黒幕現る

 海は変わらず美しい。打ち寄せる波の音を聞きながら佇むだけで、人は心を洗われる。

 それは、嵐の恐ろしさを知った後でも同じだ。飽きることなく、いつまでも見つめていられる。


「暇ですねー」


 そんな俺の感傷を台無しにするかのような声が、後ろから飛んできた。


「もうじきだよ」


 既に時刻は夕方。波の上に金色の光が舞う。この素晴らしい一時だというのに。なんと無感動な女なんだろう。


「それより、海、きれいじゃない?」

「えー」


 ところが、彼女はどこか、不満げだ。


「そんなの、毎日見てるじゃないですかー」

「いつもは家から離れてるし、昼休みにしか来てないんだから」

「私ぃー、生まれは漁村なんですよー」


 あ、そうなんだ。


「だから、海なんて見飽きてるんですよねー」


 それにしては、肌が真っ白なんだが。恐るべし、グルービーの美白薬。


 ここは女神の神殿近くの空き地。市街地から少しだけ離れていて、人気がない。普段は、ここでドロルに剣術の稽古をつけてもらっている。

 周りにあまり障害物がなく、ここからは西側の神殿と、北側の路地にしか出られない。東と南には、断崖絶壁しかないから、逃げ場がない。隠れるにも不都合な場所だ。

 だからこそ、ここで待ち受ける。少しあからさま過ぎる気もするが。


「いつから気付いていたんですかー」


 アイビィが少し、むくれている。


「いつからって、最初からだよ」

「最初って、いつですかー」


 今、アイビィは、いつもと違って、動きやすい格好をしている。色気も何もない、前世の歩兵の制服みたいな装備だ。肩からかけているのは、銃弾ではなく、投擲用の小型ナイフなのだが。また、それとは別に、近接戦闘用の大型ナイフも、腰に下げている。

 彼女は、自分に戦闘力がある事実を、はっきりとは悟られないように振舞っていた。まぁ、つい今朝方も、タラムを拉致してきたわけだが、どうやってやったのかは、特に追及していない。普通に考えれば、ピュリスにいるグルービーの手下どもを使ったと想像しても、おかしくないところだ。それに相手は老人なのだし、捕らえるだけなら、若い女性の体力でも、なんとかなる。


「なんかこう、見ただけで、わかっちゃった。この人、絶対鍛えてるなーって」

「ううー」


 ピアシング・ハンドの判定結果は、忍者だった。それも一人前のだ。


「私はー、フェイ君がー、そんなにできる子なんて知らなかったのにぃー」

「う、うん」

「ずるいですぅー」


 そりゃ、わかるわけない。剣術のスキルは、つい先日、シンから強奪したばかりだから。

 その前は棒術を持ってはいたけど、それはお嬢様の救出の際になくしてしまったので、同居し始めた頃のアイビィからすれば、俺は何の武術の心得もない状態だった。


「ま、まぁ」

「秘密とか、汚いですぅ」

「別に、秘密とか、そんなんじゃ」

「フェイ君はぁ、きっと嘘やごまかしが上手なんですぅ。んで、そのうちぃ、たくさんの女の子を騙して泣かせる男になるんですぅ」

「そ、そんなわけ」

「私もぉ、もてあそばれたんですぅー」


 弄んでないぞ。むしろ、俺の方が……

 くそっ、当時六歳の俺を全裸に剥きやがって。羞恥心を返してくれ。


「そ、それより、準備は」

「ごまかそうとしたー」

「あー、もう!」


 これから、誘導されてくるであろう多数のチンピラを、俺達二人で倒しきることは、想定されていない。ちゃんと援軍の準備は考えてある。俺も今回は、身体強化薬を持ってきたから、そう簡単にやられたりはしないだろう。

 今頃、街中では騒ぎになっているはずだ。


「私達ー、今はお尋ね者ですもんねー」

「今夜だけだよ。明日から、また元通りだ」

「そうなるといいですねー」


 マオ・フーの台本は、こんな感じだ。

 ディン・ローは、自分の所有する建物の清掃状況を確認するため、見回りに出かけた。そこで、違法な薬物の残りを発見し、急いでギルドに報告。支部長は早速、悪臭タワーと、ディン・ローの自宅を封鎖。そして、訴えに従って、容疑者であるフェイとアイビィを捜索。彼らの自宅も押さえ、その上で子爵家に報告。

 今では、街中が俺達を探し回っている。無論、形だけだが。


 こうなると、犯罪者どもはどう動くか?

