王太子タンディラール

 遠くに聞こえる鳥の囀り。朝だ。

 木窓から差し込む陽光に、俺は目を細める。


 ゆっくりと身を起こす。なんだか、体のあちこちが不自然に強張っている気がする。

 まぁ、ケチをつけるのは贅沢だ。ピュリスの自宅ほどではないが、ここも快適なのかもしれない。思えば、総督官邸の子供部屋は共用だったし、その前のミルークの収容所だってウィストと同部屋だった。ここは狭苦しいながらも、一人で寝起きできる場所があるだけ、ありがたいことだ。


 あくびをしながら、昨夜のことを思い返す。

 どうしてあんなところにウィーがいたんだろう? それに、カツラをかぶって髪型を変えていた。

 後日、俺が外出できる時に、改めて話を聞きにいくことになったのだが……


 のそのそと立ち上がり、扉を開ける。


「あら、おはよう」


 ちょうど目の前の廊下を通りかかったナギアと、ばったり顔を合わせてしまう。


「おはようございます」

「よく眠れたみたいね? よっぽどそこが気に入ったのかしら?」


 心の中で舌打ちする。


「僕はどこでも眠れるのが自慢なんですよ」

「ははっ、よく言うわ」


 それだけで、彼女は立ち去っていく。

 ほっ、と息を吐き、俺はついさっき、自分が出てきた場所を振り返る。


 部屋の隅には、俺が横になっていた狭い「寝台」がある。正確には、予備の長椅子に布団をかぶせただけの代物だが。そのすぐ横には、数々の木箱が山積みになっている。更にその上には、丸められた絨毯が転がっている。だからなのか、空気が微妙に埃っぽい。しかも、館内の他の部屋と違って、壁にもほとんど装飾がない。どうして?

 なぜなら、ここが物置だからだ。


「あー……顔、洗お」


 頭をガリガリとかきむしりながら、俺は動き始める。


 貴族の城壁の内側は、超高級住宅地だ。そして、ほぼすべての物件が、王家の所有地でもある。ゆえに貴族達はここを賃貸して利用している。だから、スペースを広めに取ると、大変な支出に繋がるため、どうしても利用する部屋数を削らざるを得ない。

 借りないという選択肢は? ほぼない。地方在住の貴族であっても、王都に顔を出す機会ならある。で、そうなると、ときには朝から宮殿に出向かねばならない。とりわけ官僚や貴族を勢揃いさせての謁見は、早朝に設定されるのが常だ。しかしこのため、王宮の城壁の門が開くのは、貴族の城壁の門が開くより早い。まさか、陛下のご尊顔を拝むべき日の朝に、宮殿に遅刻していくなど、許されるはずもない。

 貴族に税金はかからない。だが、こういうところでちゃっかり毟り取っているとは。これ、クレーヴェみたいに王都で生活している宮廷貴族で、特に役職を割り当ててもらってない人とか、かなり懐事情が厳しいんじゃないだろうか。


 とにかくそういうわけで、一年に一度、使うかどうかの場所なのに、子爵家もこの一角を占拠し続けている。先代が中央の財務官僚だった頃は、実際にここで暮らしていたらしい。だがその前の代となると、中央での職務を授かっていなかったため、借りていた場所もここではなく、ほぼワンルームマンションみたいな部屋だったのだとか。それだって、目玉が飛び出るほどのレンタル料がかかる。ド田舎のトヴィーティアから得られた収益を、ここの家賃につぎ込んで……ああ、貧乏貴族のちっぽけな見栄とでっかい苦労とが偲ばれる。


 あまり広いとはいえない別宅での活動のため、今回の王都行きに参加しているのは、使用人の中でもごく一部だけだ。

 まず執事のイフロース、乳母のランは参加。ナギアと俺も、リリアーナの付き人ということで声がかかった。それから、人付き合いの中心はピュリスでなく、ここになるので、セーン料理長とその助手がもう一人。事務方として、カトゥグ女史。他、給仕係や掃除係として、数名がいるだけだ。

