十人目

 高い位置にある窓に、くすんだ茜色が浮かび上がる。見上げるのは同じ窓なのに、こうも違って見えるのは、なぜなのだろう?

 ジョイスはベッドの上で、グチャグチャになったシーツの中心にしゃがんでいる。あれだけやかましい少年が、今は声一つあげない。いつもの得物も床の上に放り出したまま。部屋の隅にある安楽椅子には、イーパが腰掛けている。首まで背凭れに預けて、ただ脱力している。

 少し外を出歩いただけで。出会ったのは、度を越した暴力と、理不尽な死だった。


「俺の、せいかな」


 ポツリとジョイスが呟く。


「ほどほどでやめときゃ、ばあちゃん、死ななかったのかなぁ?」


 かすれた声。中途半端に割って入った結果があれだ。責任を感じているのだろう。

 横から声が飛んでくる。


「仕方なかったよ、あれは」


 イーパは動きもせず、気だるげにそう言う。


「僕も知らなかった。四年前も、いい場所とは言えなかったけど、今はもう、完全に別の街だ。ここまでひどいなんてね」


 コラプトからエキセー地方に出るだけなら、実はわざわざティンティナブリアまで出る必要はない。地図上では遠回りだが、いったんピュリスに出て、そこから船で東に向かえばいい。なにせ、栄えている街や村は、大抵海沿いにある。日数だけで言えば、陸路も海路も大差ない。

 それでも、伯爵の統治がもう少しよければ、状況は違っていたはずなのだが……


「なぁ」

「なんだい」

「俺、ここにいたくない」


 俯いたまま、ジョイスがそうこぼす。無理もないか。


「僕もだ」

「明日、出発しようぜ」


 だが、それはできない。

 好ましくない事実を、俺は説明した。


「無理だよ、ジョイス」

「なんでだよ」

「君の通行証を発行してもらえるのが、明後日なんだ」


 ジョイスは庶民だ。手形なしに、勝手に他の領主の支配地に行くのは許されていない。イーパはグルービーのおかげでそれがある。また、奴隷の俺は、所有者または所有者に管理を委託された代理人についていくことができる。