 まず、密輸商人ども。こいつらは、今、かなり慌てているはずだ。勝手にタラムがギルドに駆け込んでしまった。フェイを悪役に仕立て上げるのはいいが、違法薬品の密輸なんて、子供が一人でやれる仕事ではない。その協力者として、自分達が売られないとも限らない。

 それから、セリパス教会を扇動した、黒幕の女とやらは? マオ・フーは、こいつをフェイの取引相手として、追跡させている。彼女は恐らく焦っているはずだ。自分の正体に気付かれつつあると悟っているだろう。それに、いずれタラムが事実を自供し、この件に子爵家が関与していないと知られれば、どうなるか。それでは目的を果たせない。

 どちらにとっても邪魔なのはこの俺だ。フェイにはここで死んでもらう。そうして事件をうやむやにしたい。

 今、街の北側から、じわじわと捜索隊がしらみつぶしに密輸商人と、偽司祭の女を捜して回っている。エンバイオ薬品店の前では、近所の主婦のフリをしたギルドの人間が、俺達の行き先を喋りまくっている。今日はなんと、海辺でピクニックだ。


 どうせ俺が狙われるのは変わらない。それなら、一箇所に全部集めてしまっては? というのが、マオ・フーの提案だった。

 アイビィがいれば、チンピラども相手の時間稼ぎくらい、どうにでもなる。いざとなれば、俺も戦えばいい。


 西の海に陽が落ちる。

 頭上の空は藍色で、既に星が瞬いている。周囲は急速に薄暗くなっていった。


 その頃になって、ようやく、数人の人影が遠くに見えた。


「さて」


 立ち上がりながら、アイビィは言った。


「フェイ様、本当にやれますか?」

「……やる」


 助けが駆けつけるまで、自分達だけで戦い抜かなければいけない。そう時間はかからないはずだが……俺達は囮だ。倒されてしまっては、役割を果たせない。


 人数は、かなりいる。なかなか肉付きのいい男達が五人、十人、いや、もっと……二十人はいる。その後ろに、あとどれくらいいるかは、よくわからない。

 俺は、そっと剣を抜き放った。アイビィも、ナイフを逆手に構えている。


 男達の中から、一人、二人が前に出てきた。


「……お前ら、フェイとアイビィだな?」


 答える必要もない。時間稼ぎになるなら、会話もいいかもしれないが。


「黙ってついてこい。そうすりゃ、手荒な真似はしねぇ」


 信用できるわけもない。彼らがここで襲ってこないのは、現場に血の痕跡を残したくないからだ。

 いつ攻撃を受けてもいいように、俺は両手で剣を構え、無駄な力を抜く。


「ちっ……」


 幸い、連中の武器は貧相極まりなかった。剣や曲刀を持っているのはごく一部。あとは木や鉄の棒だけだ。それに、戦闘技術も大したことはない。何のスキルもないのが大半で、あってもせいぜい2レベル程度。

 ただ、数が厄介だ。こういう場合、リーダー格を叩きのめせば。


「うぉらぁ!」


 気の早い、スキンヘッドの男が、手にした鉄の棒を振り回してきた。俺は、切っ先を滑らせて受けると、それを斜め後ろに流す。真横につんのめる男のふくらはぎと右腕に素早く刃を走らせた。


「ぶぎゃぁっ!」

「野郎!」


 これがきっかけとなって、チンピラどもが押し寄せる。だが、その歩みがすぐに止まった。

 ドッ、という音がして、三人の男がその場に倒れる。二人は頭部、もう一人は胸に短いナイフが突き立てられていた。先の二人は即死で、あと一人も、胸を押さえたまま、その場に膝をついている。時間の問題だろう。


