やっぱり情けは人のためならず?

 夕暮れ時。

 ピュリスの街が、まずそうな麻婆豆腐になる時間帯だ。

 俺はもう、クタクタになっていた。


「ごめんくださぁーい……」


 俺は疲れた声で、そう呼びかける。

 押したのは、いつもの酒場兼宿屋の扉。アルバイト先だ。


「ああん? フェイじゃねぇか。……なんだぁ、その女どもは」


 まぁ、そういう反応になるだろう。俺の後ろには、アイビィ以外に十一人もの女が立っている。


「済みませんけど、狭くてもいいので、寝られる部屋、空いていませんか?」

「お……おう、ベッドは足りねぇと思うから、ソファとか簡易ベッドの上に毛布敷いて寝ることになるけど、それでいいか?」

「充分です」


 二人用の部屋に、四人ずつ詰め込むことにした。足の踏み場もなくなるが、仕方ない。別に俺が宿泊費を惜しんだのではなく、この宿屋に部屋があまっていないのだ。

 女奴隷達を部屋に連れて行った後、俺は一階の酒場の椅子に腰掛けて、テーブルに突っ伏した。


「おい、フェイ、ありゃあなんなんだ?」


 店長は、当たり前だが、説明を求めてきた。

 それに対して、アイビィが溜息をつきながら答える。


「病気が出たんです」

「あ?」

「うちの店長の、お人よし病が」


 何も言い返せない。


「売春宿から、消毒剤と消臭剤の販売をと言われて、現地で見ちゃったんですよ。犯罪奴隷の扱いを」

「はぁっ? じゃ、あの女ども、犯罪奴隷なのかよ?」

「半分はそうです」

「おいおい」


 店長も難しい顔をしている。そりゃあ、ねぇ。殺人犯をここに置いているわけだから。


「じゃ、どうすんだよ。明日にでも店に返すのか?」

「いえ、元店長から、買い取ってしまったんですよ」

「たーっ……こりゃあ、困ったなぁ」

「ええ、本当に」


 ……俺、やらかしちゃったのかな。

 そう思って頭を抱えているところに、更に厄介事が舞い込んできた。


 ギィ、と出入口の扉が開く。

 そこに立っていたのは、気難しそうな顔をした老人だった。着ている服は灰色一色で、くたびれている。


「ここに、フェイ……フェイ、なんとかって人はいるかね?」

「はい? 僕ですが」

「はぁ? 子供じゃないかね」

「ええ、僕ですよ。何でしょうか?」


 そう答えると、老人は俺の前に立ち、一度溜息をついてから、説明を始めた。


「どう責任を取ってくれるんじゃ、あれは」

「はい?」

「わしの貸した建物の話じゃが」


 つまり、こういうことだ。

 あの売春宿は、オカマ野郎がずっと借りていた。だが、まともに働かずに女達を使い捨てる彼は、次第に建物の清掃もしなくなった。結果は見ての通り、立派な汚物ビルができあがった。

 で、オカマ野郎は、ここ最近は、地代の支払いもごまかし続けていたようだ。そんな状況で、本人が何もかもを放置して逃げてしまった。この老人からすると、踏んだり蹴ったりということになる。


「あんたが余計なことをするから、こうなったんじゃ。わしはどこに訴えればいいんじゃ」

「余計って。あの男、どうせ家賃も払ってなかったし、清掃もしてなかったんでしょう?」

「それでも、請求する先さえなくなったんじゃぞ」


 はぁ、と後ろでアイビィが溜息をつく。

 そうだよなぁ。そこまで考えずに、俺は取引をしてしまったのだ。


「じゃ、どうしろというんですか」

「まず、使えるように清掃をしてくれんかの。あの男が滞納した二ヶ月分の家賃は、まぁ、ちゃんと回収できなかったわしも悪い」

「どうして僕がそこまで責任を取らなきゃいけないんですか。僕はただ、売春宿の経営者から、女奴隷を買い取っただけですよ」

「そのせいで、店を捨てて出て行ったんじゃろうが」


 店を捨てたのは、その男の判断で、俺には関係ない、と言おうとして、やめた。街から出て行け、と言ったのは、紛れもなく俺自身だからだ。まぁ、あのオカマ野郎は、その辺含めて、全部踏み倒す予定だったのだろうが……俺の奴への言動をこの老人が知らないとしても、それでは騙すことになる。


