首狩りの剣

「む……」


 意図しない結果に、ルースレスは、やや困惑していた。苦々しげに、その薄い唇を引き攣らせつつ、事態を見極めようとしている。

 周囲の兵士達は、何が起きたのかわからない、という顔をしていた。当然だ。死ぬはずだったシトールが、思いもよらない剣技の冴えを見せて、無事生き延びたのだ。

 この状況で、落ち着き払っていたのは、アネロスだけだった。


「腕はいいが、武器がよくないな。こんな安物は使うな」


 ごく自然に、それこそ道場の先輩かのように、そう言ってきた。

 キースもだが、この手の達人というのは、どうも命のやり取りと、日常生活の区別がない。俺が本気で殺されるかもと思っていたことも、また本気で殺してでも生き延びようとしていたことも、どうでもいいらしい。


 アネロスが、顎をしゃくった。


「他はいるのか?」


 声をかけられて、現実に戻ってきたルースレスだが、歯切れは悪かった。


「あ、いや……これで終わりだ。いい試合だった。諸君も見習うように」


 その一言で、訓練場の空気は一気に弛緩した。とりあえず、すぐ殺されることはなさそうだとわかったからだ。


 それにしても。

 これが兵士達の生活だった。外に出れば無法者、だが城の中では恐怖政治。かといって、下手に飛び出すわけにもいかない。そもそも他に食べていける仕事がないから、ここにいるのだし、勝手に逃げ出せば脱走兵だ。それに、兵士といえども身分は一般庶民であり、よって平時であれば、通行証なしでの領外への移動はできない。

 卑屈さは、ときに尊大な態度を産む。鬱屈した感情が、彼らの粗暴な振る舞いの根本にあったのだ。


 問題は、そんな兵士をかき集める理由だ。

 ティンティナブリアは貧しい。伯爵の悪政の結果、土地は荒れ、流通は途絶え、人々は住み慣れた村を捨てて逃げ出している。当然、税収も落ち込む。となれば、余計な出費など、している余裕はないはずだ。

 ということは、ここにいる兵士達には、ちゃんと使い道がある。なければならない。しかしそれは、領内の治安改善といった、日常的なものではあり得ない。それならばむしろ、兵士を減らして、浮いたお金を税の減免にでも使ったほうがいい。

 それと、この「使い道」は、恐らくそんなに遠い未来を想定していない。恐怖にまみれた生活をいつまでも続けられるほど、人は強くない。もちろん、どこかで匙加減を変えもするのだろうが……これは、兵士を大事に育てる、というのとは違う。とにかく尻を叩き続けて、いつ走り出してもいいようにする。恐怖を刻み込んで、逆らえないようにする。そのための特訓だ。


 ならば、具体的には、どこで彼らを使うつもりなのか?


「では、訓練を開始する」


 ルースレスが、居住まいを正して、そう宣言する。

 それはいいが、俺の手元にはもう、剣がない。どうしたものか?


「シトールとかいったな」


 アネロスが声をかけてくる。


「ルースレス、少しこいつを借りたい。どうせ剣もないし、今は練習になるまい」

「わかった。お任せする」


 どうやら練習は免除となったらしい。

 だが、その代わりに、この殺人鬼と二人きりの時間を過ごさねばならない羽目になった。


 訓練場を出て、曲がりくねった通路を抜け、渡り廊下を通って、俺達はとある部屋に落ち着いた。


「そこに座れ」


 狭い部屋だった。

 木のパーテーションがあり、そこに、普段アネロスが使う赤いマントがかかっている。小さな棚には、数冊の古い本。それに香炉と、装飾の刻まれた木箱。

 黒い革張りのソファが部屋を占領しているが、その向かいには普通の木の椅子があり、そのまた向こうには机がある。卓上用の燭台がポツンと置かれているだけだ。

 一応、パーテーションのすぐ隣にカーテンがかかっているが、隙間から向こうが見える。ほとんど何もない。簡素なベッドがあるだけで、あとは本当に余計なものがない。


 まさか、ここがアネロスの私室か?

