砂時計

「軍隊に必要なのは、実戦能力だ」


 ただ淡々と、ルースレスは話し続ける。


「具体的にはどういうことか……いろんなレベルで、要求されるものは変わってくる。だが、さしあたり、兵士諸君、君達の立場で考えるべきことはただ一つ」


 スッ、と薄気味悪い笑みが消える。

 背筋に冷たいものが走る。これは……


「いつでもどこでも。常に命懸けで戦うこと。他は何もいらない」


 ……殺意、だ。

 今まで、決して多いとは言えないながらも、実戦を経験したからわかる。シンも。クローマーも。ただ漫然と戦っていたのではない。相手の殺害という、明確なイメージを持っていた。そして、俺はそれを肌で感じてきたのだ。

 こいつは、殺すと決めている。死んでも構わない、ではない。殺す。明確な意思が、そこにある。


 そののっぺりした顔に、凄惨な笑みが貼りつく。


「さて、今日は訓練の前に、模範となる試合を見せてもらおうと思う。もちろん、諸君の代表者に、だ」


 駄目だ、これは。

 選ばれたら、死ぬ。


 普段なら、まだ何とかなる。逃げ場があれば、鳥に化けてもいいし、ピアシング・ハンドで肉体を奪ってもいい。

 だが、今は。いくら変身したって、ここは地下室。窓もないから、外には出られない。シトールを殺してから、まだ半日も過ぎていないので、そもそも肉体の乗っ取り自体、今は不可能ではあるが、足元には虫けらすらいないから、そいつらの肉体を奪って姿をくらませるのも無理だ。ならば、まともに戦うしかないが、どちらも明らかに俺より格上。その上、切り札の身体強化薬は、持ってきていない。

 命乞いでもするか? まさか。それが通用する相手ではない。


「心配は要らない。むしろ、光栄に思うべきだ。一流の剣士であるイミリク・アノーン殿に、稽古をつけてもらえるのだからな」


 イミリク?

 アネロスのことか?


------------------------------------------------------

 アネロス・ククバン (32)


・マテリアル ヒューマン・フォーム(ランク7、男性、32歳)

・マテリアル マナ・コア・火の魔力(ランク3)

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル サハリア語 6レベル

・スキル 剣術    7レベル

・スキル 火魔術   7レベル

・スキル 格闘術   6レベル

・スキル 投擲術   6レベル

・スキル 隠密    7レベル


 空き(24)

------------------------------------------------------


 ……間違いない。アネロスだ。

 偽名を使っているところを見ると、まだ追っ手がかかっているらしい。それも当然ではある。サハリア人の復讐に、中止の二文字はあり得ない。


 パッと見た感じ、あまり成長していないように見えるが、そんなはずはないだろう。こういう達人が剣の鍛錬をやめるなど、あり得ない。ただ、ここにはまともに彼の相手が務まるような剣士がいない。教師もおらず、これといった戦闘もないとなれば、目に見える進歩がなくても、不思議ではない。

 その代わり、隠密や格闘術、それに何より、火魔術のレベルが上がっている。どこでどんな汚れ仕事をしてきたのかはわからないが、着実に強さを増していると思ったほうがいいだろう。


 今の自分では、まず相手にならない。

 どう見てもイフロースより強いのだ。いくら大人の肉体があっても、それで差が埋められるとも思えない。


「では、一人目」


 一人目? じゃあ、複数、指名するつもりか?