 一方、屋敷のほうにはカーンとメイド長が残っている。フリュミーはいつも通り、海に出ている。彼とランの息子であるルードは、今回、選抜から漏れた。本来なら、俺じゃなくて彼がここに来る予定だったらしい。だが、リリアーナの護衛という意味もあって、イフロースが俺を無理やり捻じ込んだ。


 そう考えると、俺の寝床が物置なのも、理解はできる。

 俺はサフィスには嫌われているし、ナギアやランにも見下されている。だが、万一のことを考えると、どうしても彼は俺をお嬢様の傍に置いておきたい。周囲を納得させるためには、ある程度、俺を冷遇しなければなるまい。

 ちなみに他の随行者達は、イフロースを除いて、個室で寝起きしているのはいない。子爵一家は一番大きな部屋でまとまっているし、そのすぐ隣にはナギアとランの部屋、料理長も助手と同室だ。一度、最初の引越し作業の際に彼らの寝室を覗いたが、狭いながらも作りは上等、まさに貴族の部屋だった。なるほど、ナギアが喜ぶのもわかる。お嬢様気分に浸るのに、何の過不足もない空間なのだ。


「ファールースー」


 俺が顔を出すと、満面の笑みを浮かべたリリアーナが、いつもの通り、間延びした声で迎えてくれる。

 地上三階の四角い中庭。足元には芝生、真ん中には噴水。周囲は分厚い石の壁で、それを淡い橙色で塗り潰してある。その壁のところどころに、花が飾ってある。この邸宅では、最も明るい場所だ。


 王都にいる、ということは、特に地方貴族にとって、一日のすべてが仕事であることを意味する。

 まず、王都の邸宅に落ち着くと、付き合いのあるあちこちの貴族に使いの者を走らせる。そうやって予定を調整する。そこからは、昼食、ティータイム、それに夕食も。すべてが誰かとの会食だ。

 そうなると、ミーティングの時間は、朝と夜にしか取れない。とりわけ朝は重要だ。今、噴水の向こう側で、子爵が夫人と食事をしている。その脇に、イフロースが立っている。今日の予定について、打ち合わせをしているのだ。

 その間、子供達は別のテーブルで食事を済ませる。向こう側では、ランとウィム、それにフリュミーの二人目の娘であるサーシャがテーブルを占拠しているが、こちらでは俺とリリアーナ、ナギアが三人で丸いテーブルを囲んでいる。

 ちなみに、それ以外の使用人は、この後に食事をとる。朝だけは、主人と同じ椅子とテーブルを使っても問題ない。というか、食堂に相当するスペースが他にない。だが、昼以降は悲惨だ。こちらに来客を招く場合は、中庭には出入りできなくなる。だから、セーンが用意したホットドッグまがいの代物を、暗い建物の奥で、モソモソとかじるだけになる。

 一度その話をしたら、カトゥグ女史は「どっちでも一緒」と吐き捨てた。事務方の彼女は、到着してからずっと仕事に追われている。どうせゆったりと昼食をとる時間などないのだ。そして、忙しいのは彼女だけではない。特に料理長の多忙さは、もはや殺人的だ。朝から晩まで、厨房の火が消えることがない。


「いつも遅いんだから。毎朝、お化粧でもしてるの?」


 ナギアがチクリと嫌味を言う。

 確かに、と思う。イフロースもセーンも、俺より早起きして働いているのだから。本来なら、俺も料理の手伝いくらいすべきなのに。

 ただ、ここは厨房も狭いから、人手ばかりあっても意味がないのかもしれない。まぁ、いざとなったら俺が料理長のスペアになるのだろうが。

 ともあれ、随分、楽をさせてもらっている。


 多忙な大人達に比べると、子供達は恵まれている。実は、暇な時間があるのだ。それどころか、観光すら予定に組まれている。

 イフロースの頭の中では、俺もナギアも、将来の子爵家を支える大切な幹部候補だ。だから、今のうちに色々な経験を積ませる必要がある。王都のことを何も知らない田舎者にしておくわけにはいかないのだ。

