コラプトの支配者

 朝靄の中、石畳の上に響くのは、蹄と轍の音ばかり。

 うっすら霧がかったコラプト付近の街道は、ある種、幻想的な雰囲気を纏っていた。次から次へと現れる、古い石造りの建物。どれも苔むしていて、植物の蔦に覆われている。足元には、まだ緑色を残す丈の低い草花。その葉は朝露にしっとりと濡れている。道路の脇に寄せられた黄土色の大きな石までもが、何か意味のあることを物語っているかのように見えた。


 頭上に雲がかかっているのもあってわかりにくいが、まだ夜明けから間もない。もうすぐコラプトの開門時刻だ。

 昨夜は、この近くで野営した。半日から一日かかる距離に村があり、大半の隊商はそこで一泊するのだが、カーンはそれを許さない。目的地が近くなると、門前の混雑を嫌って、付近の街道で野営するのだ。


「待ち遠しいか」


 後ろから声がした。

 今回、俺はカーンの居座る先頭の馬車に同乗している。何がいいかといえば、空間が広いことだ。横になっていても困らない。カーンはカーンで、普段はじっと目を閉じて、何か考え事をしている。薄暗い上に揺れる馬車の中では、書類仕事をするわけにもいかないが、そこはやはり多忙な彼のこと。今のうちに頭の中身を整理整頓しておきたいのだろう。


「外を見ていただけです。むしろ、不安で鳥肌が立ちますよ」

「ふむ……だが、グルービーはお前のことを気に入っているらしいが?」


 馬車の前面から僅かに差し込む光が、中で腰を下ろすカーンの顔を映し出している。薄暗さもあって、影がより色濃く浮き立つ。彫が深いので、目元なんか真っ暗だ。そんな見え方をしているので、なんだかオバケ屋敷の幽霊みたいだった。


「頼みますから、僕をグルービーに売り飛ばすのだけは勘弁してくださいよ」

「片思いというわけか。お前はグルービーを嫌っている、と」

「そういう問題じゃないです」


 あの男は、俺の秘密をどこまで把握しているのだろうか。

 何も知らないとは考えにくい。あの太った体でわざわざピュリスまでやってきて、俺を買い取ろうとした。即金で金貨三万枚、前世換算ならキャッシュで三億円だ。しかも、足りなければまだ出すという。俺がプロ野球選手ならいざ知らず、ただの子供の奴隷に、そこまでする意味がない。

 しかもその後、アイビィを俺につけた。あれは絶対、俺を見張っていたのだ。

 なにしろグルービーはコラプトの支配者だ。俺が薬剤のオークションで何を競り落としたかも、それでどんな製品を作ろうとしていたかも、彼には把握できた。だからわざわざ、子爵家の店で俺の薬を買いつけたのだ。