「コーザ・ハヤック」

「……えっ」


 指名されたと思しき男は、声を詰まらせた。


「まずは君だ。胸を借りるつもりでいきたまえ」

「はっ……ぅあっ……」


 まだ若い。やっと二十代半ばに差し掛かったくらいでしかない。中肉中背、普通のフォレス人男性だ。

 明らかに目の焦点が合っていない。膝が笑っている。この怯え具合から判断するに、それに周囲の兵士達の言動や態度からも察せられる通り、これは事実上の死の宣告だ。


 そんな彼の様子を見て、アネロスは、ふう、と溜息をついた。

 そして、吐き捨てるように、低い声で言う。


「真剣を使え」


 その意味するところに、コーザはビクッと大きく震えるやいなや、その場に膝をついてしまう。

 それを見咎めたルースレスが、苛立ちを感じさせる声を浴びせた。


「何をしている」

「はっ、はいぃ」

「さっさとしたまえ。あまり皆を待たせるものではないぞ」


 みんなを? 待ってない。

 処刑なんて、誰も見たいなんて思っていない。


「仕方がないな」


 溜息をついて、ルースレスはアネロスに言う。


「そちらは武器なしで」


 その一言に、コーザは一瞬、喜色を浮かべた。一方、アネロスは、残念そうに首を振った。


「では、配置について……いいかね、コーザ」


 審判役を務めるルースレスは、さも親しげに語りかける。


「知っていると思うが、イミリク殿に稽古をつけてもらえるのは、一分間だけだ。せいぜい貪欲に学びたまえよ」


 一分。

 一分間、なんとか生き延びれば、死なずに済む。


 コーザは、脂汗でいっぱいになった手で、なんとか剣を引き抜いた。なんといっても、相手には武器がない。こちらにはある。このリーチの差、剣先の鋭さ。一分間だけなら、まだ何とか逃げ切れるかも……そんな風に考えているのだろうが。


 甘い。

 一分間は、実戦では途方もなく長い。剣術のレベルが3しかないのに、アネロスの一流の武技を捌けるとでも思うのか。


「では、はじめ」


 無造作な宣言に、コーザは対応できていなかった。何が起きたのか、と左右を見回し、本当に試合が始まってしまったのだと気付く。


「ひぃっ」


 そして、悲鳴を漏らしつつ、両手で剣を前に突き出し、後ろに下がる。恐怖に駆られながらも、ちゃんと防御的な構えは取っている。

 アネロスは、ここに至るまでの隙を、あえて見逃した。本当なら、コーザがオロオロしている間に決着をつけるのだって、難しくはなかったはずなのに。


 彼は、さながら獰猛な肉食獣のような体を、ゆらりと揺らした。その動きはゆっくりだが、この上なくしなやかだ。ネコ科の動物を思わせるその動作、目付き。

 フッ、と脱力して、彼が前に出る。途端にコーザは、剣を左右に振り回す。それでアネロスは下がる。ほっ、と安堵の息が漏れる。


 その瞬間。

 またもアネロスが踏み込んだ。


「わぁっ!?」


 斜め上から叩きつけるように、コーザが剣を振り下ろす。それはアネロスの左手首を打った。

 まさか?

 と思う暇もなく、アネロスは相手に密着していた。


「ひぐぅっ」


 今の一瞬で、コーザの脇腹、股間、鳩尾にそれぞれ打撃が入った。打ち据えられたコーザは、それでも手加減されていたのだろう、よろめきながらも、倒れもせず、後ろへと下がっていく。

 一方、アネロスの手首には、傷一つなかった。あれは、切られたのではない。切りつけられる前に、アネロスが剣の腹に、手の甲を添えて、切っ先を逸らしたのだ。


「もう少しだぞ。この砂時計が落ちきるまで、あと、十秒……」


 手元の砂時計に視線を向け、細い目を更に細めながら、ルースレスが言う。

 死にたくない。恐怖の最中にありながら、コーザの目には、生への渇望があふれていた。激痛に耐えながら、なおも剣を構えようとする。

 一瞬、アネロスの顔に、ゾッとするような笑みが浮かんだ。


 次の瞬間、さっきより何倍も早い踏み込みで、剣を振る時間さえ与えず、またもコーザに取り付いた。今度は、両手が頭と首に添えられている。


「あっ……わぁあぁっ!?」


 突然のことに、驚いてもがくコーザ。だが、こうなってしまっては。

 次の瞬間、予想された通りに……


 ゴキッ、と鈍い音が、訓練場の中に響き渡った。


「ちょうど一分……コーザ、ご苦労だった」


 だが、ルースレスの労わりの言葉に返事はなかった。

 ピアシング・ハンドは、まだコーザが死んでいないことを示している。だが、時間の問題だ。首の骨が見事に折れていて、奇妙な方向に捻じ曲がっている。回復はもう、あり得ない。


 ボソッとアネロスが呟く。


「哀れな……」


 無表情だった。


 なに? あわれ? そう言ったのか?

 お前が致命傷を与えたのに? 本当は殺したくなかったとか?

 じゃあ、何か、アネロスには、伯爵とかルースレスに逆らえない事情があるとか? 追い出されたくないとか?


