女司祭の密かな趣味

「だから、教会に預けなさいと言っているでしょう!」

「どうしてそんなことしなきゃいけないんですか」

「幼女を育てるのに、教会よりいいところがありますか! あなたのような好色漢には任せておけません!」

「七歳の子供に言う言葉じゃないですよね、それ?」


 事件より三日。自宅の薬品店もようやく通常営業に戻り、俺は仕事帰りに酒場に寄って、引き取った女奴隷達の様子を見に来ていた。ところが、どうも一昨日あたりから、毎日リンがここに通ってきていたらしい。今日はたまたま鉢合わせてしまった、というわけだ。


「だいたい、あなたのおかげで、ひどい目にあったんですよ? 少しは反省というものを」

「私は騙されていたのです! つまりは被害者です! 従って罪はありません!」


 確かに、騙されるほうが悪いなんていうのは、まったく横暴な理屈だ。ましてや神通力で認識を阻害されていたのだから、尚更だ。なので、この件で彼女を責めるつもりはない。

 ただ、彼女が、俺の所有する女奴隷達について、散々悪口を言いふらしてくれたせいなのか、引き取り先がまったく見つからないままだった。


 一階の酒場で押し問答をしていると、出入口の扉が開いた。


「ただいまー……って、あれ? フェイ君、いたの?」


 ウィーが俺に気付いて、挨拶してくる。


「あ、おかえりなさい。そろそろかなりよくなってきたけど、薬は塗らないとだから」

「まだ穢れた人々に触れているのですか」

「あのさぁ」


 その物言いにイラッときたせいか、俺の言葉遣いが荒くなる。


「しょうがない人達っているでしょう? 真面目に頑張って生きてるのに、追い詰められちゃう人。そういうのを全部、穢れた人って言葉で済ませるわけ?」


 むっ、と顔を引き攣らせながら、リンは後ずさる。だが、すぐに反論が飛んできた。


「百歩譲って、まぁ、譲渡奴隷はそれでいいとしましょう。でも、犯罪奴隷はどうですか。追い詰められたからといって、罪を犯していいのですか」

「間違えるのが人間でしょう? 一度間違えたら、もうやり直しちゃいけないんですか」

「では、被害者の立場はどうなんですか。罪を犯した人間が、大手を振って暮らしているのを、黙って見過ごさなければいけないのですか」


 この辺の議論は、前世にもあった。どちらにも一理ある。

 だが、俺は法の精神に照らして、彼女の言い分を否定する。刑罰が復讐であってはならない。復讐を肯定すると、社会の秩序を守れなくなるのだ。


「その理屈でいくと、最終的にはもう、殺し合いしかないですよね。一度、道を踏み外したら、どうせもう、やり直せない。だったら、反省もする必要がない。一人殺したら、百人殺しても同じ。そういうことですよね?」

「それこそ悪魔の邪念です」

「じゃ、どうすればいいというんですか」

「最初から、誰もが罪を犯さず、善意で生きていれば、何も問題は起きないのです」

「そんな世界、いったい、どこにあるんですか」


 万人が常に愛し合い、助け合っている世界であれば、罪などそもそも生まれない。でも、現実にはそうなり得ないから、どこかで妥協が必要となる。

 法とは、不完全な人間の、妥協の産物だ。その意味で、これは公平でもあり、不公平でもある。殺人犯が生きているのを見過ごす家族は憎悪に駆られるだろうが、復讐を許せば、社会の利益はもっと損なわれる。だからこその取り決めなのだ。


「む……それを作り上げようとするのが、正義の女神の目標であり、我々信徒の使命なのです」

「将来はそれでいいです。じゃ、今は。今すぐ、目の前で起きてる問題は、どう解決するんですか」

「だから、触れないのが一番いいのです。触れれば、穢れに引きずり込まれるのです!」


 ああ……そういう発想だったな、こいつは。

 でも、珍しくはない考えなのかもしれない。実は前世でも、中世では『悪いことをしたから罰を受ける』という考え方は一般的ではなかった。むしろ逆に『罰を受けたということは、そもそも悪いものだった』とするのが普通だったのだ。それは、自分で考えるより、まず『信じる』ことが知の基本とされた時代においては、むしろ常識的な思考回路だったのだ。


