一ヶ月ぶりの我が家
重厚な白壁が視界を流れて行き、景色が切り替わる。そこは割と見慣れた円形の広場だった。
ピュリス市の北の玄関口だ。普段はあまりここまで足を運ばないが、街を出入りする時にはいつも目にする。この感覚、なんといえばいいか。海外旅行によく出かける人にとっての成田空港のようなものだといえば、通じるだろうか。
ただ、久しぶりの我が家が近いというのに、相変わらず俺は、暗い気分を引きずっていた。また、俺は「なかったこと」にするのだろうか。さしあたっては、それで問題ないだろう。でも、それをずっとずっと続けるのだろうか。では、どう生きればいいのだろう?
こんな風に気分が沈みがちなのも、きっと疲れがたまっているせいだ。どうにもここ数日、体が重い。思考もまとまらない。ダメだ、シャキッとしなくては。
さて、こうして帰ってきたはいいが、問題は山積している。まず、店がどうなったか、確認しなければならない。それと、イフロースへの報告も。しかし、なんといっても厄介なのは、こいつ、ジョイスの取り扱いだ。
心が読める、そして物を透視できる、というのは、かなり危険な能力だ。特に、こういう都市では。こいつのいるところにプライバシーなんてものはない。一方、ジョイスはジョイスで、迷惑しているのだ。別にその気がなくても、人が強く思っていることなら、いやでも聞こえてきてしまうのだから。
しかし、ここにサディスがいる以上、連れてこないわけにはいかなかった。それに、いつまでもシュガ村でサルの真似事をさせておくのも、本人のためにならなかっただろう。手にしてしまった神通力と折り合いをつけて、なんとか人の中で生きていけるよう、努力しなければならない。
とはいえ、具体的にはどうすればいいのか……
「あー……えっと、フェイ君?」
「あ、はい」
「これ、右? 左?」
「えっと、左です。で、すぐそこの路地に入ったところ」
例の三叉路まで着いてしまった。横から突っ込んでくるのがいないことを確認して、イーパは三叉路に面した路地へと、馬車を滑り込ませる。
「ここです! 着きました!」
「よしっ!」
この路地、人が歩くには充分な広さでも、馬車がすれ違えるほどの幅はない。あまり長時間は停めておくべきではないだろう。だが、ここまで運んでもらったのだ。
「お疲れ様でした。ありがとうございます」
「いやいや、こっちも仕事だからね」
「せっかくですから、少しあがっていってください」
俺がイーパに、そう勧めているうちに、家の玄関がバタンと開く。
「フェイ君! 私のフェイ君! おかえりなさぁいぃぃ!」
ドタドタと走り寄ってきたアイビィが、まだ御者席に座っている俺に、全身でタックルを浴びせてきた。
「う、うぇっ!? あ、アイビィ、お、落ち着いて」
「一ヶ月も留守にするなんて、ひどいよぉ、ひどいよぉ」
「わ、わかったから! 落ち着いて! ちょ、ちょっと、いろいろ片付けないといけないことが」
もがきながら宥めすかす俺を、イーパは呆然と見つめている。ジョイスもだ。
「あ、あの……」
イーパがおずおずと尋ねる。
「だ、誰?」
「えっ? アイビィですよ……ほら、離して。こちら、イーパさん。知り合いでしょ?」
それで、やっと手を離して、アイビィは顔をあげる。その瞬間、イーパと目が合う。アイビィのほうは無表情に、キョトンとした顔で彼を見上げているのだが、イーパのほうはというと、見る見るうちに、顔が歪んでいった。
「だっ、誰!? なんで? いや、でも、なんでこうなった!?」
彼の驚愕ぶりを前に、彼女は目をパチクリさせている。
よく見ると、少し頬とか、胸とか、心なしか肉付きがよくなっている気がする。もしかして、太った?
