粗大ゴミは即廃棄
「フェイ様!?」
アイビィが後ろで叫ぶが、無視する。
早足で自宅に戻ると、俺はまっすぐ自室に駆け上がった。ベッドの下には、俺の宝箱がある。それは、文字通り、お宝の箱だ。
この前の海賊討伐でもらった金貨一千枚。本来なら銀行に預けたかったのだが、俺は奴隷だ。奴隷には、一定額以上の契約を、自分だけで交わす権利がない。銀行に口座を開設するのも無理だ。だからやむなくタンス預金にしておいた。
あれから、魔法書などを捜し求めたのだが、いまだ購入する気になれるような品には出会えなかった。だが、今となってはそれが幸運に思われる。
「まさかっ……何をなさるおつもりですか」
アイビィが俺に敬語を使う時。それは、俺の行動を止めたい場合だ。公的な立場を思い出させるためなのだ。
何をする気かって、見ればわかる。これは消毒薬でも消臭剤でもない。金貨だ。
「おやめください」
「引き返すよ。あ、そうだ、馬車を呼んでおいて。家畜用の、大きいやつ」
「いけません、無茶です」
「できたら、洗剤も積んでおいて。あと、城門の外に出るから、通行許可もお願い」
俺の頭に血が上っているのがわかっているのだろう。彼女は、しゃがみこむと、俺の肩に手を置いた。
「救えるわけがないじゃないですか」
彼女の主張も、もっともではある。俺が金貨を叩きつけて、あの男から奴隷達を買い受けるのは、まぁ、可能だろう。犯罪奴隷が含まれている場合は、少し手続きが面倒になるが、それ自体は不可能ではあるまい。
問題は、その先だ。
「いいですか。買い取った後、どうやって養っていくおつもりですか。どうせ売春させるしかないんですよ。他の仕事ができるくらいなら、そうしています」
「それにしたって、もう少しマシなやり方があるはずだよ」
「犯罪奴隷の扱いはどうするんですか。本来、処刑されるべきところを、道具として生かしているに過ぎないのですよ」
「だったら死刑にすればいいじゃないか。わざわざ生かしておいたのなら、それなりの使い方があるはずだ」
俺があくまで意見を変えようとしないので、彼女はその場で溜息をついた。
「はぁ……だから嫌だったんです」
肩を掴む手にも、力が抜けている。
「本当に、賢いのか、そうでないのか……こんなの、表沙汰になったら、大目玉なんですよ、わかっていますか」
「わかってないよ。あの中には、明らかに十歳前後の少女もいた。どう見ても犯罪奴隷じゃないよね? なら、譲渡奴隷にあそこまでの虐待を加えるのは違法だ。本当なら、市の警備兵に引き渡すところだよ」
「まともに取り合ってなんて、もらえません」
「どうして」
「当たり前でしょう? 奴隷を大切に扱うこと、なんて、普通は誰も守らない規則なんだから。そんなこと言ってたら、商売道具に使えないじゃないですか。譲渡奴隷でも犯罪奴隷でも、余程のことがなければ、いちいち事件になんかしません。でも」
首を振りながら、彼女は続ける。
「ここはコラプトじゃないんです。あなたはグルービーじゃないんですよ? 子爵家の召使が、売春宿相手に薬を売るだけでも外聞がよくないのに」
「……最低の環境で働かされている奴隷女を救い出して、もう少しマシな売春宿に送り込んだら、評判が悪くなる?」
「そうです、そんなのは貴族の家がやるべきことじゃありません」
「くだらない」
くだらない。本当にくだらない。
「見殺しにしたほうが評価が上がるなんて、胸糞が悪すぎる。アイビィは、あれを見て、何とも思わなかったのかい」
「そんなわけないじゃないですか」
「じゃあ、どうしてそんなことを」
「それでも私は」
口に仕掛けて、彼女は途中で止めた。
その代わりに、震える声で、そっと言った。
「……いいですか。助けた相手が、善人である保証はないのですよ? 犯罪奴隷が罪を重ねれば、その責任は……」
