シュガ村のサル

「今日は寒いですね……」


 旅を始めて三日目。この辺りはそろそろ、ティンティナブリアの端っこだ。

 ピュリスのような海沿いの地域は、冬でも比較的温かいらしい。だがコラプトのような山地や、ティンティアブリアのような内陸は、冷え込みが一段と厳しくなる。

 コラプトを出てから、周囲の風景にはほとんど変化がない。何かが変わったとすれば、それは足元だ。ピュリスからコラプトまでと、コラプトを出てしばらくは、まだ道路の整備が行き届いていた。もちろん、あちこちに窪みや凹みはあるのだが、その程度だったのだ。ところが、この辺りになると、もうただの砂利道と大差ない。おかげで馬車の揺れ方がひどい。


「道もガタガタだし」

「ははは、堪えてるね。でも、大丈夫」


 イーパは、これで結構、我慢強いのかもしれない。いや、やせ我慢か。この寒さの中、弱々しいながらも笑みを浮かべ、ひたすら御者の仕事をこなし続ける。


「確か、もうすぐ村だよ。今日は屋根のあるところでゆっくり休める」

「本当ですか!?」

「お金を払えば、ちゃんとした料理も食べられそうだよ」


 それは楽しみだ。できれば熱い湯にも浸かりたいが、まぁ、それは贅沢というものか。でも、お湯くらい出してもらえないだろうか。タオルで体を拭くだけでも違う。


「ちなみに、なんて村ですか?」

「シュガ村だね。もう、四年ぶりだよ。このところ、ピュリスとコラプトを往復してばかりだったから」


 シュガ村……聞いたことがあるような。

 記憶を呼び起こそうとして、頭上を見上げる。抜けるような青空だ。但し、日没の早いこの時期、僅かに浮かぶ雲のきれっぱしには、既に橙色の光が混じってきている。


「この辺りは、特に田舎だからねぇ。これがまた、お城の近くになると、もうちょい道もマシになるんだけど……橋を渡るまではね」

「橋?」

「ほら、この辺り、エキセー川の支流があってね。ちょっとした谷間があるんだ。で、渡れる橋が、近くには一つしかない。それが嫌ならもう、かなり西側に迂回しないとダメだね。まぁ、帰りのピュリス行きのルートなら、そっちでもいいんだけど……」


 そんなことを話しつつ、何気なく道の先に目を向けていると、視界の隅に、人工物が映った。灰色の小屋のようなものが。


「おっ」


 同時にイーパも気付いたらしい。


「あれがシュガ村だよ」


 シュガ村は、「もの寂しい山麓の村」といった雰囲気だった。北側に森と山があり、その足元に広がる平地に、ポツポツと四角い灰白色の家が散らばっている。掘り返された農地もくすんだ茶色で、全体的に、こう、明るさというか、活気というか、そういったものが感じられなかった。どちらかというと、しん、としている。

 実際、村の端に辿り着いて、馬車を走らせているのに、聞こえる物音はというと、自分達の車輪の音だけだった。確かに、もう季節も冬なので、屋外で農作業に勤しむ人などいないのだろうが、それにしても、だ。


「川は、このままシュガ村を抜けてすぐ、北側の、あの小さな山の右側を抜けていくとあるんだ。でも、ちょっと早いけど、今日はここで一泊しよう」


 俺よりずっとこの辺の地理に詳しいであろうイーパが、そう言う。


 そういえば。ティンティナブリアに入ったということは、ミルークもこの辺まで来たはずだった。俺にも断片的には記憶がある。リンガ村から抜け出して、その後馬車の中で目覚めて。青みがかった灰色の砂利道が、印象に残っている。


