子供店長の啓蒙活動

「今日まで、お世話になりました」

「いいってことよ」


 店長は、何事もなかったかのように、手を振った。彼は、ああみえてシャイなのだ。感謝の言葉に弱いし、すぐ照れる。だから、クドクドお礼を言われると、却って困ってしまうだろう。

 俺の後ろには、八人の女達が並んでいる。ティンティナブラム領出身の譲渡奴隷二人に、犯罪奴隷六人だ。

 ベッドその他の家具が準備できたので、これから引越しなのだ。といっても、彼女らの私物はほとんどない。せいぜい、衣類くらいなものだ。


「あたしからも、言わせてくれよ。まさか、生きてるうちに、こんなにうまいもんがまた食えるとは、思ってなかったぜ」

「迷惑をかけた。またそのうちに、お礼をさせてもらう」

「おいちゃんも、よかったらお店にきてね!」


 お礼を言うのはいいけど、最後のはまずいぞ。ほら、奥のほうからオバちゃんが睨んでる。


「さ、フェイ様、行きましょう」


 奴隷達より余程恭しいアイビィが出発を促す。それで俺達は、ゾロゾロと歩き出した。


 生まれ変わった悪臭タワーは、既に悪臭を放っていなかった。それどころか、周囲のビルより、ずっと美しく見える。

 もともと、ピュリスの街の建物は、一部の例外を除いて、どれも真っ白な石材で作られている。徹底的に清掃を繰り返した結果、今では見違えるような姿になっていた。

 よし、新しい名前をつけよう。何がいいかな。


「あんまり見たくない場所かもだけど……」

「すげぇな、きれいになったじゃねぇか」

「入ろうよ」


 もしかしたら、あれだけの虐待を受けた場所だから、彼女らにとっては、立ち入るのさえ耐え難いのかも、と心配していたのだが……。

 むしろ、俺より先に、ガリナは扉を押していた。


 一階。

 俺は大幅に内装を変えた。といっても、内装だけだが。


 以前にエディマが立たされていた受付は、無人にした。その代わり、壁には鍵がぶら下がっている。今のところ、四つしか掛けてない。階段の前には、レンガで壁を作った。その代わり、元オカマの私室の壁をぶち抜いて、階段脇に扉を取り付けた。要するに、元オカマの私室を通らないと、上層階には進めない。

 オカマ野郎の部屋は、更に二つに仕切った。細長い表側と、バックヤードに使う広めの裏側と。

 もともと部屋の奥のほうには水道の口があったので、市に金を払って浄水を流してもらっている。それと暖炉もあったので、ここで常時、温水を用意することにした。他、大量のタオルや石鹸など、備品類を積み上げてある。女達の待機場所にもする予定だ。

 表側の、元の二重扉に近いほうには、ソファが置いてある。少々細長くて狭いが、こちらは客の待合室だ。近くにはベルがぶら下げてある。殺風景にならないよう、ソファの向かい側の壁には安物の絵画や花瓶をかけてある。

 表側の部屋も、奥の部屋も、カーテンの仕切りがあるだけで、階段への扉に繋がっている。


 二階。

 部屋が四つあるのは、以前と変わらない。但し、床はピカピカに磨き上げられていて、以前とはまったく別物のようだ。無数のダニがたかっていたシーツは焼き捨てられ、古びたベッドも運び出された。しかも、これらの部屋にも、若干の工事が施されている。

 まず、木の板で覆われていた窓には、今は透明度の低いガラスが嵌められている。換気のために、開けることもできるようになっている。

 だが、それより目を引くものがあった。


「うん? ……なぁ、なんだ、これ?」


 部屋の隅に据え付けられた、石造りの箱。蓋はなく、中身は空っぽだが、底には細かい刻みが入っている。結構な大きさだ。

 そして、彼女らのほとんどは気付いていないようだが、箱のある辺りは、床が一段低くなっており、足元はザラザラしたコンクリートだ。更にその奥には排水溝が刻まれている。


「浴槽だよ? 見てわからない?」

「はぁっ? なんでこんなもん」


 今はわからずともよい。非モテな前世を生きた俺だが、これでも、当時の世界で最もエロい国から転生してきたのだ。知識ならある。知識だけなら。体験は……こちらの世界の、あのリンガ村のクソババァが最初なのだが。まったく、どうして自分の満足に手の届かない俺が、客の満足を追求しなきゃいけないのか。

