夜会

 見せかけばかりの豪華さと、真の高級感の違いは、どこにあるのだろう? 眩く輝くばかりでは、人の心を打つことはできない。


 王宮の門を越え、ほのかな月明かりを照り返す中央の噴水の裏側に回りこみ、少し進んだ先で右に曲がり、左に折れてまた右に……辿り着いたのは、壮麗な石造りの建物だった。幅広く長い階段のところどころには花壇が据え付けられ、そこに色とりどりの花が咲いている。それらの調和と美に目を奪われながら、やっと広間に辿り着く。

 上品な雰囲気の香が焚き染められ、それがどこからともなく漂う。大広間は、やや薄暗いくらいだったが、視界に困ることはない。

 足元の床は、何でできているのだろう。暗い緑色のタイルが敷き詰めてあるのだが、金粉でも混ぜ込んだのか、小さな光の粒が揺らめいては消える。見上げれば藍色のクリスタルが頭上を覆う。ドームを支える四方の壁には落ち着きある赤茶色の石柱、それに明るい緑色の貴石が壁を埋め尽くしている。それらの合間に、色とりどりの宝石が輝いている。

 この図案は、要するに、フォレスティア王国そのものを指している。豊かな草原、それを取り囲む森、そして頭上の青空。

 それだけではない。中央には、一際目を引く柱がある。真っ白に輝く貴石から削りだされたあの姿は『祝福の女神』で、青色のクリスタルは『時空の女神』、黒ずんでいるのは『霊性の女神』、明るい赤色は『力の女神』……それらが背中合わせになっているのだ。そして、彼女らの像を取り巻くように、緑色の蛇がとぐろを巻いて天井を目指している。いや、あれは蛇ではなく、龍神ヘミュービだ。

 なるほど、世界の中心に神々を置くのは自然な発想だろう。だが、ここには太陽がない。

 いや、太陽の代わりになるものなら、ある。


 衣擦れの音。広間を埋め尽くす貴族達と、その従者の群れが、一斉にひれ伏す。

 そっと仰ぎ見る。覚束ない足取りで歩む老王の姿が目に映る。分厚いマントを引き摺りながら、震える手に王笏を握り占め、なんとか背筋をまっすぐ伸ばし。

 髪の毛はとっくに真っ白になってしまっている。もともとは美形だったのだろう。なるほど、顔立ちにはある種の高貴さが見て取れる。だが、その眼窩は暗く落ち窪み、肌にも生気がない。枯れ木に無理やり豪華な衣服を引っかけたような風情が漂っていた。

 影のように寄り添う宮廷人が、そっと王の体を支える。やたらと時間をかけて、やっと彼は玉座に腰掛けた。


 一段高いところにあるその玉座。黄金に輝くそれこそが、この広間の太陽だ。東から昇る朝日。王者とは、それほどまでに輝かしいものなのだというメッセージだ。

 だが、現実にはどうか。やっとの思いでここまできたセニリタート王だが、彼の声は小さく、ほとんど広間には届かない。


 ややあって、王の座る高台の横から、一人の男が姿を現した。王太子だろうか? 距離が遠いのと、広間には大人ばかりなのもあって、はっきりと彼の姿を視認するのは難しい。

 王の横に佇む宮廷人の合図に頷き、代わって声を発する。


「陛下の御言葉である」


 現在の宮廷内の実質の権力は、どこにあるのだろう。老王が自由にできる範囲は、どこまでなのか。次期国王に指名されたタンディラールと、彼との関係は?

 今、王子は国王の言葉だと言い切った。ならば彼は何でも言い放題だ。年老いた国王には、もはや後継者の行動を追認するくらいしかできない。


「今宵、忠実なる臣下達が礼を尽くすために馳せ参じたこと、心より嬉しく思う。それゆえ、今夜の催しをもってその返礼としたい。そなたらの中には、長らく顔を合わせる機会を得られなかった友を求めに来た者もいることだろう。存分に旧交を温めるがよい。そなたらの喜びこそが、余の愉悦でもあるのだから」