 ……そうか。帰ってきたのか。


 一際大きな家の前で、馬車が止まる。固い地面の上に飛び降りると、黄土色の砂埃が舞った。


「ごめんくださぁい」


 イーパがひょろひょろっとした声色で、そう呼びかける。

 しばらくして、物音がする。扉を開けるだけなのに、家の内側からドタンバタンと騒々しい。

 ややあって、出てきたのは、白髪に日焼けした肌の、くりっとした目が印象的な老人だった。とはいえ、肌の色艶はよく、背筋もまっすぐだ。


「なにかね」

「村長さん、お久しぶり」

「おっ? おお、あんたは」


 それから、一秒、二秒、三秒……


「イーパですよ。コラプトの商人の」

「おお、そうじゃったな」


 これは完全に忘れられていたな。

 イーパ、不憫な人。印象に残りにくいんだろうな。重要人物っぽく見えないから。


「それで、今夜、泊まりたいんだけど、お部屋、ありますか?」


 ところが、彼がそう切り出すと、村長の顔色が見る見る変わった。


「いかん、ぐずぐずしないで、先に行きなさい」

「へっ? どうしてですか?」

「あんたは久しぶりだから知らんのだろうが、最近の、この村は、とても客を泊められる状況にはない。日が出ているうちに、橋を渡って次の村まで行くんじゃ」

「そんなぁ。次はフガ村でしょ? 今から間に合うわけないじゃないですか。やっと休めると思ったのに。何があったんですか」


 だが、その問いかけに、村長は顔を背けるばかりだった。


「と、とにかく。わしは忠告したからな」

「あ、ちょっと」


 それだけ言うと、すぐまた家の中に引き返して、扉を閉じてしまう。しかも、その後またドタンバタンと物音が……これは、重いものを扉の前に据えているのだ。

 ということは、そうまでして出入口を塞がなければいけないほど、危険なものがいる?


「どっ、どうしちゃったんだろうねぇ……?」


 引き攣った笑みを浮かべたイーパが振り返る。


「さぁ……」


 どうしたものだろうか。

 厄介ごとを避けるために、先を急ぐべきか。それとも、あえて休養を優先すべきか。


 そもそも、この状況。

 村長は、玄関の前にバリケードまで用意して、襲撃に備えている。

 では、この村を襲う脅威の程度とは、どれほどか?


 しかし、相手が盗賊か何かであれば、俺達にちゃんと説明しない理由がない。危険地帯だから、すぐ退去せよ、と言ってくれるだろう。

 野生動物? 魔物? 同じことだ。しかし、彼は何も言わずに引き篭もった。


 村人が説明したくない脅威。

 それは……


「とりあえず、もうちょい進もうか」


 イーパの言葉に頷き、また馬車に乗り込む。

 しばらくゆっくり先を進むと、前方から、みすぼらしい男がフラフラとやってきて、馬車の前を遮った。


「おぅい」

「村人ですか?」

「そうだ」


 貧しいティンティナブリアの村民にしても、あまりに身なりがひどい。服もボロボロ、無精ヒゲも剃らず。いったいこれはどうしたことか。


「あんたら、旅の商人か?」

「そうです」

「なら、泊めてやろうか?」

「本当ですか!?」


 本当はイーパも疲れていたのだろう。男の提案にすぐ乗ろうとした。

 だが、これはどう見ても怪しい。俺はそっとイーパの袖を引く。


「ああ。ただ、宿泊料はもらうぞ。それと、何があっても自己責任だ」

「はい。で、おいくらですか?」

「金貨一枚だ」

「きんっ……」


 立派なホテルに泊まるならいざ知らず。見るからに貧しそうな男が、一夜の宿に金貨一枚を要求する。ボッタクリだ。


「イーパさん」


 俺は耳打ちする。


「これ、絶対おかしいですよ。行きましょう、野宿でも仕方ないですよ」

「う、でも、なぁ、うーん」


 俺達の様子を見て、男は態度を変えた。


「冗談だ」

「は?」

「タダでいい」

「えっ!?」

「うちにこの馬を曳いてこい。寝るだけなら、金は取らん」


 冗談、か。

 さっきの金貨一枚。真顔だった。それをいきなり、タダでいいとか言い出す。

 こいつ……


 警戒すべき相手と認識して、俺は彼を注視する。


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 ナイスス・ティック (37)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、37歳)

・スキル フォレス語 5レベル

・スキル 農業    5レベル

・スキル 料理    2レベル

・スキル 裁縫    2レベル

・スキル 木工    3レベル

・スキル 動物使役  3レベル


 空き(31)

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 この名前……思い出した!

