結論、俺は女には勝てない
困った。
どうする。どうしよう。
「まったく、お嬢様も物好きよねぇ……フェイなんか相手にして、何が楽しいんだか」
ピュリスの大通りを横断しながら、俺は掌の中に冷や汗を感じていた。
鳥になりたい。空を飛びたくなったから、また変身させろと。
冗談じゃない。いっそ、俺自身が鳥になって、遠くに飛んでいきたい気分だ。
だけど、断ったらどうなるんだろう?
『ボケたことほざいてんじゃねぇこのクソビッチのマセたメスガキがテメェの金じゃなくて親の金だろが』
……ダメだ。
あの子は、俺が耐えられるギリギリのところを狙って踏んでくる。
なら、いっそ始末するか? できるわけがない。海賊どもを葬るだけで、あれだけ堪えた俺なのに。これといって悪事を働いたわけでもない少女を消し去るなど、不可能だ。なにより、そのことをリリアーナ自身が知り抜いている。
「それより、顔色悪いんだけど?」
おっと。傍目にもわかるほど、動揺していたか。いかんいかん。
「もしかして、まぁだ脅されてるの? おっもしろ」
くそっ。
だが、今はナギアよりお嬢様だ。どうしたものだろう?
鳥に変身させるのは難しくない。だが、問題はその後だ。
まず、お嬢様の行方不明をどうごまかすか。屋敷の中でいきなり姿を消したら、また大騒ぎになる。
更に、安全な場所でまた人間に戻さなければいけない。鳥から人間に戻るのも、自分の意志だけではダメだ。俺が近くにいて、彼女が自分で事前に決めたきっかけがあるか、または正常な意識を保っているか、どちらかでなければ。
人間に戻った時、どれくらいまともな思考力が残るか。コツコツと練習を積み重ねれば、知能の低下の影響は、小さくできる。特にデスホークの肉体は、高い知能を保ちうる潜在能力がある。しかし、あくまで慣れがあれば、そして変身時間が短ければ、という制約つきだ。
まぁ、俺が彼女を見失わなければ、どんなに悪くても、一日後には人間に戻せる。しかし、戻った時には、彼女はパーになっているし、おまけに素っ裸だ。これが非常に好ましくない。誰にも気付かれないよう、素早く彼女に服を着せてしまわなければならないのだ。
……そんなの、無理だ。無理に決まっている。
屋敷内には、メイド長もいれば、乳母もいる。何かあれば、イフロースが抜き身の剣をもって駆けつける。全裸のお嬢様と一緒にいたらどうなる? 即座に殺されてもおかしくない。
いや、それならばまだ、逃げる余地もある。もっと怖いのは、冷静に観察されることだ。イフロースは以前、半狂乱になったお嬢様を目撃している。誘拐犯のもとから逃げ戻った時のことだ。あれと同じ状況で、フェイがいる……ああ、もう言い逃れはできない。必死に守ってきた俺の秘密が。何もかも知られてしまう。
となれば、お嬢様を黙らせる……ボケたことほざいてんじゃねぇこのオッサンガキが。うん、無理。
これでは堂々巡りだ。
「フェイ」
冷たい声が横合いから飛んでくる。
「ついたわよ?」
もう!?
気付けば、屋敷の敷地内。これといったアイディアも浮かばないうちに、もう現地に到着してしまった。本当にどうしよう。
「……何やってるの? さっさと歩きなさいよ」
後ろを振り返るナギアに、俺はビクッとする。
もう明らかに挙動不審だ。自分でわかってるけど、どうしようもない。
コンコン、とノックの音。
「ナギアです。フェイを連れてまいりました」
内側から扉が開けられる。
俺は内心の動揺を極力抑えつつ、一礼して室内に足を踏み入れた。
「フェーイー! 待ってたよー!」
リリアーナは、満面の笑みで俺を出迎えた。
もう、泣きそう。
「手紙、読んでくれた?」
いきなりそれか。
「は、はい」
「お嬢様、それなのですが」
後ろから、意地の悪い笑みを浮かべたナギアが、ススッと進み出る。
「フェイは、こともあろうに、お嬢様からの手紙と見るや、いきなり引き裂いて、めちゃくちゃに丸めてしまいました。なんという無礼でしょう」
そんなのが、俺の失点になるとでも思っているのか。リリアーナは、俺がそうするとわかっててやってるんだぞ。だいたい、今はそれどころじゃないんだ。
「へー、そうなんだ」
「そうなのです。このような礼儀知らずのサルには、鞭打って思い知らせるしかございません」
そう言われて、お嬢様はじっと俺を見据える。俺の狼狽が見て取れたのだろう。あえて追撃の言葉を投げかけてくることはなかった。
「ねぇ、ナギア」
「なんでしょう、お嬢様」
「ちょっとだけ、フェイと二人で話したいから、すこーしだけ、出ていてくれるかな?」
きた。
もうダメだ。
「ご冗談を」
……おっ?
