第十二章 花咲く王都にて

変化の春

「下がりながら、上下に! 鋭さが足りん! もう一度だ!」


 総督官邸の北東部、秘書課の建物の裏手で、俺は怒鳴られながら剣を振る。狭い裏庭には木々が密生しており、通りかかる人もいない。

 今日もまたイフロースから、実戦の技を一つ、教えてもらっているのだ。


「よし、いったんやめ」


 腰からか細い剣を引き抜きながら、彼は説明した。


「今、練習させているこの技は、場合によってはお前の生命線になる」


 その切っ先を、まっすぐ俺の胸に向けながら、真正面に立つ。彼の剣が俺の胸にやっと届く距離。当然ながら、まだ子供の体格なので、こちらの剣は、彼に届かない。


「これが、実戦における今のお前の間合いだ。技量だなんだといっても、結局、力が強く、体が大きいものは、基本的に常に有利だ」

「はい」

「お前は子供だから、特に大人と戦う状況で、この技が生きるだろう。だが、成長してからも使う局面はある。普通に人間同士でも、間合い次第では有効だし、それから、人間より大きな体格をもつ……いわゆる巨人型の魔物を相手取る場面もあり得る」

「はい」

「懐に入り込めばいいというが、それが難しい。相手に先手を取らせることになるからな。その最初の一手で、お前の首が飛んでもおかしくない。そこで、この技だ」


 俺も、手にした剣をまっすぐ伸ばす。その剣はイフロースの胸には届かない。しかし、手首であれば。


「相手が攻めようとしたところ、その出鼻をくじくように、まず武器を持つ手を狙う。だが……」


 ジロリと俺の顔を見て、厳しい視線を向けてくる。

 どうも不満があるらしい。


「剣を持たせるといつも思うのだが……お前は、頭がいいのか悪いのか、わからんな」

「と、言いますと」

「考えろ、というと、論理的で明快な答えを返す。思いもよらない発想をすることもある。だが、こういうのは得意ではないらしい」


 切っ先を俺の胸から離すと、彼は剣をもてあそぶようにして、自在に空を切り裂いた。


「斬り上げから斬り下げ、斬り下げから斬り上げ。どちらでも繰り出せるようにしなければならん。それは前回教えた通り、できるようになっている」

「はい」

「なぜそういう練習が必要なのだ? 答えてみろ」

「相手が上から斬りつけてくるか、下から斬り上げてくるか、わからないからです」

「間違いではないが、それでは足りない」


 ヒュッ、と鋭く横薙ぎにして、直後、彼は剣を鞘に納めた。


「そもそも相手に合わせようという後手にまわった発想が駄目なのだ。いいか、普通、勝負は一撃で決まる。お互いが人間なら、だがな。二手も必要ないのだ、本来は」

「はい」

「同じところに二度も剣を振るなど、無駄もいいところだ。では、何のためにそれをする? 戦いの中で、相手が手を置く位置は常に変わる。相手自体も変わり得るし、そうなれば当然、体格も、用いる技術も変わる。戦う場所や状況だってそうだ。だから、同じ技でも、使い方は千変万化する……その変化に対応する手段としての二手目、なのだ」


 剣を持たない手を、彼は俺に向かってかざす。


「私がこう、斬り下げてくる。お前は、これを撥ね上げて、直後に手首を狙う。しかし、それは対応策の一つでしかない。逆に、私がこう……斬り上げようとしたらどうする? その場合でも、あえて斬り上げから繰り出す、という手だってある。この時、狙うのは目だ。わかるな?」


 少し考えて、俺も答えに行き着く。


「目……意識を散らせば」

「そうだ。今度こそ、狙った手首に行き着ける。或いはここで動きを切り替えて、直接致命傷を与えてもいい。だが、それをいちいち考えていては駄目だ。戦いは常にうつろう。ゆらゆらと揺れる炎のように、落ち着きがない。上か? 下か? むしろ横か? あらゆる変化を常に想定する。よく想定して、同じ練習なのに、いつも違ったことをする。これが必要なのだ」


 確かに、その通りだと思う。

 例えば、料理だってそうだ。その日の天候、食材のよしあし、そして客の年齢性別や嗜好で、味付けを変えるべきだ。ならば剣術でも、同じと言えないか? だが、なかなかそれがうまくできない。