 これほどの一流剣士が。こんな凄腕を普通に召抱えようとしたら、いったいどれほど払えばいいのか? なのに、どうしてここまで窮屈な暮らしを?

 復讐者のせいか? だが、彼は戦いを求めてやまない男だ。それが身を潜めているというだけでも不自然なのに。敵が追ってきたなら、迎え撃てばいいではないか。なるほど、一時的にはここに匿ってもらうのも、或いはよかったかもしれないが、ずっとこんな田舎の城にくすぶっていて、彼は不満ではなかったのか?


「それしかないが、そのソファだ。座れ」

「は、はい」


 促されて、俺は席につく。

 そうだ。今はアネロスが、俺に興味があるらしい。うまく立ち回って、殺されないようにしないと。そして、できれば、情報を引き出さなくては。


「面白い剣を遣うな」


 椅子に腰掛けたアネロスが、口元に笑みを浮かべ、そう語りかけてくる。


「ありがとうございます」

「どこで習った?」


 さて。俺はシトールの過去なんか知らない。下手に具体的な人名をあげたりすると、矛盾に気付かれる恐れがある。どうせ調べられれば、あちこちに綻びが出てくるのだろうが、この場をごまかせれば充分だ。


「村に、元冒険者がおりまして」

「ほう」

「まぁ、見よう見まねです」

「それは」


 笑みに獰猛さが滲む。


「さぞかし名のある剣士だったのだな」

「いや、そんな立派なものじゃないですよ、たぶん。といっても、ガキの頃の話ですから」

「ふっ」


 俺の並べ立てる言葉を、アネロスは鼻で笑った。


「フォレスティアの片田舎で教わったにしては、随分と垢抜けた剣だ。野生動物や、鈍重な魔物を狩るばかりで、人間相手の実戦経験に乏しい、この辺の冒険者が教えたというのは、無理があるな」

「そ、そうですか? どうしてそう思うんです?」

「あの返し技」


 ちっ。

 あわよくばで仕留めにいった、袈裟斬り返し。印象に残ってしまったらしい。


「ああいうのは……サハリアか、でなければ、マルカーズだな。紛争地帯の傭兵などがよく使う。逆に、重い鎧をつけて戦うような、フォレスティアの正規兵などは、あんな技術は磨かない。身軽でなければ、難しいからな」