 あとは、目立つものとしては、部屋の中にはベッドと椅子くらいしかない。一応、部屋の隅に香炉とか花瓶とか、それに壁に、これまた安物の絵がかけてあったりもするのだが、その程度だ。


「水を使うから、毎日しっかり掃除しないといけないよ? カビるからね」


 俺がそう言っても、彼女らは理解できずに、目を白黒させるばかりだった。


 三階と四階。

 まっさらなままだ。汚れはすべて排除したが、ここにはベッドもなければ、浴槽もない。使わないから、工事もしていないのだ。つまり、八部屋も無駄にしているのだが、仕方ない。


 五階。

 ここに八人分のベッドを持ち込んだ。それと、部屋の隅にいくつか壁を作って、それぞれ小さな炊事スペースとか、トイレとかを設置した。なお、窓にはすべて、開閉可能なガラス窓を取り付けた。それでも、かなりの広さの空間が、真ん中に残っている。


「相部屋になっちゃうけど、我慢してよ」


 だが、俺の言葉に、リーアは、ポツリと呟いた。


「……ない」

「ん? 何が?」


 すると彼女は、自分の首に嵌った無骨な鉄の輪っかを引っ張りながら、言った。


「首輪をかけるところ」

「ああ」


 それで俺は思い出して、アイビィに合図をする。彼女は、運んできたカバンから、ジャラジャラと金属の輪を取り出す。


「みんなの首輪だけど、今、外すから」

「えっ?」


 すっかり顔の腫れが引いたエディマが、戸惑いを浮かべる。


「あの、フェイ、さん?」

「なんでしょう?」

「譲渡奴隷はいいけど、犯罪奴隷の首輪は、基本的には外しちゃいけないんだよ? 確か、法律で」

「はい、なので、あれに付け替えます」


 俺は、アイビィが手にぶら下げる金属の輪を指差した。


「いや、でも、あれ……首飾りっぽくない?」

「あれが首輪です。まぁ銀のネックレスなんですが、首輪といえば首輪ですよね。なかなかオシャレでしょう?」


 そう言ってから、俺はエディマに手招きして、屈ませる。手にした鍵を回すと、重い首輪は、簡単に外れた。


「皆さんには、肉体労働をさせるんですから、重い首輪なんか、論外です。それにあれは銀製ですから、まず錆びませんし、ちょうどいいでしょう」


 そうして俺は、首輪をつける必要もないステラとウーラにまで、銀の首飾りをつけた。


「な、なんか、よぉ」


 銀の首輪をつけたガリナが、変な苦笑いを浮かべている。


「こんなのつけたら、調子狂っちまうよ」

「それがいいんですよ」


 きっと貧しい農婦だった彼女には、今までこんな装飾品を身につける機会など、なかったのだろう。だが、いつの時代、どこの世界でも、光りモノは女の夢だ。

 当然、理由もなしに、こんなものに金をかけたりなんかしない。これにはちゃんと必要があるのだ。それも一つではなく。そしてそれは、彼女ら自身でも、ハッキリと自覚しなければいけない性質のものだ。


「さて」


 窓が大きいために、日差しが強く差し込むこの部屋。一応、白いカーテンで光を遮ってはいるが、紅玉月のこの季節、結構な暑さになる。まぁ、まだ朝方でもあり、それほどでもないのだが。


