子爵様御一行、王都に御到着

 遠出するのも何度目か。だが、今回ほど快適な旅行は、これまでなかった。


 馬車は滑るように路面を走る。ピュリスと王都を結ぶ街道は、エスタ=フォレスティア王国でも一番の幹線道路、いわば大動脈だ。それだけに道幅も広く、整備も行き届いている。凹みや傷もないし、小石一つ落ちていない。ついでにいうと、高低差もない。これだけ長時間、馬車の中にいるのに、まったく腰が痛くならないなんて、嘘みたいだ。

 それだけではない。だいたい一日分の距離を走ると、必ず村落がある。つまり、宿舎もあるのだ。毎日、新鮮な野菜や肉にありつける。その上、柔らかいベッドで眠れるのだ。

 ゆえに旅程も捗る。距離からすれば、ピュリスと王都は、コラプトと同じかそれ以上に遠いはずなのだが、たったの五日でもう旅の終わりが見えてきた。


「……なんか、家が増えてきた……」


 いつしか左右に広がる森林が、少しずつ農村へと切り替わり、最初はまばらだった人家が、だんだんと密集していき、農地を踏み潰して……気がつくと、丈の低い茶色の家ばかりになった。


「もうすぐ王都ってことよ。ここはもう、その一部なんだから」


 過去にも都に来たことのあるナギアが、胸を張ってそう言う。口調も態度も相変わらず、俺を見下すような雰囲気のままだ。私はあなたのような田舎者とは違うのよ、とでも言いたいのだろうか。


「ふうん」


 なんだか、東京みたいだな。大都市には違いないんだろうけど、その市域が無秩序に、ベタッと広がっている感じ。個人的には、あまり美しいとは思えない。


 一応、事前に知識は仕入れてある。

 王都・デーン=アブデモーネルは、六王国時代に旧王家の司令部が置かれた場所だ。この「司令部」というのが、今の王国にとって、泣き所だったりする。かつての旧王家が本拠とした場所はもっと西寄りで、それはいまやシモール=フォレスティア王国の首都とされているからだ。

 しかし、王家は自分達こそ、正統な旧王家の後継者であると主張している。その根拠が、彼らの手にある王冠だ。


 フォレスティア王の三つの宝。それが王冠であり、印璽であり、王笏だった。これは現在、三つの国にそれぞれ所有されている。

 まず、武威を象徴する王笏は、マルカーズ連合国にある。この貴族共和制国家には、国王がいない。最高権力者は、西方司令官だ。建前だけだが、フォレスティア王国の西方司令部という立場を保っているのだ。

 文治の象徴たる印璽は、シモール=フォレスティア王国に残された。しかし、王者の権威そのものを象徴する王冠はというと、ここ、エスタ=フォレスティア王国にあるわけだ。だから、シモール側からは、しばしば王冠の「返却」を求める使者がやってくる。そのたびに両国間の関係は悪化する。


 で、話を戻すと。

 フォレスティア王国の東部を統治する拠点として建造されたデーン=アブデモーネル要塞は、最初、平原の中に聳える、ただの岩盤だった。ただ巨大な岩が、ニョッキリと転がっていただけの場所に、掘っ立て小屋を建てた。なにせ、当時はろくに水源すらなかったのだ。海沿いの地域と違って、人もあまり住んでいなかった。

 しかし、場所がよかった。後のフォンケーノ侯爵領やピュリス、スーディアには、既にまとまった集落があり、それらすべてに程よく近い地点にあったのだ。ゆえに旧王家はここを中継地と位置付け、少しずつ開発を進めた。

 ギシアン・チーレムによる世界統一後の三百年間、フォレスティアも平和だった。この間、物流が盛んになった。ピュリスやスーディアからの品物を、素早く内陸に送り込むため、この東方司令部は拡張され、それにあわせて多くの住民が移り住んだ。

 その後、諸国戦争が勃発し、いったん首都が陥落して、王家の人々があちこちに避難した。その中で、特に東部で勢力を伸ばしたのが、今のエスタ=フォレスティア王国の始祖達だった。その頃には、この地は巨大な都市へと発展しており、まさに王都と呼ぶに相応しい威容を誇っていた。