 この言葉に、広間は今一度、ひれ伏した。

 王子は一礼すると、また壇上からそっと降りて、臣下の列に戻る。と同時に、静かな音色が裏手から流れてくる。舞踏会の始まりだ。

 そのうちに、ポツポツと話し声が聞こえてくるようになる。音楽が盛大に奏でられ、広間の喧騒が頂点に達した頃には、もはや玉座は空だった。


 舞踏会と名がついているものの、本気で踊る人などいない。こういう夜会でやることなど、決まっている。顔つなぎだ。

 特に縁がある人達とは、別途都合をつけて会うのが普通なので、こういう場ではそこまで付き合いがあるわけでもない、少し距離のある相手とナァナァの交際をする。だから、さっきの「陛下の言葉」というのも、皮肉にしか聞こえない。


 さて、サフィスは財務官僚だったフィルの息子だ。よって、ご縁があって、しかもやや距離が遠い貴族となると、やはり財務系の連中ということになる。挨拶しにいかねばならないが、貴公子たるもの、落ち着きなくあちこち周囲を見回すべきではない。そういうのは、イフロースの仕事だ。彼が、ちょうど手の空いた貴族を見定めて、そっとサフィスに耳打ちする。すると、俺達は全員、そちらに向かって歩き出す。

 最初に狙いを定めたのは、二人の貴族だった。当然、俺は彼らの顔など、初めて見る。だが、ピアシング・ハンドのおかげで名前を間違えることはないし、重要な貴族であれば、ここ数ヶ月の集中学習のおかげで、ちゃんと頭に入っている。

 あの、横に幅広い男がショーク伯だ。髪の毛はゴマ塩で、タレ目が細く、顎がガッシリしていて、肌が汚い。もう五十代に差しかかっている。エキセー地方の南西部に領地を持つ在地貴族だが、現財務大臣でもある。

 その隣に立つ男は、もう少し若い。四十近い男だが、やはり目が細い。眉は太いのに。背が高いが、肉もそれなりについているので、まず大きいという印象が先にくる。これが副大臣のファンディ侯だ。エキセー地方の南東部、トーキア特別統治領のお隣に広大な領土を抱えている。フォンケーノ侯、ティンティナブラム伯、スード伯と並んで、国内の四大貴族の一人だ。

 そんな有力者が現在副大臣では、どう考えてもサフィスごときが財務大臣の椅子に座れるはずもない。十年前はどうだったかわからないが、副大臣とはいかないまでも、それに近いポジションにあったのではないか。これでは確かに、フィルが財務系官僚としてのキャリアに見切りをつけたのも、納得できる。


「お久しぶりです」


 サフィスが笑みを浮かべ、一歩進み出て頭を下げる。


「おお、これはこれは」

「お久しぶりです、サフィス君」


 二人は振り返り、笑顔でサフィスを迎えた。

 しかし、どうにも目が細い。表情もどこか作り物っぽいし。なんだか、タヌキとキツネに見えてきた。


「最後にお会いしたのは、お父上の葬儀でしたかな。いや、惜しい方をなくしたものです」

「いまだにそうおっしゃっていただけるとは、色褪せぬご厚情に心が温まります」

「どうですかな、ピュリスの住み心地は」

「美しい街ではありますが、とても王都とは比べられません」


 上っ面の会話を交わすばかり。

 だが、こうして人目のある場所で話をすること自体に意味がある。


 サフィスは太子派の一員で、タンディラールの腹心の一人だ。それが、現財務大臣と、副大臣相手に、にこやかに語り合っている。

 暗に、彼らも太子派寄りなのだとアピールしたいのだ。


 だがこの二人、実はどちらの派閥にも組していないらしい。本当のところはわからないが。

 特にショーク伯のほうはいい年齢でもあるし、いざとなれば王国でも辺境の地に引き返せるのだから、リスクを取る必要がないのだ。それに今、自分が下手な判断を下すより、息子達の世代に任せたほうがいいかもしれないのもある。

 ファンディ侯のほうも事情は似ている。王国全体の一割弱の領地を持つ大貴族なのだから、無理をする必要がない。ただ彼は、四大貴族の中では唯一、中央で権力を振るっている。在地貴族ながらに太子派支持を打ち出した伯爵二人とも、独立独歩で我関せずのフォンケーノ侯とも、立場が異なるのだ。

