも、ウィムの手を引いて、心配そうにこちらを見つめている。一方、エレイアラは、表情こそ固いものの、落ち着いているように見えた。
「あのね」
アナーニアが声高に主張する。
「リリアーナがここに奴隷を連れてきたのよ?」
「なに?」
それでタンディラールはサフィスのほうを振り返る。
またトラブルか、とサフィスは顔をくしゃくしゃにする。だが、背後に立つイフロースは冷静そのものだった。
「失礼致します。ファルスは奴隷ではございません」
「ふむ? だが、では、どういうことだ?」
「正式に解放されております。ただ、まだ日が浅いのでございます」
その説明を聞いた王子は、こちらに向き直る。
「アナーニア。聞いての通りだ。何の問題もない。それにサフィスは私の友人だ。あまり困らせるようなことを言うな」
「でも、だって」
分が悪い、と感じ始めたアナーニアは、しかし、機転のきく子供だった。
「だけど! こんな奴隷の子供の方が、王家の下僕より強いし、役に立つって。ひどいよ! ベルノストよりも強いんだって、そう言うんだもん」
こっ……のガキ!
誰がそんなことを言った? 口からでまかせを。根っこから腐ってやがる。
昔、ナギアの嫌がらせにキレかけた自分が未熟に思えてならない。
「アナーニア」
「でね、じゃあ試合しよ、っていうと、逃げるんだよ? ひどいよね?」
「アナーニア、お前も王家に生まれたのなら、その程度のことでいちいち腹を立てるな。せっかく遠くから訪ねてきてくれたのだぞ」
それで説教を終わらせ、サフィスに作り笑いを向ける。
だが、サフィスの不安と苛立ちは、すべて俺にぶつけられた。
「またか、フェイ! お前がいると、どうにも問題ばかりが起きる! もういい、屋敷に帰れ」
「サフィス、子供の喧嘩だ。構うな」
「いえ、とんでもありません! このような無礼を……!」
そこへ、イフロースがすっと割り込み、王子の前に跪いた。
「僭越ながら、お許しを」
「おお、家宰殿、なにかな」
タンディラールはそれをあえて笑顔で受け止めた。
一方サフィスは、今度はなんだ、と余裕なく怒りを発散させながら、イフロースを睨みつける。
「子供の喧嘩とはいえ、このままでは少し、後味がよろしくございません。しかし、我が主は殿下の下僕であるばかりか、心の友でもなければなりますまい。それがこのような些細な出来事に悩まされるとは、残念至極」
「ふむ、それで?」
「アナーニア様は、試合をご所望です。さて、そこなるファルスでございますが、無論、既に従士となられたベルノスト様には及ばないながらも、それなりに見所のある少年と思いまして、少々ですが私めが鍛えております」
「ほう」
「ここはせっかくでございますから、一度、王国の未来を担う少年達の力比べをご覧になられてはいかがでしょう。その後には、もう一切の遺恨などなく、我が主人は変わらず殿下の親友であり、私どもはその下でお仕えするのみにございます」
タンディラールは顎に手をやり、面白そうと言わんばかりにニヤニヤしだした。
「だが、いいのか? ベルノストはまだ十歳だが、大人顔負けの腕前だぞ。ひどいことにならなければいいがな」
「その時はその時でございます。手痛い敗北も、ただの試合であれば、よき教訓となるでしょう」
考えを決めたらしい。
「サフィス」
「ははっ!」
「酒の肴が増えたぞ」
そう言って、タンディラールは笑みを深くした。
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