 ただ、仕事がまったくないかというと、そうでもない。例えば、今日だ。


「お出かけだよね!」

「そうですね」


 リリアーナが瞳をキラキラさせながら、話しかけてくる。

 俺の最優先の仕事は、彼女の付き人兼護衛だ。そしてお嬢様も、時には他の貴族との家族ぐるみの付き合いに、顔を出さねばならない。それにまた、観光に出かけることもあるから、その場合にも同行する。

 無論、大人の護衛はいるが、人員不足というのもあって、せいぜい一人しかつけられない。そんな状況で、以前のような誘拐事件が発生したら。

 俺はイフロースの用意した伏兵なのだ。もし万一、そういった事態になったら「何をしてもいい」と言い含められている。「責任はすべて引き受ける」とも。

 ただ……


「ファルス? いい? わかってる? 今日は、いつもとは違うのよ?」

「わかってますよ」

「本当に? 殿下の前で、恥をかかさないでよね?」


 ナギアの念押しもわからないでもない。

 今日の昼下がり、子爵一家は、第三王子タンディラールとのお茶会に招かれている。次期国王の最有力候補だ。粗相をしたら、恥では済むまい。


「大丈夫だから」


 ……護衛、といっても。

 多くの場面で、俺は帯剣を許されていない。市中に出る時くらいだろう。となると、俺にできるのはせいぜい、身体操作魔術で激痛を与える程度だ。いざとなれば、ピアシング・ハンドで敵を消し去ったり、お嬢様を鳥に変身させて脱出したりもできるが、それは避けたいところだし。

 どれだけ役に立てるか、自分でもわからない。


 温かいお茶を口元に運んで、ふう、と息をつく。

 目に映るのは、壁に飾られた花だ。かわいらしい小さな花が密集している。それぞれが星型で、色は一房ごとに異なる。フォレスティアの森の中に咲く、この国ではごくありふれた花。


 ……そういえば、ノーラはこの花が大好きだったな。今頃、どうしているだろう。今もグルービーの屋敷で、自分に厳しく学び続けているのだろうか。


 午前中いっぱいをのんびり過ごしてから、軽めの昼食を早めに済ませる。

 王都にいる間は子爵一家の食事もより簡素になる。単純に人手不足なのが大きい。もちろん、手間を省ける部分は、積極的にそうしている。パンなどは、王都の業者に一括して発注しているし、手間のかかるデザートはあまり作らず、これまた外注だ。

 しかし、今日に限っては、別の理由もある。この後すぐ、王宮に向かうのだが、そこでティータイムとしては少し早めながら、お茶をいただく。どうして早めの時間になるかというと、王子は一日に二度、お茶会を開催するからだ。身分が上になればなるほど、付き合いも増える。こちらもそれに合わせるわけだ。


 時間が近付き、俺達は階下に向かう。イフロースとサフィスを先頭に、俺達は大きな扉の前で、待ち受ける。

 そのうち、遠くから物音が近づいてくる。カポカポという蹄の音に、軽やかな鈴の声。ガラガラと軋む車輪の響き。それらが急に静まる。

 迎えの馬車が止まったのだ。


「トヴィーティ子爵サフィス・エンバイオ様、ならびに従者の皆様方。殿下の命を受けてお迎えにあがりました」


 その呼び声に応じて、イフロースが即座に扉を開ける。颯爽と歩き出して、サフィスが迎えの男に声をかける。


「お役目ご苦労」


 声をかけられた中年男性は、さっと顔を伏せて、恭しい態度をとる。だが、彼らの関係性は、見た目通りではない。

 サフィスは王子の迎えを待たせないために、事前に一階で待機していた。相手の身分は、せいぜいが騎士階級でしかない。だが、王子に仕える立場ある人物でもあり、王宮内の情報通でもある。ここ王都での活動をスムーズにするためには、隠然たる権力を持つ宮廷人相手に「しでかす」わけにはいかないのだ。もしもここで彼らの不興を買えば、サフィスは王都で大勢の敵に隙を見せることになる。

