復讐の矢

「ほほォ、改めて見ると、やっぱり可愛らしいモノですなァ」


 耳障りな声。改めて耳にすると、やっぱり気持ち悪い。

 サフィスはこの変質者を、家族とのディナーに招待した。いつものダイニングから、ウィムが追い出され、代わりに伯爵が座っている。ただ、席の占め方は少し変えていて、左右に二人ずつではなく、四角いテーブルの一辺にそれぞれ陣取る形だ。でないと、娘か妻を、この男の真横に据えなければいけなくなる。

 そして、俺達はついさっきまで、カーテンの裏に控えていた。だから、伯爵の行動をじっくり観察できたのだ。


「いやァ、サフィス殿、貴殿は本当に良い趣味をしてらっしゃる」

「ははは、恐縮ですね」


 伯爵のが、一応爵位が上なのと、年齢も高いので、サフィスは、言葉遣いの上では、相手を立てることにしたようだ。しかし、笑顔を浮かべつつも、心から笑っているわけではないのは、俺でもよくわかる。

 何しろ、こいつがこの部屋にやってきてからというもの。対面に座る主人より、その妻と娘のほうばかり、ジロジロ見ているのだ。で、今、俺とナギアが姿を見せると、やっぱりナギアばっかり見ている。

 だが、この給仕が始まるまでの三時間。俺もただ時間が過ぎるのを待っていたわけではない。


「こちら、前菜の生ハムとなります」


 接遇担当の裏方にかけあって、料理長のところに顔を出す許可を取ったのだ。そうしたら、結局、料理の手伝いまでさせられたが、まぁ、この際、構わない。もともとそうするつもりだった。


「ほォ、なかなかおいしそうな一品ですなァ」

「ぜひ、味わってください」


 俺はそっと引き下がり、伯爵がハムを口にするのを見届ける。


「ほほォ、これは素晴らしい!」


 伯爵は喜んで食べている。これがせめてもの、俺の抵抗だ。

 今回の献立は、俺が考えたものだ。いくら伯爵がクズだからといって、ここで毒を盛るわけにはいかない。だが、そのイカレたスケベ心を押さえつけるのが目的なら、やりようがないでもない。


「えんどう豆と煮干のスープでございます」


 料理というのは、健康と体に密着している。それゆえに、本来なら食べる人の幸福を増すために、デザインされるべきものだ。だが、今回に限っては、ただただ伯爵の性欲を抑制するためだけの品を出すことにした。

 そこまでやっていいのか迷ったが、この現場を見る限りでは、それでよかった気がする。


「ふむゥ、変わった味ですなァ」

「ピュリスの海産物ですが、これは干した魚が材料になっております」


 この世界の人間の肉体が、前世と同じ仕組みでできているのなら、性欲は、副交感神経の働きで強まる。であれば、それを徹底的に邪魔する食品を出せばいい。


「ティンティナブリアは内陸にありますから、魚が不足しがちかと思われます。よろしければ、いくらかお持ち帰りになって、習慣的に召し上がっていただくのがよろしいかと思います」


 笑顔でそう勧める。


 煮干には大量のリンが含まれている。ハムやえんどう豆も、割合、それらを多く含む。ついでに、そのスープの中には、俺の手作りのカマボコも入っている。これらの過剰なリンがカルシウムの放出を促し、ひいては副交感神経の働きを阻害する。