「とにかく! 不潔な奴隷達は街から追放! 幼女は教会へ! 私は譲りませんからね!」


 そう捨て台詞を残しつつ、リンは去っていった。


「はぁ……」

「大変だね、フェイ君も……」


 ウィーもすっかり呆れているようだ。


「なんでなんだろう。僕、何かあるたび、いつも厄介事に巻き込まれてる気が」

「うーん、なんでだろうねぇ」


 本当に、こんなの、普通の子供だったらとっくに死んでるレベルだ。リンガ村の虐殺の夜しかり。ウィカクスに襲撃された時もそうだ。お嬢様の誘拐事件でも、この前のサハリア旅行でも。そして今回、ここピュリスにいても、本気で危ない目に遭った。

 ……何か憑いているのかもしれない。


「まぁ、一つずつ片付ければ。とりあえず、今夜、リンは黙らせる。調べはついたから」

「そうだね」


 夜も更けた。最近、日が完全に落ちてからも、多少の蒸し暑さがある。

 そんな中、俺はアイビィと一緒に、とある集合住宅を見張っていた。もちろん、物陰に身を潜めながらだ。


「あっ、今、開きましたよ」


 建物の三階から、一人の女が姿を現した。清潔感のある白いワンピースに、この都会のど真ん中には似合わない麦藁帽子。それに、ハンドバッグを提げている。亜麻色のロングヘアが美しい。


「女は服装で変わるっていうけど……」


 こうしてみると、あの抹香臭い宗教女の面影は、まったく見られない。

 ただ、服装を変えてもやっぱり、平らな胸は変わらないらしい。


「普段は化粧もなし、司祭の服だけ、ですからね。さ、追いかけますよ」


 跡をつけられているとも気付かず、女はどんどん市街地の奥へと入り込んでいく。娼婦街と職人街のちょうど間くらいのところにある、とある酒場。大通りからもそう遠くなく、地上四階の立地でも、それなりに客が入るらしい。

 というのもそこは普通の酒場ではなかったからだ。特定の趣味を持つ連中しか、ここへは足を運ばない。


 道に迷うこともなく、女はするすると階段を登り、木の扉をぐっと押した。

 俺達も、タイミングを見計らって、そっと店内に立ち入る。


 中は熱気に満ちていた。

 そう、ここは賭博場。

 但し、完全に運次第の賭け事はしない。要するに、サイコロ博打はないが、賭け将棋やポーカーならある。


 さて、この世界、実はカードゲームが充実している。それも、麻雀やトランプのような、比較的単純といえるようなものばかりではない。

 どうしたわけか、これまたギシアン・チーレムのせいらしく、それくらいの時代から、東方大陸を起源に、多様な形式のゲームが生まれ、広まっていったのだ。これは、諸国戦争以後の度重なる混乱期にも失われることなく、今に至るまで伝えられている。

 カードゲームの中には、かなり複雑な戦略、戦術を要するようなものもある。ロジカルバトルというか、なんというか、とにかく、よくよく研究して作戦を練りこまないと、勝てないような代物だ。こういうゲームがここまで広まっていなければ、俺が作り出して商売にしてやろうと思っていたのに、残念極まりない。

 なお、当然、この世界ではカードは職人による手書きなので、絵師には一定の仕事がある。ゲームのルール上では問題なくても、絵柄があまりに汚いカードを使うと、軽蔑の対象となるのだとか。逆に、素晴らしいできばえのカードは、コレクターの金庫に収められる。


 部屋の隅に視線を走らせる。

 白いワンピースの女は、奥の座席に腰をかけて、手札を確認している。完全に熱中しているようだ。


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 リン・ウォカエー (24)


・マテリアル ヒューマン・フォーム(ランク6、女性、24歳)

・スキル フォレス語  7レベル

・スキル サハリア語  6レベル

・スキル ルイン語   6レベル

・スキル 弓術     5レベル

・スキル 光魔術    5レベル

・スキル 薬調合    4レベル

・スキル 医術     4レベル

・スキル 農業     1レベル

・スキル ゲーム    8レベル


 空き(15)