 イフロースに習った技だから、必然、そういう癖みたいなのは残ってしまうか。これからは、技を使うにしても、よく考えなければ。

 ギラリと鋭い視線を向けながら、アネロスは続ける。


「それに、お前の技量」

「えっ」

「たいしたものだな。この俺を殺しかけるとは」

「い、いや、さっきのはまぐれですよ」

「いや」


 ダメだ。ごまかせそうにない。

 さっきの戦いで、俺はアネロスにとっての要注意人物になってしまった。


「あの一瞬で、俺の剣筋を見抜き、即座に返し技を放ってきた……その後の動きを見ても……お前は最低でも、冒険者ならトパーズ程度の腕はある」

「そ、そんなもんですか」

「謙遜か? それとも……ごまかしたいのか?」

「えっ? い、いやぁ」


 まずい。

 この流れは。

 変に疑われて、いきなり殺されるのだけは、勘弁して欲しい。


「何のために、ティンティナブラム城にきた? お前は何が欲しい?」


 どう説明しようか。食べるものが欲しかった、とか。故郷の村が潰れちゃいまして、とか。そんなの通用するわけない。

 一日、いや、半日もてばいい言い訳だ。

 ええい、ままよ。


「金、ですかね」

「なに?」


 笑みが消え、怪訝そうな顔をする。


「金。誰だって欲しいじゃないですか」

「俺は真面目に訊いている。お前も真面目に答えろ」

「真面目ですよ」


 このまま押し切るしかない。


「今は稼げなくても、後でおいしい思いができる。そう期待してるんですよ」

「納得できんな」

「なんでです? 今より将来でしょう?」


 もはや苛立ちさえこもった視線を向けつつ、アネロスは早口にまくしたてた。


「未来のために、今を犠牲にする必要がどこにある。その腕があれば、サハリアでもマルカーズでも、いい仕事が見つかるだろう。冒険者になってもいい。トパーズくらいに昇格すれば、それなりの稼ぎがある。なんなら、フォレスティアの正規兵になったっていい。なのにどうして、こんな貧乏領主の私兵なんかになった? 金だと?」


 っと、確かに。

 金が理由、というだけでは、筋が通らない。


 シトールは、ケチな男だった。チンケといってもいい。ゴーストタウンの見回りに出ては、道を行く数少ない商人相手に嘘で金を巻き上げ。スラムでは、たった銅貨四枚をせびる少女をタダで抱こうとした。みみっちいことこの上ない。しかも、子供に負けたからって、腹いせに老婆を殺すようなクズでもある。

 つまり、普段の彼の稼ぎは、たかが知れていた。剣一本でのし上がっていこうという、ある意味男らしい夢を語るには、あまりに違和感がある人物なのだ。


 では、どう言い抜けるか。


「そりゃあ……ここには、何かおいしいヤマがありそうだからですよ」

「ほう?」

「だって、イミリクさんだって、なんでこんなところにいるんですか。そんだけ剣の腕がありゃあ、どこででも食っていけるでしょう?」


 ここでもカウンターだ。ごまかすと同時に、知りたいことも確認する。


「俺のことはどうでもいい」

「よかぁないですよ、だってイミリクさん、上のほうの人でしょ。何か知ってるんでしょう? へへへ」


 極力、下卑た口調を心がけながら、俺は媚びた笑みさえ浮かべてみせた。それだけじゃない。ソファの上でも、あえて手足をだらけさせ、背筋を曲げてリラックスしてみせる。

 さっきまでは、割と丁寧な口調で喋っていたのだが、ここにきて、わざと態度を崩した。つまり、これが本当のシトール、これが本音なのだと感じさせるためだ。今まではごまかそうとしていた。それは悟られてしまっている。だからここからは、卑しい卑しい、狡賢くて、がめついシトールを演じるのだ。


「余計なことは詮索するな」

「そうはいきませんや。こっちの金と命がかかってるんで……」


 ここで、俺はさっき、行き着いた推測を、あえて口にした。


「……もうすぐ、デカいドンパチがあるんじゃないですかね?」

「誰に聞いた」


 アネロスの視線が厳しくなる。


「誰にも聞いちゃいませんよ。見てりゃわかりますって。食い詰めもんばっかり、こんなにかき集めて、どうするってんですか。弱っちいのに、いつもいつもあんな風にビビらせて……本番でどんだけ役立つんですかね? ま、どう考えても、長持ちはしない使い方ですしねぇ」

「なるほどな」


 その双眸が、俺を鋭く射抜く。


「剣の腕だけでなく、知恵もまわる、か。目先ばかりで何も考えない、そこらの農民どもとは違う。厄介そうな男だな、お前は」

「そりゃあどうも」


 平然と笑ってみせたものの、内心はビクビクものだ。もし、アネロスがその気になれば、俺はもう助からない。まず、武器すらないので勝ち目はない。この部屋には小さな窓しかないし……肉体を捨てて、鳥になって飛び立つまでの間に捕まったら。それを避けても、今度は火の玉が飛んでくる。