 もう散々、あちこちでエロいことをしてきたはずだ。そろそろ男を引退してもいいだろう。


「続きましては、ソーセージのマジョラム添えでございます」


 トドメだ。せいぜい勃起不全にでも陥りやがれ。


 俺の呪いに気付くこともなく、食事を進めながら、伯爵は肝心の話を始めた。


「……で、サフィス殿。都のほうでは、いろんな噂が流れておりましてなァ」

「そうなのですか」

「陛下の侍医が、匙を投げたそうだ」

「そんなに?」

「いや……今すぐどうなる、というわけでもないのだが、この後、徐々に病状が悪化していくだろう、という話でなァ」


 エレイアラが、それとはわかりにくいが、冷ややかな視線を送っている。

 中身のない話で、インパクトばかり。それで気を引こうとする伯爵の浅ましさに、嫌悪の情を抑え切れないのだろう。


「あと一年ほどはもつだろうが、その先は……」

「なるほど、そうですか。で、あちらではどうなのですか?」

「うむ。いい知らせがありますぞォ? あのスード伯が、ついにこちら側につきましたわい」

「そうなのですか、それはよかった!」


 どこかで聞いたような気がする人物だ。誰だったっけ。


「今は地盤固めが重要ですからなァ。まぁ、そうなると、肝心なのは、投票権を持つ貴族の態度でしょうなァ」


 投票権。エスタ=フォレスティア王国に限らず、貴族には「投票権」なる権利がある。但し、すべての貴族が有しているわけではない。


 国王が死去した場合、その後継者を選ぶのは、当然、国王自身となる。これ自体は、外部の誰もが干渉できない、貴族としての固有の権利だ。だが、この決定が影響を及ぼし得るのは、国王の直轄地と、それに準じる地域だけなのだ。そして、現時点での王室の直轄地は、王国全土の三割強しかない。

 この世界では、国王は貴族の第一人者に過ぎない。周囲の貴族の承認がなければ、国王はただの領主になってしまう。かつては旧六大国、即ちかの英雄の血筋に連なるものということで、替えが利かないものとみなされていたのだが、その常識は、例の大乱によって覆されてしまっている。もう滅亡したが、ピュリス王国などが、そのいい例だ。

 だから、投票権とは、新たな国王が選出された際に、あらためて諸侯としての立場から、その人物を国王として承認するかどうかを、意思表明する権利のことだ。

 建国時に国王に協力した古い貴族であれば、たいていそうした権利を有している。例えば、フォンケーノ侯爵家などがそうだ。一方、公爵家にはそうした権利がない。承認する側ではなく、される側だからだ。

 伯爵にも、そうした権利がないのが普通だ。もともとは配下として国王から所領を託されたとされる立場だからだ。子爵には? もちろん、ない。その一族に投票権があった場合でも、まず本家筋が、その権利を行使するからだ。もし子爵で投票権があるという貴族がいたら、それは通常、本家が全滅したところだけだ。当然、新興貴族層である男爵達にも、この権利は与えられないのが一般的である。

 ただ、例外的に伯爵家でも、歴史のあるところでは、ちゃんと投票権を有していたりする。ティンティナブラム伯もその一人だ。また、特に王家の信頼の厚い貴族であれば、何かの折に投票権を与えられることもある。例えば、能力で大臣の地位を得た新興貴族に、余命いくばくもない国王が、少しでも後継者を守らせようとして……といった状況だ。

 そういうわけで、国王といえども、好き勝手に跡継ぎを指名できるのではない。要するに、王権が強ければ、そして強い支持を集めていれば、その継承もスムーズに進む。逆に勢力が弱まれば、そこにいろんな貴族の思惑が絡まって、大変に厄介な状況が生まれる。


「数では、こちらが勝っているんでしょう?」

「そうなんだが、態度をはっきりさせないところもありますからなァ……」


 と言いながら、伯爵はわざとらしく首を振った。


「例えば、フォンケーノ侯とか」


 サフィスからすれば本家にあたるところだ。

 自然と表情が強張る。


「そこで、いい話があるのですがなァ」

「それは、どんな?」

「貴殿のピュリスにおける治績には、目覚しいものがある。諸侯の推薦を受けることで、或いは……」


 伯爵は、言葉を濁した。

 なんとなくわかる。子爵は、フォンケーノ侯爵家の分家筋だ。ということは、投票権は本家にあり、彼にはない。

 しかし、太子派としては、忠実な腹心たるトヴィーティ子爵に、一票を投じてもらわない理由がない。となれば、なんとかして、彼に投票権を与えようとするだろう。


「なるほど、なるほど」

「サフィス殿は、稀に見る貴公子だが、ただこれだけが足りなかったのだ。しかし、それも我々の口添えがあれば」

「楽しいお話ですね」


 全然楽しくない。欲望まみれの不潔感、いやらしさがいっぱいだ。

 そんな話をしながらも、伯爵の視線は、右斜め前に座るリリアーナに釘付けだ。左手にワイングラスを持ち、右手をそっとテーブルの下に隠す。そして、給仕を務めようと傍に寄ったナギアの尻に触れようと……