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 なかなか優秀な人物のようではある。

 フォレス人の国技である弓術をそれなりに鍛え、司祭として要求される光魔術や医療技術にも通じている。また、フォレス語の他に、サハリア語、ルイン語についても、下手なネイティブ以上にうまく読み書きできる。立派なものだ。だが、しかし。

 ゲーム、8レベル。……最初見た時、何のことかと思った。


 アイビィに裏を取ってもらった。


 このリンという人物、フォンケーノ侯爵領の、それはそれは雪深い地域の農村出身だった。しかし、どういうわけか子供の頃から頭がよく、親は彼女を学校に入れた。そこでめきめき成績を伸ばした。結果、十代後半から、二十代前半にかけて、奨学金をもらって、セリパシアに留学に行くまでになった。

 ただ、彼女が学んだ学校というのが、ちょっとまずかった。セリパス教関連の学校施設だったのだ。彼女の両親も、多少セリパス教寄りの女神信者だったから、その辺、さほど問題視していなかったのだが、これが後々、大きな影響を及ぼしてしまう。

 留学時代、彼女は人生を謳歌した。なんと、あれで恋愛もしたらしい。ところが、やはりというか、貧しすぎる胸のせいか、それが成就することはなかった。そのうちに、彼女は二つのものに、のめり込むようになった。セリパス教と、ゲームだ。

 セリパス教については、数ある宗派のうち、特に『聖女派』といわれる原理主義集団に首を突っ込むようになった。集団といっても、聖女派というのは、教祖リントの行跡を追体験することで、自らを女神に近づけようという考え方をしているので、他の信者の救済には、あまり積極的ではない。はっきり言ってしまうと、ボッチな人が信仰する宗派である。神聖教国の主流である聖典派の分派で、極端に純潔を重んじることでも知られていて、世間からは高慢な人々とみなされることもあるのだとか。

 ゲームについては、留学前から好んでいたらしい。だが、両親の監視という枷がなくなったせいもあり、おおっぴらに遊ぶようになった。加えて、度重なる失恋経験のせいで、どうやら人格が捻じ曲がってしまったらしく、なお一層、ゲームにハマるようになった。


 今、この賭博場で、彼女に対抗できるゲーマーはいない。最強すぎて、挑んでも身包み剥がされるだけだからだ。

 それもそうか。8レベルだ。有名な戦士であるアネロス・ククバンやキース・マイアスの剣術でさえ、7レベル。俺みたいにピアシング・ハンドのような力があればともかく、常人であれば、生涯かけても到達できない、いわば天才の領域にあるのだ。

 だから、一通りカードの確認を終えた彼女は、退屈そうに周囲を見回す。誰も挑んでくれないなら、自分から挑むしかない。だが、みんな必死で断るだろう。


 そこへ、一人の小男が、フラフラと近付いていく。


「済みません、ここ、空いてますかね」

「あっ、はい」


 男嫌いでもあるのだろう。潔癖症らしい、と聞いている。彼女が性的なものを嫌う理由の一つが「男は臭い」というものらしい。

 話す男の唾が飛ばない距離にまで、リンは素早く引っ込んだ。


「じゃ、一つ勝負しませんか」

「ええ、では」


 二人は椅子に腰掛け、手元のカードをシャッフルし、山札を作る。そこから手札を引いて……


 実は、リンの対戦相手は、ドロルだ。彼もゲームが好きで、多少は遊んだことがある。ただ、遊んだだけだ。リンのようなプロとは、レベルが違う。

 ちなみにドロルの顔は、リンも見ている。だから、目が合った時、びっくりしたのもあって、身を引いたのだ。

 しかし、ドロルは知らないふりをした。それに今の彼女は変装している。いつもの司祭服を脱ぎ、町娘のような格好をしているのだ。問題ないと自分に言い聞かせ、ゲームに集中する。


