尻尾を掴む

 まずはノック。

 レディの部屋に立ち入るのなら、これは必須だ。


「おはようございます」


 扉越しに声をかける。だが、返事はない。

 結局、焦れて中に入る。


「……面倒っちいマネしねぇで、さっさと入れよ……ったく」


 ガリナがそうぼやく。

 あれぇ? 前と言ってることが違う。


「お怪我の具合は、どうですか」


 朝一番にここまで来た理由の一つは、彼女らを見舞うためだ。昨日、あれだけ袋叩きにされたのだ。ハリが応急処置はしてくれたが、そろそろ替えの包帯やら薬やらが必要になる頃だろう。


「仰向けじゃ眠れねぇ。かといって、うつ伏せでも、息をするたびになぁ……」


 ああ、わかる。

 俺も前世の子供時代、散々、親父に打たれたものだ。庭の掃除に使うような竹箒で、背中を何度も。あれをされると背中が腫れ上がるのだが、そうなると、夜、眠る際の姿勢に困る。寝返りを打つだけで痛くて目覚めてしまうので、うつ伏せになるしかない。だけど、呼吸すると上着が擦れて、結局痛い。


「塗り薬を持ってきましたよ。これで少しは楽になるはずです」

「ははっ、薬かぁ。金は払えねぇぜ?」

「何言ってるんですか」


 同室の他の女奴隷も、同じように暴行を受けている。特に、エディマの腫れ上がった顔が痛々しい。


「包帯を取り替えましょう。それと、薬ですね」

「なぁ、おい」

「なんですか」

「こう、胸がでっかくなる薬、ねぇか?」


 的外れなガリナの一言に、ずっこけそうになった。


「なにボケたこと言ってるんですか」

「いやぁ、ずーっと突っ伏してると、ただでさえ減った胸が、ますます潰れていくような気がしてなぁ」


 確かに、栄養に恵まれない暮らしを長く続けたせいで、随分と胸もしぼんだことだろう。とはいえ。

 ま、それだけ元気があれば、とりあえずは大丈夫だろう。でもまだ、自力では動けなさそうなので、今日は安静にしていてもらう。


「じゃ、悪いけど、上着を」


 大丈夫、これは医療行為だ。そもそも俺は真面目だし、やましい気持ちなんてない。突っ伏したままでいいから。怪我した背中にだけ薬を塗るんだから。

 と自分に言い聞かせていると、リーアが容赦なくあっさり全脱ぎした。


「ちょ、ちょっと」

「どうした?」

「前! 前!」

「隠す必要、あるのか?」


 ガリナのと違って、リーアの胸はバランスもよくて、美しい。栄養失調の影響がなかったかのような見事な体つきだ。じゃなくって。

 なんか、あれだ。社会復帰させる前に、再教育が必要らしい。


「と、とりあえず、手伝いがいりそうですね」

「サディスを呼びな。隣の部屋にいる。あの子は一応、無傷だから」

「わかりました」


 部屋を出て、隣の扉をノックする。そこで顔を出したのが、サディスだった。


「あ、よかった。悪いけど、薬を塗るから、手伝ってくれるかな」

「……うん」


 金髪の少女。サディスは色白で、気の弱そうな女の子だった。

 実物を見るのは、買い取ったあの日が初めてだ。だが、前から気になっていた。


「じゃ、塗るので、みんな、うつ伏せになってください」

「うつ伏せに、なるのか?」

「ぶたれたのは背中でしょう?」

「だが、男が見るのは前だろう?」


 いろいろ噛み合っていない。リーア、大丈夫か。

 そこへガリナが突っ込みを入れる。


「あー、リーア、いいから、そういうの」

「つまらん」

「何なんですか、いったい」


 俺の呆れた声にガリナが答える。


「リーアのボケだ。あんまりよくわからんギャグセンスだから、いちいち気にするな」

「は、はぁ……」


 どんな人生を歩んだら、こうなるんだろう。一つ二つ、ネジが飛んでいるに違いない。


「じゃ、サディス、そうその瓶、開けて」

「これ?」

「うん、そう。で、中の薬を薄く広げて……」


 膏薬で手をベタベタにすると、彼女はガリナの背中に触れる。


「うほっ、いたっ!」

「一瞬、ピリッとしますけど、我慢してください。傷の治りが早くなりますから」

「お、おう」


 いったん薬を塗り始めると、サディスのそれまでのボンヤリした表情に、急に生気がみなぎってきた。生き生きと手を動かす。その間、ガリナが痛がって身をよじっても、まるで意に介さないかのように、淡々と作業を続けていた。


「はい、それくらいで。じゃあ、包帯を巻こう」

「うん」


 そう言うと、急にサディスの目から輝きが失せた。

 まぁ、いい。せっかくだから、気になっていたことを尋ねてみよう。


「ねぇ、サディス」

「なぁに?」

「サディスって、シュガ村から来たんだよね?」

「うん」


 間違いない。出身地は合ってる。

 今度はリーアの背中に薬を塗るべく、彼女は手に膏薬を塗りたくっている。


「お父さんの名前、わかる?」

「えっ?」

「お父さんの名前。ナイススって言わない?」


 サディスの動きが止まった。

 目を見開いたまま、俺を見据えている。


「……チョコス?」


 覚えていた! しかも、名前まで?