 もちろん、彼女は気付いている。気付いていて、我慢しようと身を硬くしている。


 ……ボソッと呟く。誰にも聞き取れない程度の声で。


「ぴぎぃっ!?」


 突然、苦悶の表情を浮かべた伯爵が、ワイングラスを取り落とす。


「どうなさいましたか!」


 白々しくも、俺は声をあげて駆け寄る。大急ぎで足元に散らばったガラスの破片を回収する。ナギアは、汚れた床を拭うための雑巾を取りに、奥へと引っ込んだ。


「いや……なんでもない」


 怪訝そうな顔で、伯爵はそう答えた。

 このドスケベめ。


 ナギアが戻ってくる。俺は、グラスの破片を彼女に渡す振りをして、あえてまた叫んだ。


「あっ!」

「どうした」


 サフィスが不快そうに声をあげる。


「申し訳ございません。ナギアがグラスで指を切ったようです。少し手当てを」

「そうか。下がってよい」


 彼は、俺達二人に手を振る。ここから先は、本職の給仕に任せる、という意思表示だ。俺達は一礼して、引き下がった。


 一時間後、会食は終わった。

 これから伯爵は、敷地外の宿舎に引き下がる。それでサフィスと談笑しながら、夜の回廊を歩いている。南門から馬車に乗るのだ。

 すぐ後ろにはイフロースが立ち、更にその後を、俺やその他の召使が続いている。奥方やお嬢様、ナギアは、ついてきていない。


 子爵の生活スペースである本館と、睡蓮の広間を繋ぐ回廊。位置的には、敷地の西側に当たる。ここで西向きの通路に入れば、さっきの芍薬の間に辿り着く。

 真っ白な大理石で組み上げられた通路で、右側の壁のところどころに照明が置かれている。通路の内側は真っ白だが、その反対側、中庭に対して剥き出しになっているほうは、暗さもあって、真っ黒に見える。


「いやァ、有意義な話ができましたなァ」

「そうですね」

「お会いして、ますますサフィス殿に興味がわきました。できればもっと、お近付きになりたいものですなァ」

「そうおっしゃっていただけるとは、光栄です」


 そんな気持ちの悪いやり取りの最中だった。

 ビーンと低い音が聞こえた気がした。


 トッ、と軽い音。

 見れば、サフィスと伯爵の間に、黒い何かが突き出ている。いや。これは。


「伏せてください!」


 イフロースが叫ぶ。と同時に、一歩前に出て、二人を庇う。懐から短剣のようなものを抜き放った。

 はじめて見る。だが、それがただの短剣ではないのは、明らかだった。


 イフロースは、廊下の外の暗闇を見据えながら、口の中で何事かを呟く。ふっと風が巻き起こり、周囲を包んだ。


 そういうことか。

 彼は風魔術の達人でもある。これは恐らく『矢除け』の魔術だ。

 あの茂みの中に、何者かが潜んでいる。だが、これで遠隔攻撃での暗殺は、不可能になった。


 そのはずだった。


 もういちど、ビーンという音。

 油断なく身構えていたイフロースだったが、いきなり前方に向かって飛び出した。

 グシャッ、と音を立てて、矢が彼の左腕に突き刺さる。

 なぜ!?


 だが、イフロースは逡巡しなかった。雷のような大声で、号令が下る。


「お前達! あの茂みだ! なんでもいいから突っ込め! 全員だ!」


 ここにいるのは兵士ではない。そんなことを言われても、動き出せないのもいる。

 しかし、ここは動くのが正解だ。よほど変なことをしない限り、暗殺者はこちらを狙わない。簡単な話で、時間をかければかけるほど、退路がなくなるからだ。捕まりたくなければ、俺達下っ端の相手なんか、していてはいけない。

 まず、俺が起き上がる。すると、子供に先を行かれてはと、数人の若者が立ち上がる。


 足元も見えない暗がりに降り立つ。そして、目標とする場所に近付いていく。

 別にサフィスに忠誠を誓っているわけではないから、犯人を捕らえるつもりはない。ただ、自分がやられない程度に仕事をこなすだけ。

 とはいえ、目的意識ならある。昨年の令嬢誘拐事件然り、今年のクローマー然り。今回の暗殺者が、そいつらと同じ依頼主から派遣されているのであれば、そろそろ不毛な追いかけっこを終わりにできるのだ。


「あそこだ」


 青年が指差す。


「いいか? 一緒に、一気に行くぞ?」


 声が震えている。無理もないが。

 彼らは、犯人を捕まえるつもりでいるのだ。だけど相手は武装していて、こちらは丸腰。だから怖い。

 だが俺なら、捕まえるまでもないのだ。目にすればいい。暗くてはっきりしなくても、俺のピアシング・ハンドは、ちゃんと相手を認識できさえすれば、名前まで読み取ることができる。


「せーのっ!」


 彼らが飛びかかるのに続いて、わざとワンテンポ遅れて近付いていく。

 その瞬間、気付いた。


「しまった!」


 破裂音。

 これは……!