「面倒臭ぇな」

「面倒でも何でも、無視して出て行けば、犯罪者扱いだ。意地悪で言ってるわけじゃない」


 それに、伯爵の返事も、もしあればだが、受け取っておかねばならない。あんな奴に会ったって、気分が悪くなるだけだが、仕方ない。

 できれば、ティンティナブラム城の様子も調査したいが……こんな場所に、数日間も滞在するなんて、とてもじゃないが無理だ。


「……じゃ、あれは犯罪じゃねぇのかよ」


 大人の都合でものを考える自分が、たまにいやになる。ジョイスの直情的な意見の方が、ずっと好ましい。

 勝手に領地の外に出ただけで犯罪? なら、ろくに抵抗もできない老婆を一方的に殴ったり、殺したりするのは、どうなんだ。


「もちろん、許されない」

「じゃ、ちゃんと縛り首になるんだろうな? だったら、俺、それ見てから行くわ」

「ジョイス」


 そこで、イーパが首だけ起こした。


「気持ちはわかるけど、やめるんだ。これ以上は」

「うるせぇよ」

「僕には好き勝手に何を言ってもいいけどね、わかるだろう? ここがどんな場所なのか」

「ド畜生」


 そこで、ドアをノックする音が聞こえた。


「済みません……」


 やってきたのは、家主だった。


「あのう……」


 手に鍋を持っている。それと、パンの入った籠もぶら下げている。

 イーパは身を起こして、なんとか笑顔を浮かべた。


「ああ、夕食ですね、ありがとうございます」

「あ、いえ、あ、はい……」


 返事にもならない返事をしながら、家主は神妙な表情で、黙ってテーブルの上に、鍋と籠を置く。


「いつもおいしいから、楽しみですよ」

「そ、それなんですけどね」

「はい?」


 さすがに表情の変化に、俺もイーパも気付く。ジョイスは? 頭のいい子供ではないが、何せ心の声が聞こえてきてしまうのだから……


「そのう……申し訳ないんですが」

「はい」

「できたら、明日の朝くらいには、えっと、申し訳ないんですが、出発していただけますでしょうか?」

「えっ? どうなされたんですか?」


 だが、そこでジョイスは「チッ」と舌打ちをして、項垂れた。それで俺も察する。


「もしかして、今朝の件ですか」

「はい……」


 そういうことだ。俺達が兵士ともめたのを知ってしまったのだろう。あの乱暴者どもの仕返しに巻き込まれてはたまらない。


「え、ええっと」


 イーパは、俺とジョイスの顔を見比べながら、あれこれ思案して、やっと答えた。


「済みません、明日だと、ちょっと難しいんで、明後日の朝でいいですか? 通行許可証を取らないと」


 当然かつ常識的な理由だ。しかし、この回答に、家主は目を白黒させた。


「何を暢気なことを言ってるんですか。あいつら、何してくるか、わかったもんじゃないんですよ?」

「あ、いや、でも、ねぇ……」


 剣幕に押されたイーパが、俺に助けを求めて、視線を向けてきた。やれやれ、頼りにならない大人だ。


「一応、こちらのイーパさんは、コラプトの大商人、ラスプ・グルービーの部下なんです。下手に手出しをしたら、大事になるんですよ」


 だが、その一言でも、家主は安心できなかったようだ。


「と、とにかく。い、いいですか? 私は、ちゃんと忠告しましたからね。本当は、今夜にでも、今すぐにでも逃げたほうがいいんだ」


 それだけ言うと、彼は背を向け、小屋を出て行った。

 あそこまで怯えるほど、兵士達の行いはひどいのか。だが、そうだとしても、だ。

 ここはスラムではないし、イーパはグルービーの部下だ。グルービーにとってのイーパは、どうでもいい下っ端かもしれない。だが、だからといって、自分の配下がぞんざいな扱いを受けたり、いきなり殺されたりしたら。あの男が、黙っているはずがない。


 明日一日、出歩くのを控えて、おとなしくしていればいい。

 迂闊に外に出れば、嫌がらせを受けるかもしれないが、ここに閉じこもっていれば。馬を盗まれたりとかするかもしれないが、その時は伯爵に陳情だ。なんといっても俺は子爵家の使者。たかが奴隷とはいえ、帰りの交通手段を伯爵の部下に奪われたとしたら? 仮にも同盟関係にある貴族の使いなのだから、代えの馬車くらい、用意してくれるはずだ。


「とりあえず、冷めないうちに食べようか」


 同じことをイーパも考えたようだ。


「しょうがない。明日は一日、寝る日にしよう。明後日からまた、ずーっとあのデコボコ道を、馬車で行くんだからね」


 明日は、と言いつつも、もう日が暮れる。夜中にやれることなんかないわけで、今すぐ寝るしかない。いったい何時間、寝ればいいんだろう?

 娯楽の一つもない、静かな村の中。すっかり暗くなり、物音もしないとなれば、自然と眠くなる。


 夢の中で、バタンと扉が開く。

 月光を背に現れた男。扉の輪郭を描いて、青白い光が狭い部屋の中を照らす。冬の夜の、冷たく澄み切った空気が、不思議と甘く感じる。

 だが、部屋に踏み込んだ男の息遣いは荒い。見るからに余裕がなく、周囲をキョロキョロと見回すと、手にした棒で、まずイーパの頭を殴りつける。


「あがっ!?」


 一度、二度、跳ね上がって布団から這い出ようとしたところで、鳩尾に一発。

 この騒ぎに、目を覚ましかけたジョイスが、体をベッドの上で転がして、出口のほうを見る。

 目が合った男は、今度はジョイスに棒を振るう。二度、三度と打ち据え、抵抗力を奪うと、ベッドの上に覆いかぶさるようにして、ジョイスを引っ張り出す。そのまま肩に抱えると、外へと走り出る。当たり所が悪かったのか、ジョイスは動かない。手足をだらりと伸ばしたまま、肩に担がれている。


 ……物騒な夢だ。

 そう思いながら、意識がだんだんと明瞭になってくる。


 外の冷え切った空気に、ハッと我に返る。

 夢じゃない!