 まさか。

 アネロスは、ただの武人ではない。殺人を楽しむ人間だ。今でも忘れられない。とりあえずは見逃してもらえるかと、安心して橋を渡った瞬間の、あの激痛を。

 よしんば伯爵に逆らえない状況であるにせよ、こいつが人の死を悼むなど、あり得ない。


「ティンティナブラム伯爵領を守る諸君」


 既にルースレスの視線は、コーザには向けられていなかった。


「我が軍には、比較的おおらかな風土がある。細かい軍規を守らなくても、あまり罰せられることはない。兵士の仕事は敵を殺すこと。それさえこなせるなら、ここでは許される」


 これは恐らく、コーザが殺されなければならなかった理由を述べているのだろう。だが、敵とは? 今、エスタ=フォレスティア王国は、どことも戦争をしていない。貴族同士の小競り合いも、起きてはいないはずだ。


「先日の盗賊討伐にて、あろうことか、あえて彼らを見逃す愚か者が出たらしいと聞いている。これは許容できない。兵士たるもの、いざ戦うとなれば、どんな時、どのような相手にも立ち向かうべきだ」


 ……そういうことか。

 コーザも、多分、ティンティナブリアの領民だ。しかし、伯爵の暴政で生きていけなくなり、村を捨てた。だが、幸運にも、こうして雑兵の一人として、雇ってもらえた。

 だがその後、彼の住んでいた村自体が、暮らしていけないほど貧窮したのだ。見知った人間が村を去っていく。法的許可もなく領外に出れば、犯罪者だ。伯爵としても、領民の流出は許したくない。だが彼は、知り合いを見せしめのためには殺せなかった。


「コーザは動けないようだから、そこでそのまま見学したまえ……では、二人目」


 きた。

 次は誰だ?


「シトール・ダーマ。君だ」


 は……な、に?


「前に出たまえ。君にも鍛錬が必要らしいからね」

「えっ、はっ?」


 なんだ?

 シトール、いったい何をやらかしてくれたんだ?


「君については、説明は不要かと思うがね。その顔の傷、誰にやられたのか、知らないとでも思っているのか?」


 そんな!? あれのせいか! くそっ。

 こうなっては、もう何を言ってもどうせ……違う!

 そうじゃないだろう? 生き延びるためには、どんな手間も惜しんではいけない。思考停止するな!


「えっ、と。これは」

「子供に負けるような兵士が、役に立つと思うかね。それが小隊長とは、少し鍛え直さなくては」

「グ、グルービーの、あの大商人のラスプ・グルービーの連れだったから、やり返すのをやめただけです!」

「見苦しい……それは君が手を出さない理由にはなるが、顔を痣だらけにする根拠にはなり得ない。さあ、さっさとしたまえ」


 確かに。シトールがジョイスを殺せないというだけなら、今の言い訳でも通用する。だが、それなら、ジョイスの攻撃をここまで浴びてはならなかったのだ。

 畜生、なんてことだ。奴の肉体を奪って潜入したはいいが、いきなりこんな。


 どうする?

 やるしかない。そうだ、やるしかないが、無策で戦えば、俺も殺される。


「真剣を使え」


 アネロスが、低い声でそう言う。

 ルースレスは、グズグズしている俺に、溜息をついてみせた。


「仕方ない、イミリク殿、また武器なしで」

「いえ」


 俺が口を挟むと、ルースレスもアネロスも、やや驚いたように振り返った。


「お好きな武器をどうぞ」


 俺のすぐ足元で、たった今、コーザが息を引き取った。

 こうなりたくなければ。


 武器を禁止したところで、それでもアネロスは俺より強い。それなら、あえて剣を持たせてやる。

 というのも、武器がないというのは、やはり大きなハンディだ。だから、アネロスも本気になる。一分以内に仕留めようとして、全力で襲いかかってくる。そうなったらまずい。

 もう一つ。俺はイフロースから剣術の訓練を受けてはいるが、まさか無手の相手を倒すための技術なんか、教わっていない。だが、同じ剣士が相手なら、多少は引き出しがあるのだ。