「僕?」
「一般人なら罰金で済んでも、あなたはまだ奴隷です」
「アイビィが買ったことにすれば」
「通用しませんよ。あなたのお金じゃないですか。当然、調べられます」
今度は、俺が溜息をつく番だった。
そういえば、そうだった。前世でもそうだった。この「社会」という代物は。金持ちがより金持ちになるように。不幸な人がより不幸になるように。そんな風にできている。表向きの平等と、実質的な不公平。どこかの誰かがババを引く。そう、一番弱い立場の人が。
「アイビィ、問題ない」
「何がですか」
「誰が何と言っても、黙らせてしまえばいい」
「それはどういう……」
「もし、救い出した犯罪奴隷が悪人で、問題を起こそうとしたら、僕が殺す。これでいいよね」
俺の決意が固いと知って、彼女は諦めたようだ。のろのろと起き上がる。
借りてきた大きめの馬車では、路地の奥まで入れないので、待っていてもらう。これから運ばれる彼女らには悪いが、家畜運搬用の荷台だ。でないと、馬車の方が乗せてくれないだろうから。
俺とアイビィは、さっきの悪臭の巣窟へと向かう。
「戻りました」
ノックもなしに、扉を開けながら、俺は部屋の中に立ち入った。
「なんなの、アンタら」
小男は不機嫌な態度をあからさまにしながら、ソファから立ち上がった。
「全部掃除します」
「いいわよ、もう……ぎゃあぎゃあうるさいんだから」
「お代は、金貨二百枚です」
「は?」
「アイビィ」
俺の指示を受けて、彼女は背負い袋を床に置き、そこから金貨を十枚ずつ、柱のように立てて並べていった。
「ちょ、ちょっと? どういうこと?」
「ゴミをここから出すんです。だから、金貨二百枚を支払います」
「え? え?」
「奴隷全部置いてテメェが出てけっつってんだよこのゴミクズ野郎」
俺の叫びの数秒後、男の理解がやっと追いついたらしい。
「あの女どもを、全部売れってこと?」
「ついでに、この街からも出て行ってください。同じような商売をされたら、結局何も変わらない」
「ふーん」
俺の口調にも、彼は怒りを示さなかった。だが、値踏みするような目で、こちらを見つめてくる。
「だったら、金貨七百枚は欲しいわねぇ……仕入れに金食ってるのもいるんだから」
「受付の、皮膚病の女の子は、あれは商品価値があるんですか? 引き取ってもらえるだけ、御の字でしょう?」
「あら? でも、それなりに値打ちのある子供だっているんだから。見たでしょ、金髪の小さな子」
「ふざけないでください。あんな子供が犯罪奴隷なわけないでしょう? こう見えても、僕は子爵家の召使です。上役に告げ口してやってもいいんですよ」
「けったくそ悪いガキね、アンタ」
「クソキモい腐ったオカマの分際で、人のこと言えないでしょう」
男と俺は、睨み合う。だが、この勝負、俺の勝ちだ。
「いいでしょう、ではあと五十枚だけ。金貨二百五十枚。これ以上は出しません。これで出て行ってください」
「ふう……いいわよ、わかった。今日中に出て行ってやるわよ。どうせもう、あのウンコ娘どもじゃ、一日分の食費すら、危ないところだったんだから」
いくら犯罪奴隷が含まれているからといって、十人からの女奴隷の価格がこれとは、安すぎる。理由はいくつもあるだろう。状態が劣悪なこと。必ずしも年齢の若いのばかりでもないこと。だが、最大の理由は……俺がこのクズ野郎から、商取引のスキルを奪い取ってやったからに違いない。
「じゃ、行きましょ。犯罪奴隷の引渡しは、役所に届けないといけないから」
昼過ぎ、俺達はまた、この腐った売春宿の前に立っていた。
既にオカマ野郎はいなくなっている。どうもあのゲス、もともと街から出るつもりだったらしい。手元の犯罪奴隷が死んだら、そのまま放置していく予定だったようだ。
