関所の村の事件

「……大丈夫かい?」

「平気です」


 馬車は今日も砂利道を進む。だが、苦痛に満ちたこの強行軍も、もうすぐ楽になる。

 ティンティナブリアから南西方向には、極端に村落が少ない。リンガ村を出た翌日には、ガリナの出身地だったキガ村に到着したが、その後はもう、無人の荒野が続くばかりだった。道路状況も輪をかけて悪く、日々の冷え込みもひどくなってきた。


「最近、元気ないからさ」

「そうですか?」


 確かに、あれこれ考え込むことは増えたかもしれない。リンガ村で見たもの。どれも知っていたか、想像がつくものばかりだった。だが、それだけに、突きつけられた現実をどう扱えばいいのか、気持ちの整理が追いつかなかったのだ。

 俺は、確かにあの場所にいた。どうしようもなかった。だが、だからといって、罪悪感をなくせるわけもなかった。

 俺は自然と無口になっていた。疲れも溜まってきていて、元気も出ない。


 忘れかけていたが、旅行中のメンバーの中で、一番の年下は、俺だ。立派な大人のイーパ、十一歳のジョイスと違い、俺はまだ、もうすぐ八歳の少年でしかない。これといった仕事もないとはいえ、日々、寒い中を馬車に揺られ続けるだけでも、疲労は蓄積していく。


「ちょっと明日あたり、一日ゆっくり休んだほうがいいかもね」

「休める場所があるんですか?」


 キガ村でも、村民の不親切は変わらなかった。新鮮な食料、温かいお湯、そして安心できる寝床。それがどんなにありがたいものか。ところが、金貨を支払っても、出てくるのは貧相な芋のスープに、ただの水。そして、隙間風の入る寝室だった。

 もうそろそろ次の村だが、今度はどんなもてなしをしてもらえるんだろう? 今から楽しみだ。


「次はヌガ村だよ」

「どこでしたっけ。似たような名前ばっかりで、いちいち覚えていられませんよ」

「あれぇ? そうかい? 君なら知ってると思うけどね?」

「えっ」


 なんだったっけ。

 俺が知っている? でも、行ったことはないし、うちの売春宿の奴隷達にも、ヌガ村出身なんていなかったはず……あっ!


「……ノーラ?」

「そう! そうだよ! あのオークションの時に、司会の男性が、ヌガ村出身だって言ってたのを、覚えててさ」


 そうだった。

 ノーラの出身地。ハンファンの青年貴族が訪れて、彼女の母を孕ませたという。確かに、リンガ村も、ヌガ村も、同じルート上に位置する村落ではある。だから、もしかすると俺も、そのハンファン貴族の息子かもしれないのだ。ただ、数ヶ月という中途半端な期間のズレが、どうにも腑に落ちないのだが。


「でも、ノーラがここ出身だからって、何の関係があるんです?」

「関係はないよ。でも、ヌガ村はもう、ティンティナブリアの外なんだ。あ、いや、地方としては、まぁ、ティンティナブリアの端っこに含まれるんだけどさ。今は領主が違うんだ」


 それも覚えている。

 ノーラの母が被害にあったのは、統治契約を結んだ騎士の、居館の中だ。


「あそこは、ちょっとした城館があってさ。なんでも、昔の戦争の時に建てられたものなんだって。今も領主はそこに暮らしてるんだよ」

「それがどうしたんですか?」

「……今夜の宿。そこにしない?」

「そんなことができるんですか!?」


 するとイーパは、勝ち誇るかのように胸を張る。


「そりゃあね。見込みがあるから言ってるのさ。ここじゃないけど、余所では、やっぱり騎士様の砦に泊まったことがあるんだ」

「どうやったんですか?」

「どうも何もないよ。普通にお金を払う。単純だね」

「それだけで?」


 得意げに、ニカッと笑みを浮かべると、イーパは説明してくれた。


「まず、そもそも、どうしてこんなところに騎士の城館があるかってことなんだけど……なんでだか、わかるかい?」

「いいえ」

「ここは、実はまだ、ティンティナブラム伯爵領の内側なんだ。で、王家はわざわざ、ヌガ村を賃貸して、それをまた、騎士に統治させてる」

「そうなんですか? 面倒なことをしますね……あ、いや」


 わざわざ金まで払って、王家は各地に騎士領を創設する。

 これは、国家防衛のためだ。貴族は半独立勢力。何を仕出かすかわからない存在でもある。なにせ王家の支配領域は、王国全体の三割程度。そしてティンティナブリアは、王国の一割を占める広大な領域だ。となれば、近くに監視者がいなければなるまい。