「こっ、こいつら」

「どけ」


 お約束のパターンか。後ろから、用心棒らしき男が出てきた。肩にかかるくらいの長さの髪。使い古した革の鎧。片手で扱うにはやや困難な、長めの剣を手にしている。


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 エウーム・アートゥ (29)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5、男性、29歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  1レベル

・スキル 剣術     5レベル

・スキル 格闘術    3レベル

・スキル 医術     2レベル

・スキル 農業     1レベル


 空き(23)

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 一見して、傭兵だとわかる。

 しかも、なかなか経験豊富なようだ。剣術だけなら、充分、上級者と呼べるだけの技量を有している。


 それはアイビィも見て取ったようで、彼女は様子見とばかりにナイフを投擲するが、それはあっさり、剣に弾かれた。この薄暗い中、見事なものだ。

 こうなると、間合いがそのまま、戦力差となる。格闘術のスキルからすれば、能力そのものの熟練度では、アイビィもエウームに負けてはいない。むしろ勝ってさえいる。だが、装備の優位は馬鹿にならない。身長も体重も膂力もある相手だ。その点では、同等のスキルを有する俺もまた、彼には及ばない。ゆえにこちらが有利とは言えない……普通ならば。


 まだ距離が開いている。突っ込んでくるまでに、二回くらいは投擲ができるだろう。だがその後は、手元のナイフで、あの長剣を受けねばならなくなる。さすがに分が悪い。接近される前に倒しきってしまわなければ。


 じりじりと距離を詰めてきていたエウームが、突然、踏み込みを強くする。その瞬間を狙って、アイビィはナイフを投げた。弾かれる。

 そこで俺は『行動阻害』の呪文を素早く唱えた。剣の間合いの、ギリギリ外で、エウームは失速する。明らかに姿勢を崩してしまった。そこへ二投目。

 だが、なんとか右手で剣を振るって、それも叩き落す。


 そこまでだった。大振りすぎたために、すぐには姿勢を元に戻せない。

 間合いをつめた俺が、体勢を崩したままのエウームの左足を、膝の裏から斬り裂いていた。倒れこむエウームに、アイビィは容赦がなかった。迷わずナイフを首元に突き立て、一撃で絶命させる。


「げぇっ」

「ひいっ」


 俄かに恐怖が広がる。他愛ない。所詮、覚悟のないチンピラどもなど、この程度か。

 そう思った瞬間だった。


「そこっ!」


 アイビィが鋭く振り向き、ナイフを投げつけた。その表情は、焦りと緊張に強張っている。

 彼女の渾身の一撃が、あっさり弾かれた。そこでやっと気付く。


 全身黒づくめの、女とみられる影。顔まで黒い布で覆っているので、はっきりとはわからないが。

 それにしても、こんなに異様な服装をしているのに、どうして今まで気付けなかったんだろう。


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 クー・クローマー (25)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、女性、25歳)

・マテリアル 神通力・透視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・暗視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・魅了

 (ランク4)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル サハリア語  5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル シュライ語  6レベル

・スキル 薬調合    2レベル

・スキル 格闘術    6レベル

・スキル 投擲術    6レベル

・スキル 罠      5レベル

・スキル 隠密     6レベル

・スキル 軽業     5レベル

・スキル 水泳     5レベル


 空き(11)

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 隠密のレベルが高すぎるせいか。うまくチンピラどもの中に紛れていた。違和感さえなく。

 だが、僅かな殺気を察知して、なんとかアイビィは反応した。


 それにしても、これはまずい。

 かなり高位の神通力を有している上に、戦闘能力だけみても、アイビィの上位互換だ。


 悩ましい。ピアシング・ハンドを使えば、一撃で倒せる。だが、それでいいのか。

 こいつは多分、情報を持っている。誰が子爵家を攻撃しようとしたのか。拷問されて吐くほど簡単な相手ではないだろうが、とりあえずの証拠にはなり得る。それに、戦闘の結果、やむを得ず殺害するならまだしも、肉体を跡形もなく消し去るというのは、さすがに避けたい。