 じゃあ、やっぱりなのか。


 ジュサが説明してくれた。

 シュガ村のティック家に拾われたのは、ナイススの息子と娘が、川べりで俺を見つけて、連れ帰ってくれたからなのだと。当時六歳の息子と、四歳の娘。つまり、娘のほうは、俺より二歳ほど年上だ。サディスは九歳だから、計算は合う。

 だが、貧しいナイススは、身元のわからない子供を捨ててくるように命じた。子供達は、それに逆らって、俺を家畜小屋に寝かせた。俺が一瞬だけ、意識を取り戻したのは、この時のことだ。

 その後、衰弱して意識を取り戻さないまま、ミルークに買い取られ、俺はシュガ村を後にした。


 その二年後だ。シュガ村を再び飢饉が襲ったのは。

 非情なナイススは、やむを得ずとはいえ、またもや冷酷な決断を下した。それも今回は、実の娘に対してだ。だが、この時、サディスを引き取ったのは、ミルークではなかった。ただの貧農の娘で、すぐに売春させるには若すぎ、役立ちそうにないのを見て、その奴隷商人は、安い金額で彼女を手放した。

 それが流れ流れて、今、ここにいるのだ。


 後ろから、エディマが尋ねた。


「知り合い、なの?」


 そうらしい。俺は、ついこの間まで、見たことはなかったが。


「わたしが、拾ったの」


 サディスがそう答える。

 こんな答えでは、彼女らに事情は伝わらないだろう。


 だが、俺の胸の中では、何か明るいものが灯った気がした。

 どんな形であれ、やっぱり、俺の行動は間違っていなかった。あの時、オカマ野郎の振る舞いに激怒して、彼女らを買い取らなかったら。消え行く俺の命を拾い上げてくれたサディスまで、見殺しにしていたことになる。


「昔、僕が川に捨てられていたのを、拾ってくれていたみたいなんです。その時、僕は気を失っていたので、覚えてないんですが」

「そう、なんだ」


 そこへガリナが口を挟んだ。


「じゃあ、よ。今度は、あんたが助けてやれよ」

「そのつもりです」

「そうじゃなくってな……んー、なんつうか」


 手を頭に置いて、数秒、考えるような仕草をしてから、彼女は言った。


「要するにな。サディスは、『まだ』だぜ?」

「まだ?」

「ああ、つまり『仕事』はまだ、やってねぇってことだ」


 そういうことか。

 そりゃ、九歳の少女で経験済みとか、さすがに早すぎる。

 ……でも、俺はといえば、一歳かそこらで、村のエロババァに強姦されたけどな。


「なんとか、まともな世界で生きられるようにしてやってくれよ」

「もちろんですよ。皆さんも一緒に」


 だが、そう言うと、ガリナは首を振った。


 エディマの傷に薬を塗り終えた頃、階下が急に騒がしくなった。鋭い足音がどんどん迫ってくる。一人だ。それに、音が軽い。

 部屋の前にやってきた姿を見て、俺は顔を歪めた。


「まぁ、なんと破廉恥な!」


 リン・ウォカエーだ。何しにきたんだ。

 ……訪ねていく手間が省けたのはよかったが。


「女性の部屋に、男性が一人。しかも、みんな半裸ではありませんか。フェイ、あなたはやはり、悪魔の申し子です」

「傷に薬を塗っていただけですよ」


 俺を指差しながら、小刻みに震える彼女に、俺は呆れながらも返事をする。


「それで、何の御用ですか」


 そう言われて、彼女はハッと正気に戻る。


「そうでした。正義の女神、モーン・ナーにかけて! 私は謝罪と釈明をするために参りました」


 謝罪? こいつが? そんな言葉を口にするなんて、びっくりだ。


「昨日、ここに暴徒がやってきませんでしたか」

「見ての通りじゃないですか」


 じゃなきゃ、治療自体が必要ない。

 お前がこの『破廉恥』な状態を作ったんだ。どうしてくれる。


「あれは、我が教会の信徒ではありません」

「煽ったのはあなたでしょう」

「違います!」

「どう違うんですか。子爵家のほうには、大層な抗議文を送りつけてくれたそうですね?」

「それはしましたが、暴力のほうは違います」

「どうだか」


 取り合うつもりもない。自分では神学を修めた、頭のいい女のつもりかもしれないが、何のことはない。悪党どもにいいように使われただけの間抜けだ。


「原初の女神にかけて! 正義なき暴力は『幽冥魔境』に堕ちる大罪です!」

「じゃあ、頑張って堕ちてください」

「だから違うと言っています!」


 ……さて。

 リン自体は、この事件全体で見れば、出来事の末端にいるに過ぎない。だが彼女は重要な情報を一つ、握っている。ここに謝罪という目的で来てくれたのは、幸運かもしれない。


「で、あなたは何をしたいのですか」

「神の正義を明らかにしたいのです」

「訳がわかりません」

「またあなたはそのようなことを! しらばっくれるのはおよしなさい!」


 あれぇ?

 なんかまた叱責されたぞ?


「今度は何が気に食わないんですか」

「見てわからないのですか!」

「わかりません」

「では、あえて言いましょう。そこの少女です!」


 そういって、リンはサディスを指差した。


「このような幼い娘にまで、売春させるなど」

「させてませんよ」

「ウソをおっしゃい! あなたのような不潔な男の言うことなど」

「信じないなら信じないで結構です」


 そう言われて、彼女は一瞬、硬直する。


「そ、それは本当なのですか」

「本当です。ちょうど今、彼女らから聞きました」

「ちょうど?」

「リンさん、少しお伺いしたいのですが」


 彼女の抗議文には、不可解な点があった。

 まず、オカマ野郎に金を叩きつけて、追い払ったこと。これを知っていた点だ。更に、あの悪臭タワーが犯罪者のたまり場として使われていたという情報。これは、オカマ野郎を追い出した時点では、俺やアイビィが知り得なかったことだ。なら、作り話でなかったとすれば、誰かが彼女に吹き込んだのだ。


「あなたは僕が前々から売春に関与していたと思いこんでいますが……僕は去年、子爵家に購入されたばかりの奴隷ですよ? でも、僕がここに来る前から、あの建物では売春が行われていました。これはどう説明するんですか」

「それは……つまり……そう、引継ぎ! 引継ぎです! あなたの前任者の管理人がいたはずなのです!」

「お話になりませんが、まぁ、いいでしょう。では、誰があなたに、そんな嘘っぱちを教えたんですか?」

「嘘? ですって?」


 彼女は怪訝そうな顔をした。


「もしかして、オカマ野郎ですか? 小柄な体の」

「あり得ないこと! オカ……同性愛者は嘲笑すべし、と聖典にあります!」

「では、どんな人が?」

「それはもちろん、敬虔なセリパス教徒からの訴えに決まっているじゃないですか」


 ふむ?

 では、教会関係者?


「どうしてセリパス教徒だとわかったのですか?」

「そんなのは決まっています。司祭の服を身に纏っていたのですよ?」


 あ、ダメだ、こいつ。

 そんな理由で人を信用するのか。


「服くらい、手に入れれば誰だって着られるでしょう。他に何か、特徴はないのですか」

「私の見る目は確かです。大変、真面目そうな女性でした。肌の色と顔立ちからするに、シュライ人に違いありませんが、セリパス教について、よく学んでおいででした」


 それは随分と目立つ人物だ。

 ルイン人でもフォレス人でもない。肌の色というだけなら、サハリア人とシュライ人は、区別がつきにくい場合がある。だが、サハリア人のセリパス教徒は、若干宗派が異なる。彼ら『古伝派』のセリパス教徒は、リンが身に着けているような司祭の服は、決して着用しないし、そもそも女性が司祭となることもない。というより、聖女リントの権威自体、認めていない。

 そして、ここピュリスは交易都市とはいえ、シュライ人の数は多くない。南方大陸とサハリアの間の海峡を、地元の豪族が押さえているためだ。つまり、シュライ人は、滅多にここまで来ない。ましてや女となれば。


「なるほど……」

「そんなことより」


 さっきまで部屋の外から喚き散らしていたリンが、すぐ目の前まで迫ってきていた。


「本当なのですか」

「何がです」

「彼女はまだ、汚されていないと」

「そうですが、それがどうかしたのですか」


 すると、リンは素早く手を伸ばし、サディスの手を取った。膏薬でリンの手がベタベタになる。


「素晴らしい! 聖女様もおっしゃいました。『この上なく値打ちあるは、穢れなき幼女かな』……悪魔の申し子たるフェイ、この子は教会で引き取ります」

「は?」

「女神様、聖女様、よき出会いに感謝します」

「いや、待って」


 俺は部屋の出入口に立ち塞がった。


「一応、サディスはまだ、僕に所有権があるんですよ。それに、本人の希望を聞いていません」

「今すぐ解放しなさい。それから、本人の意志など、確認するまでもありません」

「奴隷は穢れているんじゃなかったんですか」

「幼女は別格です。幼女こそ至高です」


 あ、ダメだ。カルトはこれだから。

 とりあえず、おかしな女の相手は、後にしたい。まずは、残り二部屋分、傷の治療を済ませたいのだが。


 そう思っていると、下から足音が響いてきた。


「フェイ様、こちらでしたか」


 アイビィがやってきた。ということは。


「……準備は?」

「滞りなく」


 獲物は檻の中、ということか。

 急がなくては。


「じゃ、もう一つ、お願い。そこの邪魔な女、ちょっとどかしておいて」

「承知しました」

「なっ!?」


 じたばた暴れるリンを押さえ込みながら、アイビィはゆっくりと階段を下りていった。

 どうやら、あと少しでこの件、片付きそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る