ノーラの生活

「腕のいいガラス職人のおかげでね……ああ、だが、大声は困るよ、ファルス君」


 細い廊下を一列になって進む。ここは客間のあるエリアから遠く離れた、いわば調教スペースの裏手だ。

 用意周到なグルービーは、このような細い廊下を、訓練中の女達の暮らす建物に備え付けた。この廊下の壁には、時折丸いガラスの壁がある。これはちょっとした拡大鏡になっていて、壁の向こう側ではごく小さなガラスに埋められた穴があるだけに過ぎない。だが、こちら側からは、向こうの様子がよく見えるのだ。

 おまけに、伝声管のようなものまである。おかげで、向こうでの会話もある程度、拾えてしまう。


「普段は、わざわざここまで来たりはしない。部下に任せているからね。だが、今日は特別だ」


 ノーラのスケジュールは、確認済みだ。

 昼食の後は、他の女の子達と一緒に、歴史の授業を受ける。ただ、なんといってもまだ八歳前後の少女達なので、集中力もそこまではないのが普通だ。食後の眠気も考慮して、授業はそこそこで打ち切られ、運動の時間となる予定だ。

 今はまだ、ここで教師の話を聞いている。もちろん、教師も女性だ。


「前回の復習です。ピュリス王朝最後の王の名前は? わかる人!」


 眼鏡をかけ、髪の毛を団子にした、痩せぎすの女教師。見るからに厳しそうだ。


「はい、ノーラさん」

「ズーボ二世です」

「在位年数は?」

「二ヶ月です。エスタ=フォレスティア王国に王位を献上した後は、王都にて、フォレスティス王家の庇護の下、余生を過ごしました」


 おおお。

 スラスラと答えている。しかも、積極的に挙手して。

 表情も、真剣そのものだ。周囲の女の子の中には、既に眠そうなのもいるのに。


 横のグルービーが、嬉しそうに言う。


「大変に熱心で、成績もいいと聞いているよ」


 ……ま、そうだろう。

 今の部分くらいは、難なく回答できて当然。俺が授業で散々やったからな。


 それに、俺は彼女を含むミルークの奴隷達には、勉強のコツも伝授してやった。

 こういうのは、ただ記号の羅列として覚えようとすると、難しくなる。だが、それはそもそも、人間の記憶能力や、知識の本質から外れた行為だ。

 知識とは何か。それは物と物との関係性を叙述したものである。だからこそ、何かの定義をするためには、周辺の何かでもってその説明をするしかない。国語辞典なんかを見ると、その現実が浮かび上がってくるだろう。

 ゆえにキーワードは、連想だ。ある情報から、別の情報をイメージする。色とか、形とか、臭いとか、或いはストーリーとか。そういう繋がりを利用して、忘れようのない知識の周辺に、次々知識の種を植えていく。できれば、楽しむのがいい。感情を伴う記憶は、定着しやすい。逆に、一番の敵は、「面倒臭い」という気持ちだ。

 あとはそれを反復するだけだ。時間をかけて一回で覚えようとしなくてもいい。その代わり、短時間でいいから、何度でも繰り返す。


 ノーラとウィストは、すぐにコツを飲み込んだ。ディーは微妙だったな。コヴォルは……いや、あいつには怪力という才能があるから、別にいいんだ。

 だが、これまでの人生で見た中で、一番物覚えがいいのは、今のところ、リリアーナだったりする。こんなコツなんか教えた覚えもないのだが。


「グルービーさん」

「なんだね?」

「この辺はもう、ノーラは学習済みですよ? もっと高度なことを勉強させてあげてもいいのでは」

「ほう? さすがはミルーク……いや」


 勘付かれた。


「君かね?」


 どうしよう、こいつ、もしかして……いつの間にか俺の心を読む魔法を遣ってた、なんてことはないよな? いつでも俺の頭の中にアクセスできるようにした、とか。だとしたら、怖すぎる。


「ええ、まぁ。でも、ミルークさんの指示ですよ」

「まぁ、そんなところだと思ったよ」

「教えることでも学べますからね」


 七歳児の台詞ではないが、今更だ。

 グルービーは、ニヤニヤしながら俺を見つめていた。


「それも面白いかもな」

「えっ?」

「今度、ノーラに授業をさせてみよう。確かに、伸び代がある子供には、もっと負荷をかけて、成長できる機会を与えるべきだ」


 それはいいことか、悪いことか。

 いいに決まっている。


 さっき、ガラス越しに見えたノーラの表情。

 自分だけがわかる。自分だけができる。そんなノーラはクラスで一番の優等生だ。でも、まるで嬉しそうではなかった。

 普通の子供なら、得意げになるところだ。だけど、それがまったくない。どころか、生温い授業に苛立っているようにさえ見えた。

 なぜ……って、そうか。


『私、ノール君みたいな人になるの!』


 彼女の中の「できる人」の基準は、俺なのだ。

 周りの子供と比べて優秀だからって、そんなの自慢にもならない。というより、自慢するなんて馬鹿馬鹿しい。それよりもっと上にいかないと。

 彼女からすれば、俺は大人顔負けに有能なのに傲慢な態度をとらない少年だった。それどころか、常に知識欲を失わなかった。自分では、ただ必要に駆られてそうしていただけだったのだが……そんな「すごい人」に見えていた。今になって、やっと気付いた。