「もうそろそろ、夕方に差し掛かる頃でもございます。このようなお時間に、お嬢様の部屋に、男がいるというだけでも問題なのです。それなのに、私がフェイめを置いて、ここを出たとなれば……」
……おおお!
ナギア。今まで、君の事を悪く思っていて、ごめん。今の君は、僕の女神だ。天使だ。
そうなのだ。リリアーナが何を企んでいたとしても。俺にはこっそり命令するしかない。お嬢様が俺をビビらせているのは、秘密を知っているからだ。それが秘密でなくなったら、何を言ったって無視される。彼女自身、それをよく理解しているのだから。
「んんー」
お嬢様が不満げに声をあげる。
だが、負けるな、ナギア。もし、うまくお嬢様を撃退できたら、絶対にうまいものを食わせてやる。
去年の冬の、ジビエの水煮でよければ、二皿といわず、三皿でも四皿でも、何なら一頭分、丸ごとでもご馳走するから! ……こっそりお代わりしてたのは知ってる。あとで料理長が教えてくれたから。
「そっか」
「はい」
「仕方ないよね」
「そうですとも」
そこでお嬢様は、ニタッと笑った。あ……これ、絶対、何か悪いことを思いついた顔だ。
「お父さん、言ってたもんね。あ、ナギアのだよ」
「は? 父……ディンが、ですか?」
「うん」
「い、いったい、何を」
「娘は、将来、フェイと結婚させるんだって」
「はぁっ!?」
ゲロでも吐きそうな顔をして、ナギアは後ずさった。
「ナギアの将来のお婿さんだもんね。私があんまり連れまわしたら、悪いよね」
「そっ、そのようなことはっ!」
……リリアーナは、本当に六歳だろうか?
人のことをよく見てるし、やり方は陰険だし。
少なくとも、俺の前世の子供時代よりは、ずっと賢い。
「なら、いいよね? ちょっとだけだからさ」
「い、いえ! それとこれとは、話が違うのでは」
「そっか。やっぱり……そうだったんだね。大丈夫、私に任せて」
「は?」
「じいやとパパにお話しておくから。七歳と八歳なら、少し早いけど、婚約できるよね」
げっ……げぇぇーっ……
婚約。おえぇっ。
こう、あれだ。断崖絶壁を、上から見下ろすような気分? 眩暈がした。
俺のことを、それこそドブネズミより嫌ってるナギアと結婚? 本気じゃないのはわかってるけど、言葉だけでもダメージになる。
チラッと振り返り、ナギアを見た。
あ。ああ……ムンクの『叫び』みたいになってる。端正な顔立ちが、今はまるでニホンザルのようだ。それに、真っ白な肌には蕁麻疹まで。
「お、おぅぉお嬢様ぁっ」
足をふらつかせながら、なんとかナギアが抗弁する。
「お言葉ながらっ、卑しくも私は騎士の娘。それに引き換え、フェイは奴隷にございますが」
「ん? 奴隷の身分からなら、解放すればいいでしょ」
「そのような、簡単におっしゃいますが、それにはまず、フェイにかけたお金というものが」
「それこそ、何の意味もないよ。フェイが今まで通り、うちで仕事をしてくれれば、一緒でしょ? 婚約者がいれば、まさかここを出て行ったりはしないし、ね?」
「いえ、ですが、そのような我儘が」
「パパは私のいうことなら、なんでも聞いてくれるよ!」
うーわー……
そういう考え方もできたか。確かに、子爵家としては、俺を奴隷のままにしておく必要などない。イフロースが俺を解放しないのは、他に俺を繋ぎとめておく手段がないか、あっても高くつくと考えているからだ。
しかし、ゆくゆくは子爵家を守る忠臣の一人にしたいのだとすれば。いつかは俺を自由民の身分にするし、婚約者だって押し付けるかもしれない。現に、ナギアの父のディンは、子爵家に代々仕える家の娘だったランと結婚させられている。イフロースがこの手段を俺に用いないのは、単に、子供の外見を持つ俺には、まだ女の色香が通用しないと思っているからに違いない。
ナギアは美少女だ。性格はアレだが、外見だけは世間の平均よりずっと上。将来はきっと美人に育つだろう。今はあり得なくても、五年後、十年後には、現実味が出てくる話ではある。まったくもって、合理的だ。
けど、もし本当にそうなったら。俺はすぐにでも鳥になって、ここを出て行くけどな!