「だが、戦争になるとして……お前が大きく稼げるあてはあるのか? 一兵卒の身分で、何ができる?」

「まぁ、手柄を立てて、いいとこ、取り立ててもらうって程度ですかね? 大将首でもかっさらえば、とりあえず騎士くらいにはなれるでしょ」

「騎士になりたいのか? だが、あれは身分に見合う態度を要求されるぞ?」


 うーん、難しいな。

 その場その場の思いつきで適当なことを言っているから、だんだん論理的整合性が失われてきている。


「たとえば、の話ですよ。別に、戦争なんだから、いくらでもおいしい思いはできそうなんで」

「ふむ……お前は、戦争が好きなのか?」

「そりゃあ、そうっすよ。いろいろできるじゃないっすか。略奪、放火、殺人、強姦。なんでもやり放題でさ。これだけでも楽しいでしょうが」


 すると、アネロスは、不快そうに眉を顰めた。


「不純だな」

「そうですかね?」

「お前は、悪いことをしていると思いながら、それでも自分の利益のために剣を振るわけだ。不潔極まりないな」

「まあ、そうなりますかね?」


 はて? 戦場の火事場泥棒を、よりによって殺人狂に説教されるとは。これでは、どちらが外道だか、わからない。

 しかし、では、アネロスは、悪いことをしているとは思わずに、人を殺しまくっている?


「けど、イミリク様は、どうなんすか。あんなにバンバン簡単に殺しちまって……こう、ヤベェとかって思ったりしねぇんですか」

「思わんな。いや、むしろ俺は、いいことしかしていない」


 微笑さえ浮かべながら、あっさりそう言い切った。


「いいこと?」

「まぁ、剣で殺した場合に限り、だがな」


 そう言うと、彼は椅子から立ち上がって、小さな窓の向こうを見つめた。見えるのは、生気のない緑の森と、クレーターのような盆地を縁取る赤い岩山だけだ。


「俺はこう見えて、豪族の出身でな」


 遠く、遥か遠くの砂漠の国を仰ぎ見るようにして、彼は語り続ける。


「サハリア人の戦争がどんなものか、お前なら知っていよう。負ければ皆殺し、だ」

「は、はい」

「俺も、普通の子供だった。剣士に憧れる、普通のな」


 となると。

 部族間抗争で、家族を失った、とか、そんな感じか?


「どこと戦争したんですか? ワディラム王国ですか? それとも、赤の血盟あたりですか」

「どちらでもないな……同族内の、骨肉の争いだった」


 それはさぞ、凄惨な戦いだったことだろう。

 血族を重んじる、サハリア人の内紛。よくよくのことだ。想像するだけでゾッとする。


「俺には、年の離れた兄がいた。素晴らしい剣士だった」

「は、はぁ」

「ある日、突然の襲撃を受けた。兄は剣一本で次々敵を倒した。俺には逃げるようにと叫んだが、目が離せなかった」


 彼は微笑んでいた。

 だが、穏やかそうに見えるその表情に、俺はうっすらと危ういものを感じていた。


「今思い返しても、あまりに美しかった。殺されるかも、という恐怖より……正直、もっと見ていたかった。だが、最後には、数で取り巻いて、矢の雨だ」

「じゃあ、負けたんで?」

「そうだな。だが、それ自体は仕方ない。許せなかったのは……」


 アネロスの目が、熱を帯びる。


「生き残った一族を、絞首刑にしたことだ」

「へっ?」

「わかるか? 戦場の勇士は、剣で死ぬ。貴族の処刑も剣だ。だが、賤民の処刑は、縄。奴らは、俺の身内を……卑しいものどもと同じように殺した」


 こだわるポイントは、そこか? そこなのか?