「イーパさん?」
「そ、そうですよ」
「お久しぶりです」
ペコッと頭を下げるアイビィだが、イーパの顔は引き攣ったままだ。
「……っぜんぜんっ……」
「はい?」
「全然っ、キャラが違うっ!」
二階の応接室に二人を通す。この部屋も久しぶりだ。靴を脱いで過ごせる部屋。フォレスティアには、あんまりないんじゃないだろうか? こういうところ、やっぱり前世は日本人だったのだと再認識させられる。
「お待たせしました」
お茶を手に、俺は部屋に戻った。アイビィに用意させると、大変なことになるから。
「なんか、悪いね、気を遣わせちゃって」
「いえいえ、全然です! 旅行中は、本当にお世話になりました」
しかし、茶菓子はない。俺が作り置きしたものも、さすがに一ヶ月もすれば、全部なくなってしまうか。
「この後、イーパさんはコラプトに戻られるんですよね」
「そのつもりだよ。今日はもう、そろそろ昼だし、ピュリスに一泊しようと思うけど」
「それでしたら、うちにでも」
「あ、いやいや。馬車があるから、宿屋に泊まらないとね」
確かに、置いておく場所がない。
それにしても、かなり面倒をみてもらったのに、何もお返ししないなんて、申し訳ない。
アイビィが、俺の袖をクイクイと引っ張る。
「ねぇ」
「なに?」
「その子。なぁに?」
さて。どうしようか。
ジョイスには、人の心が聞こえてしまう。ということは、アイビィの頭の中も見えているわけか。
「えっと……ジョイス?」
「お、おう?」
「自己紹介……は、無理か。えっとね、ジョイスは、サディスのお兄さん。シュガ村にいて、ちょっとひどい状況だったから、連れてきちゃったんだ」
心が読める件は……
とりあえずは言わずにおこう。
「そうなんだ? よろしくね」
アイビィが余所行きの顔を作って、白い手を差し出す。
それに対して、ジョイスは一瞬、ビクッとしてから、おずおずと手を差し出した。
俺は、ツンツンと彼をつつく。それに対して、彼は目を泳がせる。ああ、やっぱりなんか聞こえたんだな。相手がどういう奴か、ある程度、瞬間的にわかっちゃうわけだから。
「で、さ」
俺は、本題を切り出す。
「今日の予定なんだけど、とりあえず、イーパさんには、いつもの宿屋で休んでもらおうと思うんだ。で、悪いけど、ジョイスも、今日は一緒にそっちに泊まってくれるかな? この家、部屋はまだあと一つあるんだけど、ベッドとか、いろいろ物がないんだ。だから、アイビィには、二人をそこまで案内して欲しくて」
「うん」
「僕は、これから屋敷のほうに、帰ったことの報告をしなきゃいけなくって。ちゃんとした結果報告はまた、後になるかもなんだけど。それに、もうあと二週間とちょっとで年越しだし、仕事もたまってるだろうからね」
「うん」
アイビィは素直に頷いている。
その向かいに座っているイーパは、硬直したまま、そっと彼女の顔色を窺っている。
「……どうかしました? イーパさん」
「ええっ!? いや、あの、なんでもないです!」
完全にビビッてる。まぁ、そうだろう。彼は、以前のアイビィの戦いぶりを目撃している。実際、俺も彼女の恐ろしさは、一度目にしている。普段は見ての通りのアホキャラでも、いざとなれば最初の一秒でサクッと殺す。あの容赦のなさは、素人には真似できない。
ああ、なるほど。ジョイスは、どっちかっていうと、イーパの心の声を聞いたのか。それは確かに、怯えもするか。
「で、今夜はイーパさんを囲んで、パーティーしようよ。僕も、ここまで乗せてもらってお世話になったから、親父さんにもお願いして」
「うん」
……なんか、さっきから「うん」しか言わないな?
「えっと、アイビィ?」
「うん」
「その、どうしたの?」
「うん」
俺は、チラとジョイスを見る。
やっぱり、こういう時、便利だ。ついつい頼ってしまう。
俺の期待に応えて、こいつはポロリと耳打ちしてくれた。
「お土産」
……しまったぁっ!
忙しすぎて、大変すぎて、すっかり忘れてた!
でも、どうしようもなかったんでは?
コラプトで買ったって、彼女が喜ぶようなものはない。だって彼女はあそこから来たんだし、グルービーの店の香水なんか……かといって、ティンティナブリアでは。食い詰めた乞食や売春婦ならいっぱいいたが、それくらいしか、あそこにはない。
大失敗だ。アネロス・ククバンに殺されそうになったりしたのもあって、必死すぎて、そういうことがすっぽり抜けていた。
しかも、ジョイスの耳打ち、しっかりアイビィに聞かれていた。
「……ないの?」
笑顔のまま、淡々と言われる。
う、うっ、ど、どうしよう?