「皆さんには、これから意識改革をしてもらいます」

「は? 意識……?」


 俺の言葉に、みんな目を白黒させている。


「皆さんが、ただの接客をしても、ろくに稼げるようになるはずがありませんね」

「わぁってるよ」

「いいえ、わかっていません」


 俺は、白い床をコツコツと歩きながら、説明を続けた。

 急に変わった雰囲気に、みんなその場で直立する。


「これまで、いつもの仕事で、どれくらいお金をとっていました? エディマさん」

「あっ、はい!」


 名指しされて、彼女は飛び上がった。


「銀貨、一枚、です」

「そう、その通りです」


 銀貨一枚。日本円換算で考えれば、およそ千円程度。

 前世に比べて女の価値が低いこの世界といえども、これは底辺の金額だ。


「ここより安い店が、ピュリスにありますか? ディーさん」

「ない、と思うけど」

「その通りです」


 いくらスケベでも、まず普通の男なら寄り付かない。そんな最低の店だったのだ。


「なぜ、そんなに安かったのか? 理由を挙げればきりがないけど。でも……ガリナさん」

「お、おう」

「この仕事、よく『春を鬻ぐ』とか『体を売る』とか言いますが……実際のところ、客は何に金を払っていますか? あなたは何を提供して利益を得るべきですか?」

「はぁ?」


 俺の質問に眉を寄せるが、真剣な表情で睨みつけると、口を閉じた。


「言い換えます。何を売るのが、あなたの仕事ですか?」

「決まってんじゃん。カラダだろ?」


 俺は、目で合図をする。

 途端にアイビィが早業を繰り出す。小さな豆粒が、ガリナの眉間にヒットした。


「何すんだよ!」

「不正解」

「へ?」


 俺はコツコツと靴音を響かせながら、次々尋ねる。


「リーアさん」

「胸と尻」


 コツン!


「フィルシャさん」

「恥ずかしいけど……あそ」


 コツン!


「シータさん」

「なんだとぉ……全部違うってことは……てめぇ、いくらなんでも! ま、まさか後ろの」


 コツン!


「ステ」

「わ、わかりません! わぁぁ、ひぃぃ!」

「む……誰か、正解がわかるのは?」


 だが、みんな、混乱するばかりだった。

 アイビィが、はーと溜息をつく。

 俺は、子供の声で、なるべく重苦しく力強く言った。


「だから銀貨一枚なんです!」

「あ、いや」


 ガリナが口を挟んだ。


「ちょっと待ってくれよ。まだ若いのもいるけどさ、あたしらもう、売られて三年は経ってるぜ? しかも、自分に限っちゃ経産婦だし、二十歳越えてるし、ぶっちゃけ売春婦としちゃぁ、安物になるのもしょうがねぇだろうが」

「確かにそれも道理ですが」


 俺はみんなに向き直る。


「覚悟して聞いてください。この店では、今後、一度の接客で、客から金貨五枚以上を取ります!」

「はぁぁ!?」


 女達の絶叫が響いた。


「ムリムリムリムリ! それって結構、高めのお店の基準でしょう? 何言ってるのよ!」

「そんな値段じゃ、客が来ない……」


 そうだろう。そう思うだろう。

 だからこその銀の首輪なのだ。


「お静かにっ!」


 と叫びながら、手を打ち合わせる。途端に静かになった。


「発想を変えるんです! 逆に、どうすれば、それだけお金を取れると思うか? 考えはないんですか!」

「無理ですよ」


 溜息をつきながら、アイビィが首を振る。

 無茶振りなのはわかってる。彼女らの教育水準は、個人差はあるとはいえ、高くても前世の中学生以下、低いほうは小学生以下だ。考える、という習慣自体が欠落しているのだから。

 これは、先進国と途上国の差にも似たものだ。前世、途上国の人々は、とにかく労働力の安さで稼いでいた。では先進国の人々はどうやって稼いでいたのか? 物価も人件費も高く、大幅な経済成長も望めない、そんな行き詰まった社会で。答えは……コンセプトだ。


「……じゃ、見えるところから、考えていこうか。ウーラさん」

「はっ、はい!」

「その首輪。銀でできていますよね。どうして全員につけさせたのだと思います?」

「そっ、それは、ど、奴隷……だから、じゃないですね!? ええと」


 本当はちっとも痛くないのに、さっきの豆粒に完全にビビッてしまっているらしい。適度に緊張感をもってもらいたかったのだが、匙加減とは難しい。


「じゃあ、少し質問を変えます。つけてみて、どんな気分でした?」

「えっ」


 彼女は、しばらく首元に指を這わせて、銀の感触をもてあそぶ。そして突然、にへらと笑みを浮かべた。


「なんか、悪くないです、うまく言えないけど」

「じゃあ、客から見て、どんな風に見える?」

「えっ……」


 やれやれ。一言も出てこないとは。

 今まで、客がどんな気持ちでいたかなんて、考えたこともないのだろう。だが、それも当然か。売春とは、無理やりやらされる仕事で、客は体を求めていて、自分は奴隷で……そこで思考が完全に止まっていたのだろうから。