 横を見る。イーパは、苦痛に喘いでいて、まだ起き上がれない。ジョイスのベッドは空っぽだ。

 くそったれ。何を呆けていたんだ。

 用心しろと言われたんだ。出入口につっかえ棒くらい、立てかけておくんだった。


 俺はそのまま起き上がると、靴を突っかけ、すぐに外に出る。

 周囲は見晴らしのいい農耕地。起伏も少ない。スラムのほうまで逃げたのならいざ知らず、動くものはすぐにでも発見できるはずだ。

 不幸中の幸いというべきか。離れた場所を走る男の背中が、すぐに見えた。肩に抱えられているのはジョイスだろう。小屋を出て、ひたすら西、つまり、エキセー川があるほうに向かって走っている。


 子供の足では厳しいが、全力で追いかける。まだ気付かれてはいないようだが、当然、奴は警戒している。

 先にイーパを殴ったのは、大人の男性が自分を追ってきたら困るからだ。剣で刺し殺せるならそれでもいいが、グルービーの部下と知っている以上、それもリスクがありすぎる。あくまでこいつがしたいのは、昼間の仕返しなのだろうから。

 ついでに俺を殴らなかったのは、その必要がないと判断したからだ。確かに、見た目はただの子供で、一番年下でもある。その上、眠っているとあれば、片付ける必要性もない。

 ともあれ、殴って足止めしただけで、ジョイスを誘拐してきた。数分とかからず、立ち直ったイーパが追ってくる。となれば、奴は何をする?


 ついに奴は、川べりで足を止めた。まさか。

 ジョイスを下ろしながら、奴はこちらを見た。気付かれた。構うものか。もう少し接近しなければ。剣は持ってこなかったが、現状でも戦闘力が皆無というわけではない。牽制できれば充分なのだから。

 だが、奴は、追いかけてきたのが子供だけという状況を軽く見たのか、逃げる様子もなく、手元のロープを持ってしゃがみこもうとした。その時、いきなりジョイスは跳ね起きて、拳を叩き込もうとした。

 死んだフリ作戦は悪くなかった。だが、あっさり避けられ、逆に顔面に拳を浴びる。いかんせん、ジョイス自身の格闘能力が低すぎた。そうに決まっている。相手の心が読める以上、不意討ちに気付かれているかどうか、わかった上で行動に出ているはずなのだから。


 俺は、全力で走り寄る。だが、まだ百メートル以上離れている。この距離では、『行動阻害』の呪文は届くまい。

 今度こそ抵抗力を奪ったそいつ……シトールは、ジョイスをうつ伏せにして、手早くその手足を縛り上げる。そして頭に頭陀袋をかぶせて……僅かに身動きするジョイスを持ち上げた。

 クソ野郎……! 真冬の川の中に投げ込むつもりか!


 いよいよ、シトールが腕に力をこめ、勢いをつけて、ジョイスの体を川に投げ込もうとした。その瞬間。

 ……ジョイスは、突然、支えを失って、足元の泥の中に放り出された。


 やむを得なかった。

 飛び道具を持っていたわけでもないし、またそれを扱えるスキルもなかった。行使可能な魔法の中には、シトールを倒したり、邪魔したりできるようなものがなかった。大声をあげて助けを求めようにも、周囲は農地か原野で、周囲に人家はなかった。またもし、あったとしても、村人は兵士を恐れて、出てこなかっただろう。


 あの状況で選択可能な手段は、ピアシング・ハンドの行使だけだった。

 そして、この能力に「手加減」はない。


 俺の能力には、空き枠がなかった。だが、そこは問題ない。視界にはジョイスもいた。


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 ジョイス・ティック (11)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、11歳)

・マテリアル 神通力・読心術

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・透視

 (ランク5)

・スキル フォレス語  4レベル

・スキル 棒術     3レベル

・スキル 農業     2レベル

・スキル 料理     1レベル

・スキル 裁縫     1レベル

・スキル 木工     1レベル

・スキル 動物使役   1レベル

・スキル 商取引    5レベル


 空き(1)

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 どれも高レベルにまで育ったスキルばかりだったので、完全に捨て去るわけにはいかない。だから、ジョイスの中に、商取引のスキルを移した。

 その上で、シトールの肉体を奪ったのだ。


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 (自分自身) (8)


・アルティメットアビリティ

 ピアシング・ハンド

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、男性、7歳・アクティブ)

・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、27歳)

・マテリアル ラプター・フォーム

 (ランク7、オス、14歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル 薬調合    6レベル

・スキル 身体操作魔術 5レベル

・スキル 料理     6レベル

・スキル 剣術     5レベル


 空き(0)

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 この世界で、十回目の殺人、か。

 だが、今回に限っては、罪悪感も後悔も、あまりなかった。シトールの生前の行いを目にしていたからだろうか。つい今朝、老婆を八つ当たりで殺し。今は今で、逆恨みでジョイスを殺そうとする。生きていればいただけ、悪事を重ねたに違いない。始末してよかったのだ。