 行政手腕はともかく、こういった立ち回りでは、やはりサフィスも貴族なのだ。よくわかっている。


 微妙な緊張感の漂う中、俺達は無言で素早く馬車に乗り込んだ。


 馬車は王宮の城壁の前でいったん足を止めたが、長く待たされることもなく、俺達は宮殿の敷地内に通された。


 考えてみれば、これはすごいことだ。

 前世の日本では、その気になれば、皇居の見学くらいはできた。だが、日本の皇居は、とっくの昔に権力装置としての役目を失っている。では、国会議事堂か? これは現役の権力の頂点だが、これまた立ち入るのは難しくない。そもそも理屈の上では、一般市民だった俺だって、選挙で選ばれれば国会議員になれたのだし、そうなれば見学どころか、あそこで法案を提出したり、それに賛否を示したりもできる。

 だが王宮はというと、そうはいかない。王位を継承できるのは、フォレスティス=チーレムの血筋を引くものだけ。ここに立ち入れるのも、王家と、王家に親しく仕える者達に限られる。数えるほどしかいない貴族と、選び抜かれた騎士、近衛兵だけなのだ。たとえ王都に生まれ、死ぬまでそこで暮らす人がいたとしても、一般市民の身分にある限り、今、俺が目にしている景色を見ることはない。


 門を越えたところにあるのは、昨夜も目にした巨大な円形の噴水だった。その周囲を、よく手入れの行き届いた、丈の高い緑の木々が覆っている。その足元は花壇になっており、季節の花々が可憐に咲き乱れている。

 馬車は右を向き、円形の広場の右側からの通路に踏み込んでいく。途端に周囲は薄暗くなる。座席の中も、森の中にいるような瑞々しい空気に満たされる。丈の高い木々の合間から、時折、大きな石造りの建物が垣間見える。

 俺達は今、タンディラールの私的な領域に向かっているのだろう。オフィシャルな空間は、真正面に設けられている。あの噴水の裏側に広い通り道があって、その向こう側に舞踏会の会場があったのだ。しかし、そういう場所を経由しなくても外部と出入りできる勝手口がなければ、王族の生活は不便極まりないものになる。

 ややあって、俺達は森の中の、割合小さな建物の前に降ろされた。小さいといっても、通常の民家よりはずっと大きい。高さこそせいぜい二階建てくらいしかないが、幅と奥行きがある。しかし、見栄えがしない。ベージュ色の壁面に施された彫刻も控えめだ。

 はて……地味、だな?


 出迎えの先導にしたがって、サフィスが進む。そのすぐ後ろにはイフロース、続いてエレイアラ。リリアーナの後にナギア、俺と、最後尾にラン、彼女に手を引かれるウィムだ。今回、招かれたのはこれだけ。ウィムと同じ歳のサーシャは、カトゥグ女史に預けてある。騒ぎ出しかねない幼児は、なるべく連れていきたくないのだ。

 薄暗く狭い、分厚い石の通路を通り抜けると、中庭があった。足元はきれいな芝生で、そこに飛び石のような足場が散りばめられている。その中央に大きな石の床があり、そこに丸いテーブルが備え付けられていた。

 よく見ると、頭上には薄い布が掛けられている。二階部分から渡してあるのだ。直射日光を遮って、過ごしやすくするためだろう。それと中庭の隅には、あと二つだけ、小さめのテーブルと椅子が用意してある。あれはきっと、奥方や子供達のための席だ。


 やっぱり、地味だ。

 サフィスが派手好きで見栄っ張りなのは、少し付き合えば誰でもわかることなのに。この地味さは、あれか? 形式にこだわらないことで親しさを演出するとか、そういう目的なんだろうか。


