抹香臭い女、現る
「店長、今」
「おう、空いてるから、好きに使え」
昼下がりの酒場。普段はみんな、外で働いている。休日をとるにしても、この時間から酒を飲んだりはしない。だから、この時間帯、ほとんど客はいない。
そして、こういうタイミングでもないと、ミーティングには都合がよくない。俺は二階に駆け上がり、全員に集まるよう、声をかけた。
厨房では、気だるい雰囲気で、店長はじめ数人が、のんびりと夕方に向けての仕込みを続けている。静かな空気の中、しばらく待つと上から足音が聞こえてきた。
「皆さん、座ってください」
総勢十一名。女奴隷達が、ぞろぞろとやってきて、適当な椅子の上に腰掛ける。
先週と比べると、かなり血色がよくなっている。ただ、表情は相変わらず、うつろなままだ。
懸念された病気だが、深刻なものはなかった。ただ、エディマだけは、皮膚がかなりひどい状態だった。そのため、今、彼女の顔は包帯でグルグル巻きにされている。もちろん、俺の作った膏薬を塗りたくってある。
「改めて、ご挨拶を……先の所有者から皆さんを買い取った、フェイと申します。身分としては譲渡奴隷で、皆さんとあまり変わりませんが、自由民の後見人がついているので、契約ができました」
女達の表情に変化はない。ただ、ぼーっと俺を見つめている。見てくれているということは、聞いてくれているということ。悪くはない。
「所有者ではありますが、皆さんに乱暴な扱いをしようとは思っていません。なるべく好ましい引き取り先を探す努力は続けていますので、よろしくお願い致します」
彼女らへの支配権を手にしてはいるが、俺は下手に出ている。もともと前世でも、偉そうにするのは苦手だったのだが、今回のこれには、ちゃんと理由がある。彼女らの口を滑らかにしたいのだ。
俺の手元にあるのは、簡単なメモだけ。殺人を犯したとか、姦通罪だとか。でも、これだけでは、彼女らの過去は浮かび上がってこない。もちろん、スキルを覗き見することもできるが、それで認識できるのは大雑把な能力だけだ。つまり、彼女らの本当の姿は、語ってもらわないことにはわからない。
「それで、今日は皆さんにご協力をお願いしたいことがあります」
以前に俺に蹴りを見舞ったガリナは、鋭い視線を向けてきてはいるが、暴れようとはしなかった。ここにいる限り、とりあえずはまともな食事を与えられるし、ずっと休養を与えてもらえている。今すぐ抵抗する必要がないのは理解しているはずだ。だが、それだけでしかない。
「皆さんの経歴を教えてください。ここにメモがあるので、大まかにはわかっています。でも、実際にはどういう出来事があったのか、それは直接、聞かせていただけなければわかりません。もちろん、犯罪奴隷になった経緯だけでなく、得意なこと、好きなことなどもあれば、教えてください」
「うざってぇな」
俺の言葉に、ガリナが噛み付いた。
「何になるんだよ、それで」
「皆さんのことがよくわかれば、その分、よりよい仕事先、引き取り先を見つけるのに、役立ちます」
「はっ、バカくせぇ」
そう言って、横を向いてしまう。
どうしよう。あんまり腰を低くすると、逆にナメられすぎて、話が進まなくなるか。よし。
「協力していただけないと、あとで困ったことになりますよ?」
「ほぅらきた! 脅しにきやがったか! けっ、好きにしろよ」
「違います。そのうち、僕のお金が尽きます。そうなったら、皆さんを放り出すしかなくなるんですよ?」