 問題は、後始末だ。

 目の前には、身悶えするジョイス。手が後ろに縛られているので、頭にかぶせられた頭陀袋を外せないのだ。すぐに助けてやりたいが、それは少し後にする。

 俺は、改めて周囲を見回して、誰も来ていないのを確認する。よし。

 まず、足元に散らばったシトールの衣服や荷物。これを拾い上げ、近くの草叢に投げ込む。それから、ジョイスに駆け寄り、体を揺すってやる。


「大丈夫か、しっかりしろ」

「う、うおお!? フェイ、か!?」

「動くな。今、ほどいてやる」


 そう言いながら、俺は固く縛られたロープを、難儀しながらも、ほどいてやった。腕、それから頭陀袋を外し、最後に足。


「いってぇ……おい、あの野郎は?」

「……逃げていったよ」


 ジョイスは俺の心を読めないらしい。ならば好都合だ。嘘をついてもバレない。


「はぁ!?」

「僕が追いかけてきたから、見つかったらまずいと思ったんだろう」


 だが、ジョイスは納得しなかった。


「うーん……変だな」

「何が?」

「だってよぉ、あの野郎、直前まで、そんなこと、全然考えてなかったぜ?」


 ……しまった!

 俺の心は読めなくても、シトールの心の声なら、聞こえていた。当たり前すぎる。


「俺を川に投げ込んでから逃げればいいや、とか考えてやがった。なのに、急にいなくなるなんて」

「そ、それは、あれだ、急に衝動的に、考えを変えたんだよ、きっと」

「……そうかな?」

「そうだよ。心が読めるって言ったって、僕のはわからないんだろう? 要するに、その神通力も、完全じゃないってこと」


 よし。ごまかした。怪訝そうな顔はしているが、反論はない。これでいいとしよう。

 ふと気配に気付いて振り返ると、遠くから、びっこをひきながら、イーパが走ってやってくる。俺達は立ち上がって手を振る。


「よかった……! 無事だったかい」


 息を切らし、膝に手をついて。イーパは俺達の無事を確認して、安堵の息を漏らした。


「危なかったです。あとちょっとで、ジョイスが川に投げ込まれるところでしたよ」

「とんでもないな、ここは」


 吐き捨てるように、イーパは言った。


「夜、寝る時は、出入り口につっかえ棒をしたほうがいいですよ。ああ、あと、火をつけられてもいいように、誰かが見張りに立ったほうがいいかもです」

「信じられない。どうかしてるね」


 ようやく呼吸が落ち着いてきたイーパは、まっすぐ立って、俺達の前に立った。


「戻ろう。今夜は僕が見張るからさ」


 そこにジョイスが割り込む。


「いや。俺がやる」

「子供に無理はさせられないよ」

「明後日、馬車で行くんだろ? だったら、手綱は任せなきゃいけねぇんだから、俺が起きてた方がいい」

「そうか……じゃ、眠くなったら、フェイ君と交替して」


 ……おっと。


「いえ」


 その場を動こうとしない俺に、二人が振り返る。


「どうしたんだい?」

「イーパさん、ジョイス……先に小屋に戻っていてください」

「へぇっ?」

「やらないといけないことができました。明日の夜までには戻ります」


 これは千載一遇の機会だ。逃すわけにはいかない。


「そ、そんな! こんなところに君を放り出すなんて、できるわけないだろう?」

「お願いします。必ず戻りますので」

「い、いや、危険だって。ね? どうしちゃったのさ?」


 ジョイスも、俺のことを訝しげに見る。


「……何しに行くんだ?」

「ジョイス」


 俺は重々しく言った。


「子爵家の仕事だ。悪いけど、これ以上、説明もできない。連れて行くこともできない」


 言葉をなくした二人に、先に行くよう促す。

 俺は今、シトールを殺した。だが、その肉体は、手元にある。着衣一式もここに。ならば、この場で二人を追い返し、変身して服を着替えれば。ほぼ不可能と思っていた、ティンティナブラム城への潜入が可能になる。

 その可能性に気付いた以上、この機会を逃す手はない。


 それに……


「心配しなくていい。悪人にはそのうち、罰がくだる。僕はただ、それを確認しに行くだけだ」


 たとえ子爵家の仕事がなくても、俺のやることに違いはない。

 見極めなくてはならない。この世界での俺の故郷たる、この地の真実を。

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