 彼は現在、大きな利権を手にしている。ではどうすれば、国王が入れ替わった後でも自分達の権益を守れるか。最大の関心はそこにある。有利なのは太子派だが、どのタイミングであれば、自分を一番高く売り込めるか? それを模索しているのだろう。


「それと、こちら、娘のリリアーナです。少し早いですが、そろそろこういう場に顔を出す頃合かと思いまして、連れてまいりました」

「ほう、これはこれは……そういえば、跡継ぎもいらっしゃるとのことですが」

「ウィムはまだ幼すぎますので……そのうちに、ご挨拶させるつもりです」


 その紹介を待ってから、ファンディ侯も傍にいた娘を引き寄せた。


「なるほど、考えることは同じですね。こちら、娘のケアーナです。ほら、ご挨拶なさい」


 出てきた少女は、なんとなくプチトマトを思わせるような風貌をしていた。別に顔が真っ赤なわけでもないのにどうして……ああ、結い上げられた髪が、トマトのヘタの部分に見えたからか。しかし、肌こそ真っ白ながら、容姿は人並みだ。いや、顔に刻まれた表情からすると、これは。


「ケアーナです。宜しくお願い致します」


 気の強そうな少女が、無理やり礼儀正しく頭を下げた、といった雰囲気だ。普段はきっと、我儘放題に暮らしているのだろう。


「立派な娘さんですね。先々が楽しみです」


 サフィスがお世辞を言う。

 彼女の将来は、どんなものになるのだろう? 大貴族の娘だから、多分、それなりの家柄に嫁ぐことになる。今は十歳、帝都の学園に通うとして、下手をすれば在学中に、そうでなくても八年後にはすぐさま縁談なりお見合いなりが始まる。早くて十六、遅くても二十二、三歳くらいまでに結婚するのが普通だ。勝気な少女が自由を謳歌できる時間も、そう長くはあるまい。

 このやり取りを、リリアーナは興味なさそうに眺めている。自分が商品で、そのお披露目をしているだけに過ぎないと理解しているからだ。

 もっとも、その商品価値は、彼女自身では決まらない。少なくとも、女として評価されるわけではない。なんとなれば、貴族は側妾をいくらでもおけるのだ。現ピュリス総督、そしてここにはいない、恐らく次代総督を務めるであろうウィムとの取引でしかない。


「少々失礼」


 俺は反射的に振り向いた。ある種の脅威を、本能的に感じ取ったからだ。

 後ろから声がかかった。鼻につく、男性としてはやや高めの声。どことなく気取った風がある。


 声の主は、大柄なファンディ侯よりも、なお背が高かった。二メートルを越す巨体。そして、服の上からでもはっきりわかる、発達した筋肉。焦げ茶色の髪の毛に、猛々しさを感じさせる顎鬚。目は大きく見開かれ、口元には余裕の笑みが浮かぶ。

 少し大きすぎることを除けば、別におかしなところは何もない。ないはずなのに、俺の中の何かが警報を鳴らしていた。目の前にいるのは、バケモノか何かではないのか。


「お三方とも、ご挨拶しておきたかったので」

「これはゴーファト殿、わざわざ済みませんな」


 年長者のショーク伯がすぐさま返事をする。

 一瞬、場を乱しはしたものの、周囲はまた、さっきと変わらない雰囲気に戻る。


 だが、俺の中では混乱が続いていた

 こいつ……いったい、何者だ?


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 ゴーファト・スザーミィ・スード (35)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、35歳)

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク6)

・アビリティ 痛覚無効

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  4レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル 指揮     5レベル

・スキル 管理     3レベル

・スキル 棒術     6レベル

・スキル 剣術     3レベル

・スキル 弓術     4レベル

・スキル 格闘術    5レベル

・スキル 房中術    3レベル


 空き(23)

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 歴代のスード伯は、みな、武勇に秀でているという。なるほど、彼もまた然りだ。棒術と格闘術は、一流といえる水準にある。恵まれた体格から繰り出される武技の数々は、きっと敵にとっては脅威だろう。

 だが、ここは王宮の中の迎賓館だ。さすがに危険などありはしない。にもかかわらず、俺は内心から溢れ出る不安と恐怖を感じずにはいられなかった。


 理由はなんだろうか? こいつがデーテルを殺した張本人だから? それとも、そうした残虐行為に性的興奮を感じる変態だから?