「練習とは、単に体を動かすことではない。大事なのは頭だ。そのような無限の変化を事前に体験し、慣れ、いざという時、無意識にその場の正解を選び取れるようにする。そのためなのだ」

「はい」

「まあ、こういうのは、性格的なものもあるからな……向かないのは、どこまでいっても向かない。そういうものではあるが」

「そんな、救いがないですね?」


 すると、イフロースは呆れたように手を広げてみせる。


「お前が言うか? かなりの例外だぞ? 普通、剣を手にしたがる人間には、二通りしかいない。強い奴と、弱い奴だ。だが、本当に強くなるのは、えてして前者だ。なぜかはもう、わかるな?」


 俺は黙って頷く。

 今、彼が説明した通り。イメージの質と量が違うからだ。


 強者は、常に勝利を欲している。その快感を知っているからだ。ゆえに彼の眼前には、いつも陽炎のように、いまだ見ぬ強敵の姿が揺らめいている。そして、それこそ新たな料理の味付けを試すが如くに、練習の中で何度も何度もそのイメージ相手に新しい局面を味わい、戦い方を編み出していく。

 弱者は、逆だ。彼の心に焼き付いているのは、敗北であり、失敗だ。あの時、こうしておけば。これさえあれば。その一念で剣を振る。その背景にあるのは恐怖だ。ゆえにその技は固く強張った、柔軟性のない代物になる。なるほど、それでもただただ一途に剣を振り続ければ、一撃必殺に至れる可能性もある。だがそれは明らかに、細く狭い道なのだ。


「正直、お前の剣が妙に鋭いのには、不気味さしか感じないな。まぁ、例外はいるものだが……お前にせよ、それと、お前と同居しているアイビィにせよ」

「アイビィも……ですか?」

「そうだな。昨年の夏に、戦うところをほんの少しだけ見たが……あれは強者の剣ではない。優秀とは思うが、真似ていい太刀筋ではないぞ」


 例の、クローマーの襲撃の時、か。思えば、アイビィが戦うのを直接目にしたのは、俺もあれが初めてだった。

 容赦のない一撃。最初から全力の攻撃を浴びせていた。迷わず急所に短剣を投げつけて、即座に命を刈り取る。

 あれが弱いとは思えない。現にイフロースも「優秀」とは言っている。しかし……


 同じくらいの力量でいうと、例えば、リリアーナを誘拐したトゥダとかいう男。彼と比べてみると、確かに全然違う気がする。あれは変化に富んだ自在な動きだった。一方のアイビィのは、よく言えば無駄がない、悪く言えば余裕もない。そんな技術だった気がする。

 敵を最初の一撃で葬るやり方は、もっとも合理的だ。敵が生存している時間を一秒でも減らすこと。それは自身の安全に直結する。だが、裏を返せば、そうでもしなければ自分がやられるのだという弱さ、脆さを自覚しているということだ。


 それにしても。

 イフロースが駆けつけてきたのって、確か一番最後だったような。クローマーに一太刀浴びせて、睨み合いになったところで、みんなが来たわけだから……本当にちょっとしか見てないはずなのに、よくわかるものだ。


「剣のありようは、一朝一夕には身につかぬ。日々、意識して過ごすことだな」

「はい」

「今日はここまでとしよう」

「ありがとうございました」


 裏庭から歩き出しながら、雑談が始まる。


「ときに、準備は進んでおるか」

「はい」


 今の状況を思い出して、気分が少し落ち込んでくる。やることが多すぎたのもあって、今回、ついに作り置きの作業を一部、諦めたのだ。仕入れただけの薬を売る。利幅も落ちるし、品質も少し下がる。本当はやりたくなかった。


「お前もそろそろ、貴族の家の召使として、恥ずかしくない立ち居振る舞いを習得すべきだからな」

「う……はい」


 イフロースは、にやにやしながらそう言う。


 年が明け、俺の名前が正式にファルス・リンガに書き換えられてまもなく。週に何度も総督官邸に顔を出さねばならなくなった。理由はいくつもある。

 まず、礼儀作法のレッスンだ。今までは、薬屋の店長としての仕事があるからと見逃されてきたのだが、もはやそうもいかなくなった。今回、俺はリリアーナの傍仕えとして、王都に向かう。彼女の近くに立つ以上、子爵と政治的に親しい貴族、及びその子女との付き合いも出てくる。中でも重要なのは、次期国王たるタンディラール王子と、その一家だ。