 サディスの父親じゃないか。

 それにまた、こいつは書面上では俺の父親ということになっている。子爵家の奴隷・フェイは、ミルーク・ネッキャメルが彼から買い取った少年、チョコス・ティックであるとされているのだから。


 能力的には、特に危険を感じるような要素はない。農村になら、どこにでもいそうな普通の男だ。髪の毛の色もフォレス人らしく茶色だし、体格も人並みだ。

 しかし、こいつの人間性については、注意を要する。息子と娘が拾い上げた俺を、金貨五枚で売り飛ばした。つまり、人道より利益を取ったのだ。また三年前、サディスまで奴隷として売り払った。素性もわからない他所の子供ならいざ知らず、実の娘にも同じことをした。


 そんな男が、親切心で宿を貸すだろうか? あり得ない。ましてや、見ての通りの貧しさだ。

 考えられるとすれば……こいつ、俺達から金品を奪って逃げたりするんじゃないか?


「タダなら……いいよね、フェイ君?」


 イーパ、お前はもう少し、グルービーの下で修業を積んだほうがいい。そんなだから、怒鳴られるんだ。

 しょうがない。彼は一日、御者を務めて疲れている。本音では休みたいのだ。だったら寝かせておいてやろう。一日くらい、俺が徹夜で見張ってやれば済む話だ。なにしろ、俺はただ、後ろの荷台で休んでいただけなのだから。

 そう心に決めて、溜息をついた。


 山間の村の夜は早い。

 イーパが馬車をナイススの自宅の敷地内に引き入れ、馬に秣を与える頃には、辺りは橙色に染まり、影が長く伸びていた。


 敷地内に足を踏み入れると、その異様なありさまに、俺の中の警戒心が高まった。

 この家の土壁。灰色の壁のあちこちに、小さな亀裂が入っている。ろくに修繕もしていないようだ。しかも、割と最近、傷ついたとみられる形跡もある。どういうことだ?

 壁以外にも、敷地内は荒れ切っていた。あちこちに古びた桶が転がっていたり、雑草が除去されずに伸び放題だったり。家の中も、ろくに掃除されていないようだった。


 馬小屋もあった。だが、ナイススはそこに馬を引き入れなかった。他の馬がいるわけでもない。意地悪をしているのでもない。建物がボロボロだったからだ。

 いつ崩れるともわからないほどの状態だったが、俺は意を決して足を踏み入れる。すると、頭の中にスッと甦ってくる記憶があった。

 雨の日。仰向けになって、見上げた天井。そうだ、ここは……ティック家の息子とサディスが、俺を連れてきて、寝かせてくれた場所だ。


 周囲の様子の観察に夢中な俺をおいて、イーパはナイススに話しかけている。


「あの、ティックさん」

「なんだ」

「家にお住まいの方は」

「自分だけだ」


 そうなると。

 サディスの母親は、もうここにはいないのか。

 ……いや。

 息子は? 息子がいたはずだ。


 だが、それを俺が言い出すのは。話がややこしくなりそうだし、なんといってもナイススは得体が知れない。

 それにしても、だ。サディスは金髪だった。だが、ナイススは見ての通り、普通のフォレス人だ。となると、母親の方がルイン人なんだろうか。ティンティナブリアは、アルディニアの玄関口でもある。距離的には近いから、こちらに移り住んできてもおかしくないが。


「で、あのう、ティックさん」

「なんだ」

「できれば、そのう、食べるものとか、夕食ですね、それと、お湯もいただけると」

「ない」

「は?」

「食べるものはない。湯が欲しいなら、そこに鍋と薪がある。勝手に沸かせ」

「……はい」


 無愛想というより、単に冷淡なナイススの態度に押されて、早くもイーパは萎縮していた。だから言ったのに。

 まあいい。夜中に変な動きをしたら、飛びかかって背中から叩き斬ってやる。お嬢様からいただいた剣なら、ちゃんと持ってきた。これだけは手放さないようにしないと。


 結局、寝る場所があっても、安心もできなければ、夕食も出ない。体を清めるのさえ難しい。イーパは落胆を隠せずにいた。結局、昨日と同じく、干し肉にライ麦パン、それに塩漬けの野菜だ。俺達は、ティック家の庭にしゃがみこんで、鍋に火をかけている。


「はぁ……」

「イーパさん」

「なに?」


 力なく項垂れながら、器の中の干し肉をフォークで引っかけようとする。だが、手元が狂って、それがまた、スープの中に落ちる。その程度のことでも、疲れている時には、苛立ちの原因になるものだ。