 だが、そうまでするのも、それが彼にとって利益になるかもしれないからだ。


「じゃあ、どういう問題だ? まさか、子爵家が大好きだから、離れたくない、とでも言うつもりじゃないだろうな?」

「怖いだけですよ。グルービーが」

「ふむ、なるほどな」


 ゴトン、と大きな音を立てて、馬車が揺れる。


「もうじきだな」

「何がですか?」


 カーンは、ニヤッと笑みを浮かべる。


「前から、街道の補修をしてくれと頼んでいるのだが、ここはまだまだらしい。何度も通うと、揺れ方でどこまで来たか、わかるようになる」


 そんなものか。

 だが、馬車の揺れ方一つで、現在位置がわかるほどにまで、商人の世界に長居するのは、避けたいところだ。俺の目的は不老不死。時間を無駄にはできない。


「フェイ」


 また後ろから声がかかる。


「イフロースは、お前を信用することにした、と言っていた」

「はい?」

「だから、私もお前に今更あれこれ細かく要求するつもりはない。ただ……」


 彼は瞑目すると、言葉を切った。

 しばらく言葉を探していたのかもしれない。ややあって、続きを口にした。


「力になってやってくれ」

「は、はい」


 俺の頼りない返事に、カーンは目を開けた。白目がギロリと輝く。


「私とてな……別に、子爵家にこだわっているわけではない」

「えっ?」

「腐れ縁だ。イフロースは、昔の上官だった」


 上官、というのは、マルカーズ連合国周辺で戦っていた頃の話だろうか。

 詳しくカーンの過去を教えてもらったことはない。そうすると、彼も傭兵団の一員だったことになる。


「とっくに切れた縁だと思っていたのだがな……頼まれて、こうして力を貸している。だが、あれはちゃんと報いる男だ」


 彼の言葉の後には、ただ蹄の音が響くばかりだった。


「無事、帰ってこい。それだけでいい。わかったな」


 そこに異存はない。


「はい」


 はっきりそう答えると、カーンは納得したのか、また目を閉じた。


 開門直後に市内に滑り込み、まずは宿を確保する。カーンは細かい手続きを部下に任せると、俺を伴って街の中心へと歩き始めた。

 ほどなく中心部の広場に出る。あの、ツルハシストなる連中が屯していた辺りだ。さすがに朝早いこの時間、酒場も開いていない。ただ、広場のあちこちに仮設小屋の基礎が組まれつつある。


「三日後には市だからな。それから六日間は、休む間もない」


 歩きながら、カーンが教えてくれる。


「残念ながら、お前が直接参加する機会はないだろうが」

「終わるまでずっとコラプトにいるわけにもいきませんからね」


 グルービーに呼ばれてはいるのだが、彼が俺に何をしたいのか、どれくらい一緒にいたいのかは、まったくわからない。ただ、この後、俺はティンティナブリアにも行く予定だから、そう何日も引き止められたりはしないだろう。第一、グルービー自身、この街の商会の会頭だ。藍玉の市のまっ最中に、ずっと俺と遊んでいるわけにもいくまい。


 広場を斜めに突っ切り、市庁舎の裏へと回る。そこから街の東側に出ると、上り坂が目に付いた。道の真ん中は車両が通れるように均されており、その左右にはきれいに階段が整備されている。


「そこの壁から向こうすべてが、グルービーの私有地だ」


 俺がついてきているのを確認しながら、カーンは昇っていく。

 この世界、小高い場所というのは、必ずしも一等地とは限らない。上り下りが大変だというのもある。現に、都市部では上層階より、二階のほうが、家賃が高かったりするのが普通だ。だが、この街の王者として、グルービーはあえてここに陣取ったのだろう。


 坂を登り切ると、また道路は水平になった。目の前には、高さ四メートルはあるだろう、無骨な石の壁が聳え立っている。コラプトの街を構成する無数の石と同じく、かすかに緑がかった灰色だ。

 その壁の脇に、門がある。扉は青銅製で、いかにも重そうだ。しかし、歩道の横にあるということは、この大きさにして、正門ではないのだろう。実際、車両が通れる通路は、もっと奥へと延びている。

 門のすぐ傍に、銅鑼が吊り下げられている。カーンは迷わず備え付けの撞木を手に取り、打ち鳴らす。

 ややあって、門がゆっくりと開かれた。


「ようこそおいでくださいました」


 中から聞こえたのは、鈴を転がすような女の声。

 左右に三人ずつ、そして真向かいに一人。濃い緑色のメイド服に身を包んだ女達だ。言うまでもなく、全員が全員、驚くほどに美しい。


 俺は、中央に立つ、メイド達のリーダーと思しき女を注視した。


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 スィ・ヴィート (23)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク7、女性、23歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   5レベル

・スキル 房中術    6レベル

・スキル 楽器     5レベル

・スキル 歌唱     5レベル

・スキル 舞踊     6レベル

・スキル 料理     5レベル

・スキル 裁縫     5レベル


 空き(14)

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 意外にも、忍者ではなかった。しかも、奴隷でもない。

 でも、それもそうか。客を出迎えるだけなのに、わざわざ武力のある人間を配置するメリットがない。俺はピアシング・ハンドの能力で相手の戦力を測れるが、そうでなくても、できる奴には見抜かれてしまう。変に客を警戒させるような真似をするだけ損なのだ。


 能力的には、グルービーの抱える最高級娼婦、といったところか。まぁ、この水準になると、もはや娼婦と呼ぶのさえ憚られるが。

 なにせ美貌は言うに及ばず。上流階級でも通用するような言葉遣い。気品。そして一人前の芸に、女性として求められる料理と裁縫の能力も完備。

 こんなのがいるとわかっていたら。お手伝いさんとしてウチに派遣してください、とでもお願いしておけばよかったか。


 ……あ、今、アイビィのことを思い出してしまった。

 居間で寝そべりながら、俺の作り置きしたお菓子を両手でつまんで「あまあま」とか言いながら、がっついている姿……


 ごめん。

 今のは気の迷いだった。

 グルービーにおねだりなんかしないから。


 芸事の能力が高いのは、このメイド達のリーダーだけで、他はそこまででもなかった。それでも、どれか一つのスキルでは最低でも5レベルに達している。多少若いところを見ると、彼女らはまだ、訓練中の身の上なのかもしれない。