 火薬だろうか? それとも光魔術か?

 しかし、殺傷力には乏しい。音と光だけ。

 だが、一気に視界を奪われた。暗いところに目が慣れたタイミングで、これだ。


 どうする?

 自分が殺されないのが最優先だ。

 後ろに下がり、木にぶち当たる。そのまま、木を背にして、周囲の気配を探る。誰もいない。


 しばらくして、視力が元に戻った。

 周囲は大騒ぎになっていた。


 俺は廊下のほうに駆け戻る。そこには人だかりができていた。

 イフロースの左腕には、深々と矢が刺さっていた。それを今、駆けつけた医師が引き抜くところだった。


「やはりか」


 額に汗を浮かべながらも、イフロースは落ち着いた声で言った。


「毒を塗ったアダマンタイト製の鏃……」


 それでか。イフロースの魔術をすり抜けたのは。

 そして、いち早くその危険に気付いたからこそ、彼は前に出て、自ら矢を受けた。


「イフロース様、毒の種類は」

「わかっておる。今、医師に伝えた」


 俺の出る幕はなさそうだ。

 彼自身、紛争地帯での経験で、様々な毒を見てきているのだ。自分に使われたものも、即座にどんな種類か、見抜いたに違いない。


「警備担当、伯爵を宿舎にお送りせよ。その後、周辺の警備」

「はっ」

「閣下も、館にお戻りください。後のことは、我々が」

「う、うむ」


 言われて、伯爵もサフィスも、それぞれの安全地帯に向けて、移動を開始した。その周囲を、数名の兵士がしっかり囲んでいる。

 残されたのはイフロースと、治療を続ける医師や、それを手伝うメイド達。それに、所在無く立ち尽くす数人の召使達だけだ。


 いきなりの襲撃だった。

 いや、いきなりではない。襲撃者は今回、ちゃんと予告した。


 俺は振り返る。

 壁に突き立っている、黒い矢。


 あの矢は、普通のものだ。ただ、矢羽から何から、黒く塗られているだけの。


「あれは」


 俺が疑問を口にし終えるより先に、イフロースが、苦しそうに息継ぎをしながら、答えた。


「復讐の矢」


 ……そういうことか。

 暗殺者は、最初の一撃をドブに捨てた。相手の油断につけこむなら、この上ない機会を自ら。そもそも、目標に命中させるつもりがなかったことになる。


 復讐の矢。この黒塗りの矢は、そう呼ばれる。特にフォレスティアでは、昔から伝わるやり方だ。

 特に理由があって、相手を殺したい場合に、しばしば用いられるものだ。というのも暗殺者は、目的を果たせずに返り討ちに遭う場合が多々ある。また、捕まって何もかもを自白させられる可能性もあるから、逃げ切れない場合は自害もする。

 しかし、それでは無念でたまらない。やろうとしているのは、ただの殺人ではなく、復讐なのだ。正義はこちらにある。

 だから、敢えてその意志を示すために、最初に宣言としての一矢を放つ。その場合、矢には赤とか、黒とかの色をつける。全体を一色に染めるのがルールだ。


 となると、この矢には重大な意味がある。

 犯人は、ただの暗殺者ではない。子爵家を……いや。


 今回は、そう簡単には判断を下せない。

 この襲撃は、誰を狙ったものなのか?


 今まで通り、子爵家を狙ったものなのか。

 それとも、極悪非道のティンティナブラム伯を殺そうとしたのか。

 はたまた、かつて紛争地帯で暴れまわったイフロースその人への復讐なのか。


 わからない。

 何もかもが闇の中だった。


 結局、後日になっても犯人は捕まらなかった。

 そして、サフィスも伯爵もイフロースも、それ以上の襲撃を受けることはなかった。

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