退廃的な歓待

 ややあって、足音が近付いてきた。

 まず部屋に立ち入ったのが、スィをはじめとしたメイド達。その後、グルービーを取り囲んで、他のメイド達も戻ってきた。


「いやぁ、待たせたね」

「いいえ」

「もう少し運動しないとダメだな。少し動いただけで、これだ」


 そういって、彼は大儀そうに額の汗をぬぐった。


「さて……戻ってきておいてなんだが、まずは、ファルス君を客室に案内せねばな」

「あの、そこまでしていただかなくても、カーンのいる宿もそう遠くはありませんし」

「いやいや、これから藍玉の市だからな、街の中は混雑する。今日、ここまで来るのが簡単だったからといって、明日もそうとは限らんのだよ」


 メイド達は、今来た通路を引き返そうとするグルービーについて、部屋を出て行く。俺も招かれて、仕方なくそちらに向かう。


「失礼するよ」


 見ると、グルービーは車椅子に腰掛けていた。さすがにもう、歩くのは無理らしい。


「はっは、頑張って少しでも動くようにしているんだが、もう限界だ。また昼になったら、運動するとしよう」

「あの、ちょっと歩いただけ、ですよね?」

「これでも随分マシになったんだよ。前は、口をきくだけで息苦しくて、ヘトヘトになっていたんだから」


 自然とメイド達に押し出され、俺はグルービーの横に並んでいた。先導するスィに続いて、俺達は歩く。


「さて、部屋ならいくらでもあるが、希望がなければ、わしが選ぼう。もちろん、気に入らなければ、別の場所でも構わない。ああ、それと、『寝具』を選んでもらわないと」

「……それ、普通の意味じゃないですよね?」

「我が家では至って普通だとも」


 ああ、もう。

 ニヤニヤしながら悪びれることなく、グルービーはそう言い放った。


「普通のベッドと布団があればいいんです」

「普通だよ、安心したまえ」

「素材まで指定したほうがいいですか?」

「生物由来の天然素材だよ、何がいけないのかね?」


 まぁ、エロい冗談を現実にしてくるだけなら、どうってことはない。別に、美女の塊でできた肉布団で寝たって、さほどの問題は起きっこない。


「こちらの部屋はどうかね」


 案内された先には、南東向きのテラスがついた広い部屋があった。一見して、置かれている家具や調度品がどれも一級品であるとわかる。

 ちゃんとベッドもあった。それもキングサイズのだ。そこに添えられているのは、質のよさそうな羽毛布団か。


「ほら、嘘なんか言わないだろう? 生物由来の天然素材の布団だよ」

「そうですねー……」

「何を想像していたのかね?」

「いやー、まさしくこういう部屋をー……」

「はっは、安心したまえ。夜になったら、十人くらい、適当に選んで送りつけるから、枕はそれを使って」

「結構です」


 軽口を叩きながら、俺とグルービーは、明るい室内に立ち入る。


「それで、済まないが、ファルス君。これから二時間ほど、失礼させていただきたい。休みをとったといっても、わしはこの街の商会の会頭で、どうしても最低限、やらねばならんことがあってな……なに、昼食は一緒に取れるだろう。君とはいろいろ話したいこともあるからな。それまで、済まないが、時間を潰していてくれないか」

「はい。お待ちしています」


 なんとか笑顔を作って彼を見送る。

 どうせ、帰りたいといっても、逃がしてなんかくれないだろうから。

 私室に落ち着いたはいいものの、これからどうしたものか。


 今の俺にできることは、かなり限られる。

 まず、二時間という中途半端な時間だ。何をして過ごそうか。

 グルービーは金持ちだから、貴重な蔵書なら、それなりに持っているだろう。特に、高度な精神操作魔術の教本だって、手にしているはずだ。もし見せてくれるなら、時間を無駄遣いするなんてあり得ない。だが、そんなのはまず期待できないに決まっている。