 思えば、彼は旅路の途中に休める場所があると、最初から期待していた。だからこそ、我慢もできたのだ。それがこんな形で裏切られたのだから、気分もよくないだろう。


「今夜ですが……先に休んでください」

「なんで? フェイ君は、寝ないの?」

「見張ります」

「どうしてさ?」

「……いやな予感がします」

「予感?」


 怪訝そうな顔をされてしまう。

 仕方ない。説明されなければ、わからないだろう。


「おかしいと思いませんか。さっきの村長、家の玄関に、つっかえ棒か何か、物を置くとかして、下手に入れないようにしていましたよ?」

「野犬か何かが出るんじゃないのか?」

「それなら、説明くらいするはずです。何も言わないってことは……それが、村にとって不都合だからなんですよ」


 そう。下手をすると自分の責任を追及されかねない。そういう事情でもなければ、口を噤む理由が見当たらないのだ。


「で、泊めてくれるって人も、どこか変です。食べ物も出してくれないし」

「それは、僕らがお金を出してないからじゃないか」


 ああ、ダメだ。

 疲労のせいもあるが、こいつ、思考が停止しているな。


「最初、金貨一枚だって言ってたじゃないですか」

「あれは冗談だろう?」

「おかしいのは、そこだけではないんです。イーパさん、僕はここの人のことを、少し知ってるんです」

「なんだって?」


 そんな大事なことをなぜ今更、と言わんばかりに、彼は腰を浮かした。


「静かに! ……あの人は、ナイスス・ティックですよね? 僕のピュリスの家には、あの人の娘がいます」

「本当かい? どうして? 知り合い?」

「いいえ、奴隷として売られたのを、引き取ったんですよ」

「そんなことが」

「でも、それだけでは……ナイススには、まだ他に、妻と息子がいるはずなんですよ。なのに、どうしてここにいないんですか」

「それは……」


 その時、敷地を囲む塀に打撃音が響いた。


「なんだぁ……? なんか、見慣れない連中がいるじゃねぇか……」


 遠くに立つナイススが、その声に動きを止める。そして、イーパは怪訝そうな顔をした。

 それもそのはず。口調は粗暴だが、声色は少年のものだ。声変わりすらしていない。


 俺はそっと視線を向ける。出入り口が南西向きなので、西日に視界が遮られる。

 そこには、少年が立っていた。身長は百三十センチ程度、体格はやや痩せ気味。この季節なのに薄着で、手に長い棒を持っている。ボサボサの髪の毛が、日没の光で金色の輪郭を描いている。察するに、ナイススの息子だろうか?

 だが、一番特徴的なのは、その目だ。眼球が金色で、瞳が真っ赤だ。こんな外見、初めてだ。


「旅の商人ってとこか? じゃ、いろいろ持ってんだよなぁ? ちょっと恵んでくれよ」


 そう言いながら、彼は棒を振り上げつつ、近付いてくる。

 イーパは、突然の展開についていけないらしい。フォークでもう一度、慌てて干し肉を持ち上げようとして、またスープの中に落としている。

 仕方ない。俺は食器を地面に置いて腰を浮かし、前に出て、彼を注視する。


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 ジョイス・ティック (11)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、11歳)

・マテリアル 神通力・読心術

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・透視

 (ランク5)

・スキル フォレス語 4レベル

・スキル 棒術    3レベル

・スキル 農業    2レベル

・スキル 料理    1レベル

・スキル 裁縫    1レベル

・スキル 木工    1レベル

・スキル 動物使役  1レベル


 空き(2)

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 ……こいつだ。

 やっぱりそうか。問題を起こしているのは、村人。だから村長は言葉を濁した。


 棒術のスキルがあるが、たったの3レベルだ。これだけなら、何の技能もない人間でも、数人でよってたかって殴りかかれば、制圧できなくもないはずだ。

 だが、どういうわけか、ジョイスは神通力に目覚めている。人の心が読める上に、透視までできるのだ。これでは不意討ちも通用しないし、罠やフェイントも無意味だ。もし大勢で袋叩きにしようと計画すれば、事前にそれを察知して、逃げ出してしまうだろう。

 これは強敵だ。少なくとも、戦闘能力を持たない人間に退治できる相手ではない。


「お? そっちのオッサンはビビッてるけど、お前、ガキのほうがやるってか?」

「棒を捨てろ。手加減できないぞ」

「はっ! 俺様に勝てるとでも……ん?」


 自信満々だった彼の顔が歪む。なんだ、どうした?