 だが、何より……


 アネロスの口元に、笑みが浮かぶ。


「それでいい」


 ともあれ事態が進行したのを見て取って、ルースレスはさっきと同じように、無造作に開始を告げた。


「さっきと同じく、一分間の試合だ……では、位置について……はじめ」


 俺も、さっきのコーザのように、両手で剣を持って、前に突き出す。これは、イフロースの教えにはない動きだ。というより、彼はそんな消極的な戦い方をよしとしない。防御的な姿勢を選ぶくらいなら、最初から全力で攻撃を加えて、敵を倒しきってしまうべき、というのがその理由だ。

 一応、それには合理性がある。攻撃と防御、どちらが有利か? 主導権を握れるのは攻撃側。これが大きい。

 戦いの常識だ。攻撃側は必要な戦力だけを差し向ければいいが、守備側は常にそれ以上の資源を振り向ける必要が出てくる。どれだけの攻撃力がまわされるか不明ならば、それは事実上の無限大。つまり、ロスが大きいのは守備側なのだ。

 だが、それでも今回は、最初だけは防御に全力を注ぐ。最初の三十秒だけ。


 アネロスは、ゆっくりと腰の剣を抜き放った。灰色の、あまり光沢のない代物だ。だが、業物でないはずがない。一流の剣士は、必然、一流の剣を求める。しかし、あの輝きのなさは。ただの鋼鉄の剣でも、或いはミスリル製の品でも、ああはなるまい。となると、アダマンタイト製か?


 なんにせよ、この緩慢な動作、大歓迎だ。

 俺が戦いの常道から外れているというのなら、アネロスもまた、今はそうなのだ。何しろ、これは練習という名目ではあるものの、命懸けの戦闘だ。であれば、アネロスも全力で最大威力の攻撃を繰り出し、即座に俺を殺すべきなのだ。なのにそれをしない。

 なぜか。これが見せしめのための処刑だからだ。武器を持っていても関係ない。俺がアネロスの剣を凌ぎ切る、ましてや勝つなんて、誰も思っていない。そういう状況だから、最初からいきなり斬り殺したりはしない。時間ギリギリまで生かしておいて、あとちょっとというところで命を刈り取る。


 だが。

 それは「油断」だ。


 いかな達人といえども、油断すればどうか。俺程度の実力しかなくても、或いはアネロスに……


 突然の一撃。


「っと」


 重さの乗った、鋭い剣撃だ。

 くそっ、俺こそ油断するな。緩めるな。


「うぉわぁっ!」


 なるべく隙を作らないように。そう意識しながら、俺は剣を振り回した。いかにも攻撃を恐れています、と言わんばかりに。

 砂時計はどこまで進んだ? 気になって仕方がない。駄目だ。そんなことに気を取られていたら、死ぬ。

 今。今に集中するんだ。


 下がりながら剣をやや右に寄せて構える俺に、アネロスはスッと目を細めた。

 くる。


 ゆらめくような一瞬の動き、これは……!