「では、授業はいったんおしまいです。続いては鍛錬の時間です。はい、起きて!」


 怒鳴られてやっと目を覚ます女の子もいる。そんな中、ノーラはすっと席を立った。


「場所を移動するようだ」


 グルービーは、狭い通路の中、車椅子を押すスィに、目で合図した。

 俺は二人についていく。


 ぐるりと建物の中から回りこんで、南側から広い庭を見下ろす。

 ちょうど、前世の学校の校庭みたいな場所だった。


「全員、整列!」


 教師が変わっていた。体育教師というには、やや狂暴さが前面に滲み出ている感じの女だ。浅黒くなるまで日焼けした肌、しかし髪の毛の色は、フォレス人にありがちな茶色。動きやすそうな上着にズボン、靴を履いている。能力を盗み見たところ、棒術と格闘術に優れていた。元冒険者か、傭兵だろう。

 総勢十名ほどの女の子達も、同じような服装だ。そして、彼女らの手には、身長より少し長い程度の棒が握られている。


「走れっ!」


 女教官の鋭い叫びが響き渡る。全員が、中庭の中を丸く走り出す。


 季節は晩秋。今日は風がないとはいえ、結構な寒さだ。それでも、午後になり、地面も程よく温められている。そこは救いだ。

 やはりというか、だるそうに走るのもいるが、ノーラは背筋をまっすぐ立てて、整然として姿勢を崩さない。


「よし! 構え! 型! ……そこ、グズグズするなっ!」


 これ、ジルより厳しいんじゃないか? 少なくとも、表面的な態度でみれば、ずっと怖い。まぁでも、ジルは無口だったし、別の怖さがあったけど。

 彼女の号令に従って、生徒達は一糸乱れず、一定の型に従って、棒を振るう。


 隣でグルービーが補足する。


「今日は棒術の日だな。一日おきに切り替わるのだが、明日は格闘術を習う」

「武術を学ばせているんですか?」


 アイビィも、或いは同じように鍛えられたのだろうか。


「はっは、ここで身につけるのは、ほんの基礎だけだよ。余程才能があれば別だが、なにも達人を育てたいわけじゃない。ただ、売りつける先によっては、貴婦人の護衛を務めることもあるのでな。まぁ、できないよりはできたほうがいいという程度だ」


 となると……

 なるほど。こことは違うどこか。本格的に忍者を育てる場所や方法がある、ということになるのか?

 ただ、アイビィがどういう経緯で、あんな腕前になったのか、いまいちわからない。元は漁村の娘だったらしいが、いったいいつから、切った張ったの世界に首を突っ込むようになったのだろうか?


 ともあれ、俺はノーラを注視する。


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 ノーラ・ネーク (8)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク8、女性、8歳)

・スキル フォレス語 4レベル

・スキル 裁縫    1レベル


 空き(6)

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 まだ、棒術と格闘術のスキルが確認できない。

 ということは、ここの訓練密度は、そこまで高くない、ということだ。

 それもそうか。幼い少女、それも娼婦や愛人にされる可能性が高い彼女らを、必要以上に筋肉質にしてしまうわけにはいかないだろうから。まったく運動させないと、それはそれで不健全な肉体に育つから、こうして鍛えているだけなのだろう。


 ただ、動きを見る限り、スキルとして成立する段階に達するのも、時間の問題だと思われる。なんといっても、真剣さが違うのだ。


「わしは武術は門外漢なのだが」


 満足気に、グルービーは語り続ける。


「近頃は、なかなか悪くない動きをするようになったと思うよ」


 中庭では、少女達がプロテクターのようなものを身につけ始めていた。組手もやるらしい。


「二人一組になれ! そこ、早く決めろ!」


 ……あれ?

 ノーラと組もうとする女の子がいない。


「お前はこっちだ、よし、じゃあ、はじめっ!」


 なんてこった。

 号令と共に、女の子達は棒で打ち合う。それはノーラも同じだ。だが、問題はそこではない。


 ノーラが避けられている。

 そうなるか。一人だけ飛びぬけて美人で、勉強の成績も優秀。おまけに強いとなれば。

 だから、誰も彼女と組みたがらなかったのだ。


 俺は、ちらっと横に座るグルービーを見た。この状況をどう思っているのか。

 彼は、相変わらず、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「……身も心も強くなくては、な」


 そうして、独り言のように、ぼそっと言う。


「グルービーさん」

「なにかな」

「もしかしてなんですけど、ノーラ、避けられています?」

「そのようだな」

「まずくないですか?」


 すると、そこで彼は顔をあげて、こちらを見た。


「問題ないとも」

「でも、いじめとか」

「そんなもの、後宮生活では、あって当たり前だ。特に美人となれば。いいかね、ファルス君。美しいだけのか弱い花など、売り物にすらならんのだよ」


 正論だ。言い返せない。

 だいたい、ミルークですら、ある程度はイジメを放置した。それがいいか悪いか別として、彼女らがこの先、送り込まれる世界には、そうした理不尽が必ず存在する。耐え切れなければ、生きていけないのだから。