「ハッハッハ! そこで僕の出番だね」
余裕たっぷりにそう言ったのが、イーパだった。
「ちゃんとコッソリ用意しておいたよ。これでも商人だからね。ほら、ティンティナブリアって、何もなかったじゃない? だから、どこかにそういうモノがないかなーって。でも、そこはちゃんと見つけておいたんだ」
懐から出てきたのは、何かのお菓子。
「ヌガ村名産のお菓子でね。クルミとハチミツで作るらしい。粘っこいけど甘くておいしいよ。馬車にもたっぷり積んであるから、フェイ君、みんなへのお土産に配るといい」
「そんな……済みません、わざわざ」
自分のことで精一杯だった俺と違って、さすがは旅慣れたイーパ。抜け目がない。あの慌しいヌガ村での半日間で、きっちり仕入れておくとは。これは頭が下がる。
ところが、アイビィは不機嫌そうだった。
「……いい」
「は?」
「いらない」
「な、なんで!?」
「フェイ君のお土産がいいのに。フェイ君のが」
イーパが唖然とした顔をしている。不思議でならないという様子で、ついに俺に尋ねてきた。
「ね、ねぇ、フェイ君?」
「なんですか?」
「ど、どうしちゃったの、その、アイビィさんは」
「どうもこうも……うちに来た時から、こういう感じですよ?」
その返答に、またしても口あんぐり。
頭の中の整理が追いつかないらしい。
「えっと、アイビィ?」
「なぁに」
「ごめん、忘れてきちゃった。でも、大変だったんだ」
「うん」
「今度、埋め合わせるから、許して」
「うん、でもね」
ずいっ、と身を乗り出しつつ、彼女はまだ何か言いたそうにしている。
「確認したいんだけど」
「何を?」
「コラプト、どうだった?」
えっ?
……あー……
グルービーの歓待か。でも、あれはしょうがないだろ? 自分は後ろめたいこと、何もしてないぞ?
「女の子とか、いっぱいあてがってもらったんでしょ。フェイ君のえっち」
「ちょ、ちょっと! 僕は、やましいことなんか」
「知ってるんだから。全部、知ってるんだから」
「グルービーが勝手に押し付けてきたの! だから僕は」
「へー?」
あっ。
これじゃ、自白したも同然だ。
気付けば、ジョイスがジト目で俺を見ている。多分、アレだ。イーパやアイビィの頭の中を反射して、俺の身の上に起きた出来事を推測しているんだ。
「あっ、で、でも、でもね?」
「なに」
「こ、断ってきたよ?」
「へー」
「本当なんだってば」
「ふーん」
「だ、だって」
ええい、言ってやる。
「グルービーが、一人、新しいメイドをつけてくれるって言ったけど」
「えっ!?」
アイビィが、座ったままのけぞった。
かと思いきや、ものすごい勢いで飛び上がって、俺に喚き散らす。
「だっ、ダダダダメダメダメダメェッ! そんなエロメイド、連れてきちゃダメッ!」
「連れてない、連れてないって」
「そんなのウチに来られたらっ……!」
立場がなくなる、か。
グルービーも言ってたもんなぁ。アイビィの家事能力は、絶望的だって……事実、そうなんだけど。
「こ、断ったの?」
息を切らしてるし。
死に物狂いだ。
「う、うん、ちゃんとお断りしてきたよ」
「ふう」
ストンと腰を落として、息をつく。
「よかったぁー」
「はぁ……」
おっと。
アホな話ばっかりしてて、肝心の相談事を忘れるところだった。
「もう一つ、話があるんだ」
「え? なぁに?」
「その、ジョイスのことなんだけど」
そうなのだ。
うちに置いておくか? だが、俺はいつも仕事に追われているし、アイビィだって暇じゃないだろう。だからって、こんな山ザルを、一人にしておけない。
「どうしようかと思ってて」
「うん?」
「実家のシュガ村では、とても生活していけそうになくてさ。ピュリスで暮らすのはいいとして。でも、今まで村から出たことがなかったから、勉強しないといけないこともたくさんあるし、この年なら、そろそろ働き口も考えないとだし……でも、うちでは仕事があるから、ずっと面倒見てるわけにもいかないでしょ」
「なるほどねぇ」
しかし、アイビィは今のところ、さしたる問題とは思っていないようだ。
「でも、それなら簡単じゃない?」
「簡単?」
「それこそ、お屋敷でお仕事をもらったら? ほら、イフロース様あたりにお願いして」
それは……
ダメだ。速攻でアウトだ。っていうか、最悪の選択だ。
あの礼儀作法にうるさい子爵家で、ジョイスみたいな野蛮な少年が生きていけるはずがない。あそこは、この手の人間が一番いじめられる。それがわかるから、普通に考えて、イフロースは受け入れようとしないだろう。そもそもメリットがないからだ。
