七歳の誕生日・下
敷地のほぼ中央、過去二度ほど足を踏み入れたお嬢様の部屋に向かう。フリュミーは仕事に戻ったが、背後にはイフロースがついてきている。なので、やたらと落ち着かない。
「フェイを連れてまいりました」
扉が開く。
この部屋に入るのは、昨年の夏ぶりだ。あの時は、居間のソファの上に、大きなぬいぐるみがいくつも置いてあった。
今はそれがきれいに取り去られている。ぬいぐるみを処分したわけではないのだが、それらはちゃんと部屋の隅に飾られるようになった。
数人の侍女が脇に控えているが、以前のように、真横に張り付いてお嬢様の取次ぎをする、ということはなくなったようだ。代わりに……
思わず「ゲッ」と叫びそうになった。なんと、お嬢様の脇にナギアが座っていたのだ。
「あー、フェイ、いらっしゃい」
「お嬢様、お久しぶりでございます。御用とのことで、急ぎ参上致しました」
そう言って、深々と腰を折る。
「お誕生日、おめでとう」
「えっ」
なんでそうなる。
一瞬、呆然としたが、お嬢様の前だ。後ろのイフロースの視線が突き刺さる。
慌ててお礼を申し上げた。
「ありがとうございます。祝っていただけるとは思っておらず、少々取り乱してしまいました」
昨年夏の料理対決以来、俺に好意的な召使は、確かに増えた。でも、こうやってお嬢様にかわいがられると、その分、周囲の妬みも買うことになる。
だが、その割に、ナギアの視線に悪意が感じられない。
「お話、聞いたよ。フェイって、すごいんだね」
どこまで伝わっているのだろう。滅茶苦茶強いとか、そういう情報があちこちに流れていたら、困ったことになる。まあ、この年齢で薬剤師やってたりとか、いろいろ今更な感じもあるが。
隣に座るナギアが、口を開いた。
「海賊の目を盗んで、捕まっていたお父様を逃がしてくれたのだとか。その後は、自分から囮になって、お父様が海賊を成敗するお手伝いをしたそうですから」
「ねぇ! すごいよね!」
どうやら、俺が雑魚どもを斬殺したあたりは、大幅に省略されているらしい。いいことだ。
ついでに、フリュミーはナギアに対して、俺のいいところを話してくれたらしい。まあ、実際に、俺が動かなければ、彼は死んでいただろう。もっとも、俺を庇ったから負傷したのだが。
ただ、問題は……お嬢様は、俺が誘拐犯どもと戦っているところを、直に見てるから、この話も、また違った解釈をしている気がする。
「だから、お誕生日も兼ねて、プレゼントをしたいと思います」
リリアーナは、かわいらしい声でそう言う。
以前よりずっと笑顔が多い。開放的な雰囲気にもなったし。助けた甲斐があった、ということか。
そこでまた、彼女は、俺の背後に立つ人物に、甘えた声を向ける。
「ねぇ、じいや」
「いけません」
「フェイに腕輪、ちょうだい」
「できかねます」
ぶっ!?
プレゼントって、騎士の腕輪? いやいや、ないない。
奴隷に腕輪を与えて、どうするつもりだ。それ以前に、騎士の身分を保証できるのは、その後援者。つまり、正式な貴族だけだ。
リリアーナは貴族の娘だが、爵位を受け継いだわけではない。将来の爵位が約束された公爵の子女とか、正式な爵位なしでも貴族の称号を維持できる侯爵の子供達ならいざ知らず、跡継ぎの立場にない彼女が、俺に騎士の身分を与えるなど、不可能だ。
「えー」
「えー、ではありません。常識というものをお考えください」
うん、考えて欲しい。
さすがにそれは、いくつも段階をすっ飛ばし過ぎだ。
「別に品物を用意したでしょう?」
「うー……」
それでしぶしぶ、彼女は脇に立つ侍女に合図した。いったん、奥に引き下がった彼女が、カートを押してやってくる。
上に乗っていたのは、一振りのショートソードだった。台座の上で、刃が銀色の光を放っている。そのすぐ横には、鞘も置かれていた。拵えのしっかりした、いい品物なのは、すぐわかった。
「フェイ、お嬢様のお気持ちだ。ありがたく頂戴せよ」
背後のイフロースがそう言う。
「私のようなものに、このようなお気遣い、まことにありがとうございます」
そうお礼を申し上げて、また深々と頭を下げた。
ところが、お嬢様は不満だったようだ。
「ねぇ、じいや」
「いけません」
「本当は、ミスリルの剣が」
「できかねます」
おい。