 いや、そうなのかもしれない。サハリア人は、誇りを何より重んじる。名誉を汚されたと感じたなら……


「じゃあ、あの、復讐は……?」

「もちろん」


 腕を組みながら、アネロスは彼方を見た。


「最初はあえて膝を屈した。当時は悲しかったし、惨めだった。だから監視の目の届かない夜中には、ひたすら剣に没頭した。最初、それは復讐のためなのだと思っていた。実際、七年後に初めて敵の一人を殺した時には、身が震えるような喜びに、我を失わんばかりだった」

「そりゃあ……そうでしょうね」

「だが、違った。違ったのだ、シトール」


 口調が熱っぽくなるにつれ、俺の中の不安が増していく。

 こいつ……


「復讐を始めて二年後、俺はついに、仇だった連中を、ほぼ全員捕虜にした。だが、俺は奴らの首に縄をかける気にはなれなかった」

「じゃあ、剣で首を刎ねてやったんですか」

「少し違うな」


 口角を上げて、ゾッとさせられるような笑みを浮かべ、彼は答えた。


「全員に……女子供まで、全員に、一度に一人ずつ、剣を持たせてやった」

「は?」

「全力で俺と戦い、勝てば許してやる……そういう条件でな」

「えっ、でも、そんなの」


 天才剣士のアネロス・ククバンに、誰が勝てるというのか。一方的な殺戮になったに違いない。


「やはり、思った通りだった」


 拳を握り締めながら、彼は続けた。


「誰であろうとも、剣を持って全力で戦う瞬間……これほど美しいものはない。剣が敵の体に食い込み、赤い血を散らす、これもまた、そうだ。日の光にきらめく剣も。必死の戦いの中での雄叫びは、最上の歌声だ。剣、剣、剣……相手が老人でも、子供でも、女でも、もちろん歴戦の勇士でも。なぁ、シトール」


 もはや狂気を隠そうともせず、彼は夢中になって語り続けている。


「剣のもたらす死ほど、好ましいものなどない。そうは思わないか」


 こいつは。

 詳細まではわからない。わからないが、たぶん、もう……狂っている。


 幼少期に家族を皆殺しにされたせいか。それとも、屈辱的な暮らしを続けたせいか。復讐のために人を殺しすぎたのか。


 普通の人間は、自分の生きた世界に愛着を抱く。俺だってそうだ。この異世界に生まれ変わったとはいえ、前世を忘れたことはない。通学路の途中にあった古びたレンガの塀、ひび割れたコンクリート、いつ通っても鉢植えだらけの家、一度も入ったことのない赤い暖簾のラーメン屋……俺に何をもたらすわけでもないのだが、数年ぶりに目にして、空気を胸いっぱいに吸い込むだけで、戻ってきた、という気持ちになったりしたものだ。

 そういう世界を、人は誰しも持っている。


 だが、こいつ、アネロスは。

 その世界というのが、たまたま死と憎悪に満ちていた。なるほど、至高の剣技は、確かに美しい。だが、その美は、恐怖や破滅と隣り合わせなのだ。

 この男は、家族との団欒の代わりに流血に親しみ、友人の笑顔の代わりに剣の輝きを眺め、恋人との抱擁の代わりに死神を連れ歩いた。それが当たり前で、それにこそ興奮し、それでなければ愛せない。


 いいとか悪いとかではない、それが彼の世界なのだ。

 今も、普通の人間には絶対わからない感動を、さも当然だといわんばかりに、俺に押し付けてきている。


 どう答えればいい?