 これは思った以上に、俺と彼女らとのギャップは大きそうだ。


 俺は、溜息をつきながら、頭を振った。


「仕方ない。今日は、僕が何から何まで説明するよ」


 それで彼女らは、ほーっと一息ついた。


「君達が売るものは……ただの体じゃない。夢、そして奉仕なんだ」


 俺が、精一杯の思いをこめて告げた言葉に、彼女らはポカンとした表情を返してきた。

 あー……うん。


「その上で、君らに必要なものがある。それは、夢と誇りだ」

「フェイ様、ついてこれていませんよ、この顔は」


 わかってるけど。まず答えを言っておかなきゃ。


 彼女らは、決して愚かなわけではない。ちゃんと言葉も話せるし、中には計算ができるのもいる。では、俺と彼女らの違いはどこにあるのか。

 突き詰めると、人の理解力というか、教育水準というか。教養のレベルというのは、抽象化と具体化を、どれだけスムーズに行えるかだ。あるものを何かに置き換えたり、連想したりして、概念によって思考を代替し、加速する。それには知識の蓄積と、それを応用する訓練が必要で、それをなすのが教育であり、学問なのだと思っている。

 しかし、ともあれ、彼女らにはその教養がない。だから、具体的な話から始めてやらないといけないのだ。


「僕は、せめて、みんなを安物の売春婦にはしたくないんだ」

「でも、安物だろ?」

「そう思って欲しくない。また、それは事実でもない。だからこその、銀の首輪、いいや、首飾りだ」


 俺の説明に、彼女らは怪訝そうな顔をする。

 だとしたら、私にはこの首飾りは似合わない。そんな風に思っているのかもしれない。


「この世の中、飾りをつけられるのは、それに相応しい中身があるものだけだ。逆にいえば、飾られているということは、値打ちがあるという主張でもあるんだ。だからこそ、僕は、接客する部屋には全部、飾りをつけた。みんなにも、きれいなドレスを着てもらう」

「そんな……お金の無駄遣いじゃない」


 信じられない、という顔で、エディマが言う。


「無駄じゃないよ。むしろ、これに使わなければ、何に使うのか。いいかい、きれいな身なりには、二つの意味があるんだ。一つには、君達自身が、自分で自分に値打ちがあるんだってことを思い出すために。もう一つ、客が君達を安物扱いしないために」


 ようやく理解が追いついてきたらしい。だが、そこでシータが吐き捨てた。


「要するに。ご主人様は、私らを高く売りたいわけだ? まぁ、それならわかるさ。けど、そんなの、私らにとっちゃ、何の意味もないんじゃないかい?」


 そうきたか。

 だが、これは予想通り。俺はこっそりとほくそ笑む。


「どうして?」

「当たり前だろ? 奴隷がいくら頑張っても、稼ぎはみんな、ご主人様のもの。やってもやらなくても同じ仕事なら、そりゃあサボるさ」

「……同じでなければ?」

「へっ?」


 我が意を得たり、といったところか。

 俺はその場で背を逸らして、宣言した。


「ここの店の維持費以外、稼ぎは全部、皆さん自身のものになる」

「へぇっ!?」

「その維持費も、何にいくらかかったかは、みんなで管理してもらう。僕は一切ごまかさない」


 なんと、前世の風俗店もビックリのホワイト経営。中抜きなしだ。俺自身は一銭も受け取らない。正確には、この建物と土地に課税されるから、その分は支払ってもらう。でも、それにしたって格安の地代だ。ちゃんと働けば、出せない金額ではない。この店を整備するのに、貯金をかなり使ったけど、もうそれはいい。とにかく、そう決めた。

 手段を選ばなければ、自分の場合、金なんていくらでも、どうとでもなる。一方で、もし俺がここで儲けに固執したら、悪くするとそれは、本当に子爵家のスキャンダルになってしまう。小さな利益にはこだわらない方がいいのだ。


「ステラとウーラは、今年中に解放する。そのうちに、ここの店長を務めてもらうから。ただ、稼ぎは公平に分配すること。犯罪奴隷の所有権は僕に残す。大金を稼ぐようになってから、おかしなことになったらいやだから。あと、お金の計算とか管理は、リーアができるはずだね。任せるからよろしく」