 だが、とにかく俺は剣を鞘から抜く。殺すつもりはない。今は悪人に成り下がったにせよ、彼もまた、死にかけの俺を救った恩人であったはずだ。うまく生け捕りにできればいいのだが。


 睨みあう。だが、戦いを始める前から、既にジョイスは焦っていた。


「なっ……なんなんだよ、お前」


 何を見て気味悪がっているのか知らないが、どうやら、評価を下方修正すべきかもしれない。俺と違って、こいつは恐らく、命懸けの戦闘を経験したことがない。ただ、その棒切れで暴れまわってきただけだ。多少技術があっても、体格で勝っていても。この差は簡単には覆らない。

 問題は読心術だ。俺の繰り出す技は、どれも先読みされる可能性がある。ということは、フェイントその他の絡め手は意味がない。俺にとって一番有利な条件で、正攻法で決着をつける。

 勢いよく前に出る。リーチ差がある以上、接近戦を挑む以外にない。張り付いたら離れない。俺の武器のほうが殺傷力は高い。至近距離でなら、こちらが有利だ。


「とっ、どわっ」


 俺の踏み込みに対して、ジョイスはまったく反応できていなかった。それどころか、戸惑うばかりだ。なんでこんなに無防備なんだ?


「ハッ!」


 鋭く逆袈裟に切り上げる。両断を狙ったのは棒だったが、手を切られると思ったのか、ジョイスは獲物を取り落としてしまった。


「動くな」


 首筋に切っ先を向ける。それだけで、ジョイスはその場にへたりこむ。


 解決、か……

 そう思って息をついた瞬間、蹄の響きに振り返る。


「な、何を! ちょっと! ティックさぁん!?」


 後ろでイーパが情けない声をあげている。片手で後頭部を抑えている。ぶたれたのか?

 見ると、馬車から外された馬達を、ナイススが引き出していた。そのうちの一頭に跨り、残り三頭の手綱を掴んでいる。


 ちっ! 息子と揉めているうちに、馬や荷物を盗んで逃げるつもりか!

 駆け寄っても間に合わない。だが。


「……はぐわっ!?」


 一度目の詠唱で、彼は馬上で姿勢を崩した。駆け寄りながら、もう一度『行動阻害』の呪文を手早く唱える。それで彼は、完全に馬から転落した。


「ぐふっ……うう……」

「どういうつもりだ!」


 俺はナイススの髪の毛を掴み、鼻先に剣を突きつけた。

 後から追いかけてきたイーパが、俺の横に並んで、ナイススの顔を見に来たが……


「イーパさんは、早く馬を!」

「え……あ、ああ!」


 怒鳴られて、彼は弾かれたように走り出す。

 ……そうだ。ジョイスは?


 後ろを振り返ると、棒を拾ったジョイスが、俺達の荷物に手を出そうとしている。


「くそったれ! 親子揃って泥棒か!」


 だが、そのまま行かせはしない。距離は開いているが、ここからでもまだ、呪文なら届く。


「い、いてぇっ!?」


 背負い袋を抱えたまま、ジョイスは前につんのめって転んだ。

 俺は振り返り、ナイススの後頭部を剣の柄で殴りつけた。一回、二回、更に『行動阻害』の呪文を詠唱しながら、全力でもう一撃。激痛のあまり、彼は地面に突っ伏した。


「待て!」


 俺は剣を振り上げて、ジョイスを追いかけた。

 ジョイスは荷物を放り出し、走り出す。


 どうする?

 辺りは暗くなってきた。だが、このまま泥棒どもに取り巻かれたままでは、安眠もできない。


 後ろから馬蹄の響きが聞こえてきた。


「捕まえてきたよ!」


 馬達は遠くまで逃げておらず、すぐ足を止めたらしい。

 これは幸運だった。


「イーパさん」


 よし。

 腹はくくった。


「僕は、奴を追いかけます。今のうちに、ナイススを縛り上げておいてください」

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