 わかる、なんて言えない。だが、わからない、とも。


 だが、俺が逡巡しているうちに、アネロスは、ふう、と溜息をついた。


「わからん、か」

「あ、いや」


 少し考える。

 考えて、尋ねた。


「じゃあ、さっき……一人目をやった時に言った、『哀れ』っていうのは」

「哀れだろう?」


 微笑を浮かべながら、彼は平然と言った。


「彼は剣で死ねるはずだった。なのに、あんな死に方しかできなかったのだからな。もう少し勇気があれば、気高く死ねたものを」


 多分、コーザ自身には、そんな気持ちは微塵もなかった。今、アネロスが言っていることなんて、まるっきり理解できないだろう。


「じゃ、じゃあ……なんですか、剣で死ねば、みんな幸せとか、そんな風に思ってるんですか?」

「違うのか?」

「ちっ、違うに決まってるでしょうが! みんな、死にたくないし、普通は殺すのだって怖いもんですよ!」

「ふふふ」


 何を愚かな、とでも言いだしそうな顔で、アネロスは笑っている。


「人間なら……いや、神でなければ、誰であっても、最後は死ぬ。シトール、ではお前は、どうやって死にたい?」

「は?」

「老衰か? 自分で用足しにもいけなくなって、ベッドの上で寝転びながら死にたいのか? それとも、病気か? 頭痛や腹痛に悩まされ、苦い薬を飲んでは吐き戻し、夜中も眠れずに気持ちの悪い汗を流して……呻きながら死にたいのか?」

「そ、そんなの」


 俺の目標は、不老不死だ。だから、そのどちらも拒否したい。

 だが、世間一般の人間だって、同じことを言うだろう。いつか死ぬ、とはわかっていながらも。


「どっちもいやか?」

「当たり前です!」

「だが、いつか死ぬのも当たり前だ」

「そりゃそうですが」

「その当たり前から目を背けて生きる。シトール、狂っているのは、俺か? それとも、お前か?」

「だ、だからって」


 狂っているなりの正論。

 確かにそうだ。俺にしたって、不死に至れる保証はない。

 いつか死ぬなら、どんな風に死にたい? 決まっている未来について、何らのビジョンも持たず、対策もとらず、努力もしない。これほど重要なことは他にないのに、これほどないがしろにされているものもない。


「それは……あれですよ、夜、静かに寝てるうちに、それとは自分でもわからないうちに、フッと死ねたら、最高じゃないですか」

「話にならんな。お前はそうなるための努力をしてなどいないだろう? それはただ、死から目を背けているだけだ」

「う、ま、まあ」


 正しい。

 正しいが、やはりイカレている。

 それは、彼岸の考え方だ。生者の発想ではない。


「剣はいいぞ。剣は……生きるも死ぬも、何もかもを与えてくれる……」


 生きているうちは富と栄光をもたらし。死ぬ間際には誇りと安らぎを与えてくれる。


 わかった。

 俺には理解できなくても。

 アネロスはそういう人物だ。そうやって生きてきたし、これからもそうするのだろう。

 だが……


「まあいい。お前にもそのうち理解できるかもしれん。それより」


 彼は俺に向き直りながら言った。


「お前の腕が確かなのは俺が保証する。今度、昇格させられないか、ルースレスにかけあってやろう。その腕を、戦場でも十全に活用しろ」

「はい」

「よし。無駄な話が多くなったな。それだけだ。帰っていい」


 俺は一礼して背を向け、扉に手をかける。


 ……だが、最後に一つ。

 無駄にリスクを増やすだけ、とわかっていても、尋ねずにはいられなかった。

 なぜ、その生き方を他者にも強要するのか?


「イミリク様」

「なんだ」

「……リンガ村をご存知ですか?」


 その瞬間、部屋の空気が凍りついた、ような気がした。


 口に出してから、胸が早鐘のように打ち始めた。

 どうして余計なことを口にしてしまったのか。

 それでも、答えを聞かずには、動けそうになかった。ずっと前から、確認したかった。でなければ、納得がいかなかったのだ。


「ふっ……ふふふ、そうか」


 背後から、静かな笑い声が聞こえる。

 振り返ったが、彼が窓を背にしていて、そちらばかり明るいせいで、表情がよく見えない。


「お前は、あの村の関係者か」

「……知り合いが、いました」

「そうか」


 それだけだった。

 大した問題だとも思っていない。

 そんな感じだった。


 あれだけ殺しておいて? どうしてそんなに、あっさりした態度をとれる?

 俺は思わず振り返って、叫んだ。


「あの村にいたのは、普通の農民達だったんですよ! 戦士じゃない! 農民だ! なぜ……なぜ、あんな殺し方をっ!」

「ぷっ……くっ、くくっ」


 暗がりの中で、僅かに白い歯を見せながら、アネロスは、さも滑稽と言わんばかりに笑う。


「お前は面白いな。一体、いくつ顔があるんだ?」

「くっ」

「いい。答えてやろう。伯爵に頼まれた。それだけだ」


 それだけ?