「さて……じゃあ、みんなを連れ出そうか」
「はい……」
アイビィは、暗い表情のまま、頷いた。
手元には、奴隷達の情報をまとめた紙がある。名前の後に括弧で旧姓が書き込まれている。奴隷には家名がないのだが、資料には、自由民だった頃のそれが書き込まれていたのだ。それと、ごく簡単な経歴が記載されている。
譲渡奴隷五名、犯罪奴隷六名。所有者は俺になっている。契約自体はアイビィの名前で行い、改めて俺に所有権を移した形だ。
しかし……見れば見るほど、気が滅入ってくる。
------------------------------------------------------
<譲渡奴隷>
・カーナ(イノーモ) 二十歳
フォレス人、ヘーキティ領イノモイ村出身、六年前、譲渡奴隷に
・テニヤ(ヤヴォー) 十九歳
フォレス人、ヘーキティ領イノモイ村出身、六年前、譲渡奴隷に
・ステラ(レータ) 十八歳
フォレス人、ティンティナブラム領イガ村出身、三年前、譲渡奴隷に
・ウーラ(レータ) 十七歳
フォレス人、ティンティナブラム領イガ村出身、三年前、譲渡奴隷に
・サディス(ティック) 九歳
ルイン系フォレス人、ティンティナブラム領シュガ村出身、三年前、譲渡奴隷に
<犯罪奴隷>
・ガリナ(ホーネン) 二十歳
ルイン系フォレス人、ティンティナブラム領キガ村出身、十五歳で結婚、二年後、夫を殺害
・シータ(ダーマ) 十八歳
フォレス人、王都出身、十五歳時、詐欺と強盗の容疑で逮捕
・リーア(シーネラ) 十七歳
サハリア系フォレス人、ムスタム市出身、十五歳で結婚、その二ヶ月後に夫を殺害
・フィルシャ(ギャビジ) 十七歳
フォレス人、フォンケーノ領アンデネス村出身、十四歳時、家畜を盗んで逃亡、後逮捕
・エディマ(フッシュ) 十五歳
フォレス人、スード領アグリオ市出身、十三歳時、男性二名を刺殺
・ディー(アスリック) 十三歳
フォレス人、ティンティナブラム領フガ村出身、十歳時、姦通罪
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悲惨。この一語に尽きる。
さっき、最上階で見た彼女らは、もっと老けて見えた。それくらい、ここまでの人生が過酷だったのだろう。
まずは犯罪奴隷の経歴。ぎょっとする。
「十五歳で結婚、二年後、夫を殺害」
「十五歳で結婚、その二ヶ月後に夫を殺害」
「十三歳時、男性二名を刺殺」
半分が殺人経験者。
俺も人のことを言えたもんじゃないけど。
ちなみに、受付担当だった、顔の腫れ上がった女の子。あれがエディマだそうだ。
で、他二人が、「詐欺と強盗」「家畜を盗んで逃亡」……どういうシチュエーションだったのかはわからないけど、これもかなり怖い。
けど、最後の一人は……
「十歳時、姦通罪」
ザル過ぎるだろ、ティンティナブラム領の司法は。こんなの、どう見ても、彼女の方が被害者だろうが。
譲渡奴隷は、それぞれセットで売り飛ばされた形跡が見える。六年前のイノモイ村、それに三年前のティンティナブラム領に集中している。犯罪奴隷のガリナとディーも、もしかすると関係があるかもしれない。時期的に重なっているから。
それにしても、このティンティナブリア出身者の多さは。半分近くが俺の故郷出身とか。確か、今から五年前もひどい飢饉だったはずだが。
よくよく考えれば、俺も大概だった。リンガ村出身。殺戮の夜を逃れて後、シュガ村のナイススに拾われ、チョコス・ティックとして売り飛ばされた。
うん? シュガ村……?
『サディス・ティック 九歳 ルイン系フォレス人、ティンティナブラム領シュガ村出身、三年前、譲渡奴隷に』
……ティック?