「う……うぷっ……」
うわっ。
ナギアが吐きそうになってる。おい、大丈夫か。しっかりしろ。
吐き気止めの薬、持ってきてやればよかったな。ちょうど在庫があったのに。
「お、おふっ……お、嬢様……」
「ん? なにかな」
「気分が悪くなりましたので……少しだけ、顔を洗って、外の空気を吸ってまいります。すぐに……戻りますので」
「そっか。うん、いってらっしゃい!」
あ。あああ。
ナギアが、負けた。
リリアーナのことだから、ナギアの嫌いなものも、よくよくわかっていて、わざとこう言ったに違いない。
母親に似たんだろうけど、なんて怖い六歳児だ。
よろめきながらナギアが出て行き、扉が閉じられる。室内には、俺とお嬢様の二人きり。
マズい。ヤバい。今度こそ、どうしよう。
薄暗くなりかかった室内に、沈黙が降りる。
考えがまとまらないうちに、足音が近寄ってくる。俺にはそれが、死刑の宣告のようにさえ聞こえる。
「やっと話せるね。フェイ」
脂汗が次から次へと。
どうしてこうなったんだか。
「ねぇ、お空を飛びたいなぁ」
「お嬢様、まず常識を」
「あっ、人間は鳥になれないとか、そういうのはもう、いいからね?」
ちっ。
時間稼ぎもさせてくれないのか。
「わかりましたよ。でも、どうするんですか」
「うん? どうするって?」
どこに見張りがいるかもわからない。俺は極力、声を潜めて話す。
「覚えてないんですか? 鳥から人間に戻った後。丸一日、寝込んだんですよ? またああなったら」
「寝る前に戻ってくれば、ちょうど夜中に眠ってるうちに、元通りになるよ」
「だとしても。いいですか、ちょうど一年前に、お嬢様は誘拐されたんですよ。犯人もまだ捕まっていません。あれから、お嬢様のすぐ傍には、人を置かなくなりました。でも、警備そのものは、前よりずっと厳重になったんですよ? いなくなれば、すぐに気付かれます。気付かれれば、大騒ぎになるんです」
「んー」
俺の説得に、彼女は不満そうな顔をした。唇に指を当てて、何やら考え込んでいる。
「わかっていただけましたか?」
しかし、くるっと振り向いて、彼女は無垢な笑みを浮かべた。
「じゃあさ」
「は、い?」
「フェイが私のフリをすればいいんだよ!」
はぁ?
「な、何をおっしゃいますか! 僕が女装したって、すぐに見抜かれるに決まっているじゃないですか!」
「えっ? フェイなら、大丈夫だよ?」
「そんなわけ、ないでしょう!」
「鳥にもなれるんだから、私そっくりに化ければいいのに」
「何を言ってるんですか、いいですか、あれは鳥に『化けて』いるのではなくて、ちゃんと『元』になるものが」
……あっ。
気付いてしまった。
気付くんじゃなかった。
俺の表情の変化に、彼女は敏感に反応していた。
ニタニタと笑みを浮かべつつ、俺に囁く。
「いい方法、思いついたんだ?」
「……はい」
「じゃあ、早速」
……っと、それはいけない。
このタイミングで俺が消えたら。アイビィにまで尻尾を掴まれたくはない。
「ま、待って! 待ってください! 今日は、僕は家に帰らないと」
「どうして?」
「閣下から預かっているお店の仕事が、明日もあるんですから」
「じゃあ、いつならいいの?」
「う……次の休みに……屋敷の仕事だといえば……」
「わかった!」
待つ、という条件を、リリアーナはあっさり受け入れた。
と同時に、俺に拒絶という選択肢はなくなった。
「楽しみに待ってるね!」
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