 俺は剣を引き寄せる。体捌きで左肩を前に、全身を左側にスライド。そのまま、上段から斜めに切り下げる。


 その瞬間、剣と剣とが触れ合うことなく交差した。

 チッ、と掠るような感触が手に残る。


 アネロスは、いつかのように、逆袈裟斬りを放ったのだ。

 だが、それは一度見た剣。ましてや、海賊のシンも使っていた。

 そして、その対処法を、イフロースに教わっていたのだ。


 その一撃で決めにくるとわかったら、体捌きで立ち位置を変える。斜め下から上へと振り抜かれる剣に合わせて、斜め上から剣を振り下ろす。


 大技なのだ。きれいに後の先が取れれば、決定的なカウンターになる。

 だが……


 これが力の差か。

 俺の渾身の反撃は、僅かにアネロスの頭髪を数本、刈り取っただけだった。


 アネロスの、ルースレスの目が、見開かれる。

 バレた。

 俺の実力が。


 今の一撃で、多少でもダメージを与えていれば。

 だが、すんでのところでアネロスは身を捻り、かろうじて直撃を避けたのだ。結局、流血さえしていない。

 とはいえ、こうなってはもう、油断などしてはくれまい。


 アネロスの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。目がぎらつく。

 やはりそうだ。ただの殺人狂ではない。戦闘狂でもある。戦い、殺す。ただただその行為が好きなのだ。

 そして、思いもかけず、多少なりとも歯応えのある相手が現れた。


「ふっ!」


 先手を取ったのは、俺だった。

 全力で前に出て、乱打を浴びせる。


 今から後手に回ったら、おしまいだ。どこかに致命傷を浴びてしまったら。また相手の攻撃を待つような、そんな無駄な行動をとったら、今度こそ助からない。

 逆に、他にどんなダメージを負ったとしても。指先や手足を失っても。これはシトールの体だ。どうせ捨てていく。

 今。この訓練場にいる間だけ、死ななければ。


 だから、間合いを詰める。

 アネロスがどれほどの剣士だとしても、所詮、剣は剣。よく切れるのは、剣の先端だ。なにせ、剣は包丁ではない。繊細すぎる刃では、常に発生する打撃に、鍔迫り合いに耐えられないから、どうしたって切れ味が犠牲になる。その鈍い切れ味を実用のレベルに持っていくのが剣士の腕力であり、腕力によって生み出される圧力だ。剣は、肉を力で押し潰し、引き千切る道具なのだ。

 だからこそ、剣の中で一番危険な部位は、先端だ。振り回すことで最も速度が出る部分。刃なんかなくても、当たれば骨が折れる。

 逆に根元なら。表面は切れるかもしれない。だが、骨を断つのは難しい。

 超接近戦を挑めば。距離を取られなければ。勝てないまでも、すぐにやられはしない。


 だが、アネロスは揺らぎもしなかった。俺の一撃、一撃を難なく受け、流し、当たり前のように淡々と反撃を織り交ぜてくる。余裕がありそうだ。

 構わない。最後の瞬間に、首を刎ね飛ばされなければ。心臓を貫かれなければ。重傷を負っても、生きてここから出られれば。

 全体重をかけて、俺は前に出た。そして、鍔迫り合いに持ち込む。一分後に、本当に試合が終わるのか、それはわからない。それでも、一撃で倒される危険を避けるためならば。


 不意にアネロスは、鍔迫り合いをしていたところから、右手を引き抜いた。必然、こちらが押す形になるが、構わず手を掲げる。どういうつもり……あっ!


 これは詠唱!?

 気付いた時には、既にその手は炎を発していた。


「あっ……つっ!?」


 剣から離した手が、こちらに迫る。反射的に後ろに下がる。

 その瞬間、更なる熱を感じる。反射的に、これはと地面を蹴って、後ろへと飛び退く。


 破裂音。ついで、ジジッ、と物が焦げる音。

 アネロスのすぐ足元の砂がえぐれている。一番前で戦いを見ていた兵士達も、巻き添えを食ったらしく、目元を覆っている。


 いや、それより、アネロスは……

 ハッと我に返って前を見る。

 開いた間合いの向こうから、灰色の剣が鋭く叩きつけられる。咄嗟に受けた。


 キィーン……と、高い音が遠くに響く。

 受けきった、という安堵の直後に、現実が目前に突きつけられる。


 剣が、へし折られた。


「くっ!」


 これでは。こんなものでは、次の攻撃は受けられない。


 俺の戸惑いなど頓着せず、アネロスはその身を翻す。そうしてできたタメで、全身をバネのように伸ばしきる。

 灰色の剣が一瞬、朧に霞む。形さえないそれがただ一直線に。俺の首元に、熱く冷たい風が吹き抜ける。


 動けなかった。

 見切れなかった。

 そして、アネロスの剣は、確かに俺の首に達していた。


 これが。

 これが『首狩り』アネロス・ククバンの剣。その異名の由来。

 剣技の極致。必殺の刺突。しかも、ただの突きではなかった。


 だが……


「イミリク……殿? 何を」


 ややあって、ルースレスが、怪訝そうな顔でそう言う。

 アネロスの剣は、確かに俺の首元に達していた。薄皮一枚が切り裂かれ、出血さえしていた。だが、まだ胴体と首が繋がっている。もう少し横にずらすだけで、簡単に刎ね飛ばせたはずなのに。

 こうして剣を向けられたからわかる。これは、突きと斬撃、二段構えの技に違いない。だが、この剣技の本質は、そこに留まるようなものではない気がする。


 とにかく、あと一秒で俺は死んでいた。

 なぜ殺さない?


「合格だ」


 その疑問に、アネロスは短く答えた。


「はっ?」

「砂時計を見てみろ」


 そこでやっと、俺はその存在を思い出した。

 確かに一分。ルースレスの手にあった砂時計は、命懸けの試合の終わりを告げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る