悪臭タワーで疲労困憊

「お、おげぇぇえっ」

「う、うぷっ……」

「ひぃ、ひぃ、ひぃっ……ポゲッ」


 阿鼻叫喚とは、まさにこのこと。

 普通、人は悪臭に慣れる。だが、何事にも限度というものがある。


「お、おい、耐えろよ……掃除の手間が、増えるだろが」


 一人気を吐くガッシュだが、その声は弱々しい。ドロルもハリも、あまりの悪臭に倒れそうになっている。ウィーに至っては、かわいそうに、ゲロまで吐いている。

 悪臭の原因は、汚物だけではなかったのだ。売春婦達が最初の頃、使わされていた化粧や香水。安物で、人体に有害な成分も含まれているような代物なのだろう。他にもわけのわからない薬と思しきものがあったらしい。それらの瓶が割れて混ざり合い、更にそこに汚物や吐瀉物、生ゴミ、腐敗した動物の死骸などが積み重なって……


「しょうがないですね、ウィー……ウィムさん、そっちもきついのは変わらないですが、ドロルさんと一緒に、下の階の家具の搬出をお願いします。木の窓も取り外して、外の荷車に放り込んでください。もう、全部焼くので」

「は、はい」


 俺はこの建物に、悪臭タワーと名前をつけてやった。

 ここ最上階こそ、汚物の本丸。上層に上がれば上がるほど、汚く、臭くなるからだ。

 歴戦の冒険者たる彼らにとってさえ、未経験のレベルの不潔さ。下手なダンジョンより危険かもしれない。


「で、俺達は……」

「ここの汚物を一まとめにして、これも一階の荷車に……荷車ごと、焼却ですね。風向きに注意しないと、あとでクレームがくるかもです」

「うげぇ」


 使い捨てのつもりで、モップも用意した。こんなの、ちょっとやそっとではどうにもならない。一回目のモップ、二回目のモップ、三回目のモップまである。


「や、やりますよ!」

「お、おう!」


 そう叫んで、気合を入れる。

 その瞬間、階下から悲鳴が上がってきた。ああ……あのモゾモゾ動くシーツを見たら、そうなるよなぁ……


 とにかく全部捨てるだけなので、最上階はすべて拭いて拭って、寄せ集めた汚物には消臭剤をドバドバぶっかけて、箱詰めにして下へ。二階から四階の個室も、ほぼ同じようなものだ。シーツは全部運ぶだけ。ベッドは壊してもいいから、これまた下へ。椅子もテーブルも、古いし汚いので処分。燭台だけは金属製だが、デザインもよくないし、古いし、汚いので、これも片付ける。

 ここまで済ませてから、汚物の固まりを荷車に載せ、運ぶ。いくら消臭剤をぶっかけたからって、このレベルの汚物は、どうにもならない。移動する先々で注目を集めてしまう。なんとか市外に出て、誰もいない海辺の砂浜に穴を掘り、そこに荷車ごと放り込んで、今度は上から油をぶっかけて火をつける。


「ぐっ……!?」

「く、臭えっ! 焼くともっと……」

「か、風下に立ってはいけません!」

「目にしみるよ!」


 結局、燃やしきる前に、みんなで砂をかけて、埋めてしまった。


「こ、ここまで頑張れば、あとは楽だよ。ね、ねえ?」


 たった今、モンスターから逃げてきたような顔をした四人は、力なく頷くばかりだった。顔がもう、半泣きだ。


 朝一番に始めた作業だったが、昼前に、一度小休止を取った。空間としてはそこまで広くはないので、やることも多くはない。山盛りの汚物はすべて取り除けたので、あとは何度もモップで拭いて、更に上から薬品をドバドバ浴びせて、キレイにするだけだ。窓という窓は全部開放していく。


「で、あの、みんな」


 俺はおずおずと提案する。


「お昼ご飯、食べます?」


 誰も何も言わない。だが、ガッシュとドロルは、恨めしそうな視線を向けるばかりだった。ハリは一切表情を変えない。ウィーに至っては、ご飯という単語に反応して、また吐き戻しそうになっている。

 ちなみに、アイビィも遊んでいるわけではない。例のオカマ野郎は、管理室の家具一式もそのままにしていった。それらのうち、再利用できそうなものを取っておき、それ以外は廃品として出している。