「それに、女奴隷どもを買って、その後、どうするつもりじゃ。店がなければ、商売もできんじゃろ?」


 もう一度、うちを借りろと言っているわけか。それも理解はできる。この男、決して身なりはよくない。前世で言えば、年金暮らしの老人だ。恐らく、あの建物の地代が、彼の生命線なのだろう。


「また売春させるとは限りませんけどね」

「他の仕事ができるんなら、いいんじゃがな」


 この世界、女はあまりつぶしがきかない。農地があれば農業、宿屋があれば女将。料理か裁縫か、何か手に職があれば、なんとかなる。例外的だが、学問とか武術の腕があれば、それでもいい。

 だが、それがないとなると、就職先は極端に限定される。貧しい農村出身の女達は、読み書きもできない。そして前世と違って自動車もない社会なので、筋力の役割は大きい。男なら肉体労働者になれるが、女の単純労働は、あまり必要とされない。つまり、女の値打ちがそれだけ低いのだ。

 加えて、彼女らの半分は犯罪奴隷だ。所有者であれば、いつ殺害してもいいことになっている。そんな状態に置かれた人間に、責任ある仕事を任せるなど、できるわけもない。必然、職種は限定される。なお、売春婦だった経験、犯罪奴隷だった事実が重なれば、当然、通常の結婚もほぼ不可能となる。


「まぁ、これがわしの連絡先じゃ」


 紙片を懐から出すと、老人はキッパリ言った。


「他に店を簡単に借りられるとは思わんことじゃな。どうするか決めたら、連絡せい」


 言いたいことだけ言ってから、彼は酒場を出て行った。

 それを見届けると、アイビィがまた溜息をついた。


「やれやれですね、フェイ様」


 うん、確かに。

 勢いで厄介事を背負い込んだって実感はある。

 でも、あそこを俺に教えたのはアイビィじゃないか……とは言えない。だって、売春宿相手にも営業しろ、と命令したのは俺自身だ。で、俺がカッとなったらどうしよう、と見越して心配もしていた。今回は、俺がアホだったのだ。