 いや、それは後付けの知識でしかない。

 もっと根源的な……まるでこいつが人間以外の何かみたいに思われるというか……


「お会いできて幸いです」

「こちらこそ、ファンディ侯」

「ピュリス総督を務めております、サフィス・エンバイオと申します」

「お噂はかねがね耳にしておりますとも。今回はあなたともお話したかった」


 彼らのやり取りなど、俺には上の空だ。


 気になるのは、アビリティだ。『痛覚無効』って、なんだ? こいつ、まさか痛みを感じないのか?

 それと、もう一つも、なんか変だ。マナ・コア……つまり、魔術核を得て、自らを魔法の触媒とした人間なら、今までも見たことがある。アネロス然り、キース然りだ。だが、奴らはどちらも、それぞれ火魔術、水魔術の達人でもあった。だがゴーファトには、魔術のスキル、要するに訓練した形跡がまるでない。

 一般に魔術核は、非常に高価なものとされている。金を積んだからとて手に入るものでもない。ゴーファトは武人だから、或いは自分を強くするために、わざわざ魔術核を入手し、取り込んだのかもしれないが、それであれば、ある程度にせよ、魔術の練習をしていてもよさそうなものだ。なにしろ相当な元手がかかっているのだから、いくら彼が勉強嫌いだったとしても、最低限の努力はするのだろうし。


 そこで更に気付いた。マナ・コアが「アビリティ」というのは……

 これまで、魔術核を取り込んだ人間は、彼以外では二人しか見ていない。だが、アネロスにせよ、キースにせよ、どちらも「マテリアル」だったはずだ。

 よくよく考えると、この表記は初めてだ。アビリティというのは、いったい何なのだ? 今までは、マテリアルとスキルしかなかった。神通力もマテリアルの一種で、マナ・コアもマテリアル、人体もそうだ。一方、剣術や魔術などはスキルだった。

 そうなると例外は……自分だけだ。ピアシング・ハンドも「アビリティ」の一種とされている。


 ピアシング・ハンドの表記には、意味がある。理由があって、そうした分類をしているのだ。ただ、解説書も教師もいないから、どうしてそういう区別をしているのかは、知りようがない。

 だから、推測してみる。俺のこの能力は、死後の世界の、あの黒髪の男の言う『世界の欠片』から得られたものだ。ということは、別に降り立った世界がここでなくても、俺の中に宿っていたものに違いない。

 一方、俺のこの肉体は、この世界に生まれてはじめて得られたものだ。神通力にしても同様だ。ジョイスの話から推測する限りでは、何かのきっかけで目覚めるものとしても、もともと本人が資質を備えていたと考えられる。つまり、この世界から与えられたものが「マテリアル」なのではないか?

 となると。アビリティを持つゴーファトは、俺と同じ異世界出身者?


「それにしても、ゴーファト殿、そろそろ跡継ぎを連れてきてくださってもよさそうなものですが」

「生憎と子に恵まれませんもので。ですが、優秀な甥がおります。心配はありませんな」

「それはそうでしょうが、やはり貴族たるもの、家を保ってこそではありませんかな」


 ……いや、待て。

 俺のには「アルティメット」とついている。つまり、究極の能力、ということだ。

 ゴーファトのには何もついていない。ただの能力。異世界からわざわざ生まれ変わって、この差がある?