単純な事実が一番いい。命令に逆らったら痛めつけるとか、そんな脅迫より、俺が実際に抱えている問題を理解させるほうが、ずっとか有効だろう。何しろ、俺は彼女らを服従させたいのではない。協力してもらいたいのだから。
「そうなったら、譲渡奴隷の皆さんは、その場で解放します。でも、仕事もないし、お金もないままですよ? 犯罪奴隷の皆さんについては、僕は領主権を持つ貴族ではないので、解放してあげることさえできません。無料でいいからと、引き取り手を捜すことになりますね。最悪は、国の刑吏に引き渡すしかなくなります」
「ゴチャゴチャわかりにくい話しやがって」
……そうだった。彼女らの大多数は、まともな教育など受けたことのない、元貧農の娘達だ。続きの説明は余計だったかもしれない。
「要は、僕がずっと食べさせていくのは無理だから、働いてくださいってことです」
「今まで通り、くわえこめってんだろ」
「いえ、ですから、それ以外の仕事をさせてあげられたらと思ってですね」
「はぁー」
心底どうでもいい、という嫌悪感あふれる表情を、彼女は浮かべた。
「バカか? 女の犯罪奴隷なんざぁ、使い道なんて決まってらぁ。お前、奴隷のくせに、どんだけ恵まれた人生、生きてきたんだ?」
「決め付けないでくださいよ。僕は決め付けてません」
そう言いながら、手元のメモに視線を這わせる。
「犯罪奴隷、とはついているものの、本当に犯罪者ばかりがいるわけではないはずです」
例えば、彼女だ。
『ディー(アスリック) 十三歳 フォレス人、ティンティナブラム領フガ村出身、十歳時、姦通罪』
ピアシング・ハンドの能力のおかげで、見間違えることはない。隅のほうに座っている少女。あれがディー・アスリックか。
なかなか目鼻立ちのきれいな女の子だ。くりっとした目。透明感のある顔立ちだ。白い肌。対照的に、暗い栗色の髪。フォレス人にしては、色が濃い。発見時には、左右で髪が分けられて、ツインテールになっていたが、今は結ぶものがなくて、下ろしてある。体格は、年齢の割にやや小柄な印象だ。
「たとえば、ディーさん……これ、おかしいですよね。十歳で姦通罪とありますけど。どちらかといえば、被害者ですよね?」
どこのゲスだか知らないが、きっと彼女を手篭めにしたのだ。それもまだ十歳の少女だったのに。で、いざ露見すると、彼女に責任を背負わせた。最低すぎる。
「僕では、ディーさんの無罪を証明はできませんが、引き取り先にはちゃんと説明できればと」
「……話したくない」
ポツリとこぼれたその一言で、俺の口が止まった。
ああ、そうか。そうだよな。トラウマに違いないからな。でも、そこはハッキリしないと、先に進めないんだが。ああ、もう、どうしよう。
「え、ええと、だからその、僕は、みんながそんな悪い人ばかりとは限らないと思ってですね」
「私は殺した」
女性にしては低い声。
黒い髪に、やや浅黒い肌。くっきりした顔立ち。美しいといえるレベルだ。サハリア人とのハーフ、リーアの一言だった。
「多分、書いてある通り。私は夫を殺した」
「っ……」
「あー、あたしもだ」
ガリナも声をあげた。
「間違いないぜ。確かにダンナを殺したよ。村の用水路の中だったっけな。大きな石で頭をぶん殴って、髪の毛掴んで頭を水ん中突っ込んで、溺れさせたんだ」
「うっ……な、なんでそんなことを」
「さぁな? ムカついたからじゃねぇの?」
「あ、でも。殺す気は、あったんですか? その、つまり、何かで必死になっていて、考える余裕もなくて、そのまま勢いで……とか」
「殺すつもりだったね。このままやったら死ぬってわかってた。わかっててトドメを刺したんだよ」