「とりあえず……冒険者ギルドに、依頼を出そうか」

「お掃除のですか?」

「うん、かなり奮発して。じゃないと、あれはどうしようもないよ」


 そう言って、重い腰をあげる。

 その瞬間、軽快な音を立てて、出入り口の扉が開いた。


「ふいーっ、あちぃな、最近は……おう、オヤジ! エールくれ!」


 見慣れた顔だった。ガッシュとその仲間達、四人組だ。


「お、フェイ、来てたのか」

「あ、はい、これから出かけますけど」

「ん? バイトじゃないのか」

「はい、今日はちょっと……で、これからギルドに行こうかと」

「おっと、ちょっと待てよ」


 俺の目の前の椅子にドンと腰を据えると、ガッシュは俺に尋ねてきた。


「水臭ぇじゃねぇか。なんか仕事があるんならよ、まず俺達に相談しろよ」

「えっと、でも、アメジストの冒険者がやるような仕事じゃないですよ? お掃除ですし」

「んー、そうか?」


 そこへ、横合いからドロルが口を挟んできた。


「そう言いてぇんだけどよ。最近、どうも不景気でな……後輩に仕事を譲るとか、言ってらんねぇんだ」

「そうなんですか」

「日銭が稼げるなら、やってもいいな。で、いくら出すんだ?」


 そう訊かれて、俺は素直に金額を口にしてしまった。


「ビル一軒で、一人当たり、金貨五枚、かな」

「おぉ!?」


 俺の返答に、四人全員が腰を浮かしかけた。ウィーやハリまで。


「それ、おいしすぎるぜ!」

「破格ですね」

「相場の五倍……」

「なんだよ、ギルドなんかに持っていくなよ」

「いえ、でも、これは」

「お前は知らねぇだろうけどな、ギルド挟むと、二割減るんだぞ、こっちの取り分が。だから、な?」


 いいのかな……いいか、やるって言ってるんだし。


「いいですけど、ちょっと複雑な話で」

「ふぅん、何か、困ったことでもあるのか」

「まずは、実物を見てもらうほうが早いかと思うので、皆さん、上へ」


 階段を登りながら、俺は簡単に説明する。


「実はですね、たまたま仕事先で、悪質な売春宿にぶち当たってしまいまして」


 木の階段を登りながら、俺は後ろを振り返りつつ、続ける。


「死にかけていた奴隷の女性が十人くらいいたので……勢いで買い取ってしまって」

「へぇ、やるじゃねぇか」


 ガッシュが冷やかす。


「お前も男だったってわけだ、なぁ、フェイ?」

「それ、どういう意味ですか」


 男らしい、男気あふれる行動だ、という意味なら誉め言葉だが……


「どうもこうもねぇよ、そのまんま」

「いや、わからないです」


 そこへウィーが口を挟む。


「フェイ君、まだ七歳で……ちょっと早熟すぎない?」

「それも! どういう意味ですか」


 階段を登りきって、俺は扉の前に立つ。


「ところがですね、引き取ったのが半分は犯罪奴隷で、これからどうしようかと」

「あー、なるほどな」

「で、この部屋に」


 扉を開けながら、説明を続ける。


「今は寝ているんですけど、どれぶほっ」


 鳩尾に蹴りが入った。背後の壁に叩きつけられ、ついでその場に尻餅をつく。後ろを向いて説明しながらだったから、完全に食らってしまった。


「いっ……つっ……」


 苦しい。息ができない。そうしても意味はないのに、思わず床をかきむしる。

 周囲を見上げると、全員が部屋の入口に鋭い視線を向けている。犯罪奴隷の反乱となれば、殺害も選択肢に入るのだ。


「……ふん」


 シンプルなワンピースを身につけただけの女。髪の毛は金色で、年齢は二十歳くらい。鋭い目付きをしている。この特徴に当てはまる奴隷は、一人しかいなかった。


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 ガリナ・ホーネン (20)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク5 女性、20歳)

・スキル フォレス語  5レベル

・スキル ルイン語   4レベル

・スキル 農業     4レベル

・スキル 格闘術    2レベル

・スキル 水泳     1レベル

・スキル 料理     2レベル

・スキル 裁縫     2レベル

・スキル 房中術    3レベル


 空き(12)

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 当たり前だが、農民の娘らしい。とはいえ、格闘術を持っている。所詮、素人芸の水準ではあるのだが、無防備な子供相手には充分効果があったようだ。


「なんてことをするんですか」


 冷たい、しかし状況の割には落ち着いた声で、アイビィが問う。


「フェイ様は、死にかけたあなた方を救おうとしてくれたのですよ」

「はっ!」


 だが、説明を受けても、ガリナは皮肉めいた笑みを浮かべるばかりだった。


「誰が頼んだよ? え?」

「……なんですって?」

「他人のことなんざぁ、ほっとけよ。それとも、よっぽどたまってたのかぁ?」


 ようやく痛みから立ち直って、ものを言えるようになった。


「買ったのは僕ですが。何がいけないんですか」

「はっ! 気持ちの悪ぃガキだ。よくそんな金、持ってたな? それでいいことしたつもりになってんのかぁ?」


 ガリナの目には、暗い炎が宿っていた。憎悪。この三年間の苦痛。捨てる場所のなかった怒りが、今、荒れ狂っているのだ。


「じゃあ、どうすればよかったんですか。どうなりたかったんですか」

「どうしようもねぇだろ? バカなこと訊いてんじゃねぇ」


 そこでアイビィが割って入る。


「そこまでになさい。暴言はともかく、実際に暴力を振るうなら、犯罪奴隷は処分しなければなりません」

「やれよ」


 ガリナに怯えはなかった。むしろ、心底楽しそうな顔をした。


「キレイサッパリ、ここで殺せよ。スッキリすんぜ!」


 彼女の叫びに、左側の二部屋の扉が開く。どちらも、他の奴隷達を収容した部屋だ。扉の隙間から、様子を窺っている。ガリナの同室の女達も、とっくに目を覚まして、こちらを見ていた。