 そして、そこにいた人物。雰囲気ですぐにわかった。


 やや明るい色合いの、豊かな髪。長さはそこまででもないが、毛の量が多いのだ。それと鼻の下の左右に細長い髭。いかにも高貴そうに見える顔立ち。平均よりは背が高く、背筋もまっすぐ通っている。濃い緑色の上着にズボン、マント。そこに金の縁取りがしてある。

 優雅でしなやかな身のこなし。その顔には微笑み。表情こそ穏やかだったが、それでいて一瞬たりとも油断を許さないような、なんとも形容しがたい雰囲気が漂っていた。

 何に似ているのだろう、としばらく考えて、ようやく行き当たった。ライオンだ。但し、髪の毛はそこまで長くもないし、獰猛さよりむしろしなやかさのほうが目立つのだが。


 ……これが王太子タンディラール、か。


 サフィスはここで一歩、前に進み出て、深々と頭を下げた。


「殿下、お招きにあずかり、光栄至極に存じます」

「やぁ、サフィス、待ちかねたよ」


 大仰に跪くサフィスに対して、王子は気安い感じで言葉を返し、彼に歩み寄った。肩を軽く叩いて起き上がらせる。

 あくまで臣下として接する彼に、王子は、昔馴染みの友人にするように振舞った。


「さ、座ってくれ」


 目上の人間である王子より先に、子爵に座れという。普通は、殿下が腰掛けてから、許しをいただいてようやく座るものだ。だが、タンディラールはその辺を無視した。

 案の定、サフィスは一瞬、躊躇うような表情を浮かべたが、王子は微かな身動きでそれを制し、結局、彼をその場に座らせた。すかさず、黒子のような召使が、王子の後ろの椅子を引き、彼はサフィスの斜め前に陣取った。


「いつぶりだったかな」

「もう、二年にもなりました」

「そうだったな。どうだ? ピュリスの暮らしは」

「おかげさまをもちまして」

「おいおい、堅苦しいのはなしにしてくれ。今日は仕事のつもりじゃないんだ」


 随分と気安い態度だ。

 まだ席を勧められないので、俺は黙って立ったまま、二人のやり取りを見つめていた。


「そういえば、もう四年にもなるか」

「はい」

「先代のフィル殿も有能だったが、引き続き君がピュリスを統治しているなら、私も安心だよ」

「そうおっしゃっていただけるとは」

「だからやめてくれ。堅いのは抜きだ……ああ、ワインでも飲まないとな」


 はて……

 この状況は、どう解釈したらいいのだろう?


 多分、向かい側の出入り口付近には、王子の家族が控えている。普通、通り一遍の挨拶をしてから、互いの家族や随行者を紹介し、あとは夫人は夫人が、子供は子供が相手をする。そして、家長同士が言葉を交わす。そういう流れになるものだ。

 ところが、王子は俺達を待たせたまま、構わず子爵と話し込んでいる。両者の後ろで、イフロースも、王子の執事も、黙ったまま、直立している。彼らが場面を切り替えない限り、同行者達は黙って突っ立っているしかない。


 これは、それだけ王子が、サフィスと会いたがっていた、とにかく二人で気安く話したいと思っていた、学生時代の後輩と旧交を温めたかった……そういうことだろうか?

 ……いや。


 イフロースの表情が、少しおかしい。微妙な変化ではあるが、やや険しいものになっている。傍にいることが最近、多かったので、なんとなくわかる。彼はこのやり取りを不愉快に感じている。

 とすると。


「ただ、個人的には、ちょっともったいない気がするんだがね」

「それはどのような」

「今の状況はわかっているだろう? 確かに私の味方は多いが、友人は少ないんだ、サフィス。できれば、君には、私のすぐ傍で力を尽くして欲しいと思っているんだ」


 ……あっ。


 ピンときた。

 これはわざとだ。


 タンディラールがどういう人物か。俺には詳しいことはわからない。だが、スキルの覗き見ならできる。そこから判断した限りでいうなら、彼はなかなかに有能だ。


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 タンディラール・レージェ・フォレスティス=チーレム (34)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、34歳)