なんで。どうして。
喉元まで出掛かって、止まる。
彼女には、答えるつもりがない。
「なぁ、あんた、フェイっつったな」
「は、はい」
「わかってねぇよ。全然。こっちはいい迷惑だ」
「迷惑!?」
さすがにこれは、面食らった。
例えば、ここの店長とか、悪臭タワーの掃除に付き合わされたガッシュ達とか、或いはアイビィとか……彼らが迷惑だというのなら、よくわかる。俺の身勝手な善意に付き合う理由なんて、ないからだ。
でも。彼女は、まさに死ぬところを救われたわけじゃないか。しかも、それだけじゃない。一応、寝る場所も食べるものも与えている。おまけに、よりよい引き取り先まで探そうとしているのに。
「せっかくあのまま、死ねたはずなのによ」
「なんで……どうして」
「はっ! ばぁか。やっぱり何もわかっちゃいねぇんだな?」
目を丸くする俺に、彼女は毒々しい口調で続けた。
「例えばお前……あんな汚いところでよく客が来るもんだとかなんとか、抜かしてやがったな? 来るんだよ。それも常連さんがな」
「え……」
「なんでだと思う?」
その理由を尋ねようと、身を乗り出した時だった。
バン! と派手な音を立てて、酒場の入り口の扉が開いた。
「ここですね」
濃紺色の法衣を身に纏った女が一人。頭にも被り物をしているので、髪の毛がほとんど見えない。ついでに、胸元も実に平坦で、外見だけでは女とはわからないくらいだ。ただ、顔立ちは端整で、長い法衣の下のほうに辛うじてスカートの下端が見えたのと、声色が女性のものだったから、そう判断できただけだ。
「フェイという破廉恥漢はどこにいるのですか?」
またか。
なんかこう、俺には理解できない。例のオカマ野郎が、あそこまで非道な真似を仕出かしていても、誰も何も言わないのに。人助けをすると、どうしてこうも絡まれるのか。
「破廉恥かどうかは知りませんが、僕ならここです」
俺が名乗りを上げると、彼女はカッと目を見開いた。そのまま、上から下まで俺を舐め回すかのように視線を這わせる。
「まだ、子供のようですけど」
「はい、七歳です」
「ふうん……」
どうだ。アテが外れただろう。まだ子供だ。スケベ心も、金銭欲もないんだ。中身はオッサンでもな。
ところが、彼女はポロリと一言を漏らした。
「なるほど……小さくても、男は男、と」
あれ?
何言ってるの、この女。
「まぁ、なんでも構いません。フェイとやら。今すぐやめなさい」
「はい?」
「やめなさいと言っています」
頭の中にハテナマークがいくつも浮かんでは消える。
やめる? 何を?
「えっと、何をでしょうか?」
「今、やろうとしていること、すべて」
「やろうとって……具体的には、何を?」
「だから、全部です」
なんだ?
なんなんだ?
じゃあ、あれか? 呼吸もやめろとか、心臓を動かすのもやめろとか、そういうノリか?
「えっと、何か誤解されているようですが」
「はいかいいえで答えなさい」
うーわー……
何この女。
なんかわからんけど、すっごい決め付け。思い込み。
「何を言われているかわからないのに、ですか?」
「ごまかそうとしないでください」
「ごまかしてません、わからないんです」
「目の前に証拠がありながら、よくもそのようなことを」
証拠。
つまり、やはり彼女は、女奴隷の件で殴りこんできたのだ。
そして、服装から判断するに、彼女は……
「誤解されているようですが、僕は売春」
「わーっ!」
……はぁっ?
いきなり耳を塞いで、喚きだした?