それも奴隷に持たせるものじゃない。というより、貴族でもそうそうは手にできない。魔力で変質した銀……ミスリルはプラチナより高価だ。加工にも技術が必要だから、このサイズの剣でも、だいたい金貨一千枚以下、ということはない。
リリアーナは、俺を何にしたいんだ。
「まあ、いいかなぁ」
少々残念そうに、彼女は言う。
「フェイは強いからね。そこまでいい武器なんか、持たなくても大丈夫だよね」
強い、か。
あんまりその辺、バラされると困る。
でも……それはそれとして。
「お嬢様、それは違います」
「えっ?」
今回の旅で実感した。俺はまったく強くない。
「本当に強い人、というのは、私のようなものを言うのではありません。例えば、そこのナギアの父、ディン・フリュミーのような人物こそが、強者なのです」
この一言に、ナギアは表情を明るくして、ウンウンと頷いている。どうだ、私のパパの偉さがよくわかったか、と言わんばかりだ。
だが、俺は本気でそう思っている。確かに、俺がピアシング・ハンドの能力を行使したり、身体操作魔術を駆使して戦えば、フリュミーを打ち負かすくらいなら、まったく難しくはない。だが、強さとは、それだけのものではないのだ。
彼は、自分自身のリソースを的確に用いてきた。
常に天候に気を配り、嵐の予兆を読み取った。いざ、暴風雨に巻き込まれても、うろたえることなく、その状況に合わせ、的確な判断を下した。船が座礁した瞬間、彼は素早く俺を庇った。傷ついた体でも、周囲の水夫達を救出することをまず考えた。海賊達に包囲された時には、生存を最優先して、うまく交渉した。俺に救出された後も、彼は思考停止に陥ることなく、弱った体で囮役を演じてみせた。
彼だけではない。俺と戦ったシンやゾークだってそうだ。シンは、傷ついた体を酷使するより、幻影を用いて、効率的に戦おうとした。いざ、剣を奪われて倒れても、俺みたいにトドメを刺すのを迷ったりはしなかった。それこそ死の間際にありながら、反撃できる瞬間をずっと狙っていたのだ。ゾークも、あっさり俺に倒されたとはいえ、決して弱くはなかったと思う。高価な装備を活用するのも、小道具を上手に使うのも、立派な強さだ。
「船が座礁した瞬間、彼は、僕を庇ってくれました。そのために左腕を負傷しましたが、あの危険な状況で、咄嗟にああいう判断ができる人間は、決して多くはありません」
心からの賞賛をこめてそう言ったのだが、はて、ナギアの様子がおかしい。さっきまでの誇らしげな笑みが消え、何やら怪訝そうな顔になっている。
「えっと……それ、なに?」
「なに、とは?」
「じゃあ、お父さんが怪我したのって、フェイのせいってこと?」
あっ……しまった。
すごい睨んできている。なんでだ。どうしてこうなった。
お嬢様の部屋を辞去して、今度はいつもの酒場に向かう。この一ヶ月、仕事に穴を開けたのもあり、顔を出さないわけにはいかなかったのだ。
昼下がり。木の扉を押して店内に入ると、数人の客がいた。それに、店長も。
「おう、フェイか」
「ご心配をおかけました」
「心配なんざ、してねぇよ」
口ではそう言うが、実はそうでもないのは、わかっている。いかにも性格のキツい頑固親父といった風情の彼だが、意外と人情に厚いのだ。でなければ、俺も他に本業があるのに、ここでこんなに長く働いたりはしない。
「で? 何しにきたんだ」
「ご挨拶を、と」
「ばぁろー、てめぇ、店あけてた間、こっちがどれだけ忙しかったかっつうの」
「すみません」
来週からは、時間を見つけて、少しは手伝いをできるかもしれない。薬の補充もあるし、まだまだ忙しい生活が続きそうだが。
「それより、お前を待っとる奴らがいるぞ?」
「えっ?」
店長が親指で示した先には、四人で席を占めるウィー達がいた。
それだけで、もう店長は何も言わずに引っ込んでいく。
「やぁ、フェイ君! 改めて、おかえり!」
以前と比べると、すっかり明るくなったウィーが、手を振りながらそう言ってくれる。
「やっと落ち着けそうです」
頭を下げつつ、近くの椅子を引き摺って、彼らのテーブルの横に座る。
ガッシュが、早速声をかけてくる。
「サハリアの商品の特売で、昨日、一昨日は、もう大混雑だったからな……あんなに安くして、利益、出てたのか?」
「いえ、あんまり」
「ははは、やっぱりか」