 太陽の光に黄色いものが混じり始める頃、ようやくすべての作業が終わった。


「じゃあ、私は家主さんに報告してきますね」


 アイビィが疲れた顔でそう言って、歩き去っていく。


「それでは皆さん、お疲れ様でした」


 反応が薄い。


「謝礼はこれからお持ちします。とりあえず、皆さん、そのままだと宿には戻れないので……公衆浴場に行きますか」

「そうする」


 ドロルがボソッと答える。

 だが、そこで困ったのが、ウィーだった。


「あ、あの、ボク」


 そうだった。

 名前も性別も偽っているから……男湯にはいけない。


「あ、後にするよ」

「何言ってんだ、クソくっせぇのに」

「う、うん、でも、疲れちゃって、その」


 あ、これ、まずい流れだ。

 よし、ここは助け舟を出そう。


「じゃあ、ウィムさんは、ウチに来てください。どうも作業中、体調を崩していたみたいなので、薬を出しますよ」

「えっ」

「ウチは自宅にもお風呂があるので、それを使えば……ただ、沸かさないと、水ですが」

「それでいいよ、ありがとう」


 話がまとまると、男達は力なく歩き出した。


「じゃあ、酒場で待ってるぜ」

「はい」


 地獄のような作業だった。

 あんなのはもう、二度と御免だ。


「これ、謝礼です」

「おう……」


 酒場の一角で、俺達はテーブルを囲んでいた。約束通り、一人金貨五枚。確かにいい仕事には違いない。だいたい一ヶ月、金貨二十枚あれば暮らしていける。その四分の一を一日で稼いだのだから。だが、誰にも、笑顔を浮かべる余裕すらなかった。


「とりあえず、酒だな」

「ああ」

「ボクも……今日は、お酒にする」


 ミルクだと、生の食品の匂いがあるので、また戻しそうになるのだろう。それよりは、酒とか刺激物で、何もかもを忘れたいらしい。


「うう、まさか、グルービーに派遣されてピュリスに暮らして……こんな目に遭うなんて」


 アイビィも、軽くダメージを受けていた。無理もないか。


「けどよぉ、これからどーすんだ?」

「そこなんですよね……」


 借りていた建物は、きれいにした。薬品やら何やらで、更に金貨二十枚くらいが飛んだ。しかし、出費はこれで終わりではない。

 ここの宿屋に寝かせてある奴隷達。ここは宿泊に銀貨三枚。ただ、部屋は三つしか使っていないので、その分で銀貨九枚の計算で許してもらっている。食事は通常、朝と夜で銀貨二枚を取られるのだが、これは夜のワンドリンクも込みだ。なので、お酒は抜きにしてだが、店長の好意で、三食で銀貨二枚とさせてもらっている。

 つまり、一日置いておくだけで、金貨三枚に銀貨一枚が消えていく。


「十人からの生活費ですからね……難しい問題です」


 ハリは、そう言って腕組みする。


「みんな、衰弱してるみたいだからね」


 頬杖をつきながら、ウィーもぼやいた。


「とりあえず、二週間ほど、のんびりさせようとは思う。食べて、寝て、よく休んで。あと、少し運動して。その上で、再就職先を探さないといけないんだけど」

「そこがなぁ」


 ドロルがテーブルに肘をついて、ジョッキを置く。


「譲渡奴隷は解放すれば、神殿に引き取ってもらうって手もあるかもしれねぇが、犯罪奴隷がなぁ」

「まぁ、悪いことをしたから、奴隷になったわけですからね」


 だが、ハリは重苦しい声で話に割って入った。


「譲渡奴隷だからと言って、そこまで話が簡単になるわけではありませんよ。基本的に、奴隷というのは、犯罪にせよ、借金にせよ、社会に迷惑をかけた存在と認識されていますから」

「そこは、個々人の事情ってものがあんだろ?」

「もちろんです。ただ、神殿は法律絡みのところには、手を出したがりませんし……名目としては、あくまで『更生』させるため、『鍛錬』目的で、神殿で修行させる、という形になりますので。つまり、いつかは神殿の外に出されます」

「それまでに自活できるようになればいいわけですね」

「そうなりますが、熟練した技能があればともかく……神殿は、所詮は宗教施設ですからね。世俗で生きていくための技術の修練には、そこまで力を入れていないので。そうなると、今度は年齢と、売春の経歴が問題になります。女性が自活していくのは、かなり大変ですから」


 ここは現代日本ではない。女性が自力で生計を営んでいく、というのは、相当に難しいことなのだ。だから、結婚は彼らの人生の主要な部分を占める。


「ただ、フェイ君は、神殿直営の孤児院に、最近は寄付もしていますからね……話くらいは、聞いてもらえると思うのですが」


 ただそれは、子爵家の名前でやっているので、俺個人についての認識は、先方にはないかもしれないが。

 アイビィが意見した。


「いっそ、神殿の下働きを一生続ければ、外に出なくてもいいんですけどね」

「それはそうですが」


 そこでガッシュが、無責任な考えを口にした。


「いっそ、全員、冒険者になるか? 腕さえあれば、いくらでも食っていけるぜ!」

「お前、バカか」

「なんでだよ」

「犯罪奴隷はどうすんだよ。武器持たせて暴れさせんのかよ」


 やはり、簡単に結論は出ないか。


「とりあえず、本人らの意見も聞いてみてからにしましょう。ハリさん、できれば神殿のほうに、受け入れ条件など、確認したいので……明日のお昼休みにお伺いしたいのですが」

「わかりました」


 それから全員で、香辛料の利いたものを食べ、解散した。

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