 なら取り込んでからまた、すぐ俺の魂から切り離せば? でもその場合、無傷かつ全裸でそこに転がることになる。不自然極まりない。これだけ人目のある場所で、それをするのは、あまりにリスキーだ。


 クローマーは、士気を失って、今にも逃げ出しそうになっているチンピラどもを、無言で威圧した。そして、滑るような歩みで前に出る。

 手強い。それに慎重だ。遠くから俺達の実力を測っていたのだろう。多分、エウームが身体操作魔術の影響で態勢を崩したのにも、気付いている。そして、どうも『行動阻害』の魔術は、本人の能力が高かったり、発動が予期されていたりすると、かなり効き目が落ちるようだ。それはキースに通用しなかったことからもわかる。

 そうなると、残る手札は……二つ、いや、三つか? 援軍が来るまで、持ちこたえられればいいが。


 まず、そっと首にかかった錠剤を飲み込む。アイビィの後ろに回りこみ、視線をクローマーから外さないまま。俺の動きは見られている。だが、仕方ない。

 クローマーは動かなかった。俺の行動を阻止する必要がないと思ったのか、できないと考えたのか。


「お前達」


 目以外を覆った覆面の向こうから、女性としては低めの声が響く。


「ここでこいつらを殺せなければ、死ぬか犯罪奴隷落ちだぞ。いいのか」


 正体不明の女に、みんな目を白黒させている。


「一斉にかかれ。そうすれば殺せる」


 その一言に、男達は、落ち着きを取り戻した。いや、それどころか、目に意欲が満ちている。たったこの程度の鼓舞で、どうして?


 ……しまった!

 神通力か。『魅了』の効果だ。


 それ自体の能力はそこまで高くないようだが、この場合、彼らが望んでいることを後押ししている。となれば、自然と彼女の言葉に従いやすくなる。

 最初に三人が殺され、一人が負傷した。その後、とっておきの用心棒まで倒されたのに、彼らはなおも前に出ようとにじり寄ってきた。

 あ……そうか! この能力があったから、リンはあっさり騙されてしまったのか?


 辺りはもう、ほぼ完全な暗闇に染まっている。そんな中、クローマーは、すっと後ろに下がった。闇に紛れて攻撃を浴びせるつもりだ。この男達を壁に使って。

 くそっ。マオ・フーは何をしているんだ。遅すぎる。このままじゃ、囮が囮じゃなくなる。


「やれ」


 どこからともなく聞こえる、無機質な女の声。

 それを合図に、男達が雪崩れ込んできた。


 今度は俺が前に出る。この際、手段は選べない。ただ力任せに、横薙ぎにする。それで男達の足が千切れ飛ぶ。


「一人ずつだな……まずは、女のほうだ。かかれ!」


 まずい。混戦状態になると、アイビィの不利は明らかになる。投擲技術が生かせなくなるし、手にしているのはリーチのないナイフだ。加えて、敏捷性を生かそうにも、ここには障害物がほとんどない。敵に逃げられまいと選んだ場所だったが、こちらにとっても退路がない。強いとはいえ、四方を囲まれ、同時に鉄の棒で殴りつけられては、かわしきれないのだ。

 しかも、それだけではない。


「うぉあああ!」


 目の前で棒を振り上げる男。一人だけならどうということはない。足を切り裂き、腕を叩き斬って、沈黙させる。

 だが、それがあまりに目まぐるしい。一人、また一人。肉の壁が倒れ掛かってくるかのような勢いだ。


「あっ!」


 打撃音とともに、アイビィのナイフが弾き落とされる。黒塗りの石礫か。


 クローマーには、まだ優位がある。『暗視』と『透視』だ。

 これによって、周囲の暗闇も、また周囲を埋め尽くす男達の群れも、なんら彼女の視界の妨げとはならない。しかもクローマーは、男達を使い捨てるつもりでいる。俺達を殺すついでに死なせても、何の痛痒も感じないのだ。

 そんな中、あえて視認しにくい武器で、遠くから攻撃を浴びせる。陰険だが、合理的だ。


 しかも、こうなっては。やっぱり出し惜しみなんかするんじゃなかった! 俺のピアシング・ハンドは、相手を認識できなければ使えない。今、彼女はどこだ?