「彼女らに性的な仕事を」
「わーっ!」
「性行為でお金を稼がせようとは」
「わわーっ!」
どうやら、俺が何か、性的な意味でいやらしい単語を口にすると、絶叫するらしい。耳にするのも耐え難い、というわけか。
「せめて、聞いてくださいよ」
「黙りなさい! この色魔!」
「し、色魔ぁ!?」
「妄言で人の心を惑わそうなどと、やはりあなたは、子供であっても、悪魔の手先です!」
いや、妄言って。
会話、成立しないじゃん。
「あの、あなたは」
「聖セリパス教会・ピュリス支部長、リン・ウォカエーです」
ああ、やっぱり。
原理主義のセリパス教徒が来たっていうのは、こいつのことか。
「罪深い悪魔の申し子たるあなた、フェイに告げます。人は正しくあるために、常に禁欲を心すべきなのです。そのためには、穢れたものには触れないこと。目にしないこと。言葉を口にしないこと。また耳にしないこと。心で思うのも避けねばなりません」
まともなこと言ってるように聞こえるけど、これ、アウトだ。
悪いとされたものについて、実行するのはともかく、見たり聞いたり考えたりするのもいけないとなると。実際に売春するな、させるなとかいうのなら、まだわかるが、その単語を口にしただけで、あの反応とは。
この論理、カルトだ。都合の悪いことは全部『悪』と烙印を押せばいい。それだけで『知る機会』自体が失われる。盲信する連中は、それでどんどん、社会の常識から引き離されていく。冗談じゃないぞ、こいつ。
「じゃあ、実際に汚いものがあったら、どう片付けるんですか。手を出さなきゃ、掃除できないでしょうに」
「そんなこともわからないのですか。目にする暇も与えず、すべてを焼き尽くせばいいのです。跡形もなく」
あ、ダメだ。これでもう、完璧、アウト。危険思想で確定だ。
セリパス教は性的な面で寛容さがないとか聞いてはいたけど、ここまでとは。まぁ、原理主義者だからなんだろうけど。さすがに、これが普通のセリパス教徒です、とか言われたら……
「じゃあ、言葉を選んで話します。ウォカエーさん、僕は、ここにいる女性の皆さんに『正しい』仕事をして欲しいと思っています。彼女らの身分は奴隷ですが、譲渡奴隷については解放するつもりですし、犯罪奴隷についても、まともな人に譲り渡そうと思っています。どうすればいいでしょうか」
どうだ。これなら問題ないだろう。
不幸な女奴隷達を、いやらしくない仕事につけたいと言ったのだ。清く正しいセリパス教徒なら、むしろ協力しろ。
「汚らわしい!」
……あれぇー?
「人の世に迷惑を振りまいた奴隷。それだけでも汚らわしいのに、その上、不潔な生業で金銭を得てきた女達。そんな害獣を、今再び、人の世に解き放とうというのですか。いいえ、そんなことは私が許しません。許しませんとも!」
おいおい。
じゃ、どうしろって言うんだ。
「そんな。じゃあ、どうすればいいんですか。いっそ、殺せとでもいうんですか」
「愚かなことを口にするのはやめなさい。殺人は最大の罪です」
うん。それはいい。
聞かせて欲しいのは、代替案だ。
「だから、どうすればと」
「触れてはなりません」
「は?」
「穢れを遠ざけなさい」
いや。そんなこと言ったって。
「でも、ほっといたら、みんな死んじゃうでしょう」
「やはりあなたは、そうやって詭弁を弄して、何が何でも、彼女達の穢れを、世に広めたいのですね」
どうしてそうなる。
「わかりました。それならそれで、私に考えがあります」
呆然として言葉を失う俺を背にして、彼女は高らかに宣言した。
「罪業は、根元より断ち切られるべし! このままでは済ませませんよ!」
リンは、来た時と同じように、乱暴に扉を閉じると、さっさと歩き去っていってしまった。
「なんなの、あれ……」
呆然として、俺はただただ、立ち尽くすのみだった。
「正論だな、ははっ」
そんな俺を捨て置いて、ガリナは席を立ちながら、そう言った。
「何をトチ狂ってんだか知らねぇけど……もう、タダじゃすまねぇぜ?」
彼女がそう言いながら、部屋へと戻っていく。ガラガラ、と音を立てて、他の女達も席を立つ。
俺が「待て」といえば、きっと足を止める。だが、俺は声を出せなかったし、彼女らも去っていった。
俺はただ、戸惑いながら立ち尽くすばかりだった。
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