 ティンティナブリアから王都方面に向かうには、二つしかルートはない。コラプトを経由してピュリスに出るか、このヌガ村を経由してピュリス・王都方面、またはフォンケーノ侯爵領に向かうか、だ。

 この、王国中央部の要地を、王家は賃借した。名目はいろいろ捻り出したのだろう。とにかく、ここには王家との契約を結んだ騎士がいる。こんな小さな領地しか持たない勢力が、ティンティナブラム伯の武力を押さえ込めるはずはないが、少なくとも妙な動きがあれば、第一報を届けることはできる。そして、その可能性こそが、伯爵に対する静かな牽制となる。


「その顔は、わかったって感じだね」

「はい、でも、防衛の要所なら、お金で泊まるなんて、できるんですか?」

「そこさ。こんな田舎の騎士だから、農地からの収入はあっても、現金はない。お金を得ようと思ったら、農産物を売るしかないけど、それがなかなか、簡単じゃないんだ。近くの都市まで運んで、値段をつけてもらって、買い取ってもらって、ようやく現金になるんだからね。要するに、額面次第だけど、いつでも転がせる現金は、大歓迎ってこと」


 王家の援助も、そこまで手厚くはないのだろう。それはそうだ。この手の騎士領、きっと王国中にあるのだろうから。

 それに、イーパは大商人グルービーの配下だ。つまり、借り物とはいえ、社会的信用もある。ここの雇われ領主としては、小遣い稼ぎにちょうどいい相手といえるわけだ。なに、以前は東方大陸の青年貴族だって泊めたわけだし、客をもてなすのに問題なんてない。要するに、もともとそういう場所なのだ。


「ちゃんとボスからお金はもらってるしね。今日、明日くらいは、あったかい風呂にでも入ろうよ。うまいもんでも食ってさ」

「いいですね」

「ただ……」


 そこで、イーパは後ろを振り向く。


「ジョイス、おとなしくできるかい?」

「お、おう」


 なんだか最近、ジョイスは、かわいそうになるくらい、おとなしくなった。俺に睨まれると、ビクッとする。その延長線上で、イーパにも逆らわないようになってきた。


「じゃ、決まりだね! 行こう!」


 森の中の道を突っ切っていく。あるところで、岩山の頂上に、人工物のようなものが見え隠れするようになった。あれが城館か。関所も兼ねているようだ。なるほど、ここでジョイスに通行証がなかったら、非常に面倒なことになるわけだ。

 山陰を抜けて、いよいよ村が近付いてくる。ここも山間の盆地だ。ただ、村の中は場所によって高低差があるものの、馬車が通る道は平坦だ。村の付近では、道路の整備状況も改善されてきているので、ストレスが少ない。

 道沿いに、少しだけ家が見えた。ティンティナブリア領内のものと比べると、華やぎがある。赤い屋根に、多少の装飾が施された壁。少なくとも、キガ村やシュガ村よりは、裕福そうに見える。


「あれだね」


 丈の高い石造りの城館。一番背の高い尖塔で、二十メートル程度か。規模は大きくないが、しかし、左右を岩壁に挟まれているので、防衛の要所としては充分機能する。

 ただ、そこで俺達は奇妙な集団を見かけた。


「なんだろ、あれ?」


 城館のすぐ下、関所も兼ねる広場兼通路の真ん中に、十人以上の男女が屯している。荷物も馬車もないので、旅人ではない。ここの村民だろう。これまた、ティンティナブリアの住民とは違い、どちらかというとピュリスの住民を思わせるような服装をしている。