 そうなると、今度は貴族についての予備知識も必要になる。どこにどんな貴族がいて、どういう関係か、これを覚えておかないと、恥をかいたり、迷惑をかけたりする可能性がある。本来なら、接遇担当の仕事をしながら、数年間かけて習得するべきものだが、今回はとにかく無理やり頭に詰め込んでいる。

 それにまた、イフロースもこうして頻繁に「ご褒美」をくれるようになった。一流の剣士の指導をタダで受けられるのだから、この点については恵まれている。ただ、まだ魔法を教えてもらってはいない。一度、言葉を濁しながら催促してみたのだが、「まだ早い」の一言で却下された。

 かてて加えて……


「最近、お前が顔を出すようになったおかげで、目に見えてお嬢様の様子が変わってきた。今日も頼むぞ?」

「はい」


 リリアーナの学友。これが目下のところ、イフロースにとっての、俺の最重要任務らしい。店は赤字になってもいいから、とにかくお嬢様の力となれ、というわけだ。


 にしても。

 さっきから、俺は「はい」としか言っていない。いつの間にか、かなり飼い慣らされていないか?


「あー、ファールースー」


 椅子の上から身を乗り出すようにして、リリアーナが手招きしてくる。


「揃いましたね……では、席に着きなさい。今日は地理の勉強です」


 眼鏡にお団子ヘアの、キツそうな女教師が待っている。その前に並べられているのは、三つの机と椅子。開け放たれた窓、そのカーテンを時折、春風が揺らす。その隙間から、陽光が差し込む。

 もうすぐ翡翠の月。このところ、随分と温かくなってきた。湿った空気に、草木の匂いが混じる。それだけで、俺の心の中にまで、瑞々しさが沁みこんでくる気がする。


「早速、前回の宿題です……ナギアさん。我が国の王領は、全土の何割を占めていますか」

「およそ三割強、です」

「そうですね。ただ、王都を中心とした王家の直轄領とは別に、直接王家が統治している地域があります。ではリリアーナ様」

「は、はいっ」


 指名されて、彼女は体を固くした。

 端に座っているナギアの隣、真ん中にいるんだから、次は自分だとわかるだろうに。


「我が国の南東端を占める王領を、なんといいますか」

「トーキア特別統治領……? です」

「その通りです」


 俺にとっては忘れられない地名だ。ミルークの収容所があったエキセー地方の更に東。数年前、ネッキャメル氏族が、ウォー・トック男爵に対する報復攻撃を行った場所だからだ。タマリアやデーテルの出身地も、あそこだった。


「では……ファルス君」

「はい」

「我が国の南西端を占める王領を、なんといいますか」

「ルアール=スーディアです」

「正解ですね」


 こちらはこちらで、嫌でも覚えてしまう。


 スーディアは、エスタ=フォレスティア王国の南西部に位置する広大な盆地だ。ちょうどアルディニア王国との国境にティンティナブラム伯爵領が置かれているように、西への備えとして、スード伯爵領が配置されているのだ。

 だが、どちらも王国全体の一割近くを占める大貴族だ。敵国への備えであるとはいえ、彼ら自身、王国にとって脅威となり得る。そこで、それぞれに王家側からの手綱を結わえてある。それがヌガ村の要塞であり、また、ルアール=スーディアの軍港なのだ。

 特にルアール=スーディアには、大規模な基地が構築されている。海を越えたサハリア諸国への睨みを利かせる必要もあるためだ。王国防衛の最重要拠点といって間違いない。

 ゆえに、同じく国家防衛の要であるスーディアにも、どうしても武力偏重の気風が生まれてしまう。歴代領主は何れも武人として名高い。だが、この地域はフォレスティアでも、もっとも野蛮な文化に染まっている。暴力が安易に肯定される場所なのだ。エディマも、ここで兵士達に暴行された末に、今の身分になった。