 だが、どんなに立派であろうとも、ここはもともと東方司令部だ。かつての首都ではない。デーン=アブデモーネル、という名称は、その名残を感じさせる。だから、好ましくない。現在、この国の人々は、単にこの場所を「王都」とだけ呼ぶ。


「なによ、楽しみじゃないの?」

「興味がないわけじゃないけど、まぁ。ただの都会でしょ?」


 俺があまり興奮していないのが、不満らしい。


「ただのって。王都なのよ? ただの街なら、他にもあちこちあるけど、王都はここだけ。それに今回はパレードだって見られるんだから」


 派手好きナギアにとっては、そういうイベントも楽しみに思われるのかもしれない。でも、俺はそれをまったく違った文脈で受け止めている。


「暇なんだね、軍隊って」

「ひねくれてるのね、ファルスって」


 パレードのことなら、知っている。

 まず、国王直属の近衛兵団の五軍団が勢揃いして、王都の目抜き通りを行進する。更に他の兵団からも、それぞれ一軍団ずつが王都に派遣され、パレードに華を添える。

 しかし、そんな暇があるのだろうか。そもそも王都に一軍団ずつ駐留しているという疾風兵団、岳峰兵団はまだいいとして、常に国内の治安維持のために働き続ける聖林兵団や、ルアール=スーディアから引っこ抜かれて、船もなしにただ歩かされる海竜兵団の兵士達からすれば、たまったものじゃないだろう。

 実際問題、この国の軍隊で、特によく働いているのは、この二兵団なのだ。海では海賊を、陸では盗賊どもを討伐し、治安を守る。お祭りなんかのために駆り出されている余裕など、ないはずだ。

 対するに近衛兵団はというと、常に王都に駐留している。最も地位が高く、また最強の兵団であるともされているが、実際はどんなものか。小隊の指揮官の椅子には、帝都の学園を卒業したばかりの俄か騎士、つまり有力者の次男坊がしがみついているし、その部下の兵士達もやはり騎士の息子など、いわゆるエリート層で成り立っている。そしてここ二十年、戦争らしい戦争もなく、かといって盗賊や魔物の討伐をするでもなく。よって実戦経験がない。

 しかし、花の都の女の子達の黄色い声援は、やっぱり近衛兵団に浴びせられるのだろう。まだ花形とされる海竜兵団はいいが、とにかく地味とされる聖林兵団の兵士達にとっては、いい面の皮だ。一番苦労が多い仕事をしているのに、自分達の行列になると歓声が止むなんて。なんだか想像しただけで気の毒になってくる。


「そんなことないよー、楽しみだなー、近衛兵団とか、かっこいいんだろーなー」

「全然、そんな風に見えないけど」


 そりゃ、わざと棒読みしてるしな。


 なお、この馬車だが、荷台に乗っているのは、俺とナギアだけだ。あとは後ろに荷物が積んであるだけ。ここにリリアーナがいない? それは当然だ。彼女は父母と一緒に、前を走っている。そのすぐ後ろには、乳母のランと、子爵令息のウィム。俺達の馬車は、割と後ろのほうだったりする。子供達は荷物の番でもしておれ、というわけだ。なので、大変に気詰まりする時間を過ごしている。

 それにしても、この配置。イフロースの差し金か? 近くに座らせたって、恋愛には発展しないぞ。まず間違いない。


「ナギアのお目当ては、近衛兵団の騎士じゃないの?」

「ふふん、違うわよ。やっぱり見るなら海竜兵団じゃない。決まってるでしょ?」


 あー、そうか。

 鍛え上げられた海兵達。五つの兵団の中では二番人気だが、こちらは近衛兵団と違い、お飾りではない。

 けど、ナギアの思うところはまた、別にあるのだろう。


「とかいって、どうせ最後には『お父様にはかなわないけど』とかなんとか言うつもりなんだろうに」

「あら? フェイにしてはわかってるじゃない」


 この野郎、今、わざとフェイって呼びやがったな。

 ま、いいけど。


「っと、そろそろね」


 荷台の横の窓から、ナギアが外を覗き見る。


「あれが最初の門よ」


 言われて、俺も顔を出す。目に入ったのは、粗悪な造りの城壁と、ぼろっちい城門だ。大きさの揃わない石をただ積み上げて作った、そんな感じだ。それも、それこそインカ帝国の遺跡みたいにビッチリと隙間を潰してあればともかく、そんな精密さなどまったくない。