「あとにしよう」


 俺は、立ち上がりながら言った。


「これからどうするかは、ゆっくり話し合おう。悪いようにはしない。でも、その前に……みんな、お腹空いたでしょ」


 ガリナは、笑みを消した。今にも俺を食い殺しそうな、獰猛な表情でこちらを見ている。


「当然、食費は僕が出す。今夜は、お腹一杯食べてよ」


 この一言に、ガリナの後ろで目を輝かせた女の子もいた。いける。


「飲みたければ、お酒もいいからね。今、下に食事の準備を頼んでくるから、それまで休んでいて」


 俺はそう言って、背を向ける。

 アイビィがガリナの前に立って、キッパリと言った。


「部屋に戻りなさい」

「……ちっ」


 反抗しようにも、分が悪い。ガリナはそう感じたようだった。といっても、力量差に気付いたとかそういうことではなく、この場の雰囲気だ。最低最悪の売春宿から自分達を買い取り、体を洗い、寝床を与え、更には食事まで。そんな相手に、なおも喧嘩を吹っかけ続けるのは、難しかった。彼女自身、体力が衰えているのもある。


「ねぇ、フェイ君」


 階段を下りる途中、ウィーが耳に囁いた。


「あの人達、やっぱり危ないんじゃない?」

「うーん、そうかも……」

「じゃあ」

「でも、どうするの? まさか殺すの? それとも、転売?」

「それは……困ったね、本当に」


 全員が酒場に降りてきてから、説明を続けた。


「……とりあえず、元の売春宿の掃除まではやろうと思うんです。街の人と諍いを起こしたくないから。で、あそこは相当汚いから、金貨五枚」

「俺達がやってもいいのか?」


 現地に着いたら、やめてもいいのか、って言われそうだ。


「いいけど。捨てるつもりの服で来たほうがいいかも。それと、手袋、マスクも必須。まぁ、それはこっちで準備するかな」

「いつ、やるの?」

「急だけど、うちは週二日休みを取ってて。今日、一日休んじゃったから、明日やらないと、一週間放置することになるんだ、だから」


 そう。

 時間がないのだ。明日中に片付けばいいが……


「わかりました。明日ですね。フェイ君も来るのですか?」

「もちろん、行きます。まかせっきりにするわけにはいかないくらいなので」

「けどよぉ」


 難しい顔をしたドロルが呟く。


「あいつら、大丈夫か? あの女ども。全員じゃねぇけど、かなり反抗的じゃねぇか」

「そうですね」

「いったい、どーすんだ? ありゃあ。また売春させんのか? それとも、他の仕事……んなもん、見つかるか?」


 困った問題だ。

 全員のスキルなら確認済みだが、売春以外でやれそうな仕事となると、農業くらいしかない。武術の類を習得している女もいたが、犯罪奴隷に武器を持たせるわけにはいかないだろう。


「一応、探してみますが、なければ……」


 そう言いながら、俺はちらっと全員の顔を見る。


「仕方ないよね」


 ウィーは、暗い表情で言う。俺は彼女の正体がわかっている。売春させる、ということには、内心で強い嫌悪感を抱いていてもおかしくない。なにせ貴族の娘なのだ。


「気分はよくないけど、そこはフェイ君の責任じゃないから」

「なんというか……ありがとうございます」

「無駄かもしれませんが」


 消え入りそうな声でそう言った横から、ハリが意見した。


「女神神殿に相談してみましょう。貧しい人、身寄りのない人の力になるのが、神官の仕事ですから。ただ、犯罪奴隷が相手となると、なかなか難しいでしょうが」

「ダメでもともとです。そうしていただけると、助かります」


 そこへ、ドロルが声をあげた。


「その前に。あいつら、今夜にでも脱走しねぇか?」


 それはまずい。


「困りますね。じゃあ、僕が見張りますよ」

「いえ」


 アイビィが割り込む。


「それなら、私が」

「いや」


 そこへ更に、ドロルが口を挟んだ。


「明日、大金もらえるしな。それくらいは、俺達でやろうぜ? なぁ?」

「そうだな、どうせここに泊まるんだしな」


 助かった。助けられてばかりだ。

 明日は奮発しよう。といっても、もう金額は伝えた後なんだけど。


「できたぞ」


 そこへ、店長が一言。

 女奴隷達に食べさせる食事の準備が整ったらしい。


「呼んできますね」


 アイビィが席を立つ。

 俺の気まぐれのせいで、余計な気苦労をさせてしまった。

 彼女にも、どこかでお返しをしないと……

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