 なにより、痛覚無効のほうはともかく、マナ・コアのほうは、能力に気付く機会もないのではないか。身体操作魔術を学ぶ機会を得てはじめて、自分の才能に気付けるのだから。で、『世界の欠片』を得て生まれ変わる人間は、あの黒髪の男によれば、いずれかの能力に覚醒するとのことだが……身体操作魔術の素質については、自覚するチャンス自体がない。

 だいたい、異世界から持ち込んだ能力が身体操作魔術の素質だなんて、あり得るのだろうか。俺の知る限り、前世には魔法など存在していなかった。もしかしたら、本物の超能力者だっていたかもしれないが、俺がこちらの世界で見つけた魔術師や神通力の使い手の数に比べたら、明らかに少ないはず。要するに、こちらの世界にしかないであろう特殊能力を、ゴーファトが異世界から持ち込むというのは……どこか矛盾している気がする。


 何らか共通点はあるのだろうが、まだ結論を出すのは早い。

 ゴーファトが異世界人である証拠など何もないし、アビリティなる言葉が異世界由来の能力に対して用いられているという根拠も、充分な材料もない。

 とにかく……ゴーファトには、何かがある。今はわからないが、とにかく、異質な何かが。


 さて。

 どうしようか。


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 (自分自身) (9)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、8歳・アクティブ)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 商取引    5レベル

・スキル 薬調合    6レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 剣術     5レベル


 空き(1)

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 俺には身体操作魔術のスキルがある。

 とすると、ゴーファトの能力を奪えば、かなりの強化が見込めるはずだ。

 しかも、ちょうど空き枠が一つある。

 それに、こいつはイカレた極悪人でもある。容赦はいらないのだ。


 問題は……

 気付かれないか?


 恐らく、そこは大丈夫だ。

 なぜならゴーファトには、そうした情報を取得する能力がない。

 マオ・フーの持つ『識別眼』みたいなのがあったら、話も違ってきただろうが。


 よし……


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 (自分自身) (9)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力

 (ランク6)

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、8歳・アクティブ)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 商取引    5レベル

・スキル 薬調合    6レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 剣術     5レベル


 空き(0)

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 でも、得体の知れないものを取り込むのは怖い。

 もし何か不具合でもあったら、すぐさま切り捨てよう。


「甥御殿は」

「十六になりました」

「ほう、では」


 リリアーナか、ケアーナか? それとも、他の貴族の娘を予約するのか? この場では決まらない。ただ、こうやって互いに可能性を検討する。

 こうした話し合いを持つための場所、それが夜会だ。


 しかし、リリアーナに関しては、もう行き先が半分、決まっているようなものだ。

 ティンティナブラム伯の息子、確か今、二十歳になるはずだが……

 ついでだから、どんな奴か、確認しよう。伯爵は来ていないが、名代として息子がここにいるはずだ。


 俺はざっと会場内を見渡した。


 いた。


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 レジネス・フィルシー・ティンティナブラム (20)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク4、男性、20歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル 剣術     1レベル


 空き(18)

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 えっ……。

 なに、これ。

 スッカスカ。

 言語は自然に覚えるとして、剣術が1レベル、これだけ?


 俺は目を凝らす。

 かなり遠く、向かい側の壁近くに設置された立食スペースで、小皿の上の料理を食べている。


 スーツっぽいものを着ているが、普段から着慣れていないのが見え見えだ。蝶ネクタイが曲がっている。

 体格は、大きくも小さくもない。特に肥満しているのでもなく、痩せてもいない。ただ、少し毛深い。噂では病弱とのことだが、とてもそんな様子には見えない。

 ただ、雰囲気がどうも……だらしないという言葉がしっくりくる。前世でいうところの、適当にアルバイトをしているだけのFランク大学生みたいな印象だ。背筋が微妙に猫背なのもあって、周囲から浮いている。だいたい、ここは社交の場であって、食事をする所ではない。誰とも話さずにガツガツと……何を考えているのだろう?