 もっとも、それは予期していた。


「これが『流民の城壁』か……」

「そ。ま、こんなもんよね、ここは」


 王都は、幾重もの城壁によって囲まれている。一番外側のこれは、流民の城壁と呼ばれている。その名の通り、かつての流民が自発的に作った城壁だ。ろくに材料にも恵まれず、予算もなく、技術もあまりない。それでも、彼らは石を積み上げた。


 エスタ=フォレスティア王国のライバルは、まずピュリスだった。長い間、南方からの脅威に苦しめられてきたのだ。一応、東側の広大な森林を挟んだ向こう、ティンティナブリアは割と早い段階で王家の勢力圏に収まったものの、それは事実上、飛び地だった。いや、ここ王都こそが、むしろ飛び地だったと言っていい。

 当初、東方司令部の直轄地は、そこまで広くはなかったのだ。まず、すぐ南までピュリス王国が肉薄していた。南西方向のスーディアにおいては、自国寄りの勢力とピュリス王国側の豪族、それにシモール側につく連中とが、入り混じって争っていた。北側を押さえるフォンケーノ侯とは、早い段階から同盟関係にあったが、王家の力が不十分だったのもあって、まだ信頼できる臣下とは言えなかった。

 それでも、王家はこの地を放棄するわけにはいかなかった。戦略上の利点もさりながら、なんといってもここは、かつての王家の司令部のあった場所だ。それを捨てて落ち延びてしまっては、さすがに王位の正統性を保つのが難しくなる。

 だから、王家とその同盟戦力がティンティナブリアからエキセー地方へと南下して、支配地を徐々に広げながらも、一方で王都周辺は、常に最前線だったのだ。ピュリス王国が滅んだ後も、今度はスーディア近辺の争乱が、王都の安定を脅かし続けた。


 そういう状況だったのだ。王国が建造した城壁は、小さすぎた。王都に流入する無数の人々は、外に取り残された。だが、戦争となれば、真っ先に犠牲となるのは、彼ら自身。だから、自分達で壁を建てた。


「そろそろ次の壁よ」


 一番外側の城壁を越えただけで、中に並ぶ家の見栄えが変わった。茶色の角砂糖に、茶色の瓦屋根がつくようになった。家々は、まるで満員電車の中の人々みたいに、びっしりと肩を寄せ合っている。


 それらの家々の前を駆け抜けると、また大きな壁が眼前に迫ってくる。


「今度のはどう?」

「これが『市民の城壁』? かなり違うね?」

「でしょ!」


 今度の城壁は、使用されている石のサイズも均一で、高さも一回り上。これなら実戦でも役立ちそうだ。

 流民ではなく、市民が自発的に建造した壁。それなりの予算をかけ、ちゃんとした大工達に監督してもらって造ったらしい。

 だが、よく言えば「まとも」なこの壁も、悪く言えば「どこにでもある」ものでしかない。歴史上、この壁は何度も突破されている。最初はピュリス軍、続いてシモール=フォレスティア軍が、王都に踏み込んできた時だ。もっとも、そんな激戦が繰り広げられたのも、今は昔。ここ百年、王都は平穏そのものだ。


 少し長いトンネルを抜けると、また世界が違っていた。


「わぁ」

「都らしくなってきたでしょ!」


 確かに。

 立ち並ぶ家々の装いは、もうピュリスのそれと遜色ない。むしろ、白一色しかないあの街と違って、ここの家々には、それぞれに違った趣きが感じられる。露出した木材、白い土壁に黄土色の壁。石組みの基礎。焦げ茶色の木材でできたベランダ。そこに飾られた花。何より、色とりどりの瓦屋根。

 遠くに、更に高く聳え立つ城壁が見える。


「すごいでしょ、あの壁、あの高台のところが、『兵士の城壁』なのよ」

「へぇ」


 少し心を動かされて、俺も仰ぎ見る。

 巨大な岩の上に更に城壁を組む。そのためにかかった労力は、どれほどだろう。岩と言っても、普通の街がすっぽり収まるほどのサイズだ。その周囲をびっしり埋めるように、隙間なく城壁を組み上げているのだ。