 違う。


「……村のサイロに火を放ったのも、あなたでしょう? あの魔法でやったんだ。そうなれば村が飢餓状態になるのを知っていた。知っていて、わざと」

「ほほう?」


 心底面白そうな顔をして、アネロスは部屋の中を音もなく歩いた。


「そこまで知っているのか」

「村を遠くから監視して、伯爵に陳情に向かう村長達を痛めつけて追い返した。その後も、村から逃げようとする人間を」

「それは違うな」


 指を一本立てて、彼は指摘する。


「追い返したのではない。ああまで村長を殴ったのは、どうしても戦おうとしなかったからだ。だが、剣を持って俺に勝てば、何でも言う通りにしてやろうと言ったのだがな。結局、提案に乗ったのは、三人のうち、一人だけだった」

「それが、あの大男」

「よく覚えているものだな? そうだ。もっとも、剣術のなんたるかもわかっていない、図体だけの相手だったがな」


 そうか。

 そうだったのか。

 あの日、あの時。

 血塗れの村長が喚きたてていたのは。


 誰よりも残忍で、何よりも恐ろしい男が兵士達を率いて、リンガ村の出口を塞いでいる。

 逃げられない。食料もない。もう、どうしようもないんだ。

 我々は、助からない。


 その事実だったのだ。


「そうか……これは驚いたな……」


 歩み寄りながら、アネロスは呟く。


「まさか、あの村に生き残りがいたとは」

「……っ!」


 くそっ。

 気になっていたとはいえ。踏み込みすぎたか。

 だが、ここはもう出口。飛び出せばすぐ渡り廊下だ。そこからなら、飛んで逃げれば。


「そう怯えるな。それとも今、決着をつけたいのか?」

「なっ」

「不満があるなら、剣で語れ。そういう力も、剣にはある」


 俺とは正反対に、アネロスは余裕たっぷりだった。


「だが悪いことは言わん。くだらない過去は忘れろ。未来のために」

「未来?」

「そうだ」


 アネロスは、まっすぐ俺を見据えながら、言った。


「もうすぐ……ここ、エスタ=フォレスティア王国に戦乱の嵐が巻き起こる。うまくすれば、西方諸国すべてを巻き込んだ大戦になるかもしれん」


 なんだと……!?

 そんな大それたことを考えているのか? 伯爵は?

 いや。あの不潔なだけの男に、そんな野心があるものか。


「だが、それはまだ先の話だ。準備は進めているがな。その前の、目先の戦から片付けていかねば、その夢はかなわん」

「……夢?」


 戦争が。殺戮が。夢だというのか。

 確かに、アネロスにとってはそうかもしれない。だが、伯爵は、きっとわかっていないだろう。

 一体、こいつは何をしでかそうとしている?


「そうだ。夢だ。シトール、何かのために振るう剣ほど、つまらん剣はないぞ。……この城にも、身の程知らずの野心家がいる。剣の喜びをわかっていない馬鹿者だ。だが、そいつのおかげで、俺はまた、夢のような舞台に立てる」


 ルースレス、か。

 他には考えられない。伯爵も、うまく操られているのだろうか。


「美しいぞ……とにかく、美しい。生き死にの際、そこで輝く剣はな」


 陶然として目を輝かせる。

 その歪な歓喜のために、大勢の人を犠牲にしようとも。もはや彼の心には、何の波風も立たない。


「だからついてこい。だが、それが嫌だというのであれば」


 狂気を滲ませて、アネロスは凄まじい笑みを浮かべた。


「剣を俺に向けるがいい。剣での死をもたらしてみろ。それができるというのなら、いつでも受け入れてやろう」

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