メリット? なら、それを用意すればいい。ジョイスには神通力がある。人の心が読める上に、透視能力もある。どうだ。
確かに、それを伝えたなら、一転してイフロースはジョイスを宝物扱いにするだろう。ついでに、人材をゲットしてきた俺に対する覚えもめでたく、謝礼なんかも、もらえちゃったりするかもしれない。
だが、それこそやってはいけないことだ。イフロースは悪人ではない。しかし、彼の最優先はエンバイオ家の幸福だ。こんな便利な駒がいるとなれば、それこそ主人のために徹底的に利用しまくるに違いない。そして人の心を読み取る神通力があるとはいえ、ジョイスの心の中は、粗野ながらも純朴だ。それがイフロースの考えるような目的に使われるとすれば……不幸になる未来しか見えない。
「無理だと思う」
「あら? どうして?」
「貴族の召使になるには、ジョイスはいろいろ足りてない部分が多すぎる」
こう言うしかない。
ジョイスの神通力は、イーパはもちろん、アイビィにも秘密にしなければいけない。でないと、グルービーがその事実を突き止めてしまう。これまた、超能力者を貸し与えるには危険すぎる相手だ。
「んー、でも、そうすると、どこになるかな。サディスちゃんと同じ、セリパス教会?」
「それが自然だと思うんだけど、でも、ほら」
「うーん、司祭がリンさんだからなー……男の子は受け入れないか」
「そうなんだよ」
ということで、これもなし。
「じゃ、ハリさんに頼んでみたら? 女神神殿なら、読み書きから仕事の基本まで、一通りは教えてくれるんじゃない?」
「僕もそう思う」
神官長のザリナも、子供一人なら受け入れてくれるはずだ。教育にかかった経費はこちらが出してもいいのだし。こちらは毎月神殿に寄付もしているのだから、たまにこれくらいのお願いをしたからといって、そうそう断ってきたりはしないだろう。
ただ……
「でも、ちょっと」
「なぁに?」
「ジョイス」
俺はジョイスを厳しい目で見ながら、言った。
「おとなしくできるか?」
「うっ、え?」
こいつはサルだ。だから、ある程度教育が進むまでは、実力で黙らせる怖い人がいないといけない。
となると、ザリナでは迫力不足だろう。ハリもダメだ。決して弱くはないのだが、どうしても聖職者というのもあって、まず優しさが前面に出る。問答無用で騒ぐガキを黙らせる。そういう怖さがない。第一、彼は冒険者でもある。日常的に接点がないのでは、次第に恐怖が薄れていくだろう。
「いや、その。ちょっと、躾ができる人がいないと……」
「そんなにヤンチャなの?」
じっと見られて、ジョイスは尻込みする。
「うっ、あっ、いや、まぁ、その」
「言っちゃうけど、ジョイス、シュガ村では、泥棒みたいなことをしてたんだ。もちろん、理由があったからなんだけど、誰も手をつけられないくらいの乱暴者だったから」
「そうなんだ? うーん……でも、そうだねぇ」
少し考えてから、アイビィは珍しく、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「なら、いい場所があるんだけど」
「どこ?」
「マオさんにお願いしたらどうかな」
「あっ! その手が!」
マオ・フー。冒険者ギルドの支部長で、武術の達人。これはいい。ジョイスにピッタリじゃないか。
彼なら大丈夫だ。読心術のことも、教えていいかもしれない。まぁ、識別眼なる神通力があるし、言わなくてもわかるかもしれないが。
「ジョイス」
「ん」
「強くなりたいか?」
この質問に、一瞬沈黙し、その後、その金色の瞳をキラキラさせながら、あのキンキン声で叫んだ。
「なりたい!」
よしよし。
「じゃあ、ピュリスで一番の、棒術の達人に弟子入りさせてやるからな。礼儀正しくしろよ」
「おう!」
これで、一件落着、か。
「じゃあ、僕はそろそろ、屋敷に行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
「ああ、それと、宿屋についたら、悪いけど、セリパス教会にもお願い。サディスと会わせてあげなきゃ」
「うん、わかった」
さ、じゃあ、やることを済ませてしまおう。
勢いよく立ち上がる。
「もし、ちゃんとした報告が明日になったら……イーパさん、今日は僕がご馳走しますよ!」
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