・スキル フォレス語  7レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   5レベル

・スキル 政治     6レベル

・スキル 指揮     5レベル

・スキル 管理     5レベル

・スキル 剣術     4レベル

・スキル 弓術     3レベル

・スキル 風魔術    4レベル

・スキル 房中術    5レベル


 空き(24)

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 貴族の頂点に立つだけあって、特にフォレス語の習熟っぷりが学者並みだ。それに、人を動かすのに必要なスキルがどれも高い。この点、サフィスとは比べ物にならない。何より特筆すべきは政治能力だ。これが具体的に何をもたらすスキルなのかは、明確ではないが……この年齢で、これだけのスキルを身につけている時点で、優秀といえるのは間違いない。

 そんな優れた人物が、サフィスをそこまで評価するだろうか? ピアシング・ハンドのおかげでさしたる努力もなしに能力の底上げができる俺とは違い、彼は自力で頑張って、ここまで自分を伸ばしたのだ。当然、その過程で、人を見る目だって、それなりに養われるはずだ。ましてや王族なら、一流の人間と出会うチャンスだってたくさんあっただろう。


 では、どうしてここまで親しげにするのか? だから、わざとだ。


 タンディラールには、弱みが一つある。

 かつては王位継承競争において、第一王子フミールの後塵を拝していた。だが、そこに先代トヴィーティ子爵のフィルが介入したこともあって、今では正式に王太子として指名を受けるまでになったという。

 だが、それは裏取引があればこそだった。フィルに続いてサフィスをピュリス総督に任命すること。王子は、これを無視できなかった。その気になれば、死去したフィルとの約束を反故にすることもできただろう。だがそれをすると、彼の周囲に寄り集まった貴族達が、タンディラールに疑心を抱く。

 彼らが王子に協力するのは、味方した貴族達に利権を振りまいてくれるからだ。フィルとの約束も、そうした一つだ。だからタンディラールとしては、正式に王位を継承する前にフィルが死んだ時点で、選択肢がなかった。彼は自分の派閥の貴族、官僚を動かして、サフィスを次の総督に据えた。


 だが、もはや彼は王太子なのだ。健康状態の悪化が伝えられる現国王セニリタートがあと何年生きるだろうか。そしていったん、彼が国王の座についたなら、かつての約束は、むしろひっくり返してしまいたい。

 なにしろ、その時点で彼はエスタ=フォレスティア王国の主なのだ。そしてピュリスは、ルアール=スーディアと並んで、王国統治の最重要拠点なのだ。そんなところに、一地方貴族のコネがこびりつくなど、支配者として看過できまい。

 既に彼は、自分が王位を引き継いだあとのことを考えている。そうなったらもう、サフィスは邪魔者だ。だからといって、国王になってから、無理やり彼を解任するのも都合が悪い。貴族達の不安と反発を招くからだ。ならば最も好ましいのは、サフィスが自らその地位を手放すことだ。


 彼の言う『すぐ傍で力を尽くして欲しい』とは、そういう意味だ。

 恐らく中央での顕職を餌に、サフィスを釣り出そうとしている。イフロースはそれがわかっているから、苦い顔をする。サフィスはどうだろうか? 自分だけは王子から信頼されている、とでも思い込んでいたりはしないか。

 そういう風に考えると、このお茶会用の建物の選択も、また違った意味で理解できる。もっと立派な建物は、もっと重要な客のために確保してある。なんといっても王子は一日に四回以上、こうした会食やティーパーティーを繰り返さねばならないのだ。会場ごとにスタッフを貼り付けて、王子はただそこに行くだけでいいようにしているはずだ。そして、サフィスには、余った施設を割り振った。


「それは……」

「ははは、まだ先の話だ。ピュリスでの治績については、私も聞き及んでいる。君にとってはたやすい仕事だろう。いや、簡単すぎて困っているのかもな」


 この王子、やっぱり油断ならない。

 貴族も貴族、この面の皮の厚さは、半端じゃない。


 そう俺が身構えたところで、ふと、彼の視線がこちらに向いた。

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