 それ以外の蔵書は? ありきたりの本なら、持ってきてもらえるかもしれない。仕方がない、それで時間を潰そうか。


「あの」

「はい」


 スィは、相変わらず美しい声で、俺の呼びかけに応える。


「もしあればでいいんですけど、何かその、読書とか、できませんでしょうか」

「特別な許可なく持ち出せるものでよければ、今すぐ見繕って持ってまいりますが」

「それで構いません。お願い致します」

「はい、それではただいま」


 返事をするのは彼女でも、動くのは別のメイドだ。無駄のない動きで一礼すると、さっと廊下に引っ込んだ。

 果たして十分もしないうちに、彼女らはカートに載せて、二十冊ほどの本を持ってきた。こんなにたくさん、二時間で読めるはずがないのだが、そこはそれ、選択肢を与えてくれたのだろう。それでは、と適当に一冊を拾い上げ、背表紙に視線を走らせる。


『世界春画全集 一巻 ピュリス王朝期の作品(模写)』


 は?

 なにこれ?


「さすがはファルス様、お目が高い」

「へぇっ?」

「それは今となっては絶版となりました、世界の春画を精密に模写した画集でして……」

「ちょ、ちょっと! ちょっと待って!」


 赤熱した鉄の棒でも握ったかのように、慌てて本を投げ出すと、別の一冊を拾い上げる。


『王国を寝取った女・亡国の姫ミーダの伝記』


「さすがはファルス様、お目が高い」

「ふひっ?」

「それはエスタ=フォレスティア王国においては発禁処分となった、ピュリス王女の生涯を、後宮生活を中心に描いた……」

「わ、わぁっ」


 アレだ。ピュリスを裏切って、エスタ=フォレスティアの王族に自分を売った王女のお話か。それを面白おかしく、エロく書いた……そりゃ、発禁本にもなるよ。今のフォレスティス王家は、みんなこの女の血筋なんだから。


 嫌な予感がしたので、残りの本のタイトルを、簡単に確認する。


『フォレスティアの美女・百花繚乱』

『実録・ギシアン・チーレムの後宮生活』

『寵姫・チャルの二年間~調理器具を持たない日々』

『世界の名所・最強の夜遊びスポットはここだ!』

『幸産み伝説についての考証……女神神殿の欺瞞を暴く』


 俺は、恐る恐る、スィの顔を見上げて、尋ねた。


「あの、これ……」

「はい?」

「ぜ、全部、女の人の……?」


 すると彼女は、目を伏せて恭しく応えた。


「なにぶんにも、主人の買い集めた本しか、ここにはございませんもので」


 そうか。そうだよな。

 グルービーといえども、真面目に仕事はしているはず。しかし、娯楽はとなると、もう、これ一辺倒になっちゃうわけだ。

 いや、他の何かもあるはずだ。訊いてみよう。


「えっと、本を読まれないお客様もいらっしゃるかと思うのですが」

「はい」

「そういう場合、皆さんは普通、どんな風にお過ごしなのでしょうか」

「私どもの手で、お時間を忘れられるよう、努力させていただいております」


 ああ。つまり。そういうこと。


「あとは、お食事ですとか、お酒を召されたりですとか」


 どっちもなしだ。食事はついさっき済ませたし、酒もまだ、ガバガバ飲める年じゃない。


「何か、頭を使うようなものはないですか? こう、ある種のゲームですとか」

「ああ! 失念しておりました。将棋があります」


 おお! それだ。

 この世界にも、普通に将棋があるのは知っていた。リンが通いつめていた酒場にもあったし。ただ、日本の将棋とも、西洋のチェスともルールは違うらしく、やりこんだことはなかったが。


「ルールはご存知でしょうか? 僕は素人なのですが」

「もちろん、承知しております。では、一手、指しましょうか」

「お願いします!」


 きっと負けっぱなしになるだろうが、いい勉強になりそうだ。これはよかった。


「では、こちらへいらしてください」

「ん? なぜですか?」

「ボードは向こうにありますので」

「はぁ」


 変なことを言うな?