「ご案内致します」


 身元確認も何もされなかった。

 普通に考えて、カーンは何度もコラプトに来ているのだし、グルービーとも、その配下とも面識があるのだろう。今回の来訪も予期されたものだから、スムーズにことが運んでいるのかもしれない。


 先に立って歩くスィに続いて、カーンが、それを追いかけるように俺がついていく。その後ろを、三人ずつ二列になって、メイド達が音も立てずに歩く。

 よく仕込まれている。彼女らの視線だ。しっかり目を伏せ、恭しくみえる態度を崩さない。


 とある円筒状の建物の前で、スィは足を止めた。


「こちらでございます」


 どういうわけか、扉がひとりでに開く。彼女は先に入るよう促した。なるほど、俺達はグルービーの客だ。だからここから先は、俺達が直に彼と向き合う場所となる。彼女らはもっと控えめに、添え物としての立ち位置を守らなければならない。


 中は広々としていた。直径二十メートルほどの円形の空間。足元は、明るい茶色の木の板だ。よく磨かれているのか、はたまたニスでも塗ってあるのか、テカテカしている。

 俺達が立ち入ったあたりは石の壁に覆われていたが、この部屋の東側から南側にかけて、だいたい角度にして百二十度近くは、透明度の高いガラスが、その代わりをしていた。グルービーの屋敷は街の東側の高台にある。だから、ここから見えるのはその外側、雄大な緑の山々と、点在する遺跡だ。

 内側の壁に、等間隔の柱が立っている。だが、これらは建物を支えるためのものではあるまい。それぞれの頂点には、何やら値段の張りそうな壷が置かれている。要は、柱自体も含めて、装飾でしかない。

 頭上にはシャンデリアがあり、更にその上に灯火が輝いていた。同時に何か、お香のようなものも焚かれている。胸がスッとするような、それでいて落ち着きも感じさせてくれる……これは相当に上質な代物だ。

 部屋の中央には、いつの時代に作られたともわからない、古めかしい金属製らしき丸テーブルが置かれていた。黒ずんだ色をしているが、微妙に赤みがかっている。そして、その周囲に三つの長椅子が置かれている。これらの椅子もいい品物だと直感的にわかるのだが、とにかく気になるのはテーブルだ。室内の装飾や調度品を見ても、どれもそれなりに品がよく、調和しているのに、このテーブルだけ無骨すぎて、異様な存在感があるのだ。


 向かい側の扉が開いた。

 覚束ない手付きで、杖を突く男。肥満しきった肉体を引き摺りながら、それは近寄ってきた。

 ラスプ・グルービー。その醜さは変わらない。だが、少しだけ痩せたか? いや、今ももちろん、世間の平均に比べれば、凄まじい肥満体であるのは間違いないのだが。


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 ラスプ・グルービー (42)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク3、男性、42歳)

・スキル フォレス語  6レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル シュライ語  4レベル

・スキル ハンファン語 4レベル

・スキル 商取引    6レベル

・スキル 房中術    7レベル

・スキル 薬調合    7レベル

・スキル 精神操作魔術 7レベル


 空き(33)

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 何気なく彼の状態を確認し、俺の中で警鐘が鳴り響いた。

 こいつ……「強く」なっている?


 ただ成長したのではない。強くなっている。

 そうだ。以前と違うのは、三箇所だけ。だが、その三箇所こそが問題だ。

 まず、肉体のランクが一つ、上がっている。これは、健康に気を使うようになった証拠だ。

 だが、残り二つが危険だ。薬調合と精神操作魔術。どちらも達人の領域に至っている。


 スキルが伸びているということは、練習を重ねたということだ。それも、かなりの密度で。レベルが低いものなら漫然と経験するだけでもレベルが上がっていくが、彼ほどの水準になると、生半可な訓練では成長できない。