「ジョイス」


 小声で話しかける。それで彼も察する。何が聞こえているのか、俺には教えろという意味だ。


「なんか、病気みたいだ」

「病気?」


 小声で俺に教えてくれる。


「病気の人がいて、それが心配なんだって」

「へぇ……でも、それなら医者を呼ぶとかすればいいのに」

「もう呼んだみたい。でも、ダメらしい。もうすぐ死ぬから、その後が心配だって」

「その後?」


 だが、俺とジョイスが話し合っているうちに、イーパはもう、馬車を城館のすぐ真下にまで走らせていた。


「はいはい、お邪魔しますよ! 済みません、旅の者なんですが、一夜の宿をお借りしたく」


 すると、城館の脇の扉が開き、中年男性が一人、ヨタヨタと這い出してきた。


「おたくら、どこから来なさった」

「えっと、ティンティナブラム城からですよ」

「そりゃ随分久しぶりですな。珍しいこともあるもんだが……ここに泊まるんですかね?」

「え? はい、是非お願いしたいんですが」


 すると、その中年男性は、周囲を取り巻く十数人の男女と、何事か話し始める。


「一夜だけであれば、構いませんがなぁ」

「一晩だけですかぁ? いや、ここまでなーんにもないところを走ってきたんですよ。休ませてくれたっていいじゃないですか。あ、お金はありますから」

「それは承知しておりますがな」


 男は、首を左右に振りながら、溜息をついた。


「申し訳ないんだが、お客をもてなすどころではないんですわ」

「それはまたどういう」

「領主様が、ご病気で」


 それでも彼は、俺達を部屋へと通してくれた。ここまでろくな宿屋もないことを承知していたからだ。

 歴史ある古城の狭苦しい廊下は、静まり返っていた。足元の石畳の冷たさが身に沁みる。不揃いな石壁の間にある木の扉を開けると、そこに三人分のベッドがあった。机や椅子なども、一応ある。この辺では珍しく、ちゃんとした宿屋に負けないほどの快適さが備わっていた。


「トイレと浴場は、この通路の突き当たりにありますでな……あと、状況が状況ですので、あまり出歩かないようにお願いしますんで」

「わかりました」


 イーパは、なんだか、鼻白む、といった顔をしていた。楽しみにしてきたのに、なんでこんなトラブルが、といった感じだ。

 しかし、俺はといえば、ジョイスのもたらす情報のおかげで、状況が思った以上に深刻であると理解していた。


 ここの領主を務める騎士は、高齢だ。体力もない。それが重い病にとりつかれている。

 なんでも、ジョイスが聞き取った限りでは、それは『夢魔病』というものらしい。患者は断続的な激痛と高熱、幻覚症状に苦しめられる。当然、死に至る例も少なからずある。特に体力のない老人や子供にかかりやすいとか。そして、原因はあまりよく知られていないが、ごく稀に、人から人へと感染することもあるらしいと言われている。この病気自体が珍しいためか、根治薬などは存在しないという。

 冗談ではない。そんなもの、うつされたら、たまったものじゃない。確かにこれは、長居すべきではない。


 しかし、村人達がわざわざ城館の前までやってきて、立ち尽くしているのには、また別の理由がある。

 特に慕われるほどの名君ではなかったとはいえ、ここの領主だった騎士には、最低限の良識があった。ノーラの母が被害にあった時にも、ちゃんと家族に金を払っている。口止め料といえば聞こえは悪いが、慰謝料と考えることもできる。これがティンティナブラム伯だったら、そんな対応など思いつきもしまい。

 そして、彼が死ぬということは。彼の跡継ぎたる息子は、実はとっくに死んでいる。つまり後継者不在だ。そうなると、死と同時にこの地はティンティナブラム伯に返還される。王家が代わりの騎士を派遣する契約をまとめるまでは、ここはあの恐るべき圧政の下におかれる。