「いや、ちょっと」

「一応、奴隷は勝手に都市の外に出られないし、犯罪行為もしてもらっては困る。その場合は、残念だけど、街の警備隊に任せることになる。でも、問題さえ起こさなければ、僕は何も言わない。お金の使い道についても、とやかく言わないから」

「で、でもよ」


 ガリナがオロオロしながら言う。


「ありがたいのはわかるんだ。けど、それでもあたしらに金貨五枚なんて、無理だぜ」

「だから、ちゃんと考えたんだ」


 俺は、自分の構想について、彼女らに伝えることにした。


「例えば、今、客室は四つしかないよね。この店では、これから接客は二人一組が原則だ。この世界、一夫多妻も許されてはいるけど、実際に奥さんが二人以上いる人はお金持ちだけだし、それにしたって、二人の奥さんが仲良く相手をしてくれるわけじゃない。ここでは、現実ではあり得ない『モテ』を演出する」

「は、はぁ……」

「浴槽を設置したよね? 清潔感は重要だ。それに、入浴にはリラックス効果もある。お客さんを喜ばせるのに、手間を惜しんではいけない」


 俺の独創なんて、ほとんどないんだけど……歴史的に見ても、現代日本って、格別にエロい社会だったんだろうなぁ。

 この世界で最初に商売に活用する前世の知識が、これとは。この先の人生が思いやられる。


「他にもいろいろ考えはあるけど……それを実現するには、努力がいる」


 そう。文字通り、努力だ。

 例えば、設備の使い方。業務の流れを叩き込む必要がある。客がやってきて、相手を選んでいる間に、動ける人間がバックヤードからお湯を運んで浴槽に溜めておかなければいけない。客が帰った後は、迅速に後片付けだ。黒服を雇う金はないから、彼女ら自身にやらせる。最初は俺が近くにいて監督するが、そのうち、自分達だけで全部やってもらわなければいけない。

 もちろん、それだけでは、金貨五枚なんて取れない。彼女ら自身の底上げも必要だ。


「だから今日から、みんなには、体を鍛えてもらう」

「鍛えるぅ? なんで?」

「更に、グルービー直伝の秘密テクニックを、ここにいるアイビィに指導してもらう!」

「わ! 私ですかっ!?」


 巻き込まれるとは思っていなかったのか、アイビィが慌てて叫んでいるが、これは絶対にやってもらおう。彼女が房中術の上級者なのは、ピアシング・ハンドで確認済みだ。


「とにかく、やるしかないんだ。あのコラプトのグルービーに手紙を書いたんだよ。みんなの引き取りは断られた。でも、代わりに名前を使ってみろって。だから……」

「そんなことがあったのかよ」


 アイビィが、キッと振り返る。


「まぁ、コラプトのお店は見てますし、できなくはないし……やることはやりますけど、フェイ様」

「うん?」

「一つだけ、訂正を」

「なに?」

「グルービー直伝とかいうのはやめてください! 私はあの変態スケベオヤジには、指一本、触れられたことはありませんから!」


 おおっと。

 じゃ、誰が彼女に訓練を施したんだろう。

 っていうか、一応、彼女のボスなのに「変態スケベオヤジ」とか言っちゃうんだ。

 ま、いいか。


「っと、でも、一番鍛えなきゃいけないのは、みんなの心だ」


 意識改革。

 これが成せなければ、彼女らは安物の売春婦に逆戻りしてしまう。

 自分のために頑張る。客のために尽くす。そこに上下関係などない。やるべきことをやって報酬を得る。これからは無意味に苦痛に耐えるのではなく、選び取った上で、まっとうな取引をするのだ。


「残念だけど、社会は、みんなを今の立場でしか受け入れてくれない。だけど、それを恥じることはないんだ。わかるかい?」


 ポカンとしているな。

 うん、遠まわしな表現は通じない。


「これだけは、絶対だ」


 全員の顔を見据えて、俺は言い切る。


「自分で自分のことを、卑しいとか、汚いなんて思うな! 今日を限りに、そんな気持ちは捨ててしまえ! これからは、人を喜ばせてお金を取るんだ。堂々と胸を張れ!」


 うん、決まった。

 これならきっと、わかってくれる……


 ガリナがボソッと言った。


「そうだな、胸を張ったほうが、大きく見えるもんな」


 俺は脱力して、その場に膝をついた。

 どうやら先は長そうだ。

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