 つまり、明確な意志や目標があって、努力したことになる。


 それでも肉体の衰えは激しい。長年の退廃的な生活による悪影響は隠せない。よろめきながら歩く彼に、数人のメイドが寄り添っている。何かあれば、その巨体を支えるためだ。

 なんとか彼は、長椅子に腰掛けた。


「待たせた……はぁはぁ……ねぇ」

「いいえ」


 カーンは、軽く会釈する。

 ここではグルービーが絶対の主人だ。しかし、カーンのが身分は上。そこでグルービーは、フランクな態度を選んだ。


「二人はわしの、お客様だ……まぁ、座って、くつろいで欲しい……」


 言われてカーンは腰掛ける。だが、俺は奴隷だ。どうしようかと一瞬、迷ったが、グルービーは身振りで座るよう示した。


「二人とも、朝食はもう、済ませたのかな」

「簡単には」

「それはよくないな……簡単に済ませるべきは、わしみたいなのだけだよ」


 そう言って、彼は膨れ上がった……いや、むしろ垂れ下がった自分の腹の肉をつまんでみせた。


 グルービーが言い終わる前に、メイド達は既に動いていた。無駄のない動きで、次から次へと、銀の大皿を運んでくる。シャキシャキしたレタスに、いかにもうまそうなハム。しっとりした甘さを確約するチーズに、この上なくサッパリしているであろう果汁。食卓を明るく彩る卵焼きに、焼きたてのふっくらしたパン。特に手の込んだ料理というわけではないが、素材のよさが一目でわかる。これでおいしくないなんて、絶対あり得ない。

 思わず手が出そうになったところで、ハッと気付く。


 ……こんなに近い距離にいるのに、グルービーが臭くない!?


 確か昨年の夏にグルービーがピュリスまで来た時には、凄まじい悪臭がしたものだ。あまりにひどいので、頭がクラクラしたほどだ。なのに、今はそれがない。料理の香りがわかるのだ。これはどうしたことか。

 いや、季節のせいかもしれない。あの時は真夏だった。汗だくのグルービーは、少しでも体臭をごまかそうとして、ああなった。今は晩秋だ。肥満体の彼といえども、そこまでひどいことにはならないのだろう。


「とはいえ、ありあわせのものばかりで申し訳ない……」

「とんでもありません。行き届いたもてなしに痛み入るばかりです」

「いやいや、もっとゆっくりしてくれれば……昼には、最高の料理をお出しできると思うのだがね」


 どこまでいっても他人行儀なカーンと、構わず親しげな態度を崩さないグルービー。微妙に噛み合っていない感じがする。

 と、そこでグルービーは、こちらに視線を向けてきた。


「フェイ君も、遠慮せずに」

「は、はい」


 とはいえ、隣のカーンが料理に手をつけようとしないのに、俺が先にがっついていいものか。空気を読みきれている自信がないだけに、あれこれ邪推してしまう。既にして、この場で子爵家とグルービーとの綱引きが行われているのではないか。

 いやいや、だとしても。主人の歓待を受けない客。これはこれで失礼に違いない。カーンが警戒するのもわかるが、これじゃあ、どうしたらいいか、わからないじゃないか。


 俺がまごついていると、カーンはぼそりと言った。


「まず、乾杯はしましょうか」

「そうですな」


 すぐに各々のグラスに、酒やジュースが注がれる。それを確認して、グルービーが声をあげる。


「友人の来訪を祝して」


 だが、これにカーンは唱和しない。首を傾げるばかりだ。


「……おや、どうなさいましたかな」

「グルービー殿、あまり申し上げたくないが、足りないものがある」

「はて」


 カーンは、黒いテーブルの上に視線を落として言った。


「食器だ」

「いやいや、ありますとも」


 そういえば。テーブルの上には、大皿ばかりだ。フォークもナイフも、スプーンすらない。なぜだ?

 カーンは溜息をつき、諦めたように言った。


「心温まる歓迎に謝意を」


 それで二人のグラスが重ねられる。するとグルービーは、俺にもグラスを向けてきた。それで俺も、ジュースの入ったコップを重ねた。

 用心しながら、ゆっくりと一口、飲んでみる。


 ……問題なかった。

 何か普通でないところがあるとすれば、相当においしいという点だけだった。

 グルービーのことだから、毒でも入れているかも、と思わないでもなかったが、さすがにそれは杞憂だった。まぁ、当たり前だが、そんな真似をしたら、大変なことになる。


 だが、カーンは微妙に不機嫌そうだった。


「では、存分に召し上がってくだされ」


 しゃがれ声でグルービーが言う。

 だが、手づかみできそうなのは、せいぜいパンくらいだ。それともあれか、ここではサハリアとか南方大陸みたいに、料理を手掴みで食べるのか。だがそれにしては、手の汚れを洗い流す水瓶もない。

 困惑して俺が顔をあげると、グルービーは気色悪く微笑みながら、言ってくれた。


「さ、フェイ君も。好きな『食器』を選んで使ってくれれば」


 ……えっ?