「負けました」


 当然のように、ドロルは一瞬で惨敗する。

 掛け金の銀貨五枚を置いて、立ち去ろうとする。


「あっ」


 しかし、これで逃げられてしまっては、リンはまた退屈してしまう。そうだった。多少は手加減して、楽しませながら勝負しなくては、すぐ去られてしまう。


「もう一回、勝負しませんか」


 そう声をかけられると、ドロルは腰を下ろした。二人はまた、カードを並べる。

 悔しそうな顔のドロルが、そこで提案した。


「次は、じゃあ、倍額でいきますか」

「いいんですか?」

「次は勝ちますからね」


 言葉とは裏腹に、十分後には、彼のカードは全滅していた。剣術で言うなら、ド素人がキースに立ち向かうようなものだから、当たり前だ。


「くっ! も、もう一勝負!」

「えっ、ちょ、ちょっと」

「更に倍で!」


 ギャンブルには、倍賭けを繰り返すことで必ず勝てる、という理屈がある。これは、運次第のゲームであれば、一応は成り立つ話だ。何十回負けても、最後に一度勝てば、今までの負け分すべてを取り戻せるからだ。

 しかし、このカードゲームでは成立しない。力量が隔絶しているからだ。


「もう、もう一回だ! うおお!」

「あの、大丈夫ですか?」


 いつしか、ドロルは大量の金貨を吐き出し、一度に金貨二十枚を賭けようとしていた。


「構いません! 今度。今度こそ、終わりにしますから」

「本当に、これでおしまいですよね?」

「約束します」


 結果は想定通り。リンの圧勝で、ドロルは全財産を毟り取られた。

 そして、リンは大量の金貨を前に、少し心を動かされたようだ。


「……まぁ、勝負は勝負ですから、いただいていきますね」

「ま、待ってくれ! これを取られたら、今夜のメシ代が!」

「ご自分でやるとおっしゃったんでしょう」

「でも、だからって、ただのゲームにしては、やりすぎだと」

「ふふふ、これで新しいカードが買えますね……」


 実は、これも下調べ済み。リンは何気にお金が大好きなのだ。そして、そのお金を、またゲームに投資する。まさにゲーム狂。

 ちなみに、ゲームと、幼女趣味と、司祭としての最低限の仕事以外では何をしているかというと、何もしていない。徹底的に怠惰な人物だということが判明している。


「いや、でも、せめて」

「見苦しいですよ。じゃ、これはいただいて……えっ?」


 さあ、出番だ。

 俺、アイビィ、それにガッシュやウィー、ハリ。その他、呼べる限りの知り合いを集めて、テーブルを囲んでいた。


「おめでとうございます、リンさん」


 俺はわざとらしく声を張り上げる。


「いっやー、すっごい腕ですね。圧勝、圧勝、また圧勝。さすがリンさんです、最強ですね」

「な、な、な、だ……誰のことですかしら」

「これはあなたの勝ちですから、その金貨はどうぞ、お持ち帰りください、ええ……いやー、まさか天下のセリパス教の司祭様が、ギャンブル好きだとは」

「ち、違います! 違いますわ! 私が好きなのは、あくまでゲームであって」

「そうですか、そうですか」


 現場を押さえた以上、もうこっちのものだ。


「ま、どっちでもいいです。そのお金は持って帰ってくださいね、リン・ウォカエーさん」

「あの、誰です? そ、そんな人、知りませんから」


 しらばっくれるつもりなら……

 俺は唐突にあらぬ方向を指差した。


「あっ! あそこに幼女が!」

「えっ!? どこ? どこですか? こんな場所に幼女を連れ込むなんて、許せません! 私が連れ帰って……ハッ!?」


 うん、決定的だ。

 全員のジト目が突き刺さる。


「とりあえず、ついてきてもらえますか」

「あ、あの。ちょっと、どこへ」

「ピュリス市内のセリパス教徒の皆さんに、ご挨拶をと」

「ま、待って、そんなことされたら、私」

「聖職者失格、ですか?」

「ただ週に一度、短時間説法するだけで生活費がもらえる楽な仕事がなくなるんです、どうかそれだけは」


 あ、うん。

 いろいろ残念な気持ちが胸にこみ上げてくるんだが、まぁ、いい。

 目的は果たせたようだから。


「ま、明日、お話しましょう、それでは、おやすみなさい」


 そう言いながら、俺は彼女の手の中に、無理やり金貨を握らせた。

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