「あれは一ヶ月、留守にしたので、お客様にご挨拶といいますか」
そこへドロルも口を挟む。
「噂になってるぜ? お前」
「どんなですか?」
「なんでも、海賊をブッ倒したそうじゃねぇか」
「ああ、それは、うちの船長がやったんですよ。僕は、少しだけお手伝いしただけです」
ハリは、静かな口調で言った。
「そうだとしても、普通、海賊や盗賊の討伐は、最低でもガーネット以上の冒険者がやるような仕事です。よく無事でしたね」
「運がよかったのだと思います」
そこへ、ウィーが素っ頓狂な声をあげる。
「あれぇ?」
「どうかしました?」
「フェイ君のその荷物……」
その声で、他の三人も、俺の体をじろじろ見始める。
「背負ってるカバン、それ、かなりいい素材だよね? あと、それ……剣?」
「あっ、はい。剣は、今日、お嬢様からいただきました」
「ちょっと見せてくれ」
ドロルが興味を示した。
俺が素直に鞘ごと外して差し出すと、彼はすーっと刀身を引き出し、じっと見た。
「短めだが、鋼鉄製の、いいもんだな。金貨二十枚、いや、三十枚はするだろうな」
大人の月収並の剣か。ミスリルではないにせよ、かなりいいものらしい。
「こんなもん、もらったってことは、お前、海賊とまともに戦ったのか?」
「え、あ、はい、まぁ」
「すげぇな」
ガッシュも、呆れ顔だ。
「ガキのくせに、そんな無謀な真似をするのが、ウィム以外にもいたとはなぁ」
「ウィムさんも、海賊を退治したことが?」
「いや、盗賊団を一人で、な」
「ええ!? 一人で? すごいですね」
ところが、俺の賞賛の声とは裏腹に、ウィーは顔を赤く染めていた。
「もう、その話は……」
「なんでだよ、武勇伝じゃねぇか」
そうしてガッシュは、構わず話し始めた。
当時、ガーネットの冒険者だったウィーは、周囲から浮いていた。誰とも協力し合おうとせず、いつも一人で依頼を受けていた。そんな中、アクアマリンへの昇格試験を受ける条件が整ったので、該当するランクの依頼が発注されるのを待っていたのだ。
やっと貼りだされたのは、盗賊団の討伐。十人からの盗賊が、古い遺跡近辺に居を構えて、街道を通る旅人を襲っているという。普通なら数人でパーティーを組んで受けるべき仕事だが、ウィーは受付に適当なことを言って受注して、一人で出かけてしまった。
彼女が遺跡についたのは、真夜中だった。どうしてそんなに急ぐ必要があったのかはわからないが、とにかく彼女は、この夜のうちに盗賊どもを全滅させてやろうと決めていた。
その頃のウィーは、自分の攻撃力に絶対の自信があった。というのも、武器が違ったのだ。
弓は弓でも、破壊力と飛距離に優れる鉄弓。取り回しは不便でも、一撃で対象を「粉砕」する。威力が乗っているので、ちょっと何かにかすったくらいでは、矢の軌道が変わったりもしない。
その時も、この武器で盗賊どもなんか一網打尽にしてやるんだと、息巻いていた。
だが、彼女はあまりに不用意だった。
盗賊どもの居場所を調べようと歩き回るうち、とある塔の最上階に足を踏み入れてしまったのだ。
そこはまっすぐな、細長い階段の上にある小部屋だった。十人がまとまって寝るには狭い場所。どうも、高いところから見下ろして、地形と現在位置を把握するつもりだったらしい。どうせ誰もいないだろう、と油断していたのだが、まさにそここそ、盗賊どもの寝床だった。
鉢合わせてしまった彼女は、大慌てで階段を駆け下りる。そして振り返って、降りてくる相手を一人ずつ狙い撃ちにしてやろうと身構えた。
ところが、そこは完全な真っ暗闇。物音はしても、相手の正確な位置はわからない。意外に近くまで迫ってきた敵の気配に、彼女は慌てて矢を放った。
変な手応えだった。敵に刺さった感じがしない。外したか、と思った時に、上から盗賊の男達が転げ落ちてきたのだ。
接近されてしまっては、弓の優位などない。それが階段のすぐ下の自分のところに、盗賊全員が殺到してきた。必然、彼女はパニック状態になり、手にした鉄弓を力任せに叩きつけ、盗賊どもを沈黙させた。
その上で、全員を壁際に立たせ、手早くロープで数珠繋ぎにした。盗賊どもが何か言ったらしいが、彼女はすべて無視した。
盗賊全員を捕縛したのだから、依頼は達成だ。あとはピュリスまで戻るだけ。