 駒や盤をここまで持ってくればいいのに……


 五分ほど歩くと、渡り廊下に出た。高低差の関係もあって、地面からちょうど二階くらいの高さになっている。

 その地面……中庭には石畳が敷かれている。一枚あたり、ちょうど一メートル四方くらいの大きさで、真四角なのがズラッと並べられている。

 頭上の雲はいつの間にか四散して、すがすがしい青空を見上げることができた。


「こちらがボードです」


 おおっ。

 これはロマンだ。なるほど、この石畳ばかりの中庭全体が、将棋盤の升目に相当するわけか。さぞかし大きな駒を使うに違いないな。


 と思っていると、背後でいきなり、銅鑼の音が鳴り響いた。


「そして、あちらが……」


 スィは、なんでもないことのように、平然とした口調で言う。


「駒となります」


 ほとんど全裸の女達の群れが、突如として中庭にあふれかえった。頭に赤と青の、それぞれ特徴的な形をした帽子をかぶっただけの格好だ。


「それで、ルールですが」

「ちょ、ちょっと!」

「はい?」

「な、なんで! なんでこうなるの!?」


 俺の戸惑いは、スィにとっては、なんでもないことのようだった。


「皆様、たいていのお客様はここで、主人と賭け将棋をなさっていかれますね。それぞれ、自分の女奴隷を脇に置いて、勝った方に一晩貸し出すとか」

「そ、そうなんですか!」


 声が上擦ってしまう。

 くそっ、グルービーめ。どんな娯楽もエロに染めなきゃ、気が済まないのか。


「せっかくですし、一局楽しまれては?」

「で、でも、僕には賭けるものがないですね」

「では、こう致しましょう」


 いきなりスィは、妖艶な空気を纏わせながら、俺と目線を合わせてきた。


「私と勝負致しましょう。もし、ファルス様が勝てば、この私自身を差し上げます」


 ぶっ!?

 じゃあ、俺が負けたら、どうなるんだ? 冗談じゃないぞ?


「ファルス様が負けたら、そうですね……私のささやかなお願いをかなえていただくということで」


 ダメじゃん。

 どっちにしても、捕捉されてしまう。どうする? どうすれば。


「ぼ、僕、初心者なので、ちょっとそういうのは」

「もう駒は並んで待っておりますが」


 やるしかないのか。

 考えろ。どうすればこの状況を逃れられるのか。

 まず、スィには、ゲームのスキルはなかった。ということは、技量的にはまだまだ初心者、俺と変わらない。つまり、勝ち目ならある。

 しかし、勝ってはいけない。負けてもいけない。


 既に『駒』達は、左右に分かれて、指揮官の命令を待っている。


「先手をどうぞ」


 いいだろう。やってやる。


 俺が差し手を示すと、それは即座に中庭の女達に伝えられる。一歩前進して、赤い敵方の駒を取りに出た青い帽子の彼女は、相手を押しのけ……る前に、熱い口付けを浴びせていた。


「は?」

「では、私の番ですね」


 スィの指示で、今度は赤い駒が、俺の青い駒に襲い掛かる。艶かしく絡み合った後、青い駒は中庭を去った。


「……この演出、いります?」

「皆様に喜ばれておりますが」


 もう……もう、いい。

 とにかく、この勝負を乗り切るために。それだけに集中しよう。


 そうして、頭から火が吹き出るほど考え抜いた一時間後。

 俺は期待する結果を手にしていた。


「……千日手、ですね」


 スィは表情を曇らせながら、そう呟く。


「そうですね。これでは、勝負なしとせざるを得ませんね」


 ほっと胸を撫で下ろした。

 もう、下手に動かないでおこう。それに、疲れ果ててしまった。


 ぐったりして自室に寝転んでしばらく、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 昼食の時間らしい。


「それは大変に残念だね」


 厚切りのステーキを前に、グルービーは大袈裟に呻いてみせた。


「わしが最初に案内して、君の度肝を抜いてやろうと思っていたのに」

「い、いや、それは」


 今回、グルービーは、俺には「普通の」食器を用意してくれた。但し、左右に女がひっつくのは変わらないが。これもある意味、合理的だ。俺の手を遊ばせておいても、俺から彼女らに触れることはない。だから、俺の手には仕事をさせ、代わりに女達のほうを俺に絡みつかせているのだ。