まさか。もしかして。
「どうしたんですか?」
「いや……まさかね」
とにかく、あれこれ考えるのは後だ。まずは彼女らをここから出す。
俺は廊下をまっすぐ歩く。元オカマ店長の私室の横を抜けて、受付に。
彼女、エディマは、まだまっすぐ立ち尽くしていた。
「鍵をもらいにきたよ」
「ぎんか、いちまい、です」
「それはもういい。僕がここの所有者だから」
「ぎんか」
「だから……ああ、もう」
俺は、財布から金貨一枚を出した。
「これで鍵、全部出して」
「きん……か?」
「金貨一枚で、銀貨十枚分だ。それと、これ」
更に銀貨を一枚出した。
「君も来るんだ……アイビィ、連れ出してあげて」
「はい」
言われたことが理解できないのか、エディマは目を瞬かせるばかりだ。そんな彼女の後ろにまわりこんで、アイビィが鎖を外す。
「あっ」
鎖が外れた、という事実に、彼女は驚きの表情を浮かべる。
「馬車で待ってて。僕は全員を連れてくる」
「フェイ様、それは私がやります」
「どうして」
「危ないからです」
「そんなこと」
「いいえ。そこは譲れません」
断固とした口調で、アイビィは言い切った。エディマを繋いでいた鎖のきれっぱしを俺に握らせる。
「何かあったら、斬り捨ててください。いいですね。すぐ戻りますから」
それだけ言うと、彼女は階段を駆け上がっていった。
無理もない、か。十人からの奴隷だ。いくら栄養失調でボロボロでも、突然暴れだしたらどうなるか。今まで鎖に繋がれ、憎悪ばかりを募らせてきただろう犯罪奴隷達。それを俺に連れてこさせるなんて、できるわけがなかったか。
かなり待たされたが、ややあって、頭上から鎖の音が響いた。その歩みは遅々としている。多分、歩くのだけでも精一杯なのだろうし、また、積極的に動く意味も必要も感じていないのだろう。
「お待たせしました……こちらへ。馬車に乗るように」
俺に一礼するや、すぐまた女奴隷達に向き直り、アイビィはすぐに命じた。このキツい命令口調は、彼女の警戒心の表れに違いない。
馬車は、すぐに悪臭に包まれた。しかも、載せているのが犯罪奴隷ということもあり、勝手に逃げられては大事なので、後ろの扉も閉じてしまう。
ピュリス市の東門を抜けて、俺達は海岸に出た。
「みんな、出て」
扉を開けても、奴隷達はただ、中にしゃがみこむばかりだった。
「体を洗おう。さあ」
だが、アイビィは待たなかった。荷台に乗り込んで、一人ずつ、強引に引っ張った。
「フェイ様、洗剤の用意を。私が連れ出します」
「あ、うん」
本当は真水が欲しかった。でも、ピュリス市内で彼女らを洗えるような場所なんて、まずない。汚すぎるからだ。
海水は塩分を含んでいるから、洗剤を混ぜ込んでも、あまりうまく溶けない気がするけど……塩自体の殺菌効果とか、あったんだっけか。
あ……皮膚病のエディマとか、他の女の子も、海水がしみたりはしないだろうか。いや、この際、一度くらいは我慢してもらおう。このままじゃ、どうしようもない。
どうやら、彼女らは衰弱しきっていたようだった。外に出されても、逃げ出そうとする素振りも見せなかった。極端に空腹だとか、喉が渇いているというのではなく……無論、栄養失調ではあったのだが……なにより運動不足のせいで、足の筋肉がゴッソリ落ちてしまっているのだ。
だから、俺とアイビィは、無抵抗で無気力な彼女らを次々裸にし、その体を洗った。ひたすら、海水で。
二時間後。俺は近くの入り江の水の色を見て、溜息をついた。限りなく透明に近かったピュリスの海水が、今は泥水のように、濁りきってしまっていたからだ。というか、泥水のが絶対にきれいだろう。
これで清潔になった、なんて思わないほうがいい。最低限の臭いを落とした、という程度だ。この後、家に連れ帰ったとして……また、長時間、風呂で体を洗う必要があるだろう。
でも、その後、どうする? 十一人もの女が寝泊りできる場所なんて、うちにはない。となると……
ついカッとなってしまって、後先考えずに行動してしまったが……俺のよくないところだ。普段、あれこれじっくり考えて、考えすぎて何もできなかったりするくせに。アイビィの言う通りだったかもしれない。
アイビィは、犯罪奴隷達が暴れたり、逃亡する可能性を恐れていたが、こうしてみると、まだそれだけの元気があったほうがよかった。こんな生きた屍みたいな状態で、いったい何の役に立つのだろうか。
ともあれ、前途多難は間違いなさそうだ。
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