「がああ!」

「くそっ!」


 強化された身体能力、鋭敏になった感覚能力で、暴れまわる。

 武器を失っても、アイビィはまだ、抵抗を続けていた。だが、これでは時間の問題だ。俺はいったん、彼女の近くに駆け寄った。その時。


「後ろだ!」


 闇の中から突然浮かび上がったクローマーが、その刃を首元に突き立てようとする。反射的に振り返るも、アイビィはクローマーに押し倒された。馬乗りになった女は、トドメの一撃を浴びせようと、短刀を振り上げる。

 させるか!


「クー・クローマー!」

「なにっ!?」


 バン! と弾ける火薬音。閃光が走る。俺の左手から。


「ぎゃあっ!?」


 この隙を逃さず、俺は剣で斬り上げる。

 地面を転がり、咄嗟に身をかわしたクローマーだが、切っ先は彼女の覆面と、頬を切り裂いていた。


 どうだ。ゾークの使っていた目潰し用の炸薬だ。いくら『暗視』や『透視』があっても、目そのものがやられては、どうにもなるまい。

 いきなり本名で呼ばれたことに驚き、振り向いたのが運の尽きだった。これでダメなら、ピアシング・ハンドで肉体を消し飛ばすしかなかった。


「きっさまぁぁっ!」


 激昂したクローマーが、短刀を構えて飛びかかろうとする。その足元を、寝転んだままのアイビィが、足で刈る。彼女を飛び越すようにして、俺は剣を一振り。

 なんとか片腕で体を庇ったクローマーだったが、手応えは確かにあった。これでもう、右腕は使い物になるまい。


「くうっ」


 とはいえ、そろそろ視力が回復する頃だ。今、ここで攻めきれないと。それに、チンピラどもの魅了状態も、解けてはいない。


「……なぜだ!? 貴様、その名前をどこでっ」

「さあね? そっちの雇い主の名前を教えてくれれば、思い出せる気がするんだけど」


 どうやら本名は秘密だったらしい。タラムもだったし、この手の人間なら、きっとそうだと思った。

 なんにせよ、俺が知っているはずもない情報だったから、驚かせることはできると踏んでいた。


「殺す! ここで!」


 憎悪を滾らせたクローマーは、そう絶叫した。

 だがその時、俺の背後に無数の光源が現れた。


「罪を重ねる前に、武器を捨てなさい!」


 これは、ザリナの声だ。

 神殿から、戦闘技術をもった下級神官を何人も連れて、ここに来てくれたのだ。


 彼らの松明に視界が確保された直後、風切り音がかすかによぎる。

 続いて聞こえたのは、くぐもった男達の悲鳴だった。


「お前ら、おとなしくしろ!」


 ガッシュの声か。

 ということは、今のはウィーの射撃だ。

 横目で見ると、真っ白な服を着て、棒を手にした老人までいた。

 それを見たクローマーは、悔しそうに吐き捨てる。


「……マオ・フーだと……? 畜生!」


 更に、足音が迫ってきた。松明を手にやってきたのは、イフロースと、子爵家の私兵達だった。なぜか、そこにリンまで混じっている。


 勝負は決した。

 少なくとも、チンピラ達は呆然として、ただ立ち尽くしていた。もう抵抗はしないし、できないだろう。


「おとなしくしてください」


 俺は剣を向けたまま、まっすぐ向き合う。

 クローマーは、ただただそんな俺を、無言で見つめていたが、不意に、甲高い声で笑い始めた。


「ふっ……はっはっはっ! あーっはっはっはっ!」


 どうする? 殺すか? だが、もうみんなが近くにいる。ここは捕らえて、引き渡したい。

 だが、そんな時間を、彼女は与えなかった。


「フェイとやら」


 その顔には、獰猛な笑みが浮かんでいた。


「この借りは返す。絶対に」


 逃がしてはならない。

 そう感じて一歩踏み出すも、もう遅かった。


 彼女は、背後の断崖絶壁に身を躍らせた。ややあって響く、水音。駆け寄り見下ろしても、黒々とした波が見えるだけだった。

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