「まぁ、過ぎたことは仕方ない……ファルス君、君はゲームは好きかね?」

「ええ、まぁ、好きなほうだと思います」

「そうか。じゃ、のんびり食べながら、カードゲームでもやろう」


 食卓の横にメイドがボードをセットし、そこに山札を置く。少し大きめのカードを、俺とグルービーに持たせる。すると、俺の両脇の女達は、これから俺が食べるであろうステーキを小分けにする作業に取り掛かる。

 そして、俺は自分の手札に視線を落としたのだが……


「ぐっ」

「どうしたのかね」

「また、ですか」

「我が家では」

「普通って言うんでしょう? ええ、わかっていますよ」


 思わず溜息が出る。

 手元に配られたカードは、いわゆるウォーゲーム系のもので、そこにはモンスターや、歴史上有名な人物……ギシアン・チーレムや、マルカーズ連合軍のアルティ・マイトみたいな英雄達が描かれているのだが……

 見事に、すべてが女性化していた。しかも、みんなスケスケの格好だ。


「わざわざ腕のいい絵師に描かせたんだよ……さあ、カードを場に出したまえ」


 俺は決して性欲を否定するものではない。しかし、こんな風に二十四時間、エロい気持ちを持続するなんて、無理だ。不可能だ。

 理解できない……と思いながら、俺はカードを切るしかなかった。


「さて」


 食事も終わり、カードゲームの決着もついた頃、グルービーは、やや真面目な顔になって、俺に尋ねてきた。


「ときに、ファルス君」

「はい」

「君は、ノーラのことを、どう思っているのかな」


 どう、か。

 なかなか難しい質問だ。


 きれい、とか、かわいいといった感想を求められているのではない。そんなのは訊くまでもない。

 人見知りをするとか、意外と頑固だとか、そういった性格の話を聞きたいのでもないだろう。

 ズバリ、彼女に対して、どの程度の愛着があるのか。それを答えさせたいのだ。


 しかし、それはとても言いにくい。

 今、グルービーは俺に興味を持っている。もしここで、ノーラを大事に思っている、と言えば、彼女は俺を支配するための道具にされかねない。といって、どうでもいいです、外見だけ好きです、とかいう回答をしていいのか。グルービーは彼女を商品として扱おうと決めてしまうだろう。その結果は、きっと彼女の望まない未来だ。

 困った。俺の中途半端なところだ。悪いが、何が何でも彼女を幸せにするという覚悟なんかない。なのに、このまま不幸になる、と言われたら、黙っていられない。一番いいのは、彼女自身が富と権力に価値を見出し、俺のことなんかキレイサッパリ忘れてしまうことなのだが。


「……幸せになって欲しいと思います」


 結局、無難な本音を口にした。

 グルービーほどの人物だ。精神操作魔術の力を借りずとも、俺の考えていることなど、ある程度は見抜いているだろう。

 俺としては、どうしても譲れないものがある。そして、人の愛情や善意は、無限には続かない。であれば、やはりどこかで切り捨てるほかないのだ。


「ふうむ」


 首をまわしながら、グルービーは唸った。


「あまり面白くない答えだな」

「面白さを求められても。僕の本音ですよ」

「君が幸せにすればいいじゃないか」

「それは」


 君が幸せにすればいい。

 その言い方に、俺は引っかかりを覚えた。


 何かおかしくはないか?

 俺が、彼女を。

 違うだろう? 幸せかどうかを決めるのは、俺じゃない。ノーラ自身に違いないのだから。

 もっとも、この世界では、男が女を幸せにする、というのが当たり前なのかもしれないが。


「……不幸の原因があれば、取り除きますけどね」

「ぐふふふ」


 この俺の回答は、ややお気に召したらしい。

 グルービーは、たるたるになった首の皮を揺らしながら、低い声で笑った。


「では、そろそろ見に行こうか」

「何をです?」


 グルービーは、ニヤニヤしながら言った。


「もちろん、君のノーラをだよ」

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