 冗談ではない。住民にとっては、だが。つまり、隣の領地の惨状が、ここにまで及ぶのだ。


 その上で、俺は伯爵の居城で見聞きした情報まで持っている。あそこには今、雑兵どもが溢れかえっている。そして、馬鹿どもが戦争を起こそうとしている。

 非常時に、狼煙を上げて警戒を促すべきこの城砦が、このタイミングで機能しなくなるのだ。兵士を掻き集めている伯爵が、ここの再度の賃貸に応じるか? まさか。理由をつけて引き伸ばすに違いない。

 ここを突破されると、南西と北西に通じる二つのルートが開けてしまう。南西に向かえばピュリス。北西方向はフォンケーノ侯爵領だ。ただ、南西ルートは、ピュリスに入る前に、ピュリスと王都を結ぶ幹線道路に出る。つまり、間に都市を経由せずに王都まで行けるのだ。一応、王都の前には城壁もあり、防衛線も敷いてあるのだろうが……

 まぁ、そうはいっても、大軍の移動でもあり、王国側がまったく察知できないということはないはずだ。それに、王都の近衛兵団がちょっと持ちこたえれば、背後からピュリスの防衛隊、それから南西部を巡回する聖林兵団がやってくる。挟撃されても敵を押し返せるほど、今の伯爵軍は強くない。


 なんにせよ、これは悪いニュースだ。

 イフロースは子爵家のために情報収集を命じたのだが、ことはもう、そんな規模では収まらない。

 まったくもって、冗談ではない。


 しかし、しかし、だ。

 では、どうすればいい? この情報を王都に持っていく? だが、伯爵が軍事行動を起こそうとしている証拠などない。目的も、段取りも、謎のまま。

 それに現在、高齢の国王は、ろくに政務を取り仕切っていないらしい。そうなると、この情報をどこに届けるかが、かなり難しい問題となる。なにせ伯爵は、今は太子派の一員だ。それを、これまた太子派の重鎮であるサフィスが蹴落とす? あり得ない。

 知ったところで、何もできないかもしれない。非常に難しい状況が出来上がりつつあるのだ。


「あの……フェイ君?」

「あ、はい」

「お湯、沸かしといてくれるらしいし、入ってきなよ。なんか、すごく疲れてるみたいだし」

「あ、ありがとうございます」


 言われて浴場に向かい、全身の汚れを落とす。

 久々の湯は、肌には熱すぎた。サッパリした、というより、何かこう、湯あたりしたというか、フラフラと足元が覚束ないような感じがする。

 部屋に戻ると、夕食が運ばれてきていた。塩を節約しない温かいスープに、新鮮な野菜。それに肉までついてきた。だが、どういうわけか、食べても食べても、満たされる気がせず、ただ胃が重くなるだけだった。

 疲れているんだろう。そう考えて、俺は早めに横になった。二人も、早々に寝床について、灯りを消した。


 それは真夜中のことだった。

 廊下に足音が響く。誰か、女性が、何かを甲高い声で喚きたてている。

 遠くから、さざなみのようなざわめきが聞こえる。


 ガバッと跳ね起きる。


「ジョイス」


 反応はない。枕を抱きしめたまま、眠りこけている。

 仕方がない。自分で確認しよう。


「ん……フェイ君?」


 イーパも起きてしまったらしい。


「ちょっと見てきます」


 そう言われて、結局イーパも起き上がった。二人して廊下に出る。

 狭い通路を、メイドらしき中年女性が、二、三人ほど、慌しく駆け回っている。


「あ、あの、どうしたんですか?」

「お亡くなりに!」

「え」

「領主様、お亡くなりです! これから大変なことに……!」


 俺とイーパは、口を開けたまま、顔を見合わせた。


 大変なこと、といっても、影響を受けるのは、村民だ。俺達には、当面のところは、さほど関係がない。

 明日、すぐにどうこうということはないだろう。だが、近日中に、この知らせは王都に届き、ヌガ村は一時的に、伯爵に返還される。


 これはもう、朝一番に出るしかなさそうだ。

 せっかくのんびりできると思ったのに、つくづく運がない。

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