 ここまでの城壁には段差がなかったが、ここから先は違う。馬車のまま、乗り入れられるのは、この南側の門だけだ。あとは巨大な岩の脇に、階段が備え付けてある。先の二つの城壁なら、そこらの都市と大差ないだろうが、この先に攻め込むとなれば、ただでは済むまい。

 兵士の城壁の南門は、今は開け放たれている。ここから見てもわかるが、中は割と急な坂になっている。思うに、ここだけ岩の一部を削って拵えたのだろう。


 ふと、昨年末にティンティナブラム城で見聞きした、戦争準備について思い出す。あの雑兵どもがここに……どうだろう? 練度も士気も低い農民出身の男達だ。しかも、城攻めの技術や経験もないだろう。あの程度の連中が、並みの城壁ならともかく、こんな重厚な壁を乗り越えてくるなんて、ちょっと現実的とは思えない。


 馬が城門をくぐり抜け、最初の坂道を登りきったところで、周囲の風景に目を向ける。


「うわ」


 豊かさを感じさせながらも庶民的な落ち着きのあった市街地と異なり、ここはもう別世界だった。整然と区画整理された土地の中に、きれいすぎる建物が並ぶ。広いとはいえないながらも庭もあったりして、きれいに刈り揃えられた芝が青々としている。

 きれいに区画が切り分けられているのは、ここがもともと、兵舎のあった場所だからだ。今では富裕層の居住地だが、昔は防衛施設の一部だった。


「騎士階級の人とか、大商人が暮らす地区ね」

「すごい、ね」

「いいでしょ?」


 派手好きナギアは、こういう場所を素晴らしいと感じるらしい。だが、俺の好みはちょっと違う。


「いやぁ……僕はどっちかっていうと、さっきの市民の壁の中のほうが、落ち着くかなって」


 素直に感想を述べると、彼女はキョトンとして、不思議そうな目で俺を見る。


「ファルスって」

「うん」

「貧乏が好きなの?」


 どうしてそうなる。


「そうでもないけど」

「でももう、次よ。あれが『貴族の城壁』だから」


 一際高く分厚い城壁。日光を浴びない冷え冷えとした通路に、馬蹄の響きが満ちる。


 通り抜けると、そこはもう、市街地とすら呼べなかった。無数の建物が密集している。くっつきすぎて、あちこちで連絡通路みたいなのができている。庭も、足元というより、むしろ屋上にあるようだ。そして、どこを見ても過剰な装飾に覆われている。もはや建造物というより、街全体が一種の美術作品だ。

 こここそ、エスタ=フォレスティア王国の、最奥部といっていいだろう。貴族の城壁を突破した外敵は、記録に存在しない。実際にはそういったこともあったかもしれないが、今となっては知りようがない。

 ただ、ではこの壁が戦いを経験していないかというと、そうでもない。一見、華やかなこの場所が、血に塗れたこともある。内乱だ。かの王太后ミーダを捕らえるために、王子の一人がクーデターを起こした時にも、相当な被害が出たらしい。


「なに、これ」

「驚いたでしょ? ここが貴族と、その従者が生活する領域。今回はさっと入れたけど、普通、外から入ってくる時は、身元を調べられるんだから」


 思わずキョロキョロしてしまう。そういうところが田舎者丸出しっぽく見えるのだろう。ナギアは得意げな顔をする。


「ここは、基本的に貴族しか住めないのよ? それも、王家から部屋とか建物を支給してもらえなかったら、場所がないの」

「そうなんだ……じゃあ、僕らは?」

「王子様のお気に入りのご主人様が、家くらい持ってないはずがないでしょ? ほら、あそこ!」


 一番内側の『王宮の城壁』にほど近い一角。そこで一行は馬車を止めた。

 既にイフロース達は路面に降り立ち、この一時的な転居のための引越し作業を始めていた。


「またここで暮らせるわ!」


 そう言いながら、ナギアは嬉しそうに馬車から飛び降りた。


 俺は、聳える邸宅の数々を、ぼんやりと見上げた。

 ここで一ヶ月、か。

 あまりにゴテゴテしていて落ち着かない。


 何事もなく、のんびりできるといいのだが……

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