彼女は、捕虜になったそいつらに、歩け、と命令した。盗賊は、あれこれ言い訳して、動こうとしなかったが、あえて彼女は上から怒鳴り散らした。
真夜中、森の抜け道を、ウィーと盗賊達は歩いた。その日は空も曇りがちで、そもそも新月でもあった。その上彼女は、戦闘には使わないし、敵に見つかるからとランタンを持ってこなかった。
ピュリスの西門に到着したのが、夜明け前だった。規則もあって、日の出までは開門されない。しばらく待ってから市内に入った。
そこで、ようやく彼女は気付いたのだ。
「やめてよ、もう」
真っ赤な顔をしたウィーが、顔を覆っている。
「いいじゃ、ひい、ねぇか、ひゃはっ」
喋りながら、ガッシュは笑ってしまっていた。これでは、何のことかわからない。
「どういうことですか?」
「ははっ、はいて、なかったん、ぶはは」
「はいて?」
遺跡の中で、彼女が放った矢は、確かに命中していた。但し、その鏃が切り裂いたのは盗賊の肉体ではなく、腰のベルトだった。しかも、細い階段の上にひしめいていたのもあり、奇跡的な結果を引き起こしてしまった。縦一列に並んだ盗賊達全員のベルトを断ち切ってしまったのだ。
するとどうなるか。穿いていたズボンがずり落ちる。それが足枷同然となり、歩幅が急に制限される。盗賊どもが階段から転げ落ちたのは、これが原因だ。
ついでに、この世界、ゴムなんてものはない。あっても、一般人の下着に使うようなものではない。結んで抑えておくしかないのだ。だがこれも、矢によって紐の一部が千切れたり、落下の際に結び目が解けたり……この時点で下着もほぼ、脱げていた。
しかし、現場は真っ暗な遺跡の中。しかもウィーには余裕がない。反撃を恐れる彼女は、口をきく余裕も与えず敵を滅多打ちにし、ついで縛り上げて、さっさと外に出た。道もよくなかった。ほぼ光の差さないところばかりだったのだ。
だから、夜明けのピュリスに立ち入った時点で、門番に止められた。お前、下半身裸の男達を連れて、何をするつもりなんだ、と。
そこから一時間ほど、彼女はその場で待たされた。結局、ギルドの仕事で盗賊を捕縛したのだという事情が証明されて、通行は許可されたのだが……
「朝っぱらから、ププッ、下半身だけ裸の男を十人も並べて、ピュリスの大通りを、ブハッ……」
「あれでウィムの名前は一気に有名になりましたね」
「その名も『下着狩りのウィム』……この一件で、陰口を叩く奴はいなくなったな」
無残。ウィーは、真っ赤な顔をしたまま、俯いてしまっている。
まだ十四歳の少女が、男達の下半身を露出させて行進とか、もう、これ、どんな羞恥プレイなんだろう。で、ついた二つ名が『下着狩り』とか。哀れ。
「そ、それはまた」
「な? すげぇだろ?」
「は、はい」
放心状態のウィーをおいて、ガッシュはまた、真顔になった。
「それはそうと、その剣、どうするんだ?」
「あ、はい、これなんですけど」
帰りの船の中で、考えたことがいくつかある。その一つを、実行に移そうと決めた。
「剣術の練習をしようと思っています」
「おお、やるのか」
「いざって時、ちゃんと戦えるようにならないと、ですから」
強さ。それは一朝一夕には身につかないものだ。
ピアシング・ハンドでスキルだけを奪い取っても、それでは不十分だ。俺には、フリュミーのような応用力もないし、シンのような覚悟も、ゾークのような知識もない。そういうものは、自分自身で経験を積み重ねて、やっと自由自在になるものだ。
「剣だったら、ドロルが使えるな」
「俺か? あんま強くないぞ?」
「子供相手なら、充分やれるだろ?」
ドロルの剣術スキルは高くない。たった3だ。だが、彼の実戦経験そのものは、俺よりずっと多いだろう。
「よかったら、お願いします。謝礼も支払いますから」
「おいおい、よせよ。金なんざぁ、取れねぇよ」
強くならないと。
いざという時、やるべきことをやれるようになるために。
「おらよ」
背後から、店長がコップを持ってきた。
「おごってやるから、飲んどけ」
中にはなみなみミルクが注がれていた。
「おー」
「それでは、改めて乾杯しましょう」
「おい、ウィム、そろそろ正気に返れ」
「んじゃ、フェイ」
木のジョッキをぶつけ合う。
「お疲れ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます