暗がりで相談タイム
俺達が自宅の玄関の前に立つと、ひとりでに扉が開いた。
「おかえりなさいませ」
アイビィが神妙な顔つきで迎えてくれる。
「送ってくださったんですね」
「ただのついでですよ」
ウィーは、そう微笑んでみせる。だが、その表情には翳りがあった。
「休んでいかれては」
「いいえ、大丈夫です。またそのうち、寄らせていただきますね」
ウィーは俺に軽く手を振って、去って行った。
アイビィは何も言わず、二階へと登っていく。俺もついていく。
居間に戻る。出発前に座っていた場所に腰を下ろす。やけに疲れた気がした。
「済みません。近所の屋台のものですが」
そう言いながら、彼女は小皿に焼き串をおいてくれる。充分だ。というより、食欲がない。
部屋の中には、小さなランタンが一つ。やけに薄暗く感じた。
「今日はもう、よく休みましょう」
彼女は根掘り葉掘り、聞き出そうとはしなかった。代わりに元気付けてくれる。
「明日から、また、もっと頑張ればいいんです」
だが、俺はもう、嫌になっていた。
「……やめにしよう」
だから、思わずそう呟いていた。
俺の一言を聞いた彼女は、しばらくその場に突っ立っていたが、そっと近付いてきて、真向かいに座った。
「やめるんですか?」
確認するようにそう言われると、またギュッと胸が苦しくなる。
「一日六回、いいことをしようって、言っていましたよね」
「やめて、アイビィ」
黙らせるなんて。俺はそういう物の言い方が嫌いだったはずだ。黙れ、とか、やめろ、とか。前世の子供時代に散々聞かされて、自分では言うまいと思っていた。だが、今はとにかく、耐えられない気分だったのだ。
ややあって、彼女はポツリと言った。
「……六人、ですか」
しばらくして、意味を悟った俺は、息を止める。
彼女はすっと立ち上がった。
「片付けましょう」
「何を?」
それには答えず、アイビィは、窓際に置かれた木剣を拾い上げた。
「あなたには向いていません」
「えっ」
そのまま、木剣を手に、部屋を出て行こうとする。
「何をするんだ」
「捨てます」
「どうして!」
「ためになりませんから」
だからって。
それは、ドロルが俺にくれたものだ。捨てるのは失礼すぎる。
俺の抗議の視線を受けて、彼女はそれを壁に立てかけた。
そのまま戻ってきて、今度は俺の隣に座る。壁を見つめたまま、彼女は言い放った。
「体だけ鍛えても、何にもなりませんよ」
冷たく突き放すかのような口調だった。
「そっ、それでも、少しは」
「いいえ」
俺の抗弁など許さないかのように、彼女は言葉をかぶせた。
「向いてないんです」
「どうして」
すると、彼女は俺のほうに向き直り、腕を回してきた。そのまま、柔らかく抱きしめてくる。
「優しすぎるんですよ」
違う。
俺はもっと情けない。
「そうじゃない。僕は」
「うん」
相変わらず、俺を手の中に収めたまま、少し身を引いて、彼女は話を聞こうとしてくれる。
「臆病で、卑怯なんだ。ずっと逃げてた」
「うん」
「無我夢中で殺して……でも、後で思い出す」
だから。
その穴埋めをしたくて、俺は善人になろうとする。
なんて汚いんだろう。
「こんなのは、僕の身勝手だ。確かに、僕が悪かった。僕がしっかりしていれば」
「しっかりしていれば……どうなりました?」
しっかりしていれば。
あの悪臭タワーの売春婦達を見ても、無視できただろうか。
「アイビィには」
彼女は語らなくても、俺にはその能力がわかる。戦いの中で生きてきた人間だ。
「僕みたいなのは、どんな風に見える?」
きっと、何人もトドメを刺してきたに違いない。きっと、さぞかし情けなく映ることだろう。
「そうですねぇ」
やや間の抜けた空気を醸しながら、微笑を浮かべる。
「とってもかわいいです」
「僕は真面目に訊いてるんだよ」
「だから、かわいいですよ」
そう言いながら、また、ギュッと抱きしめてくる。
「……それは、情けないとか、弱っちいとか、そういう意味で?」
「そうじゃなくて。これでいいんですよー」
今度は、俺の頭を撫でてくる。
「僕は、前に二人、強い人を見たことがある」
「二人? ですか?」
そう。
俺が過去に見た達人は、どちらも……
「一人は、アネロス・ククバンっていうんだ。知ってる?」
「えっ」
その名前に、彼女はびっくりして飛びのいた。
「名前くらいは……でも、本物なんですか? 本当にあの『首狩り』に?」
「間違いなくそうだったよ。ものすごく強かった」
「よく生きてましたね? 殺人狂だって言われているのに」
実際に、一度殺されている。
「僕もそう思う。とんでもない男だった。剣の腕もすごかったけど、何より、人を殺すのにまるで躊躇いがなかったんだ。それどころか、笑ってさえいたよ」
「もう一人は?」
こちらは偽名を名乗っていた。でも、本名の方がいいのだろうか。
「キース・マイアス。ものすごい剣士で、魔法も使ってきたっけ」
「キース!? あの紛争地帯でも最強との呼び声が高い『戦鬼』……どこで会ったんですか!?」
おっと。うまくごまかさないと。
「一度、ピュリスの近くまで来ていたんだ。で、やっぱり殺されかけた」
「ど、どうやって逃げたんですか」
「それはまぁ、いろいろなんだけど……」
さすがに、鳥になって逃げました、なんて言えない。
「この人も、そうだった。これから命をやり取りするっていうのに、まるで息を吸って吐くみたいだった」
いちいち殺すたびに、後で思い出して頭を抱える俺とは、大違いだ。
「強い人っていうのは、迷いみたいなのがないのかな……確かに、僕は向いてないのかも」
「そうですね、でも」
身を起こしたアイビィは、静かに言った。
「真似しなくていいと思います」
「どうして?」
「人それぞれでしょう? あなたにはあなたの強さがあればいい。違いますか?」
納得できない話ではない。キースはキース、俺は俺だ。あの男が剣術を極めるなら、俺は薬剤の調合を極めればいい。アネロスが人殺しに勤しむなら、俺は人命を救って回ればいい。立派な人間になるという点を基準に考えるなら、それで充分、俺は奴らに勝てる。
でも、違うんだ。
「きっと、それで正しいよ。でも、僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ」
「やらなきゃいけない、こと? ですか?」
「うん。探し物がね。だから、いつか世界中を歩き回らなきゃいけない」
そうなのだ。
どんなに非情になってもいい。最低の人間と呼ばれても構わない。たとえこの世界でどんな人生を送ろうとも、死ねばまた、あの紫色の空間に送られる。そうなっては意味がない。
仮に誰もいない孤独な場所に閉じ込められようとも。俺はこの世界で不老不死を手に入れる。そして、永遠の眠りにつくのだ。
「それって、そんなに大事なものなんですか?」
「僕は、そのためだけに生きている」
あの黒髪の男の誘いに乗って、あえてこの世界に生まれ変わった時点では、単に「何かいいことがあれば」というだけの気持ちだった。
だが、あの虐殺の夜に、俺は生と死の恐怖を味わった。やはり、死ねない。どうあっても。何度も人生を繰り返すなんて、絶対に我慢できない。
それに、手にしたこの超能力があれば、不死身の肉体だって手に入れられるかもしれない。それならば。
「そんな風には……見えないんですけどね」
「えっ?」
彼女は、にやにやしながら言った。
「きっと、うまくいきませんよ」
「なんで?」
「ただの勘ですね。でも、悪い意味ではなくて……きっともっとずっといいものを見つけてしまうんじゃないかって」
俺が釈然としないでいると、彼女は言葉を付け足した。
「ほら、フェイ君は優しいから」
「優しくないよ。僕は」
「最近のことじゃなくって……うーんと、なんていうかなあ」
座り直して、彼女はどこか虚空を見た。
「上っ面じゃなくて、どこか、根元の辺りに……何かがある気がするんですよ」
なんだか、かなり前に、似たようなことを言われた覚えがある。
誰の言葉だったっけ?
だが、俺がじっくりと思い出そうとしていると、彼女は俺を持ち上げ、膝の上に乗せた。
「さて!」
「はぇっ?」
「いろいろ片付けちゃいましょう! こんがらがってきましたからねー」
口調がいつも通りになっている。俺の首元に頬擦りしてくる。いつも通りのノリだ。
そうだ。そろそろこの、ややこしくなった状況にケリをつけなくてはいけない。
「そうだね。問題を整理しよう」
俺はそのまま、暗がりの中で目を閉じ、ここ最近の出来事を思い返す。
まず、引き取った女奴隷達の再就職先。最悪、売春婦に戻るにしても、せめて最低限、人間的な生活ができるようにしたい。
次に、セリパス教会だ。あのリン・ウォカエーを黙らせるには……だが、これについては、もう対策がある。ピアシング・ハンドのおかげで、彼女の能力はすべて確認済みだからだ。あの女、真面目な聖職者のフリをしているが、本当は……
最後に、子爵家に降りかかった言いがかり。これが一番厄介だ。
厄介……
……待てよ?
そうだ!
これら一連の出来事に、一貫した目的があるとすれば。
「誰かが糸を引いている」
「そうですね」
「リンは、子爵を弾劾する抗議文を送りつけてきた。でも、それにはある程度、今回の出来事についての知識が必要だ。つまり、僕が金でオカマ野郎を追い払った事実を知っていなければ、あれは書けない」
「ふむふむ」
頭の中が整理できてきた。
俺は、自分が狙われていると思って、原因を考えた。それがそもそもの間違いだったのだ。
ここ港湾都市ピュリスは、万人に開かれた街だ。ということは、エンバイオ家の敵もまた、自由に出入りできる。考えてみれば、以前の令嬢誘拐事件だってそうじゃないか。子爵家がこの街に根付こうとしているように、敵もまた、白い街の風景の中に溶け込んで、今か今かと機会を待ち構えているのだ。
「僕が女奴隷を買った事実を知っていたのは誰か? 僕自身とアイビィ。それに、店長とガッシュ達。他の客は、身元不明の女達が宿泊しているのに気付きはしても、こんな詳しい事情は知りようがない」
「でも、この中に……」
「そう、あり得ない。店長は、料理長のカイ・セーンの知り合いだ。こんな形でわざわざ子爵家に嫌がらせする意味がない。それから、いつもの四人組にしてもだ。ハリは女神神殿の下級神官で、セリパス教会に伝があるとも思えない。他の三人だって、理由が思い当たらないんだ」
「ということは?」
つまり……犯人はアイビィ、君だ!
とはならない。
グルービーもまた、今のところは俺や子爵の敵になる理由がない。
「そうなると、もう二人。まずは、あのオカマ野郎自身だ」
「あ、なるほどですね」
グルービーも、一応は子爵家に対して、恭順の意を示している。敵対しないとは言い切れないが、それならばアイビィがこんな風に、俺を自由にさせておくはずがない。となれば、残るは二人だけ。
つまり、今回の事件は、かなり偶発的なものなのだ。俺がたまたま踏み込んだ場所が、地雷原だった。
「あの汚い売春宿だ。リンの抗議文にあったように、本当に犯罪者のたまり場になっていた可能性もある。そして、そういう場所を提供することで、オカマ野郎は利益を得てきたんだ。じゃなければ、あんな普通の男が出入しないようなところで店を開いてたって、赤字になるだけじゃないか。だけど僕が、子爵家の権威を笠に着て、追い出しにかかったから……」
とすれば。
見えないプレイヤーが増えてきた。ちゃんと整理しないと、思考が追いつかない。
まず、見えているところから。オカマ野郎だ。
奴は恐らく、これまでずっと、不潔な売春宿を経営する傍ら、犯罪者達のたまり場を提供してきた。だが、今回、すべてを投げ出して逃げることにした。総督の召使が来たことで、もう目をつけられずにはすまないと悟ったのだ。
だが、こいつは所詮、下っ端だ。
その背景には、大勢のチンピラを抱える犯罪者まがいの商人どもがいる。
彼らからすれば、これは突然の事件で、しかも不安を呼び起こすものだ。もしかして、自分達のことが、当局に漏れつつあるのでは。そうでなくても、これから調査が入るのではないかと恐れた。
俺はただ、うっかり清掃のために顔を出しただけ。だが、それに対して、彼らは過剰反応を示した。
だが。更にその後ろに、恐らく誰かがいる。
こいつは、子爵家そのものを標的としていて、普段は犯罪者どもの後ろに隠れている。そして、今回動いたのは、こいつらだ。
なぜそう判断できるか?
犯罪商人どもは、あの悪臭タワーという拠点を失った。しかし、だからといって、俺と積極的に争っても意味がない。というか、リスクが高まるばかりだ。
彼らにとっての最善は、本来なら、沈黙することだ。おとなしくしておいて、どこかで時機を見て、また同じような拠点を構えればいい。
だが、そんな余裕がなくなってしまった。
黒幕は、リン・ウォカエーに連絡を取った。その際、内部の人間にしか知り得ない情報を混ぜた。つまり、あの悪臭タワーが犯罪者のたまり場だった、という新事実だ。こうして、まずは正面から子爵家を揺さぶる。
ところが、そうなると今度は、犯罪商人どもが困る。どうすればいいだろうか? 詳しい調査が入れば、自分達があそこで何をやっていたかを知られてしまう。となれば、いっそセリパス教会の抗議行動に便乗したほうがいい。ドサクサに紛れて、子爵家を本当の悪者に仕立て上げてしまえば。
そこで、俺に集中攻撃が浴びせられたのだ。ついでに売春婦達も始末したい。情報漏洩には注意していただろうが、もし彼女らが何かを知っていたら。
ならば、どうすればいい?
俺ではない、真の悪人を見つけ出せば……
「アイビィ」
「はい」
オカマ野郎だ。できれば、あいつを確保したい。
奴はどこへ消えたのか。金貨二百五十枚を持って、本当に市外に出たのか?
そうかもしれない。詳しく取り調べられるのを恐れていたはずだからだ。でなければ、家具も何もかもを置いて、あんなに急いで出ていくわけがなかった。
なら、追跡はもう不可能なのか。
いいや。疑わしい人物がもう一人、見えている。
「家主のジイさん、あれを尋問するんだ。手段は問わない」
あれだけ自分の所有物件が汚されて、今まで黙っていたのはなぜか。犯罪者の仲間だったからか、それとも、犯罪者を恐れてのことか。何れにせよ、何も知らないということはないはずだ。
「いっそ、拉致してきましょうか」
「穏やかじゃないね」
「ふふっ、なんなら置き手紙も残していきましょうか」
そう言うと、彼女は俺を膝から下ろした。
「フェイ様は、どうなさいます?」
「そうだなぁ」
いっそ、そこまでやるなら、犯罪者どもと黒幕に、揺さぶりをかけてやるのがいいか。
「明日の朝、酒場に行く。あと、嫌だけど、できればセリパス教会にも」
「何をするのですか?」
「手助けを求めに。あとは、情報収集かな」
すっと彼女は立ち上がった。
「目にもの見せてやりましょうか」
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