 貴族としての威厳を感じさせる要素がどこにも見つけられない男だ。それでなくても、あの能力の低さ。明らかに努力の欠如が見て取れる。従兄弟のルースレスの優秀さが嘘みたいだ。あれがリリアーナの婚約者になる? 悪夢だ。彼女にとっては。


 どうやら、俺が余所見をしているうちに、貴族達の会話が一段落したようだ。


「ファルス」


 ナギアが俺に話しかけてくる。


「少し疲れたでしょう、風に当たってきたら?」


 彼女にしては珍しい、俺を気遣うような言葉を……って、そんなわけない。夜会が始まって三十分も経っていない。それに、言いながら、俺に目配せしている。

 これは一種の合図だ。要するに、リリアーナがトイレか何かに行きたいので、少し席を外せという意味だ。彼女は貴族の娘だし、ここは社交の場なので、この程度の言葉遣いにも気を配る必要がある。

 でも、護衛は……問題ないか。ここにはイフロースだっているし、そうでなくても、王宮の中だ。もし仮に、女子トイレ内でリリアーナが誘拐されたら? 王家の面目は丸潰れ。王室としては、どんな犠牲を払ってでも犯人を捕縛し、彼女を奪還するだろう。


「そうですね、ちょっと南のバルコニーに出てきます」


 女子トイレは北側にあるから、俺はナギアが迎えに来るまで、言われた通りに夜風に当たってくればいい。


 外に出る。周囲はほぼ真っ暗だ。ただ、遠く離れた場所に灯火があり、それが迎賓館の周囲を照らしている。森の中さながらに緑の木々が立ち並び、花壇は花に埋め尽くされている。それがポツポツと闇の中に浮かび上がって見えるのだ。

 爽やかな夜風が流れていく。中にいる間は緊張を強いられるから、こうして一息つけるのはありがたい……


「ゴホッ、ゴホッ、ガハァッ」


 ……という、俺の安らぎが、咳き込む誰かによって、霧散した。

 誰だ、いったい。

 病気はもう、こりごりだ。また何か、夢魔病みたいなヤバいのをもった奴が、俺の近くにいたりとかなんて、絶対やめて欲しい。


 うんざりしながら、物音のしたほうを見ると、一人の老紳士が身をかがめていた。髪の毛は真っ白で、顔には幾重にも皺が刻まれている。どちらかというと痩せ気味だが、まぁ、中肉中背といって差し支えないだろう。

 顔立ちを見るに、上品そうな雰囲気がある。どれどれ、こいつは誰だ?


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 クレーヴェ・ナラドン・マラティーア (54)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、54歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   5レベル

・スキル 管理     5レベル

・スキル 政治     5レベル

・スキル 薬調合    3レベル

・スキル 剣術     2レベル

・スキル 火魔術    5レベル


 空き(46)

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 文官っぽい感じだ。軍隊経験はないのだろう。だが、火魔術の使い手とは。魔術書の所有者とすると、歴史ある貴族だ。

 しかし、記憶にない。かなりの数の貴族を覚えてきたのに、思い出せないということは、彼は領地を持たない宮廷貴族で、しかも官職にもついていない。いわゆる年金貴族に違いない。


「あの、大丈夫ですか」


 一応、声をかける。本当に病気だったら、即、王宮のメイドか何かに声をかけて排除だ。


「ああ、済まないね……問題ないよ、少し持病が出ただけだからね」


 手摺りにしがみついていた彼だが、なんとか身を起こす。まっすぐ背を伸ばして立つその姿には、自然と上品さが滲み出ていた。


「君は、どこかの貴族の従者かね。黒髪の少年とは珍しい」


 さて、どう返事をしたものか。

 相手の正体がわからないうちに、こちらの身分を明かしていいものか? もしかしたら、サフィスの政敵かもしれないわけだし。

 俺が逡巡していると、背後から足音が響いてきた。ヒールのカツカツという音が聞こえるから、これは女性のものだ。


「おじさま! またご病気が……!」


 美しく長い、亜麻色の髪。純白のドレスに、これまた真っ白な手袋。どこから見ても貴族の娘といった感じの女性が、駆けつけてきた。


「いけません、やはり帰りましょう」

「いや、なに、これくらい、問題ないとも」

「でも」


 その彼女に、俺の目は、釘付けになっていた。

 二人も、その視線に気付き、こちらに振り返る。


 どちらも無言だった。

 まず、彼女が俺に気付いてじっと見る。それでクレーヴェのほうも、どうもおかしいと勘付いて、やはり俺と彼女とを見比べる。


 俺は、かすれる声を絞り出して、ようやく彼女の仮の名前を口にした。


「ウィ……ウィー……ム?」

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