 グルービーの視線を追って、俺は周囲を見回す。

 俺達を出迎えたメイド達が七人。それに加えて、グルービーが連れてきたのも合わせると、部屋の中には二十人近い美女達が居並んでいる。彼女らは目を伏せ、ただただ指示を待っている。つまり……


「グルービー殿」

「どうなさったのかな」

「フェイはまだ子供なのですよ」


 カーンはテーブルに肘をつき、うんざりした、と言わんばかりの表情を浮かべている。


「そうですな、子供であれば尚更。食べ盛りですから、どんどん食べなくては」

「であれば、普通の食器を出していただけますか」

「そう言われましてもな……我が家ではこれが普通なのでして」


 ああ、やっぱり。

 要するにここは、グルービーの「ノーハンドレストラン」ということか。


「カーン様も、別にセリパス教徒というわけでもありますまいに」

「それでも、ピュリスには私を信じる妻がいるのです」

「それは素晴らしい。だがなに、食事をなさるだけですよ……リヤ、スービア、ついて差し上げなさい」


 声をかけられたメイドが、一礼してカーンの左右に腰掛ける。一人で座るには広すぎる長椅子も、三人が身を寄せてとなると、少々狭苦しい。もちろん、わざとそういう風にしてあるのだ。


「重たい食器を持ち上げるのはもちろん、手を汚すのも、煩わしいことですし……それに何より、食事は楽しくなくては。そうは思われませんかな」


 カーンは返事をしなかった。

 だが、左右についたメイド達はその手を動かし、カーンに食べ物を差し出す。それで彼も、諦めて食べ始めた。


「さぁ、フェイ君も」

「あっ、いえ」


 前世を童貞で終え、こちらでもババァに押し倒されたくらいしか経験のない俺に、これはちょっとハードルが高すぎる。

 となれば、ちょっと無作法で強引なやり方を選ぶまで。


「なにぶんにも僕は子供ですので。テーブルマナーに問題があっても、少々のことはお許しください」


 そう言いながら、俺は手を伸ばそうとした。


「スィ」

「はい」


 お見通しだったらしい。

 俺がパンを掴むより早く、スィは体を割り込ませて、俺の隣に腰を落ち着けた。そのまま、手の長さを生かして、先に料理を取って、俺に差し出してくる。彼女は俺の腰を抱え込んで、長椅子に引き寄せる。そうこうするうち、反対側からもう一人のメイドが近付いてきて、結局俺も、女二人に挟まれる形となった。


 どうもこうもない。

 ここはグルービーの城だ。彼の思い通りにならないものはない。

 ただそれだけのことだ。


 彼は、客を歓待するという場面で、自分の権力を誇示してみせた。ここに来た以上、自分の流儀に合わせろと。どんなに親しげに見えても、彼は一方的で、わがままだった。そして、俺達はそれを受け入れざるを得ない。


「カーン様」

「なにか」

「こちらにはどれほど」

「藍玉の市が終わるまで」

「なるほど」


 その会話の最中にも、グルービーは女達を侍らせていた。左右だけでなく、背後にも。彼の手は、俺やカーンとは違って、ちゃんと仕事をしていた。食べ物は掴まなくても、ちゃんと食器を掴んでいる。それも布切れ越しにではなく。掴むだけでなく、微妙な力加減も忘れない。結果、その食器は、既に頬をうっすらと染めつつある。


「では、数日ほど、フェイ君と一緒に過ごしたいのですが」

「……フェイにはこの後、別のところに使いをさせる予定がありましてね」

「承知しておりますとも。足の早い馬車を手配しましょう」


 カーンも、ここにくれば、どんな「歓迎」を受けるか、よくわかっていたはずだ。そして彼は、それを心から楽しめるほど、下品な人間ではない。


「ほんの三日ほどですよ……よろしいですな」


 ねとつくグルービーの声を、カーンは苦々しげに飲み下した。

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