 そして、このスード伯爵領の、現在の統治者。

 ゴーファト・スザーミィ・スード。

 ヨコーナーの元で働くデーテルに目をつけ、快楽のために殺した張本人だ。


「では、リリアーナ様」

「ひぐっ!」


 俺の次はまたナギア。そう思って油断していたらしい。


「トーキアとピュリスの間に横たわる地域を、なんといいますか」

「あっ……えっ……」


 はて。

 ウィストよりもノーラよりも、俺自身よりも物覚えのいいリリアーナが、こんな簡単な質問にも答えられないとは。

 理由はもちろん、一つしかない。


 眼鏡の女教師の視線が、鋭くなる。


「リリアーナ様?」

「あう」

「ちゃんと何ページから何ページまで、見ておくようにと申し上げましたよね?」

「ごめんなさぁい」


 なんともはや。

 才能に恵まれた人間には、得てしてあること。ウィストもそうだったが、サボり癖というものが出てきたのだ。


 まぁ、リリアーナにとっては、今、頑張らなければいけない理由など、あまりないのだろう。父親がアレだから、この先の人生はせいぜい、よくても帝都の学校に通わせてもらって、その後は適当な貴族と結婚させられて。その学校にしたって、何かを目指すような場所ではない。おおよそ、貴族の子女であれば、居眠りしかしていなくても卒業できてしまうらしい。

 先の人生が決まりきっているのに、これで目標を持てというのが難しい。殊に聡明な彼女のこと、未来がよくわかっているだけに。


 その状況に、イフロースは危機感を抱いている。彼が望んでいるのは、子爵家の成功ではなく、エンバイオ家の幸福なのだ。

 そうはいっても、リリアーナはまだ七歳。大望を胸に奮起せよ、などといっても始まるまい。であれば、目の前にエサを用意して、少しでも向上心を抱けるようにお膳立てするしかない。

 彼の作戦は、半ば成功した。なんと、俺が顔を出すようになるまでは、授業すら受けずに、部屋に閉じこもったりもしていたそうだ。それが今、ちゃんと出席するようになったのだから、これはこれで進歩したといえる。

 しかし、俺の見立てでは、半分は失敗だ。彼女はどんどん刹那的になってきている。親しい人といられるうちは、楽しそうにはしゃぎもするし、大人の指示も守る。でも、先のことなんて考えていない。むしろ、今のうちに楽しみを貪れるだけ貪っておこう、といった感じがする。多分、彼女の頭の中には、この後の楽しい予定しかない。午前中の授業の後には、俺とナギアを横に並べて、大人の監視抜きで昼食をとれることになっている。


 もともとは頭のいい子なのに。もったいない。何か目標でもあればいいのに。

 そのためには、夢や希望が必要だ。結局、それが断ち切られているのが、問題の根本なのだ。

 つくづくサフィスのクソ野郎に腹が立つ。


 昼食の後、俺は屋敷内の小部屋で着替えを済ませ、そのままいつもの酒場へと向かう。

 働きすぎは控えようと思うのだが、休みを取れば取っただけ、そこにそっくりそのまま別の仕事が入ってくる。不思議だ。

 もっとも、それで去年の冬には潰れてしまったわけで。酒場の手伝いも、今日は夕方まで。仕込みだけだ。


「遅くなりました」

「おう」


 店長が短く応える。

 何を作るかは事前に伝えてもらっているので、そのまま作業を始めるだけだ。

 というわけで、厨房に入ろうとしたところ、後ろでドアが開いた。


「マジかよ」


 先頭に立つドロルがそうぼやきながら、踏み込んでくる。まだ外は明るい。こんな時間にどうしたというのだろう?


「ごめん、本当に……用事ができちゃってさ」

「昨日の今日でか? まぁ、いいけどよ」


 どうしよう? 接客か、調理か。

 駄目だ。こういうところが、俺の弱い部分だ。武術を嗜む以上、即断即決ができなくては。


「どうなさったんですか?」

「おう、ファルス」


 ガッシュが腕組みしながら、溜息をついた。


「ウィムがな……」

「ごめん、もうちょっと後のつもりだったんだ」

「何がです?」


 周囲の視線を浴びながら、ウィーは俺に説明する。


「実は、その、少しだけピュリスを離れる予定なんだ」

「へぇぇ……それじゃ、どこに行かれるんですか?」

「う、えっと、まぁ、その。里帰り……みたいなもの、かな?」


 となると、行き先は実家、か。

 でも、ウィーの故郷って、どこなんだろう?

 ワーリア、なんて地名は、今日の授業でも出てこなかった。多分、こちらじゃなくて西側、シモール=フォレスティア王国のどこかだ。


「でも、急ですね?」

「予定はあったんだよ。でも、ちょっとだけ時期がずれちゃったんだよね」


 申し訳なさげに、ややこしい苦笑いを浮かべて、彼女はそう言い訳をする。

 ドロルが未練がましく吐き捨てる。


「せっかく遠征にでも出ようかと思ったのによ」

「遠征、ですか?」

「おう。ムスタムのほうで、デカいのが出たっていうんでな。急げば俺達が退治できるかもしれねぇし、外での実績だから、ジェードに昇格するチャンスなんだ」


 モンスター退治、か。しかし、海を越えていかねばならないほどの案件とは。


「なんか、危険そうですね?」

「そりゃあな。リザードマンどものうろつく領域の近くに、バカでっかいデザートクロウラーが出たっつう話でな。街道に出て、隊商を襲うらしいんだ」


 なんか、聞いただけでヤバそうだ。

 デザートクロウラーということは、巨大なイモムシだ。但し、肉食性で、人間はおろか、馬でも一呑みにする。人間相手の戦闘技術だけでは、対処できない相手だ。

 しかもその近くに、リザードマンの群れまでいるという。要するにトカゲ人間なのだが、彼らは固い表皮と優れた技巧を兼ね備えた生粋の戦士だ。基本的に、彼らの領域に踏み込まなければ、争いになることは少ないらしいが、もし敵対したら、大変なことになる。


「そんなの、どうやって倒すんですか。地元の警備兵だっているでしょうに」

「ムスタムから結構離れてんだよ。けど、被害が続出してるっつうし」


 そこでハリが説明してくれた。


「近付いて倒すなんて無理ですからね……毒矢と罠でしとめるつもりだったんですよ」


 そうだろう。俺でもそうする。

 アネロスとかキースみたいな化け物がいるなら話は別だが、でなければ力押しでは挑めない。


「それが肝心のウィムが、急に抜けるというから……」

「ごめん。本当に悪いと思ってるんだけど、その……」


 横に立つユミも、目を伏せる。今回の戦いでは、弓術の技量こそがものをいう。ユミもそれなりの腕前ではあるが、一人では心許ない。デザートクロウラーの分厚い表皮をぶちぬき、確実に毒殺するには、ウィーの鉄弓が必要だ。


「まぁ、しょうがねぇだろう。チャンスはこんだけじゃねぇんだし。な?」


 ガッシュが割って入る。作った表情だが、満面の笑顔だ。


「でもよぉ」

「わーかるわかる! わかってるよ! でも、冷静になれよ? 俺達、ずーっとウィムに頼ってきたんだぜ? アメジストに昇格した時だって、そうだったろが」


 そう言いながら、ドロルの背中をバシバシ叩いた。


「まぁ、なぁ」

「身の丈、越えてんだよ。文句あんなら、もっと腕を上げりゃあいいんだ。一人抜けたくらいで難しいって思うなら、まだ早ぇんだよ」


 仮にもこのパーティーのリーダーなだけある。いざとなれば、不平不満も引き受ける。大きいのは体だけじゃない、ということか。


「つーことで、今、俺が決めた。ウィム、さっさと行ってこい。次の馬車で出発すんだろ? 時間ねぇぞ」

「ご、ごめん」

「気にすることじゃねぇよ」


 彼女は仲間達に向き直り、深々と頭を下げた。


「ありがとう」


 やれやれ、しょうがない、といった顔で、ドロルも手をあげた。


「早く戻ってこいよ? お前は俺達の飯のタネなんだからな。帰ってきたら、倍働いてくれ」


 なんだかんだいって、本当に険悪になったりはしない。そういうところが、見ていて気持ちいい。最初はそうでもなかったが、彼らがパーティーを組むようになって早一年半、ここまで確かな信頼関係を育んできたのだろう。


「そっか。じゃあ、しばらくお別れなんですね」

「すぐ戻るよ。ピュリスには……まだ、いなくちゃいけないから」


 それならいいか。

 なに、ウィーの腕なら、また別の機会、昇格のチャンスを掴むこともできるだろう。それに、聞いた限りでも、ちょっと今回の依頼は、受けないほうがよさそうな感じがするし。


「じゃあ、そろそろ……」


 手荷物をまとめて、出て行こうとしたところで、店長が奥から出てきた。


「その前に、一杯やっていけ」


 ガッシュ達にはエール、ウィーにはいつも通りミルク。

 意図を察して、彼らはすぐさまジョッキにコップを手に取った。


「よっしゃ!」

「行ってこい!」


 ジョッキをぶつけあってから、その一杯を飲み干す。


「じゃあ、行ってきます!」

「おう!」


 それだけで、ウィーは身を翻して、店の外へと出て行った。

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