「そんなに心配なら、君が引き取ればいい」

「どうやって」

「さてなぁ」


 俺の問いをはぐらかしつつ、彼はまた、視線を庭に向ける。


「それに、本人は、大して苦にしてなどいないようだ」

「えっ?」


 武術を学び始めて間もないのは、他の女の子達も同じ。ならば、差は真剣さで出る。

 ノーラに勝てる子は、既にして、いなかった。


 これも、俺のせいか。

 冒険者だったジュサを打ち倒すほどの力を見てしまった。あれを目標にしているのだとしたら。


「さて、ファルス君」

「はい?」

「彼らの授業が終わる前に、最後にノーラの部屋を覗き見しようと思うのだがね?」


 今度は覗き穴からではなく、合鍵を使って、堂々と部屋の中に踏み込んだ。分厚い木の扉が、軋むことなくスッと開く。

 そこまで勝手に見ていいのか、と思わないでもなかったが、どうも教師達の抜き打ち検査みたいなのが、割と頻繁にあるらしい。どうせもともと、プライバシーなど保たれていないのだ。


 焦げ茶色の木の床。よく磨かれ、掃除されている。この部屋ができたのはかなり昔のことらしく、床板の磨耗がかなり進んでいる。

 決して広い部屋ではなかった。一応、個室ではあるものの、狭苦しいとさえいえる。部屋に入ってすぐ左側にはベッドが据え付けられている。大人の男性でも充分に横になれるサイズのものだ。真っ白なシーツがかけられており、布団はちゃんと折り畳まれている。

 ベッドの右隣、扉を押し開けた先の空間に、備え付けの分厚い木の机。それに椅子が置いてある。その机の前に、この部屋唯一の窓がある。か細い木の格子が、どことなく頼りない。

 部屋の右側、ほとんどないようなスペースだが、ここに一応、棚が据え付けられている。衣類その他、私物はここに置くことになっているらしい。


 たったこれだけだった。

 そして、日々の生活に必要な衣類や桶などを除くと、目に見える彼女の私物は、一つしかなかった。


 机の上。

 飾られているのは、俺と手作りした、押し花のフレームだけだった。


 グルービーが、静かに尋ねてくる。


「どうかね、感想は」


 これが今の、ノーラの世界なのか。

 うまく言葉にできない。


「殺風景だろう?」

「……はい」

「普通は、勉強を頑張ったり、訓練で結果を出した子には、ご褒美をあげることにしているのだがね。他の子の部屋を見ればわかるが、ぬいぐるみや人形なども置いてあったりするのだよ。ノーラは成績優秀だから、いろいろもらえるはずなのに、全部断られてしまうのでな」


 彼女は、予想以上にストイックに生きていた。真剣に授業を受け、全力で体を鍛える。

 そして、誰とも馴れ合おうとしていない。女の子にありがちな、グループを作ってどうこう、というのがない。逆に孤独になっても、か細い希望を胸に、努力を重ねている。

 確かに、もともと彼女は人見知りをするし、親しくなるには時間もかかる。だが、それだけが理由ではないはずだ。


 その努力のすべてが。

 もし、俺といるためだというのなら。


「ふむ……あんまり長居はできない。そろそろここを出ないとな。彼女が着替えに戻ってきてしまうよ」


 促されて、俺は部屋を後にする。後ろでスィが扉を閉じる音が聞こえた。


 長く暗い廊下を歩きながら、俺は重苦しい気持ちを振り払えないでいた。


『不幸の原因があれば、取り除きますけどね』


 さっき、自分が吐き出した言葉が、そのまま跳ね返ってくる。


 彼女は、俺と生きるために、何もかもを差し出そうとしているのに。俺は違う。さっさと子爵家を出て、自由に動き回れる身分を獲得して。不老不死を手に入れたら、あとは煩わしい現世を離れて、永遠に眠り続けたいと思っている。

 それが実現した時、彼女には、俺がどんな風に見えるだろうか。俺は、彼女が理想としたような、立派な人間なんかじゃない。優秀に見えたのは、前世の記憶と経験があるからだ。ただそれだけで、とても彼女の真剣な気持ちに見合うだけの何かなんて、持ち合わせていない。


 俺に何ができる?

 グルービーに屈服すれば、彼女は自由になれる。そこまでは、俺にも何とかできる。

 だけど、その先がない。彼女の求めたノールなんて人間は、どこにも存在しないのだから。


 ……彼女にとっての最大の不幸とは。

 もしかしたら。今はまだ、そうなったとは言いきれないにせよ。

 俺と出会ってしまったことなのかもしれない。


「夕食の時間に、また呼びに行かせるよ。それまではゆっくりするといい」


 ずっと押し黙ったままの俺に、グルービーは溜息混じりにそう言った。

 これも奴の思惑通りなのか。それとも、失望させてしまったのか。


 宛がわれた部屋に戻り、俺はベッドに腰を下ろす。そのまま、ただ時が過ぎるのを待っていた。

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